少年少女よ、大人になれ   作:四苦八苦

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9話

「ハァー……。」

 

屈んだ姿勢のまま、ジリジリとノイズのような歪みと共に、握りしめるマゴロクを消した。

 

血の悪臭が鼻の奥をくすぐる。背徳的なこの香りが、生きていることを証明してくれる。

 

眼部装甲と顎部ジョイントを再構築し、ピンと背筋を伸ばして多少発声練習。全身を伝うぴりぴりとした電気信号に身をぶるりと震わせ、ヒトを再活性させた。

 

『ん、んんん、あー、あー。ヨシ。』

 

血界システム。血腕の正体だ。

 

暴走によりATフィールドを過剰発生させ、魔力を混ぜ込んだ血液を用い、人間の部位を再現する。

 

使用中は暴走してるから、当然意識は飛びかける。ぽわぽわして、夢の中にいる感じ。そのため、神経経路に割り込む形で12meアドレスの呼び出し、実行により強制覚醒を経て意識を戻せる。

 

要するにだ。絶対に壊れないサイドブレーキのおかげで多少ハメを外しても大丈夫ってワケ。

 

さて。だんだん頭が冴えてきた。

 

これが一番マシだったかな。

 

ATフィールドで圧殺?無理無理、魔女がデカすぎる。

 

ATフィールドで内側から抉る?確かにワンパンできるけど、それこそさやかに安心感を与える。

 

そもそも論で最初から巴先輩に関わらなければよかった?そりゃ駄目だ、先輩が一人になる。実戦データも欲しいしね。

 

血界でまどかは怯えた。さやかが微妙だけど。最後の真空波がかっこいいと思われるかもしれないけど、使わなきゃ決定打に欠ける。カシウスは持ってくるとかさばるし、うん。ベストのはずだ。あ、フェンリル……いや誤爆が怖いか。

 

「エヴァ?」

 

とっくに変身を解除したマミに肩を叩かれ、ようやく結界が消えたことを認識した。

 

考え事をしていたら、ついのめり込んでしまった。格好つけたような、気恥ずかしい言い方になってしまうが、悪い癖というやつだ。

 

『……ごめん、ぼーっとしてた。血が臭いだろう。今落とそう。』

 

そう言うが否や、エヴァの首から下の装甲が首元にニュウンと吸い込まれた。頭部装甲に多少血が付着していたが、先ほどより血の匂いははるかにマシだ。

 

装甲が消えたのだから、いわゆる”中の人”というやつが露呈する。黒いパーカーと黒いズボンを着込んでおり、マスクと相まって不審者にしか見えない。

 

『はい、おつかれさん。』

 

そう言いながら口元に小さな穴を、それこそストローくらいしか通らないであろう小さな穴を開け、点滴パックに入ったオレンジ色の液体をチューチュー吸い始めていた。

 

「何飲んでるんですか?」

『コレ?オレンジジュース。戦うとお腹減っちゃうんだよね。……っと、グリーフシードね。ほら。』

 

ひょいっと下投げでグリーフシードをマミに渡すと、隣の杏子に目配せした。魔力残量の確認だ。その意を解した杏子は、ひらひら手を横に振りながら答えた。

 

「ああ、アタシはいーよ。今日なんもしてねーし、汚れも0だ。」

「ウィ。じゃあお言葉に甘えて。」

 

マミが自身のソウルジェムにグリーフシードを押し当てると、それは黄色の輝きを取り戻した。

 

「やれやれ、エヴァが来てから、なんだか影が薄くなった気がするよ。」

 

キュゥべえはぼやきながらどこからともなく現れ、マミから受け取ったグリーフシードをパクパク食べていた。

 

「グリーフシードの完全な浄化は、キュゥべえにしかできないことでしょ?人には人の、あなたにはあなたの、立派な役割があるんだから。そうやって、自分を卑下しないで。」

「……そうかい。」

 

満更でもなさそうだ。

 

イオリは別にそれに嫉妬したわけでは無い。するわけない。でも、なんだか嫌だった。

 

『先輩』

 

軽く手を上げ、マミに近づいた。

 

「あら……」

 

そんなイオリを見るや、意外そうな顔をしながらもその意図を汲んでくれた。

 

パンっ、と乾いた炸裂音がこだまする。ハイタッチだ。

 

「珍しい。そっちが求めるの?」

『……そういう日もある。』

 

指摘すると、ぷい、とすぐに顔を背けてしまった。照れているのは気のせいだろうか。本当、可愛い後輩だ。

 

戦後の後始末もちゃちゃっと終わらせると、妙に元気なさやかが感想を述べてきた。

 

「いやめちゃくちゃかっこいいじゃないですか!?特に最後の!あの、飛ぶ斬撃?って言うんですか?いやぁ……凄かったです!」

 

さやかは、もう、大興奮だ。腕をぶんぶん振って、エヴァの物真似をして楽しそうに笑っている。

 

『あ、そう?下手したら腕吹っ飛ぶんだけどね、アレ。』

 

どうしようかね。最悪お菓子後に全打ち明けがベスト?あと一週間くらいあるし、ほむらに逐次報告か。

 

「それにマミさんも!サーカスの空中ブランコみたいに、びゅんびゅん飛び回ってカッコよかったです!」

「あら。面と向かって言われると、なんだか照れるわね。」

 

嬉しそうに少し頬を赤らめた。

 

「アタシはどうなんだよ」

「……いや、ご三方お疲れ様でした!」

「無視すんなコンニャロッ」

 

門等無用でガッとさやかの頭に掴み掛かり、ヘッドロックをしかける。学校でもよくあることだった。

 

「あだだだだ!?ちょ、ちょっとタンマ!てか自分でなんもやってないって言ってたでしょ!?」

「それにしたってなんか嫌だろ!?」

「そりゃそうだけど……そりゃそうだけど!」

 

じゃれあう二人を、遠巻きにマミとまどかは眺めていた。

 

「仲良いわね、あの子達。普段からあんな感じなの?」

「そうですね。よくどつき漫才して、時々私も巻き込まれたり……」

「そう。かわいいわね。」

『……』

 

エヴァは一人で、ぽつんと突っ立っていた。足元には、キュゥべえが猫のようにその体をしならせ丸めている。

 

「考え事かい?」

『テメェは黙っとけボケ』

「さっさと吐いてしまえばいいものを。本当、君は掴めないやつだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「今まで色々と、ありがとうございました。」

「いえいえ。また、何かあったら。」

 

少しずつ沈んでいく太陽が街を照らす。戦闘後の歓談もほどほどに、解散の流れになった。

 

「じゃあ……」

『さやか。』

 

……やるだけやってみるか。

 

『少し、話したい。』

 

エヴァじゃなくてイオリだ。本心を伝えろ。

 

「どーしました?」

『さやか。君が契約するかどうかは君自身が決めることだ。でもさ、眠らない体、枯れることのない涙、そんなの、今の君にしかないものだ。それに、魔女退治だって、別に人手不足なんてことはないんだ。俺たち3人が戦う役割を被れば大丈夫だ。』

「えー……と?」

 

さやかは、ぽかんと口を開けて話を聞いていた。それどころか、この場にいる全員が呆然としていた。そりゃそうだ。急に哲学めいたクサイ台詞を吐かれても、どうしろという話だ。

 

イオリ自身、この行為の不自然さには気付いていた。

 

もう限界だったから。ただ、吐き出したかったから。

 

この歪んで詰んだ世界を変えられるのは自分しかいない、彼女たちを救えるのは自分だけだ、そのうぬぼれにより身勝手に自分を追い詰め、その結果がこれだ。

 

あぶれた欲求に身を任せ、瞬く間に消える快を求める。どうにも愚かで、気持ち悪い。

 

『だから、本当に、大丈夫なんだよ、だから!』

 

そう叫んだその声は、冷たい合成音声とは程遠かった。空回りする思いやり、伝えたくとも伝えられない激情、その隠喩のようにまどかたちの耳に入り込んだ。

 

落ち着け、俺。

 

『──だからさ。君たちにそれを背負う責任なんて、ないんだよ?』

 

一呼吸置いた後、本心を打ち明けた。

 

今までエヴァから聞いたどんな言葉より、優しかった。

 

『バイバイ。』

 

踵を返し、一人去りゆくその背中はあんまりにも寂しそうで。いてもたってもいられずに、まどかは追いかけた。

 

行ってしまう前に、伝えなきゃ。

 

「あの!」

 

まどかが、声を張り上げた。イオリが振り向くと、すぐそこまで近づいていた。

 

そんな大きい声出せたんだ。

 

「正直私は、あなたのやり方が怖いです。」

『……うん』

 

知ってるよ。いいよ別に。俺が望んだんだから。

 

「でも、助けてくれて、ありがとうございました。」

『……え?』

 

イオリの心が、波立った。

 

そんなことを言ってもらえるなんて、予想だにしていなかったから。

 

『ハハッ』

 

笑った。誰かを小馬鹿にしたような、そんな笑い方ではない。本心からの自然な笑いだった。

 

『さよーなら!願わくば、二度と会いませんように!』

 

そう言って彼女たちに手を振ると、まどかに続いて、全員が手を振り返してくれた。この身を包む多幸感に、なるべくそのままあってくれと願いながら、イオリはその場から離れた。

 

いつものように、乾いた春風もじめりけを帯びる、鬱蒼とした路地裏に足を踏み入れる。

 

装甲を解除し、チョーカーを首から外しパーカーのポケットに適当に突っこんでは邪魔な前髪を適当に掻き上げた。

 

「因果は?」

『10%増量してますね。』

「……思ったより、って感じだな。今んとこ合計いくつだっけ?」

『増加量合計は926%です。』

「オッケー。やっぱほむらデカかったね。200%の価値はあるけどさ。 」

『ところで、美樹さやかの対応は?』

「……今送った感じで。保管は最終手段。脊椎……いや、ソウルジェムだろうと、肉付けはやっぱキモいんだよ。」

『本当に、それだけですか?』

 

図星を指されたように口ごもる。数秒後、やけっぱちになって答えた。

 

「……ああそうだよ、私情だよ!あの5人にそういうことしたくないの!!悪い!?」

『いえ。むしろ良かったです。』

 

それを最後にブツ、と一方的に通信は解除された。

 

「はー……。」

 

大きく溜息をこぼした。本当に、うんざりだ。

 

MAGIは俺をどう思ってんだか。一度発想しただけでも、そりゃアウトだろ。

 

彼女たちを人として扱わなかったに変わらんだろ。

 

過ちが消え失せる訳ないのに。

 

頭の中で、まどかの最後の言葉が反響する。

 

助けてくれて、ありがとうございました。

 

「……」

 

一瞬でもそれに喜んだ俺は、とんだ愚劣だ。

 

君の抱える憂を知った気になって。かと思えば失敗を都合よく解釈して、生きることに意味を見出して。

 

誰が君を泣かせたと思ってんだか。

 

俺は、誰も助けられちゃいないのに。

 

俺は、逃げたのに。

 

「こんなものが、そんな善いものに見えるのかね?」

 

じっと見つめた右の手のひらが、俺を俺たらしめた。

 

『見えますよ。私には、貴方が優しい人に。』

 

感傷的になった俺の顔面に水をぶっかけるように、すかさずMAGIが無線を入れた。昔から、そういうやつだった。

 

そうやって、二人だけで、もがいていた。

 

でも、今はまともに受け取っちゃダメだ。なんの慰みにもならない。

 

「……優しさだけで人を幸せに出来るかよ」

 

伝えなければ、なんの意味にもならないのに。

 

「……大嫌いだ」

 

まどかのくれた優しさは、ぐずぐずと胸の奥に張り付いた自己嫌悪に押しつぶされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で……話って?」

 

街も暗がりを帯びかけた頃、さやかは一人だけ杏子に呼び止められた。話がある。それだけ言われ、帰り道の半ばで足を止めた。

 

二人の座るベンチは街灯に照らされ、道端にひっそりと佇んでいた。

 

「単刀直入に聞くが、契約しようと思っているのか?」

「微妙、ってとこかな。正直さ、叶えたい願いとかないんだよね。」

「……恭介のことで願わないのか。」

「あー……」

 

恭介のことは、昔から度々話題にしていた。さやかの話し方から、さやかが恭介に向ける感情がそういうものであったのを察したのだろう。

 

自分の中で考えをまとめた後、一言一言紡ぐ様に、思いを口にした。

 

「いつだったかな。ほら、杏子が入学してすぐの頃さ。恭介ってゆうバイオリンやってる友達がいるって話、したでしょ?」

「あ、思い出した。それでアレか。アタシ、そんな芸術肌のやつとさやかの馬が合うとは思えない、みたいなこと言ったっけ?」

「そうそう。」

「いや、あん時は本当にごめん。デリカシーっつーか思いやりっつーか、なんか……色々足りなかった。」

 

杏子は軽く頭を下げた。昔であれば、こんな素直に謝罪できなかった。自分のことながら、変化を実感する。

 

「や、いいよ。別に気にしてない。それに、一度自分と恭介の関係を見直す機会にもなったし。……あいつとはさ、友人のままでいた方がいいんだろうなって、思ったんだよね。」

「……そうか。」

 

微かに笑いながら、どこか安心したような口調で杏子は呟いた。その様子に、さやかは違和感を覚えた。

 

「契約、してほしくないの?」

「……ああ。」

 

少しばかり言葉をつっかえた後、ため息のように吐き出した。

 

「どうして?」

「……正直、アタシはさ。契約したことに後悔してんだよ。」

 

そうして語られたのは、杏子の家族のことだった。宗教、発狂、無理心中……七転八倒の凄惨な人生に、さやかは言葉を失った。

 

「おっも……ってか、そんなの杏子じゃなくて父親の方が悪いじゃん!子供養わなくてどーすんの!?」

「それはそう。本当、バカな親父だったよ。」

「話ってのも、それ?」

「いや、それはもう大丈夫だ。昔はやけになって、身勝手に生きてたけど……マミたちと正義のため、人のために戦ってさ。それで、モモもいる。今の生活で満たされてはいるんだが……イオリとの間でちょっとな。」

 

イオリ。そう言われて思い当たるのは、杏子よりも前に転校してきた碇イオリだ。さやかがイオリに向ける印象としては、おもしれーやつ、だった。

 

というのもだ。イオリが転校して間もない頃に開催された学園祭にて、自分たちのクラスではメイド喫茶をすることになった。そんな中イオリは一人だけ、女装メイドで接客していたのは記憶に新しい。なんなら、誰よりも乗り気で『もえもえきゅん』していた。

 

個人間において話したことは片手で数えるほどだったが、気のいいやつであると認識している。

 

「……で?イオリと杏子に、なんのいざこざがあるっての?」

 

杏子は悩んだ。話してもいいのか。これは、自分の抱える問題だ。利己的ではあるが責任感もある。若干の矛盾を抱えた自身の心では、答えを出すのに苦労した。

 

「……なあ、さやか。」

「何?」

「お前を、頼ってもいいかな?」

「──」

 

半年前からの付き合いだが、ここまで弱々しい杏子を見たことはない。動揺を隠せなかった。

 

だが、同時に結論は出ていた。背負うものがあるのなら、請け負ったっていい。

 

「いいよ。だって杏子は、あたしの友達だもん。あ、親友はまどかだよ?悪いけど、これは譲れない。」

 

いつものように茶化してくれるさやかが、今はただ、ありがたかった。

 

「……ありがとうな。」

 

本当、いい友達を持ったな。

 

少し頬を緩めながら、感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな死んでから、2ヶ月くらい経ったっけ。

 

三滝原市郊外の廃墟ビルの一室は、灰色の、所々が黒ずんだ打ちっぱなしのコンクリートで覆われていた。地上から3階に位置するこの部屋では、ひしゃげた窓から入る、まばゆい太陽のみが光源になっている。

 

部屋を陣取っているのは、青緑のパーカーに、この季節には少し寒くなってきた、デニムショートパンツを履いている佐倉杏子だ。ワタの漏れたボロボロのソファに横になり、裸足を伸ばしてくつろいでいた。そばに脱ぎ置かれたロングブーツは綺麗に揃えられており、性根の行儀のよさが見てとれる。

 

やるべきことがあるわけでもない。建物内を吹き抜ける、からりとした秋風に心を揺蕩わせていた。

 

その時だ。誰かの足音がコンコン、とコンクリートを響かせ、それが廃墟全体に伝わった。

 

「……何だ?」

 

時たま、この廃墟に人が忍び込むことはある。肝試しだの、子供が迷い込むだの、どれも、どうでもいい理由だった。だが、今回ばかりは異常だ。

 

響き続ける足音は正確に、まるで、杏子の居場所を位置を完全に把握しているかのように、何の迷いもなくこの部屋を目指していた。

 

魔法少女か?恨みを買った覚えはないんだがな。仮にマミだったとしても、こんな気持ち悪い雰囲気じゃねえ。

 

何であれ備えておくに越したことはない。そう判断した杏子はソファから離れ、急いでロングブーツに足を滑らせた。

 

身構えてから30秒ほどか。いや、5秒もなかったかもしれない。それすらわからなくなるほどに、それの衝撃は凄まじかった。

 

「いるかい?」

 

一人の男が部屋に顔を覗かせた。真白い布をじわじわと浸色する黒いインクのように、ぬるりと。部屋と廊下を繋ぐ唯一の出入り口を塞ぎ、杏子と向き合うと、不健康に腰を若干屈めながら立った。その佇まい、まるで初めからそこに居たかのように微動だにしない。表情は真顔とも笑顔とも捉えられ、どっちつかずで微妙だった。

 

「佐倉杏子 だね?」

 

ぼそぼそと話しているが、一言一句嫌なくらいはっきり聞こえる。微かに揺れる瞳の黒が、佐倉杏子を妖しく見つめた。

 

見滝原中学校の制服を着ており、体格はヒョロく、可愛らしい顔立ちだ。だが、その雰囲気が。なにかが、恐ろしい。

 

こいつは──何だ?

 

奥底に眠る本性は、今まで出会ったどんな魔女よりも、ヤバい。

 

上面の皮一枚、人間らしく塗りたくっただけの化け物。

 

生物としての格が違う。本能で、それを理解できた。背中を伝う冷や汗を感じながら男の一挙手一投足に最大限気を配り、ポケットの中で強くソウルジェムを握りしめる。

 

「なんでアタシの名前知ってんだよ。」

 

無理して虚勢を張り、怒気を孕んだ声で応答した。今は荒波立てないのがベストではあるが、冷静さに欠けていた。

 

「君の 妹から聞いた。」

 

そう言って一枚の写真を取り出した。

 

既視感のある、赤髪の女の子が写っていた。白無垢のワンピースを着込み、民家の黒い塗装をバックにピースをしながら笑っている。暗がりより示されたその写真に目を凝らすほど、既視感は疑惑に、疑惑は確信に成り上がった。

 

モモだ。佐倉モモ。一家心中の際に本来死ぬはずだった、佐倉杏子の妹だ。

 

杏子は息を呑んだ。

 

忘れるわけがない。あの日、あの場所で、死んだはずの実の妹だ。

 

では何故、その写真を持っている?

 

「──テメェ!」

 

気づいた時には体が勝手に動いていた。少しばかりの抵抗を押し切り、馬乗りになって首に手をかけ押し倒す。

 

「モモを……家族を何処へやった!?」

「何処へも連れて行かないよ。笛吹じゃあるまいに。」

 

首を絞められても余裕そうに男は答えた。魔力も込め、かなりの力をかけているはずなのに、まるで苦しんでいない。

 

「一旦離してくれ。これじゃまともに話もできない。」

 

杏子は考えた。確かにその訴えはもっともだ。今ので力関係もはっきりした。簡単に押し倒せるなら、この誘いが罠だったとしても、問題ないだろう。

 

「……わかった。」

 

恐る恐る両手を離すと、男は立ち上がり、軽く服についた埃をはたいた。

 

「俺の態度に問題があったかもしれない。ごめん。……一緒にくる?」

「一緒にって……どこにだよ?」

 

無駄を省きすぎて、かえって意味がわからなくなっている。

 

やはり、どこか様子がおかしい。不信感は募る一方だ。

 

「佐倉モモ。君の、妹の元に。」

 

その胡散臭い言い回しが信頼を遠ざけていると理解しているのか、と言いかけたが、ぐっとその言葉を飲み込んだ。

 

「……これだけは答えろ。モモになにもしてないんだろうな?ってか、お前誰だ?」

「俺は碇イオリ。モモには何もしてないよ。健康は何の問題もなく良好です。学校にも通っている。俺がどうにかした。」

「……ならいいんだけどよ。」

 

モモに会えるのであれば、こいつについていくのも良いだろう。もっとも、信用など微塵もなかったが。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに訪れた三滝原市の繁華街は、変わらず人の往来が激しい。二か月という時間は、あまり変化をもたらしていなかった。

 

そんな道中で、会話は全く弾まなかった。いや、イオリに弾ませるほどの余裕がなかった、というべきか。

 

「お前……親はどうした?モモがいて大丈夫だったのか?」

「親と会ったことはない。海の向こう側に行ったらしいけど、金銭ひとつで継ぐ関係なんてたかが知れてるよね。」

「……見たこともない親から金だけ支援されてるって、ことか?」

「それ。それが言いたかった。」

 

親に恵まれなかったのには共感を覚えかけたが、履き違えた知的な語彙に杏子はイラついていた。しかし、ここで手を上げてもどうしようもない。話していても気分が悪くなるだけなので、最低限のことだけ質問し、あとは黙ってついて行った。

 

 

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

川沿いにある、二階建ての一軒家だった。壁の白黒コントラストが綺麗で、塗装の剥げはひとつもない。

 

ドアには『モモ』と書かれた木のプレートが紐と画鋲で吊り下げられている、2階の一室に通された。

 

「モモは今学校だ。四時ごろに帰ってくる。一階の冷蔵庫は好きに荒らしていいし、入りたければ風呂にだって入っていい。じゃあね。」

 

対話の余地もないほど好き放題捲し立て、カチャン、とイオリはドアを閉めた。

 

「なんだアイツ……?」

 

気味の悪い野郎だ。好きになれる気がしない。

 

一人放り投げられた部屋を見渡すと、メタリックに光る金属ラックに桃色の布団が敷かれたベッド、スタンドライト付きの勉強机など、生活には何不自由ない、一見すると普通の個人部屋だ。

 

変わったことといえば、三面鏡付きの洗面台があったことか。

 

まるで、人形遊びで作った理想の家。不便とはかけ離れているが、どこか不気味だった。

 

部屋の電子時計は3時半を示している。

 

「あと30分か……」

 

杏子はモモに対して、思考を巡らせた。

 

モモはこの男に保護されて本当に大丈夫だったのか?

 

そもそも本当に保護──いや、それが嘘だったらこんな大掛かりな飾り付けしないか。

 

モモが()()()()()()をされていた時は──

 

いや、だとしたらアタシを呼ぶか?

 

「……場合によりけり、か。」

 

くるくる回るピンクの椅子を軋ませながら、そう結論を下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フー……」

 

イオリは一階の洗面台の前で、額を鏡にべっとりと押し付けていた。

 

その行為で何かが変わるわけではない。無駄でしか無い。暖かい日の手袋のよう。しかし、イオリにとっては、そうであることに意味はあった。自分の瞳以外何も見えない視界は、他には変えられない安心を与えてくれた。

 

「……話せ、声を出して」

 

おまえは何だ?

 

「俺は碇イオリ。エヴァじゃない。エヴァじゃない、人間だ。お前は人間だ、そうだお前は人間だ。この世を生きる人間だ。生きていた人間だ。」

 

漏れ出す声に価値はない。押し付ける頭に自分はいない。そうであることが気持ちいい。胸が空くのを実感する。

 

埋め合わせは自己責任だろ

 

「望んだのはお前だ」

 

逃げるな

 

「償え」

 

モモ 帰宅

 

がちゃん

 

「ただいまー!」

 

玄関を勢いよく開け、モモが学校から帰ってきた。扉が開けっぱなしの洗面所にいるイオリを認識すると、ランドセルも下ろさず、一直線に駆け寄ってくる。

 

イオリ

 

「おうモモ、お帰り!学校楽しかったか!?」

 

貼り付けるのはいつもの笑顔。いつもの日常で出迎えた。

 

「当たり前でしょ!今日さ、給食にきな粉揚げパン?ってのが出てさ!すっごいおいしかったんだよね!」

「きな粉揚げパン?そりゃあ良かった!」

 

イオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリイオリ

 

「あ、そうだ。自分の部屋行ってみ?きっと楽しいから。」

「えー?またそんなこと言って。こないだなんか缶ジュース一本だったじゃん。」

「あったら嬉しいだろ」

「それはそっか。じゃ、行ってきまーす!」

「はい行ってらぁ!」

 

モモ 2階へ行った まだイオリか?

 

ブレるな イオリのままでいろ 佐倉杏子との応答を忘れたか MAGIの言葉じゃなくて自分の言葉で会話しろ

 

慣れろ 無知でいろ 思いは本物だろ 拒絶はお前の専売特許だろ

 

「あー……」

 

思わず、見慣れない天井を仰いだ。おかしくなりそうだ。

 

辛い繧医?∬ェー縺句勧縺代※?

 

「ちゃんと、謝らなきゃな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、2階のある部屋のドアをノックした。

 

「入っていい?」

「……ああ。」

 

内装は、部屋を照らす簡素な照明一つに、ここにもやはり洗面台が取り付けられている。机はおろか、カーペットすら敷かれていないその部屋は、モモの部屋に比べると生活感はまるでない。

 

洗面台のふちに腰掛け、杏子は待っていた。目や頬には潤った痕跡があり──俺の気にすることじゃないか。

 

「モモから話は聞いたよ。死に物狂いで助けてくれたってさ。」

 

先に口を開いたのは杏子の方だった。

 

「正直さ、廃墟でお前に会った時はなんだこいつって感じだった。でも……モモを助けてくれたのは、ありがとうな。」

「俺も……あれは酷かった。その……」

 

伝えたい思いは溢れているのに、伝え方がわからないせいで、結局本人を前にすると何にも出てはこなくって。

 

「あ……」

 

ダメだ。やっぱりおれには無理だ。

 

「ごめん」

 

そう言うが否や、腰が抜けたようにすとんと膝から崩れ落ちた。

 

「……は?」

 

あまりに突然だったため呆気に取られていると、イオリは話を続けた。

 

「俺はあの日、君の家族を死なせてしまった。」

 

死なせた?何を言っている?

 

「お前……」

「あの時おれがもっと早く動けてたら、もっと、正しくやれていれば、おれは、あの時助けられたんだ……」

 

はぁ、はぁと、深く、重い呼吸音が鮮明に聞こえる。目を逸らせず、かといってその背中を撫でてやれるわけでもなく。気迫に圧倒され、動けなかった。

 

「やれたんだよ……!」

 

ぶち、と静かな部屋に鈍い音が響く。唇だ。イオリが、自身の犬歯で、下唇を噛み貫いていたのだ。垂れ流れる血が、嫌というほど杏子の目に焼きついた。

 

その瞬間、杏子は理解した。なぜあんなにも挙動不審だったのか。なぜ、こんなにも与えようとしたのか。

 

そうして出た答えに、自分の背負うべきモノを幻視して。

 

なんで……なんでだよ?お前は、ただの見ず知らずの他人だろ?偶然の、ただの通りすがりだろ?

 

これはアタシが招いた業、アタシの罪だろ?

 

お前が罪を被る必要なんて、あるわけが──

 

「お前はいらない」

「え?」

 

ぼそりとイオリが、何かつぶやいた。何だ、と顔を見れば、噛み潰した唇なんてとっくに忘れたように、口を開いて呆然としていた。荒かった呼吸も鳴りを潜め、息をしているのかすら怪しいほど、先ほどと打って変わって静まった。

 

「お前なんて……誰も……」

「どうしたんだよ急に……?」

 

わなわな震える両手を顔に押し当てて、イオリは両目を塞いだ。ぶつぶつと呪詛のように何かを唱え続け、自分の世界に入り込んでいる。

 

「全部捨てろ……違う、それに罪はない罪ってなんだ気取るなクズが」

 

体を徐々に床に倒しながら、抑揚のないトーンで、誰かを罵倒し始めた。

 

誰と話しているんだ?目の前のアタシじゃないなら、何だ?もうひとりの自分でもいるのか?

 

「全部お前だろ違うかそうだろ逃げるな背負え」

「おい……何なんだよ……?」

 

したたり落ちる血がぽたぽたと、木の床に滴下する。

 

唇からの、血だけじゃない。額に爪を突き立て、皮膚を引き裂いたのだ。

 

……取り敢えず、止め、るか。

 

そう思った矢先、なんとかイオリはへばりついた両手を剥がした。その両手は神経が切れたように地面に垂れ落ち、ぴくりとも動かなくなる。動悸がおさまったのか。安堵した杏子は、恐る恐る手を差し伸べた。

 

「……大丈夫か?」

「おまえが」

 

駄目だった。突然イオリの右手がイオリの顔部を掴んだかと思えば、後頭部を何度も壁に激しく打ちつけた。後頭部からは血が漏れ出し、白い壁をみっともなく汚していく。何度でも、何度でも、突然の出来事に対応できなかった杏子がその右手を掴むまで、それは続いた。

 

「何やってんだよ!?お前なんか変だぞ!?」

「あ」

 

逆効果だ 見せるな お前のせいだ 取り繕え

 

「ああ」

 

イオリは今にも泣き出しそうに嗚咽を漏らして、壁に預けた体を一旦起こすと、這い上がり、縋り付くように杏子の両肩を掴んだ。杏子はそれに一瞬ビクッと身体を震わせたが、それでもイオリを引き剥がさなかった。

 

そして、ゆっくりと顔を起こした。血まみれの酷い顔だった。見開かれた目はぶるぶると震え、血走り、膨張している。一滴の涙も落とさずに、ただ射殺すかのように杏子を追うだけだった。

 

「ごめん……!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!俺が、俺のせいで、全部俺のせいだ!」

 

発狂じみた涙声を上げながら、イオリは謝罪した。

 

 

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