人生、何があるか分からない。
ある日突然、世界が滅ぶかもしれない。事故に巻き込まれるかも。宝くじが当たるかも、曲がり角で可愛い子にぶつかるかも。そこから始まるラブコメでも発生するかも。
「ありえない」なんてことはありえない。どこかのキャラもそんなことを言っていたが、いや全くもってその通りだと思う。
可能性とは、そういうものだ。たとえ0.000000001%であっても、可能性があるからエヴァンゲリヲンは動いたんだろうし。
「……さて、そろそろ現実を見ようか」
唐突かつ取り留めもない思考の海から脱出しそっと目を開ければ、創作物御用達の知らない天井。続いて少し痛む体を起こして見れば、今度は知らない壁。見たことのない、でもどこか既視感のあるキャラクターの壁紙がデカデカと貼られている。
視線を右へ向ければ、窓の外に雲ひとつない晴天の空が見える。ちょっと眩しい。
続いて左を向けば、知らない勉強机。机上は結構ゴチャついていて、部屋の主の片付けスキルの無さが見受けられる。
そして今度はぐるっと部屋全体を見る。勉強机の横に本棚、少し行って小さめのテレビの乗った机。
さらにすすーっと視線を動かせば、布で中が見えないよう隠された収納、その隣にクソデカクローゼット。
「……何処ここぉ?」
知らない天井どころか、知らない部屋で知らないベッドに寝ていた。
受け止めきれないその事実に、そっと顔を手で覆うことしか出来なかった。
いったい、この可能性はどれ程の低確率を引き当てたんだろうか。
「えーと、よし。落ち着いた」
現状把握(と少しの現実逃避)を終えてからたっぷり数十分、ベッドの上で首を捻った後再び起き上がり頬を叩く。痛い。なるほど、夢という線は消えた、と。
何一つとして見覚えの無いこの部屋にどうして居るのか、それについて考えるのは一旦止めた。推測以上の何も出来ないし。
……それに、そこ以外の理由もあったから。
「ふおお、これが……柔い」
そっと自分の胸板……いや、胸に手を当てる。返ってくるのは慣れ親しんだ、それなりに固い男性的な筋肉の感触では無かった。
言葉に表すなら……そう……「うおっ、でっか......」かな?続いて頭へと手を当て、そっと髪の毛に沿って指で梳いてみる。
指に感じる髪の感触もまた自分の知っているものではない。さらりとした手触りに誘導されるかの如く指が進み、肩のあたりを超えてようやく指が髪の毛から離れた。
それとついでに言うと、色が白。銀髪ではない、若干くすんだ灰色が混じった、それでも十分白髪と言える白さだ。
柔らかい肉付きの体、肩より下に届くほどの長く白い髪の毛。ここまでですでに9割がた確信をもってしまっているが、まだだ。まだ慌てる時間じゃない。
喉へと手を当てて―――喉仏が無い―――そっと口を開け、息を軽く吸い込みすぐに声へと変えて吐き出した。
「あーーーーーーー~~~~~~ァぁぁ……」
透き通るようなきれいな声……いやまぁうん、さっき呟いた時にも気づいていたけどね?
「……女に、なっとるやんけ」
どうやら、いつの間にやら性転換手術を受けてしまったらしい。
「えーと、よし。落ち着い……いややっぱ無理だ」
性転換の事実を受け止めてから再びたっぷりと数十分の時をベッドの上で過ごし、体を起こす。ひょっとしたらまた首を傾げている間に今度はいつもの自分の部屋に、いつもの自分に戻って帰還できるのではないか……そんな淡い希望は、しょせん淡いものだったようだ。
このままベッドの上に居続けるわけにもいかない。そんなわけで、そっと立ち上がる。どうやら格好は白地のシャツに短パン、かなりラフな格好だ。
ごちゃついている机上へと目を向けると、先程は気づかなかったがデジタル時計が置かれており、時刻は正午前あたりを示している。
「さて、と。まずは……」
時刻を確認したことで、微妙に空腹感が襲ってくるがぐっとこらえて無視する。今重要なのは、飯よりも現状把握。そんなわけで部屋の中をひっくり返す勢いで漁り、この体の持ち主の身分を示す何かしらを探すのであった。......の、だが。
「……嘘だろう?」
何も無いなんてことあるんだ......。机も、クローゼットも、部屋の中にあるものは確実に全て確認した。しかし、どこにもこの体の持ち主が分かるものが無かったのだ。
「まさか置いてある物にすら名前が無いとは......弱ったな、手がかりになりそうなのは、後はこれだけか」
そう言って手に持った板―――スマホを眺める。部屋を漁った際に机の上に雑に置かれていた為、真っ先に見つけたコレ。見つけて直ぐに中を見たかったのだが、パスワードが分からない。
ダメ元で打ちこんでみるが、「パスワードが違います」という予想通りの結果に終わった。
これにて個人情報の獲得が手詰まりである。早い、早すぎてやることが無くなってしまった。
「さて、こうなると、だな」
一つ伸びをしてから部屋の扉を見る。部屋の確認をしている時から既に気づいていたことだが、扉の向こうではいい匂いと共に誰かが動いている物音がしている。
(うーん、仮にこの先にいるのが知り合いだったとして。中身が変わってしまっている事に勘づかれた場合どうなるか...。怪しまれるくらいは甘んじて受け入れるが偽物扱いからの不法侵入とかで警察にしょっぴかれるのが1番いただけないからなぁ)
初手獄中スタートは笑えない、現状把握の為にも行くしかない。行くしかないのだが、非常に気分が乗らない。
全く知らない場所で全く知らない女になってしまった事実など、そう簡単に受け入れることなどできない。......出来ないが、だからと言ってここでじっとしていても元に戻れる訳でもなし、腹を括......いやまぁもう少し時間が......。
「おぉい、お昼が出来たよォ。起きとるかい?」
「!?」
扉の前でああだこうだと考えていると、不意にそんなしゃがれた声が聞こえてくる。思わず肩をはねさせて扉を凝視すると、パタパタと歩く音、続いてギシギシと何かをふみしめる音......待ってここ2階か!声をかけてきているし、これこの部屋に来てるな!?
(まずいまずいまずい!まだ何も判断出来てないのにここでこの体の知人に会ったら間違いなくボロが出る!)
「あ、あの...」
判断が遅い。
咄嗟に声をかけるも、無情にも足音は扉の前で止まり、控えめな音を立ててドアノブが回る。
完全に想定外な事に固まっている間に、扉が開かれた。
しゃがれた声の時点で察してはいたが、現れたのは一人のおばあさんだった。皺の深く刻まれた顔に、白一色の髪。若干の汚れが生活感を醸し出す割烹着。
これまたしわくちゃな手には良い匂いと湯気が立つ器を持っていた。完全に終わったと思いながらも必死に頭を回転させ言い訳を考える。......当然何も知らないのだから何も言えない。詰みである。
「え、ええっ、と」
「おやまぁ。目が覚めたんだねぇ、良かったよ」
思考の中で白旗を揚げていると、キョトンとした表情をしていたおばあさんが、みるみるうちに嬉しそうに再び笑顔を見せた。その声色や表情からは、心底安心したという感情が見て取れる。
......身内、なんだろうか。
「さぁさ、ろくに何も食べて無かったんだろう。話したいこともあるだろうけどね、まずはご飯食べておきなさいな」
「えと......ありが、と、ます......」
手渡されたお盆とおばあさんの顔を交互に見つつ、お礼を言う。それを聞いて満足したのか、おばあさんはもう一度にっこりと笑みを深めてから部屋を出ていく。
取り残されたのは、何も分からない少女の体を持った不審者とカレーだけだった。
「............とりあえず、いただきます」
もう目覚めてから何度目なのかすら分からない思考停止に何も言えなくなりながら、その場にあぐらをかいてスプーンを手に取るのだった。
.........うっま。
美味いカレーに舌鼓を打ち、舐めとったように綺麗な(実際少しだけ舐めた。はしたないけど)皿を載せたお盆を手に部屋を出た。
出て直ぐに目に入った階段を下りると廊下。次いですぐ横にある扉のない入口を通れば、ごくごく一般的なリビングへとたどり着く。おばあさんを探して見渡すと、リビングに直結している台所に後ろ姿を発見した。水音がする場所的に、洗い物をしているようだ。
「あの、ごち、さまでした」
「おやまぁ、丁寧にありがとう」
驚かせるつもりも無かったため声をかけつつお盆を見せると、振り向いたおばあさんが嬉しそうに微笑む。その朗らかな笑みを見ていると、こちらも穏やかな気持ちになってくる。多分今自分は、ぎこちないけれども笑っているのだろう。
......というか、喋り方。自分では普通に喋ろうとしてるつもりなんだが、すっごい片言。なんだ、喉でも痛めてるのかそれとも吃音症なのだろうかこの少女は。
「あの、洗う、手伝います」
「あらあらぁ、いいんだよぉそんな気を使わんでぇ」
そう言って笑うおばあさんだが、こればっかりは信条の問題だ。受けた恩は返せるうちに返したい。そんな訳で多少強引なようだが、おばあさんの横に立って皿洗いを手伝う。少し驚いた様子を見せたおばあさんだったが、直ぐにまた微笑みながら一緒になって洗い物を続けるのだった。
「ありがとねぇ、おかげで随分と早く終わったよぉ」
「いえ......」
洗い物を終えた後。おばあさんと共にリビングにある机を挟んで椅子に座り、まったりと休んでいる。
いや、本当は直ぐにでも本題に入りたいのだが、おばあさんの「まずはお茶、だねぇ」という一声に頷かざるをえなかった。
自分の目の前にも置かれている湯呑の中にはオレンジジュース、おばあさんの方はお茶。
のんびりとしたおばあさんの雰囲気に充てられ、湯のみを手に取り口に含む。
......あまい。
「あの......」
「んん?どうしたんだい?」
湯のみ片手にこちらへと体を向けて話を聞いてくれるおばあさんに、一度深呼吸をしてから質問を始めた。聞きたいことはとても沢山ある訳だし。
俺が質問し、おばあさんが答えるという形での会話を重ねること数十分。結論から言うと自分自身の正体は全く分からなかった。と言うのも、どうやら俺はおばあさんの身内というわけでもないらしい。
簡単にまとめると......
おばあさん買い物に行った帰りに路地裏で倒れた少女を発見。
人を呼ぼうとしたところを、かろうじて意識があった少女(わし)が「誰にも言わないで」などと言ってから気絶。
おばあさん困惑しつつも頑張って自宅へと運ぶ。(自分の娘を呼んで人手として使う)
起きるまで様子を見つつ日付が変わり、昼ごはんを作って様子を見に来たところで少女(わし)が目を覚ましていた。
......ということらしい。そうなると俄然、この少女の身寄りとか色々と把握しておきたいところではあるんだが残念ながら何も分からない。だって俺がこの少女の中に入ってしまって、記憶が全部吹っ飛んでるからなぁ。
更に、どうやら俺が変わってしまったこの少女は、誰にも知られたくないような身分らしい。それ詰んでねぇか。
晴れて、身元不明・住所不明・記憶無し・頼れる身内無しの役満一般通過不審者の完成である。
と、いうわけでとりあえず。
「ほんとうに、ありがとう。助けられました」
そう言って頭を深く、机にゴンと当たるギリギリまで下げる。理由は不明だがこうして今生きているのはおばあさん(と娘さん)のおかげだ。物理的に頭が上がらない気がするくらいには大恩人である。
「さっきも言ったけど、いいよォそんなにしなくても。困った時は何事も助け合い、だろう?」
「でも、おれ......いや私みたいな怪しいヤツを家にまで入れて休ませてくださるなんて」
「どうせ老い先短い老婆の家だよォ、盗るようなものだってないんだし。
私はもう仕事も隠居した身だからねぇ。もう余生をのーんびり過ごすだけで充分、だから失うものなんてほとんど無いよ」
もうなんだろう、神かな?聖母か何かか?おばあさんの背後に後光が見えてきた気がするよ。
「さて。今度は私の方からも尋ねて見たいことがあるんだよ。聞いても良いかい?」
「っあ、はい。大丈夫、です」
頭を上げ、おばあさんを見据えて姿勢を正す。
そういえば俺ばかりが質問してて、おばあさんの方からは何も言わせていなかった。
「記憶が無い、という事だけども。これからどうするつもりだい?」
「と、言うと?」
「いやねぇ、せっかく行き倒れていたのを助けたのに、このままはいさよならなんてしたら、なんだか野垂れ死んでしまいそうだと思ってねぇ」
「んぐっ」
困った顔でそう言うおばあさんに、思わず唸る。
......そうだ、記憶が無いからマジでなんも分からないが、俺これからどうすればいいんだ?
行く宛もなく彷徨っていたら、おばあさんの言う通りまたどこかで倒れて今度こそお亡くなりになるだろう。
何も思いつかず、しかめっ面で唸っていると、対面から体を前に出しおばあさんがそっと俺の手を握った。
「もし、行くあてがないなら。こんな何も無い家で良けりゃ居てくれて良いんだよ?」
「それ、は。迷惑、では?」
答えてから、直ぐに考える。とても魅力的な話だ、何も持ってない自分にとっては、この提案を受ける以外にまともな生活を送る手段は無い。
もしここで引いたら......おばあさんも、そこまで言うならしょうがない。じゃあね、なんて言ってしまうんじゃないか?
時間にしてほんの数秒だっただろう思考の海から脱し、俺はおばあさんの手を両手で握り返した。
「ぜひ、よろしく、お願いします」
「いいよぉ、これからよろしくねぇ」
こうして俺は、自分の状態も何も分かっていないながらも居候先を手に入れることに成功したのだった。
Q.なんでTSしたの?
A.いかんのか?(曇りなき眼)
次回もまだデュエルしない