ヴァルキューレたちの秋 作:もずくスープ
今回、捏造てんこ盛りです。ヴァルキューレ内部の設定やキャラなど、超適当に書いてます。ご注意。
「きょくちょ~、今月で期限切れの保管拾得物リストを……って、うわ」
支所回りから帰還したフブキを迎えたのは、いつもの惰眠と糖分にまみれた平和な光景ではなく、張り詰めた糸のようなピリピリとした緊張感だった。
生活安全局の日常の風景と化してた居眠りや雑談は完全に鳴りを潜め、局員たちは皆、真面目くさった顔で自分のデスクと向かい合っている。
この異常事態の震源地は、言うまでもなくオフィスの最奥にある局長デスクだ。
フブキはここ数日ですっかり自身に染み付いてしまった重苦しい倦怠感を隠しもせず、わざとらしく大きなため息をついてから、その「元凶」の元へと歩み寄った。
局長デスクに座る彼女──生活安全局長は、これまた気を張り詰めたような表情で、眉間にしわを寄せながら、熱心に何かの書類を読み込んでいた。
フブキが目の前に立ち、それに気づいても、彼女は視線を上げない。
ただ口に咥えていたボールペンを手に取り、デスクの端を無造作に指し示した。
「ありがと、フブキ。リストはそこに置いといて」
視線を手元の書類に縫い付けたまま、彼女は早口で言った。
「ちょっと早いけど、もう昼休憩に入っていいわよ。あそこで一生懸命、親の仇みたいに弾を磨いてるキリノにもそう伝えておいて」
一度だけちらりと視線を寄越すが、すぐにまた書類へと戻った。
彼女の目線は手元の書類とメモ帳の間を忙しなく行き来している。
ぶつぶつ呟きながら、書類を眺めては、時折メモ帳に何事かを書き込む。
その様子は夢中になっているというよりは、何かに取り憑かれているといったほうが適切だった。
鬼気迫る表情で作業を続ける彼女に、フブキは少し臆しながらも声を掛けた。
「局長は休憩取らないの?」
「私はいいわ。やることあるの」
「ふーん、そっか。ま、あまり根詰めないようにねー、糖分足りなくなっちゃうよ」
「あ、そうね。フブキ、私今から会議だからこのドーナツ全部食べちゃっていいわよ。キリノにも分けてあげなさい」
「おお、やった。んまあ、キリノが要るかどうかはキリノに聞いてみないとね。場合によっては独り占めも仕方ない」
「じゃあ、行ってくるわ。くれぐれも問題起こさないように」
彼女はフブキの軽口には応じず、言うことは言ったとばかりに、さっさと会話を切り上げて席を立った。
フブキが言葉を継ぐ暇すらなく、その背中はもう扉の前だった。
こちらを一瞥することもなく出て行こうとする彼女の、その脇に抱えられた分厚い書類の束がゆらりと揺れている。
いつも軽々飄々とした彼女の立ち姿にはそれはなんとも不釣り合いで、フブキには歪に映った。
「……『問題起こすな』って、局長に言われたくないんだけど」
納得の行かない心中を大っぴらに、ぶつくさと文句をたれながら、フブキはデスクの端に置かれていたドーナツの箱を手に取る。
箱はずしりと重たい。
どうやら一つも手を付けられていないようだった。
自分と同じで甘いものに目がない局長が、これに見向きもしないなんて。
そんなに今抱えてる仕事がハードなのか。
それとも、もっと他の心配事があるのだろうか。
「あ~もうっ、調子狂うなあ」
胸の奥に残ったざらついた感情を振り払うように、フブキはその場でくるりと回転した。
些細な動きなのに、ぎし、と床板がやけに大きく鳴る。
静まり返ったオフィスでは、その音すら異物のように響いた。
自分の席へ戻ると、いつものふかふかクッションに身体を投げ出す。
力任せに放ったドーナツの箱がデスクにぶつかり、ぽん、と乾いた音を立てた。
その音で気づいたのか、隣のキリノが顔を上げた。やけに疲弊した様子だった。
「お、お疲れ様ですフブキ」
「キリノ、昼休憩入っていいんだってさ。で、これ。局長が全部食べていいって」
「本当ですか!? ふええ……助かりました……。もうずっと弾磨きばっかりで、指紋が消えるかと思ってました……」
「てか、なんで弾なんて磨いてんの?」
「それが……先輩に『ここ最近の局長は怖いから、暇してると思われるな。なんかやっとけ。弾磨きとか』って言われて……。で、磨いてたらほんとに終わらなくて……」
「へー。ごめん、聞いといてなんだけど興味なかったや」
「酷くないですか!?」
フブキは構わず箱を開け、シュガーグレーズのかかったリングドーナツをキリノにひとつ手渡す。
キリノが「あ、ありがとうございます」と受け取ると、フブキはストロベリーチョコのポンデリングに手を付けた。
それきり二人とも黙ってもぐもぐと口を動かす。
沈黙の時間が続くと、いつもと違って静かな生活安全局の空気が、二人の間にやけに重くのしかかってくる。
その空気が気まずいのか、一足先に咀嚼を終えたキリノが、耐えきれず口を開いた。
「……それにしても局長はどうなさってしまったんでしょうか」
指についた砂糖を舐めながら、眉をしゅんと寄せる。
「「なんだか少し前から空気が変なんです。先輩方と話してても、みんな明言はしないんですけど……局長、あんなに働く人じゃありませんでしたよね? フブキは何か知ってますか?」
「知らないよ。ただ、あれは多分……他のこと考えないために仕事詰めてるって感じ? 必要だから働いてるんじゃなくて、働き“続けてる”っていうかね」
フブキは肘をつき、額に手を当てる。
局長の普段の姿が脳裏に浮かぶ。
いつもの彼女なら、部下の前で自分を追い詰めるような働き方など絶対にしないだろう。
適当にサボり、適当にサボらせ、お茶をする。
暇になったらよその部署にちょっかいを掛けに行ったり、部下を引き連れて意味もなく街に繰り出したり。
基本的にそういうちゃらんぽらんな姿しか、彼女は今まで人に見せてこなかった。
それがある日を境に、まるで別人のように人が変わってしまった。
その”ある日”というのは、おそらく、”あの日”。
皆口に出さずとも、思っていることは一緒だった。
フブキは指先で箱の中のドーナツを突きながら、なんとなく気まずくなって足をブラブラとさせる。
「まあ私も、最初はあまりに金欠でおかしくなっちゃったのかと思ってたけど、いつもみたいにおねだりしたら奢ってくれるあたり、どうもそうじゃないみたいだしさ。昨日なんかサボれなかった腹いせに局長にご褒美のデザートビュッフェを要求したら、超高級店の予約取ってくれたよ」
「フブキ、それは……。私、怒るべきでしょうか?」
「全部様子のおかしくなった局長が悪いんだよ~」
フブキのその言葉に、キリノも賛同しないまでも、どこか共感めいた沈黙を返した。
その沈黙は、今の職場全体の空気ともよく似ていた。
理由の分からない不安が、湿った綿みたいにオフィスの天井に張り付いている。
「本当に、一体局長はどうしてしまったんでしょう。心配です」
「知らないけど、また変なことでも企んでるんでしょ。しばらくしたら、きっと元に戻るって。……まあ、より面倒なことになる可能性もあるけどね」
二人はそれぞれ、指についた砂糖をぺろりと舐めた。
その甘さの底に、冷えた味がわずかに混じる。
生活安全局の空気は、ゆっくりと不穏な色を濃くしていた。
──────────────────────
ヴァルキューレ警察学校本部ビル、第六会議室。
空調の効きすぎた室内の空気は、冷たく淀んでいた。
コの字型に配置された長机には、ヴァルキューレの中枢を担う幹部生徒たちが鎮座している。
その数は二十にも満たないが、彼女たちが放つ圧は数百の暴徒よりも重い。
全員の視線の集まる先には、会議のプレゼンターとして立つ一人の生徒、生活安全局長その人がいた。
彼女の視界の端には、公安局長である尾刃カンナの姿もあった。
腕を組み、無言で前を見据え、その表情は一切読めない。
ただ探るような目で、カンナは前に立つ彼女を見つめていた。
カンナから生活安全局長へと視線が向けられる。
しかしその逆は逸らされ、一切視線を交わらせようとはしない。
それが表すのは何かの符号か、作戦か、はたまた意思の隔たりか。
両者の腹の内を、端から窺い知ることはできない。
だからといって、見過ごすわけにはいかないと。
会議の出席者たちは注意深く二人の様子を観察していた。
周囲の視線に気づいているかすら分からないが、その沈黙は周囲の誰よりも存在感を放っている。
先日の合同訓練案提出の際には協調的だったが、今回はどう動くか。
他の局長や上層部の監視役たちは、カンナの一挙手一投足に神経を尖らせていた。
プレゼンターである生活安全局長は、全員の着席を確認した後、一拍置いてから口を開いた。
「皆さんお忙しい中お集まり頂き、大変恐縮です。いやあ、お世辞でもなんでもなく、局長以上のポストは本当に激務ですからね。よくぞまあここまでお集まりいただけたと、感心しているほどです」
彼女がわざとらしく芝居がかった調子で言うと、即座に冷ややかな声が飛んだ。
「お前以外はな、生活安全局長。お得意の御託はいいからさっさと本題に入れ」
左端の席で腕を組む捜査局長。
苛立ちを隠しもせず表情に出し、その目には「早くしろ」という文字がありありと浮かんでいた。
この場で彼女が前に立っていること自体が気に入らないのだろう。
言い返しても良かったが、彼女としても無駄にこの時間を引き伸ばす意味もなかったので、言われた通り、さっさと本題に入ることにした。
「では、捜査局長殿の冷たいお言葉をありがたく頂戴いたしましたところで、さっそく本日の議題に移ろうと思います」
指先でクリッカーを押すと、スクリーンの白い光が静かに切り替わった。
新しいスライドには、黒いゴシック体で大きく題名が記されている。
『ヴァルキューレ組織体制の再考案 ──総務局新設及び各局の連携制度の強化について』
「資料は前もって皆さんにお配りしておりますが、本会議では、私からあらためて内容を説明いたします。そして、皆さんが抱いたご意見や懸念をこの場で共有し、発展させること。それが本日の目的です」
資料をめくる紙の音が、さざ波のように会議室に広がった。
事前に目を通していない者など一人もいない。
それでもなお全員が熱心に資料を見つめながら彼女の話を聞く姿勢になっているのは、発言者への期待と警戒の現れだった。
それだけこの議題が今後のヴァルキューレの運営方針を左右する重要なものだと理解しているからだった。
熱を帯びた視線を浴びながら、生活安全局長は淀むことなく言葉を紡ぎ始めた。
「まず私が提案いたしますのは、『総務局』の設置です。現在、各局の事務業務は部署ごとの事務担当か、書類を提出する生徒本人が作成するのが通常です。書類は各部署で作成され、そして直接上の管理部や私ども局長等の管理職に受理され、最終的に防衛室の目が通った後に正式な書類として管理保存される。これについては皆さんもよくご存知のことかと思います」
誰も頷かない。
しかし、肯定も否定もせず、ただ鋭く耳を傾ける態度が、彼らの経験の厚みと慎重さを物語っていた。
「ですがこれは、現状のところ全く効率的とは言えない状況にある」
その一言で、会議室の温度がわずかに変わった。
同時に、幾人かの表情が険しいものになる。
それは主に、かつてヴァルキューレにおいて主流派とされていた、事務方の元締めのような生徒たちだった。
彼女らはなにかいいたげに口を開こうという素振りはするが、しかし苦々しい表情で周囲を見渡すばかりで、実際に声を上げるものは一人もいない。
彼女は構わず、プレゼンを続ける。
「現場の生徒の労働量は年々増加し、書類の処理待ちが捜査や警備の動きを鈍らせています。さらに、通常は“運営権限に深入りしない”はずの防衛室が、実質的に最終判断を左右するという構造も歪みも生んでいます。過去には、権力関係によって書類が優先されたり、逆に握りつぶされたりした例も確認されています」
ざわ、と空気が揺れた。
立場のある生徒ばかりが出席するこの会において、随分と踏み込んだ発言だった。
「だからこそ、事務と承認の動線を一本化した総務局が必要です」
今度こそ彼女の言葉は明確に場に波を立たせて、張り詰めた静寂はいとも簡単にざわめきへと変わった。
「もちろん、これは事務権限の“強奪”ではありません。各局の専門性を尊重したうえで、承認プロセスの透明性と即応性を担保するための仕組みです」
会議室が静けさから一変して彼女への批判擁護同調などの言葉でがやがやと騒がしくなる中、それを制するかのように毅然とした声が一つ通った。
発言者は捜査局長だった。
「その『総務局』とやらの管理管轄はどこまでだ。捜査報告書にまで口を出してくるようだとこっちは仕事にならないぞ」
「総務局の仕事は主に、各局の予算管理の適正化、即時性を要する案件の簡易認可、公文書の管理保存です。捜査報告書に関しては今まで通り、現場の捜査員にどこまで報告を上げさせるのかは上官の裁量にある程度任せることとして問題ないと思われます」
「……捜査に関しては、“即時案件”に関する認可だけが範囲、ということで間違いないな」
「ええ。その認可プロセスにおける責任の所在を明確化し、効率化を図るとともに透明性を担保するための、今回の総務局設置だと考えていただけたら」
捜査局長はそれを聞いて、顎に手を当てながら考え込む。
納得したかどうかは読み取れない。
しかし、捜査局長が黙っても、会議室のざわめきは収まらなかった。
誰かが椅子を引く微かな音がし、別の誰かが資料の端を指で叩く。
その小さな仕草ひとつひとつが、会議室全体の緊張をさらにかき混ぜる。
その一瞬の膠着の隙間を縫うようにして、今度はヴァルキューレ本部長が声を上げた。
彼女も旧主流派の一人だった。
「肝心なことに言及していない。ヴァルキューレは今までそんな制度などなくても上手く機能していただろう。なぜわざわざ今回、多くの予算を割いてまでそんな組織改革をやる必要があるんだ」
その意見にそうだ、と同意する声が所々で上がる。
管理側の生徒にとってのもっぱらの関心はそこだった。
彼女たちにとって「変化」は「リスク」と同義だ。
果たして、そこまでの変革に見合うだけの理由があるのか。
その問いかけは、この会議の存在意義すら揺るがすほど決定的だった。
だが同時に──それは、生活安全局長自身がこの場で最も待ち望んでいた問いでもあった。
「理由は二つあります。一つは、本当に上手く機能していたのなら、先に起きたあの不祥事は起こり得なかったということ。もう一つは、例の件で大きく傷ついたヴァルキューレのイメージを回復するため。つまり……世間へのアピールです」
前半の指摘に会議室がざわつき、後半の言葉にそのざわめきはすっと引いていく。
あまりに現実的で、あまりに打算的な説明──だが、誰もが否定できなかった。
旧主流派にせよ、新しく勢いを増した派閥にせよ、ヴァルキューレの社会的信用が地に落ちたことは、全員の頭痛の種だった。
「現状のヴァルキューレは、世間から明確な不信の烙印を押されています。カイザーとのリベート問題、防衛室への忖度。そして──シャーレの先生の監禁に第三分校が利用された件。あれが、一部生徒の違法な権限によって“私的に”行われていたという事実は極めて重いものです」
言葉が落とされるたび、会議室の空気が冷たく硬く凝り固まっていく。
批判の応酬をするつもりはない、と彼女は言葉を添えたが、それすら火花を散らす材料になり得た。
「今、世間でヴァルキューレがどう見られているか──皆さんが一番よく理解しているはずです」
視線が一斉に、黙り続ける公安局長・尾刃カンナへと向けられた。
生活安全局長が挙げたほとんどの事案に、カンナは何らかの形で関わっていたからだ。
その意味は、批判とも、逆説的な称賛とも取れた。
だがカンナは何も反応を見せず、ただ全てを無言で引き受けるように席に座り続けていた。
生活安全局長も、あえて数秒の沈黙を作り、カンナが何か言葉を返す余地を残した。
それでも、彼女は動かない。
静けさが、逆に重圧となって場を支配する。
しばしの気まずい沈黙を断ち切ったのは、再び本部長の声だった。
「もう一つ聞きたいことがある。なぜ我々はこの提案を管理部からではなく、生活安全局長の口から聞かされているんだ。本来なら管轄外だろう」
「それにつきましては、上層部との協議の結果、発案者である私から説明するのが最も効率的だと判断されたためです。管理課の生徒から説明されると、この改革の意図が十分に伝わらないまま議論が進む可能性がありますから」
「”改革の意図”ね……。それは先の事案で失態を演じた、私たち旧主流派の締め上げや、権限の剥奪を図っていることについてか?」
「そのような、穿ちすぎた見解を持たれることを避けるために、私が自らこの場に立っているということです」
「ハッ、よく言う。聞く限りその『総務局』とやらは、事務方の幹部が握っていた権限を一部肩代わりする部署だろう。それを締め上げと言わずに済ませるつもりか?」
「ですから効率化を……」
「この機に新路線を打ち出し、防衛室寄りだった我々を外へ追いやる腹積もりだろう!」
「そうだそうだ! こんな改革、本質的意義など何もない!」
「政治利用の匂いしかしないぞ、生活安全局長!」
本部長の言葉に勢いづいた旧主流派の面々が、追随するように声を上げだす。
すると、今度は台頭派の生徒たちがそれに応じ、諌め、あるいは罵倒に近い反論を投げ返した。
会議はもはや議論の場というよりは、非難合戦の様相を呈し始めていた。
生活安全局長は肩をすくめて、息を吐いた。
こうなることはある程度予想はできていたが、予想できていたとてこの流れを止めるすべもない。
だが、時間ばかりを浪費するわけにもいかなかった。
彼女はぱん、と手を打ち、会議室の音を一瞬だけ止める。
「……皆さんの意見はよくよくわかりました。では今回はここまでとしましょう。総務局の設置に関してだけでこれだけ議論が紛糾するようでは、本日のもう一つの議題は後日に回すべきでしょう。個人的にはこちらのほうが本題なのですが、この状態では冷静な議論は期待できないでしょうし。では、本日の会議はこのへんで……」「いや、続けろ」
凛とした声が、鋭く空気を裂いた。
「今この場で話せ。お前が本題と言うからには、これも簡単には決着のつかない問題なんだろう。ならば早い内に提示すべきだ」
それまで石のように沈黙を守っていた公安局長・尾刃カンナが、ついに口を開いた。
「それに、私には『総務局の設置』よりも、この後者の施策のほうが、今後のヴァルキューレに大きく影響するもののように思える」
助け舟なのか、追及なのか、判断のつかない声音だった。
生活安全局長は、その予想外の動きにわずかに息を呑んだが、すぐに姿勢を戻し、彼女の言葉に応えるようにプレゼンを再開する準備を整えた。
「ええと、では……手短にですが、説明させていただきます。私が『各局の連帯制度の強化』として提案するもう一つの改革の柱は、局員交換制度の導入です」
再びモニターの前に立つ彼女に、視線が集中する。
クリッカーの操作でスライドが切り替わり、公安局、警備局、捜査局、生活安全局などを示す円が画面に浮かび上がる。
それぞれが独立し、互いに触れ合うことなく、そしてどこか不自然に尖って歪んでいた。
「ヴァルキューレ各局の任務は高度な専門性を求められます。しかしその専門性の高さゆえに、人的資源の流動性という観点では、著しく硬直化した状態にあります。局員の能力特性が過度に固定化し、組織全体の柔軟性を失わせているのです」
さらにスライドが切り替わる。
今度は離れていた円同士がゆっくりと重なり、継ぎ目を埋めるように形を変え、なめらかに結びついていく。
「もちろん専門性は必要です。しかし、固定化は縦割りの弊害を生み、閉鎖性を温存し、ひいては不祥事の温床にもなり得る。そこで、例えば生活安全局員を警備局へ、公安局員を捜査局へ──一定期間、相互に出向させることで……」
「ふざけるなッ!!」
捜査局長が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「捜査の基本は機密保持と信頼関係なんだよ! お前の提案はこの基本を根底から崩壊させる暴論だ! 長年かけて構築した情報網、協力者との信頼、捜査ノウハウの蓄積——これらを門外漢に開放しろというのか!? 機密区分も理解しない他局の人間を現場に投入し、情報統制も確立されていない混成チームで捜査を遂行しろと!? それは捜査の自殺行為だ!」
彼女の説明を遮る形で、捜査局長が大声を上げて主張する。
彼女にとって、到底看過できる内容ではなかったのだろう。
顔を真っ赤にして、提案者たる生活安全局長を睨みつけている。
「それこそ捜査権への侵害だ! コイツは透明化や柔軟性という建前のために、捜査局を骨抜きのハリボテ組織にするつもりだ! 私は絶対に認めないからな! 上がなんと言おうと、この案だけは通すわけにはいかない! 捜査局の独立性を維持するためにはこんな案通してたまるか!」
この場に上層部の生徒が一部出席していることなど忘れて、捜査局長が声を荒らげて主張する。
「だから、その過度に信仰された独立性が問題を起こしてて……」
「うるさい! 生活”漫然”局などに私らの苦労がわかってたまるか! 捜査というのは精密な情報の積み重ねなんだよ! たった一つの漏洩が数ヶ月の捜査を水泡に帰すこともあるんだぞ! お遊び感覚の他局の連中に我々の領域を土足で踏みにじられてたまるか!」
この会議の間中に溜まっていた鬱憤を全て吐き出すかのように、捜査局長の口撃は止まらず、生活安全局長に向かって激しく詰め寄った。
「あー捜査局長が我慢の限界のようなので、本日の会議はこれにて解散ということでー」
「逃げるのか! おい! 聞けよこの『駄犬』! 上になんてそそのかされてこんな馬鹿な提案をした! 狙いは私らを御しやすい駒にすげ替えて、上から捜査局を乗っ取ることか!? 言ってみろ卑怯者! 公安局の問題児が随分な野心を引っ提げて帰ってきたもんだな!」
「退室ー、退室ー。皆さんお手元の資料を忘れずに持ち帰って、次回の会議までにしっかりと考えをまとめておいてくださいねー。警備局長は興奮しちゃってる捜査局長を連れて帰ってあげてー」
警備局長に羽交い締めにされながら強制的に退室させられている捜査局長は、なおも「落ちこぼれ局のボス猿が! 口だけ一丁前の女狐が!」などと喚いている。
その罵倒の矛先である彼女は「犬なのか猿なのか狐なのか、はっきりなさいよ」と冷静に指摘を返していた。
ともあれ、会議の初回は成功とも失敗ともつかない、けれど確かにヴァルキューレ全体にとって無視できない波紋を残す結果となった。
──────────────────────
会議室から最後の一人が去り、プロジェクターのファンが唸る音だけが残る静寂の中。
彼女が片付けをしていると、入り口の影から声がかかった。
「あの波乱の幕引きも、計算通りか? だとしたらお前は、私が思っていた以上の食わせ者だったようだな」
尾刃カンナだ。
彼女は腕を組んだまま、壁に寄りかかってこちらを見ていた。
その表情は硬く、探るような色が浮かんでいる。
「……わざわざそれを言うために待ってたの? こちとら罵声を浴びせかけられて傷心中だっていうのに。カンナは意地悪ね」
「心配の言葉が必要なほど、お前はヤワじゃないと知っているからな。それに、私たちはそういう関係じゃないだろう」
その言葉が、彼女の胸の奥、まだ乾いていない傷口を鋭利に抉った。
脳裏にフラッシュバックするのは、あの夜の光景。
先生に向けていた、見たこともないほど柔らかいカンナの笑顔。甘えた声。
「”そういう関係”ね。まあ、確かに、私とカンナはそういう感じじゃないか」
彼女は貼り付けたような笑顔で返した。
カンナの表情が少し緩んだように見えた。
彼女のその返しを聞いて、いつもの調子だと安心したのだろう。
カンナは壁から背を離し、一歩踏み込んでくる。
「なぜそこまで急ぐ」
問う声は低く抑えられていたが、刃のように鋭かった。
「合同訓練の新案提出からまだ日も経っていない。この時期に組織改革など出せば混乱が出るのは明白だ。それを分かっていないお前じゃない。何があった。なぜ、今なんだ」
「さあ。私にもよくわからないわね。ただ……”今だから”、じゃないのかしら」
「どういう意味だ? それは上の意向を、お前がそのまま実行しているという解釈でいいのか?」
「……あなたはどう思う?」
「正直なところ、わからない。お前はそういうやつではないと思っていたが……」
その瞳が真正面から射抜いてくる。
冷たい色ではない。ただ、嘘だけは許さない、そんな静かな真剣さ。
「振河アンズ」
不意に呼ばれたフルネーム。
「駄犬」でも「ゲロ女」でも「生活安全局長」でもない。
彼女という一人の人間を、正面から呼ぶ声だった。
心臓が跳ねた。
「この変化は、本当に"ヴァルキューレに"必要なことなのか?」
会議の内容がどうとか、改革の真意がどうとか、そんなことはカンナにはどうでも良かった。
ただ彼女の考えていることが、変わらずそこにあるのか。
カンナはそれだけを確かめたくて、それを彼女に問うた。
アンズはカンナの瞳を真っ直ぐに見返した。
「ええ」
彼女は少し黙り、一心に見つめるカンナから少しも目をそらさず、答えた。
カンナは数秒の間、じっと彼女の瞳の奥を覗き込んでいたが、やがてふっと息を吐く。
「そうか。……わかった」
それだけ言い残して、カンナは踵を返して去っていく。
遠ざかる足音が、がらんとした会議室に響く。
アンズは、誰もいない空間で、小さく呟いた。
「……きっと、ね」
続けるはずだった言葉を、言えずに飲み込む。
投げかけたのか、自分に言い聞かせたのか、自分でも曖昧だった。
アンズ自身、確信なんて持っていなかった。
焦燥にも似た使命感に背を押され、ただ必死に前へ進もうとしているだけ。
置いていかれないように、誰かの背中だけを追いかけて。
その選択が正しいかどうかなんて、誰にも分からない。
彼女は誰もいなくなった冷たい会議室で、自分の中に燻る熱を押し殺すように、深く、長く息を吐き出した。
窓の外に目を向けると、南へ傾いた日差しがビル群に長い影を落としていた。
街路樹の色づいた葉が、風にさらわれて散り、コンクリートの上をさらさらと滑っていく。
アンズはぼんやりとした思考の中で一人、おもむろに窓ガラスにできた結露をなぞる。
冬が近づいていた。
次回の投稿は未定です。
正直、ない可能性が高いです。