豪雪の中、同志達を乗せた列車は進み続けた。
豪雪の中列車は進み続ける。
1941年、第二次世界大戦の東部戦線。
私はクラスノヤルスク、イガルガの街の出身だ。
3週間前、故郷へ赤軍がやって来た。
彼らは「祖国の危機である!」と言い街中の男をかき集めた。
その中に私もいた。
列車に乗せられ、今日が何日かも分からなくなったある夜の事だった。
…遠くの方から音がする。
何か…
その音は睡眠妨害になる程に大きくなっていった。
すると突然、バン!バン!と。
列車全体が揺れるような発砲音が連続して鳴り響いた。
客車のドアを開け外を覗くと…、
先頭車両の対空機関砲が曳光弾を打ち上げている所のが見えた。
そして先程から聞こえる"甲高いサイレンの様な音"は
耳が張り裂けんばかりまで大きくなっていた。
「どけ!」
なんと後ろから押されて走る列車から落ちてしまった!
幸運にも柔らかい雪の上に落ちたが、
列車を見ると、次々と人が飛び降りていくのが見えた。
すると次の瞬間、列車が大爆発を起こしたのだ!
私は暫く何が起きたか分からなかった。
腰を抜かしてしまい立ち上がれずにいたが、
「負傷者を救助せよ!」
後ろから聞こえた声に、飛び上がるように立ち上がった。
そこには丸メガネをかけた赤軍将校がいた。
「君、大丈夫かね?!」
私は将校に聞いた。
「こっ、これは何なのですか?!」
「君は…
「はっ、はい。」
「それは、
「ジェリコのラッパ…ですか?」
「ああ…。
あれは
私達が聞いたあの甲高い音はシュトゥーカのダイブブレーキの音なのだよ。」
「…。」
私は黙り込んだ。
あの列車には故郷を同じくする友人、
いや、死に場所を同じとする同志が乗っていたのだ。
その同志たちは死に場所に辿り着く前に死んでしまった。
丸メガネをかけた将校は、黙り込んだ私を見てこう言った。
「私はワシリー・カマロフだ。
1941年11月26日
ディミトリ・エニセイ二等兵とワシリー・カマロフ伍長は、
ミハイロフでのバンザイ突撃に参加し、戦死した。