放課後になって私たちが教室を訪れるとすでに四人は到着していた。挨拶もそこそこに早速自習時間が始まった。私も参加すると言ったので、先生から事前にトリニティの教科書と筆記用具類を渡されていた。適当に机の前に行ってから、教科書を広げてみる。幸運にもこの世界の文字は私でも読めた。しかし目の前の教科書に書いてあることは何一つ分からなかった。
「どう、レイヴン。分かる?」
『全然分からない』
「どこか分からないかな」
『全部』
「全部っ?」
『脳を焼かれてからこういう勉強は一切してないから』
「そうか……手術前の記憶もないんだよね?」
『ない。なんとなく体が覚えてるようなこともあるけど実質記憶喪失』
「うーん。それだと高校の教科書はまだ早かったかもしれないなあ」
『簡単な計算程度ならできるよ。九九はまだ覚えてる』
先生は腕を組んで考えだした。その様子を見てかヒフミが私たちの方に近づいて来た。
「どうかしましたか先生?」
「いや、レイヴンの学習状況がちょっと不透明でね。高校生の教科書はまだ早かったかもしれないと思って」
「レイヴンさんはどの学年なんですか? 一年生の教科書ならまだ持ってますから明日にでも持ってきますよ」
『私は脳を焼かれてるから自分の年齢が分からない』
「え、の、脳を焼かれた? え?」
ヒフミはその言葉を聞いて何回か「脳を焼かれた」と言うフレーズを繰り返しながら私と先生の顔を何度か見合わせていた。うん、この反応も見慣れたものだ。流石にルビコンでも脳を焼かれたと言えば多少は驚かれるだろうか。強化人間と言うと全てを察するだろうが。
「ま、まあともかく。小学生ぐらいのことは分かりそうだから中学生の教科書が適してるかなと」
「中学生、ですか……流石に中学生の頃のは全部処分しちゃいましたから持ってないんですよね」
「いやいや、気にかけてくれてありがとう。ところでそっちの方がどうかな?」
「思ったより順調ですよ」
そう言ってヒフミは三人の方を向いた。アズサがしきりにハナコに質問をし、ハナコはその質問に的確に答えれているようだ。
「大丈夫そうだね」
「はい。ハナコちゃんがすごくって、アズサちゃんも学習意欲たっぷりです!」
二人とも思ったよりずいぶん勉学に励むみたいだ。そういえばアズサは成績と言うより素行が原因だった。ハナコは先ほどの会話を聞いていた感じでは成績は優秀そうだがなぜ落第しかけているのだろうか。二人の間には賢そうな話題が広がっており、私にはその内容が分からなかった。国語なら何とか理解できるだろうか?
「アズサちゃんは古代語が読めるんですね?」
「ああ、昔習った」
駄目だやっぱり分からない。なぜ古代語なんだ。今の言語を習えばいいだろうに。
一方コハルは一人で教科書を眺めていた。難しそうな顔をしている。多分理解できてないのだろう。ハナコに質問すればいいだろうが、さっきの言動からして質問とかはしなさそうだ。
アズサの質問に答えていたハナコがふとコハルの開いていた教科書を覗いた。
「コハルちゃん? そこは今回のテスト範囲ではないですよ?」
「え、は? う、嘘。あ、いや、ち、違うし! ちょっと予習してただけだもん! 今回のテスト範囲が簡単だから早く終わっちゃって、だからちょっと予習もしておこうかなって」
うーん。言い訳が苦し紛れすぎる。ヒフミも苦笑していた。
「まあコハルちゃんも実力を隠してるみたいですし、もしかしたら一次試験で全員合格できちゃうかもしれません。実は私とっても心配だったんですよ。一次試験で不合格者が出たらティーパーティから合宿をするように言われてまして。もし三次試験に合格できなかったら」
「出来なかったら?」
「いや、大丈夫です。きっと杞憂に終わるはずです!」
そうして日は過ぎ、第一次特別学力試験が行われた。先生は試験の監督者として、私は……自由にしていいと言われたので邪魔にならない程度に適当に時間をつぶしておくことにした。教室の後ろの方でゲームでもしておこうと思ったがなんとなく雰囲気的にしにくかったので漫画にしておいた。
チャイムと先生の合図とともに試験が始まった。全員が一斉に用紙に記入する音が聞こえはじめる。試験の時の静けさは独特の空気が流れていた。なぜか無関係の私までも緊張感に包まれている。先生は基本的に黒板の前で座っているが、時折立ち上がってはヒフミたちの様子を一人一人見ていた。
五十分間の試験時間が終わった。チャイムとともに張りつめていた空気は緩んだ。先生が四人の試験用紙を回収し、この日の活動は終わった。結果は明日届くそうだ。
翌日、試験の結果が届いた。
「試験は百点中六十点以上なら合格の様です。とりあえずそのラインさえ超えていれば大丈夫なので、内容も簡単でしたのできっと大丈夫です! それじゃ、先生。発表をお願いします」
先生は結果が入っている茶封筒の封を開けて、中に入っている紙を取り出した。
ヒフミ:七十二点
アズサ:三十二点
ヒフミの顔は自信に満ちた顔からだんだん驚愕の顔に変わっていく。先生の結果発表は続く。
コハル:十一点
ヒフミはコハルの顔を見る。コハルは顔を反らした。
「コハルちゃん!? ち、力を隠してたんじゃないんですか!?」
「い、いや、その……難しかったし。私の力をもってしてもって感じだったし?」
「基礎的な内容ばかりでしたよ!?」
ハナコ:二点
「ハナコちゃーん!?」
コハルからさらにハナコを向くときの動きは面白かった。ついでに先生とハナコを二度見する姿も面白かった。
「な、なんでですか!? ハナコちゃんものすごく勉強できる感じじゃなかったですか! え、二点? 二十点の聞き間違いとかでは!?」
「い、いや。二点……だね」
先生は紙を見ながら言った。私も横からのぞいたがそこには確かに二点と書かれていた。
「何でですか、アズサちゃんの質問にはあんなに答えられていたのに!」
「たまたま勉強していたところだったんですよ。それに私成績がいいとは一言も言ってませんよ?」
「え、そ、そんなあ」
ヒフミはそういうとふらふらとしてから倒れてしまった。
「ヒフミっ!? し、しっかり!」
その日はヒフミを保健室に送ったり、そのせいで今後のことも相談できなくなってしまった。
日もすっかり暮れたころ、補習授業部の皆も帰った二人だけの教室で先生はナギサの場所に行きたいと言った。
『何か聞きたいことでも?』
「うん、いろいろとね。最後に寄ってくれないかな」
『いいよ』
先生の申し出を快く引き受けた私は、すぐにナギサの元へと向かった。すぐだからと言うので私は機体の中で先生を待つことにした。ナギサは一人ボードゲームの盤に向き合っていた。
「やあ、直接でごめんね」
「あら先生。この場に直接降りてきたのも先生が初めてですね。どうですか補習授業部は……とは言っても結果の方はすでに知っています。どうやらうまくいかなかったみたいですね」
「三回不合格になったらどうなるの?」
「ヒフミさんから聞いたのですか? そうですね。簡単ですよ。みんな揃って退学です」
「退学!?」
「もちろん本来は退学や停学などには規則があります。私たちはゲヘナとは違いますので。ですが今回はそうもいかないのです。この際言ってしまいましょう。補習授業部は生徒を退学させるために作った部です」
「なんでそんなことを」
「あの四人の中に裏切り者がいるからです」
「裏切り者?」
「裏切り者の狙いはエデン条約締結の阻止。エデン条約とは簡単に言えばトリニティとゲヘナの不可侵条約です」
ナギサは長々とそのエデン条約について語った。要は長い間対立していたゲヘナ学園とトリニティ総合学園が対立を止めて、協力しようという条約だそうだ。
ゲヘナ学園か。また知らない学園の名前が出てきた。それにしてもゲヘナとトリニティの関係を聞くとまるでベイラムとアーキバスの様だ。
裏切り者はエデン条約の締結を阻止したいようだが、話を聞いた限りでは随分とメリットの大きい条約だ。締結できなかった時の損失は限りなく大きいだろう。逆に締結できなかった際のメリットは……トリニティとゲヘナが争い続ける事。裏切り者はそれを狙っているということだが、ああ、だから裏切り者か。
裏切り者、裏切り者ねえ。一見してあの四人の中に裏切り者がいるとは思えない。だが総じてそういうのは分かりにくいものだ。裏切り者は自分がそうであるとバレてはいけない。もしくは私のように大胆に裏切る。私にとって裏切りと言うのはそれほど重い言葉ではない。傭兵をやっている以上裏切りとは常に隣にいた。裏切りを防ぐ秘訣は幾つかあるが私の場合はしっかり首輪をつけておくことだ。私は一度手綱を外されると変なところに行ってしまうから。
さて、裏切り者がいるようには見えないとは言ったものの、誰も何も怪しくないのかといえばそういう訳ではない。一人怪しい者がいる。
「先生、試験の結果は私たちの掌の上であることを忘れないでくださいね。試験の範囲を変えたり、試験会場を前日に変えることも我々には可能なのです。できればこの方法は使わないのが好ましいですが」
「僕は僕の方法で解決して見せるよ」
「なら私も私のやり方で解決するまでです。細かいごみの分別が面倒ならいっそのことゴミ箱ごと捨ててしまう。いい方法だと思いませんか、先生」
先生はその問いに答えなかった。代わりに一つの質問をした。
「最後に一ついいかな。トリニティの生徒会長、ティーパーティのホストは三人いるっていう話だったけど」
「彼女は、セイアさんは現在入院していて顔を出せないのです。すみません」
「そっか。お大事にね」
「ありがとうございます」
「それじゃ、僕たちはこれで失礼するよ」
先生が私の名前を呼んだので、それに答えて右手を差し出した。先生が乗りかかるとナギサは彼を呼び止めた。
「最後ついでに教えてあげましょう。最初の学力試験、我々は一切関与していません。誓ってそう言います」
「そう。ありがとう」
先生が右手に乗ると直ちに私は飛び立った。
『先生は誰が裏切り者だと思う?』
シャーレに帰る途中、私は先生にそう聞いてみた。先生は一呼吸おいて私の質問に答えた。
「そうだなあ、僕はあまりそういうのは考えたくないかな。実は裏切り者何ていないんじゃないかなってそう思いたい」
『先生ならそう思うだろうね。予想してたよ』
「レイヴンはアズサが怪しいと思ってるの?」
私は思わず返答が遅れた。先生はきっとログをさかのぼっていたのだろう。先生とナギサと話している間私はずっと思案していたわけだし、それはすべて先生の元に送られていたわけだから。
『アズサって最近転校してきたんでしょ? こんな時期に転校だなんて怪しいと思わない?』
「裏切り者がいるという前提で話すなら確かに怪しいかもね。でもたまたまこの時期に転校してきただけって可能性もあるよ」
『それはそうだけど』
「そもそもなんであの四人が裏切り者だと思われるのか理由も聞いてないのに」
『さっき聞けばよかったのに』
「そうだね、すっかり忘れてた」
『はぁ……話は変わるけどさ。合宿、するんだよね』
「まあきっとティーパーティから指示が来るだろうね」
『合宿する間、先生はずっとトリニティにいるの?』
「合宿だからそうなるだろうね。それがどうかしたの?」
『いや、その間に溜まった仕事はどうなるんだろうな……って』
その言葉に答える先生の声はなかった。時折詰まったような呼吸と大きなため息が聞こえる。一分ほどしっかり溜めてから「この話は止めようか」と言った。
合宿はトリニティの本館から遠く離れた別館で行われることとなった。別館は長い間使われていないという話だったが多少中が埃っぽいだけで後は変わらず使えそうだ。施設も充実しているので一週間過ごすには差支えのない場所だろう。それに人も来ないのでACを見られて騒ぐ声もなく、静かでいい場所だ。
「思ってたよりも綺麗ですし、冷たい床に裸で寝る必要はなさそうですね。広いですし、みんなで寝られそうですね。裸で」
「なんでいちいち裸を強調するの!?」
丁度私が思っていたことをコハルが代弁してくれた。こいつ絶対ウタハの光学迷彩下着を作るきっかけになった露出狂だろう。今度ウタハに教えてあげよう。あの下着のきっかけに出会ったと。
「あれ? アズサちゃんはどこに?」
確かにこの場にはアズサだけがいなかった。ついさっきこの部屋に入る前までは一緒にいたはずだが。
みんなが周りをキョロキョロしていると「偵察完了だ」という声とともにアズサが部屋に入って来た。ヒフミが聞き返すとアズサはこの建物の特徴をゲリラ的視点から教えてくれた。多分こんなところを襲撃に来る輩はいないだろうし、いたとしても私がいるから大丈夫だと思うが。
『もしもの時は私がいるから大丈夫だよ』
「いや、レイヴン。その考えは甘いぞ。もし今この場で襲撃が来たとしてレイヴンがACにたどり着くまでにどれくらいかかる? それにもし私が襲撃犯なら真っ先にACを確保する。そうしてしまえば君はただの少女だ」
うん、まあ確かにその通りではあるのだが。そもそもなぜ前提が紛争地帯なのだ。
「あ、あのアズサちゃん? 私たちは別に戦いに来たわけじゃないんですよ? 勉強に来ただけで」
「もちろん分かっているさ。目標は忘れていない。きちんと勉強して第二次特別学力試験に合格する。迷惑はかけたくないからそこらへんはちゃんとする」
「よかった。ちゃんと覚えてたみたいで」
「大丈夫、万が一に備えてクレイモアもIED一式も持ってきた。対戦車地雷も少々——」
「いやだからアズサちゃんそういうのは……はあ、もういいです」
ああ、これは諦めたな。自分の手に負えない行動はもはや放っておく、そういう考えだ。
「では改めて、私たちは第一次学力試験に落ちてしまったのでここで一週間合宿することになりました。でも建物はしっかりしてますし施設も十分使えそうです。先生とレイヴンさんも私たちと一緒にいてくれるみたいなので何かあっても大丈夫なはずです! 今度こそ合格に向けて皆さん頑張りましょう!」
私はアズサかハナコが裏切り者やろなアと思いながら当時読んでました。
アズサちゃんってなんか行動と声が一致してなくないですか? 夏イベで初めてアズサちゃんの声聞いたとき「アレオ前ナンカ声可愛クナイ?」ってなりました。もうちょっとクール系の声を想像してたんですけどね。