「トリニティとアリウスの和解の象徴……最初にその表現を使ったのは、お前だったな」
「何言ってるの……思い出した。でも、それは先生を騙すために使った方便だよ」
「いや、お前が初めて訪ねてきた時に使った言葉だ。セイアが襲撃される前、いやエデン条約だってまだ決められてなかった頃。お前はアリウスと和解したいと言った」
ミカは何も返さなかった。神妙な顔をしたままサオリが言葉を繋ぐのを待っている。
「私は、アズサなら……あの子ならきっと和解の象徴になれると思っていた。ついぞそれを確認する機会は訪れなかったがな」サオリは僅かに笑って足元を見た。そしてまたミカを見た。「マダムはこの機会を逃さなかった。セイアは彼女にとって厄介な存在だったから。お前は私たちを便利な私兵程度に思っていたのだろう。じゃないと、身内にも極秘のはずのセイアの位置を、教えるわけがない。だが、私たちはそんな便利な存在じゃない。私たちは、ヘイローを壊す方法を学び、訓練した……人殺し集団だ。ミカ、私はお前のことが理解できなかった。何を望んでいるのか分からなかった。単にバカなのかもしれないと思った。でも、もしお前が本当にアリウスとの和解を望んでいるのなら……初めてお前からその言葉を聞いたときも、何をそんな譫言を、と思ったが……もしもそんな未来があるなら、その考えを捨て去ることはできなかった。ミカ、お前は本当に私たちと和解したかったのだろう」
サオリがミカに初めて問をした。しかし、ミカは何も答えない。サオリは数秒待ってから言葉を続けた。
「お前は善意を持って訪ねて来てくれたのだろう。でも、その善意を踏みにじり、この地獄に誘ったのは私だ。お前はその地獄を受け入れられず、記憶に蓋をした。そう、お前だけじゃなく……姫が声と顔を隠して生きなければならなくなったのも、ヒヨリとミサキをスクワッドに引き入れたのも、和解の象徴で無く人殺しとして、皆を欺き踏みにじらなければならないスパイとして送られたアズサも……すべては私のせいだ。私は猟犬なんかじゃない」その言葉は私に向けられたようだ。「私は苦痛をまき散らす、疫病神だ」
私は否定したかった。慰めたかった。でも今の私はサオリに言葉を伝えることしかできない。そも、慰めると言ったって、ありきたりな当たり障りのない言葉しか思い浮かばなかった。
「アズサに聞きたいことがあった。あの子はすべてを押し付けられたにも関わらず、幸せに見えたんだ。誰にも感情を表さず、私たちを受け入れず、孤独を貫いていたあのアズサが」
ふむ、なんだか私の知っているアズサと違うな。私の知っているアズサとは真反対だ。確かに、顔に表情はあまり出ないが、代わりに別のところにたくさん出る。例えば言動とか、羽の部分とかだろうか。前なんてヒフミたちと映画を見た時は私そっちのけでヒフミとずっとペロロについて話していた。そういえばあの時は笑顔だったな。
ゲリラ戦の方法も教えてもらった。ACで実践する機会が訪れるか分からないが、まあ覚えておいて損は無かったと思う。車椅子じゃ何もできないが、今度車椅子でも戦える方法を考えると言ってくれた。まあ、一応期待はしておこう。
「友達と、大人と一緒に、最後には苦難を乗り越えて、晴れやかで青空の満ちた空の下に、進んでいった。私はそんなアズサがうらやましかったんだと思う。だから私はアズサの言葉を否定した。全ては虚しいと言い放った。しかし、結局は認めざるを得なかった。ああ、そうか……私たちの憎悪も、全ては虚しいという言葉も……すべてが嘘だったんだ。愚鈍で惰弱だった私は、疫病神のようにすべてを破滅に追い込んだ。全ては私が原因だった。アズサは私から離れたから幸せになったんだ」
サオリはミカと向き直った。ミカもまたサオリを見つめ返した。
「もう私はこんな有様だ。お前の好きにすると言い」
おいおい、何を言っている。みすみすサオリを死なせるために、話を聞いていたわけでは無い。サオリが死ぬと先生が悲しむ。あとミサキとヒヨリも悲しむ。とにかく死なれると困る。
私は目に見えて焦りだした。その様子を見てサオリは「もういい。私はこれでいいんだ。先生にもそう言っといてくれ」と言った。しかし、私にとってはどうでもいいが先生にとって良くないのだ。先生が悲しいと私も悲しいのだ。
「さあ、お前の奪われた分だけ私から奪うといい。優しいお前を魔女にしてしまったのは、他でもないこの私だ。私は他人からたくさん奪ってきた。これできっと公平になるだろう。
サオリは目を閉じた。そしてその時が来るのを待っていた。私はそれを阻止せんと、より穴を広げ体を入れた。しかし、ミカは動かず、更にはその場に銃を落としてしまった。サオリは目を開け、ミカの方を向き、私は引き金を引くのを止めた。そしてミカは、絞り出すように言った。
「わ、私は……私にはできない。私にはそんなこと、できない。私だって幸せになりたかった。先生にもっと早く会っていれば、そんな機会もあったのかもしれない。これは当然の罰だと受け入れた。でもやっぱり慈悲が欲しくって、何度も祈った。私は私自身の罪をどう償えばいいのか分からない。二度目のチャンスが……先生や他の皆が私のために集まってくれて、やり直すことができる。そんなチャンスがあるって信じてた。でも、無かった。そんな未来は無かったの」
ミカの言うことは間違っている。昨日の先生は明日の聴聞会でミカにチャンスをあげようとした。セイアにもミカと仲直りするよう説得し、実際に機会を与えた。なのに、どういう訳かその全てが無駄になっている。一体何があったのか分からないが、ミカは差し伸べられた手を取れていないのだ。更に質の悪いことに、ミカは手を差し伸べられたことすら気づいていない。私が声を発すれば全て伝えられるのに、伝えることができない現実がもどかしい。
「あなたは私だよ、サオリ。あなたが幸せになれないのと同じように、私も幸せになれない。もう二人とも取り返しがつかないんだよ。二度目のチャンスなんて訪れない。私はあなたに公平な痛みを求めていたのかもしれない。だからこそ、私にはできない。だって、私がこんなふうにあなたの結末を決めてしまったら、私に幸せなんて訪れないって自分で証明することになる」
「ミカ、お前は——」サオリはゆっくり立ち上がった。
「ねえ、なんでヘイローを壊す爆弾を使わなかったの?」
サオリの目が一瞬泳いだ。事情を知っている者からすればそれはしょうがないことだった。しかし、ミカは事情など一切知らない。
「使うチャンスはいくらでもあったはずだよ? 何で使わなかったの? あれなら私に勝てたはずなのに」
「それは……そもそも、私は持っていない。せ、先生に没収されたから」
「え、なんて?」ミカは素っ頓狂な顔をして聞いた。サオリは少しだけ顔を赤らめて「だから、没収されたんだ」と繰り返した。
「先生に?」と聞くとサオリは首を縦に振った。「え、なんで?」
その時、廊下の向こうから足音が聞こえた。まさか敵の追手が来たのか、と警戒したが、その足音には余裕があるようだった。迷いが無い。
「危険なものは僕が没収するよ」
先生の声が聞こえた。私もそうであったが、二人もまた先生が現れたことに驚いている。私はさっき、先生が駆けて行った音を聞いたはずだが、なぜ反対側から先生が現れたのか。
『地下に行ったんじゃなかったの?』
「サオリと一緒に行くんだよ。じゃないとアツコが心配するでしょ?」
「り、リーダー、無事だったんですね。あ、無事ではないですね」
ヒヨリがサオリの元に駆け寄った。肩を貸してサオリは立ち上がる。以前もこういう構図を見たな。
『時間が無いのによくやるよ』
「帰り道はレイヴンが用意してくれてるはずだったからね。すぐに見つければ時間はかからないはずだ」
『それはそうだけど。なら私を手伝ってくれたらよかったのに』
「邪魔になるといけないと思って。それにただ見ておくのは嫌だったんだ。何か行動したかった」先生は次にミカに声をかけた。「ミカ、サオリと戦っていたんだね」
先生がそう言うと、ミカはバツの悪そうな顔をした。こんなことをして、先生に怒られるのは避けられないと思ったのだろう。しかし、先生は意外にもミカに謝った。
「ごめん」
「せ、先生!?」
「僕がミカにちゃんと説明しないといけないのに、できていなかった。僕もミカと向き合って話をしないといけなかった」
「先生は悪くないよ! 悪いのは私……先生が謝る必要なんて」
「一人の生徒の命がかかってたから、サオリの手伝いをしているんだ。だから、アツコを助けたら一緒にトリニティに戻ろう」
「そ、そんなことしたって、もう何も変わらないよ。もう退学は決まってるし、セイアちゃんだって私のせいで」
「僕が手伝うよ。僕はミカがどんな子なのか知ってる。どうしてこんなことをしてしまったのかも知ってる。だから、僕がミカを手伝うよ」
「何を言ってるの? 私のことちゃんと知ってる? 私は魔女だよ。私が犯してきた罪のこと知ってる? それが償っても償え切れないこと分かってる?」
「そうだね。ミカは悪い子だ」
ミカは自分で自分を貶しておきながら、いざ先生に改めて言われると、言葉をつぐんだ。
「人を騙し、己を騙し、他人を傷つけて、自分も傷ついた。そんなことをしておきながら、自分でそれを受け止めきることができず泣いてしまう子だ」
ミカの顔は下がり、体が僅かに震えている。恐らく今にも涙を流しそうなのだろう。だが先生の言っていることは事実だ。
「——でも、和解の手を差し伸べようとする優しい子だし、嫌われていることを恐れて自傷してしまう、不安定な子でもある。ミカは魔女じゃない。ただ言うことを聞かない不良生徒だよ」
その言葉にミカは顔を上げた。先生の方を向いているせいで、どんな顔をしているのか私には分からなかった。
「だから、ちゃんと話を聞かせてほしいな」
先生の言葉に、ミカは返すのに少し時間がかかった。
「なんで……そのまま振り返ってくれなければよかったのに。どうして私を苦しめるの? どうしてまだチャンスがあると信じさせるの?」
「大丈夫、まだあるよ。チャンスが無ければ作り出せばいい」
「そ、そんなの無茶苦茶だよ」
「もしそれがだめでも、また作ればいい。失敗しても、何度だってチャンスは作り出せる。ミカ、サオリ、一度や二度の失敗で道が閉ざされるなんてことは無いんだよ。この先に続く未来には、無限の可能性があるんだから」
ああ……いいな。先生の言葉は。私までも救われそうだ。私にもチャンスはあっただろうか。ウォルターを救えたチャンス。エアと決別せずに済んだチャンス。チャティやカーラを死なせないチャンス。ラスティと戦わずに済んだチャンス。あっただろうか……いや、無かったのだろう。チャンスを作るチャンスなんてなかった。私の前には暗闇しかなかった。それはまるで私が自分で道を切り開いているかのように錯覚させた。私は決められた道を、飼い主の手助けを受けながら進んでいるだけに違いなかった。
「チャンスが無いなら私が何度も作るよ。生徒が諦めるなんてあっちゃいけない。そういうことは大人に任せて」
すべてが終わった後にチャンスは訪れない。ミカやサオリはまだ終わってない。だからまだチャンスは作れる。
傭兵が過去を考えるべきでない。今の飼い主は先生だ。過去の飼い主のことなんて忘れるべきだ……やっぱり忘れられないかもしれない。許してくれ先生。先生のことも忘れるまでは忘れないから。
「よくもまあ、私のバシリカを前にしてそんな戯言が吐けますね」
突然いるはずのない声が聞こえた。先生とミカたちの前にベアトリーチェのホログラムが現れる。
「ベアトリーチェ!」
「興が覚めました。見世物はここまでといたしましょう。あなたたちの位置を知らないとでも? いいえ、私はただ見守っていただけ。こんなつまらない余興は終いにしましょう。全力をもってお相手します。さあ、儀式を始めましょう」
「そ、そんな!? まだ日は昇ってないはずです! 儀式は夜明けのはずでは」
「何を勘違いしているのですか?」
ベアトリーチェの口元が裂けた。声は大きいが、表情は愉快に見える。まるで種明かしをしているかのようだ。
「日が昇るまで待つはずがないでしょう?」
先生たちの周りに聖徒会が顕現しだした。こんな狭い廊下に多くの生徒会が現れる。その中に一人だけ様相の違うものがいた。見るからに両手の武装がおかしい。
「さあ、ユスティナの聖女バルバラ。戯言ばかりの先生の口を塞ぎなさい!」
まずい。向こうの狙いは先生だ。私は咄嗟にバルバラと呼ばれる、重火器を持った聖徒会に向けて引き金を引いた。狭い廊下の中、ハンドガンの弾は廊下を壁を破壊しながらバルバラに着弾した。バルバラは吹き飛んでいったが、何事も無かったかのように立ち上がった。
『今のうちにこっちへ』
他の聖徒会はスクワッドが対応してくれたらしい。先生は何とか無傷だ。しかしこんな狭い場所では先生を守りながら戦うのは不可能だ。私の誘導に従って、先生は走って廊下を抜けた。その次に後衛のヒヨリとミサキが抜けて、最後にサオリとミカが廊下を抜けた。
「時間が無いのに!」
ミサキは苦しそうにつぶやいた。元々時間が無かったのに、ベアトリーチェは時間を繰り上げてきた。本来ならこんな奴ら無視して進むべきだが、かといってこいつらを後ろに残したままにするのも不安だった。
廊下からこちらへやってくる以上、一度に相手する聖徒会の数は少ない。つまり各個撃破が可能だ。順調に撃破していくので、すぐにバシリカまで向かうことができるかと思ったが、バルバラが廊下から出てきた時、全てがひっくり返った。多数の銃弾を物ともせずに、こちらに向けて撃ってくる。私がもう一度ハンドガンを撃つと、また飛んでいったが、なんともないように立ち上がる。
『うっそでしょ。なんか効いてないみたいなんだけど』
「まずいね、これは」
「ど、どうしましょう!」
「ぐっ……」
その時、ミカがサオリたちの前に出た。廊下から抜け出そうとした聖徒会を二人とも消滅させる。
「ミカ!?」
「アレは私がひきつけるよ。サオリ、あなたがあの子を助けたいと願う理由が少しわかるよ。私も、そうだったから……先生もごめんね、いつも問題ばかり起こして。そしてありがとう。私にまだチャンスがあると言ってくれて」
『私も残ろう』
「レイヴンまで」
『どっちみち私は地下に行けないんだし、あのバケモン、私だって倒せるか怪しいのにミカ一人に任せられないでしょ』
「ほら、早く行って! 時間が無いんでしょ!?」
「ミカ、レイヴン、気を付けて!」
先生たちは椅子の下に隠されていた地下階段をかけていった。少し遅れてサオリもそれに続いた。
「レイヴンも残ってくれるの? 味方になると結構頼もしいね」
ミカと直接話すことができない私は、仕方なくコックピットを開けた。
『あの化け物は私に任せて』
それだけ表示して私はすぐにコックピットを閉めた。
「おっけー。じゃあ周りの雑魚は任せてよね!」
ミカは挑発するように聖徒会に威嚇射撃をすると、聖徒会が出てくる廊下の隣にある、また別の廊下に走った。聖徒会たちはミカの挑発に乗って彼女を追いかけだした。私の前には、挑発に乗らなかった聖徒会たちとバルバラが立ちはだかった。
先生はチャンスを何度も作れると言ってましたが、レイヴンにはそんなものありませんからね。全て失った後にチャンスは訪れませんよ。まあキヴォトスではまだ失ってないのでチャンスがありますけどね。