私はずっと牢屋の外を眺めていた。ここには時計が無い。どれだけの時間が経ったのか分からない。先生はまだ目を覚まさないし、外のPMCも全く動かない。全てが静止しており、まるで時が止まっているかのようだった。私の呼吸音と、それによる胸の浮き沈みだけが唯一時間が経過していることを自覚できた。
静かだ。何の音もしない。風の音も。頭の中で記憶が騒がしく再生されている。私はその記憶を少し古い映像っぽく編集してみた。壊れたビデオの様に、とあるフレーズだけが繰り返し再生される。耳鳴りがした。
誘拐され、監禁されているという今の状況はパニックになり、慌てふためいてもおかしくないだろう。しかし私は落ち着いていた。物事を考える余裕もあった。招待したはずの先生と私が来ないので、連邦生徒会は怪しんでるんじゃないだろうか、とか、先生が行方不明になったらキヴォトス中の生徒が血眼になって探しそうだな、とか、そんなことを考えていた。
誰かが階段を下りる音がした。私は目線が下に動き、再び牢屋の外に向けられたのを自覚した。考え事をしているうちに目線が上に行っていたらしい。降りてきたのはヴァルキューレの生徒だった。声も少女のものだった。しかし、ヘリの中のことがある。あれもPMCなのかもしれない。
「交代だ」
「そうか。あっちの方はどうだ。順調か?」
「ああ、連邦生徒会を無事掌握することが出来た。今は戒厳令を敷いているからしばらく外にばれることはない」
「ヴァルキューレはまだ残存勢力がある。連邦生徒会が掌握できたのなら全て制圧するべきだと思うが、ジェネラルからの連絡は」
「残存勢力と言ったって、俺たちにかなう相手じゃない。放っておいても問題は無いだろう。ジェネラルからの連絡はない。まだ待機中だ。それにあの箱のハッキングが終わってない。俺たちから指示を乞う訳にもいかないだろう」
先生を横目に彼らの話を聞いていた。先生の頭が僅かに動いた。私は目線を先生に向けた。先生は僅かに目を開け、目線を私に向けた。体は動かせないのか、私に話しかけることもしない。
「本社のデータセンターがあの箱に接続したが、八社がシャットダウンしたらしい」
「残る手段は先生だけか」
彼らは牢屋の中を覗いた。私は先生の意識が戻っているのがバレるとまずいと思った。幸い先生は身をよじることもしなかった。突然ヴァルキューレの生徒が階段に目をやった。
「今銃声がしなかったか?」
「銃声?」
私には何も聞こえなかった。狂ったように静かなこの空間で、彼らの会話だけが大音量で聞こえた。他の音は入ってこなかった。その言葉に私は耳を澄ませた。すると今度ははっきりと銃声が聞こえた。二人は慌てて階段を登っていった。
二人が階段を上がってから直ぐに撃ち合う音が聞こえた。しかしそれもすぐに収まり、誰かがゆっくりと階段を下りていた。私は体に力を入れ、少しだけ先生に寄った。左手が先生の頭に触れた。先生は私の手を掴んでくれた。動けると思っていなかったので、私は少しだけ肩を跳ね上げて先生を見た。先生は私に微笑み、少しずつ体を起こしていた。
先生が起き上がるまでに、階段を下りてきた人物が姿を現した。ボロボロになったカンナが呼吸を荒くして私の方へ近づいていた。
「大丈夫ですか、先生、レイヴンさん」カンナは牢の中にいる私たちを見ると、少しだけ安堵の表情になった。「ご無事でなによりです。諦めなくてよかった」
「カンナ、どうしてここに」
「ああ、私のような三流悪党を覚えていてくれたのですね。今、鍵を開けますから」
カンナは少しふらふらになりながら、しかし手際よく鍵を挿した。やがて鍵が開く音がし、牢が開いた。先生は立ち上がるが、起きてすぐだったのと殴られて気絶させられていたためか、立ち上がってすぐに倒れかけた。カンナがすぐに駆け寄り、先生を支えた。
「大丈夫ですか。体調がすぐれないようなら少し休んでいかれても」
「いや、大丈夫だ。行こう」
先生はカンナに支えられながら牢を出ようとした。私も置いてかれまいと、地面に這いつくばり腕だけで体を引っ張った。しかしコンクリートの床では腕が滑ってしまい、手を付けて引っ張っても腕だけでは到底自分の体を動かすことはできなかった。先生とカンナの歩むスピードは遅い。私の進むスピードはもっと遅い。動いていないのと同じぐらいだった。私と二人の距離がどんどん離れて行く。置いて行かれそうで私は焦った。焦るほど腕は良く滑った。力を入れようとすると、傷が痛みだして力が入らない。
置いて行かれると思った。置いて行かないで、と叫びたかった。しかし私は声が出ない。声の出し方が分からない。二人は私に気づかない。目に涙が浮かびそうになった。私は藁にもすがる思いで床を叩いた。ペチペチと音がした。二人はようやく振り向いた。
「レイヴン? あ、そうか。車椅子が無いから……ごめん、置いて行くところだった」
「どう、しましょうか……先生、一人で歩けますか?」
「うん、大丈夫。レイヴンは僕が抱きかかえていくよ」
「ですが」
「大丈夫、カンナだってボロボロじゃないか」
先生はカンナの制止を振り切って私に近づいた。私は目の端に少しだけ涙を浮かべていたかもしれない。先生は跪き、私の脇に腕を伸ばした。腕がピーンと張った。先生は私を抱き上げると、また体勢をかえてお姫様抱っこみたいな形になった。
「痛かったり苦しかったりしない?」
私は頷いた。
「よし、じゃあ行こうか」
カンナが先行し、その後ろを先生がついて行った。警戒しているせいなのか、先生を気遣っているのか、自身の傷のせいなのか、カンナが進むスピードはゆっくりだった。
道中の廊下の造りに見覚えがあった。以前ヴァルキューレ警察学校の本部に行った時と似たような廊下だった。
カンナが先生を止めた。背を屈め、ゆっくり音を立てないようにドアを開けると、一人でその中へ入っていった。
「うわ!? 何だお前!?」
中にいた生徒の声が聞こえるや否や、数発の銃声が聞こえた。それからすぐに「入って大丈夫です」とカンナの声がした。先生は開きかけのドアを押して中に入った。中は薄暗く、中央にカンナが立っていた。彼女の元まで行くと、足元に数名のヴァルキューレの生徒が倒れていた。
「こいつらは、全員ヴァルキューレの生徒に扮したPMC兵です……ゴホッゴホッ」
カンナは最後に咳き込んだ。顔が僅かに苦痛で呻いているように見えた。しかし私にはカンナに声をかける手段が無かった。
「うん、僕もさっき知ったところだよ。ここは一体?」
「D.U.にあるヴァルキューレ第三分校です。本来なら予算の都合で新入生合宿に使われていた校舎ですが、いつの間にかカイザーの手に渡っていたようです」カンナの言葉を裏付けるように、背後にヴァルキューレのエンブレムが見えた。「恐らくヴァルキューレ内部に協力者がいるのでしょう。カイザーが何処まで魔の手を伸ばしているのか、私にも分かりかねますが、そもそもの原因には私のような堕落した警察官の存在もあるでしょう」
「カンナ」
先生はカンナに何かしら声をかけようとした。しかしカンナはそれを無視して喋り続けた。
「今信号を送りました。後は裏門に向かうだけです。封鎖されたD.U.から脱出できるルートをご用意しました」
封鎖などと物騒な言葉が上がった。先生も「封鎖? 一体何が」とカンナから聞き出そうとしたが、カンナは顔を落とすのみで「行きましょう」と言ってさっさと行ってしまった。先生はついて行くほかなかった。私は牢屋で聞いた、連邦生徒会を掌握したという言葉が脳裏に浮かんだ。何かしら、いや、絶対に何か関係しているだろう。しかしやはり、今の私にはそれを問いただす手段が無かった。
カンナは続けてカイザーから隠れるように裏口まで向かった。避けられるところは避け、避けようがない場面では後ろから奇襲した。確かカンナは狂犬と呼ばれていたはずだ。なるほど、奇襲とは言え複数相手に完封できるとは、そう呼ばれるほどの強さを目の当たりにした。
裏口から外に出てすぐに隠れた。外はすでに暗くなっていた。拉致されたのは午前中だったはずなのだが、一体どれだけの時間、私たちは監禁されていたのだろうか。先生も「え、空が」と言葉を漏らした。カンナはそーっと陰から確認した。かと思えばさっと顔を引いた。直後、多数のPMCが歩き去るのが見えた。
「ここで落ち合う予定だったのですが……もう警備が強化されてるようです。落ち合う地点を変更――」
「誰だ!」
「こっちだ! 撃て!」
後ろから突然声がした。私を含め三人とも驚いて後ろを振り向いた。そこには複数人のPMCがおりすでに銃口が向けられていた。私は恐怖を感じた。生身で動けない状態で銃口を向けられているのだ。そして相手はためらいなく撃つ相手だった。本当に恐怖した時、私は意外にも目を見開いて銃口を見つめていた。ただ先生の首に回した手の力が強くなった。
先生は咄嗟に銃口に背を向けた。そしてカンナが「先生!」と叫びながら先生の前に立った。銃声が聞こえた。先生はギュッと目を閉じていた。数秒間の銃撃、そしてまた別の銃声が聞こえたかと思うと「ま、まだ援軍が」とかいう声が聞こえ、銃声が止んだ。
「先生! 大丈夫ですか!?」
「うう、らしくないことしちゃった……なんでこんなことに」
「キリノ! フブキ! 来てくれたんだ!」
先生は振り返った。しかし、それと同時にカンナが膝をついた。
「カンナ!」先生がカンナに声をかけた。
「大丈夫です。移動に支障はありません」
「カンナ局長、大丈夫ですか?」
「あちゃー。これは大分痛そうだね」
「心配はいらん。お前らの荷物になるつもりはない。退路でも確保しておけ」
「分かりました。では先生、本官とフブキについて来て下さい!」
「敵にはまだばれてないみたいだし、狂犬――いやカンナ局長も気を付けてついて来てね」
「調子のいい奴め」カンナは小声でつぶやいた。
カンナはフブキの手を借りて立ち上がり、五人になった私たちは再び進みだした。
カンナは傷のせいかあまり素早く歩けなかった。フブキの手を借りて歩いている。キリノは張り切っているのか、一人でどんどん進んでしまった。ある程度進んだところで、キリノは陰に隠れていた。
「うぅ……ものすごい警戒態勢です」
「はあ……はあ……ちょっと待て」
ようやく追いついたカンナがそう言った。
「キリノ、カンナ局長が辛そうだから、スピード落として」
「あ、し、失礼しました!」
「休憩しよっか。あそこの建物に入ろう」
キリノもカンナに手を貸して、近くにあった建物の中に入った。その建物はどうやら射撃場らしく、何丁かの銃と的が吊るされたレーンがいくつもあった。
キリノとフブキがそっとカンナを座らせた。カンナは壁にもたれると、大きな息を一つ吐いた。先生も日様ついて「降ろすよ」と一言言ってから私を壁にもたれ掛けさせた。
「ひとまずここで休憩しましょうか」
「でも時間が無いからなるべく早く移動しないと」
「ここは……ゲホッゲホッ」
カンナは何かを言おうとして激しく咳き込んだ。フブキが困った表情で言った。
「全く、なんでこんなことしたのさ。柄にもないことやって、局長らしく取り調べだけやってればよかったのに」
「責任を転嫁するわけにはいかなかった。この状況下で私についてこいなどと無責任なことをいう訳にはいかなかったんだ」
「はあ、まあそういう事だろうとは思ったけど」
「私たちがいない間に何があったの?」
先生は聞いた。私も気になっていたことだ。長時間情報を遮断されていたのだから、妥当な質問だ。しかし、キリノとフブキは言いにくそうにする。代わりにカンナが毅然と答えた。
「六時間前、連邦生徒会が襲撃されました。カイザーPMCの高位指揮官、ジェネラルが行政委員会を解散させ、サンクトゥムタワーを掌握。D.U.全体に戒厳令を敷きました」
それは監禁中にPMCの会話から聞いた内容と同じだった。尚もカンナは言葉を続ける。
「D.U.交通、通信はすべて遮断。ヴァルキューレ含むほぼ全ての機関の行政権も失われ、命令待機状態です。現在、D.U.治安は戒厳令に則りカイザーPMCが掌握しています。つまり、私が今カイザーPMCと敵対し、先生とレイヴンさんを連れ出している今の状況は、組織の規範に背いているのと同義です。幸い生活安全局は治安維持の組織ではないため、偶然居合わせた上官の命令に従ったと言えば問題ないでしょう」
「カンナがさっき言ったついてこいと言えなかったって言うのは」
「はい、部下を巻き込んで違反させることはできません」
「わ、私は、自分の意志でカンナ局長について行くことを決めたんです! そんな自分だけ知らないふりをするだなんて。もしもの時は私も一緒に」
「バカなことを言うな。お前らがいなくなったら誰が交通整理をする。困った市民をどうやって助ける。役立たずと言われようともいなくなってもいいというわけでは無い。それぞれの組織によって負うべき責任は異なる。今回はお前らが負うべき責任じゃない。だが、それでもお前らを巻き込んでしまったことについては、後程詫びさせてくれ」
「ま、私はマスタードーナツのグレーズド・ドーナツ一箱分で手を打ってあげる」
「ドーナツなら好きなだけ持っていくといい。公安局のオフィスに山ほどある」カンナはそこまで言って先生と向き直った。表情は真剣なものに変わっている。「さて、お二人が行方不明になった後のことですが、行政官が非常対策委員会を設置し、各自治区の代表者を呼び出したことはご存じだと思います。お二人も出席するはずでしたから。ですがシャーレを出発した直後にお二人が行方不明になり、連邦生徒会は混乱に陥りました。捜索を開始するものの、お二人が見つかることはなく、ですが、呼び出しを中止するわけにはいかず結局お二人とも不在のまま非常委員会を設置することになりました。当然ながら先生不在では各自治区との連携はうまく行きませんでした。加えて、財務室長によって行政官に対して不信任案決議案が可決されることに。極めつけにカイザーコーポレーションがこのタイミングで連邦生徒会を襲撃しました。室長はちりじりになり、連邦生徒会も事実上解散しました。連絡も途絶え、今のサンクトゥムタワーの状況は誰にも分かりません」
カンナはそこで言葉を締めくくった。畳みかけられる情報量に私の頭はうまくついて行けない。とりあえず、私たちがいなくなったために色々大変なことになったというのは分かった。
私だって急にこんな話されたら宇宙ネコになってしまいますよ。高校生の時に不信任決議案が出るとか聞いたことないですよ。本当にキヴォトスはキヴォトスしてるんだから……