8年ぶりに合った彼女が病んでいた件について   作:赤い靴

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8話 100点満点の解答用紙

 18時手前──

 

 我が家に着いた。

 刑事の五十鈴(いすず)と言う名の男の姿はそこになく、僕は、委員長である榎本(えもと)の説を確かめるべく、玄関のドアを開けリビングに直行した。

 

「義母さん…親父は…!?」

 

 ガラッと戸を開け、夕食を作る義母に親父の所在を聞く。胃袋を刺激する油の香り……。今日はコロッケだろうか?

 そんな中、我が家の天使。保育園の制服を着替えた朱音(あかね)が僕の方に寄り、「あのね、あのね」と続けた。

 

「パパはね、また編集者(へんしゅーしゃ)さんとお仕事だよー!お泊り会だってさー!!」

「マジかよ……あの野郎……肝心な時に限って……」

 

 僕は朱音に聞き取れない様に、小さく呟き、彼女の目線に合わせる為に屈んだ。

 

「そうかー。パパは居ないんだね。ありがとう、朱音」

「うん!!あと今日ねー、ママから聞いたんだけど、これから五十鈴(いしゅじゅ)さんが来るってー。お魚さんをいっぱいくれるひとー」

「あぁ…五十鈴さんね……」

「朱音、お魚、すきー!」

 

 と、言うだけ言って妹の千蒼(ちひろ)の元に行ってしまった。

 どうやら先ほどまで、僕が買って来た絵本の読み聞かせをしていたらしい。ソファーに数冊の朱音の絵本を積み上げ、その内の一つを千蒼が持っていた。

 そんな中、千蒼から「おぉ、お兄ちゃん!お帰りー!」と元気な声が掛かる。僕は足をブラブラと動かす陽気な妹の方に歩み、返した。

 

「部活は?…陸上部からオファーが来ているだろうに」

「ん?えっとね…。私ってさ、足が速いじゃん?」

「おう」

「でさ。短距離と中距離は私の得意分野だから、皆を追い越したんだけどさ…」

「皆って…相変わらずスゲェなお前は…。で、なんだ?どうせ勉強の分野だろう?」

「うえ!?なんで分かるの!?…お兄ちゃんエスパー???」

「千蒼に似たような人間が近くに居るんだよ…。恭介って言うんだが……」

 

 僕は自習室で(おこな)った勉強会の事を思い出した。きっと千蒼も、陸上の先輩に言われたのだろうか?

 一定以上、赤点を取ると部活動の参加に制限がかかる事について…

 

 そう、耽っている時だった。「ピンポーン」と家の呼び鈴が鳴る──

 この時間……18時少し過ぎ……。ドアホンの映像など確認しようが、この来客の存在は理解している。

 僕は義母に目線を向ける。日中、親父が来客が誰なのかを教えていたのだろう。油を扱いながら僕に軽く手を振っていた。「落ち着いて行ってきなさい」と言わんばかりの優しい笑みを浮かべて。ならば僕も、その想いに応えるよう。

 

「いってきます」

 

 本日2度目の言葉を僕は言った。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「じゅあ依莉菜(いりな)ちゃん。ボクが聴取してるから、適当に車を動かしておいてよ」

「はぁ…。ですから五十鈴(いすず)さん。その『ちゃん』付けですが、今やセクハラですからね?その事をお分かりで???」

「ふえん(泣)」

 

 黒塗りの乗用車、その運転席に座る女性はシフトレバーをDに持って行き、少し覚束ない操作で車を走り出した。

 その後部座席に座るは、僕と親父の古い友人の五十鈴と言う男だ。親父と同じ年齢と言われても疑う程に若々しく、白い肌、真っ黒な少し長い髪。痩せ気味で頬は軽く窪み、眼は漆黒に近い黒──

 だが性格は温厚で、部下らしき女性の一声にて心が折れたのか、シートと扉に深く寄りかかり「セクハラ…か」と呟いた。

 

「あ…あの…」僕は、そんな五十鈴に声を掛けた。「お…お久しぶりです…。五十鈴さん」

 

 それを聞いた五十鈴は、コロリと表情を変えた。

 

「本当になぁ、あの野郎ここ最近は釣りに誘っても、乗っかってくれねぇの。しかも今日は『編集者に拉致られて無理』って。だからこうして会いに来たのさ」

「会いに来たって…僕が小学校の頃の担当の……酒井について、ですか…?」

「あぁそうだよ。話が早くてボクは助かる」

 

 赤色の信号機によって止まった車内では、エンジンと空調、チャカチャカと方向指示器の音が響いた。

 その重々しい空気を破る様に五十鈴は「では本題」と先程と打って変わって、声色を低くして言う。

 

「酒井の後頭部…まぁ連日のニュース通り打撲によるものなのだが…鑑定の結果、野球に使われるバットだろうと。ヤツは教師という肩書と共に、少年野球のコーチも務めていた。怪しい人間は複数居るが……まずは聴き取りと言う事で…。この聴取は君の無実を晴らす為のものでもあるから、出来るだけ、覚えている限りを話して欲しい」

「……」

 

 僕の無実を晴らす為──。まだ容疑者の候補は固まっていないのだろうか……

 

「では──

 

 それから凡そ30分間、刑事の五十鈴による質問とその返答を繰り返した。

 結局僕は、酒井が亡くなった日の付近は引っ越しの関係で、容疑の線は完全に色を失った。事実五十鈴は親父と腐れ縁との事で、引っ越しの事などは重々承知していたが、彼の上司にあたる班長の命令には逆らえ無いと嘆いていた。

 

「いやはや、本当にすまないね。これで君はもう疑われる事はないだろう。依莉菜ちゃん、宜しく」

「…はいはい」

 

 彼女にそう伝え、車は帰路に着く。

 五十鈴は手のひらサイズのノートと、内ポケットに忍ばせていたボイスレコーダーをオフにして僕に見えるように取り出した。

 

「この車内にも録音機はあるが…2重ということで。基本的にボイスレコーダー(コッチ)を使用するから。ここからは昔のように雑談でもしようか。…章文くん、将来なりたいモノってある?」

「な、なりたいもの…ですか?」

「そうそう。ボク個人的な意見だけど、君は刑事が似合うぜ?ボクにも部下と言うか、バディというか…ほら」

 

 と、五十鈴は顎を使い運転者をさした。それに応えるように彼女は口を開けた。

 

「いやいやいや五十鈴さん、先の事件。私の研ぎ澄まされた推理で解決したじゃないですか!?」

「ちゃうわ。あれは結局、ボクが解き明かしただろうに。君はただ、無茶な推理を披露するために窓ガラスを割っただけだ。その修理費は誰の財布で解決した?このお転婆小娘が」

「しゅいましぇん。……。あ、五十鈴さん!コンビニ有りますよ!コーヒー休憩しましょう!!」

「いや、だからだね…。まぁいいや、章文くんは大丈夫かな?時間もアレだし」

「あぁいえ、大丈夫です。僕、ホットコーヒーでお願いします」

「……。だそうだ依莉菜ちゃん。お使い、頼むよ」

 

 車を駐車場に止めた彼女は「了解しました!」と元気に返事をしてコンビニに入店していった。

「まぁ」と五十鈴は話を戻し続けた。「刑事に向ているとおもうぜ」

 

「それは何故ですか?」

「うーん。君さ──あの30分間、問答を逆手に事件の情報を──このボクから聞き出そうとしていたよね?」

「えっ…!?」

 

 一切そんな事はしていないつもりだった。だが「無意識に出ちゃっていたよ」と五十鈴が杭を刺した。

 

「まぁ別に人間なんだからさ。君にとってホットな情報を入手したい、という心理は分かるけど…なんというかな…。気のせいかも知れないが、違和感を感じたんだ。まるで君も、酒井を殺した犯人を追っている、ような…。いや、もう君は分かっているんじゃないか?、とボクは思うんだが……どうかな」

「まさか……。僕は学生ですよ…?」

「思索に年齢は関係ない。情報と、それを整理できる脳があれば誰でもできる」

「そう…ですか」

「まぁ深くは聞かないよ。今のボクの仕事は『志紀 章文の聴取』だ。それはもう達成された。達成された以上、ボクたちは帰らないといけない。下手に動けば班長に怒られるからね」

「怒られたく無くて聞かないんですか?」

「まぁ別にどっちでもいいが…。……。ここで少し脱線して君のお父さんの話を」

「親父の…?」

 

「あぁ」と五十鈴は言った。実際僕も、親父について気になっている事がある。放課後、あの委員長は、親父について疑問を持った。

 きっと、親父のその思考回路。それが今回の岸波への解答に必要だと、僕は思っている。

 

「まぁよく、ボクと君のお父さん…正章(まさあき)と釣りにいくのだけれど…そこでな、ボクが担当する、或いは解決済みの事件を嘘で希釈して話の肴にしているんだ。()()にとっては、小説のネタ探し。ボクにとっては、事件解決への新しい眼を補おうと…ね」

 

 五十鈴は親父…志紀 正章のことを『まさ』と言った。親父と五十鈴は昔からの仲とよく耳にする。きっと僕にもあるように、親父のあだ名なのだろう。

 それと彼が言った『眼』。それは現在僕が探している『ものの見え方』、つまり親父の思考回路なのだろう。従来の視線では解けない。だが、視点を移せば見え方は変化する。

 

「ボクとまさは、ギブアンドテイクの存在なのさ。今ボクがこうやって良い地位にいるのも、まさから着想を経た眼によるものだ。まぁつまりは…ボクにとって君の父親は……そうだな、釣り。ボクが釣り人で、餌がまさ。魚が追い求める答え、だな」

 

 親父が餌とは。だが不思議と、五十鈴の言う事に通ずるナニかが、僕の中にもあると思った。

 

「だが中には、餌が適当でも自前のテクニックだけで魚を釣る人間もいるけれど、ボクはそうじゃない。そこの線引きは理解しているつもりだ」

「線引き…」

 

 あぁきっと、委員長。榎本のような人間を沢山、この五十鈴は見てきたのだろうな。

 

「長々話したが簡単にまとめると正章は、いい情報を与えれば大きな魚を釣り上げる餌となる。章文くん、君はお父さんと同じ匂いがする。だからこそボクは…君に我々の情報をあげよう」

 

 以前、親父がやっていたように、両手をヒラヒラと古臭いモーションをした。ホントに仲が良いんだな、このヒトたちは…

 その数秒後、ゴホンと咳を一つ。再度、刑事の顔を化した。そして口を開ける。

 

「今、ボクたちで酒井殺害の蓋然性が高いと見ているのは、小倉 浩二(おぐら こうじ)と言う男、会社員だ。ソイツの娘、小倉 美咲(みさき)は小学生の頃に事故で亡くなっている。その時の担当が酒井だ」

 

 小倉 美咲──。名前こそ聞いた事は無いが、僕が卒業後。新たなクラスを受け持った酒井の学年で。死者が出た事は知っている。それが…彼女なのか…

 だとすれば、犯人はその父親の浩二という名の男?では、岸波の行動の意味はどうなんだ?…より内容が複雑に絡み合い、真相から離れる感覚に陥った。

 

「証拠はまだ無い。まだ候補に挙がっているだけだ。…あぁそうそう、章文くんにこれを……。一応、ボクのバディの葉月(はづき)の連絡先も書いておこうか」

 

 そう言って五十鈴は名刺を取り出し、その空いたスペースに自身の電話番号を書き始めた。その後、彼女の番号を書き足した一枚の名刺を僕に手渡した。

 

「章文くんの意見も、実に聞きたい所だが…逃がすとしよう。だが君は、必ずボクに真相を連絡するだろう。たとえそれが君にとって、()()()()()()()()()

「……!五十鈴さん……あなたは何処まで…

「コーヒー買ってきましたー!!熱々ですよ?全部ブラックです!!…?何か話していましたか?」

 

 葉月は車のドアを勢いよく開け、片手でバランスよく持つ厚紙のホルダーを差し出してきた。

「いや、昔の話さ。ボク、このコーヒー好きなんだよ。ありがとう」と五十鈴はカップを受け取り、飲み口を開けで口にした。

 僕の言葉は遮られてしまったが、今、冷静に考えればその行為は悪手であったと悟った。先ほどの返しを霧散させる為、僕も五十鈴同様に笑顔で受け取った。

 

 その後、志紀家に着くまで五十鈴と葉月が体験したハチャメチャな事件を語ってくれた。

 だが僕の脳には、何一つとして刻まれる事は無かった。きっとそれを、刑事であり、親父の古い仲である五十鈴は知っているのだろう。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 木曜日──

 自分でも不思議に思うくらい寝れた。熟睡できた。だがこの位、脳内がクリアでなければ今日の行動は。水泡に帰す。

 榎本と共に学校をサボる。そして親父に抱いた違和感と、榎本が掴んだ違和感。その解明のために。

 

 結衣には多くは語れないが、出来るだけ簡潔に、丁寧に伝えた。今日、学校をサボる事と、榎本と岸波について調べる事。

 その返答は5分も掛からず「怪我をしないようにね」などと書かれてあった。本当に愛おしい存在だ。

 

 さて、学校をサボるにあたり、僕には中々困難な壁がある。それは、妹と義母、天使の朱音の存在だ。

 また昔の様に、不登校になった、と思われるのも嫌なのだが…これまでの経緯を説明し仮病を使うと言うのも、気が引ける。

 だからこそ僕は、いつも通りリビングに向かい、親父の居ないテーブルにすわり、朝食を食べ、言った。

 

「今日…学校をサボります」

「あ、やっぱり~。ほらママ、お弁当、作り損じゃん」

「ホントね~、どうしようかしら」

 

 ……。どうやら双方には要らぬ心配だった。ならば話は早い。

 

「お弁当は頂きます。夕方には帰ります」

「あらそう?よかったわ」

「あ、じゃあお兄ちゃん!土曜日のテスト範囲さ!帰ったら勉強教えてよ!!」

「……。分かった分かった」

 

 きっと、僕を案じての言葉だろう。……温かい。

 

「ごちそうさまでした。…じゃあ僕は支度が終えたら行きます」

「あらそう?…どこまで行くのか聞いていいかしら?」

 

 この間、妹は何も喋らなかった。千蒼は確かに勉強がダメな奴だが、決して馬鹿な奴では無い。現に陸上競技ではとてつもない才が有る。しかしその才は、努力合ってのモノだと、僕は幼少期から見てきた。

 陸上競技はただ走れば良い、というものでは無い。自身の体力、スピードを加味しつつ、追い越し、追い越される際のメンタル維持、それと博打。ただ走っている様に見えて、その裏では、とても高度な戦略に満ちた競技なのだ。

 だから、こうやって千蒼が今もなお沈黙を通している理由は僕は知っている。そしてその意味は、僕だけが知っていればいい。だからこそ、そんな千蒼に僕は言った。

 

「僕が帰ったら勉強会だぞ。猫の様に駄々をこねてもダメだからな」

「まかせとけー!!」

 

 何を持って『任せる』のかは意味不明だが、そのピースサインを僕に向ける千蒼の笑顔に心を洗われた。

 あぁ、もう行かなくては。榎本と約束した時間が迫りつつある。寝起きの顔をさする我が家の天使の頬を軽く突き、自室へと向かった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 3時間後。僕と榎本は新幹線から降り、これから来るバスを待つ為に駅内の喫茶店にて休憩をしている。

 

「へー。この街が章文くんが住んでいた街なのね。駅があるから栄えているのかなって思っていたけど…うん、羽を伸ばせそうね」

「案外田舎って言いたいんだろう???…観光をしたいなら僕に言ってくれ。つい1か月前まで居たからな」

 

 そう。僕達は今、僕が新たに引っ越しする前の県。小学3年から高校2年のゴールデンウイーク前まで住んでいた街に居る。

 つまりは、酒井が殺された地域であり、岸波が住所を置く故郷でもある。

 

「ん。章文くん、もう時間みたい。行きましょう?」

「ああそうだな」

 

 ゴミ箱に紙コップを捨て、僕らは階段を下りた。一階、その出口から少し離れた所にバス乗り場がある。

 時間通りにバスが来た。それに乗り込み一番後ろの席に座る。目的地までは少し時間が掛かる。今のうちに親父の違和感と、昨日の刑事五十鈴との情報を榎本に伝えよう。

 

 目的地についた僕たちはバスから降り、僕たちは図書館に入った。

 親父の見ていたお悔やみ欄が目当てだ。だが、どの日付、どの会社の新聞など不明点が多い為、地元のローカル新聞も置いてあるであろう図書館にやって来たのだ。

 早速、受付のお姉さまに新聞の置いてある場所を聞く。ここ最近のモノでは無く、数年前のモノ……その保管場所を──

 

「ん?学生さんね~。新聞?…地域の歴史?……課題研究なのかしら?」

 

 課題研究。僕には聞きなれない単語だ。きっとこの付近の高校では、卒業前にそういう授業があるのだろうか。

 受付の…名札から洗井という名前が伺えた。その洗井に返す様に榎本は口を開ける。

 

「はい。そんな感じです」

「おー、いいわねぇ。脳みそが若いうちに沢山勉強しておくんだよ?おばさん、もうダメみたいなの~」

 

 洗井は笑いながら、手でジェスチャーをしながら言った。そして「あ、そうそう」と付け足す。

 

「昨日ね。同じように『新聞の保管場所を知りたい』って男の人が来てね~。……あ!そこのお兄さんに似ているわ!!お父様なのかしらね?」

「……」「……」

「あ、なに?二人とも黙り込んじゃって…?私なにかいけない事を言っちゃった?」

 

 洗井は僕たちの顔を交互に見る。

「いえ、大丈夫です」と榎本はすかさずにフォローを入れた。そして、保管室の鍵を貸して貰った。そこは2階にあるようで一歩一歩、重い足取りで上がっていく。

 まさか親父が…昨日の段階でここまで来ていたとは……

 

「ねぇ章文くん。…貴方のお父さんは、何者なの?お父さんの友人は、刑事の五十鈴さんって聞いているけどさ」

「……。悪い榎本。僕は昨日、嘘をついた」

「嘘?」

「あぁ、そうなんだ」

 

 ガチャリ──。鍵を開け、埃の匂いがする保管室に入る。室内には書類を入れるであろう棚が並び、その上に年、月、販売会社が書いてあった。

 ここ数年、誰も入らず、掃除も細かくさせていないのだろう。そのお陰で、昨日ここに来た人物の足取りが目に見えて分かった。()()()()()()()()()()()()()()を引き、数部、歪に仕舞われたローカル新聞を取り出した。そして、それらを開く。

 その中の一つ。酒井が新しく受け持ったクラス。小倉 美咲(みさき)が亡くなった現場の危険性を示す内容と、クラスメイトからの言葉…美咲に対する追悼の記事が一面に載ってあった。それを僕は、委員長に見せる。

 

「……」

 

 バスの移動中に僕から聞いていたとはいえ、女児である彼女の痛々しい記事には、委員長も声を出さなかった。『みさきちゃんは、とても明るい子だった』『とても頭がよくて将来の夢は、お医者さんと言っていた』『もう会えないと思うと悲しい』『また沢山、一緒に遊ぼうね』などの友人らのコメントが榎本の心を大きく削った。

 そんな消沈する榎本に話を続けた。

 

「僕の親父は…南原 草秋郎なんだよ。昨日の榎本の予想が正しかった。…嘘を吐いてごめん、ただ僕は…親父の後光に照らされたく無かっただけなんだ」

 

 榎本はその記事を指で追いつつ頷いた。

 

「僕の親父はそんなだから…悪い癖があるんだ…。小説のネタ探しどか」

 

 僕は昨晩、五十鈴からの言葉を思い出す。正章は、いい情報を与えれば大きな魚を釣り上げる餌となる──

 

「恐らく親父は、五十鈴からの連絡で僕より早い段階で酒井殺害を知り、帰りが遅い僕に対し想像を膨らまさせ、早朝、新聞のお悔やみの欄にて『酒井殺害までの一つのストーリーを組み立てた』ハズだ」

 

 それに対し僕は、親父には嫌悪感は抱かない。きっと職人病…無意識による思索だろう。

 僕は更に新聞を探す。陰になっている棚段。そこに──意図的に、中途半端に仕舞われた引き出し、その取手を引く。まるで親父に導かれている様な気分だった。ずらりと月日順に並ぶ新聞紙、その一部だけ、端が大きく折られているモノがあった。まるで『これを見ろ』と言わんばかりに。

 その新聞を拾い上げ、今度はお悔やみ欄の(ページ)を開く。……。あぁそうだ、そうだよな…

 

「榎本、コレも見てくれ…」

「今度こそ…お悔やみ欄なのね…。……。()()()()()()()()…」

 

 ローカル新聞と、訃報を知らせる新聞が並ぶ。それらの新聞は数年の乖離があった。その新聞に載る人物に榎本は指先を当て静かに言った。

 

「でも…だからと言って…章文くん。もう一度言うけれど、岸波くんが犯人という証拠ではないでしょう…?」

「いや、酒井を殺したのは岸波だ。…ようやく僕も、親父と同じストーリーを組み立てられた…。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。…聞いてくれるか?榎本…」

「……。分かったわ、ここまで来たのだもの。聞かせて──」

 

 その言葉を聞き僕は、親父……いや、南原 草秋郎のように物語った。

 

 

「まず岸波 和平は……」

 

 

 それを聞き終わった委員長は、下を向き何度も顔を振った。

 そして「全く面白くない」と悲しそうに呟いた……

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 夕日が差し込む車内。

 新幹線でとんぼ返りし、僕は刑事の五十鈴に電話を掛けた。その理由は単純明快だ。酒井を殺した犯人が分かった。ただそれだけ。

 そして今、委員長と共に五十鈴の部下である葉月が運転する車、その後部座席にいる。

 

「どうだい章文くん?旧友とは連絡がとれた?」

「ええ、お陰様で…。場所も指定できましたので、その付近に向かってください……」

 

 午後4時37分──

 

 雲が散らばっている空模様で、傾いた太陽が時々、暖かい日差しを現す。

 運転する葉月と言う若手刑事に場所とを言うと、委員長がそこに至るまでの細かい道のりを説明した。

 

「いいのかい章文くん?この行為は、君の旧友にとって…裏切り行為じゃないのかね?」

「いえ、違います。僕らの仲は、そんな程度の関係では有りません。…すべて思い出しました。何故僕の前に岸波は現れたか、その理由も…その全てを」

「そうか。ならばボクからは何も言うまい」

 

 そうして五十鈴は深く深く背もたれに沈んだ。

 目的地は河川敷、その高架下。名の知れた橋の下。岸波の交通手段は五十鈴によるとバイクだと聞いた。ならば迷うことなく来てくれるだろう。

 

「じゃあ章文くん、ボク等とは一旦ここで。そして君に取り付けたマイクも…よし、見えないな」

 

 車を止め、五十鈴は僕に指差し確認をする。これから先の音は全て五十鈴の耳に届く。

 

「じゃあボク達は、ここに居るよ。岸波くんが自白したら向かう。会話の末、雲行きが怪しくなっても行く。その辺は分かってくれ。君が怪我を負ったら、アイツは釣りに乗らないだろうからな」

「いえ…僕こそ我が儘を言ってすみません」

「いいのさ。まぁ、悔いの無いように、気張ってこい」

 

 刑事、五十鈴の許しを経て僕は、岸波と約束した場所に歩く。

 指定した時間は午後17時00分。まだ10分以上もある。…だが別にいいだろう。早く行っても待てば良いだけなのだから。

 

 小高い堤防の道を歩き、高架下を見据えた。

 その場所にはバイクと男が一人。僕の到着を待っていたのだろう。彼の視界に僕が映るなり大きな声を出し手を大きく振っていた。それに応えるよう、僕も手を振った。

 

 河川敷に降りる為の階段を下がり、頭上で車が行き交う音を耳にしながら僕は、岸波に相対した。

 

「1日ぶりか?どうしたんだアキフミ。随分と疲れた顔をしているな」

「そりゃあ当たり前だ。この数日、お前から提示された難題を解いていたんだからな」

「はぁ~、そりゃあ良い。じゃあ早速、答え合わせと行こうじゃないか」

 

 落書きされ尽くしたコンクリートの壁から離れ、岸波は僕の方に近寄った。

 あぁそうとも。問題を出されたのならば、答え合わせをしなければいけない。そんな事は小学生でも理解できる。

 だが僕は、こわばった。息が詰まった。あんなに…五十鈴に対しても啖呵を切っていたというのに──!!

 

「どうした戦友…?解答は沈黙か?」

 

 深く長い息を吐き僕は「問題文はこうだ」と言う。

 

 何故僕は岸波を真っ先に疑い、また岸波は、リスクがあるにも掛からわず、僕に顔を合わせたのか、を証明せよ。

 なお、解答に至るまで神学的概念を一切含まれないものとする。

 

「神学的概念とはまた…難しい事を…。……。…そういうことか。まぁ期待して聞くよ」

 

 そして僕は語り始めた。榎本に語った事、それを大きく修正し岸波に届く様に──

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「まず岸波 和平は天才だと僕は思っている。だがお前は、人間である以上、神には成れない。この意味は後々分かるから、今は適当に、頭の片隅に置いておいてくれ。

「では次。僕と岸波が小学校を不登校になった昔話だ。岸波、お前は、あの窓ガラスを割った原因であり元凶は酒井だと見抜いていたんだな。僕は恥ずかしい事に、今の今まで忘却していたよ。これからの学業生活に希望を見出す為に。それとは裏腹にお前は、学校と言うシステムに絶望した。だからお前は、中学時代、1日たりとも登校はしなかった。というか、岸波ほどの頭脳が有れば先生など要らなかったんだそうな。本当に羨ましいよ、戦友。

「僕が最初、酒井の殺害を知った時、いち早くお前を疑ったのは、これが理由だった。あの窓ガラスの件、その想いが憎しみに代わり殺害を実行した──。だが、現実は違う。違かったんだよ岸波。僕はまんまと、自分の目線に従った結果、墓穴を掘ってしまったんだよ。つまり、僕視点ではお前の問題を解くことは出来ない仕様になっていたんだ。

「では、どの視線ならば問題を解けるのか…と。この一連の出来事を次は、第三者目線で考えてみた。結論を言うとこの思索には失敗した。どうしても矛盾点が出てきてしまうからだ。あの天才である岸波は、そんなヘマはしない、と。何度もそう思った。だが、先に結論を出した様に第三者目線も第一者目線の見方も間違っていたんだよ。

「そう、この問題は第二者目線を交えなければ解けなかったんだ。こう言えば簡単なのだろうけれど、ここまで来るのに苦労をした。なぜならば、お前は天才だったからだ。

「何故僕はここにきて『天才』『天才』と繰り返す意味が分かるか岸波?……。その表情を見ればもう、お前も理解しているようだな。だが言わせてもらうぞ。お前は天才であっても人間だ。人間である以上、神には成れない。神に成れない以上、全ての事情を把握する事はできない。つまりお前は、『()()()()()()()』でしか物事を判断できない。天才だと思っていたお前も所詮は、その枠からは逃れられなかったんだ。神では無く、正真正銘一人の人間なんだからな。

「ここで話は折り返しに来た。もう少しだ、辛抱してくれ……

「今回の事件、それにかかわる人物。当たり前だが、その全てがその『枠』に当てはまる。この事件の被害者である酒井、僕の戦友の岸波。そして僕らの後輩で亡くなった小倉 美咲(みさき)。そして、お前の弟──。これが今回の事件を解き明かす為の材料だ。

「まず、小倉 美咲だが、その子は酒井の嫌がらせで自殺した。だが…自殺というにはやや語弊があるが、自殺に至るまでメンタルを粉々に破壊したのは酒井によるものと断言できる。だが彼女を直接、自殺に導いたのは岸波、お前の弟だ。お前の弟、岸波 義和(よしかず)は知らなかったんだよ。彼女が酒井の嫌がらせを受けている事について

「現に僕達は、酒井による嫌がらせや、窓ガラスを割った件を誰かに相談し、その弁明ですら、酒井が築き上げた『表の顔』によって失敗に終わった。彼女…小倉もそうだったんだよ。誰かに酒井の嫌がらせについて相談しようとしたけれど、誰一人として信用する者は居なかった。少女…小倉の相談を受けた弟──義和は言ったんだろうな。『あの優しい酒井先生は、そんな事はしない。きっと気のせいだよ』とな。少年野球に所属していた甲斐もあり、義和にとって酒井と言う存在は『尊敬する人物像』に成って居たに違いない。だから、義和が言い放ったその言葉には、罪は無いんだよ

「だが、そんな一言によって絶望した小倉は、遂に自殺した。小学4年の夏の日にだ。美咲の親は全力で、原因解明に走ったのだろうな。だが、事あるごとに酒井が撒いた種が、それを阻んだ。そして、美咲の死は事故として幕を閉じた。

「そしてコレ。この画像は今年の春のもの、新聞のお悔やみ欄に記載されているものだ

三条(さんじょう) 義和(よしかず)。4月20日。13歳──

「これは、苗字こそ違うがお前の弟で間違いない。年齢も有っているし、義和なんて名前は、田舎であるあの街では、そうそう被らないからな。詳細は分からないが岸波家は、確実に分断した。恐らくお前は父親に、弟の義和は母親の方に引き取られたのだろう。それで弟は、岸波と言う苗字から、三条と言う苗字に変わった。そして、三条 義和が亡くなった原因も…

「酒井にあったんだ──

「これもまた、先程の小倉 美咲の死因と瓜二つの状況を作り上げた。否、それとは全く逆のパターンに成り変わった。酒井の裏の顔を『知らない』岸波 義和→『知っている』小倉 美咲(故)から、酒井の裏の顔を『知っている』岸波 和平→『知らない』三条 義和(故)に逆転した。つまり、僕は何が言いたいかと言うと──

「戦友、お前は…弟への無知により、何気ない一言が三条 義和を殺した。自殺に追いやったんだ

「その一言は容易に想像できる。久しぶりに会った兄に弟は『まだ学校に行かないのか?行けなくなった原因は何なんだ?』と言ったのだろうな。それに対してお前は、正直に答えたんだ。いい加減に時間が経っている今、弟の恩師を裏切る言葉を言って良いと判断した。そして『小学校の担任。酒井による嫌がらせが原因』と──。それを聞き、義和は一本筋が通ってしまったのだろう。かつてのクラスメイト、小倉 美咲が何故死んでしまったのかを。その後の4月20日以前に、自殺を図った。自身の軽率な発言で小倉を殺し、なお自分は悠々に生きている事が許せなかったんだろう

「そしてお前は……岸波 和平は、弟の自死によって、僕と同じように一つのストーリーが浮かんだ。……お前は天才だから、1日も要らなかったんだろうな

「何度でも言う。天才のお前ですら『()()()()()()()』でしか物事を判断できない。つまり…当たり前だが…知っている事しか、お前は知らないんだ。他人の心の…奥底までは分からないんだよ…

「これが、お前が酒井を殺すまでに至った物語だ。……。殺害に使用したのは金属バット。恐らく、弟の遺品だろう…

「これにて……僕が言う事は、全て終わった

「採点を頼むよ戦友。……僕は…未だこの回答に……

「0点が付く事を祈っている……

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「100点満点だ戦友。オレからはもう、何も言う事は無い」

 

 ここまでに心を揺さぶる満点は存在するのだろうか。ここまで嬉しくない満点は存在していいのだろうか。こんなにも悲しい満点を貰っていいのだろうか。

 僕は長い長い息を吐き、目頭を押さえ空に顔を上げた。

 

「本当に……本当に残念だ岸波…。こんな……こんな別れ方をしなくてはいけないなんて…」

 

 有り得ない。僕は小さく小さく呟いた。

 そんな僕に岸波は口を開け言った。

 

「『自身の過去・経験』による判断……ね。ならばアキフミ、お前に言わなければならないな。到底暴かれる事の無い、オレの本当の動機を……」

 

 バイクに背を掛け、瞼を閉じ岸波は続ける。

 

「弟を喪ったから酒井を殺したわけじゃ無いんだ。本当に、それでも兄か?と言われそうだが、それは本当だ。オレが酒井を殺す一番の動機は、小倉 美咲…。その夫妻が関係している。……アキフミが言ったようにオレは、一連の自殺の裏には酒井の影が有る事を理解したんだ。それでオレは、弟の葬式が終わって、ひと段落着いたところで小倉家に尋ねた。……そこに何があったと思う?」

「……」

「そうだよな。『知っている事しか分らない』んだよな。…当たり前だ。この質問はアキフミには答えられない。何故ならば、その情報を一切知らないからだ」

 

 言い返してやったぜ、と言わんばかりに戦友は歪な笑顔を作った。

 

「その答えはな…手紙だった。小倉家には毎年、酒井からの手紙が送られてきていたんだ。『娘さんは○○ちゃんと良く遊んで居て…』『娘さんは、○○の教科がよく秀でていて……』などなど。……吐き気がした。酒井に虐げられたオレは見抜いた。その手紙、その全てが偽りの出来事だって事に──!!その手紙の内容が偽物だと知らずに夫妻は、大事そうに大事そうに抱きかかえていた。『これが娘が生きた証』だって…!!笑えるだろう!?そこまでして醜く生きる酒井に初めて殺意が湧いた!!アイツは、夫妻の一人娘を死に追いやっただけではなく!!その夫妻が持つ美しい感情でさえも、己の酒の肴とした!!!それが赦す事が出来なかった!!!」

 

 正義に燃える…岸波 和平らしい言葉だった。その吐かれた言葉からは彼の魂が垣間見えた。

 高架下だと言うのに、僕の頬が濡れた。……。……雨漏りでもしているのだろうか…

 

「オレの主張は以上だ。…だが、アキフミお前はまだ……解いていない問題があるぜ。何故オレが、お前に会いに行ったのか──だ」

「そんなつまらない事……簡単な話だ。岸波は僕に…否定して欲しかったんだよ。小学校の頃を覚えているか…?お前はよく『馴れ合いはヒトをダメにする』と訳わからん事を言ってた。だから僕たちは、お互いの仲を信じて、下らぬ議論に花を咲かせた。そうじゃなきゃ、今もこうして戦友なんて言ってないさ」

「覚えていてくれたか戦友。そうとも…そうだとも。相手を思うがあまり自分の主張を丸めるなんざ、ただの馴れ合いだ。馴れ合いからは、何も生まれない。素晴らしい技術、素早しい思考、素晴らしい思い出は、切磋琢磨した果てに訪れる。それがオレにとって最高の友達…親友……戦友になるんだ」

 

 そして数秒の沈黙の果てに岸波は──オレを否定してくれてありがとう、と言った。

 

「もういいだろう!?オレを嗅ぎまわっている刑事の方々よ!!オレは逃げも隠れもしない!!オレは酒井を殺した人間だ!!」

「岸波……」

「凶器の金属バットは、河川敷に埋めた!綺麗に包装して埋めた!!アイツの血とオレの指紋…痕跡が残っているハズだ!!」

「岸波!!」

「小倉 美咲の父、小倉 浩二(おぐら こうじ)にも捜査の目が行っているだろうが…その原因はオレだ!!酒井を殺す前日、彼にオレの知る限りを明かした!!あの人はただ……オレを庇っているだけだ!!!」

「岸波 和平!!!」

 

 僕がそう言った刹那、背中をトンと優しく叩かれた。……もう時間だ。

 

「やぁ岸波 和平くん。ボクは刑事の五十鈴(いすず) 宗一(そういち)。冒頭から今まで、話は来ていたよ」

「お前か?アキフミに盗聴器を仕組んだ刑事は」

「いやいや。彼が進んで付けてくれたんだ。実際問題、君には捜査の手は行っていなかったが、章文くんのお陰でね。ここまでありつけた訳さ」

「嘘つけ」

「ははは…。嘘は大人の十八番(オハコ)なのさ。では──17時26分。岸波 和平…お前の身柄を拘束させて貰う。殺人といえど未成年だからね、ボクとしても対応を変えさせて貰うよ」

 

 カチャリと金物の音が鳴る。その後五十鈴は部下の葉月を呼び、僕と榎本を家に帰す様に指示した。連行用の車を既に手配したとでも言うのか…

 五十鈴が岸波の背中に手をやり進む、進む、進む。もう彼には、小学校の頃の様に合えないと思うと、胸を締め付けられる感覚に陥った。そこに──

 

「アキフミ!!」

 

 僕は後ろを振り返った。彼も同様に、僕を見ていた。

 

「彼女さんを大事にしろよ!!」

 

 満面の笑みを浮かべ岸波は、項垂れる僕を祝福した。自分が置かれている状況を理解しても尚、アイツは他人の心配をする……そんな可笑しな男が居た。

 

「あぁ!!当たり前だ!!」

「彼女を泣かすなんざ、有り得ねぇからな!!」

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 岸波が居なくなった高架下。僕はただ、彼のバイクを指先で触れていた。

 古い傷がある。きっと中古品……それを買ったのだろう。

 

「章文くん。…もう帰りましょう……雨が降り始めたわ…」

 

 ビニール傘を持った榎本は言った。

 

「あぁそうだな……。葉月さんが……待ってるもんな」

「そうね…」

「だけど……」

 

 雨が地面を叩きつける。頭上では、水たまりを轢く音が何度も何度も高架下に響いた。梅雨の時期…その前触れなのだろうか。

 

「もう少し待っていてくれ……。もう少しだけ……直ぐに良くなるから……」

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 それから2日後の土曜日。

 週間テストを終えた僕の教室では、もう放課後と言うのにクラスの皆が席に座っていた。

 と、いってもただのクラス会なのだけど……。その内容は文化祭の出し物を決める会で、榎本が提示した複数の案を多数決で決めよう、となった。

 

「はい。じゃあ結衣さん、候補Cは28票ね」

「わかったー」

 

 コンコンコンと、チョークで票数を書いて行く。榎本が巧みに進行させ、それを結衣が板書する。……僕の仕事は???これでも副委員だぞ…

 教室の隅、窓側に持って来た椅子に座る僕は、テキパキと進める二人を眺めた。榎本はこういう立場に慣れているらしいが、問題は結衣だ。当初はどうなるかと心配していたが……大丈夫そうだ。

 

「はい、以上を持ちまして、私たちのクラス、その出し物が決定しました──」

 

 榎本は透き通る声で言った。

 あぁ……僕のふざけた案が通ってしまったよ……どうしようマジで……

 

「6月末の文化祭では、このクラスは男女逆転喫茶になりました。えぇっと……では、詳細は決まり次第伝えますので、今回のクラス会はこれで終わります。ご協力、ありがとうございました」

 

 榎本が頭を下げると、クラス中に声が満ちた。

 その実、男女逆転喫茶の票数はクラスの8割以上も入っており、候補を書き出した際に一番、皆のリアクションが高かったのだ。

 しかしまぁ…決まってしまったのならばしょうがない。全力で取り組むしかないだろう。

 

 クラス会も終わり、部活動に入っていない生徒は一人、また一人と教室を後にした。

 恭介はクラス会が終わると同時に光の速度で出て行ってしまった。なんでも大会のミーティングがあるとのことだ。忙しいなアイツは。

 

「結衣、手伝うよ」

「えっ。ありがとう、ふみぃ」

 

 僕は椅子から立ち上がり、結衣と共に黒板を綺麗に消していった。その間榎本は、議事録を書き込んでいた。

 それらは10分で終わり、僕たちは帰宅の支度を済まし帰路に着く。

 

「岸波くん。……やっぱ、ニュースになっていたわね…」

 

 そういう榎本に僕は返す。

 

「だがそれもあって、酒井の裏の顔がメディアに露呈(ろてい)しただろう?だがまぁ…その後は各番組の泥沼論争に陥ったけどな……」

 

 そう。その後、岸波はニュースに乗った。実名報道は無しだが、未成年の犯行ともあって、世論を騒がせた。しかし酒井の顔がバレその結果、岸波そっちのけで酒井の批判と教育委員会へのバッシングが始まった。

 そしてある番組が酒井にまつわる…ネットに転がる嘘の情報を大きく報じ、一時覇権を取った。が、嘘の情報とバレ、今や各番組が過去の汚職を取り扱う泥沼の論争と化した。本当に人間は愚かだな、と思ったのはこれが初めてだ。

 

「でも、ふみぃは……その岸波くんに思いを伝えられたんだもんね?」

「うん、全部伝えられた。だからもう、僕は大丈夫だ!」

 

 僕と結衣と榎本は、薄い雲に覆われた空の下、大通りを歩く。この後に妹の勉強を見てやらなくてはならない。だから今日は、寄り道もせず家に帰らなくてはならない。

 

「じゃあ私はココで。バイバイ結衣さん、月曜日にまた出し物についてはなしましょう」

「わかった、またね綾香ちゃん!」

 

 結衣は横断歩道を渡った榎本に手を振った。あの……僕に別れの挨拶はないんでしょうか?

 その後、いつも通り結衣と会話をしながら帰り、僕は自宅に到着した。いつも通り郵便物を確認して──って、あれ…?

 

 僕は送り主の不明の封筒を手に取った。だが、送り先はこの住所、そして志紀 章文となっている。

 不安に駆られ僕は、急いで家に入り、階段を駆け上がり、自室にて封筒を開けた。そして、その中に仕舞われた紙を開く。

 

「ははッ…!!」

 

 数字しか書かれていない。こんな気色の悪い事をするのは岸波しか思いつかない。

 僕は岸波との思いでをなぞる様に、この暗号をゆっくりと解いていった。そして得た答えはこうだった。

 

『100点満点の人生を』

 

 それを見て僕は、静かに笑った。

 

 

 


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