最初はメジロの家名か、或いは姉の栄光に釣られただけの方だと思いました。
私が第一回の選抜レースを棄権した次の週から合同練習を監督するようになった教官、鳥林と名乗ったその方は、あからさまに私のトレーニングを注視しており、とは言え面識のなかったその方に私が注目させる理由と言えば真っ先に"そこ"に思い至ります。
――またですか・・・・。
そんなことを思ってしまうのはあまりよく無いことかも知れないけれど、しかしそう思わずにはいられませんでした。
というのも姉様が桜花賞を制覇した去年の春頃から同じように私を見に来る方は何人もいましたし、その後姉様が秋華賞を制覇して三冠、エリザベス女王杯を制覇して四冠を達成された秋から冬にかけては、その頃にはもう私の足の弱さが広まって居たにも関わらず、更に多くのトレーナーが"それでも"と私を見に来たことは記憶にまだ新しかったので。
若干遅い気もしたが、しかし選抜レースの始まるこの時期は新人トレーナーの方々も研修が終わって学園生との契約が解禁される時期でもあります。そのことを考えれば一人くらい私の事を見に来ても不思議は有りません。
だから最初は彼の事を『何時ものようにその内いなくなる人』だと判断し、気にしない事にしていました――
――なんて、初対面の方を色眼鏡で見ていたからでしょうか?
私はその内、ただ私を観察するだけでスカウトの話や練習時間の事に付いて何も言ってこない彼の事を無視できなくなっていきます。
――何故か物凄く期待されていたから。
憐憫を向けられるだけなら受け流せました。失望を向けられるだけなら奮起できました。
それらの感情が彼に全く無かったとは思いませんし、他の方より先に練習を上がる時、何か言いたげな視線を感じたことも有りましたが、でもそれ以上に彼が私に送る視線からは"何かを期待するような"、そんな印象を受けました。
普段のトレーニングですら人並みに出来ない姿を散々見ている筈なのに、です。
――期待されて、その感情が失望や憐憫に落ちなかったことなどこれまでに何度あったでしょう?
姉様、おばあ様、私付きのメイドのサキ、ばあや、主治医、他のメジロ家の使用人の方々は人に寄りけりですが、家の者以外となるとチヨノオーさんやヤエノさん・・・・あら?案外とこれまでの私の人生は見限られてばかりでも無かったのかもしれません。
・・・・まぁそこに関しては一旦置いとくとして、そうなってくると断然気になって来るのが担当契約のスカウトをしに来たのか否か、と言う点です。
一応クラスメイトの内幾人かから「選抜レースを棄権した癖に」と皮肉られたりもしたので的外れな自意識過剰と言うことでは無い筈なのですが、しかし何時迄経っても業務的な事柄――トレーニングを早上がりする旨とその了承――以外で話すことは無く。
一応何度か私から声を掛けるべきかとも考えたのですが、しかし元々選抜レースで実力を示さぬ内にスカウトとされる気は無かったので、どう話が転んでも契約に繋がらないのに私からの話を持ち出すのも変な話かとそれも出来ず。気付けばそのまま第二回選抜レースの前日まで時間が過ぎて行きました。
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第二回選抜レースは曇天の中決行された。
第一回の時と使用されるトラックこそ同じだが、しかし『第一回で選ばれなかったウマ娘達』が出走者大半を占める今回のレースはその雰囲気が前回とは決定的に違っている。会場を包む雰囲気には気迫が漲っており、人によっては刺々しいと感じる程だろう。
それでも第一R、第二Rとプログラムは恙無く進行していき、その度に勝って笑うウマ娘と負けて落ち込むウマ娘が1:9の割合で生まれていく。
緊張と焦燥、歓喜と悲嘆、他にも色んな感情が入り乱れるその場所には、見れば天へと祈る娘すらいる始末。
と言ってもそれは、何も自分の勝利を天運に託している訳では無い。天の時を待ち、地の利を経ようとしているのだ。
あるウマ娘は自分のレースまで雨が降らぬことを願い、逆に道悪巧者のとあるウマ娘は恵みの雨を望む。
そこは、正しく真剣勝負の世界だった。
『逃げる逃げる逃げる3番リボンマーチ!半馬身後ろには6番リボンフィナーレ!!
さぁどっちだ!?どっちが勝つ!!?足色はリボンフィナーレだが――
――だがしかし、勝ったのはリボンマーチ!!第16Rはリボンマーチが1600メートルを逃げ切って見事一位に輝きました!!!
二着は3/4馬身差で6番リボンフィナーレ、1馬身差の三着は混戦でしたが4番のリボンシルベントでしょうか?』
(良い根性だ。
フォームは拙く、ペース管理も滅茶苦茶だったが、そんなものは後からでもある程度何とかなる。
精神的なもの故『これ』と言ったトレーニング方法のない根性が、初期からあれだけ身に付いてるって言うのはそれはもう有る種の才能だぞ)
そんな会場の熱気に当てられてか、今日この日ばかりは鳥林も真面目にレースを観戦し、また目に付いたウマ娘がいればしっかりとその人物の事を分析していた。
――もっとも、本当に分析するだけなので現状においては何の意味も無いのだが。
(・・・・さて、次のレースでお目当てのダイサンゲンが走る訳だが・・・・"どこまで酷い?")
彼は知っていた。
前の世界において、ダイサンゲンと言う競走馬が新馬戦をぶっちぎりで"タイムオーバー"した――規定により許された――ことを。何なら次走の未勝利戦までもをタイムオーバーしている――許されなかった――ことを。
『8番、ダイサンゲン。調子は余り良く無さそうですが大丈夫でしょう?出走前から既に心配になる発汗と顔色です』
実況に合わせておでこの広い鹿毛のウマ娘が手を振っている。彼女こそは来る将来、最強格のステイヤーと名高いメジロマックイーンをその得意の長距離、しかもG1の舞台で打ち破る・・・・かもしれないウマ娘、ダイサンゲンだ。
しかしその立ち姿は非常に弱弱しく、顔色、肌の艶、体の仕上がり具合、発汗量のどれを取って見ても体調不良なのは誰の目にも明らかだった。
G1勝利など夢のまた夢どころの話では無く、なんならこのレースを好走・・・・どころか走り切れるのかすら怪しい。
今の彼女を前にして『彼女は将来G1レースを制覇するんだ!』と言う旨の発言する者がいれば、それは鳥林のような転生すら真面にできない愚者か、或いは夢と現の区別ができない振り切れた勝負師くらいのものだろう。
(・・・・ジュニア期の体の弱さは同じ、と。
一応あっちの世界とこっちの世界が別なのは分かっているつもりだが、だからと言ってダイサンゲンがG1級の素質を秘めて産まれて来ている、なんて妄想するのは流石に夢物語過ぎたか。
まぁタイムオーバーしなければ御の字、仮にしても気長に育てて行けば――)
『第17R、今スタートしてッ――おっと8番のダイサンゲン出遅れたか?
慌てて最後尾に追いつこうとしていますが既に差がある。
これは大丈夫でしょうか――』
(・・・・フィジカル×、折れていないがテンパってはいるからメンタル△、テクニックは・・・・ゲートは当然×として、他も・・・・うん、これはタイムオーバーコースかな)
残念ながら鳥林のその予想が外れることはなく、ダイサンゲンがゴールしたのは一着から十三秒ほど遅れた後だった。
当然そんな彼女の近くにトレーナーがわんさかと駆けよってくる事態など起きるはずも無く、彼女は息を整えつつトボトボと帰路につく。
(・・・・中々に手間と時間が掛かりそうだが、まぁ良い。
中高の部活顧問とか任されることに比べたら幾分かマシだろ。
なんならこっちは彼女がレースで入賞したらそれだけで俺にも賞金が入るし、有馬記念でマックイーンに『"びっくり"大成功』させれば、その時点で老後の資金が手に入る・・・・うん、比較する事すらおこがましいな)
口元を微かににやけさせながらダイサンゲンを追おうとした彼であったが、しかしそこで雨が降ってきたことに気が付いた。
(天気、崩れたか。まぁ降水確率50%だがら不思議は無い。
ただ・・・・こうなってくるとレースも多少荒れそうだが・・・・)
ウマ娘達の待機所に耳を傾ければ悲喜交々の声が聞こえて来る。
その大半は嘆きであったが、しかし喜びの雄叫びも確かに存在していた。
――競馬は・・・・否、ウマ娘のレースは基本的に雨が降ろうと中止にならない。
一人、また一人と、実況の紹介に導かれる様にして次のレースを走るウマ娘達が冷雨にその身を晒していく。
『5番、メジロアルダン。調子は・・・・悪くは無さそうですが、しかし何と言っても昨年四冠を達成したメジロラモーヌの妹です。どんな走りをするのか注目です』
実況から流れていた聞き覚えの在り過ぎるその名に、鳥林は何の気無しにターフの方へと視線を向けた。当然ながらその視線の先には空色髪の令嬢がいて――
(――まぁ、見ていくか)
誰に強制される訳でも無く、彼は上げかけていた腰を再度下ろす。
(ダイサンゲンのスカウトは・・・・まぁ今のメンタルと体調悪そうだったこと考えれば寧ろ明日の方にずらした方が良いか――なんて、ただの理論武装か。シンプルにメジロアルダンのレースが見たい)
この一週間、短い間ながらも鳥林はメジロアルダンの事を観察し続けて来た。
結果としてトレーナーとして支えきれないと判断する結果にはなったが、だからと言って別段敵対した訳でもなく、寧ろ彼としてはハンデが有ろうと欠片程もへこたれずトレーニングに勤しむその姿に肩入れしたくなったくらいだ。
(まぁ俺みたいなおっさんに推されてもキモイだけかもしれんが、レースを見て応援する位は許されるだろ)
『ゲートイン完了。収まりまして――第18R芝2000m、さぁ!今スタートが切られました!!』
――レースが、始まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ターフに出たメジロアルダンは人知れず溜息を吐いた。
(天気、崩れましたか・・・・)
体を打つ雨粒は容赦なく彼女から体温を奪っていき、また纏う衣服を"重く"する。
とはいえ、ウマ娘は体温が高い生物なので今すぐどうこうと言うことは無いし、体操服の重量増加だって微々たるものだ。どちらかと言うと貼り付く不快感の方が気を取られるだろう。
(本当に厄介なのは・・・・)
トントン、と何度か地面をつま先で叩いてやれば、返ってくる感触は常と比べて明らかに異なるもの。
ここはまだスタート地点なので少し弾みに違和感を感じる程度だが、しかしこれまでのレースで耕されてきた"コース"の方はどうだろうか?
かなりの確率で、足を取られかねない"障害物"と化していると見て間違いないだろう。
(足の負荷が多いので雨の日の芝は余り走ったことが有りませんが・・・・――――いえ、そんなものは負けて良い理由にも、ましてや走らなくて良い理由にもなり得ませんね)
雨天での発走、それに伴う馬場状態の変化、加えて慣れない稍重のバ場でのレース。それらを前にしても、しかし彼女は怯まない。
自分の順番になると躊躇う様子も無く発走ゲートへと入って行く。
「見ていてくださいね、――――さん」
呟きが、風に攫われ消える中――
ガシャン!
(――私の、輝きを!)
――覚悟を胸に、メジロアルダンは駆けだした。
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