「よし、今日はここ迄だ。
ゆっくりコースを一周してクールダウンしてきてくれ」
「はい、わかりました」
メジロラモーヌとの並走()から一月半程が経った頃、その日もトレセン学園のダートコースにはメジロアルダンと鳥林、二人の姿がそこにはあった。
(……コズミが引くまでトレーニング出来なかった期間が一週間、落ちた筋肉を戻すのに更に一週間。
事前の予想の中ではまだましな方とは言え、それでも実質二週間近くのロス。最悪メイクデビューをずらすことも考えていたんだが……)
しかしそう考える鳥林とは裏腹に、彼の持つタブレット端末に示されている自身の担当の能力値は彼の想定以上のモノを示しており、端的に言って三月の時点で立てていたこの時期の目標能力値に対し、現在の彼女の能力値は"誤差"と呼べる範囲の値にまで迫っていた。
(彼女は元々短時間しかトレーニング出来ない事も有って、その差を埋めるためトレーニングはかなり集中して行っていた。それが、メジロラモーヌとの並走で過集中ゾーン(領域)に触れたことにより集中力の深度にはまだ先が有る事を知った。
その結果がこれ、と言う事か…?)
当たり前だがトレーニングなどと言うものは集中して行った方が為になる。
同じ距離を同じ速度で走るとしても、集中力が高ければ走行フォームやコーナリング技術、ピッチとストライドの自覚など、改善点や意識する箇所を幾らでも見つけることが出来るからだ。
本番のレースであればウマゴミを捌いたり、ターフの荒れ具合を見極める事にも役に立つだろう。
なのでメジロアルダンはこれまで、自分でこれ以上はない、と思えるほどの集中力で以ってトレーニングに挑んでいたのだが、しかしその先に示された新たな境地。
飛びつかない訳が無かった。
(まぁ集中し過ぎて鼻血でも出さない限りは練習中の怪我も減るし、何より脳の疲労が増えて連鎖的に『疲れた感』が増せばそれだけオーバーワークの提案も少なくなる。悪い事でも無い、か)
加えてモチベーションも高かった。
自分の無理なお願いに応えてくれたトレーナーさんの期待に応えたい――彼女の心の内にて生じたその気持ちが、より一層彼女をトレーニングに身を入れさせるのだ。
(ガバチャーが転じてショートカットに繋がった感……。
なんだか微妙に釈然としないが、トレーニング効率が上がるなら…まぁ良いか、と――)
「クールダウン、ストレッチまで終わりました」
「あぁ見ていた。
今日もよく集中して練習出来ていた、お疲れ様」
「有難うございます。
トレーナーさんも、今日も私のトレーニングに付き合って頂いて有難うございました」
それが仕事だからな、と端的に返す鳥林。
「予定表に書いてあった通り明日はオフだ。友達と何処かに行くでも或いは寮で本を読みながら過ごすでも、好きなように過ごすと良い」
「その事で少し相談が有るのですが…宜しいでしょうか?」
「相談?一応言っておくがトレーニングをしたいとか言うのは不可だぞ。休むべき時に休まないと疲労が抜けず、寧ろ以降のトレーニングの効率が下がるからな」
メジロアルダンは普段のトレーニング量が少ない為他のウマ娘達より休息日の重要性が低く、実際休息日の間隔も他と比べると空いている方ではあったが、しかしそれでも"ただ寝るだけでは取れない疲労"と言うものはどうしても体の中に蓄積していっている。
それを解消させたいが故の鳥林の発言であったが、とはいえ彼女もそんなことは重々承知している。
相談とは、ずばりその休息日の過ごし方についてであった。
「明日はどなたかと何処か適当な場所にでも出かけられたらな、と思っていたのですが、生憎と知り合いの方々は皆さん明日に限って何かしら用事が有るようで……。
寮で本を読むのも悪くはありませんが、別段今気になっているタイトルが有る訳でも無く……あの、若し良ければ明日お出かけに付き合って頂けませんか?」
聞く人が聞けば、というか十人が聞けば八か九人が『それはもうデートの誘いなのでは?』と勘違いしそうなセリフであったが、しかしメジロアルダンの表情に緊張は無い。
と言うのもこの二人、実はもう既に何度か共に休日を過ごしたことが有ったからだ。
一応最初こそ彼女が姉と美術展に行く予定だったのをドタキャンされた所に鳥林が居合わせ、チケットが無駄になるからと一緒に見に行った偶発的な出来事がきっかけであったのだが、しかしそれで変に『年上の異性を外出に誘う』ハードルが低くなったのがいけなかったのか、以降も偶に、メジロアルダンは鳥林をお出かけに誘っていた。
また、今回は関係無いが、これにはメジロアルダンのお出かけ先も関係している。
メジロの家は名家らしく幾つかの美術家や劇団のパトロンをしており、当然メジロ家の一員足るメジロアルダンにも美術展や観劇の招待券が回って来るようなことも有るのだが、とはいえ彼女の周りにそれを一緒に見に行って感想を言い合える様な学友は中々居らず、敢えて言うなら同じ名家出身でそう言った美術への知見が備わっているサクラチヨノオーが挙げられるが、あくまで知見が備わっているだけで特別美術品に興味が有る訳でも無い彼女を誘うのは気が引けて、尚且つ一番気兼ねなく誘える姉はレース以外は割とノリと雰囲気で生きているため予定が合わない事や合ってもドタキャンされることが儘有り。なのでメジロアルダンにとって展覧会や観劇に誘っても嫌な顔をせず付いて来てくれ、更に見たものの感想を結構しっかり話してくれる鳥林の存在は割と貴重だったりするのである。
「ん~行き先は決まっているのか?
悪いが明日は行こうと思っている所が有る。君が付いて来るなら兎も角、何処かに行きたいと言うのであれば厳しいぞ?」
「勿論それは構いませんが……ですがどこに行かれるのです?」
「"笠松レース場"」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
五月に入って以降、鳥林は毎日笠松レース場のレーシングプログラムをチェックしていた。
怪物を恐れる忌避感と英雄を待ち望む期待。
相反する気持ちの中、笠松トレセン学園のホームページにアクセスを繰り返す日々。
――しかして"待ち人"は現れる。
きたる五月十九日の笠松レース場第一R。その五枠五番に、何処か遠くの世界で不朽となった"彼"の名前はなんの特別感も無く、しかし確かに記されていた。
見に行かない、なんて言う選択肢が存在する筈も無く――
「ここが笠松レース場、ですか。
……なんというかその…思った以上に…"趣"が有りますね?」
――そして今日、彼はメジロアルダンを連れて、岐阜県は羽島郡にある、笠松レース場までやって来ていた。
「まぁ地方なんてこんなもんだろ。
名古屋や大井、後は独自路線極まってる帯広なんかだとまた話は違うんだが、此処は特に何か特色が有る訳でも無いからな」
ガランとして空席の目立つ観客席。何処か古臭い年代物の各種設備。熱気に欠ける観客の人々。
――二人を歓迎したのはそんな、余りに中央とは違い過ぎる光景であった。
「とは言え今更だが悪かったな、遠出しておきながらこんな寂れた所に連れてくることになって。どうせ長居するつもりも無いから、別に近くの喫茶店で待っていてくれても構わんぞ?」
「私から付いて来たのですからそこは気になさらないで下さい。
それに、貴方はこういう環境だと分かっていながら、それでも今日此処に来た――何を、誰を見に来たのかは知りませんが、そういうのを見るのは、私も嫌いではありません」
「あ~まぁ好きそうではあるか」
思い出すのは何時か美術展に行ったとき、会場の外の"今はもう色褪せた"絵画の前に佇んでいたメジロアルダンの姿。
鳥林にはその絵の良さなど対して分からなかったが、それでも、彼女がその絵を見ていた理由については多少なりとも察しが付いた。
しかし――
(――言っちゃあなんだが"その程度"では済まんのよな……。
こっちでもそうなるかは知らんが、少なくとも"彼"の場合は当時の日本中遍くに届くほど輝いていたし、競馬そのものを変えて、最後は時代の名前にまでなった)
実際日本競馬の地位向上と言う面において、彼に並ぶ馬は愚か、影を踏める馬すら存在していない。
例として有馬記念の入場者数を上げるが、未だに1990年度の17万7000人がTOPに君臨している状況が続いている。
敢えて言うなら、種族は違うが、未だ現役且つダービー最多勝利数を誇る彼のレジェンドジョッキーが総合的に見た場合勝るとも劣らない、と言った所だろうか。
「――それにしても、どうして地方と言うだけでここまで寂れ……コホン、年代を感じさせるレース場になってしまったのでしょうか?レベルが違う、と言うのは知っていましたが、てっきり走るウマ娘の能力の事だとばかり思っていました」
「……それ、他の中央所属ウマ娘が言うなら兎も角、君が言ってるの聞かれると割と嫌味に思われる発言だったりするからな?」
「へ?そう、なんですか?」
「いや、あのな、この国でウマ娘のレースが神事から大衆娯楽に変わる際、君の御実家は元より、シンボリやらニシノやらサクラやら……所謂ウマ娘の名家と呼ばれる家が挙ってURAに投資して、且つ自家の素質ある子を日本ウマ娘トレーニングセンター学園、まぁ要は中央に所属させたのは知ってるだろう?別にそれが悪いって訳では無いんだが、結果として地方の素質バは中央を目指すようになり、観客も殆ど中央が吸い上げる形になった。
と言う訳で、別に君自身は何も悪く無いし君の実家も別に悪く無いんだが、ただまぁ聞く人によっては『元凶が何を!』みたいに思われるかもしれんだろ。だからまぁ地方を寂れただの古臭いだのと言うだけなら兎も角、地方の衰退に自分は関係ありません、みたいな態度や発言は止めといた方が良いって話だ」
「成る程…確かにそれですと嫌味に聞こえるかもしれませんね……」
「まぁ今後勝利者インタビューや取材なんかで発言にさえ気を付けてくれれば、別に君が気にする必要も、益してや気に病む必要も無い。
中央に行けないウマ娘の受け皿的な部分も有るから一概に悪く言いたくも無いが、URAの成功を見て中途半端に後追いしたツケが回って来ただけと言う見方も有るからな。実際独自路線を行った帯広は一定の成功を収めているのがその証拠だ」
そんな鳥林の何処か突き放したような言葉に、しかしてメジロアルダンは薄っすらとその頬を赤色に染めていた。
「……あの、サラッと私がレースに勝ったり、それでインタビューが申し込まれる前提で話を進めるのやめませんか?
嫌では無いのですが、こういう真面目な話をしている時にそれをされると、どうしても意識がそっちに行ってしまうのですが」
「そんなものか?どうせ時間の問題でしか無いと思うが、まぁ分かった。
それよりも、そろそろパドックに笠松(トレセン)のウマ娘達が出て来たぞ」
これは何も分かっていませんね、とため息をつくメジロアルダン。
諦めたようにパドックに視線を向けるが、しかしその雰囲気とは裏腹に知らずピコピコ動く耳には喜色が宿っている。
「これ、と言った方は"いません"ね。
敢えて言うなら一番の…確かフジマサマーチさんでしたか?彼女のやる気とバ体が周りと比べて一段上の様に見えます。とはいえ実況の方の言う『期待の星』、は流石に言いすぎな気もしますが」
「いや、多分ガチだぞ。
実際俺から見れば彼女は十分に地方の重賞で活躍できる素材だ。とはいえ君の目からは――普段中央のレースのみを見ている君の目からはそうは見えていない。……つまりはまぁそう言うことだ」
メジロアルダンの目が驚愕に見開かれる。
彼女の目から見て、フジマサマーチはとても強そうには見えなかったからだ。
油断だとかそう言う話では無く、十回勝負すれば十回、百回勝負すれば百回、芝でやろうとダートでやろうと、良バ場でやろうと重バ場でやろうと、それこそ短距離だろうと中距離だろうと、どうしたって勝てる相手――寧ろ勝てなければ不味い相手。そうとしか映っていなかった。
「それよりもあの五番の芦毛を見てみろ。
今はストレッチをしているようだが、あの柔軟性、活かせるならかなり走りそうだとは思わないか?」
「どうでしょうか?言わんとすることは分かりますが、少しバ体が良くないと思います。
見た所かなり使い古したジャージを着ているようですし、履いているシューズもかなり限界の様子。恐らくはあまり裕福では無い家の出で、これまで満足に食事を食べられなかったことが見て取れます。
今後に関しては分かりませんが、それでも今日はまだ届かないのではないでしょうか?」
「ふむ、確かに何処かもっさりしている様にも見えるが――」
「はん!あの"泥ウサギ"がマーチに届くだの届かないだの、あんたら本気でそんなこと言ってんの?」
「あん?」
馬鹿にしたような声が聞こえてきて、それに鳥林が反応して目を向けると、そこには三人のウマ娘が鉄柵によりかかるようにして立っていた。
パン君引退ってマジ?悲しぃなぁ……
JC頑張ってたけどイクイノ強すぎましたね。彼の子供が走るのを何時までも待っています、数々の名レースを有難うございました。
次の投稿は……一応オグリの初レースに関してはもう書き上がってるので、今日(金曜日)中にポンポン投稿していきます。
そっからまた論文の推敲とかで間隔空くかも知れないけど許して