ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象 作:e-2
猿の手に宿る神様
神様転生とかご都合主義過ぎるだろ。
ネット小説を読みながら、かつての俺はそんなことを呟いていた。
チートを貰って異世界に転生して無双するだけの分かりやすい物語で時間を浪費する。
一日中部屋に閉じこもってやることと言えば、そんな読書とも言えない情報の詰め込みや、惰性で続けていたソシャゲくらいだった。
簡潔に言おう、俺はニートだった。
親の脛を齧っていた。働いたら負けだと思っていた。怒鳴れば親は自分のために動くと思っていた。未来のことを考えずに過ごしていけると思っていた。
ご都合主義を批判していたくせに自分のことは放置していた。
そりゃそうだ。俺は物事全てが上手くいく主人公に嫉妬していて、罵るための言い訳がその言葉だったに過ぎなかったんだから。
そして俺はネット小説の主人公じゃない。ご都合主義がそう長く続くわけもなく、親に家を追い出された。
すぐ死んだよ。
俺の親はきっと、俺が心を入れ替えて帰ってくるのを待っていたんだろう。携帯も財布も持たせずに放り出したのはそのためだ。
捻くれ者の俺が帰ることはなかった。
ホームレスの真似事をしようとして死んだ。とりあえず明日から考えようと思って公園のベンチに寝転がって、いつのまにか死んでいた。
そして神様と対面したんだ。
神様は光ってた。というか、見た限りでは光そのものみたいな外見だった。まあ、神様なんだからどんな形でもおかしくない。
神聖なオーラに当たっても、俺はそれまでの行いを懺悔する気にはならなかった。ニーチェが言う超人の素質はさっぱりなかったわけだ。
戸惑う俺に神様は言った。
「君は今から異なる世界に生まれ変わる。君が知る世界になるだろう。つまりは創作物の世界だ。嬉しいかい?」
そりゃ勿論だと答えた。
「それなら結構。それと、故あって君には願いを言ってもらうよ。次の人生がどうあって欲しいか。幸せに生きたいだとか、運に恵まれたいだとか、そんな具合の願いをね。どうして聞くのかって? 勿論叶えてあげるためだよ」
なんて都合の良い神様なんだ!
まだ上手く情報が飲み込めてはいなかったが、どうやらつい先日まで読み耽っていたネット小説の主人公みたいになれるかもしれないと分かって、俺は諸手を挙げて喜んだ。
転生する理由は分からないが、どうせ事故で死なせてしまったお詫びだとかその類だろうと当たりをつけた。テンプレってやつだ。
俺は頭がいいつもりだった。折角のチートなんだ、ビジョンが見えない幸せだとか運だとかのワードは排除して、具体的な幸せを願おうと思った。
金があったって人望がなければ殺されるかもしれない。力があったって権力をひっくり返すことは出来ないだろう。俺は人の悪意こそ真の障害だと思った。
人に疎まれなければ、いや、好かれていれば、金や権力は手に入るだろう。そう考えて世界を分かった気になっていた。
俺は、何も出来なくたって許され、そして好意的に見られる人生が送りたいと願った。
「そうか。それが君の願いか。それはまた随分と……矮小な願いだね? 卑屈と言ってもいい。自分が何も為せないと思う者の願いだ。自分が好かれないと確信しているようだ。本当にそれで良いのかい?」
それでいい。
俺は働きたくないし学びたくないんだ。
ニートとして自堕落に生きたい。
周りの人間が全ての都合をつけてくれるような人生を送りたい。
「ふふ、そうか。君の願いは確かに承ったよ」
ああ、本当にこれから異世界転生をするのか。
チートで快適なニートライフを送れるのか。
「願いは叶えられた。覚悟は十分出来ているようだね。それなら、さっさとその世界に君を送るとしようか」
ワクワクが止まらない。
「君が『アークナイツ』の世界を存分に楽しめることを祈っているよ」
……アークナイツ?
ちょ、ちょっと待ってくれ神様!
「矮小なる人の子よ、また会おう」
それから俺の視界はブラックアウト。
俺は地獄のような
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ジズ。ジズ、起きて」
揺さぶられて目が覚めた。
どうやらまた前世の夢を見ていたみたいだ。
「おはよう、ジズ。今日はとっても良い天気よ」
「おはよう、ミュルジス。俺の記憶によると、君がそう言った日には必ず雨が降るみたいだ」
「ええ、勿論。だから良い天気なんじゃない」
真っ白なシーツから起き出して窓の外を眺めた。思っていた通り、曇天が向こうの空に見える。午前のうちに降るか降らないかといった具合だろうか。
「久しぶりに外を楽しめそうね」
「ああ、本当に随分とご無沙汰だった。待ち遠しかった。今日はどこに行こうか、商業施設なんかを見て回りたい気分だ」
「あら、それは駄目よ。
その言葉に不平が漏れる。
「なあ、ミュルジス。本当に駄目か?」
「駄目よ。五年前のことを忘れたの? 近くの源石機器がほんの少し故障しているだけで発作が起きて、十日も昏倒したの」
「気を付けるからさ」
「ジズ、あなたは五年前もそう言っていたわよ。小さな服飾店の中でさえあたしの声が聞こえないくらい燥ぐのに、それを忘れて毎回そう言っていたの」
「もう五年も前のことだ」
「たったの五年よ。その間で変わったことと言えばこの窓から見える街並みとあなたが言うセリフの数字くらい。……それなのに、どうしてもう大丈夫なんて言えるの?」
ミュルジスは少し強い語気でそう言った。
だって仕方がないだろう、雨の日しか外を歩けない俺には小さなブティックだって天国に思えるんだ。
言い返した言葉は思っていた何倍も小さかった。本当は我儘だって分かってるんだ。それでも貴重な雨の日は全力で楽しみたくなって、気持ちが舞い上がるのを抑えられないんだ。
そんな愚痴を言い続ける俺に何を思ったのか、ミュルジスは部屋を出ていってしまった。きっと怒らせてしまったのだろう。思わず溜息が漏れた。
病衣のような白衣を脱いで、全く同じ病衣を手に取る。後で俺の方から持っていくとしよう。結局ミュルジスが出した水で洗うことになるとは言え、頼りきりにはなれない。
それに、多少は機嫌が取れるかもしれない。
今日は外を楽しみつつ、落ち着いた行動が出来ることをミュルジスに見せる。いつかショッピングモールだとかに行って、大いに買い物を楽しむためだ。
そのためには、今日だけではなく数ヶ月、若しくは数年かけて信用を培っていく必要があるかもしれない。しかし元よりこの不自由は
エルフの長い一生を、俺はこの不自由と添い遂げることになるのだろうか。
そんな考えが頭を通り抜けて消えていく。
嫌なことを考えてしまった。
景色を眺めながら少し落ち込んでいると、パタパタと足音が聞こえてくる。
俺の部屋に出入りするのは二人だけ。
予想通りにミュルジスが戻ってきていた。その手には一つの包みを持っていて、中を開くと俺に差し出した。
「はい、これ。騙されたと思って着けてみなさい。最近生態課で開発したマスクと手袋よ。どう、快適過ぎて着けてないみたいでしょ?」
「本当だ、これは凄いな」
「ふふ、結構頑張ったのよ? 生地の織り方は勿論、素材から拘って作ってるの」
怒っていたと思ったのは勘違いだったらしい。誇らしげながらも照れた笑顔を浮かべるミュルジスに俺を責めるような雰囲気はない。
「だから、その……」
ミュルジスはそっぽを向いて少しだけ躊躇うと、照れ臭そうに言った。
「あまり落ち込まないで。危ない場所には連れて行けないけれど、あなたが出来る限り楽しめるように努力するから」
俺が駄々を捏ねていただけだ。
それなのにミュルジスは俺のために色々なことを頑張ってくれていた。それが無性に不甲斐なく感じてしまう。
「ジズ、見て。もう雨が降ってきたわ。一時間くらい経てば空気中の粉塵が問題ない範囲にまで落ち込むはずよ」
自分のことのように喜んでくれている。確かにミュルジスは俺と同じエルフで、空気中の源石粉塵さえ気にして生きていく必要がある。
ただ、粉塵が落ち着く雨でなくては外に出られないわけではない。多少のケアは必要だろうが、我慢できる程度だと言っていた。
「ミュルジス」
「なにかしら?」
「どうして俺を助けてくれるんだ?」
「決まってるじゃない。都会から離れられず種族の理に逆らう愚かなエルフ。あたしにとって唯一の同族。それがあなただからよ」
ミュルジスがそう言って微笑むと、俺の心にはやけに鋭くて冷たい空気が入り込んできた。
そんなことは何度も聞いたんだ。
「それに、あなたってとても興味深いのよ? 特別であることを卑下する必要なんてないわ」
卑下。確かにミュルジスから見た俺はそうなのかもしれない。生まれながらに多くのディスアドバンテージを抱えていた不幸な男。
実態は、自分から不幸に身を投げただけだ。そして何よりも大切なはずだった存在を歪めている。薄汚い下等な欲望で。
心臓が握られたように感じる。
そんな耳触りのいい言葉は何度も聞いたんだ。
「だから、気にするのは間違いよ」
そうじゃない、そうじゃないんだ。
今の君が幸せだったとしても、その在り方は受け入れられるべきじゃない。これ以上俺のために時間を浪費しないでくれよ。
「ああ。ごめんな」
胸の中に育った罪悪感が強く存在を主張している。俺が居なければミュルジスはもっと幸せだったはずなんだ。
ネガティブな感情に頭が支配されている。これではミュルジスにより一層の迷惑をかけてしまう。
先ほど脱いだ病衣を渡して部屋を出る。
制止の声はかからなかった。
足音が追いかけてくることもなく、俺は生態研究園の隅まで行って腰を下ろした。
どうしたものだろうか。
原作のミュルジスは、たかが他人のために大事な人生を使うなんて、そんな哀れな生き方はしていなかったんだ。あくまで自分を救うための研究だった。
もう二十年以上経っているが、不思議と前世の記憶が色褪せることはなかった。細部までは流石に覚えていないものの大まかな流れは思い出せる。
ミュルジスの研究は、クリステンやサリアについていくための側面を持っている。ただ、それは馴染める場所を見出していたに過ぎない。自分を受け入れてくれる二人と肩を並べていたかったのだと思う。
エルフという種族に関する研究も、サリアやクリステンについていくための研究も、きっと社会に馴染み、精一杯生きることへの手掛かりのはずだった。
間違っても他人のためなんかじゃない。
それが歪んでしまったのは俺のチートによるものだ。俺のチートは『何も出来なくたって許され、そして好意的に見られる人生』だ。額面通りならまだマシだった。
神様は意地悪だった。
『何も出来なくたって許される』ようにするために、俺を実際に何も出来ない体に転生させた。感染者のエルフとして生まれた俺の子供時代はまさに地獄だった。大人になっても、ミュルジスが居なければベッドの上から動けなかっただろう。
それに鉱石病だけじゃない、数々の病魔に侵されてはベッドの上で悶えて苦しんだ——ああ、今は関係のない話か。
重要なのは『好意的に見られる』方だ。
俺がミュルジスに世話を焼かれているのはこれが大きい。孤児院の大人達は感染者だからと俺から距離を取っていたが、ミュルジスは種族が同じだからか、ずっと隣に居てくれた。
大人になって、随分と時間が経って、それでもまだミュルジスは俺のために時間を費い続けている。
このチートがなければ孤児院の大人達に人知れず処分されていたのかもしれない。だがミュルジスにここまで迷惑をかけるくらいなら、いっそ孤児院で死んだ方が良かった。
俺は自分が何も出来ないことのツケを丸ごと誰かに被せたくないんだ。
俺のせいで俺が不幸になるのはいい、俺のせいで周囲に多少迷惑がかかってもいいと思える。
ただ、馬鹿な俺は、たった一人の大切な人が俺のせいで生まれた困難に足を取られているのを見て、どうしようもなく苦しくなるんだ。
筋が通ってないかもしれない。
これは理論なんかじゃない、俺の感情だ。
ああ、俺はクソ野郎だ。前世の両親には謝罪の一つすらしなかった。その上反省すらしていない。
そうだ。確かに俺はクソ野郎だ。
それでも、大切な人の幸せを願う権利くらいは、まだ残されてるつもりなんだよ。
チートなんてものに人生を左右される今のミュルジスは、原作の彼女よりずっと哀れなんだ。
「……待てよ、原作?」
打ちひしがれていた俺の視界に突然光が差した。
そうだ、原作にはトリマウンツが舞台のイベントがあった。確かミュルジスはドクターに拾い上げられたはずだ。
あのロドスなら俺という足枷からミュルジスを救ってくれるかもしれない。俺なんかのために尽力してくれるミュルジスの目を覚ましてくれるかもしれない。
「ロドスなら、あのドクターなら」
名案だ。それしかない。
何の取り柄もない俺だが、原作知識はある。
「ああ、やってやるよ」
俺がミュルジスを原作の流れに戻すんだ。
他でもない、歪めた俺自身が。
そうと決まれば色々と準備しなければいけない。
たとえば緊急外出用のマスクや咳止めの薬はダースで欲しい。俺の存在がどこまで原作に影響するか分からないんだ。修正のため、出来る限り手は欲しい。
トリマウンツのイベントでは……
カツ、カツ、と足音が響いた。
「こんなところに居たのね。ジズ、もう外に出られる時間よ。さあ、行きましょ?」
いつのまにかミュルジスが荷物をサッパリさせてこちらを見ていた。そんなに長い間物思いに耽っていたのか、と思いながら先導する彼女についていく。
外行きの服はない。俺は真っ白の服を着たままに研究園の出口へと向かった。
「あれ……ミュルジス、俺の傘を知らないか? ここに吊るしておいたと思ったんだけど」
「それが大きな穴の空いたビニール傘のことを言っているなら、その行方を知ってるわよ」
「どこにあるんだ?」
「ゴミ処理場ね」
悪戯が成功したことを喜んでいる、と表現するには不満を多分に含む表情だった。
そういえば、四年前にも穴が空いた傘のことを言わずにいて怒られたっけな。
「黙っててごめん。それで俺はどうすればいい?」
「……そうね、あたしと同じ傘の下は嫌かしら?」
ミュルジスは彼女愛用の傘を握っていた。
感じられる好意に思わず後退りそうになった。
何でもない言葉だ。
何の気なしに言われたことだ。
一気に頭の芯が冷えたようだった。
久方振りの外出に興奮していた自分はどこかへと消えた。頭に冷や水を掛けられた気分だった。
俺はいったいどこまでミュルジスという存在を歪めたのだろう、この自分勝手な
「冗談よ。不便で堪らないものね」
目を背けずにはいられなかった。「好かれたい」と願った時にはどうなるかなんて考えもしなかったんだ。
転生してから、二十数年経つ。
もう分かったんだ。
俺が好かれるような人間じゃないこと。
俺のチートの影響で、ミュルジスは仮初の好意に歪められ続けているだろうこと。
生まれてからずっとミュルジスと一緒に生きてきて、だからこそ俺は俺が許せなかった。
こんな
トリマウンツの雨は、嬉しいことに、まだまだ降り続けるらしい。冷ややかな空気の中、俺は曇天を見上げた。
空は近くまで迫っていた。
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