ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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名称:ホウセンカ【鳳仙花】
綱目:ツリフネソウ科ツリフネソウ属
花言葉:「私に触れないで」「短気」
 


第二部 感染者、非感染者
鳳仙花の蕾


 

 危険地帯に足を踏み入れた。

 何より成したかった大願のためだ。

 

 荒れ狂う天災の嵐から逃げなかった。

 頭が矜持を支持し、それより優先すべきものがあると叫んでいたからだ。

 

 戦いの中にいた。

 己の存在意義すら危うい中、無我夢中に生きて生を掴み取り、気付けばそうなっていた。

 

 

 鉱石病に感染するのは特別な日に違いないと思っていた。悲劇的な巡り合わせの結果起こるものだと、そんな茫漠とした考えを持っていた。心のどこかで慢心していたのだ。

 人生を賭けた大博打で、若しくは尊厳を天秤にかけて、そうした衝突の中で生まれる特別な何かだと思っていた。

 

 だから、私は感染したのだろうか。

 

 信念などなかった。願いなどなかった。生きるためでもなかった。ただ漠然と、何の根拠もない慢心と共に危険と隣り合っていた。

 

 父母もそうだった。

 兆候なく全てが瓦解していった。

 

 同じ思いだったのだろうか。

 鏡に問いかける。

 答えはない。

 

 ひんやりとした感触だけを主張して、銀鍍金の板はそれきり何も言わなくなった。

 

 感染者の行く末など決まっている。

 さて、私はどうしようか。

 

 このクルビアにおいて——いや、どの国でも同じことか。テラにおいて、鉱石病に罹ることは即ちドロップアウトを意味する。

 社会的地位を剥奪されるに等しい。

 人権すら危ういものだ。

 

 それなのに、悲しいとは思わなかった。

 理由はきっと、私が孤独に生きているからだろう。

 父母は既に墓の下に埋まり、尊敬する上司や、半年ほど前に出来た友人と呼べる存在も居るが、それ以外の交友関係は精々が同僚や知人だ。

 

 それに、植物は感染者を差別しない。

 私を疎外することは絶対にありえない。

 

 

 私が折れることはない。

 私は、アナスタシア・ルキーニシュナ・ザロワは、一番大切な心の芯を、絶対に枯れない存在へと依存しているから。

 

 

 私は、折れない。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「感染したんだってな」

 

 口火を切ったのはホワイトだった。アナスタシアを遠巻きに覗き見ているばかりだった観衆が、その言葉をキッカケにして仲間内の話を始めた。

 果たしてそれはどのような内容だろうか。考えるまでもないことだ。ストレートな悪口か、遠回しな陰口か、その2択でしかない。

 

「ホワイト、それはあなたに関係あることなのかしら? ないわよね? 無駄口を叩く暇があるなら——」

 

「おいおい、同僚が大病を患っちまったんだぜ? 無関係で済ませることじゃねえよ」

 

「言葉を遮らないで頂戴。無遠慮極まりないし、何より唾が飛んで汚いのよ」

 

 アナスタシアは強気に言い返した。普段と変わらない攻撃的な言い回しに、ホワイトと呼ばれた男は眉を上げる。

 しかし舌戦では勝てようもないのだ。往生際悪く口撃を仕掛けた彼だが、暫くして不満そうに去って行った。それきりヒソヒソと聞こえていた陰口は途絶え、アナスタシアのデスクにはまだまだ仕事が残っている。

 

「暇じゃないのだけど」

 

 溜息を一つ吐いて、アナスタシアは業務に集中することにした。

 

 

 時計の針が真上を指して重なると、生態課は昼休憩に入る。警備課の職員と談笑する者、連れ立って食堂に赴く女性研究員ら、そしてホワイトはカロリーバー片手にデスクから離れない。

 彼はその性格に反して仕事が出来る。真面目で手抜かりのない模範的な職員だ。そのことだけはアナスタシアも評価していることだった。

 

 天は二物を与えないと言うが、困ったものだ。力ばかりで知能のない愚か者はタチが悪い。

 アナスタシアは心中でホワイトを小馬鹿にしながらデスクを離れた。

 向かう先は勿論、生態研究園だ。

 

 

「主任補佐が感染したらしいな」

 

「アナスタシアさんってさ」

 

「周り見てなかったんじゃない? ほら、あの人って植物しか見てないでしょ」

 

「研究馬鹿の末路としては妥当だろうよ」

 

 

 道すがら、アナスタシアは何度溜息を吐き出したことか。そんなことばかり話しているから弱冠25歳の新入りに主任補佐などという地位を奪われることになるのだ。

 きっと彼らは、「そんな考え方をしているから鉱石病に罹る間抜けなんだ」と返すことだろう。アナスタシアは十二分に彼らを理解していたが、それを踏まえた上で愚か者だと断じている。

 

 表立って言われることはない。

 真面目な警備課職員に聞かれたなら、サリアという下手な化け物より怖い傑物が現れるだろうと分かっているからだ。

 アナスタシアはそれが気に入らなかった。大した度胸もなく言うのだったら、植物のように黙っている方が良いに決まっている。陰口の全てをシャットアウト出来る耳があれば良かったのだが。

 

「あら、ターシア。ご機嫌よう。飲み物は必要かしら?」

 

「自分で用意するので結構です」

 

「そう? それならいいけど」

 

 ミュルジスは手首のウェアラブルデバイスを見る。

 赤いハートの中には「64」、ハートから伸びるパイプの中には「状態:平常」、と青い文字で書かれている。

 スライドすれば、画面には研究園のマップと一つの光点が映し出された。

 

「ジズはホールに居るみたいね。一緒に行きましょ?」

 

 彼は瑞々しい双葉と語らっていた。

 硝子細工を触るように優しく撫ぜる白磁の指。恥じらうように揺れる子葉。類稀な美貌と合わさり、絵画のようにさえ感じられた。

 

 アナスタシアは小さく躊躇い、しかしミュルジスは何の気負いもなく額縁の中に入っていく。

 

「調子はどう?」

 

「経過は順調、馴染んでくれそうだ。質が良い腐葉土のおかげだな。この分ならきっと太い茎が伸びる」

 

「それなら良かったわ。奮発した甲斐があったみたいね。ちなみに、ターシアが勧めてくれたのよ?」

 

「そう、なのか」

 

 ぎこちなく笑う。

 

「ありがとう。ターシア」

 

「お役に立てたなら何よりです。その代わり、ちゃんと枯らさないで育て上げてくださいね。土壌に拘らなければいけないような花なら尚更のことです」

 

「ああ、頑張る」

 

 会話に満足した彼は鉢植えをそばに置く。

 

 胸のあたりがぐっと主張した。

 アナスタシアはむっとした顔で鉢植えを拾い上げる。

 

「子葉は特別に大切な葉です」

 

 オーバーサイズの鉢にポツンと芽が出ていた。

 

 植物を育てる上で、発芽は大きな関門だ。基本的には大きな鉢の中に種をばら撒いて、よく成長したもの以外を摘み取ることで厳選する。

 芽は鉢の中に一つしか出ていない。成長具合を見るに厳選するのはまだ早い。つまり、この個体しか芽を出せなかったのだろう、とアナスタシアは推測した。

 

「子葉は光合成を行い根や茎を成長させる役割を持っています。過酷な環境に飛び出していくための一番槍と言えます」

 

 アナスタシアは彼の軽率な行動に腹が立った。植物の声が聞こえると言うのなら、自分程度に見咎められるような失敗をしてほしくなかった。

 

「ですので、陰には置かないでください」

 

 陰生植物、短日植物、光障害。3つの単語が思い浮かんだが、それは彼の行動を肯定する材料にならない。広い知見を持つアナスタシアだからこそ、それが間違っていることに確信を持ってしまう。

 たとえどれだけ小さいミスであっても、エルフである彼の失敗を軽々しく許すことは出来なかった。

 

「何も考えてなかった。ごめん」

 

「これからは気をつけてください」

 

「分かった。設備の方に返してくるよ。ホールでも問題ないとは思うけど、万が一が怖い」

 

「ええ、その方が良いでしょうね」

 

 彼は鉢植えを持って奥に消えていった。

 アナスタシアの脳裏には、彼の悄気た顔が残っている。

 

「あまりジズを責めないであげて」

 

「……それは、どういう意味ですか?」

 

 仮にそれが身内贔屓で言っているなら、ミュルジスに失望するだろう。ただ可哀想だからと宥めたのなら許せなかった。

 

 果たして、それは感情論だった。

 しかし想定とは違う。

 

「たぶんだけど、ジズはあなたに見せたくてホールまで持ってきたのよ。元気付けたかったんじゃないかしら」

 

 アナスタシアは左腕を押さえた。傷口が疼いた。源石はもう血液に溶けているはずなのに、痛みが襲った。

 

 きゅっと強く口を結ぶ。

 痛むのは創傷か、それとも胸の奥か。

 

「許す理由にはなりませんよ」

 

 ミュルジスはまるで子供を見ているかのような目になった。本当は許しているのに怒ったフリを続ける、そんな意地っ張りがミュルジスの瞳に映っていた。

 

「配慮は要りません」

 

「あたしに言ったって意味ないわよ?」

 

「伝えておいてください」

 

 そう言って、ホールを離れた。

 ミュルジスの声には聞こえないふりをした。

 

 社員証を翳して中に入る。

 ガラスケースの中に入れられたスノーサラセニアは捕虫葉を大きく空に伸ばしている。3ヶ月前に芽吹いてから、その様子を細かく観察することがアナスタシアの日課になっていた。

 

 休日さえ返上する勢いで毎日顔を出していたものだから、昨日途切れてしまったことが残念だ。病院に拘束されていたのは仕方ないと言えばそれまでだが。

 

 株を分けるにはまだ早い。しかし、順調そのものだ。あと一ヶ月も経てば50センチを超えるだろう。

 

 ほっと息をつく。

 問題は土壌だけだった。カルシウムの分量をトレントンの土と揃えた途端に力強く根を張り始め、それきり生育不良になることもなかった。

 

「はぁ……」

 

 非常に喜ばしいことだ。だがアナスタシアの口からは溜息ばかりが出ていく。口元が綻んでいたのは一昨日までの話だった。

 

 人は余りにも簡単に手のひらを返す。

 

 行き過ぎた悪戯で感染者となった父母を、彼らは易々と遠ざけた。信頼できるのはごく少数の人間だけだ。

 他人の視線を気にしなかったことはないが、その寸評に自分の在り方を変える必要はない。赤の他人風情に影響されたくもない。

 

「本当に不快ね」

 

 胸焼けしているかのような気持ち悪さが心臓に居座っていた。こうして寄り添ってくれる植物を前にして、癒されないことなどありえないのに。

 

 左腕を押さえる。

 傷跡が疼いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ターシアには一人で考える時間が必要なの。でも、ジズは気にしいだからつい話しかけちゃうのよね? そんな現状を変えようと思うあたしの提案なんだけど……」

 

 

 そんなわけで俺は、朝からミュルジスに連れ出された。雨が降る中をトランスポーターの方に運ばれて、トリマウンツを後にする。

 

 生態研究園のことはアナスタシアに任せているのだとか。本当にいいのか、サリアに許可は取ったのか、そんな追求をミュルジスは笑って誤魔化した。

 

「あたしと出かけるのはイヤかしら?」

 

 イエスと答えられる人がいるなら教えてほしい。追求を重ねられる人がいるなら連れてきてほしい。俺には無理だった。

 

 それなりの移動時間を談笑に費やし、俺たちは目的地に到着した。そこには深い山が聳えていた。

 麓には年季の入った家がずぶ濡れになっている。雑草が生い茂り、壁の一部は葛に覆われ、赤紫色の花に染められていた。

 

「なあ、ミュルジス。ここは……」

 

「あたしとあなたの新居、なんて冗談は求めてないみたいね。ジズが思ってる通り、この家はあたしの親が最期を過ごした場所よ」

 

 ミュルジスは懐からキーリングを取り出した。玄関に入ると冷たい匂いが鼻腔を突き抜けていく。床板の軋む音が静かな家に響いた。

 

「借家で迷惑をかけるわけにもいかなかったんでしょうね。一括で購入して、それから相続人がいなくって……こ〜んな立派な家なのに、国の所有になってからは放置状態らしいわ」

 

 リビングには家財が転がっていた。埃さえなければ生活感があると言っても過言ではないだろう。ただし、この強烈に訴えかけてくる寂しい雰囲気に目を瞑ってみれば、の話だが。

 

 俺ですら胸臆が静かに荒れるのだから、ミュルジスは一層雰囲気に呑まれているのではないだろうか。そう思い隣の顔色を伺って、驚いた。

 ミュルジスは至って普段通りだった。あれこれと眺めるその姿は、まるで住宅見学会を楽しんでいるかのようだった。

 

「ミュルジス。その、これは……」

 

「ええ、そうよ。あたしの家族はもうあなたしかいないってこと。厳密に言えばジズは家族じゃないけど、そんなことはどうでもいいわよね」

 

 言葉が軽かった。楽しそうな表情は崩れなかった。親がとうにこの世を離れていると知った子供が見せていい顔ではなかった。

 

「どうして、そんなに」

 

「あたしは親に生きていてほしかったわけじゃないもの。仮に生きていたとして、どうして孤児院に置いていったのかを聞いたら絶縁するつもりだったわよ」

 

「軽々しく言わないでくれ」

 

「ごめんなさい、誤解させちゃったみたいね。軽く言ってるつもりはこれっぽっちもないのよ」

 

 ミュルジスは食器棚の中を眺めながら、平坦な声で言った。

 

「過去は過去。変えられないし、変わらないし、追い求めたって遡るだけ。それなら今を大事にした方が何倍もマシ、そうでしょ?」

 

「それなら、どうしてここに来たんだ」

 

 今を優先するならもっと違う場所があったはずだ。この家を訪れたこと自体、ミュルジスが過去を気にしていることの証明だろう。

 

 ミュルジスは黙っている。

 

 曇天は黒々と空に被さり、雷鳴が光を伴って大気に伝播する。雨が激しく屋根を叩いている。

 突然に窓が開いて水の塊が入ってきた。それは一瞬だけ壁や床、家具を水浸しにして、さっと引いて行った。残ったのは埃が消えた綺麗な部屋だ。

 

 腰を落ち着けて話がしたい。

 そういう意図だろう。

 

 家族のことで話すのだろうか。それとも本当にそれは無関係で、アナスタシアの話かもしれない。何はともあれ真面目な話題になるだろうから慎重に考えるとしよう。

 

「ねえ、ジズは恋愛したことある?」

 

「……なんだって?」

 

 こんな場所まで来て、腰を据えて、それで選ぶ話題が色恋の話? そんなわけがない。きっと聞き間違えたのだろう。

 

「恋の話よ。人を異性として好きになったこと、愛したいと思ったこと、そういう経験はあるかしら?」

 

「それは関係ある話なのか?」

 

「勿論」

 

 断言されたなら仕方ない。考えよう。

 恋愛。今世ではミュルジスが一番それに近いが、近いだけで確固たる恋愛感情を持った覚えはない。

 前世なら、まあ、あるにはある。

 

「あたしには、家族愛と恋愛の違いが分からないの。だからこの家を訪ねて、家族愛って感情を感じてみようと思ったのよ。……無駄だったみたいだけど」

 

 ミュルジスは部屋の中を見渡した。その目に好奇心以外の何かが映ることはない。

 

「直接顔を拝んだこともない、ただ遺伝子を受け継いだだけの相手。繋いだ手の温もりだって知らないのよ。あたしはそんな人たちを家族だなんて思えない。同族だって信じられない」

 

 何も言えない。自覚があるのかは分からないが、今のミュルジスには自分を騙すような雰囲気が僅かに感じられたからだ。

 自分を捨てた親——それがたとえ仕方ない理由を持っていたとして、子供には関係ないことだ。愛さえ教えてやれなかった親に弁解の余地はない。

 ミュルジスはきっと、信じたいのだろう。世間で言う「親」という存在が自分にも居たのだと信じたい。しかし信じてしまえば、捨てたことに怒りが芽生える。

 

 助けになりたい。

 

「俺はミュルジスの家族だ。ミュルジスの親が家族じゃなかったとしても、俺だけは家族だ」

 

「……家族、ね」

 

「俺がずっとここにいるから、ミュルジスは好きなようにしてくれ」

 

 どこか(しこ)りが残っているようだ。デリカシーのない発言だったかもしれない。同類の俺なら力になれると思ったが、勘違いだったか。

 

「話を戻しましょう。ジズは人に恋したことってある?」

 

「まあ、人並みには」

 

「え」

 

「ポニーテールの子だった。話しかけることもできなかったけど、あれは恋心だったと思う」

 

 前世、中学生時代の話だ。

 

「ハキハキと物を言う子で、空気を読むことが上手くて、黙ってる俺とは対照的だった」

 

 高嶺に咲いた花だった。

 

「その人と一緒に何かをすることが楽しくて、特別な相手になれなくてもいいから、10番目の友人くらいになりたかった」

 

 俺が同じことをしていても許してくれたならそれでよかった。フラットな感情でもいいから拒絶されたくなかった。

 

「その人の名前を教えて」

 

「勘弁してくれ」

 

 もう名前も覚えてない。中学生の記憶なんて子供の頃に全部落としてしまった。その子が明るくてポニーテールだったことだけを覚えている。

 

「とにかく、恋心っていうのはそういう、一緒にいたいとか、拒まれたくないとか、そういう感情なんだ」

 

「……それって、家族愛と何が違うのかしら?」

 

「親愛は現状維持で恋愛は上昇志向、というか。止まらないんだ。それだけの関係じゃ嫌になる」

 

「へえ」

 

 ミュルジスの機嫌が何故か傾いている。

 学校で勉強したり、ライン生命で研究したり、そういう努力を重ねる日々の裏で、何もしていない奴が立派に恋愛していたんだ。そうもなるか。

 

「それにしても、ミュルジスはモテるのに、誰かと恋人にならなかったのか?」

 

「あたしのことが好きで、信じてくれて、話し相手になってくれて、更にはあたしのことを誰より知ってる人が身近にいるのよ? 必要ないし興味もなかったわ」

 

 仮にドクターの存在を知らなかったら、俺は大いに焦っていただろう。ミュルジスはエルフだから結婚だって考えるべきことがあるのは分かるが、それにしたって興味がないのは問題だ。

 

 きっとドクターと交流するうちに色々と変わる。初めて自分を理解して手を伸ばしてくれる人なんだから、ただの好意が恋愛感情に変わろうと不思議じゃない。

 だからそう焦ることはない。孤星が上手くいけば、全て解決する問題だ。俺はそれを目指していればいい。

 

 

「止まらない、ね。あたしは……」

 

 

 少し話してから家を出た。

 

 水を使って雑草を掻き分け、そうして作られた道は裏手の墓へと続いている。クルビアに墓参りの文化はないため、特に供花などを用意することもなく手ぶらで墓前に向かった。

 

 水が形を成して葛を払い、灰色が僅かに顔を出した。凡そ30年放置されていた墓はそれだけ分厚く覆われている。

 ミュルジスが淡々と水を操る中、少しずつ顔を出していく死者の印を、俺はじっと見つめていた。

 

「ふぅ、一先ずはこれでいいわね」

 

 所々緑色のシミがあるものの、墓標は見えるようになった。死者の名前と命日だけがポツンと刻まれている。それなりに大きな墓石だからか、たった2つの名前では寂しく感じられた。

 

「ジズと出会えたのはこの人たちのおかげ。捨ててくれたからこそ、あたしは寂しい人生を送らなかった。……そう言って割り切れてしまえるのは、きっとおかしいのよね」

 

 親を親と思えない。

 それに欺瞞が混ざっているかは関係ない、ただミュルジスが悲しそうに呟いていること、それだけが問題だ。

 

「ミュルジス」

 

 傘を差しているから、俺は近付けない。

 それでも手を伸ばした。

 

 雨が袖を濡らす。

 

 細い指が応えてくれた。

 繋いだ手を強く握れば、ミュルジスの顔から憂いが取れた。

 

 傘と傘の間から雨粒が滴っている。

 それでも俺はミュルジスの手を掴んでいた。

 

「暖かいわね」

 

 しみじみと呟く。

 俺は口を噤んでいた。

 

 ミュルジスは溜息を吐き出した。

 

「行きましょ、ジズ」

 

「もういいのか?」

 

「この墓はただのエルフの墓。家族の墓なんかじゃないのよ。だから、もういいの」

 

 どこか吹っ切れたようだった。

 寂しさを無理矢理に誤魔化しているわけでもなく、ただ枷を解いたような、爽やかな顔をしていた。

 

「ねえ、ジズ。帰ったら大事な話が——」

 

 手を引いて帰ろうとしたその時に、俺の視界に見覚えのない花が映った。墓の裏側、葛がこびりついていたその下に咲いていたみたいだ。

 

「この花、研究園にない種類じゃないか?」

 

 何か言おうとしていたような。ミュルジスは俺の視線に首を傾げて返した。どうやら空耳だったらしい。

 

「ターシアが喜ぶだろうな」

 

「……ええ、そうね」

 

 その一輪は鮮やかな色をしていた。手早く処理して持って帰れるようにする。今度研究園で育てられる種をミュルジスには強請るとしよう。

 

「元気を出してくれたらいいんだけどな。……ミュルジス、どうかしたのか?」

 

 いつのまにかご機嫌斜めになっていた。なんでもないと意地を張って、遂には逃げ出すように俺の手を引いた。

 

 雨はまだ止みそうにない。

 俺は濡れた袖を絞ってから車に乗り込んだ。

 

 

 今頃、一人ぼっちの研究園で、アナスタシアは何を思い、何をしているだろうか。曇天は何も答えてくれない。

 

 次の行き先はトレントン。

 俺とミュルジスが育った地だ。

 

 

 




 
久方ぶりですね。
お待たせしていました。
評価、感想、よろしくお願いします。
 
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