ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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名称:オトギリソウ【弟切草】
綱目:オトギリソウ科オトギリソウ属
花言葉:「敵意」「秘密」「不信」
 


弟切草の花柄

 

 

 一人の筋肉質な男が暗い教会に足を踏み入れる。

 割れたステンドグラスから差し込む月光に、床の模様が照らされている。それは紅色で描かれていて、一部は未知の言語を象り、一部は真円で文字を囲い、見る者に不気味な印象を植え付ける。

 

「これは、血か?」

 

 指で触れてみれば分かる粘性のある感触。

 それは強く擦ってもへばりつく。

 

「ええ、そうよ。それは穢れ人の血液」

 

「……ヘルガ」

 

 物陰から女が姿を現す。

 男は苦虫を噛み潰したような顔をして、しかし両者共に敵意はないらしい。

 

「ねえ、知ってる? 血には穢れが流れているの。私たちが忌み嫌う穢れは、この地に根付いた邪教が崇拝している穢れは、このテラに生きる者の全てに宿っているの」

 

「知っているさ。生憎と俺は、君たちのような田舎者じゃあないからな」

 

 穢れ人とは、感染者のこと。

 血に流れる穢れとは血中源石のことだろう。

 

「血液は古くから儀式の媒体にされてきた。血液に含まれる源石が様々な事象のアンカーとなるからだ。それは大規模なアーツのようなもの――いや、正しくはアーツが小規模な儀式と呼ばれるべきか……」

 

「知識をひけらかすのは、確かに都会人の特徴ね」

 

「それなら、劣等意識を抱えているのが田舎者の特徴か?」

 

 男が言っていたことは本当だろうか。

 少なくとも、アーツとアーツを用いる儀式のどちらが早く誕生したのかは定かではない。地域差も大きく、一概に断言できるものではない。

 それならなぜ男が確信をもってそう言っているのかというと、これが映画(フィクション)だからだ。

 

 今ではライン生命の人事調査課の主任を務める大女優、ヤラ・ブッカー・ウィルソンがヒロインを務めた、とある人気シリーズの第1作。

 

 ジズとミュルジスはポップコーンを摘まみながらじっと眺めている。

 

 男がヤラに案内されて教会の地下へと潜っていく。そこで迫力あるバトルアクションを繰り広げ、物語の山場である最大のピンチを乗り越えた頃には、2人の関係も――といった陳腐な構成の映画だ。

 

 キスシーンを指の隙間から覗くように見ているミュルジスはともかく、ジズが一番に惹かれたのは、冒頭、アーツと儀式のついてのセリフだった。

 血中源石があるから、血はアーツの媒体となりうる。原作であるアークナイツでそのような言及があったかどうかは全てのストーリーを見ていない以上分からないが、少なくともジズにとっては初耳だった。

 

 だから強く覚えていたのだ。

 その映画を見終えて、数年経った今でも。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 どうすればいいのだろう。

 壁掛けの時計を眺め、ミュルジスは椅子に体を預けていた。秒針を目で追う。分針が一つ音を立てる。時間は何も与えず、ただ奪うのみだ。

 

 アナスタシア。苗字などを付け加えたなら、アナスタシア・ルキーニシュナ・ザロワ。1067年7月5日生まれ。ウルサス帝国出身で身長は163cmと、ほとんど平均値。体重は——問題ない程度。

 両親は276開拓基地にて死亡。死因は天災。

 隣人が職場のトラブルで男女3名を殺傷後アナスタシアを訪ね、これを殺害。正当防衛で不起訴処分。

 通信制のハイスクールに転校し、PTSD治療を受けながら大学に進学し、卒業。ライン生命生態課に入職。

 

 卒業研究は植物社会学に景観生態学的知見を交えた、移動都市に最適な生態系群集について。移動都市を一つのバイオームと捉え、ランドスケープレベルでの——以下省略。

 入社後の2年間で目覚ましい実績を残したため、植物社会学分野の主任補佐として昇進。それからもいくつかの研究を進め、今に至る。

 率直に評価すれば優秀だ。得難い人材と言える。ミュルジスやジズなどのエルフというイレギュラーが居なければ、十分にトップを目指せる秀才だ。

 

 しかし、ミュルジスは彼女を排除するつもりだった。惜しいとすら思わない。彼女の人間性に小さくない問題があると判断したため、と人事調査課には伝えてある。全くの建前だが、恐らく通るだろう。

 彼女が社内で起こしたトラブルの数は多くないが少なくもない。それに彼女は感染者だ。書類を揃えてしまえばすぐに辞令が下るだろう。そうなれば晴れてさようなら、邪魔者は居なくなる。

 

 何もない天井を見上げる。

 

「……邪魔者。いったい誰のことかしらね」

 

 そう言って自嘲する。自分を見てくれないからと傍迷惑な癇癪を起こしたのは、人を不幸にしているのは、果たして誰なのだろうか。その程度の答えが分からないほど馬鹿にはなれなかった。

 

 ジズはまだアナスタシアと話しているだろう。卑屈に笑って罵倒を受け流して、ミュルジスと対立したことを些事だと言っているかもしれない。

 

 ――鋭い痛みが胸を裂く。

 

 どうして彼はアナスタシアを選んだのだろう。

 どうしてアナスタシアは彼に報いないのだろう。

 どうして自分はアナスタシアに勝てないのだろう。

 

 優しく、時に厳しく、ミュルジスはジズを最大限に思いやっていた。理想的な関係を築いていた。ただ相手を傷つけようと口を開くアナスタシアより遥かに関わりたいと思える相手だろう。そのはずだった。

 

「あたしは何を間違えたの?」

 

 彼は答えなかった。しかし答えは必ず存在しているはずだ。さもなくば、ミュルジスは何の欠点もない状態で、欠点ばかりのアナスタシアに負けたことになる。

 

 それだけは認められない。

 いや、受け入れられないと言った方が正しい。

 

 特別な人であることは疑いようもないのだ。互いが互いにとって少なくない大きさを占めていて、存在意義の半分以上を相手に預けているとミュルジスは思っていたし、事実そうだった。

 ジズは自分がミュルジスの幸せを妨げるなら死んでいいと思っているし、ミュルジスはジズのために生態研究園を作り、楽園に向けて邁進している。

 

 それなのに優先されないということは、それほどのアドバンテージを持っていながらに負けたということ。数十年分のリードをたかが半年で埋められたということ。

 

 そんな可能性は考えたくなかった。付け加えるなら考える必要もないと心から思う。仮にそれが真実であると認識させられ、逃げ道もなかったなら、ミュルジスの心は壊れるだろう。それほどまでにミュルジスは積み重ねた時間を信頼していた。

 

 ミュルジスは彼についてそれなり以上に理解しているつもりだが、たとえば「非感染者のミュルジスには分からない」こともある。

 一週間ほど経っているのに受けたショックが全く回復していないせいで意識した途端激しく落ち込みそうになったが、何とか堪え、類似した可能性を探る。

 ジズとミュルジスの間にある認識の差異。疑い始めれば次々と候補が浮かんでくるようだったが、しかしそれは無駄に終わりそうだった。

 

 何故なら、ジズの認識に何らかの変化が起きていた場合――特にミュルジスを見る目が変わっていた場合、気が付かないはずはないからだ。確信が持てなかったにしても違和感くらいは覚えているのが自然だろう、と考えた。

 

 やはり、何か落ち度があったのだ。

 それしか考えられない。

 

 彼自身でも気が付いていない、けれど天秤を引っくり返すだけの力を持った、大きな大きな失敗があったはずだ。

 

 そんなものはない、と思うだろうか。しかし理詰めで考えればそうるのだから仕方がない。事実は小説よりも奇なりと言う。彼がアナスタシアに執着する理由はもはやそれくらいしか思いつかないのだ。

 

 そう考えると少し楽になった。

 原因があるのならそれを解決すればいいだけだ。

 

「問題は、解答がどこにもないことだけど……」

 

 どうしたものか。

 回る椅子の上で悩み、すぐに立ち上がった。

 

 少なくとも、こうして天井を見つめているだけでは進展も何もあったものではないだろう。彼と直接話さなければ。

 

 今でもアナスタシアと話を続けているのだろうか。そんな思考に思わず足を止めてしまいそうになったが、振り払って部屋を出る。ただの妄想にかかずらってはいられない。

 そんなものに足を取られていては、本当に手が届かなくなってしまう。

 

 

 空っぽの部屋。

 壁掛けの時計が時を刻む。

 

 チクタク、チクタク。

 

 針は何故動くのだろうか。

 それは停止を目指しているからだ。

 

 時針は遠い遠い先を見据え、分針は机上の理想を追い求め、秒針は刻一刻と迫る運命に押し潰されている。

 

 カタン。

 

 時針が一つ、音を立てた。

 

 

 

 

 彼はベッドに腰かけ、窓から外を見つめていた。

 ミュルジスが部屋に入っても反応はない。

 

「邪魔するわね」

 

 ゆっくり、ゆっくりとこちらを向く。

 ぞっとするほどの無表情がミュルジスを見る。

 

「ジズ?」

 

 温度がまるで感じられない。

 人ではなく彫刻であると言われても納得してしまいそうなほどに、感情の熱を欠いていた。

 

 三次元空間は二次元平面に圧縮され、周期的空気振動は照合された記号に変換される。肌に感じる衣擦れの感覚、開いたドアに押し出された空気の流動、全ての感覚的信号はデータとして脳内に雪崩れ込む。

 

 バチっと頭が揺れる。

 許容限界を超過していた。

 

 ベッドに倒れ込む彼を見ていることしか出来なかった。

 無機質なままに拒絶されてしまいそうで、その冷ややかな目には家族のラベルがまるで意味を成していないようで、ミュルジスは手を伸ばすことが出来なかった。

 

「ジズ、よね?」

 

 起き上がってすぐ、彼は首を傾げる。

 何を言っているのか分からないようだった。

 

 強張った表情が徐々に解れていく。安堵に脳を支配される。おかしな挙動をした左腕には気が付かない。庇うように背後へと回されたそれを、見咎めることは出来なかった。

 

「どうしてここに?」

 

 ジズの様子を追及していいものか少し悩む。藪の中まで互いを知ろうとすれば蛇に噛まれるのは当然だが、果たしてそれが藪なのか、ミュルジスには判断が付かなかった。

 

 境界線をはっきりさせて互いの私有地には立ち入らない。それがあるべき人間関係の形で、どれだけ親しかろうと不変の原則だとミュルジスは理解していた。知られたくないものがなかろうと、無遠慮に侵入されるのは不快だろう。

 

「アナスタシアのことで、改めて話がしたかったのよ」

 

「ああ、そうか。そうだよな」

 

 かけてくれ。そう言って彼は椅子を指差した。

 頷いて彼の隣に座り、何か言いたそうな顔を黙殺する。

 

 小さな違和感が頭の中に過った。

 ジズは接触に過剰な反応を示すが、隣に座るくらいで何か言うことはない。それなのに今の反応はどうしたことだろうか。理由は思い当たらない。――思考が行き詰まる。漠然とアナスタシアの顔が浮かぶものの、それにしても妙な反応だった。

 内心首を傾げつつ話を切り出す。

 

「ジズはまだ、アナスタシアに期待してるのかしら」

 

「元に戻ってくれることをって話だよな。……期待してなかったら、あんなことは言わない」

 

 あんなこと。ミュルジスと同じ光景(ハッピーエンド)は望めない、と言っていたことだろう。キッカケを得て鮮明に記憶が蘇る。こびりついた声が耳元で乱反射する。

 未だに胸の奥が疼くようで顔を顰めた。

 

 ――何かが、おかしい?

 

 またもやミュルジスは違和感を覚えた。

 見渡してみるが、特に妙な点は見当たらない。

 

「少し脱線するけど、一ついいかしら?」

 

 頭上にクエスチョンマークを浮かべるジズ。

 やはり妙な感覚が付きまとっている。

 

 どこかわざとらしい、演技のような、匂いがする。

 

「あたしに何か隠してることはない?」

 

 反応は微妙なものだった。アナスタシアなら一切分からない微細な変化が現れているだけで、大きなミスを犯さなかった。話している相手がミュルジスでなければ気付かれなかっただろう。

 

「それはあたしに隠さなくちゃいけないこと? それとも隠したいだけ、なのかしら」

 

「……言わなくていいことだから、言ってないだけだ」

 

 ミュルジスは確信を持った。それがアナスタシアに関係するものだと理解した。冷めない怒りが沸々と湧き上がるようだった。

 また、彼を悩ませているのか。そして、また悩んでいるのか。アナスタシアのみならず、自ら荊棘に向かっていくジズに対してもストレスが溜まる。

 

「聞かせてくれるわよね」

 

「知らなくていい」

 

「判断するのはあなたじゃないのよ、ジズ」

 

 それでも首は横に振られた。

 

「隠し事があるって分かってるのに許せるほど、あたしは寛大でも盲目でもないわ。さっさと言った方がアナスタシアのためになるんじゃないかしら」

 

 ジズの瞳が揺れる。

 彼は唇を小刻みに震わせたあと、顔を逸らした。

 

「元から許すつもりなんてないだろ」

 

 不信感に塗れた言葉だ。

 怒りを抑えているかのような態度だった。

 

 気に食わない。

 

「あたしが、悪者なの?」

 

「別に……そういうわけじゃない」

 

「だったら他に何があるって言うのかしら。無意味な嘘はやめてちょうだい」

 

 弁明しようとしたのだろうか、ミュルジスの目を見つめ返すジズ。しかしそれ以上反抗的な態度をとることはなかった。小さく「ごめん」と謝る声が聞こえた。

 

 納得していないことは明らかだった。

 それなのに、対話を諦めたのだ。

 もはやミュルジスが理解することはないだろう、と匙を投げていた。

 

 どうして許せるだろうか。

 

 思わず掴みかかりそうにさえなってしまった右腕を彷徨わせ、脳と直通になった舌をどうにか押さえつける。そんな謝罪で話は終わらせられないのだと突き返してやりたかった。

 

「あたしと話すのはイヤ?」

 

 隠し切れない怒りが滲む。

 

「君がターシアを見捨てたいってことは充分分かったんだ。だからもういい。何か聞く必要も、言う必要もない」

 

 返ってきた言葉にも、同じ感情が乗っていた。

 

「本気で言ってるのよね」

 

「俺は無意味な嘘なんてつかない」

 

 ああ、そうか。

 ミュルジスは理解した。

 

 ——乾いた音が響く。

 

 手のひらがジンジンと痛んでいる。

 しかし、そんな痛みなど気にならなかった。

 一番大事なくせに姿を見せてくれない胸元の不定形が、それよりずっと痛み、歪んでいるからだ。

 

「勝手に話を終わらせないで」

 

「話だって? 理解する気もない人に長々と説明したって、そんなものは会話じゃない」

 

「理解する気がないのはジズの方じゃないかしら。たとえば、あたしがいつアナスタシアを見捨てたいなんて言ったの? 勝手な被害妄想で決めつけて物を言うだけなんて、それこそ会話じゃないわ」

 

「どうやって、いや、どれだけ美化すれば『勝手な被害妄想』なんて言葉が出てくるのか分からないな」

 

 視線がぶつかり合う。

 

 アナスタシアを切り捨てるのは、彼女が有害だからだ。生体課にとって、ミュルジスにとって、ジズにとって、悪影響でしかない。進んで誰かを開拓地送りにするほど人情を捨てたわけではないし、判断を急いた覚えもない。

 

「あれだけ近くに居たのに分からないの? アナスタシアの姿勢は切り捨てられて当然だったでしょう?」

 

「ターシアは自分からあんな態度を取っていたわけじゃない。ミュルジスだって不自然に思ってただろ。その理由くらい理解してから――」

 

「理由を説明するために充分なチャンスは用意したつもりよ。少なくとも本人が言わないことには論外だと思うわ」

 

「だから、ターシアはそんな精神状態じゃないんだ!」

 

「不調を自己申告も出来ない人に生態課の業務を熟せるとは思えないけど、ジズはどう思うのかしら?」

 

「それは……それにしたって、解雇するのはやり過ぎだ」

 

「1週間経って何の改善も見られないからそう判断したのよ。悪影響をばらまいて最低限の責任も果たさない、それなのに改善の見通しも立ってない。どう、充分でしょ?」

 

 元から分かっていたことだ。

 アナスタシアは命をベットしているのに、ミュルジスは正しさしか持っていない。言い換えれば、正しさは間違えようもなくミュルジスにある。

 

「あたしには責任があるのよ。生態課の主任として、あなたのパートナーとして、そしてアナスタシアの上司として。正しいことを言わなきゃいけないの」

 

 ジズはミュルジスに理解を、延いては協力を求めている。ミュルジスは自身の意見を固持し協力を拒んでいる。

 

「それに、あたしが手を貸すのはそうしたいと思った時だけ。都合のいい存在になるつもりはないわ」

 

 恋は盲目と言うが、仮にそうだとするなら、ミュルジスが抱える思いは恋などではない。

 愛は惜しみなく与うと言うが、仮にそうだとするなら、ミュルジスが抱える思いは愛などではない。

 

 返されることを期待しているし、帰らないと知って待っているほど健気ではない。

 無条件の好意など物語の中だけで十分だ。

 

 故にこそハッキリと拒絶する。

 

 ミュルジスはジズの言い分を理解した上で強硬な態度を取っている。ようやくその事実を受け止められたのだろう、苦々しい顔ながらも彼は口を閉じて黙っていた。

 

「さぁ、話を戻しましょ」

 

 アナスタシアのことはすでに結論が出ている。

 これだけ言ったならこちらに鬱陶しい期待をかけることはもうないだろう。

 

「あたしに何を隠して――」

 

 そうして口を開いたところで、部屋が突然揺れた。

 移動都市全体の震動だろうか。

 

 直近で天災の情報はなく、トリマウンツはもう暫くの停泊が決まっていたはずだ。

 本社の方で何かが起きているのか。それとも研究園の中で何かが起きたのか。まさかとは思うが、どこかの過激集団がテロリズムでも起こしたのかもしれない。

 

「これは……っ!」

 

「ちょっと、ジズ!?」

 

 弾かれたように立ち上がった彼の手を掴む。まだ話が終わっていないのに、そのままの勢いで飛び出して行ってしまいそうだったからだ。

 

「ターシアが発作を起こしてる! 今の揺れは暴発したアーツの衝撃だったんだ!」

 

 何故、それが分かったのか。心中で言葉にしてみたが、そもそも一考の余地すらなく実現不可能だ。それならどうして、と追っていけば答えになりそうなものは一つ。

 ただの出まかせなのだろう。考えたくはなかったが、確度の高い回答はそれしかない。自分にとって都合の悪い結論を、或いは行き詰った現実への憤りを、どうにか誤魔化そうとしている。

 

 幼稚な言い訳に怒りを通り越して呆れが芽生えた。

 

「言ってることの意味が分からないわ」

 

「いいからミュルジスも来てくれ!」

 

「まだ話が終わってないわよ」

 

「そんなことは後にしてくれないか!」

 

 そんなこと。

 

「あたしを馬鹿にするのもそれくらいにして欲しいんだけど、そんなあたしの怒りだって些事なのよね、きっと」

 

「うるさいな、人の命が掛かってるって分からないのか!?」

 

 うるさい。

 

「そう言われて誰が従うのかしら?」

 

「なんっ……いや、はぁ……分かった。分かったから、放してくれ。別に全部信じてもらえると思ってたわけじゃない。全部否定されるとは思ってなかったけどな」

 

 ミュルジスは彼の言葉を鼻で笑った。荒唐無稽な内容を伝えられた時、それをほんの僅かでも信じるような馬鹿だと思われていたらしい。

 

「放せって言ったのが聞こえないのか、ミュルジス」

 

「誰が従うのかって質問には答えてくれないのかしら?」

 

 飄々としたミュルジスの揶揄に一瞬だけ毒気を抜かれたような顔をして、しかしすぐに我を取り戻す。垣間見えたその表情にミュルジスの感情が少し落ち着いた。肺いっぱいに充満していた黒い靄が消えた。

 ただ言い合っているだけが喧嘩ではない。彼が暴走しているなら諭してやるべきだ。そんな文句が頭の中を過り、喉元まで押し上がっていた意地の悪い言葉を飲み込んだ。

 

「座って、ジズ」

 

「何を、や、やめ……」

 

「ほら、意地を張ったってしょうがないわよ」

 

 掴んだ腕を伝って手繰り寄せていくと、何故か彼が焦り始めた。

 何があるというのか――その思考より先に柔らかい感触が指先を包む。

 

「……っ!」

 

 じわりと湿っぽい何か。それが服の下からミュルジスの指に伝わっているらしい。端正な顔を歪め、逃れようと腕を捻らせるものだから、少し強く掴んで、握って、そして。

 

 

「――え?」

 

 

 べっとりと滲む真っ赤な染みに言葉を失った。

 

「これ、血、なんで」

 

 失速した思考ではその現実を受け止められない。思わず掴んでいた手を放してしまい、ジズはその腕を庇うような素振りを見せたが、ミュルジスは指に付着した赤い液体を見つめていることしか出来なかった。

 

「……上手くいかない、な」

 

 茫然自失のミュルジスを置き去りにして、ジズは部屋を出る。

 頭の奥に映し出された2つ目の視界では未だ苦しんでいるアナスタシアの姿が視えていた。

 

 いくつかの生育設備は中に保管されていた存在ごと暴走したらしきアーツによって破壊されている。これ以上アナスタシアの大事なものが鉱石病に壊されるのは見ていられない。

 

 

 駆け出した彼に少し遅れて、ミュルジスもまた部屋を出る。

 その顔に浮かんでいるのは困惑か、焦燥か、はたまた怒りか。

 ただ一つだけ言えることがあるとすれば、その傷と彼の隠し事とを紐付けられないほど、ミュルジスは愚かではなかったということだろうか。

 

 

 誰かが我慢すればそれだけで良かったのだ。

 

 アナスタシアなら、平穏を。

 ジズなら、元通りのアナスタシアを。

 ミュルジスなら、大切な唯一を。

 

 それが出来なかったから、そして誰も諦められないままにここまで来てしまったものだから、もはや一つの解決だけでは足りない。すべてを救うことなど出来やしない。

 

 さあ、奇跡を起こそう。

 そこがスタートラインなのだから。

 

 

 




 
お久しぶりです。絶賛忙殺され中です。
具体的に言うとスケジュール帳から休日が消えました。

第二部も終盤ですので質を落としたくありません。
そこまで加速できていない現状を打開するため、プロット破壊も視野に入れつつ楽しく書きます。気長に待っていてください。

評価、感想、よろしくお願いします。

それではまたいつかの土曜に。
 
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