ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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第一部 吊天秤
来たる未来のために


 

 

 

 

 ゴウン、ゴウンと金属の羽が回る。

 

 人というものは多かれ少なかれ傲慢だ。

 自分の経験と他人を照らし合わせ内心を推し量る。規範に従えない人間を蔑視しては「社会の害悪」とさえ謗る。成功した者を羨んでは責任の所在を運に押し付ける。

 

 外から赤が侵入していた。

 

 勿論それは当然の反応だ。目には一人分の視界しか映らないし、他人の考えを読める人間は——奇術師を除いて——存在しない。

 しかしながらそれを言い訳にするようではお話にならない。ただ生きるのなら兎も角として、周りの人間とよりよい関係を目指すのなら、他人に目を向けてみるべきだ。

 

 差し込む光は冷ややかなほど白い。

 

 背中に目がついているバケモノは居ないが、顔に目がついていない人だって珍しいに違いない。それならどうしてその優秀な端末を鏡にしか向けられないんだ?

 敢えて言ってのけるとしたら、利己主義的であることは悪だと断じよう。そうだ、前世の俺は確かに「社会の害悪」だったさ。

 

 気が狂いそうだ。

 

 同じ過ちを繰り返したくない。

 たとえこの思いが高慢ちきで鼻につくと言われたって、それに甘んじるつもりだ。全てがそう簡単に上手くいくとは思って居ない。

 だからと言って、黙ってられないだろう。

 

「なあ、助けてくれよ……」

 

 心を焼かれた俺が、彼女の中にある、ある種の隔絶された神聖さを利用して自己満足に浸る。

 彼女の行動がエルフという種全体に抗うものなのか、それとも彼女の利己であるかは分からない。それを決めつけることこそ許されないだろう。

 

 差し伸べられた手を掴めなかった。

 それは鏡の向こうから伸びていたんだ。

 

 利己という点において、彼女と俺が同一だと言う気はさらさらない。言いたくないだけだと論うのはよしてくれ、そんな極論に付き合うつもりもない。

 ああ、ただ、彼女と同じだと言えそうなことを、少し前に見つけたんだ。

 

 救いの手が、他の何よりも残酷で、決して乗り越えられない壁の向こうから伸びていたこと。

 

 その一点だけは、きっと。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 雨上がりの夜空を眺めている。

 源石の粉塵は花粉と同じようなもので、雨は大気中のそれらを地面へと叩きつけ、そのおかげでしばらくは無事が保証されている。

 

 冷えた空気が体を侵食している中に、不思議な心地よさを感じた。風邪の時に感じる心臓まで冷えそうな悪寒とは全く違った感覚だった。

 

 商業区が光を独占しているようで、ここら一帯は夜の帳に分厚く覆われている。偽物の星が高度六千メートルから輝いていた。

 

 よっこらせ、と五分前に腰を下ろした東屋のベンチは、なかなかどうして座り心地がいい。

 木製のこのベンチはフューチャリズムだのクラシシズムだのといったデザイン性をかなぐり捨てて実用性に特化したらしい。恐らく設計者にデザイナーの才能はない。代わりにあるのは恐ろしいまでの人体工学系知識だろう。

 

 そう益体もないことを考えていたら、隣からしみじみとした声が聞こえてきた。

 

「こうして何もせずぼうっと眺めていると老人になったみたいね」

 

「へえ、それはいいな。その調子で百年先の発明品を思いついてくれ」

 

「ん〜……あっ、思いついたわ。設備が整うまで百年かかりそうな具合の発明品をね」

 

 上手いこと返されてしまった。

 

 会話が途切れて、またしばらくの沈黙が訪れた。どうやら沈黙とは子供のように忙しないやつらしい。訪れたり帰ったりと、どうにも行いが軽くて無責任だ。

 思考が枝葉のように分かれては性懲りもなく停滞する。これで居心地が良いと感じているのだから、俺に付き合わされているミュルジスは迷惑千万といった具合だろう。

 

「はぁ、トリマウンツに来てからどれだけ経ったのかしらね。昔はもっと自然に溢れていたと思うんだけど……」

 

 田園を眺めながらそう言った。

 

 運用効率とは桁違いに向上した運用上限エネルギー量。生産されるエネルギーの絶対量はイノベーションから置いてけぼりにされ、トリマウンツの工業区や商業区はベンチャー企業や新たな研究所で溢れかえった。

 結果として生まれたのは、農業区ギリギリまで建てられたビルや工場の街並みだ。消費する食糧の過半数を外部からの輸入に頼るこの船は、正に先進都市を象徴している。

 

「トリマウンツに来てから15年、生態研究園が出来てからは8年か9年……経ったはずだ」

 

「よく覚えてるわね」

 

「ああ、まあ」

 

 原作の流れに乗せることを思いついてから今まで、気晴らしの最中にもその考えが頭に居座っていた。

 

 俺たちがトリマウンツを訪れたのは1076年。

 サリアとクリステンの二人によってライン生命が設立されたのは1083年。今は1092年で、原作まで7年残されている。

 翠玉の夢から4年前にサリアが辞職を叩きつけたらしく、つまり炎魔事件は1095年以前。ローキャン水槽もまだ手遅れになっていないかもしれないが、少なくともそちらに干渉することは出来ない。諦めるしかないだろう。

 

 情報整理を怠るわけにはいかない。好都合にも前世の記憶がまだ残っているんだから、それを利用しない手はないだろう。

 ちなみに派生の漫画作品は存在こそ知っているが、生憎と読んでいない。カードは翠玉の夢と孤星だけだ。

 

「なあ、ミュルジス。生態研究園の植物は何種類くらいになったんだ?」

 

「今は490種よ。それがどうしたの?」

 

 そんなものか。

 原作では753種だったな。

 

「研究園の開設当初は百にも満たなかった。減ることがあればそうやって増えることもあるだろ」

 

 科学の発達は多くの問題を引き起こすだろう。だがそれは必ずしも解決できない難題であるとは限らないし、更に進展した科学が全ての障害を除去できるかもしれない。

 

 だから、とにかく。

 

「トリマウンツが俺たちを追放するようなことにはならないって、そう言いたかっただけだ」

 

 エルフの未来は果たしてトリマウンツに存在するのか。賽の目がどう出るにしろ、きっとそう悪いものではないと信じたい。

 少なくとも七年後の今頃までは健康体のようだったから、これは気休めなんかじゃない。

 

 ロドス加入まで出来る限りミュルジスの憂いや障害を取り除いてやりたい。俺にできるたった一つの恩返しだ。

 

「なによ、気取っちゃって。ジズらしくないわね」

 

 宵が深まってよく見えない。

 俺の見間違いでなければ、ミュルジスはさっぱりした顔で笑っていた。俺の期待を暗がりに描いただけの虚像だったかもしれないが、それでも安心した。

 

 冷えた夜の空気を伝播する声。

 行方を追えば、再び商業区が目に入る。

 

 はぁ、とため息が再び空を舞った。

 

「トリマウンツに来て良かったと思うことって、とっても沢山あるのよ。ライン生命はその代表だけど、それ以外の理由だって数えきれないくらいに沢山あって……」

 

 ふふ、と笑い声が漏れる。

 

「でも、トリマウンツじゃなくても良かったって思える理由が一つ増えちゃったわ。本当に残酷よね、そう思わない?」

 

 ミュルジスの言葉がよく分からなかった。

 俺らしくない気取った言い方が前の恋人でも思い出させてしまったのかもしれない。

 

「ミュルジスがどう思ってるのかは分からないけど、俺はミュルジスについてきて良かった、と思う。トレントンを離れてから後悔したことは一度もない」

 

 それは嘘だった。

 後悔に何度苛まれたことか。

 数えることすら億劫になるほどだ。

 

 しかし、それ以外を選んでいたなら、もっと苦しい道だった。ミュルジスのことで思い悩む今は、それを気にすることができるほど余裕があることを意味している。

 なにせ病魔が手を休めるまで、看病してくれる少女がミュルジスだと分からなかったくらいだ。更に言えばチートのことを思い出したのはそれから随分と後のことだ。

 

 俺の安寧はミュルジスがいてくれたからこその賜物だ。それを後悔していい道理はない。

 俺の高望みをよりにもよって恩人に対して口走ることは許されない。

 

 ミュルジスは何かを察したような顔で、俯いて、ため息をついて、小さく笑って、ベンチの背もたれに体重をかけた。

 

「ジズってほんと〜に変わらないわよね」

 

 言葉を飲み下したことは分かった。だが何を封じ込めたのかは分からなかった。額面上の言葉でさえどんな意味か分からないのだから当然か。

 

「変わった方がいい、のか?」

 

「それを決めるのはあなたよ、ジズ。あたしを過度に尊重する必要はないの、あなたの人生を生きたらいいわ」

 

「……それで、もし俺がミュルジスのために生きたいと言ったら、そう決めたなら、どう思う?」

 

「気になるなら試してみるのはどうかしら」

 

 ふいに糸が張ったような心地を覚えた。

 ミュルジスがじっと俺を見ていた。

 

 黄金(こがね)色の目は光っていた。まるで鋭利な刃物のように、白く煌びやかな光を映していた。

 それは盲目とそう変わらない視野しか持たない俺が見た幻だったのかもしれない。夜の闇が巧妙に彼女の意図を隠しているということ、それだけが瞭然としていた。

 

「ジズ。あたしはあなたの命を握っているけど、それを質にするつもりはないのよ」

 

 チリチリと感じるのは熱だろう。

 宵闇のベールを焦がすような、抑圧を押し返して余りあるほどの感情が熱を纏っては暴れていた。

 

「テラはどこまでも広い。学校すら行けなかったあなたにこれを言うのは憚られるけど、ジズが思ってるよりずっと広くて多様なの」

 

「それくらい分かってる」

 

「分かってるはずがないでしょ、ジズ。あなたの交友はあたし一人に限られているのよ。トレントンやトリマウンツのことすら十分に知らないジズは、絶対に分かってないわ」

 

 ヒリつくような感覚が高まっている。俺はとうとう何も言えないまま口を閉じていた。

 反論したい気持ちがぐっと高まっている。ミュルジスの熱に抑えつけられた反抗心のような思いが芽を出している。

 

 それでも口を閉じていられたのは、ミュルジスの目が相変わらず真摯だったからだろう。

 

「ジズ。仕方ないことだったとしても、狭い頭の中で自分の人生を限定するなんて許されない。……いいえ、あたしが許さない。これはあたしの我儘よ」

 

 はっとした。熱の正体は怒りと程遠いものだった。『我儘』と言われてようやく気付いたんだ。ミュルジスの言葉はきっと嘆願だった。

 

 俺はミュルジスに怒られているものだと思っていた。だから反発して言い訳しようとしていた。

 

「いや、でも、俺は……」

 

 縹渺(ひょうびょう)ながらに勢いを増して、ミュルジスの熱は言葉を伝う。

 

 困惑と動揺、次いで失望に似た何かを感じていた。

 失望ではなく絶望なのかもしれない。ミュルジスが俺に小さくない感情を向けていると分かって、それが間違いなく俺を気遣ったせいだと分かって、胸の中が掻き混ぜられているようだった。

 遥か遠くの目標を実感して、足元が崩れ落ちるような心地と言えば分かりやすいだろうか。

 

 当然の反応であることは認めよう。

 

 籠の中で育った俺は、ミュルジスより他に交流がある人はそう多くない。限りなく少ないと言ってもいい。

 だから調子に乗ってミュルジスのためだなんだと息巻いている俺を、彼女は窘めるべきなのだろう。

 

 問題なのは、何もしていない、する能力すらないような俺に、淡い熱すら感じさせるような激情を向けていることだ。俺が加害者で、ミュルジスは被害者であるべきで、その慈愛を享受するなんてそれこそ許されない。

 

「俺は、だって」

 

 言葉がふらふらと泳いでいる。

 ミュルジスが投げかけるような堅く強い言葉はどこを探しても見つからない。

 

「俺には……」

 

 それを見かねてか、ミュルジスは一つの妥協案を提案した。

 

「明日からライン生命を見て回るのはどうかしら。最近ようやく社内の粉塵濃度が規定値を下回ったから、ジズが出歩いても問題はないはずよ」

 

「許されるなら、そうしたい」

 

「やりたくて軟禁してるわけじゃないもの。ジズにはもっと色々なものを見て、経験して、主観を作ってほしい。ずっとそう思ってたんだから」

 

 社内で動き回ることが可能になる。それは原作介入に向けての大きな一歩となるだろう。

 少しずつ、俺が本来の物語に戻すことを思いついたあの時から少しずつ、動いているような気がする。着実な進歩を重ねているような気がしてむず痒くなる。

 

 

 必ず、原作まで辿り着かせてみせる。

 俺がミュルジスにプレゼントできる幸せはそれくらいしかないから。

 

 

 ミュルジスに感じていた僅かな失望も忘れて覚悟を深めていると、ミュルジスはどこか言いにくそうに口を開いた。

 

「許さないなんて言ったけど、ジズの気持ちを否定するつもりはないのよ。献身は美徳だもの。それに……」

 

 珍しくミュルジスが言い淀む。

 

「それに、その、ええっと……あたしのために生きたいって思ってもらえて、あたしは嬉しかったから。受け入れられないことが残念なくらい、なのよ?」

 

 照れた様子でそう言った。

 

 ああ、嫌だ。ミュルジスの好意が思考の只中に突き刺さる。傷つけられた所からは甘い蜜が垂れて、俺の目を奪う。

 ミュルジスの好意を受け入れてしまいそうになる俺の弱さをどうか許してほしい。

 火傷しそうなほどに熱くて、その熱さが堪らなく心地よくて。嬉しくなってしまう自分が嫌いで仕方なかった。

 

「方便じゃなくて、本当に嬉しいと思ってるわ。だからそう顔を曇らせることもないのよ、ジズ。ねえ、ちょっと、顔を上げて。お願いよ。傷つけるつもりはなかったの」

 

「全部、分かってる。分かってるから。ミュルジスのせいじゃない。別で泣きたくなるようなことがあっただけなんだ」

 

 ぐるぐると胸の中が渦を巻いていて、悲しいのか嬉しいのかすらハッキリとわからないままに、涙が流れ出した。迷惑だと理解しているのに止まってくれなかった。

 雑多に掻き混ぜられた頭の中、ただ一つ分かることは、俺が悪くて、ミュルジスは悪くないってことだ。それだけは確かなことなんだ。

 

「ジズ。ねえ、ジズ。お願い。どうして泣いてるのかあたしに教えて。明日が不安になったの? それとも、あたしのことが信じられない?」

 

 情けなくて嗚咽さえ出そうだった。

 俺は「なんでもない」と言い張って何も言わなかった。ミュルジスから受け取る好意が嫌だと言えば、それこそ語弊を生む。

 そして転生やらチートやらを説明するのは随分と今更だ。

 

 ……下手な誤魔化しはやめよう。

 嫌われたくなかったんだ。庇護されていたかったんだ。ミュルジスの前では、生まれつき感染者で学もない可哀想な同族でありたかった。

 

 惨めを通り越して滑稽だ。笑えてくる。

 好かれたくないと言っておきながら、ずっと俺はミュルジスに好かれたいと願っている。

 

「あたしは、力になれないのかしら」

 

 お願いだ。やめてくれ。

 これ以上俺を最悪な気持ちにさせないでくれ。

 

 そんな思いを一瞬でも抱えた自分のことが本当に嫌いで、嫌で仕方なくって、変わりたいのに変われない性根が憎かった。

 

 情緒不安定にも程がある。

 こんなの子供以下じゃないか。

 

 

 色々な感情が、混ざって、弾けて、もうあとには戻らなかった。

 

 

 まるで、前にしか進まないトリマウンツのように。

 

 

 




 
プロットを詰めていたら少し遅れました。
不定期で土曜日の朝六時に投稿します。

評価、感想、よろしくお願いします。
 
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