ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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名称:ヒマワリ【向日葵】
綱目:キク科ヒマワリ属
花言葉:「太陽」「情熱」「願望」
 


向日葵の痩果

 

 

 私はどこへ向かえばいいのだろう。

 

 ぼんやりとした頭の中がすうっと冷えていく。

 気が付けばアナスタシアは一人で街を歩いていた。

 

 何をしていたか、何がしたかったのか、思い出せない。

 意識は未だ夢の中にいるように希薄だった。

 

 煉瓦造りの建造物を見上げ、特段目的もなくドアベルを鳴らした。温かな空気に包まれ、ハッとして振り返ると、つい先ほどまで歩いていた道に雪が積もっている。まるで真っ白な海のようだ。

 

 悴んだ指を擦りあわせなくなったのはいつからだろう。ポケットに両手を突っ込んで、スンスンと雪の匂いを嗅ぐ。そんな癖、子供の頃にはなかったのに。

 

 

 一階は化粧品売り場だ。

 メイクセットに高い値段がつけられているのを冷ややかな目で眺める。身嗜みに必要以上の予算を割くなど愚かしいことだ。重要なのは何を成したか、だろう。

 

 靴音が小さく響いていく。

 

 階段を探しながら陳列棚に目を滑らせていると、隅の方に異質な何かが置かれていた。それは桃色の液体が入ったビンだった。ラベルはなく、何のために使うのか予想がつかない。

 手に取って眺める。色々な角度から眺めてみると、おかしな重心をしていることに気が付いた。何か重いものがビンの中を揺蕩っているらしい。

 

 分厚いガラス――ソーダ石灰ガラスと言うのだったか――越しにあれこれ回したりビンを変えてみたりしていると、ついに白い何かの存在を確認することが出来た。

 

 それは手のひらより小さく、ハリがあって、あの日、アーツロッドから噴き出した炎のように奇麗な赤色の瞳があり、その眼球は真っ直ぐにアナスタシアと目を合わせていた。

 堪らずビンを棚に戻す。ピンク色の液体が蓋の隙間からドロドロと漏れ出した。それはあの日に作ったスムージーだろうと直観的に理解した。

 

 僅かに付着した悍ましい液体をアーツで吹き飛ばす。

 汚らしい、気色が悪い。足早にその場を離れると、階段はいつの間にか目の前にあった。

 

 

 二階。雑貨店に足が向いた。

 アナスタシアが初めに物色するのは文房具。仕事柄スケッチをよく書くのだが、彼女は鉛筆を好んで使っている。アーツと相性がいいからだ。

 目新しいものが置かれていないか確認した後、ストックの状況と照らし合わせて補充するか検討する。それは雑貨屋に立ち寄った際の習慣だった。

 商品に新鮮さはない。ストックはよく思い出せないが十分だったように思う。消しゴムなども同様だ。屈んでいた体勢を元に戻す。

 

 視線が合う。棚の上には愛用しているボールペンが飾られていた。

 4回目のフィールドワークで主任から貰い受けたものだった。シャープなデザインと満足できる機能性に、加えて頑丈ときた。アナスタシアがそれを愛用するようになったのは自然な流れだった。

 覚えのある手触りが安心させてくれる。インクの匂いに包まれたような気さえした。懐かしい思い出だ。

 

 購買意欲はあった。

 しかし、何故だかその気になれなかった。

 

 文房具の一角から離れたアナスタシアは収納グッズなどのコーナーを素通りし、日用品の大半がそれに倣った。そんな中で、次に足を止めたのは、とある食器の前だった。

 カモミール――加密列(カミツレ)が描かれた素朴なマグカップ。それを見たのは、そうだ。彼に招かれたときのことだ。思い出の品らしく、食器棚の中に眠っていた。

 白い舌状花、黄色の筒状花。頭状花序(とうじょうかじょ)はキク科の特徴と言っていいが、何度眺めても飽きさせない魅力がある。

 あの向日葵なども実際は花の塊なのだが、あまり知られているとは言えない。

 

 それが著しくデフォルメされていることに多少複雑な気分だったが、デザイン自体は気に入っていた。手に入れたなら主任や彼と繋がりが出来るような気がして、心惹かれる。

 

 手を伸ばして、また引っ込めた。

 今度はアナスタシア自身の意思で諦めていた。

 

 敬愛する主任。

 親愛なる彼。

 

 殻に閉じこもって駄々をこねていたアナスタシアが繋がりを求めるなど馬鹿らしい。その資格は随分と前に放棄してしまったのだから、望むことすら罪深い。

 

 逃げるように雑貨屋を出ると、向かいの扉が開く。

 誰もいないエレベーターがアナスタシアを待っていた。

 

 

 三階、服飾店。

 普段なら食指が動くことはない。

 

 鉄の箱を降りるとすぐに扉が閉まってしまった。

 昇降ボタンを押しても帰ってこないだろう、となんとなく理解していた。

 

 アナスタシアは気分が乗らないながらも物色を始める。

 探しているのは、頭の中に空いた穴を埋める何か。このウルサス帝国にはあるはずがない記憶、――或いは思い出、――或いは感情。

 

 そこにあるのは恐れだ。

 

 殺してしまったことによる激しい忌避感、グロテスクな死体への嫌悪感、それをたった少しの労力で達成してしまえるという恐怖。

 

 不信感ばかりを煽られる人生の最中、もう一度信じてもいい人に出会えた心地良さ。己を理解してもらえる環境。それらを失うことへの恐怖。

 

 アナスタシアは恐れている。そして、その感情が本物にしろ偽物にしろ、それを判断することすら嫌になってしまったのだ。疲れてしまったと言い換えてもいい。

 何度エレベーターに乗り込んだとしても、それが下に動くことはないだろう。

 

 彼女はそれを選ばない。

 向き合うことなど出来ない。

 

 だから、これで良かったのだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 アークナイツというゲーム内において、プレイアブルキャラクター及び敵ユニットが扱うアーツは、そのほとんどが一種類のみだ。

 

 

 たとえば炎のアーツを使う悪魔(サルカズ)の少女。たとえばヒーリングアーツを使う(コータス)の青年。氷のアーツを使う(ウルサス)の少女。

 

 モチーフやキャラの役割がデザインされている以上、そういった一点への特化は必須項目にあるだろう。しかしながらアーツとは学問だ。

 

 

 アーツ学の教育に優れたリターニアなどの国家では、ただの一労働者でさえ指先に炎を灯すことが出来る。

 

 術師と呼ばれるほどに習熟した使い手には及ばずとも、平均ほどの素養さえあれば炎のアーツを扱うことは誰にでも可能なのだ。

 

 

 何が言いたいかと言うと、それは。

 

 

 

「ああ、あ、あああああっ——!!!」

 

 

 

 旋風が刃となって壁と植木鉢を切り裂く。警備課職員の1人が持っていた防護盾は弾き飛ばされた。大きく姿勢を崩したが、分厚い装備がある限り、風の刃に両断されるようなことはないだろう。

 

 しかし、その安全はアナスタシアのアーツが一種類だけだった場合にのみ成立する。

 唸りを上げていた風が止むと、異音があたりに弾け、次の瞬間、炎の海に包まれる。盾を失った職員は間一髪で護られたようだ。強固な連携は流石サリアの部下といったところか。

 

 

 第2の視界で視ている限り、アナスタシアは風、炎、氷、水と4種類ものアーツを使っている。それらは風から水の順に威力や規模が落ちていくのだが、脅威度とイコールでは結べない。

 

 手で掬った程度の水しか生み出されずとも、氷と組み合わせられてしまえば最悪だ。材料である水分子も炎のアーツを使えばすぐに補充出来るため、無限とは言えないものの、弾切れを狙えない。

 

 平均的な才能があればマッチは要らない。

 並外れた才能は火炎放射器すら必要としない。

 

 同時に多種類のアーツを使っていないこと、電気や時間、金属などの対処が難しいアーツを使っていないこと、そしてアナスタシアを中心にアーツが発生すること。そのうち一つでも抜けていれば容易に戦線は瓦解していただろう。

 

 

 と言っても――。

 

 

 警備課の職員は生態研究園内部の詰所に控えていた5人しかいない。

 

 そのうち1人が早々に盾を失い、1人が最初の爆発に吹き飛ばされて負傷、残る3人のうち2人は手足が一部凍りついている。このままでは敗色濃厚だ。

 それだけなら別にどうってことないが、本部ビルから応援が辿り着いたとき、アナスタシアの処理が加減されるとは思えない。

 

 鉱石病の発作故にタイムリミットはあるだろうが、積み上げられる被害総額は莫大だろう。恐らくミュルジスでも庇える範囲にない。

 

 

 それに、そのタイムリミットを終えた時、アナスタシアの病状が安定しているとはとてもじゃないが思えない。どこまで石になってしまっているのか予想もつかない。

 

 つまり、アナスタシアを迅速に取り抑える必要があるわけだ。

 

 

 俺に何とか出来るとは思えない。

 仮に一対一だったなら、無限の命を持っていても勝てる気がしない。無力化など夢のまた夢だ。

 

 

 

 それでも、この()があれば。

 

 

 

 思い出すのは少し前のこと。

 俺は小さな杖を手に目を瞑っていた。

 

「ジズ、まだ試してるの?」

 

「手応えはあるんだ。もう少しだと思う」

 

 アーツユニットに組み込まれた源石が応えてくれている。それが感じられるのに、何故だか小指の爪ほどの火すら灯せない。

 

「素質がない人はとことん出来ないものよ。ここまでの人は流石に覚えがないけど……まあ、残念だって諦めるしかないわ」

 

「そうかもしれないな」

 

 意識を集中させる。もう一度、起動までのプロセスをなぞる。アーツユニットとの接続は良好だ。あとは大気中の圧力が変化して熱運動の加速に伴い大気中で酸化反応が起こればそれで成功になる。

 

 前世では存在しなかった感覚を手繰り寄せているのだから、これで間違いない。それなのに、それなのに、目の前には何も変わらない光景が広がっている。

 どこか、致命的な何かを違えているかのように感じられた。言葉にするのは難しいが、たとえば、二つ置いてあるテレビのリモコンを、もう片方と間違えているとは知らず、暗い画面に向けて何度もボタンを押しているかのような感覚だ。すぐ横に鮮やかな画面を映しているテレビがあるのに、俺の視界は真っ黒の液晶しか見ていない。

 

「ねえ、ジズ。ねえったら。……アーツなんて使えなくてもいいじゃない。困ることなんてないわよ~?」

 

 エルフの力があるからミュルジスはそう言えるんだ。水分子をロクに扱えなかった――バケツの水が部屋中に飛び散って頭からずぶ濡れになった――俺にはもうアーツしか残されていない。

 

 まあ、実を言うとそこまでの必要性はない。孤星で研究園が戦場になることはなかったし、ミュルジスの戦闘に俺が関わるとも思えない。原作の流れを目指す以上、最良の流れでは、俺は何もしなくていい。

 ただ、原作通りになるか怪しいというのが正直なところだ。ミュルジスの孤星で担う役割がドクターのナビゲーターである以上、些細なズレが致命的になりえるのだ。油断はできない。よって転ばぬ先の杖が必要だ。

 

「ほら、映画鑑賞なんてどうかしら。気になってた新作がいくつか配信されてるし、見る準備だって万端よ」

 

 うんともすんとも言わないアーツユニット。

 仕方なく明日以降に試してみようと思いなおし、俺はミュルジスの隣に腰を下ろした。

 

 握っていた右手には妙な感覚が残っていた。

 

 

 

 妙な感覚を巡らせる。

 右手から流れ始めたそれを、束ね、練り上げながら、胸のあたりを通って左腕の傷口に集める。

 

 角を曲がり、扉の電子端末にIDカードを押し当てる。ドーム状の部屋の中にアナスタシアの姿が見えた。蹲り、床に手を付き、言葉にならない悲鳴を上げている。

 近くには散乱した設備の残骸、散り散りになった彼女たち。もうこれ以上の犠牲は出したくない。

 

 警備課の職員——ジャックが俺を見つけた。

 

「ジズ! テメェは主任と一緒に引っ込んでろ! 今は話し相手になってやる暇もねェんだよ!」

 

「これ以上暴れられるのは都合が悪い。だから、加勢しに来たんだ」

 

「加勢? ンなこと言ったって……」

 

 ジャックは以前からそれなりに親しくしていたエラフィアの男だ。俺が身体能力でミュルジスにすら負けていること知っている彼にとって、俺の言葉は理解出来ないものだろう。

 

 だから、説明はナシだ。

 

 前腕に刻まれた傷跡から飛び散るのは真っ黒な液体。粘性を失った血液——とすら呼べない漆黒だ。恐らく貧血の心配は要らないだろう。

 

「おい、それは大丈夫なのか?」

 

「分からない。けど、やるしかない」

 

 壁にまでへばり付いていた漆黒が手のひらの上に集まってくる。床に固まっていた、そしてパンの袋に染み込んでいた赤いシミからも黒い何かが合流する。

 そうだな、これは端末と呼ぼうか。

 

 端末は俺の思い通りに形を変えた。

 フォーク、ロッド、鉤爪、そしてナイフ。

 

「ターシアはどうすれば落ち着く?」

 

「……鎮静剤、麻酔薬、血液中源石密度低下剤。そのいずれかだ」

 

 言いたいことは山ほどあるんだろう。しかしそれを無視しなければいけないほど、状況が悪い。ジャックの視線が僅かに負傷した職員の方を向く。

 

「効果の差はあるのか?」

 

「麻酔薬は確実だが危険だ。彼女が命を落とす、または障害が残る可能性もある。鎮静剤は効果が弱い。低下剤は効果が出るまで時間がかかる」

 

「実質一択か」

 

 風が止んだのを確認して端末を放る。それはアナスタシアとの間に分厚い壁を展開し、直後の熱風に吹き飛ばされた。飛散する端末をもう一度壁になるよう再編したが、衝撃にはほとんど意味がないらしい。

 継続して使うにしては脆い。しかし炎を妨げるだけならこれ以上なく適している。いつでも助けに入れるよう身構えていたジャックだが、不要だと判断したらしく、俺に真っ直ぐ向き直った。

 

「接近は俺たちに任せて、お前はソイツの操作にだけ集中しろ。不測の事態が起きたなら尻尾巻いて逃げろ。この2つだけは何があろうと徹底だ。いいな?」

 

「いいから早く始めよう」

 

「……本当に分かってんだろうな」

 

 勿論聞き流した。今はアナスタシアを助けることだけに注力すべきだ。ほらジャック、前を向け。

 

「やれやれだ」

 

 だらりと覇気を失い垂らされた腕には警棒が握られている。アナスタシアを見据える目が鋭く光る。そして、深呼吸。

 

「行くぞ——ッ!」

 

 ジャックの合図で、俺は端末に向かって意識を伸ばした。

 肺の中が空になる。頭の中身まで空にする。そして、飛び散らせたまま意図的に残していた端末と頭の中で接続する。その瞬間から恐ろしいほどの情報が怒涛の勢いで押し寄せてくる。

 

 部屋で試していた時とは段違いの情報量。クラクラしそうなほど思考が回っている。その代わり、結ばれた像に死角はない。処理された信号に漏れはない。

 

 信号に従い警告を飛ばす。

 

「風が来る!」

 

 端末が横一線に浮き上がる。

 それをなぞるようにしてアーツが発生し、全て跡形もなく吹き飛ばされる。壁の役割を果たせていない——が、そんなものは最初から狙っていない。

 

「ナイスアシストだ!」

 

 場所が分かっているのなら転がって避けられる、そんな甘い話ではない。人が吹き飛ぶほどの暴風は恐ろしく早い。

 しかし、サリアの部下を舐めてはいけない。本人ほどではないにしても、相応の力を彼らは持っているからこそ、警備課に席を持っているのだ。

 

「炎だ、壁を寄越せ!」

 

 答えられる余裕はない。アナスタシアを包むように、皿のように薄く広がり、炎を受け止める。一層強くなった熱風に煽られて端末が制御から離れた。

 

「ジズ!」

 

 分かってる、分かってるから叫ばないでくれ。そう思いながらもう一度壁を作り上げる。材料になるのは吹き飛ばされていた端末——ではなく、新たに傷口から放出した端末だ。

 俺は馬鹿だが阿保じゃない。アーツを頻発される可能性を考えて第二陣を用意してる。

 

 頭痛が走る。

 身体の端末が不足しているのか、操作の反動か、思考領域のキャパオーバーか。鉱石病の悪化という答えだけはあってほしくないが、まあ、この程度なら大丈夫だ。出血の痛みより慣れてる。問題はない。

 

「水——じゃねェ、風か!」

 

 隙を狙ったわけではないだろうが、アナスタシアのアーツに変化が現れた。恐らくは大気中から取り出した極小量の水をこちらに飛ばし始めたのだ。

 端末で受け止めるが、急激な温度の低下によりすぐ凍りついた。ほんの少し総量を削られた。

 

 じっとりと汗が滲む。

 端末から情報を流し込まれている以上、熱風を喰らう感覚も、凍りつく違和感も、俺自身で受け止めている。人間の脳は知らないものを勝手に照らし合わせてしまうらしく、鮮やかな感覚として伝わってくるため、正直に言えばキツいものがある。

 

「ジャック、復帰する!」

 

「待たせたか?」

 

「無駄口叩くならさっさと来い!」

 

 装備が凍り付いていたうちの一人と、彼の手当てをしていた盾持ちが加勢に来た。どうやら残りの2人は装備が使い物にならなくなったようだ。

 アナスタシアのアーツに生身で特攻するのは無駄に負傷を増やすだけだと判断したらしく、一方が事態の説明を目的にこの場を離れ、残る片方が救急セット片手に俺の近くで待機している。

 俺の負担は増えるだろうが、その代わりにアナスタシアをより早く助けられるだろうと思えば嬉しい話だ。

 

「全員上に避けろ!」

 

 馬鹿みたいな指示だ。しかし、馬鹿みたいなアーツが襲ってきたのだから是非もない。俺の身長ほどもある高さまで端末が幕を作り、数瞬後にはそのほとんどが蹴散らされ、そのまま回避できるわけもなく――

 

「……マジかよ」

 

 思わず情報の波すら忘れて呟いた。

 ジャックたちが着ているのは、俺が持ち上げられないくらいの重量を持った装備だ。その上で、パルクールじみた動きをしながら2メートル弱の高さまで飛び上がった。格闘ゲームの方がまだ現実的に思えるほどの光景だった。

 

 指示、回避。

 指示、回避、防御。

 

 やはり警備課は恐ろしい。対物兵器に頭を撃たれてようやく気絶するような化け物がトップなだけはある。こんなに鍛えて、馬鹿じゃないのか。

 

 もう少しでアナスタシアまで手が届く。端末から受け取った情報を鑑みてもその予想は間違っていない。ジャックたちが懐の鎮静剤をそれぞれ手に持ってにじり寄る。

 

 アナスタシアのアーツには前兆がある。

 風であれば不自然な空気の対流が起こり、炎であれば温度の上昇から燃焼反応まで僅かにタイムラグが発生している。よって、接近したために予測や回避の難易度が上がる、なんてことはない。

 

 チェックメイトだ。

 

「これで……」

 

 ジャックが言葉を漏らす。

 

 

「終わりだ、感染者」 

 

 

 その言葉にどれだけの意味があったのかは分からない。

 ただ単に特徴を代名詞にしただけなのか、それとも差別意識があったのか。

 いずれにしろ、それほど熱がこもっているようには見えなかった。少し骨のある業務をこなして疲れているような、言ってしまえば覇気のない決め台詞だった。

 

 しかし、それは俺から見た時の話だ。

 

 アナスタシアには、何が見えたのだろう。

 そして、何を感じたのだろう。

 

 顔がジャックを向く。

 

「――消えてッ!」

 

 瞬間、アーツ反応で部屋が埋め尽くされる。

 前兆の数が多すぎる。

 

「ぜ、全員身を守れ!」

 

 吃音が生み出した須臾の遅れ。

 それが致命的なミスになる。

 

 ジャックたちは初めて回避以外の指示が出たことに困惑した。その隙は僅かなものだったが、取り返しのつかないほどにまで遅延が拡大する。

 

 俺は部屋を飛び出した。

 そして、息つく間もなく轟音。強く背面から押されて蹈鞴を踏んだ俺の横を、ドアが勢いよく跳ね飛んで行った。留め具が半ばで捩じくれていて、特製だろう分厚い金属板がコメディのように圧し折れていた。焼け跡が節々に残るそれは完全に破壊されている。

 

 恐る恐る振り返ってみれば、呻いているジャックにアーツが迫っていた。

 

 間一髪で端末が間に合う。

 

「ターシア!」

 

 呼びかけるが、答えはない。

 何かを小さく呟いているのが端末を通して分かった。

 

 ブツブツ言うばかりで視線も定まらない。

 俺の近くで待機していた職員は軽傷で済んだらしく、隙を見てジャックを他の二人と同じ場所に避難させていた。他二人の容体は少ししか見えなかったが、どうやら意識はあるようだ。

 

 さて、反応がないのなら、だ。

 先ほど事情説明のために抜けた職員が鎮静剤を残してくれていた。

 鉱石病の俺に処方された薬のいくつかは鎮静剤と同じ注射タイプで、人に打った経験がなくとも勝手は分かっている。

 大人しくしていてくれるのなら問題なく打てるだろう。

 

 ……頭痛が酷い。

 アナスタシアのアーツが齎した情報の濁流にやられたからだろう。端末も焼失したものが多い。早く、アナスタシアを何とかしなければ。

 

「ターシア」

 

 声をかけつつ部屋に入る。散っていた花々はカケラだって残っていない。鉢植えは土だけを床に撒き散らし、焼け跡の上に小さな燃え滓があった。

 自動生育システムが不明なエラーを示して黄色に光っている。

 

 口を開こうとして気が付いた。

 俺は自分が何を言うべきか分かってない。

 重ねて言うなら、今のアナスタシアには言葉が通じないだろう。

 

 だからと言って黙って近づくのも、少し変な感じがする。それなら俺はどうすればいい? 何が正解なんだ? いや、そもそも変な感じって何だ? ……頭がパンクしそうだ。

 話題をくれていたのはいつもアナスタシアで、気を遣うのも、そうだ。人と関わることが苦手な俺の手を取って導いてくれた。こうして考えてみればみるほど手放しがたく感じる。切望を繰り返す。手を伸ばしたくなる。

 

「ターシア、君ならきっと大丈夫だ」

 

 無責任な言葉には違いない。ただ、俺にはどこまでも付き合ってやる覚悟がある。絶対に諦めない。ミュルジスの言葉を押し切ってまでここにいるんだ。軽率に放り投げられるはずがない。

 

 エゴなんだろう。だが、エゴでもいいんだ。自己中心的と言われようが構わない。俺はアナスタシアに生きていてほしい。諦めないでほしい。

 諦めそうなときに引き止めてやるとか、そんな恩着せがましいことは言わない。俺は、アナスタシアの意思を無視して、自分のためだけに、生きていてほしいんだ。

 

 願うことなら3人で過ごしたかったが、それはきっともう無理だ。それでも命だけは繋ぎ止めていたい。

 

 注射器を取り出す。譫言を吐き出し続けるアナスタシアの手を――

 

「触ら、ないで」

 

 瞬間、研究園が大きく揺れた。体勢を崩して思わず転んでしまい、そしてどこかひんやりとした何かに包まれて……違う、俺は吹き飛ばされたんだ。

 腹に響く鈍痛で意識が霞んでいたのか、思考がぼんやりしていた。研究室は揺れていないし俺は転んだわけでもない。

 アナスタシアがゆっくり俺の方を見る。

 

 それで、この感触は、まあ、そうか。

 そうだよな。

 

 冷たい水のクッションから起き上がって振り返れば、俺に冷たい視線を向けるミュルジスが立っていた。

 

「いったいこれはどういうことなのかしら、ジズ」

 

「その話はあとにしてくれるか」

 

 前兆を感知した。

 

「そうやって先送りにして――きゃぁっ!?」

 

 ミュルジスをタックルするように押し倒す。

 ぐっと覆いかぶさるように身を伏せれば、髪の先を撫でられたような感覚が通り過ぎて行った。

 

「ちょ、ちょっと、ジズ? 何するのよ」

 

「説明もあとだ。俺と手をつないでくれ!」

 

 疑問符を浮かべながらおずおずと差し出された手を即座に掴み、ミュルジスに()()する。

 エルフ同士なら植物の信号をある程度まで共有することが出来る。直接見たことがなくても、どのような生育状況で何を思っているのか、直接触れて接続するだけで情報を渡すことが出来る。

 

 そして、俺が端末から受け取っている情報も恐らくは出来るはずだ。言わば周波数が違う無線通信のようなものだから、少し調節してやるだけで、きっと。

 

「これは、何?」

 

 立ち上がり、ミュルジスの手を引いて起き上がらせる。飛んできたアーツをどこからか出てきた水の塊が受け止め、勢いを殺す。

 

 水を操るエルフの力はアーツのような学問じゃない。正真正銘本物の魔法だ。無から水を生み出し、副作用なく十全に操作出来る。

 勿論無限というわけではなく、生み出し過ぎると存在が希薄になる。原作で描写されていた通りの力だ。

 

 ——やれる。

 

 弱点なんてあってないようなものだ。俺とミュルジスならアナスタシアを完封出来る。今ならまだ、アナスタシアの命を救える。そのはずだ。

 そうやって足を踏み出した俺の手が反対方向に引っ張られた。

 

「これは、アーツでしょ?」

 

 頷く。何が言いたい?

 

「アーツユニットが見当たらない以上、反動があるってことよね」

 

「……まさか、危ないからやめろ、なんて言うつもりじゃないよな?」

 

「それ以外に何があるのかしら」

 

「ふざけてるのか?」

 

「あなたこそふざけてるとしか思えないわ。あたしがそれに協力するなんて本気で思ってたの?」

 

 振り解こうとして、出来なかった。

 ミュルジスは俺を強く引き留めている。

 

 アナスタシアが何かを叫びながら炎を放った。それは水に阻まれて呆気なく消えた。喉を枯らして取り乱す彼女の姿は見ていられない。それなのに。

 

「傷を負って、アーツを乱用して、それで咎めないなら、あたしはあなたの家族でも何でもないわよ」

 

 ああ、そういえばそうだった。

 ミュルジスはアナスタシアのことを見捨てたんだった。

 

「そうだよな。分かった」

 

 俺はアナスタシアのアーツを抑え込めない。鎮静剤を打つならミュルジスの力が不可欠だ。

 整理すれば簡単なことだ。アナスタシアの命がかかっていると言うのに、どうして俺はそれを選ぼうとしなかったのか。

 

 残された道はたった一つ。

 格好付けていられる余裕はない。

 

「ミュルジス、頼む。助けてくれ」

 

 頭を下げる。

 たったそれだけのことがどうにも気恥ずかしかったんだ。俺の中にある空っぽのプライドが邪魔をしていた。

 

「俺が君の言うことを聞かなかったから、癪だろうと思う。それでも、何でもするから、どうか、俺に協力して、彼女を助けてくれないか」

 

 ばしゃり、と少し遠くに水の音が聞こえた。

 

 今この時だってアナスタシアの寿命は減っている。あれだけ強力なアーツなのだから、その代償はきっと小さくない。

 俺にもっと力があれば、と思わずにはいられない。一人で何とか出来るほどは望まない。あのときジャックたちを守れていれば、きっとそれだけで良かったんだ。

 

 心が逸っている。返事はまだか。

 恐る恐る顔を上げれば、ミュルジスは口を真一文字に結んでいた。

 

 その手にぐっと力がこもっているのが分かった。だがそれは果たしてどんな感情を表しているのだろう。少なくともプラスでないことだけは確かだ。やはり拒まれてしまうのだろうか。

 

「一つだけ、聞いてもいいかしら」

 

「俺に答えられることなら」

 

「どうして、アナスタシアがそんなに大切なの?」

 

 同じような問いを今まで繰り返してきただろう。

 そう思ったが、少し考えると意図が分かった。

 

 たとえばジャックが鉱石病に感染して解雇されそうになっていたとして――彼は警備課所属だがそれはいったん無視する――ミュルジスに背を向けてまで守ってやろうとは思わない。エリナの場合もそうだ。多少不満はあるかもしれないがミュルジスの裁量に納得するだろう。

 つまりそれはアナスタシアが俺にとって特別だということを意味する。

 

 どうしてアナスタシアが普通から外れているのか。もっと言えば、それによってミュルジスに対する特別扱いは唯一のものではなくなってしまっているのではないか。それを聞きたいのではないだろうか。

 間違っていたら途轍もなく自意識過剰な考えだが、半年前のことや、アナスタシアといるときにかかってきた通信での態度を考えれば、ミュルジスが独占欲を抱えていると推測しても的外れではないように思えてくる。

 

 まあ、ミュルジスが何を望んでいようと、それに従って答えを捻じ曲げるような真似はしない。それに、その質問はちょうどいい。

 

「ターシアの人柄が好ましいから、という理由を否定はしない。直向きな姿勢や気配りが出来る性質に惹かれたのは確かだ」

 

 ただ、と言って目を向ける。

 

「それだけならあれほど早くから動かなかった」

 

 そんなことは分かっている、とでも言いたげな視線に促される。

 

 俺は、自分がどうしてそんな行動をしたのか、一々振り返るようなことはしない。ミュルジスに朝食のメニューを聞かれて、パンと答える日があれば他の物をリクエストする日もある。その理由を把握しているわけじゃない。聞かれたって答えられない。

 

 だが、どうしてアナスタシアのために自分から動いたのか――考えれば考えるほどそれ以外にないと思えるような答えが心の中にあった。

 

「喜んでくれると思ったんだ」

 

 言葉足らずな回答に、しかしミュルジスはしっかりとそのニュアンスを感じ取っていたらしい。

 

「……どうして?」

 

「言うまでもないことだ。君はターシアを自慢の部下として扱っていて、ターシアはそれに尊敬を返していた。その関係を失ってしまうのは酷く勿体ないと思ったし、俺が(かすがい)になれるならそれが一番だとも思った」

 

 失敗した。俺の前には発作でアーツを止められなくなった暴走状態のアナスタシアに、彼女を見捨てる選択肢に手をかけたミュルジスだけが残った。俺は何もできなかった。止められなかった上に力にもなれなかった。

 

 それでも、描いていた光景の鮮やかさに背は見せられない。

 

「ターシアと、俺と、ミュルジス。その時間が帰ってきたなら、ミュルジスはきっと――」

 

 脳裏に焼き付いているのは、この人生の価値そのもの。

 足に絡みつく諦観と言う名の錆を落としてくれた、その輝かしい、向日葵と見紛わんばかりの、太陽。

 

 

「また同じように笑ってくれる。そう思ってたんだ」

 

 

 ミュルジスは何も言わなかった。

 何も言わないままに俺の手を引いてアナスタシアに向って行く。

 

「ミュルジス?」

 

「……何でもないわ」

 

 そんなわけないだろう。

 そう言いたかったが、ぎゅっと強く握られた手はそれ以上の言葉を拒絶していて、俺はただ従うことしか出来なかった。

 

 ありがとう、と背に投げかける。

 ミュルジスは答えることすらなかった。

 

 




 
[Tips]
Q.アナスタシアを助ける理由がミュルジスにあるのに、そのミュルジスを突き放したのはなぜ?
A.まず、助けたいと思う理由は複数あります。ジズはその中で一番に大きなものを説明したに過ぎません。あのセリフはパワハラしていたミュルジスへの失望、思い通りにいかないストレス、地球産の倫理観によってほとんど勢い任せに言ってしまったものです。
  ちなみにミュルジスが睨んでいた二人の間にある差異は「倫理観の違い」や「常識の違い」です。

Q.なんでアナスタシアは[自主規制]を見たのにトラウマ発症してないの?
A.今までの反応は鉱石病によって古傷が抉られているだけであって、冒頭の心象風景は鉱石病の一切を拒んだアナスタシアの夢の中なので、むしろアレが本来の反応です。

Q.悪く思われると分かっているのにどうじてミュルジスは協力を拒んだの?
A.ミュルジスは確かにジズを好いていますが、ジズに変態趣味があれば拒絶しますし、譲れない部分を仕方なしに明け渡すこともしません。ミュルジスは自分第一主義の上で、ジズを守ることが自分のやりたいことに入っているのです。
  盲目的な好意はキャラ崩壊と同じです。そんなものはキャラの表面或いは特定の要素だけを好きなのであって、外枠を利用して自分好みに改変する行為――というのは過言ですし多少ブーメランなのですが、ともかく、作者はミュルジスをそういった方向で私物化したくありません。
  ご理解いただければ恐縮です。

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