ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象 作:e-2
名称:セイヨウウスユキソウ【西洋薄雪草】
綱目:キク科ウスユキソウ属
花言葉:「大切な思い出」「勇気」「忍耐」
『アークナイツ』の攻撃において、属性と呼んで区別できるものは3種類しかない。物理と
つまりよくある四大元素や五行などの
しかしながら、それは『アークナイツ』の、それもタワーディフェンスゲーム要素での話だ。
眼前にあるのは百歩譲ってもシナリオ上の戦闘。つまりPompeiiに炎は何の効力も持たず、ビッグアグリー*2は速射手の矢を弾き、そして————。
アナスタシアのアーツがミュルジスの力に完封されてしまう。
風のアーツは容易く減衰され、水のアーツは全く効果を見せず。炎や氷で状態変化を狙おうにも、ミュルジスは水分子そのものに働きかけることが出来る。
吸熱により熱運動を抑制しようが絶えず供給されるエネルギーにより流体の形が崩れず、発熱により熱運動を促進しようが対流で受け流されてしまう。
分身体の作成。それは光という電磁波の反射を意図して操り、物体と接触できるほどの強度を液体に付与する人間離れした絶技だ。生態学の権威であるミュルジスはエルフの力という点においても紛うことなき天才だった。
戦いとすら呼べない攻防を自然体でこなし、ミュルジスはジズをアナスタシアの眼前に導いた。
アナスタシアの腕には亀裂が走っていた。
それは先ほど吹き飛ばされたときには見えなかったものだ。
傷口には源石がびっしりと浮き上がり、いっそ見惚れそうなほどに紅い液体が流れ出ている。量こそ少しずつではあるが、しっかりと。
応急処置程度の止血は意味をなさないだろう、とミュルジスは冷静に判断した。
分身で抑えつけて拘束する。
錯乱状態でまともな判断が出来ていないため注意を簡単に集められた。過呼吸になっていたが投与を優先する。
ジズはその隙に注射器を刺そうとしたが、拘束されているアナスタシアにさえ力負けして振りほどかれた。弱すぎる。
「あたしがやるわ」
「抵抗が強いから気を付けてくれ」
ミュルジスはあっさりと鎮静剤の投与を終えた。
少しの間暴れていたものの、すぐに効果が出始める。
ミュルジスが初めから言葉を聞き入れていれば、とありもしない可能性を考えてしまうくらいにはトントン拍子に対処が進む。ジズは拳を握り締めた。相も変わらず無能な自分には嫌気が差す。
彼の羨望を受け、しかしミュルジスは無反応を貫き、拘束された彼女を淡々と観察していた。それはどんな顔をすればいいか、ミュルジス自身ですらも分かっていなかったからだ。
意図して感情を塗りつぶす。真っ黒の中で正体不明の何かが震えるように蠢いた。ジズには伝わらないよう、限界まで押し隠した。
観察しているうちに変化が訪れる。
鎮静剤の被投与者は副交感神経が活性化されることでリラックスした気分になり、怒りと悲しみが曖昧になる。荒れ狂う感情が凪いでいく。そうしてアナスタシアの目に理性が戻る。
副作用で眠いのだろうか。怜悧な目が細められた。
気だるげに、傲岸に、面倒そうに口を開く。
「放してください」
ミュルジスの無表情が僅かに歪む。
微かに、しかしハッキリと拘束が強まる。
「立場が分かってないのかしら」
「敬語で話しているだけ感謝してもらいたいものですが」
「ターシア」
今度はアナスタシアが顔を顰めた。
怒りで覆い隠す。読み取られないために。
「何か、文句でもありますか?」
「文句じゃない。ターシアのそれは……」
「それは?」
端末が読み取った空気の振動を言葉に変換する。それによってジズはアナスタシアとエリナの会話を盗聴していた。トラウマから逃げるため、呼び起こしてしまう他者から距離を取るのだと言っていた。
それはロクな人間関係を築いた経験がない彼女なりの答えだったのだろう。不器用なことだ、とジズは思った。
今ミュルジスに嚙みついたのは状況がうまく呑み込めていなかったか、引っ込みがつかなくなってしまっただけだろう。
しかし、それを指摘したところで、アナスタシアは隠そうとするはずだ。それなら黙っていた方がいい。
「何でもない。そんなことより、一刻も早く救急車を呼ぼう」
アナスタシアの腕、その傷跡。
厚紙を破いたような裂傷が痛々しい。
「……」
「ミュルジス?」
ジズは隣に立つ彼女が自分と同じものを見ていることに気が付いた。たった3㎝ほどの創傷から、その指先と、反対には肩のあたりまで黒い筋のような源石結晶が見えている。
まさか今になってアナスタシアを助けないなどと言い出すわけがないだろう。そう思い視線の意図を探るが、見当もつかない。
「ジズ。危ないから触らないで」
「運んでくれる、のか?」
ミュルジスはまたもや答えなかった。
アナスタシアの腕に触れていただけだ。分身で運ぶため邪魔になるというなら納得するが、そうでないなら何が問題なのだろう。
危険性。思い当たる節はない。鎮静剤はどうやら鉱石病の症状に対しても有効だったらしく、アナスタシアがトラウマを思い出す素振りもない。
感染者が源石を排出するなら、源石に特別弱い彼が発作を起こす危険も生まれるが、そんなことはない。
「ああ、やっぱり、そうですか。動かせなくて確認できなかったので助かります」
「アナスタシア……」
ジズには何も分からなかった。
アナスタシアは気丈に振舞っている。しかし、どこか影があるように感じられた。虚勢にしか見えなかった。それはどうしてだろう。
ミュルジスは今までアナスタシアにキツく当たっていたはずだ。それなのに、どうして憐れむような顔をしているのか。同情をかける流れでもなかっただろう。
分からない。
「何を、何を話してる?」
ジズの声が震えている。
ミュルジスは口を真一文字にして黙っていた。
「ジズは子供じゃありませんよ、主任」
「教えてくれ、ミュルジス。いったい何の話をしてるんだ」
確認するように、ミュルジスはアナスタシアの袖を捲り上げた。アーツの余波で燃えたり切れ込みが入ったりしていて通気性が非常に向上している。その奥には網状脈のような亀裂が腕全体に広がっていた。
源石融合率、推定30%以上。
どこぞの製薬会社が規定した定規に従うと、アナスタシアの生理的耐性は精々標準。辛口に見積もってしまえば普通だ。一般人より、個人差の範囲で、優れている程度。
その製薬会社のプレイアブルオペレーターの中で一番融合率が高い2名で融合率19%。アナスタシアの病状は軽く見積もっても重傷を遥かに越えてしまっている。
とどのつまり。
「アナスタシアは……」
真っ直ぐ見ていられなくて、顔を背ける。
どこか、自分が見ていない場所ならよかったのだ。
目の前でさえなければ、それでよかったのに。
「――もう、手遅れよ」
事実だ。ミュルジスの口調から、それが紛れもない事実なのだと抗いようもなく知ってしまった。呼気が口から出ていくばかりで声にならない。見開かれた目に、その視界に、現実は映り込んでいた。嘘を疑うことが出来ないほどに。
それでも、なお。
「嘘だ」
受け止められなかった。彼には耐えられなかった。ただ人生を無意味に消費して生きてきた彼にとって、それは全くのファンタジーだ。それは彼にとって初めての、大切なものが壊れてしまう体験だった。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!」
前世。大切なものなどなかった。
何もできない、誰とも上手くいかない、何かに打ち込むこともない。たった一つの命が無価値に思えるほど、彼は無能で、不幸で、愚か者だった。自分以外すべてを馬鹿にしながら、肥大した劣等感に苛まれる。
理由なく抱えられた自尊心が現実と
何か出来るはずだった自分。
前世の期待を背負い、ジズは努力した。
初めて、求める居場所を追いかけた。
家を追い出され、それでも謝ることすら出来なかった彼が、一人の友人との縁を惜しんで戦った。
悪口には慣れていた。
否定されることに慣れていた。
前世を少しずつ取り戻していく感覚がして、それでもジズは諦めなかった。
「嘘だ!!」
その結果がこれだ。
「なんで、なんで……こんなに頑張ったんだ! 俺は、こんなに、頑張って、それなのに、なんで俺は報われないんだ! なあ! そんなの、噓じゃなきゃおかしいだろ!」
残されたのは自分勝手な主張だけだった。
その能力がなかったというだけの事実を認められず、我慢したことの報酬を厚顔にも請求する。
喚き散らすジズ。
深いため息を吐いた。
「馬鹿なんですか?」
繰り出されたのはいつも通りの言葉だった。
「見当違いな悲嘆は聞くに堪えません。どうしてもと言うのなら別の場所に行ってください」
何一つ変わらない声色。
ジズは呆けたように口を開けて、次にくしゃっと顔を歪めた。
目元には涙すら浮かんでいる。
「俺は、君のために全部ッ……! ――ああ、クソッ! 何だよその態度は! 俺がどんなに我慢したと思ってる! 俺にミュルジスを否定させてまで庇われた君が! どうしてそんなセリフを吐けるんだ!」
押しつけがましい怒声に、アナスタシアは思わず閉口した。そんな人だとは思わなかった、と顔に書いてある。しかしジズの口は止まらない。
「君の方こそ馬鹿じゃないのか! 何もかも自分の行動で壊しておいて、さも被害者みたいな顔をして愚痴を言って、意味が分からない! 君が、いや、お前が招いた事態だろうが!」
ミュルジスは止めなかった。
初めて見る姿に困惑していたのは勿論だが、一番は彼の言い分が多少なりとも支持できるものだったからだ。
一気に捲し立てたせいか、荒い息を吐いているジズ。アナスタシアは反論せずに黙っていた。しかし、その目は相も変わらず取り繕われていて。
「俺は、全部分かってるんだ。その態度は俺たちを気遣ったものなんだろ。今まで近付かせなかった理由は鉱石病の症状だろうけど、今は落ち着いてるんだから、それしかない」
「……何を、言って」
「鎮静剤が効いて、他人を遠ざける理由はなくなった。でも自分はすぐに死ぬから、それならそのまま嫌われて死んだ方がいい。透けてるんだよ、そんな考えくらい」
アナスタシアは面食らった。
エリナにしか漏らしていないことを当然のように言い当てられた挙句、少し前の思考さえ読まれたからだ。
「なあ、最期、最期なんだ。なんでその態度で終わらせようとするのか、俺には分からない」
「理由に、なっていませんね。どうしてこんな時にまで私が謙らなければいけないのでしょう」
「ターシア、なあ、もうやめろよ……っ! お前が弱いことなんて分かってるんだよ! これだけ不器用に頑張って、それでも上手くいかなくて、手遅れだなんて言われて、辛くないはずがないだろ!?」
その言葉が図星でなかったのなら、そんなことはない、と返していただろう。
しかし余りに心の真ん中が貫かれていたものだから、アナスタシアは何も言えなかった。剥がれ落ちそうになる仮面を保つことで精一杯だった。
「見てるこっちが辛いんだ、ターシア。罵られることより何よりも、君が強がっているのを見ているのが、一番辛いんだ」
ジズがアナスタシアの顔に手を伸ばす。
「最期くらい素直になってくれないか」
その言葉の全てがアナスタシアのために言われたわけではない。報われたい、思い通りにしたい、そんなエゴイズムは否定できない。それでも熱は本物だった。彼の手は熱くてたまらなかった。
伸ばされた手に焦がれる。
仮面が外れる。
抑えていた感情が、湧き出す。
「どうして、そんなことを……っ!」
拘束が緩み、アナスタシアはジズに抱き止められた。鎮静剤による倦怠感、脳を蝕むほどに絶えず痛みを発する左腕。平衡感覚を失った彼女にはもはや立っていることすら難しかった。
「私のことなんて嫌ってしまえば良かったのに、どうして!」
その言葉は責めるためのものではない。その涙は悲哀に支配されたものではない。アナスタシアは今に至ってようやく、その感情を表に出した。
ジズは答えなかった。それが問いかけでないことくらいは分かっていたからだ。
離れた方がいいと言っていたミュルジスはじっとその様子を見守っている。これっきりだと知っていたからだ。何をしようとアナスタシアの病状は覆されないし、分水嶺などとうに越えている。
好きにするといい。亡骸さえ残らないのだから、せめてジズの記憶に残るくらいなら――実際にそう考えてはいなかったが、そのような同情や憐憫に似た何かを覚えていたことは確かだ。
「……ああ、もう、ズルいですよ、ジズ。私より先に泣いて、私より悲しもうだなんて、そんなの許しませんから」
最期に残された僅かな安寧の時間。
涙だけで飾るのは少々勿体ないだろう。
痛くて動かせない左腕の分まで、ジズの細い体を掻き抱く。薄くて頼りない身体も人生最後に感じる温もりだと思えば悪くない。
「短い付き合いでしたが、ありがとうございました。気にかけてくださって嬉しかったです」
別れの挨拶。もうそんなに時間がないのか、とジズは焦った。思わず涙が止まってしまうほどに。
そんな彼の様子に気づいたアナスタシアは無理矢理に笑った。
「ちょっと早すぎたかもしれませんが、言い損ねるよりはマシですから」
「そう、か。それなら、こちらこそありがとう」
噛みしめる。
それら一つ一つがかけがえのないものになるのだから。
死者が生者に遺せるものは余りにも少ない。形見に残る思い出はすぐに擦り切れてしまう。しかし、生きているうちに交わした言葉の数々は時として形に残るものよりも強く根付く。頭の中にあるのだから失くしてしまう恐れもない。
末期感染者は体全体に病巣が転移する。そして全てが源石に変わり、粉塵となって空を舞う。感染者は骨も残らず姿を消す。それが分かっているから、アナスタシアは激しい疼痛を押して口を動かしている。
「スノーサラセニアの世話は任せました。あなたなら信頼できるからそうしたんです。どうか裏切らないでください」
「分かってる」
「あと、主任に迷惑をかけないように、はどんな顔で言えばいいか分かりませんが、気を付けてください」
「言われなくても」
「私のことは引きずらないように……というのは寂しいので、適度に思い出してください」
頷く。アナスタシアの遺言はどれも簡単なものばかりだった。頼まれずともそうするつもりだ。それを指摘しないのは、アナスタシアのやりたいようにさせてやりたかったからだ。
「ごめんなさい、ジズ。重いですよね。それに濡れてしまいますし」
ぐっと体重がかかる。涙が流れる。
確かにずっしりと感じられたが、何も全てを支えているわけではない。座り込んでいる彼女の上半身がこちらに傾いた程度で重いとは感じない。
「力が入らなくって。おかしい、です。今までどうやっていたのか、もう忘れてしまって……」
「このままでも構わない」
「それなら、いいんですが」
アナスタシアは初めて黙った。必死ささえ感じれるほど立て続けに物を言っていた彼女が黙ったのだ。
ミュルジスが潮時だろうかと歩み寄る。
感染者が石に姿を変えるまでの時間など、どれほどか見当もつかない。それが有害であると分かっている以上は早めに動いた方がいい、と判断したためだ。
「死にたくない、ですね」
微かに聞こえた弱音を聞こえなかったことにして、ミュルジスはアナスタシアの身体を起き上がらせる。ジズはじっと彼女の顔を見ていたが、床に寝かせるまで邪魔を入れることはなかった。
「……ミュルジス。少し、いいか?」
別に許可を取らずともいいのに、どうして声をかけたのだろう。まさか今際のアナスタシアにさえ嫉妬すると思われているのだろうか。
よく思い返してみると、確かにそう思われて仕方がない行動だった、と小さく苦笑した。頷いてジズに場所を譲る。
色々と考えることが沢山あったのだ。
煩雑な考えが頭の中でこんがらがっていた。
それもこれで終わりだと思うと、ミュルジスは複雑な心境だった。嫌悪しているとは言え可愛がっていた部下には違いない。未練を抱いて死にゆく様を見送り、これでスッキリする、などと思えるほど人でなしではない。
頑固者でどうしようもなく手が付けられなかったが、決して悪人ではなかった。邪魔で仕方がなかったが、それ以外は自慢の部下だった。
そんな思考が突然打ち切られる。
「ジズ? ……何してるの? ジズ!?」
ジズの傷から端末が溢れ出した。アーツユニットなしにアーツを使うなとあれだけ言ったのに、何をしているのか。
「ミュルジス」
今すぐにやめろと言うより早く、ジズはミュルジスの名前を呼び、頭だけ振り返って、しかし真っ直ぐに見つめ返す。
「頼む」
たったそれだけで、ミュルジスは顔を歪めた。
「……卑怯よ、ジズ」
「ごめん。でも、少しだけだから」
何が少しだけだ。そんなに覚悟の決まった眼をしておいて、少しも何もないだろう。ミュルジスはそう言いたかったが、言葉にできず、顔を背けた。
ジズがアナスタシアの横に座り、もはや蜘蛛の巣のように亀裂が広がった腕を持ち上げた。
「帰ってきてくれ」
接続とは違った感覚。
瞬間、ジズの左腕に壮絶な痛みが走った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これは今より少し先、具体的には2年か3年ほど未来の話。
とある前途有望な研究員が入職し、構造課の業務に慣れてからのことだ。
構造課主任のパルヴィスに大学生時代から目をかけられていた彼女は、研究室にラベルの貼られていないビンを発見する。
中にあるのは黒い石と粉末。思い当たるものはない。
「何だろう、これ」
「それは
それは意識外からの返答だった。
振り返るが、そうせずとも誰の声かは分かっている。
「先生」
そこにいたのはパルヴィスだった。
促され、ビンを手渡す。
彼は大事そうに中身を見つめた。
「大方、ラベルがなかったから気になったんだろう? 懐かしい品だ。別の部屋で管理しているんだが、鉱物である以上は保存も容易くてね。時折こういった棚に置いてそのままにしてしまうんだ」
「そうなんですか。主任はサンプルの管理には厳しい印象でしたが……」
「それについて否定はしないが、これは私の私物だ。それに置いたままで忘れたことはないからね」
事実こうして回収に来ただろう? そう言われると、サイレンスも納得する他ない。元より、批判がしたくて言ったわけではなかったのだ。
「これは数年前に、生態課と共同の実験で手に入れた成果なんだ」
「生態課、ですか? まさか植物と源石の……」
「その実験についてはミュルジスに聞いてくれ。残念だが守秘義務を課せられていて私からは話せないんだ。その源石についての実験なら話してもいいんだがね」
それなら、ということでサイレンスは話を伺うことに決めた。
彼は鷹揚に頷き、少し頭の中で整理したあと、話を始める。
「まず、その源石は当時活性源石だった。活性源石αと呼称し、別の活性源石β、そしてそれぞれ非活性のものを追加して、4つの源石で実験を行ったんだ」
「αとβを識別できるんですか?」
「たとえば、アーツユニットなど、使用者や用途に応じてカテゴライズされた源石機器があるだろう? アレは源石が活性状態になった時の傾向から分類されているんだ。つまり活性源石は識別できるが、非活性源石は活性化するまで、特定の例外を除けば、分からない。だから非活性源石のαとβはそれぞれ活性状態が落ち着いたものを呼称している、ということだね」
「なるほど……あまり源石自体を取り扱うことがなかったもので。話の腰を折ってすみません」
頭を下げるサイレンスに、気にすることはないと穏やかに言う。
「行った実験は単純だ。それぞれを接触させるだけ。状況を変えて繰り返したが、条件こそ明確にはなっても結果に差はなかった。本当に接触させるだけの実験だったんだ」
「……その実験の仮説はどのようなものだったんですか?」
訝し気に実験の目的を尋ねる。
何の意味があるのか、理解できなかったからだ。
活性源石と非活性源石を接触させて、たとえば非活性源石が活性化するなら、テラのエネルギー問題は解決だ。活性源石は非常に危険且つ有用だが、それ単体で現象を起こすことはほとんどない。
源石とは動力のようなものだ。エネルギーを貯め込んでいて、出力を人間が手伝うことで初めて真価を発揮する。
「実験結果から話そう。活性源石αと非活性源石αの接触、結果は非活性源石αの活性化だ」
「それは、何と言うか」
「続いて活性源石αと非活性源石βの接触。結果は非活性源石βが活性化し、検査したところ、一時的に
「まさか……」
「比較対象の源石βは一般的な、つまり予想通りの結果だった。このビンの中にある源石αだけが、接触するだけで源石を活性化させ、増殖したとも言える結果を出したんだ」
俄かには信じられない話だ。正直に言えば、実験環境の方を疑ってすらいる。恩師であるパルヴィスに告げられてそれなのだから、源石αがどれだけ異質なのか分かろうものだ。
「と言っても、実はこのビンの中にあるのは源石αではないんだが」
「えっ? 先ほどはそれがαだと……」
「そうだね、この源石は確かに源石α
眩暈がしそうな情報の濁流だ。
サイレンスは頭の中で一旦整理した。
ふと、気になることがあった。
「先生」
「何かな?」
先ほどパルヴィスは活性源石αの実験について説明したが、欠けているものがある。活性源石αと非活性源石の組み合わせについては伺ったが、もう一つ……
「活性源石αと活性源石βの接触はどんな結果になったんですか?」
パルヴィスはニッコリ笑った。
相変わらず出来のいい教え子だ。痒い所に手が届く――というのは少々違った意味だが、それに近しい目端の利きだ。きっと彼女になら少し難易度の高い業務だって任せられるだろう、と思える。誇らしい気分だ。
そして、質問の回答だが。
「非活性源石と同様の結果さ」
微笑み、細められた目。
好奇と情熱、そして少しの狂気を束ね、その鋭い眼光は瓶の中にある源石を貫いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
なんとなく、出来る気がした。
この力は俺にアナスタシアを救えと言っているみたいだった。
「この程度じゃ足りない」
同調率、感覚的には3割ほどだ。
もっと強く繋がる必要がある。
アナスタシアの傷口に端末が入り込み、そのたびに流血が勢いを増す。
アナスタシアの血液と入れ替えに入れるのでなければすぐに脆い静脈や末端の毛細血管が破裂して取り返しがつかなくなるため、多少の貧血は仕方がないと思うしかない。
それに配慮出来るほどの余裕はない。
黒砂がアナスタシアの体内だけでなく周囲にもまき散らされ、情報の波濤が思考を揺らす。
三重、五重にブレていく視界。多次元空間が脳裏に焼き付く。衣服のみならずその下にある身体まで透かし、体組織にピントを合わせる。
血管に流し入れた端末の情報と視界を繋ぎ合わせ、満遍なく巡らせる。
俺が敢行しようとしているのは、血中の源石と、臓器にダメージを与える源石の物理的な摘出だ。後者はともかく、前者の価値はジャックが持っていた『血液中源石密度低下剤』に保証されている。
死の直前に処置することでどれだけ効果があるかは分からない。それでも、このまま消えるよりは、人事を尽くした方がいいに決まっている。
「ぐ、ぅぅ……ッ!」
端末がアナスタシアの体に巣食う源石を上塗りする。露出していた源石結晶が自ずから剥離する。アナスタシアの流血が次第に黒く染まっていく。
源石融合率という数値がある。どのようなデータに基づいて推計するのかは知らないが、名前の通りに解釈した場合、アナスタシアの源石融合率は凡そ三割だ。
——いや、
「……ぁ、ははッ……ははははッ!」
哄笑、口から漏れ行く。
同調率が半分を超えている。
「ははははははははッ!!」
自分の手で何かを成しているという実感に溺れそうだ。抗いがたい快感に脳髄まで支配されそうだ。
依存してしまいそうなほど甘い感覚を受け入れる。そうでなければ痛みに狂ってしまいそうだったから。
死へと誘う痛苦。己の終わりを否が応でも意識させられる。一歩踏み外せば即座に倒れるだろうことが経験上理解できる。
だからこそ、実感がある。どれだけ頑張っているのか痛みが教えてくれる。自分が真っ当な人間になれているようで堪らなく嬉しい。
自己犠牲なんてヒーローみたいだ。
「ははは、アははハは——ッ!!」
源石融合率26%。
グングン下がっていく。
打ち砕いた源石が俺の端末に呑まれて消える。中にあるプログラムを書き換える。その一つ一つが成果になった。俺を高揚させて止まなかった。
創作チックに言うのならドーパミンを感じる。脳内麻薬ってヤツだ。具体的な意味は知らないが、きっとそうだろうと思う。
これが麻薬でなかったなら、本物はいったいどれほどの快楽か想像も付かない。ヒーローが何故いつも笑っているのか分かった気がする。
「ハははハはッ————あっ?」
溺れそうなほどの快楽。自尊心と自己愛が満たされていく感覚。その海に身を投げ出した俺の服に、釣り針が掛かって、引っ張った。
アナスタシアに集中していた端末の一部が離れる。果たしてそれが何なのか、俺は思い出すことが出来なかったからだ。
抱擁。抱きつかれている。誰に? ミュルジスに。何故? 分からない。意識が分散する。アナスタシアに集中出来ない。
とっくに容量を超過していた。麻薬の効果が切れる。頭が割れんばかりに痛い。脳味噌がエネルギーを、酸素を求めていて。
酸素? 酸素だ。酸素が必要だ。あれ、酸素ってどうして必要なんだ? どうでもいい。今はとにかくそれが欲しい。
それが欲しいから、息を吸うべきだ。呼吸しなくては空気を取り込めない。何をするにしても呼吸、呼吸が先だ。
息を吸おうとして、それで。
——呼吸ってどうやればいいんだ?
まあ、いいか。今はアナスタシアの方が大事なんだ。ミュルジスのことだって、別に珍しくはない。精々が悪戯だろう。
そう思って端末を手繰ると、ミュルジスはより体を密着させた。何をしているのだろう。
「ごめんなさい、ジズ」
苦しそうな声だった。
鳩尾をキツく押し込まれる。
「が、ふっ」
空気が押し出されて出ていく。そしてその分だけ戻ってくる。ああ、そうだ、これが呼吸の感覚だった。
端末を手繰る。幸運なことに、無理矢理動かしていたものの大部分は傷口から排出されていた。感謝の言葉もそこそこに、アナスタシアの体から再び源石を削り出していく。
「まだ、こんなことを続けるつもりなの?」
身を案じてくれているのだろう。ミュルジスはそっと俺の腕に指を這わせた。傷口は端末の放出でぐちゃぐちゃだ。
痛くないかって? 当然、痛いに決まってる。今だって涙が出そうなほどに痛い。
それでも、俺はやりたいんだ。
アナスタシアを救いたい。
「……そう。分かったわ」
傷口の横を伝い、ミュルジスの手が俺の手を取った。細い指が強く掴んでくる。まるで逃がさないと言っているかのように。
端末とは感覚器官のようなものだ。
情報を無加工で頭に伝達する。それを加工し、分かりやすい形に削り出すのは脳だ。今までにない規模の濁流に呑まれ、情報が頭の中を荒らしていく。
それは接続によって真価を発揮する。何故ならかつてサーミにその猛威を振るわせたその森魔の力は同族の助けによって初めて成立するのだから。そうして存在しうる暴風は一切の形を持たないままに糸を垂らす。
ミュルジスには分かっていた。
それが既存のアーツとは似ても似つかないことを。
神に授けられたかのようなエルフの能力とはまた別種、悲哀と憤激の狂騒に結ばれた弑逆の異能。共存などしない。異物は受け入れない。それが古きを織りなすエルフの考えであり、本能であり、本懐であり――矜持であった。
エルフとして生まれながらに異物との共存を免れなかった哀れな個体、その額には大きな黒い角が生えていた。その肉体は矮小なれど、手繰る力は強大。
俺がミュルジスに接続した時とは全く違う。
アナスタシアの体に触れるだけで制御が出来る。
源石がまるで首を垂れて従ってくれるような感覚。不安になるほど手応えなく鉱石病が退いていって、アナスタシアの腕が聞いたことのない音を立てて修復されていく。そう、修復だ。
時計の針が巻き戻るように、と言うには少し油が足りていないようだが、時間が巻き戻っているのは確かだった。
ミュルジスが手を放す。
これ以上は無駄だと知ったからだ。
「ありがとう、ミュルジス」
相変わらず答えは返ってこない。
それはジズをして焦らしむ問題だったが、修復不可能な断裂ではない。つい先ほどまで眼前に横たわっていた問題に比べれば余程かわいらしいものだ。
「ターシア」
起き上がらせる。それが問題ないことは既に把握している。
閉じられたままの瞼。閉幕を意味していたはずのそれがいつの間にか幕間へと変貌していた。
音もなく。
月曜の朝に感じる憂鬱さを感じさせるような、少しだけゆっくりとした目の動き。奇跡は起きてしまえば奇跡ではない。今この瞬間、奇跡は地に堕ちたのだ。
「ジズ? 何が、どうなって……?」
困惑する姿を見て、抑えきれなくて、抱きしめた。
救った命の重量を感じる。死んでしまった人には感じられない温度がダイレクトに伝わってくる。
「ああ、よかった……俺は、ターシアを救えたんだな……っ!」
「私を救った、って」
戸惑いが強かったアナスタシアの声色も次第に硬くなっていく。
「本当に? 本当に私の鉱石病は、いえ、その、発作は」
「治まったよ。ギリギリだった」
喉のあたりが震えて、俺に伝わる。声にならない声を発していた。顔も見えていないのに深く安堵しているのが分かった。
思わず声を出して笑ってしまいそうだった。
嬉しかったんだ。俺の努力で喜んでくれる人がいて、それが嬉しかった。前世ならきっと誰のために何をしようとも認められることはなかった――恐らくはただの被害妄想だが、そんな勘違いが根付くくらいの人生だった。
だから、正しく受け入れられたことが心の底から嬉しく思えたんだ。
「……ごめんなさい、ジズ。もう一度、服を濡らしてもいいですか?」
「俺でいいなら、喜んで」
肩が震える。アナスタシアの腕が、指が、体が、俺を掴んで縋っていた。まるで手を離した途端に連れていかれるとか、夢が覚めるとか、そんな風に必死でしがみついていた。
「スノーサラセニアの面倒を見るのは、もう暫く手伝ってもらいたいんだ。それに最近はシカクヒマワリだってへそを曲げてる。ターシアがまだ必要なんだ」
生態研究園は俺の手に余る。ミュルジスは忙しくしているし、快く手伝ってくれる人はアナスタシアを除いて他に居ない。だから、行かないでくれ。
ぎゅっと、そっと、アナスタシアが生きているのを感じる。
これが俺の掴んだハッピーエンドだと思えば達成感も一入だった。
震える彼女の背を摩ってやりながら、小さく息を吐く。
俺にだって出来ることはあるんだ。
零れ落ちそうになった雫を掌で受け止めた。何も出来なかった俺という前世の
次回、エピローグです。
ミュルジス視点です。
あとは分かるな?
評価、感想よろしくお願いします。