ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

23 / 38
 
ifです。二週間で40,000字書きました。めちゃめちゃ長いですし告知以上に多くのシーンが書いてあります。未読勢の方にも配慮してありますが、既読推奨です。ちゃんとバッドエンドなので安心してください。それではどうぞ。
 


if オペレーター『ジズ』

 

 

 テラ歴1096年3月某日

 p.m.4:09/晴天/視界:20km

 

 

 トリマウンツのあるホテル、その4階を貸し切って催されたパーティ会場。

 正装に身を包んだ彼らはこの国の中でも高い地位を得ている者たちだ。

 

 クルビアという国は実力主義である。力がなければ這い上がることは出来ず、ただの名声で呼ばれた者などこの場には一人もいない。

 

 多大な影響力が交差し、新たな価値を、延いては利益を創造する場所。それがこの交流会と銘打たれたパーティの本懐であり、クルビアが今なお急成長を続ける要因の一つである。

 

 そんな会場に新たな参加者が加わる。

 彼女たちは下品にならない程度に飾られた会場に足を踏み入れ、ぐっと雰囲気を引き締めた。

 

「それでは、行きましょうか」

 

「うん、ウサギちゃんに任せるよ」

 

 コータスの少女が傍らのフェリーンを見上げる。彼女が頷くのを見て、少女は目当ての人物を探し始めた。

 

 ドレスで着飾った二人はアーミヤとブレイズ。ロドス・アイランド製薬株式会社のオペレーターだ。軍事企業との繋がりを通して招待状が届き、本拠のケルシーから許可を得てこの場にやってきた。

 

 目的は交流。この地では珍しいことにそのままの意味で。

 

 クルビアは怯まない。それが如何に不可能と思われるようなことでも、自身が未来を切り開く第一人者となることを疑わない。ビーチブレラやタワーヒルバイオテックなど、鉱石病治療に手を伸ばしている企業は少なくない。

 アーミヤたちは彼らと文字通りの交流を行いたいと考え、このパーティを訪れたのだ。

 

 しかし広いパーティ会場に勝手を知らない異邦人だ。目的の人物が見当たらないままに時が過ぎていくのは当然だった。

 

 そんな折、不意に声がかかる。

 

「誰をお探しかしら?」

 

 それは実力主義のパーティ会場に見合わない——と言うほどでもないが、珍しい妙齢の女性だった。周囲にはミドルエイジばかりで、ロドスとその女性を除けば、若い参加者など片手で数えられるほどしかいない。

 

「初めまして、私はロドス・アイランド株式会社の経営責任者を務めているアーミヤです。こちらはエリートオペレーターのブレイズさんです」

 

 ブレイズが黙ったまま格式ばった礼をする。あまり堅苦しい話し方が得意ではないため、静かにしていようという意図だった。

 

「ええ、初めまして。ご丁寧にありがとう。あたしはミュルジス、ライン生命の主任を務めているわ」

 

 アーミヤは驚いた。ライン生命と言えば新進気鋭の医科学研究所だ。設立されてから少ししか経っていないロドスとは違い、既に大企業の仲間入りを果たしている。

 ケルシーなどバベル時代から引き継いだコネクションや保持するロドス・アイランド号に目を瞑れば、ロドスは若手も良い所だ。ライン生命という先達との繋がりは明確な目的にこそ挙げていなかったが、あれば嬉しいものだった。

 

「その反応を見るに、ひょっとしてあたしを探してたの? それなら良かったわ。ただ待ってるだけの時間は好きじゃないのよね」

 

 アーミヤは首を傾げた。にこにこと微笑みを崩さないミュルジスの意図が分からない。

 

「すみません、話がよく……」

 

「あら、ごめんなさい。こっちの話だから気にしなくていいわ」

 

 そう言ってミュルジスはアーミヤから視線を外す。徐にテーブルの料理から一つを取り皿に装ったあと、アーミヤが持つ真っ白な皿と交換する。

 

「何も食べてないでしょ? 話題を作る意味でも、こういうパーティでは一つくらい手をつけておくものよ。ほら、こうやってオススメの料理を紹介することだって出来ちゃうんだから」

 

 ミュルジスが笑う。

 

 アーミヤは周囲の視線が一部集まっていることに気が付いた。ライン生命に用があるのか、或いはミュルジスに用があるのか。

 アーミヤの様子を感じ取り、ミュルジスは苦笑した。

 

「これでも他のパーティに比べればマシね。運で成り上がっただけの人に声をかけられるなんてしょっちゅうだし、酷い時には会話している時に割り込んでくるのよ」

 

 ほら、あたしって()()だから。と左手を見せる。長く細い綺麗な指だが、それを引き立てるアクセサリーが見当たらない。

 本人としては全く焦っていないが故に鬱陶しくて仕方がない。上から目線で物を言う勘違い野郎には辟易していた。

 

「というわけで、しばらく付き合ってくれると嬉しいんだけど」

 

「ええ、ご一緒します」

 

 そんなこんなでアーミヤはミュルジスと交流することになった。手持ち無沙汰のブレイズはミュルジス一推しの料理を口に運んで、その美味しさに目を輝かせた。

 

 

 

 

 生態研究園に来客が一つ。

 それがジズを大きく困惑させた。

 

 何度思考を巡らせても現実は変わらない。

 オーバーサイズのジャケットに青いミニスカートという既視感のある服装。胸元が開かれた白のジャケットに垂れる青髪。先ほどホールを横切って行ったそのどれもが間違いないと教えてくれる。

 

 何故、ロドスのアーミヤとブレイズが原作開始以前のトリマウンツにいるんだ、とジズの脳内がクエスチョンマークで埋まった。

 

 いや、それに関しては納得出来る、と思考を修正する。ロドスならクルビアの企業と何かしらの繋がりを持っていてもおかしくはない。問題は何故ミュルジスが二人を生態研究園に招いたのか、だろう。

 

 まさか、と最悪の想定が頭を過ぎる。転生者という存在がテラに何らかの不具合を生じさせていて、それを理由にケルシーがジズの処理を行おうとしているのではないか、という被害妄想だ。

 読み漁っていた転生ものの知識だろう。ジズは震え上がって慄いた。

 

 ミュルジスに遺言を告げる時間くらいはあるだろうか。感謝と謝罪に始まり、話さなければならないことが沢山あるのだが。

 

 ジズは混乱していた。

 

「ちょっといいかしら? 大事な話があるの」

 

「……あっという間の人生だったけど、楽しかった。俺のことはすぐに忘れてくれると助かる」

 

「ダメみたいね。でも行くわよ」

 

 急に何を言い出すのか、と顔に書いてあった。ジズは手を引かれて応接間に連れて行かれる。

 思っていたよりブレイズは小さかった。169cmのミュルジスより僅かに高いくらいだろうか、と益体もないことを考える。アーミヤに関しては言うまでもないことだ。

 

 紹介を受ける。

 新しい情報は、特にない。

 

「それで、私たちに相談というのは」

 

 アイスブレイクもそこそこに、アーミヤが本題を切り出した。どうやらケルシーが指示を出していたわけではないらしい。

 

 ミュルジスがジズを巻き込んでロドスに何かを相談するとなると、答えは一つしかない。

 

「ジズをあなたたちに預けたいと思うの」

 

「それは鉱石病の治療にってこと?」

 

「ええ、勿論」

 

 セリフに反して、握られた手はまるでジズを留めるように力が入っている。家族と離れることに不安を感じているのだろう。ジズは少し握り返してやった。

 

「お言葉ですが、それは不要かと思われます。症状が安定している方を無理に動かす必要はありません。ここが仰られていた通りの環境なら尚更です」

 

「確かに、症状を安定させるためだけならこの研究園で満足出来るでしょうね。でも、それだけじゃ、足りないのよ」

 

 ミュルジスは顔を歪めた。

 

「あたしには鉱石病治療のノウハウがないの。抑制剤どころか鎮静剤も作れない。ジズは特殊な種族で、本来なら今こうして生きていることが不思議なくらいなのよ。どれだけ研究したって、何がそうさせているのかすら分からなかったわ」

 

 ミュルジスは十年以上もの間、鉱石病治療について調べていた。感染者のエルフが他と同じように生きられる社会は素晴らしいが、ジズの鉱石病が治ったならもっと素晴らしい。そう思って勉励した。

 結果、何も分からないことだけが分かった。所詮は秀才だった。エルフの鉱石病という未知の領域に足を踏み入れられるほど、才能を与えられてはいなかった。

 

 ロドスを見つけたのは偶然ではない。ミュルジスは鉱石病の治療を謳う企業に目を光らせていた。その大部分が虚飾に塗れていようと、一握りの希望を見逃すわけにはいかなかったからだ。

 

「設立して間もないのに抑制剤の試作品が出来たって聞いたわ。信じられなかったけど、きっと本当なのよね」

 

「……はい」

 

 何か基盤になる技術があったはずだ。まさか何もない所から作り上げたわけではないだろう。独自で研究していたミュルジスに先駆けるのは自然な話だ。

 

 それでも。

 

「あたしにはジズの鉱石病を治すことなんて出来ないの。発作が起きたって、手を握って名前を呼ぶことしか出来ないのよ」

 

 発作が起きて、彼が倒れて。

 神に祈ったのは人生で初めてだった。

 

 神に祈ることしか出来なかったのだって、人生で初めてだったのだ。

 

 木偶の坊。救急車を呼んで、取り乱して、目の前にある現実を受け入れられないまま、ただ昏睡しているだけだと判明するまで離されて、その間ずっと、ミュルジスは木偶だった。

 ——いや、それは間違いだ。何故ならその時だけ何も出来なかったのではなく、一生を通して、ミュルジスはジズの鉱石病に何も出来ていない役立たずだったからだ。

 

「お願いします。ジズを助けてください」

 

 情けなかった。頭を下げなくてはいけないことに、ではない。自分が何とかしてやると息巻いていたのに、何も出来ていなかったことが、ミュルジスは悔しくて仕方がなかった。

 

「頭を上げてください」

 

 アーミヤは困ったように、優しく笑う。

 

「私たちにも出来ることは限られています。鉱石病の根本的な治療には至っていませんし、抑制剤には改善の余地が沢山あります。ですが、その品質には自信を持っています」

 

 出来ないことがあると認める。しかし、卑下することはない。それは出来なかった者への侮辱に他ならないからだ。

 

「そして、あなたがバトンを繋いだことに、私たちは心から尊敬し、感謝します。それがどれだけ難しいことか、私たちは知っていますから」

 

 無力に打ち震えるのはいい。上を目指すのだっていい。しかし嘆くことはない。希望の灯が消えたわけではないのだから。

 

「だから——はい、任せてください。私たちロドスが責任を持って、その命をお預かりします」

 

 アーミヤ。10代前半の容貌でありながら、ロドスという製薬会社のCEOを務める。時に誰よりも強い意志と信念を見せる彼女にとって、それを断るという選択肢はない。

 

「……ありがとう」

 

 話が纏まったことで、ようやくブレイズが重苦しい話から解き放たれた。失礼にならない程度の詮索にミュルジスが笑顔で答えていく。

 

 ジズは適当な相槌を打ちながら内心で冷や汗を流していた。

 これからどうなるのか、ジズには分からない。原作の知識を活用出来るようになるのかもしれないが、果たして改変することが良い結果に繋がるのか、不安で仕方なかった。

 

「ところで、二人ってどういう関係?」

 

「伴侶だと思ってくれていいわ」

 

「それは誤解を招くからやめないか」

 

「誤解されたって問題ないでしょ?」

 

 顔を赤くして溜息を吐くジズ。ミュルジスの悪戯っぽい笑顔が今だけは憎らしい。

 ニヤニヤと笑うブレイズの顔を見て、どうやら前途多難らしいと更に大きな溜息を吐くことになった。

 

 

 

 

 ミュルジスの詰め込んだ非常用器具やらがバックパックをはちきれんばかりに膨らませている。肩にかかる重量を感じて、後ろに倒れそうになった。

 

「もう行っちゃうの?」

 

「……そんな表情する必要ないだろ」

 

 外出用の特製マスクを着け、ジズは準備万端だった。いよいよミュルジスは取り残されてしまうのだ。未来への投資とは言え、すぐに飲み下せはしなかった。

 

「分かってないわね。一生の別れじゃなくたって、寂しいことには変わらないのよ。乙女心は繊細なの」

 

「乙女心って言うか、家族心? じゃないのか」

 

「ああ、えぇっと、まあ、そうとも言うかしら?」

 

「なんだ、それ」

 

 この期に及んでミュルジスは勇気を出せなかったらしい。外に出るジズの足を止めることも出来ない。次に彼がここを訪れるのはいつだろうか。ひょっとすると何年もの間、直接顔を合わせることがないかもしれない。

 

「あなたの家はいつまでもここにあるわ」

 

「必ず戻る。だから待っていてくれ」

 

 暖かく落ち着いた研究園から一歩踏み出せば、頬を冷たい風が撫でていった。過酷な世界の風だ。一度や二度ならそう大きな影響を受けないが、大気に含まれる源石の蓄積は確かにジズの体を蝕むことだろう。

 マスクを今一度しっかりと着け直し、3月の乾いた空に息を吐く。

 

 外にはアーミヤとブレイズの他、ロドスの制服に身を包んだオペレーターが幾人か談笑していた。定刻まではまだ余裕がある。輸送車両まで歩く時間もある。まだ本当の別れではない。

 しかし、その痩躯を抱きしめられるのはこれが最後のタイミングだろう。彼女たちの下に向かおうとするジズを捕まえ、もう一度、別れを惜しむ。

 

「あたしはずっと待ってるから。いつになったって構わないわ。あたしの所まで、帰ってきてね」

 

「大げさだな」

 

 苦笑するジズ。

 ミュルジスはぐっと腕に力を込めた。

 

「撤回してくれるまで離さないわよ」

 

「ごめん」

 

「……別に謝ってほしいわけじゃないの。もう少しだけ、こうしていたくて」

 

 気が付けばロドスの面々の視線が集中していた。別離を見るのは初めてではないのだろう、暖かな視線だった。

 

 ジズが微かに身動きして、それを感じ取ったミュルジスがゆっくりと離れ――ない。離れない。離れなかった。

 

 結局、定刻まで二人はそうしていた。アーミヤが何か言いたげに近付いてきたタイミングでどうにか区切りをつけ、車両まで歩くことになった。

 アーミヤと別れ、ブレイズに誘導される。どうやら彼女が隣に座るらしい。話題に困らないのはいいにしても、前世の影響か、ジズには微かな苦手意識がある相手だった。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 

「水を差すようで悪いけど、ちょっといい?」

 

 怪訝そうな顔をしているブレイズ。

 

 ジズは思わずミュルジスの方を見た。

 まさか言っていないのか?

 

「「何かしら?」」

 

「――ええっ!? ミュルジスが二人!?」

 

「言ってなかったかもだけど、あたしはジズに分身を同行させるつもりよ。迷惑はかけないし、いいでしょ?」

 

「だから言ったんだ、大げさだって」

 

 水の分身がジズの手を引く。どうやらもう一人座るスペースはないようで、仕方なく『うつろう水影』に姿を変え、手のひらの上に収まる。

 

 別れを惜しむ必要はない。直接話せるのはいつになるか分からないが、それまで分身を通して語らっていればいいだけのことなのだから。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 テラ歴1096年12月某日

 p.m.0:11/曇天/視界:16km

 

 曇天の下に果てしない荒野が広がっている。

 ここは龍門(ロンメン)*1郊外のトランスポーター補給地点。

 

 4日前、ロドスはいくつもの隊を編成し、一つの目標に向けてとある作戦を実行した。

 

 

『ドクター救出作戦』 

 

 

 ウルサス帝国の移動都市チェルノボーグに眠るドクターを迎えに行く作戦だ。テロリズムと天災の襲来を搔い潜り、多くの犠牲を出しながらもその作戦は成功した。

 ――と言っても、レユニオンとの衝突の詳細はまだ不確定だ。状況が落ち着いていないため情報も纏まっていない以上、これらは俺が原作の記憶から推測したものになる。

 

 何せ俺は病室でぬくぬくと過ごしていたのだ。ロドスに居ながら当事者ではなかった。志願したところでミュルジスに抑えつけられただろうし、アーミヤやケルシーも許可を出さなかっただろうが。

 まあ、そんなことはどうでもいい。これが始まった以上、原作の些細な崩壊は気に留めるほどでもなくなったことの方が重要だ。サリアも既にロドスのオペレーターになっている。孤星までの道は確かに繋がった。

 

「ドクター。少しいいか?」

 

 目的の人物は隅の方でアーミヤと話していた。

 フードを被ったままの頭がこちらを向く。

 

「俺は術師オペレーターのジズ。君の指揮に従うオペレーターとして、挨拶しに来たんだ」

 

「ジズさんも参加していたんですね」

 

「チェルノボーグに行けなかった分、力になるつもりだ」

 

 アーミヤは嬉しそうに頷いた。

 その間もじっと俺の方を見つめている。

 

「俺の力は戦術指揮官である君の役に立てるものだと思う。よろしく、ドクター」

 

 差し出した手を握ってくれる。

 それと同時に強く接続して引きずり込む。

 

 僅かに戸惑ったような雰囲気を感じる。

 ミュルジスに接続しているときとは違って全く手ごたえがなかったから不安だったが、どうやらドクターは無事に信号を受け取ったらしい。

 

「どうかしましたか、ドクター?」

 

 離した手を見つめている。話しかけてから今まで、ドクターは一言だって喋っていない。警戒されているのか、それとも【……】が選択されているのか。

 

「ドクター、どこか悪いのか?」

 

「水分が足りてないんじゃないかしら?」

 

 そう言って、ドクターにコップを差し出すエルフが一人。

 

「ミュルジスさんも来ていらしたんですね」

 

「ロドスを信頼してないわけじゃないけど、一人にするのは不安で仕方ないもの」

 

「つまり、俺を信頼してないってだけだな」

 

「……意地悪ね、ジズ。あたしの涙がそんなに見たいのかしら?」

 

「そう思うくらいに信じてないのか」

 

「あんまりつつくようなら本気で泣くわよ」

 

 ミュルジスが渡したコップを傾け、一口飲みこむ。

 ワイワイと騒ぐ俺たちを、ドクターはぼうっと眺めていた。どんな表情で、何を思っているのか、俺には分からない。しかし嫌われてはいないだろう。大して良くはないが、そう悪くもない第一印象だったはずだ。

 そうして親密になって――ゲーム風に言えば信頼度を上げて――いつかミュルジスを救ってくれるなら、それでいい。孤星に関係なく手を取ってくれたっていいんだ。

 

 俺はドクターにミュルジスのことをいつ話そうか頭の中で考えながら、拗ね始めた彼女の機嫌を取る。それをドクターはやはり無言で見つめていた。

 

 そこで、一つ思いついた。原作が始まり、原作のキャラクターたちと交流し、浮かれていたのか。それとも、人形劇でも見ているかのようにフラットなドクターの視線に一抹の不安を感じたのかは分からない。

 

 

 ミュルジスとアーミヤが席を外したタイミングで再び話しかける。

 

「ドクター。記憶を失くした君には、きっと悲劇的で厳しい運命が待っている。どれだけ奇麗なベールに包まれようと、心がそれを纏うことはない。だからというわけじゃないけど……」

 

 ドクターにハンカチを渡す。

 そのハンカチに包まれているのは、小指の爪ほどの源石結晶だ。

 

「君がどうしても受け入れられない絶望を前にして、その運命は否定されなければいけない、得体の知れない輩に縋ってでも別の結末が見たい、そう思ったなら、このハンカチを広げてくれ。一度だけ、俺がその運命を変えてやる」

 

 ドクターはこくりと頷いて、言う。

 

【分かった。】

 

 どうやらドクターはきちんと話せるらしい。まあ、全ての場面に無言の選択肢があるわけでもないので当然か。

 そのまま他の話題を広げていく。ドクターは回答の前にしっかりと頭の中で組み立てるタイプらしく、沈黙することは多かったが、嫌な静けさではなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 龍門に到着してすぐ、近衛局の指示で搭乗口付近の暴徒の制圧にかかった。潜伏しているレユニオンは作戦に従事するほど脳がないと判断された感染者だ。しっかりと体制を固めた検問所は大した被害もなく撃退に成功した。

 

 始まったのは第二、第三章。スカルシュレッダー編だ。真っ直ぐに捻じ曲がった少年とその遺志を継いだ少女。やるせないストーリーだった。

 俺に出来ることはない。鉱石病に縛られた二人の運命を変えるには、俺の言葉は余りにも軽い。ミュルジスに庇護されて育った俺は彼らにかけてやれる言葉を持っていない。同類の感染者だからと言ってすべてを受け入れるわけじゃないだろう。

 

 

 龍門近郊でレユニオンの邀撃を繰り返すうちに物語は進行していた。スカルシュレッダーが撃破されたらしい。しかし、士気は大して上がっていないようだった。

 時間が経って余裕が生まれたことで、チェルノボーグでのことを含め情報が少しずつ整理されているようだった。

 負傷者数の推定。予想される今後のレユニオンの動向。ウルサス帝国の対応。帰ってこないエリートオペレーターの名前、生き延びてしまったオペレーターたちが吐く溜息。重苦しいニュースは多く、ミュルジスが『うつろう水影』になっている時間も長くなった。

 

 ここからは第四章から第六章。フロストノヴァ編だ。

 熱を奪う彼女のアーツは規格外の規模で、一つの移動都市全体の気温を最低でも五度下げられる。

 彼女は自身の身に宿る力が『冬』を越えていると言っていたが、それが大きく外れてはいないと言えば、その凄絶さが伝わるだろうか。

 

 既に原作改変の種は撒いた。

 それ以外に何か出来ることはあるだろうか、と思案する。

 

 そんなときだ。廃都市から救援を求める通信が入った。

 ウルサス帝国を離脱し龍門郊外で停止していたその移動都市には多くのレユニオンが乗船していると考えられていて、逸早く手を打たなければ龍門が手遅れになる。そういうわけで偵察隊が送り込まれていたのだが、原作通り幹部たちと会敵してしまったらしい。

 

 

 ――第四章の始まりだ。

 

 

 

 冷たい、不自然なほどに冷えた空気を切り裂く。

 空を舞う。強く結合した端末はそこらのロープより耐久性が高く、信号さえ送り続ければ、こうして空中ブランコのような曲芸さえ可能だ。

 

「適材適所だな」

 

「救援か! 助かった……!」

 

 ザアと集まった端末で括って三人のオペレーターを回収。剥き出しの鉄骨や崩れかかっている建物に端末を引っ掛けながら、前世の創作に居た蜘蛛男を模した挙動で戦場を離脱。相手が呆気に取られている間に、アーツやクロスボウの射程外まで逃れる。

 しばらく移動すると待機していた医療オペレーターやここまで同行した他の隊員が見えてきた。

 勢いを殺し、着地。彼らを預ける。

 

 少し動いただけだが息切れがする。

 この体は弱い。多少の力があったとして、天狗になっては死ぬだけだ。戒めなければいけない、と強く感じる。

 

「全然助からない、気持ち悪い……」

 

「う、うぷっ」

 

「しっかりしろ、ここだって安全じゃない。ほら、私物だが酔い止めだ。多少は効くだろう。……もっとマシな方法はなかったのか?」

 

 介抱する医療オペレーターからの視線が痛い。

 

 レユニオンに囲まれていたのを助けるためだったんだ。

 多少の無茶は許してもらいたい。

 

 視線から逃れつつ通信機で救援成功の連絡を入れる。どうやら一番早かったらしく、機動力に優れる俺は動き出しが遅れた班の援護に回ることになった。

 薄々分かっていたが、話を聞くうちに確信を持った。援護することになったのは原作組、つまりドクターとアーミヤを含むロドスの幾人か、そしてチェンとホシグマを含む龍門特別督察隊の班だ。

 

「無茶しちゃだめよ?」

 

「分かってる」

 

 ポケットからミュルジスが顔を出す。吐き気でそれどころじゃない三人を除いてオペレーターたちが一歩下がった。こうして見ると青狸の半月型ポケットみたいだ。

 

「さて、座標からして、アレか……」

 

 向こうに黒雲が集まっている。気温の変化が何かしらの影響を及ぼしているんだろう。つまり例の燃える『オブジェ』は既に氷漬けになっている。

 

 端末を伸ばす。

 君を決して、死なせはしない。

 

 待っていろ、ドクター。

 

 

 

 俺が広場を見下ろしたとき、そこには雪が降っていた。

 フロストリーフがアーツに凍てつかされて動けないようだ。

 

 広場を占拠するスノーデビルたちはもはや彼女に戦闘能力がないと判断しているらしく、その視線はアーミヤたちの方を向いている。攫うなら今のうちだろうが、果たしてそれは良い結果を招くだろうか。

 ここで助けなくとも、原作通りに進めば無事に救出される。俺の行動は結果だけを見るなら無意味だ。

 

「だからと言って――」

 

 見捨てられない。

 原作から僅かにでも外れたなら、その時点でドクターが命を落とす危険がある。何もしなければ原作の通りになるという保証はどこにもない。

 

 源石の砂塵を集める。この都市の大気には源石粉塵が多く、俺のアーツは使いたい放題らしい。遠慮なく操らせてもらうとしよう。

 

「『静かな黒に沈め』……♪」

 

 フロストノヴァの歌声が響く。不思議なメロディだ。確かアーツの詠唱だったような。まあ、そんなことに集中しているならもっと攫いやすい。

 

「『壊れた人形』……ッ!?」

 

 突如として広場を埋め尽くす漆黒の砂煙。フロストリーフを捕まえている氷は、広場周辺に埋められた源石がフロストノヴァに同調することで生み出されているため、そちらを無理矢理乗っ取ってやれば強度が落ちる。

 

「砕けろっ!」

 

 大きく振りかぶって、ハルバードが氷を粉砕する。

 

 フロストノヴァはその声に反応してすぐさまアーツを放った。透き通った弾丸が幾つも飛んで行き、崩れかかっていた建造物が流れ弾によって倒壊した。土埃が舞い、視認性がさらに悪くなる。

 

「フロストリーフさん!!」

 

「……無事だ」

 

 いつのまにか近くにいた彼女。

 アーミヤは安堵しつつも困惑した。

 

「俺の仕業だ。驚かせて申し訳ない」

 

「ひゃあっ! ジ、ジズさん!? どうしてそこに!?」

 

 アーミヤは良いリアクションをしてくれる。ブレイズが揶揄うのも分かる。戦場で居ないはずの人に背後から話しかけられたら誰だって驚くだろうとも思うが、それを勘定しても良い声だ。

 

「一足先に任務が終わったからな」

 

「そういうことではなくて……っ!」

 

「おい、あとにしてくれ。今はアレだ」

 

 広場が凍てつく。

 フロストノヴァがこちらを見ていた。

 

 詠唱が全てを凍らせていく。

 

 実感できるくらいのスピードで大気が温度を失っている。

 

「ミュルジス、離れているか?」

 

「これくらいなら大丈夫よ。別に凍り付いたって制御できなくなるわけじゃないもの」

 

 そう言えばエルフの力は水分子を操るものだった。以前、実際に水蒸気を手繰っていたし、氷になっても然程変わりはしないのだろう。

 

「水があったって邪魔になりそうだし、あたしは大人しくしてるわね。……危なくなったら、あたしに任せて逃げること。いい?」

 

「分かってる。いつも通りってわけだ」

 

 ドクターの指揮下に入る。

 これほど頼もしいことはない。

 

「あの歌を、止めなければ……」

 

 アーミヤが裂帛の気合で叫んだ。

 

「みなさん、力を貸してください!」

 

 

 対フロストノヴァ、第一回戦だ。

 

 

 

 流石のドクターと言うべきか。

 端末に映し出されるPRTS*2の情報と俺が端末で索敵して予測した情報を擦り合わせて的確にスノーデビル小隊の戦力を削っている。

 

「A4*3三体。右の二番目に高い建物の裏だ。西は9*4が二体だけで他は兵士だ」

 

【メテオリーテ、二ブロック東に移動。】

 

【ジェシカ、煙幕を使え。】

 

 順調だ。全くの順調。趨勢はもはやロドスに傾いている。

 フロストノヴァのアーツが込められた源石などで対処されているが、ジリ貧なのは目に見えている。

 このままだと第六章の後半をスキップできるかもしれない。フロストノヴァをここで打ち倒すことが出来れば、最高にドラマチックな悲劇を、最低に陳腐で馬鹿らしいハッピーエンドに変えることが出来る。

 俺がドクターに渡した原作改変の種は、まあ、どうとでもなる。それよりも優先すべきことがあるんだ。龍門で黒蓑によってスノーデビルが全滅することもなく、レユニオンは――

 

 ドォン、と突然大きな音が聞こえた。

 地面が爆発したように砂煙が舞う。前線を張っていたフロストリーフが吹き飛ばされ、体勢を立て直してすぐさま声を張り上げた。

 

「撤退だ! 今すぐ逃げろ!」

 

 あわよくば制圧、などと言ってはいられないほどの強敵が来たらしい。メフィストでも加勢に来たのだろうか。アーツの相性を考えれば、正直言って俺一人で対応できる相手だ。この近くには石棺もない。

 

 装備を確認していつでも出られるように待機する。そうしているうちに端末の視界から砂埃が消えて、そこには大きな影が揺らめいた。俺の視界に、その姿が映る。

 

「――――は? いや、いやいや、待てって。おかしいだろ、なんでこのタイミングでお前が……そんなシナリオだったか? *クルビアスラング*! 全部台無しだ」

 

【何のことだ?】

 

 ドガァン!! 槍が唸りを上げて地面に突き刺さり、その震動がここまで届いてくる。特徴的な仮面を着け、振るう槍、構える盾は城砦の如く堅牢。一振りで周りの端末が吹き飛ばされたため、一瞬しか見えなかったが、間違いない。

 

「レユニオンの幹部、パトリオット。今の俺たちでは逆立ちしたって勝てない相手の登場だ」

 

 致死の一撃。重装オペレーターがまともに受け――冗談のように回転しながら吹き飛んで、とんでもないスピードでビルに叩きつけられ、血と装備の破片が飛び散った。間違いなく即死だ。

 指揮能力で何とかなる差じゃない。モブのオペレーターでは何とか出来るわけがない。言いたくはないが、フロストリーフだって、メテオリーテだって、アーミヤだって力不足だ。

 

 単騎。救いがあるとすればそこだろう。ここでパトリオットの部下まで現れたなら本当に詰みだ。劣勢の通信を受けて急いで来たのだろうか。

 

「あたしが出るわ」

 

「……確かに、フロストノヴァはダメージを負って撤退してるし、ミュルジスが最適か」

 

 物理攻撃が効かない、と言うと語弊がある。パトリオットの一撃をまともに喰らえば、きっと雨になって俺たちに降り注ぐだろう。しかし、血の雨よりかは遥かにマシだ。気温も問題ない程度に落ち着いている。

 

「無茶しないように、ね」

 

 それだけ言って駆けていった。

 ミュルジスが到着するまでの間、逃げ損ねたオペレーターたちが次々に負傷を増やしている。今の所犠牲者は最初の一人だけだが――彼と、今から増える死体の責任は俺にある。

 

 人が死ぬ。襤褸切れのように。

 俺が原因で、死んでいく。

 

【冷静になれ。】

 

「……ああ、分かってる。全ては乗り越えてからだ。『涙は戦いが終わるまで取っておけ』だったか……涙なんて、出やしないのにな……」

 

【救援は君だけじゃない。】

 

「……なんだって?」

 

 今、何を言ったんだ。

 

 聞き返したその時、大気を劈くような轟音が響いた。

 

『さぁて、レユニオンのみんな、こんにちは』

 

 ドクターの通信機から声が聞こえる。

 

『感染者を敵に回したくはないんだけど、君たちがロドスの同僚を傷つけたって聞いたからさ……それに、今でも同僚たちと交戦中って話だから、ちょっと邪魔させてもらうよっ!』

 

「……ブレイズ!」

 

 こんな流れが原作にあったか? ――そういえばあったような気がする。第四章ではなく、そのあとで明らかになったことのはずだ。俺がただ単に失念してただけってことか。

 どうなってるんだ、ミュルジス周りのこと以外は穴だらけじゃないか。

 

「ドクター、通信機を貸してくれ」

 

 無言でこちらに寄越してくれた。

 ブレイズ、と名前を呼べば、快活な返事が返ってくる。

 

「ミュルジスを頼んだ」

 

『任せといてよ!』

 

 救援はブレイズだけではない。今になって思い出したが、近衛局のスワイヤーも駆けつけていて、この廃都市の入り口を確保しているはずだ。

 助かった。尻拭いをさせているこの状況を厚顔にも良かったなどと言える頭は、生憎と持っていないが。

 

「ありがとう、ブレイズ」

 

『お礼も何もかも全部、終わったあとの話だよ』

 

 エリートオペレーターのブレイズであっても、パトリオットを相手取るには足りないものが多すぎる。何せ相手は地上最強の単騎戦力だ。厳しい戦いは避けられない。

 

 しかし、幾つもの幸運があった。

 俺が前に出てパトリオットの目眩しを行いつつミュルジスに水を供給。フロストリーフのアーツで誤魔化しつつ、未だ冷気が残る広場に誘導。

 俺たちには広場(ギミック)の知識があった。そして、フロストノヴァが作り出した特殊な源石——霜凍源石(フロストオリジニウム)を扱うことのできる俺がいた。

 

 パトリオットは優秀な戦士だが、それ故に小さ過ぎる可能性は頭から排除している。ブレイズのような強力な戦士は考慮の内だろうが、俺のようなイレギュラーは考えていない。

 

 誘い込んだ所でミュルジスの激流がパトリオットを飲み込み、霜凍源石を全て起爆。

 

「『凡そ、血の通う者ならば』、『その心我の知るところなり』!」

 

「いくよ——ッ!!」

 

 動きが鈍ったパトリオットに向けて放たれたブレイズとアーミヤのアーツがダイヤモンドダストと衝突し、大爆発が広場に大きな穴を開けた。

 パトリオットは移動都市の基礎フロアに落ちたことだろう。

 

 マップの情報、致命傷を受けても回復できるミュルジスの牽制、ブレイズの奮戦、俺のアーツによる補助と霜凍源石の起爆、そしてドクターの指揮。

 何か一つでも欠けていればこの作戦は成功しなかった。これだけやって、恐らくは足止めにしかなっていないというのが信じられない所だが——ともかく、廃都市の戦闘はこれで終わりだ。

 

 

 退路を塞ぐ瓦礫をブレイズが吹き飛ばした。

 早々に体力が限界を迎えたドクターを抱えたまま、俺たちを先導してくれている。

 

 そんな彼女を見て、俺は後悔していた。

 格好付けたばかりに、原作では出ていなかったはずの犠牲を出してしまった。その事実が俺の胸に突き刺さったんだ。

 確かに、俺はフロストリーフを助けたように見えただろう。パトリオットは不運がかみ合っただけだと言ってくれるだろう。

 ブレイズが間に合わなければもっと犠牲者の数は増えていた。

 

 俺は知っていたんだ。

 だがそんなつもりじゃなかった。

 もっと良い結果になると思って、させてみせると誓って――それが、あんな結果だったんだ。

 

「……クソッ」

 

「だから、言ったでしょ? そういうのは全部終わってからだって」

 

 そんなこと分かってる。

 ささくれだった心が反発した。

 

「もう終わったようなものだろ。フロストノヴァは撤退して、パトリオットは遥か後方だ」

 

「あーあ、そういうこと言ってると――」

 

 進行方向に氷柱が幾つも突き刺さり、冷気が押しのけるように広がった。

 

「――悪いことが起きるよ」

 

「お前たちを、決して逃がしはしない」

 

 対フロストノヴァ、第二回戦。

 ……龍門まで取っておくつもりだったんだが。

 

 

 

 

 フロストノヴァとの戦闘は膠着した。

 熱を操るアーツは対処法の少なさが利点であって、同じようなアーツを持つ者同士であれば――このように、ブレイズはフロストノヴァを攻めきれず、フロストノヴァはブレイズを攻めきれない。

 

 勿論フロストノヴァが全力を出せていれば、そんな状態もありえないのだろうが。

 

「ゴホッ、ゴホッ……」

 

 彼女が咳き込む。風邪の時に聞くようなものではなく、まるで肺を絞っているような、見ていて痛々しく感じるような咳だった。血が混じっていたとしても不自然じゃない。

 

「手加減されてると思ったら、そういうこと。このスキに行くよ、アーミヤちゃん!」

 

「行かせると、思うのか?」

 

 手を翳すフロストノヴァ。

 ブレイズは呆れたように溜息を吐く。

 

「忠告しておくけど、もうアーツは使わない方がいいよ。それ以上は命を削るだけ。ロドスに来ればその短い寿命だって少しは伸びると思うけど……」

 

「私を憐れむつもりか? そんなものは、不要だ。ゴホッ……それに、お前たちがそのロドスに帰ることはない。私がお前たちを逃がすことはないからだ」

 

「そう、そういうことなら、ドクター、アーミヤちゃん、早く行こう。あの白ウサギちゃんに構ってる暇なんてないからね」

 

 飛んできた氷柱を避ける。

 アーツが建物に当たると、その壁全体が凍り付いた。

 

「逃げるためには包囲を突破する必要があります。ブレイズさんはフロストノヴァさんの対応で難しいですし、突破力と言うと……」

 

「それはドクターに任せればいいでしょ?」

 

【いったいどんな便利装置だと思ってるんだ?】

 

「あはは……」

 

「みんなの力を合わせるしかない。そのためには、ドクターの力が必要だよ」

 

 そんな作戦会議をしている間にフロストノヴァは一手、準備を追えたらしい。

 このあとの展開はどうなるのだろう。原作と全く同じではないが、似たようなシーンがどこかにあったような。役に立つとは思えないが、しかし、どこかデジャヴを感じる。

 

「このまま消耗させられるのは面倒だ」

 

「待ってくれ、姐さん。ここでやるのはリスクが高い」

 

「だが、ここでしか使えないだろう」

 

 思い出せ。フロストノヴァは何をしようとしてる? 

 

「ゴホッ、ゴホッ……」

 

 端末が情報を拾った。

 

 ()()

 

 

「脆弱化せよ!」

 

 

 記憶が鮮明に蘇る。

 

「下がれ、みんな! 地面が崩れる!」

 

「ええっ!?」

 

 揺れる地面に立っていられなくなったドクターが膝をつく。そして次の瞬間、大きな亀裂が走った。

 俺の言葉で対応されると思い焦ったのか、フロストノヴァが更に力を込め、手を伸ばそうとした瞬間には既にその頭が見えなくなっていた。

 そして同時に、フロストノヴァの足元が揺らいだ。

 

「姐さん!」

 

 充分に距離を取って——崩れる。ブレイズに首根っこを引っ掴まれてギリギリで助けられた。

 

「ドクター、そんな……!」

 

 思わず助けに入ろうとしたらしく、アーミヤはメテオリーテとフロストリーフに捕まえられ暴れていた。

 

「一応、俺のアーツで覆うのが間に合った。強度が高いとは言えないが、落下の衝撃を和らげてくれるはずだ」

 

 端末の強度が高いのは俺と直接繋がっているときだけだ。今のように量が足りなかった場合、突風で吹き飛ばされる程度の耐久性しか持たせられない。

 原作の通りなら心配いらないのだろうが、既に展開は変わっている。落ちたときにドクターが運悪く死んでいたって不思議じゃないんだ。一応フロストノヴァの方も防護は間に合ったが、いかんせん離れていたせいで自信がない。

 

 そんな不安とは裏腹に、展開は全く原作の通りに進む。

 スノーデビル小隊とは一時休戦し、裏切りだ何だと言いながら襲ってきたレユニオンを共同で返り討ちにした。

 

 瓦礫を撤去するにあたって、俺のアーツは役に立った。頭の中の視界とは言っても光だけが情報じゃない。空気の振動からエコー検査のように物の形を推測できる。精度が低いくせに疲れるから滅多にやらないが。

 

「ドクター!」

 

 先に掘り当てたとき、アーミヤは本当に嬉しそうだった。そして同時にスノーデビル小隊が僅かに殺気立った。

 俺はスノーデビル小隊の中でもロドスとの橋渡しをしてくれた二人を呼んだ。スノーデビル1号とビッグベアだったか。

 

「姐さん!」

 

 ロドスとスノーデビルの両名が覗き込んでいる光景にフロストノヴァは面食らったようだった。そして小さく笑ったんだ。想定外の嬉しい出来事があったように。

 

「交戦していない、か。どうやら私たちは敵同士ではないらしいな、ドクター」

 

 助け出されたフロストノヴァがそう言うと、ほんの少しだけ残っていたピリピリとした雰囲気が消えた。

 彼女は視線をアーミヤに移す。

 

「子ウサギ。お前たちが龍門に向かうのなら、いずれ敵として出会うときが来るだろう」

 

「……私たちは、戦いを好まないあなたたちと干戈を交えたくはありません」

 

「であれば、二度と会わないことを祈るのだな」

 

「フロストノヴァさん!」

 

 アーミヤはどうやら希望を放したくないらしい。スカルシュレッダーやミーシャとは分かり合えなかった分、フロストノヴァに希望を見出しているんだろう。

 

「必要なら、お前たちを殺すことも私は厭わない。たとえ傷つけたくないと感じていても、だ」

 

【ロドスに来れば戦わずに済む。】

 

「——では、私に勝利して見せろ。そうすれば考えてやる。もっとも、次に出会うときは敵同士だ。どちらかが死ぬまで終わらない戦いの中にいるだろうがな」

 

 アーミヤが押し黙った。

 

 フロストノヴァは最後に凍傷に効く薬をフロストリーフに渡し、ブレイズがスノーデビル1号に酒を酌み交わす約束をして——一方的に取り付けて——俺たちは別れることになった。

 

 俺は何も出来ていない。

 原作をいたずらに引っ掻き回して、あとは見ていただけだ。

 

「なあ、スノーデビルの隊長」

 

 だから、一つだけ。

 

「たとえば君が持っているものをすべて失い、大切なものは手から零れ落ちて、一寸先すら見えない暗闇に叩き落されたとする。そんなことになって、それでも――」

 

 確認しておきたかった。

 許されたかった。

 

「君は生きたいか?」

 

 恐らくそうなるだろうという確信があった。だから俺は聞いた。頷いてくれることを願っていた。俺には人の運命を変える勇気がなかったんだ。だから許可を求めた。

 

「さあ、な。その時にならなければ分からない」

 

「……そうか。それなら、答えが出ないことを祈っておこう」

 

 俺は、本当に変えてしまってもいいのか?

 

 

 

 

 第五章。廃都市に注力していた隙に龍門を占拠され、それをチェンとホシグマが取り返しに行く、龍門近衛局の回だ。ロドスの出番は最終盤だけで、それもドクターにアーミヤ、ブレイズのみの参戦だ。俺の出る幕はない。

 龍門への総攻撃に痛烈なカウンターを喰らったことで、レユニオンは敗北を喫することになる。遁走するレユニオンへの追撃と制圧、そして殲滅で龍門の異分子は徹底的に排除される。それが第六章の粗筋だ。

 

 第六章にあまり良い思い出はない。

 

 彼が死んだ。一人では何をすることも選べない哀れな友人を逃がすため、彼は疲労が呼ぶ微睡みに身を投げた。

 

 そして、彼女が死んだ。

 ロドスの、彼女が死んだんだ。

 

 ゴトゴトと揺れる。

 輸送車両が俺を揺らす。

 

 毛布は骨まで冷えた体を暖かく包んでくれていた。

 

「酷い顔ね、ジズ。眠れないの?」

 

「いや、寝るよ」

 

「……なら、あたしの話に付き合ってくれる?」

 

 どうやら気を使われているらしかった。

 

 他愛もない話をした。生態研究園では夕食のときに話していたような内容だ。ここしばらくでは聞いていなかった類の話でもある。アナスタシアのことも聞いた。クリステンとサリアの話、新設されたアーツ応用課の主任であるドロシー・フランクスの話。

 

「それで、あのヤギってばまた……あら?」

 

 疲労だけがあったのに、いつのまにか眠くなっていた。張りつめていた気が霧散したようだった。

 今は午前二時だ。あと二時間ほどで第五章の終わりを迎えて、それからすぐに第六章が始まる。

 

「ふふっ。おやすみなさい、ジズ」

 

「……おやすみ、ミュルジス」

 

 取り返すんだ。

 自分の失敗は、自分の力で。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 この力が何を変えられるというのか。

 

 

 悲鳴と絶叫がスラムから溢れていく。

 愛する人を奪われた悲しみ、一人の人として扱われなかった屈辱、強く抑えつけられて熟成された、その身を焦がすような復讐の誓い。それら全てが塗り替えられる。――恐怖という感情に。

 

 ジズは横たわる男のそばに膝をついた。おどけてスノーデビル1号と名乗っていた男だった。ウォッカを仲間と酌み交わし、そして覚悟と共に剣を取った戦士。

 

 

 第五章にて、占拠されていた近衛局本部を取り返したチェンたちだが、それまでの流れは龍門の行政長官たるウェイ・イェンウの作戦に過ぎなかったことを知る。

 レユニオンだけでなく、ロドスや近衛局特別督察隊さえ、ウェイ・イェンウが操る盤上の駒に過ぎない。

 敗北が決定的になり、レユニオンはたった一つの脱出口から逃れようとする。それを追撃するという名目で、彼は脱出口があるスラムの住民を一掃することが出来てしまうのだ。

 

 どれだけの感染者が、スラムの貧民が、レユニオンに感化されたかは分からない。しかし零ではない。それだけでも不穏分子として処理するには充分な理由で、更には大義名分まで揃っている。

 

 派遣されたのは近衛局員とロドスのオペレーターを除き、スラムにいる全ての人間を抹殺するための特殊部隊。その実力は圧倒的なものだ。次々にレユニオンはその数を減らしていった。そして、スラムの人口まで。

 

 

 ジズ。鉱石病患者の感染レベルを下げられる、現状、恐らくは世界で唯一の特効薬。その力が生み出す富は計り知れない。全ての国で賓客となれるだろう。誰もが羨む能力を備えた一人の転生者。

 

 ――この力が、何を変えられるというのか。

 

 源石は情報の伝達性に優れる。時には人の感情をも伝えてくれる。だがジズに触れた源石はそれらを全て消し去ってしまう。上書きしてしまうのだ。

 霜凍源石の中に埋まっていた感情はきっと暖かいものだった。彼らを守るために行使された彼女のアーツが暖かくなくて何だと言うのだろう。アーミヤなら知ることが出来たのだろうか。しかし、もうその未来は訪れない。

 

 

 レユニオンを襲撃する特殊部隊に対抗するため、フロストノヴァは命を削って戦った。その結果彼女は気絶してしまう。そして次に目が覚めた頃、彼女の周りには誰も残っていなかった。

 

 ジズにはその絶望が分からない。

 

 人を遺してこの世界に来た。

 そして大切な人を救うことに成功した。

 

 分かってやれない。

 

 源石に残留する感情を探る。

 その力はあまりに強力で、塗り潰された空っぽの源石に、もはや彼女の名残はない。

 

 何も分からない。

 

 

 いったい、何を変えられるというのだろう。

 

 

 彼女の命を繋ぎとめる。確かにそれは可能だ。しかし、それで蘇った彼女は絶望を振り払えているのだろうか。本当に彼女を救うつもりなら、スノーデビル小隊を全滅させるべきではなかった。

 あのとき、廃都市で制圧出来ていたなら。第五章に参加して、ウェイやチェンなどと関わっていたなら。そんな後悔が心に募っていく。

 

 ジズの力は鉱石病を解決する。

 しかし問題はそれだけに終わらない。

 

 感染者と非感染者の対立は、往々にして源石よりも命を奪う。その力はスノーデビルを守れなかった。フロストノヴァの絶望を阻止できなかった。

 

 無力を嘆く。

 

 その手に、いつのまにかミュルジスが手を重ねていた。

 

「ジズ。こんな言葉を覚えてるかしら。『奇麗事はコストがかかるもの』って。あなたがどんな理想を求めているのかまでは、あたしには分からない。けど、きっとそれは……奇麗で、純粋で、愚かで、そして、あなたの身には過ぎた願いなのよ」

 

「分かってる。俺は傲慢だ。どうしようもないくらいに」

 

「そう、あたしたちってやっぱり似た者同士みたいね。身の丈に合わない理想主義者(ロマンチスト)が二人揃ったら、どんな夢が見られるのかしら」

 

「……陳腐でつまらない物語だ。最後にいきなり救世主がやってきて、全ての登場人物が幸福になる、落第級のストーリー」

 

「映画館で上映されたなら絶対にレビューは星一つ。エンドロールなんて誰も見ないで立ち上がるでしょうね。――ええ、それはそれは素敵な御伽噺」

 

 何の解決にもならない力だ。

 しかし、一つだけ変えられるものがある。

 

「ミュルジス。きっと俺はこの力を使うことになる。許してくれるか?」

 

「それはジズが決めることよ。あたしの許可なんて必要ないわ」

 

「それでも、だ」

 

「……ほんと、卑怯よね。あたしの選択肢を全部奪ってから聞くんだから」

 

 ジズは覚悟を決めた。

 その小さな小さな力で、たった少しばかりの希望を――可能性という名の希望を灯すことの決心がようやくついたのだ。ドクターに預けた源石の信号を受け取ると、下層フロアに通じる通路に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 龍門下層フロア。そこは極寒に包まれていた。

 源石を多分に含むその空気はジズにとって猛毒だ。特製マスクを着けた上で、隙間が生まれないように端末で固定する。ざらざらとした黒いフレームはアーツによる冷気を少しだけ和らげてくれるようだった。

 

 寒流があるということは戦闘中ということだ。ドクターたちに加勢しようか少し悩んで、やめた。本気のフロストノヴァに対して頭数を増やすのはむしろ愚策だ。賢明な判断だろう。

 

「自分の死について、何度も考えたことがある。しかし及ばなかった。まさか、行き着く先がこれほどまでに孤独な死だったとはな」

 

 フロストノヴァのアーツは大気中の水分子と結合して威力を向上させている。水分子の制御権を奪えるエルフなら多少貢献できるかもしれないが、片方は水の体が故に致命的なほど動作が鈍る。もう片方は体力不足で極寒を耐えられない。

 遠く離れた柱の陰で、ジズはじっと機を窺っていた。

 

「なぜ私は倒れた? なぜ、私はこんなにも弱い? なぜ、なぜ……優れた戦士の、更に一握りは『憂い』を持つ。問いかけているからだ。その戦いの意味を、常に考え続けているからだ」

 

「うっ、気温が、下がり続けてる……」

 

「もっと近くに寄って! そんな遠くじゃアーツがまともに機能しない!」

 

 グレースロート。非感染者としての立場で――と言うには特殊な背景事情を持つが、感染者の被差別意識が強いブレイズとしばしば衝突しつつも、考え、感じることをやめなかったオペレーター。

 簡単に目を逸らせるものを見つめ続けられる者はそういない。受け入れられないものを、それが正しくないと分かっていても、受け入れる努力さえ拒んでしまう者は少なくない。

 

 考え続けるのだ。

 この大地に生きている限り。

 

「レユニオンには理念があった。リーダーであるタルラの行動には信念があった。今はどうだ? かつての話になってしまった。そこにあるのは扇動と放任だけで、感染者の行く末にはまるで興味がない。……今になって気が付いた。彼女は初めから同胞を欺いていたのだ」

 

【意図に関わらず、責任はある。】

 

「もし彼女が最も凶悪な計画を用いて、感染者にとって最も暗い未来に向かわんとするなら……彼女の邪悪さは必ず滅せられるべきものだ」

 

 だが、と寒流が吹き荒れる。

 

「私の兄弟姉妹や、死んでいった感染者、非感染者の者たちは、もはや戻ってこない」

 

 怒りがドクターたちの体を叩く。もはや出来ることはない。一度失くしてしまった命は、どんな奇跡が起ころうとも取り戻せない。だからこそ、彼女はロドスに期待している。

 

「タルラの前に残る最後の敵は、何の志も持たない、死と共に歩んだ経験もない者たちでいいはずがない。――アーミヤ! お前に心が読めるのなら、今、読んでみるいい。私の怒りを、辛酸と煮えたぎる思いに十年間も灼かれ続け、それでも鼓動を止めなかった私の心を!」

 

 ジズは拳を握り締めた。彼女の怒りなど、気高き悲憤など、その声に込められた熱から充分に理解できる。しかし、それだけだ。

 所詮は空想。たった一部を受けとって、残りは勝手に推測された紛い物。真に感情を借り受けられるのはアーミヤだけだ。

 

「さあ、早く読むがいい! 無実の罪で死を強要された家族のため、腐敗したウルサスのため、感染者の同胞のため、そしてウルサスの人々のため、未だ鼓動を止めず死を受け入れないこの心臓に、どれだけの怒りがあるのかを!」

 

 アーミヤは沈黙した。

 そして、一つの問いを投げかける。

 

「彼女を恨んだことはありますか?」

 

 声が冷気に溶ける。

 フロストノヴァは咳き込み、そして小さく笑った。

 

「ない。ただの一度も。怨讐は何も残さない。……私にあるのは、この醜悪な大地に対する尽きぬ怒りだけだ」

 

 愚問だった。

 それ故に、問い返す。

 

「お前はどうだ。この大地に奪われたものはないのか? 親しい者を、共に笑った友人を。亡骸に耳を傾け、もはや聞こえることのない拍動の音を探したことはないのか?」

 

 ミュルジスがポケットから顔を出して、ジズの胸に耳を当てる。確かに鼓動する心臓は生命の証明だ。それが止まってしまうことなど考えたくもない。

 

「ただ理念を並べるだけで、ただ技術を手に入れただけで、ただいくつかの部隊を立ち上げただけで……彼女に勝てると思ったか? お前たちは、白昼夢から目覚めるべきだ」

 

 フロストノヴァのアーツがさらに勢いを増す。

 

 頬を撫でる冷気が音を立てた。流れていた涙が凝固し、睫毛に白い雪が積もっていた。

 アーミヤはフロストノヴァの感情をようやく理解したのだ。

 

「分かりました、フロストノヴァさん。私が……いえ、私たちが為すべきことを……」

 

 眼差しに宿るは覚悟だ。借り物の感情から、アーミヤは本物を作り出した。あの廃都市で交戦したようなただの子ウサギではない。ロドスのリーダーとして、アーミヤはその覚悟を以て立ち向かう。

 

「『それが必要な戦いならば、最後まで戦い抜く』」

 

 そこには敵が立っている。

 

「ドクター。……フロストノヴァさんと、戦いましょう」

 

 打ち倒す。

 それが必要だ。

 

「どちらかが倒れるまで」

 

 それを聞き、満足そうに笑う。

 

「そうだ。今ここで決着を……」

 

 フロストノヴァのアーツが、寒流に鏤められた氷の結晶が、まるで獰猛な牙のように光っていた。

 

「最後の戦いだ」

 

 勝利条件は、敵を討ち果たすこと。

 

「もしお前たちが私を破り、生き残ることができるならば――私はロドスの一員となり、お前たちの信条と共に感染者の敵と戦うだろう。これは、私が負うべき責任だ」

 

【その約束、必ず守ってもらうぞ。】

 

「約束したからには、必ず果たそう」

 

 全く、ふざけた話だ。ジズはそう吐き捨てた。別に、フロストノヴァの言葉を嘘だと咎めるつもりはない。

 ただ、そんな科白を――空の約束を、消えない傷を、この大地は生み出している。それが無性に許せなくなっただけだ。

 

「お前たちは何者だ?」

 

「何者にもなります」

 

「誰のために戦う?」

 

「全ての人のために」

 

「……ありがとう、アーミヤ」

 

 フロストノヴァが詠唱を始めた。

 ブレイズ、グレースロート、アーミヤ、ドクター。ロドスの面々は即座に意識を切り替える。これから起こるのは戦いだ。命を懸けた、最後の戦いだ。

 

「お前たちの荒唐無稽な夢はここで終わる。それが嫌なら、打ち破るだけの力をここに示せ。否を唱えるだけの力で、この私を破ってみせろ!」

 

 フロストノヴァがアーツを放つ。

 その声は衝撃音に隠れて、しかし明瞭に。

 

「――そして、希望を見せてくれ」

 

 

 

 

 全く卑怯な行いだった。

 無責任な彼は、ドクターという主人公に判断を委ねたのだ。

 

 

 

 

 フロストノヴァ。源石に体を蝕まれ、ブレイズのチェーンソーすら容易く跳ねのけながらも、一歩及ばず力尽きた彼女。ブレイズは負傷によって倒れ、アーミヤは彼女に促されて感染者を救うために下層を離れ――しかし、ドクターは一人、彼女の体を抱えている。

 

「……ドクター、お前のことだ。もう分かっているのだろう」

 

【ロドスに入ると言ったのは嘘だったのか?】

 

「私にその資格はない。レユニオンと共に龍門を脅かし、感染者の未来を狭めてしまった悪人には、相応しい結末がある」

 

 命が零れ落ちていく。

 

「私は……私が死んだとしても、それだけだと思っていた。あの馬鹿者たちは、私の兄弟姉妹たちは、きっと彼らだけの力で居場所を見つけられるのだと」

 

 軽い、軽い体だった。

 

「間違いだった。あの馬鹿者たちは全員、私を生かすために死んでしまった。すべてが、私たちの命までもがいいように利用されてしまった。……無念だ。しかし、もはや手立てはない」

 

 フロストノヴァの悔恨は深い。

 だが、その目は未練に囚われてなどいなかった。

 

「お前たちがその信条を持ち続けるならば、タルラとはすぐに衝突することになるだろう。陰謀は既に充分な力を蓄え、龍門を包囲している。感染者の希望となれるのは、静観を決め込むであろうウルサス帝国でも、不穏分子として見做す龍門でも、況してや、理性なき暴力を掲げる今のレユニオンでもない」

 

 タルラはフロストノヴァと同等か、それ以上に強力な戦士だ。そんな相手とロドスは正面から戦わざるを得ない。いや、それどころか不利を押し付けられることになる可能性が高い。

 しかし、託すことに不安はない。

 

「お前たちロドスがタルラを打ち滅ぼせ。彼女の狂気を止めろ。レユニオンにもはや彼女は必要ない。或いは……」

 

 フロストノヴァは少しだけ躊躇って、そして。

 

「私個人としての願いだ。彼女を救って――いや、助けになってほしい。私たちのような数多の同胞たちと共に……泥にまみれながら進み続ける、タルラを……」

 

【フロストノヴァ。】

 

「なん……だ……」

 

【彼の問いを覚えているか?】

 

【廃都市で君が受け取った、あの問いを。】

 

 

『たとえば君が持っているものをすべて失い、大切なものは手から零れ落ちて、一寸先すら見えない暗闇に叩き落されたとする。そんなことになって、それでも――』

 

 

「ああ、そうだな……私は……」

 

 その視線が宙を泳ぐ。

 

「――生きたい。私を生かしてくれた、あの馬鹿者たちに……報いたい。私が彼らに……会いたいと願うなど、許されない……ことだ。私は……前を向いて、死んでいくべきだ……」

 

【そうか。】

 

 ドクターがポケットからハンカチを取り出した。

 祈るように、希望に縋るように。

 

「ドクター。それはもう必要ない」

 

 いつのまにか、ジズはそこにいた。そのハンカチは開かれなかった。それを開くことがドクターの決心を意味すると思っていたから、ジズは自ら姿を現し、その手を止めた。

 

「申し訳ない。俺は選択を君だけの責任にしようとしたんだ。一人の運命を君に委ねようとした。それは俺も背負うべきものだったはずなのにな」

 

「お前、は……」

 

「フロストノヴァ。俺には語る資格がない。君の兄弟姉妹を、君の父親を、そしてドクターの心さえ、俺は代弁する資格を持たない。だからこれは俺のエゴで構わない」

 

【見くびってもらっては困る。】

 

「……それなら、そうだな。これは俺とドクターの願いだ」

 

 ジズはナイフで手首を切った。

 滴る血が凍った地面に斑点を落とす。

 

「これから君の運命を捻じ曲げる。その死を、俺は――俺たちは、俺たちのためだけに、侮辱する。泥を塗って蹴り飛ばしてやる」

 

 端末が噴き出る。黒雲にすら見紛うような密度の砂嵐がフロストノヴァに纏わりつく。

 

「ドクター、手を握ってやってくれ。少し痛むからな」

 

 全身に巡る。その冷え切った源石に同調し――顔を歪めた。

 どうやら忠告は蛇足だったらしい。フロストノヴァが感じている疼痛は生半可なものではなく、ジズの施術によるものはちっぽけな痛みだった。

 

「……フフ……そうか。お前たちがそれを望むなら……私には、約束もあることだ。断るのは……非礼というもの、だろう……」

 

 フロストノヴァが笑う。その胸臆を推し量ることは出来ない。微笑んでくれたことがジズには信じられなかった。あれだけの絶望を前に、どうして笑えるのか。

 その答えは単純だ。

 

 フロストノヴァは強かった。

 ただそれだけのことだ。

 

「ドクター」

 

 握る手に力が込められた。

 

「……そう呼んでも、いいのだろう……? 私は、ロドスのオペレーターだ。違うか?」

 

【ああ。君はロドスの一員だ。】

 

「ゴホッ、ゴホッ……フフ、そうか……」

 

 フロストノヴァはアナスタシアと全く違う。いくつもの臓器が源石に侵食され、その体は強く源石と繋がっていた。アナスタシアのように、ごく短時間で上昇した脆い融合率ではない。

 そして、今のミュルジスに支援する力はない。ただの分身では手を握っていることが精々だ。演算領域はたった一人の頭の中だけだった。

 

 しかし、諦める選択肢はなかった。

 

 ドクターを見て、フロストノヴァを見て、それが必要だと思った。悲劇の上にある覚悟は確かに堅いが、肯定することは出来ない。立ち向かうために、悲しみは要らない。涙ばかりが人を強くするのではない。

 

 だから、ジズは懸命に手繰り寄せた。

 その死を否定するために。

 

 悲劇を否定し、二束三文の喜劇に変えるために。

 

 

 

 

 

 

 第七章、第八章。

 ロドスはレユニオンとの決着をつけた。

 

 ドクターとアーミヤの奮戦は原作の通りに着地した。

 しかしその傍らに、原作では見られなかった、白いウサギを伴っていた。ジズは治療の代償に融合率が上昇し、医療オペレーターから強く叱りつけられ、その後のメインストーリーに関与することはなかった。

 

「ドクター。いつか君に頼みたいことがあるんだ」

 

 そう言って、ジズは遥か西を望んだ。

 来たる未来――1099年に思いを馳せて。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 孤星。孤独な星。

 それは第一にクリステンを指す言葉だろう。

 ただ己のためだけに、誰にも理解されないことに挑み、そして成し遂げた才人。

 

 しかし、果たしてそれだけだろうか。

 たとえば、このテラという惑星。高度六千メートルほどに阻隔層と呼ばれる空気の層があり、空にある星々は歪んで見えていると判明している。そんな層に阻まれた星が孤独でなくて何なのだろうか。

 

 『孤星』、その前身たる『翠玉の夢』。

 

 フェルディナンドの指令に従うエージェントとして、ホルハイヤはミュルジスを捕らえ、パワードスーツに押し込めた。

 本来の物語であれば、ミュルジスと待ち合わせをしていたサリアが来ないことを不審に思い、ドクターやMechanistと共にミュルジスを探すことになる。

 

「ごめんなさい、ちょっとヘマしちゃったみたい。きっとあたしの命までは狙っていないでしょうけど……ねえ、ジズ」

 

 分身から色が消える。

 それほどまでに余裕がないということで。

 

「あたしを助けに来てくれる?」

 

「当たり前だ」

 

 制御を失った水が床を濡らした。ジズはすぐにドクターと連絡を取り、トランスポーターの手配と共にサリアまで通信を入れた。

 

 原作が始まった。

 本来なら喜ぶべきであろうその報に、しかしジズは拳を握りしめた。

 ミュルジスを傷付けた者の名前を、容姿を、アーツを、意図を、願いを、迷いを知っている。だからこそ、苛立たしさが収まらなかった。

 

「……俺はこうなるって分かってた。それなら、俺も同罪だ。だからって……!」

 

 ロドスに乗船している間、当然ながら幾人ものオペレーターと出会った。その中には合わない者だっていた。失礼な言葉にミュルジスが口を挟むことすらあった。

 それを原作のキャラクターというだけで許せていた。魅力として捉えてすらいた。Wはそのスカした態度に鼻を鳴らした。気味が悪いほどに寛容だった。

 

 しかし、ミュルジスが傷付けられて笑っていられるほど、ジズの度量は大きくなかった。

 

 

 

 テラ歴1099年10月某日

 a.m.1:21/晴天

 

 トリマウンツを訪れたジズ、ドクター、Mechanistはサリアに連れられて喧騒に押し入った。ミュルジスの調査を妨げるように来襲したパワードスーツ、その中にあった銀色の液体について調べるためだ。

 

 情報を持っているらしき男には何やら事情があるらしく、ジズとMechanistを信用できないとして除け者にした。ロドスが誇るエリートオペレーターは何とも言えない雰囲気で酒を飲み出し、その隣に腰を下ろす。

 しばらく見ていると、男の態度がヒートアップしていった。話は佳境に入りつつあった。そして、そこに水を差す者が一人。

 

 グラスが倒れた。Mechanistはたった一杯で酔ったのかと揶揄おうとして固まった。ジズは静かに席を立つ。

 

 男に口止めをして、挑発。サリアを揶揄って逃げていく。ここでの出来事はそれが全てだ。ホルハイヤが落としていく情報はドクターやサリアなら自力で導けるだろう。それなら——多少変えてしまっても構わないはずだ。

 

「なあ、君。ちょっといいか?」

 

「あら? あなたは……ふふっ、なんて寂しそうなの? まるで親とはぐれた子供みたいね。私が守ってあげましょうか?」

 

「要らないな。俺が君に言いたいことは一つ。命を粗末にしてはいけないってことだ」

 

 ホルハイヤは一瞬理解できなかったようだった。しかしすぐに笑い出す。義憤に駆られるわけではなく、復讐心を持つわけでもなく、家族を殺さないでくれ、などと言っているのだ。健気で可愛らしかった。

 ホルハイヤがミュルジスを拉致したと明確になってはいないこの状況で何故確信しているのか、という疑問に気付いていながらに無視してしまった。それが明暗を分けた。

 

 ははは、とジズが笑う。

 ドクターは言い知れぬ恐れを覚えてサリアと共に後ずさった。

 

「命ってのは大事なものなんだ。だから、君がやるべきことは一つだけ。——命乞いだろ?」

 

 瞬間、ホルハイヤの足から力が抜ける。

 床に倒れ込む。無様に寝ている。何が起こっているのか分からないのだろう、困惑が見て取れた。

 

 彼は知っている。ホルハイヤの装備が彼女の筋力には見合わない重量で、アーツが軽減しなければ押し潰されてしまうことを。

 だから邪魔をしてやったのだ。

 

「ああ、そうだ。出来るじゃないか。そうやって頭を垂れて、這いつくばって、あとは言葉だけだ。自分で出来るか? それとも、その台詞まで俺が考えてやろうか?」

 

 覗き込んでやる。

 何を言えば傷付くか、分かっている。

 

「俺はな、君をそうさせるのに装備なんて要らない。だってそうだろう? 己の種族に宿った力なんて、徒手で扱えて当然だ」

 

 己の種族に誇りを持つホルハイヤ。しかし、失われてしまった祖先の力を十全に使うためには装備が必要だった。それが分かっているから言ってやるのだ。丸腰のエルフに見下ろされている現状を。

 

 理解したのだろう、その顔が歪み――竜巻がジズを弾き飛ばした。不可思議なアーツの奔流に阻まれる。サリアに支えられた彼が次に見たのは、空っぽの惨状。ホルハイヤの姿はどこかに消えていた。

 

「空気中の成分構成に干渉するアーツか。恐らくミュルジスを襲ったのは彼女だろう」

 

「……もう、大人しくしている必要はないな。ここを出よう。あとはミュルジスを助けて、あの女の目的を探るだけでいい」

 

 初めて見る彼の姿に気圧されつつ、ドクターはバーを後にした。

 

 

 路地に出てすぐ、六体ものパワードスーツが四人を襲った。サリアとMechanistが応戦している隙に端末を拡散させた。

 区内だけでいい。原作の流れ通りならミュルジスを乗せたパワードスーツも近くにあるはずだ。

 

 果たして、ジズの脳内におかしなパワードスーツの情報が入ってきた。重心の変化がどれだけ僅かであっても、端末から得られる膨大な情報はそれを看破できる。

 

「ミュルジスの居場所を特定した。行ってくる」

 

「おい、せめてもう少し――」

 

 Mechanistの言葉を聞き終えることもなく、ジズは端末を使って飛び出した。そのパワードスーツに端末を付着させる。

 

「『崩れろ』」

 

 パワードスーツの制御を行っているのは、銀色の液体――伝達物質で繋がっている先の人間だ。つまり、伝達物質を乗っ取ってしまえばジズの思考でも操ることが出来る。

 伝達物質は源石と似ている。試したことはなかったが、どうやら予想通りだったらしい。端末に込められた命令(コマンド)が「崩れろ」という明確な形を得ることで、伝達物質はパワードスーツを崩壊させた。

 

 中から現れたミュルジスを受け止める。ぐったりと体重をかけてきたが、どうにか倒れずに済んだ。

 

 朦朧とした意識が懐かしい匂いに包まれる。

 記憶より少しだけ筋肉が付いた体に、しかしミュルジスは間違えなかった。

 

 僅かに目を開き、その名前を呼ぶ。

 

 感情のままに掻き抱こうとするが、どうも思い通りに動かなかった。酸欠で頭が回らない。戦闘を終えた三人が近寄ってきたことで、寝かせようとするジズとしがみつくミュルジスの間でひと悶着あったが、それはそれとして。

 

 診察が終わり、弱弱しい声で彼女が危機を告げたのは『翠玉の夢』のメイン舞台である359号基地。

 

 『翠玉の夢』で焦点となった359基地の実験はエネルギー課主任フェルディナンドの計画の大詰めという面を持つ。それは実験成果物と引き換えに国防軍をバックに付けライン生命統括の座を奪うことが目的だ。

 野心家、投機家として周知されているフェルディナンドはそれをほとんど隠していない。それだけでなく、二週間ほど前からクリステンは姿を誰にも見せていない。

 よって、ミュルジスを救出し、359号基地の問題を解決せんと動くことになったサリアらの目的地は、自然と統括の居場所になっていた。

 

 

 とうとう向き合うときが来たのだろうか。

 サリアは足を止めて多少の感慨に耽る。

 

「――ん?」

 

 今、誰かに呼ばれたような。

 気付けばミュルジスが眦を吊り上げていた。

 

「聞いてなかったの? ここにあなたが戻ってくるのはいつぶりかしらって言ったのよ、サリア」

 

「……さあな」

 

「あら、気のない返事。酷いわ、サリアったら死にかけてまで頑張ったあたしに何の恩義も感じていないのね! は~あ、帰りましょ、ジズ。あたしたちは要らないみたいだから」

 

「帰るのはいいが、持ち出した証拠とジズは置いていけ。本社の立ち入りには社員証が必要だ」

 

「……ジズ! 帰るわよ!」

 

 板挟みになった彼は苦笑いする。

 

「サリアの言葉は調子が悪いミュルジスを慮ってのものだ。俺も出来ることならミュルジスには休んでほしいと思ってるしな。帰りたいなら帰った方がいいってことだろ」

 

 ミュルジスは頷かなかった。

 それどころか、サリアをより強い眼光で睨みつける。

 

「どうやってジズを抱き込んだのかは知らないけど、今度やったら許さないから覚悟しときなさい」

 

 そんなことをした記憶はない。

 理不尽極まりない。

 

「話にならんな」

 

「まったくだ。さっさとそのクリステンとやらに会いに行くべきだろう」

 

 後方からパワードスーツを検知した、と言いながらMechanistが会話に割って入る。

 ミュルジスの視線が懐疑の念と共にドクターを刺す。

 

「それはいいけど、クリステンは本当にここにいるの? どうしてここが怪しいって思ったのかしら、ドクター?」

 

【彼は統括を人から離したがるはず。となれば、一番事態を制御しやすいのはここだ。】

 

 ライン生命本部。行方不明のクリステンは初めから動いていないと言うのだ。ミュルジスは懐疑をより深めた。

 

「確かに、その条件に合うのはここしかないでしょうね。ライン生命の社員はみんな統括が何日もオフィスに留まってるなんて想像だに出来ないもの。でも、そんなの……」

 

「ドクターが間違えているとは思えない。きっとここにいるさ」

 

「……階段には後方と同じ信号が確認できる。どうやら私兵で囲っているらしいな。ドクターの予想は少なくとも的外れじゃなさそうだ」

 

 誰彼構わず噛みついているミュルジスの機嫌が更に傾く。それはサリアの態度が冷たいからでも、ドクターに頭で負けたからでもない。ジズが味方に付いてくれなかったからだ。

 

「足の痺れも治ったし、あたしは一人で帰ろうかしら」

 

 ちらっ、ちらっ。

 首を傾げて彼が言う。

 

「念のためターシアを呼ぼうか?」

 

「ドクター、ジズに正解を教えてあげて。そしたらあたしがもう一度聞くから、次は間違えないようにするのよ、ジズ」

 

「いいかげんにしてくれ……」

 

 Mechanistから悲痛な声が漏れる。

 サリアは何も言わずにジズを急かし、社員証を取り出しつつミュルジスに視線をちらちらと寄越す彼。Mechanistは疲れた様子で後方に向かい、ホルハイヤやパワードスーツを阻むように装備を展開し始めた。残ったのはドクターとミュルジスの二人だけ。

 

「ちょ、ちょっと、ジズ、サリア……!」

 

【帰らないのか?】

 

「……分かってるでしょ、ドクター。どうしてあたしがわざわざジズから離れなきゃいけないのよ」

 

 なかなかどうして、ミュルジスは面倒なエルフだった。

 

 

 社員証を翳すことで玄関はクリア。しかし、統括がいるであろう部屋は最奥と言って差し支えない場所にある。そこまでの道中、本来なら誤魔化せないはずだったのだが。

 

「アレは、ミュルジス主任と……ああ、()か」

 

「本部にいるなんて珍しいわね」

 

「まったくお似合いったらありゃしないな」

 

 様々な視線が遠巻きに突き刺さる。彼らにとって重大なことは不審な二人ではなく、普段は見られない噂のカップルだった。どう受け取られているか察して気を良くしたミュルジスが腕を組んでアピールするものだから、ドクターやサリアはいっそう無視された。

 

 ジズの取柄は種族だ。エルフの特性である植物に対する高解像度の感受性、水分子を操る能力、そして無駄に整った顔。ミュルジスと同じように天性の美貌*5を持って生まれているのだ。

 美男美女。実務能力や頭の出来など構成要素の8割ほどに目を瞑ればまさにお似合いの二人だったろう。寄せ付けない雰囲気がドクターとサリアをエレベーターまでエスコートした。

 

 

 トントン拍子に進んでいた4人だったが、その後ミュルジスが()()()()警戒エリアに踏み込んでしまった。

 4年以上ライン生命を離れていたサリア、そして滅多に本部を利用しないジズでさえ覚えている警戒エリアの存在を()()()()忘れていたらしい。

 

 ミュルジスは何かしらの意図を持っているらしく、警報に続いて現れた警備課の職員相手を適当にいなしている。サリアに警備課職員を誘導し、反対にジズからは遠ざけ、そんな余裕ある振る舞いは本気を出していないことが丸分かりだった。

 

 ドクターが口を開く。

 咎めようとした瞬間、ミュルジスの死角から攻撃が飛んできた。

 

「――ミュルジス!」

 

 ジズが咄嗟に割り込んで警棒を喰らう。多少筋肉が付いたところで所詮は痩身の術師だ。軽い身体が小さく浮き上がり、床に頭を打ち付け、それきり起き上がらなかった。

 

 ミュルジスから何もかもが抜け落ちた。

 手加減と、目に宿る感情と、行動に付随していた何かしらの意図が、一瞬にしてすべて剝ぎ取られた。

 

「……水よ。水とならんすべての分子よ」

 

 湧き上がる。運悪くミュルジスの近くにいた職員の手が突然弾けた。

 暗赤色が透明の中に混じるとすぐに染まってしまう。

 

「我が呼び声に応え、流転し、波濤(はとう)となり、海嘯(かいしょう)を生み、己が権威を眼前に示せ!」

 

 弾ける。莫大な物量に押し流されていく。巻き込まれ方が悪ければ全身打撲や骨折で今後数か月程度は動けないだろう。しかしミュルジスの怒りは到底収まらなかった。

 何せ、愚かな自分への嫌悪を他人にぶつけているのだ。個人的な事情でまともに戦わず、それで彼を危険に晒したならともかく、庇われたのだから、八つ当たりはそう簡単に落ち着かない。

 

「知るがいい、生命の濫觴(らんしょう)を。慄くがいい、堰塞(えんそく)の無力に。すべての障害は悉く押し流されるのみ!」

 

 大津波が大質量を以て撃滅せんと口を開く。

 それに叩きつけられて耐えられる者などそういない。

 サリア並みの防御力があればどうとでもなるだろうが、押し流されて呻いている彼らにとっては致命的だろう。

 

【ミュルジス。】

 

 追撃の準備を終えたところで、ドクターが制止する。

 

「……ジズは?」

 

【軽い脳震盪だ。処置の必要はないとサリアが言っていた。】

 

「そう。それなら、いいけど」

 

 力を失う。津波がどこかに消える。

 ふらり、揺れるようにストンと座り込んだ。視線がジズの体を上から下までなぞっていく。ミュルジスは仰向けにされたジズの胸元に縋りつき、震え始めた。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」

 

 何度も謝って、しかしその声は当然届いてなどいない。

 

「目を、覚まして……!」

 

 ミュルジスはかつてジズが五日間昏睡した時のことを思い出していた。理由も分からず三日眠ったままの彼を診て、医者は何も分からないとしか答えなかった。

 今すぐに目を覚ましてもおかしくはないが、もしかすると一生このままかもしれない。オブラートの中身はおおむねこんなもので、その日の夜、みっともなく泣き喚いたのだ。

 

 そのときの恐怖は今でも鮮明に思い出せる。雨の街を歩いていると唐突に彼が胸を押さえて苦しみ、それから救急車を待つ僅かな時間に意識が奪い去られた。

 大切なものが手の中から零れ落ちていった。ミュルジスは何も出来なかった。何が発作の原因となったのかすら、彼が目覚めたあとに判明したことだ。

 

「……そんなに、謝らなくていい」

 

「ジズっ!」

 

「ミュルジス。俺は君を守ったんだ。どうか、笑っていてくれないか」

 

「ジズ、ジズ……! もう絶対に巻き込まないから、だから、お願い……これからもあたしのそばにいて……!」

 

「話を聞いてくれ、結構いいセリフだと――ぐぇっ」

 

 意識が離れていく感覚。

 ダブルタップしても気付かない。

 

【ミュルジス。】

 

「え、あっ、ジズ!?」

 

「大丈夫だから、落ち着け……」

 

 いつのまにかシワが増えた服。手持無沙汰のドクターがミュルジスをやんわりと制止して、しかし彼女は全く聞く耳を持たなかった。

 

 ジズは背を摩って落ち着かせてやる。細部こそ変わっているが、孤星まで無事に到達できたという実感がようやく湧いてきたのだ。本当の意味でミュルジスが幸せになるまであと少しだと思えば、手に力が入るようだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 『翠玉の夢』から少しの時が経ち、局面は大きく転換する。

 

 ロドス陣営であるケルシー、ロスモンティス、イフリータがトリマウンツに到着し、その頃にはとある事件が起こっていた。

 

 『翠玉の夢』にてフェルディナンド・クルーニーの計画は失敗したが、クリステン・ライト統括はそれを待っていた。サリア乃至ロドスがフェルディナンドを止めると分かっていたから、その計画さえをも自分の計画に組み込んでいたのだ。

 そうして実現されるクリステンの「星の庭計画」では、フォーカスジェネレーターというエネルギーの収束及び放射を可能とする装置を空に打ち上げることになる。その試作品がトリマウンツの十三区に墜落し、計画が着々と進んでいることを、それがライン生命の仕業だと分かっているすべての者に知らしめた。

 

 それが『孤星』の開始時点で起こるとある事件——トリトン第三化学工場爆発事件だ。

 サリアは裏の治安維持組織であるマイレンダー基金と協力し、今度はクリステン・ライトの計画を止めるため動くことになる。

 

 そんな弧星の筋書きにおいて、ミュルジスが果たす役割は3つ。

 ロドスの協力者としてドクターを助けることと、クリステンとサリアの間に揺らぐ蝙蝠として、ドクターとロスモンティスをクリステンの下まで——厳密にはローキャン・ウィリアムズの下まで——導くこと。そして、高度六千メートルから落下するサリアやライン生命の職員たちを助けること。

 したがってミュルジスが動かなければ原作は木っ端微塵に破壊され、ハッピーエンドどころかバッドエンド一直線だ。

 

 そんなわけで、ソファに座り白湯を飲みながらほわほわと幸せに浸っている彼女をどうにか促さねばなるまい、と俺は決心した。

 

 テレビでトリトン第三化学工場爆発事件のニュースが流れる。原作なら分身体がドクターにそのニュースを伝えているのだが、見ている限りそんな雰囲気はない。

 もはや『孤星』が始まったというのに。

 

「最近話を聞かないけど、ドクターやサリアはどうしてるんだ?」

 

 ミュルジスは顎の下に指を添えて虚空を見つめたが、帰ってきた言葉は「さあ?」と淡白なものだった。

 

「クリステンの計画を止めるためにどこかで何かをしてるはずだけど、それ以上はあたしも知らないわ。連絡だってそこまで取ってないもの」

 

「手伝わなくていいのか?」

 

「訪ねてきたときに対応してあげればいいのよ。準備しなくちゃいけないことなら事前に言ってくれるでしょうし、今はゆっくりしましょ?」

 

 久方ぶりの帰宅だしミュルジスの気持ちは分からなくもないが、そんな時間はない。孤星が終わってしまえばドクターがミュルジスを救ってくれる可能性はほぼ潰えてしまうのだ。

 

「あたしとの時間は退屈?」

 

「そうじゃなくて、分かってるだろ。ライン生命全体が今岐路に立ってる。ミュルジスだって無関心ではいられないことのはずだ」

 

「……それにしたって、二人の時間をもっと大切にしてくれてもいいと思うけど。3年と7か月離れていた分がたった1か月で埋まるはずないでしょ?」

 

 性急なのは知っている。だが、怠けているうちにドクターが軍に捕まっていました、では笑い話にもならない。ミヅキなどの海*6に対する影響だけを鑑みても、高い確率で世界が詰む。

 

「統括のことは気にならないのか?」

 

 ぴく、と耳が震える。

 その反応は……まさか、な。

 

「気にならないと言ったら嘘になるけど、きっと大丈夫よ。彼女か、若しくはサリアが手綱を取る以上、ライン生命は悪いようにはならないわ」

 

「そう、か」

 

 ミュルジスは俺を安心させるように微笑む。

 

 俺の頭の中に一つの可能性が浮かんだ。それはミュルジスが果たす2つ目の役割に大きく関わることだ。それは、クリステンとミュルジスが原作より繋がっている可能性だ。

 

 ミュルジスはクリステンとサリアとの関係を大切に思っている。それ故に、クリステンはミュルジスがサリアに情報を漏らすことを危惧していた。

 

 原作ではクリステンが姿を消したことに寂しがっていたし、計画を知らされていないことに傷ついていた。孤星の冒頭ではそれをホルハイヤに揶揄われていたくらいだ。

 

 それがない。焦っていない。寂しさこそ感じていても、そこに不安はない。そしてドクターたちに対する消極的な態度。

 

 ミュルジスはクリステンと繋がっている。そしてその上で、研究園にいることを選んでいる。それ以外に考えられなかった。

 これでは3つ目の役割すら果たせない。クリステンやサリアとの関係に執着するからこそミュルジスはフォーカスジェネレーターに乗り込んだし、存在が消えるリスクすら厭わずにサリアらを守ったのだから。

 

 朝の支度を終え、ミュルジスは分身を残して出勤していった。その横顔には憂いが見えず、それ自体は嬉しいことだったが――俺の胸は不安と困惑でいっぱいだった。

 ここからどうなるのだろう。こんな状況は想定外だ。舵の取り方どころか海図さえ信用できなくなってしまった。俺はいったいどう動くべきだろうか。

 

 自然と足が研究園の外に向かう。

 

「ドクターの様子を見てくる」

 

「分かったわ。ちょっと待ってて」

 

「ついてくるのか?」

 

「道中あなたが倒れたとき誰に救急車を呼んでもらうつもりなの? それに、クリステンが招いた対立はあたしたちを巻き込みかねないほど大きいのよ」

 

 言われて初めてホルハイヤのことを思い出した。確かに、俺が狙われる可能性は高くないが低くもない。恨みを買っていることだし、一人で出歩くのは危険に違いないだろう。

 

 

 そういうわけで。

 

「ドクター、と……ロスモンティスにイフリータか。来てるって言ってくれれば挨拶したんだけど、まあ、また会えて嬉しいよ」

 

「うん。久しぶりだね、ジズ」

 

「オレサマとロスモンティスはトリマウンツに着いたばっかりなんだよ。ドクターと顔を合わせたのだって今朝なんだぜ? サリアは調査に行っちまうし、そんな暇なかったんだ」

 

「そっか、それは仕方ないな」

 

 ロドス陣営の動向は原作と全く変わらないらしい。今頃、サリアがブリキ*7と合流して立入禁止エリアに入っているだろう。恐らくはサイレンスもまた侵入しているはずだし、ブレイク大佐*8は副大統領を……情報が多い。頭が痛くなりそうだ。

 

「そういや、ジズがいるってことは……」

 

「ええ、あたしもいるわよ」

 

「ミュー! ひっさしぶりだな!」

 

 イフリータが喜色満面になり、ミュルジスがそれを見て微笑む。仲の良い二人が醸し出す雰囲気に包まれ、ロスモンティスの頬が少し緩んだ。

 

 しかしそれも長くは続かない。

 

「……まだ、覚えてる」

 

 ロスモンティスは記憶障害を持つ少女だ。過去に受けた人体実験の後遺症でそうなっていて――その実験を実行したローキャン・ウィリアムズに呼ばれてここを訪れている。

 手紙を読み返しては強張った顔で息を吐く。

 

 ミュルジスとイフリータの二人とは対照的に、ドクターとロスモンティスの雰囲気は緊張している。

 原作通りに進むなら、明日の夜、ローキャンはドクターたちの前に現れるのだろうが、そんなことを彼らは知らない。いつ彼女の体を弄った研究者が訪ねてくるとも限らないのだ。神経質になるのは当然だろう。

 

 肩を叩き、出来る限り明るい声で、しかし軽く思われないくらいのトーンで。

 

「何があったのかは知らないけど、彼女が後悔しないよう、助けてやれよ」

 

【ああ。】

 

 簡潔な返答だが強い意志を感じられた。

 ドクターは大丈夫だろう。ロスモンティスに多少引っ張られてはいるが、余裕がある。ミュルジスのことも、きっと気にかけてくれるはずだ。

 

「あと、一ついいか?」

 

 ドクターに耳打ちする。

 

「頼みたいことがある。例のヤツだ。折を見て話すから、その覚悟だけしておいてくれ」

 

【そんなものは既に出来ている。】

 

「……それならいい」

 

 メインストーリーが終わってから、頼みがあるということだけを伝えていたのだ。ミュルジスの理解者になってやってくれ、そう言うだけなのに随分と時間がかかってしまった。

 ミュルジスが消極的になっている今、ドクターからのアプローチが必要だ。それさえリカバリーできてしまえば二人の仲は良好だし、きっと原作通りになってくれるはずだ。ならないとおかしい。

 

【助けを求めるなら必ず力になろう。】

 

【君がロドスの友人である以上は当然のことだ。】

 

 フロストノヴァを救ったことには紛れもなく俺のエゴが絡んでいる。それを理解しているから直接的な言葉こそ使わないが、俺に恩義を感じていることは明白だ。

 

「期待してるからな、ドクター」

 

 そう言って、俺はロドスの拠点をあとにした。

 ミュルジスは十分ロドスに好意的だし、ドクターと多くの会話を交わしている。原作よりずっと受け入れやすい土壌が出来ているはずだ。

 

 

 

 

 夜道を風が吹いている。

 ロドスで散々屋外を走り回ったことで、ミュルジスは晴れの日でも外出を認めてくれるようになった。勿論マスクは着けているし俺一人の散歩が許されたことはないが。

 

 俺は今までの経験を通して思ったことがある。

 それはこの世界に運命のようなものがあるかもしれないということだ。

 

 ライン生命の創成をこの目にして、ロドスが歩む道と轍が重なって、そのどれもが俺の頭の中をなぞっていた。俺の影響力が小さいと言うだけでは理由が付かないほどに。

 

 だから俺は運命の存在を考え始めていたし、こうして夜のトリマウンツに繰り出したのだ。

 

 

 クラクションが鳴る。

 

 

 おかしな挙動で彼女に突っ込んでいった車を水の鎖が引き止める。うわの空で歩いていた彼女――サイレンスはそこでようやく、手に馴染んだ医療器具を自分に向ける羽目になりそうだったと理解したようだった。

 

 運転手は顔面蒼白で謝っていたが、急ぎの用事を思い出してすぐにアクセルを踏み、マフラーから勢いよく煙を吐き出した。

 

「まったく危ないわね。トリマウンツは車が多いし、ぼんやりしてるとすーぐ事故に遭うわよ!」

 

「ミュルジス主任? それと、ジズ……」

 

「こんばんは、サイレンス。今日の月は奇麗か?」

 

「空を見上げていたわけじゃない。少し、思い出していただけ」

 

「もしかしたら月を眺めてた方がよかったかもしれないわね」

 

 ミュルジスは乱立するビルの屋上に目を走らせた。そのどれか一つに羽を持つ蛇(ホルハイヤ)が潜んでいるのだろうが、夜闇に覆われて見つからない。溜息を吐くミュルジスにサイレンスは首を傾げた。

 

「それより、いつの間に新しい制服にしたの? 生地は素敵で仕立てもいいし、別人みたいで一瞬誰だか分からなかったわ!」

 

 四方八方から観察されては誉め言葉を喰らい、呆気にとられるサイレンス。マシンガントークとは馴染みが浅いのだろう。俺に助けを求めるような視線を向けてきた。

 

「――そういえば、イフも一瞬わからなかったわね。前とは全然違う服を着てたし、背も伸びてたもの!」

 

「イフリータ? イフリータがどうしてトリマウンツに!?」

 

「ロドスのドクターと一緒だったわよ」

 

「ドクターも来てるの?」

 

「あら、あなたたち一緒に来たわけじゃないの?」

 

 サイレンスはしばらく驚きを飲み込めていなかったが、ひとたびそれを抑え込み、事態を正しく理解してからは、別の感情が湧き上がっているようだった。

 

 孤星は大きく分けて三つのストーリーラインがあり、それはクリステンの野望、ミュルジスの孤独、サイレンスの覚悟、と呼べば分かりやすいだろう。

 一研究員に過ぎないサイレンスが国家を敵に回して大立ち回り。行動のみを抜き出せばそうなるのだろうが、その精神的な成長もまた凄まじい。

 

 彼女が今さっきうわの空だったのは、壁を前に挫折感を覚えていたからだ。無力感に震えていたからだ。そしてそのエネルギーが成長の糧になる。

 

 少しだけ、俺自身を重ねてしまう。俺はサイレンスほど悩んでいたわけじゃないし、考えは単純だし、間違いを犯した数なんて比べるまでもない。

 それでも、俺は彼女と同じように、進んだ道が間違っていたなら引き返してもう一度探すことが出来る。その覚悟がある。

 

「サイレンス。共に頑張ろう」

 

「私は……」

 

「あ、ああ、いや、何でもない。忘れてくれ」

 

「……ううん、大丈夫。ありがとう、少し楽になったよ」

 

 思わず胸の内が零れてしまったが、上から目線に思われてはいないようで良かった。

 

「そろそろ帰りましょ、ジズ。もういい時間よ」

 

 月を雲が覆った。ビルと街灯の明かりで足元は照らされているが、空は随分と暗くなってしまっているようだった。

 

 ミュルジスに手を引かれ、俺はサイレンスを残して帰途についた。

 絶対に成功して見せる。すべてを取り返すんだ。

 

 

「あたしには、そんなこと言わないくせに」

 

 

 

 

 そして次の日。

 ブリキの依頼で、つまりはマイレンダー基金の依頼で、軍による副大統領の暗殺を止めるためにドクターたち三人は動くことになる。その副大統領がどこにいるかと言うと――

 

「おはよう、ドクター。昨夜はよく眠れたか?」

 

 ライン生命本部。詳しく覚えてはいないが、確か科学技術に注目していることのアピールとしてジャクソン副大統領はライン生命を視察に訪れるのだ。

 

「ええと、こっちがライン生命ビルの建築図面で、こっちがあなたたちの通行証よ。失くさないようにね?」

 

「地上と地下の両方に隠しスペースがあるから、手分けして事に当たることをおススメする。ミュルジスはこれから副大統領の接待で忙しいしな」

 

【君はどうするんだ?】

 

「……あっ、俺か? 俺は、まあ一応君たちの監視役だ。けど、監視役がいたってことにするための体裁だ。目が気になるなら俺は研究園に引きこもっていたっていい。ハッキリ言って邪魔だろ?」

 

【どうしてそう卑屈なんだ……】

 

 どうやらドクターは俺に同行してもらいたいらしい。

 俺がロドスに来たばかりならともかく、今のイフリータは勇敢で頼れるオペレーターだし、ロスモンティスに至ってはエリートオペレーターだ。俺が必要とは思えないが、まあ、社内のナビゲーター役として一肌脱ぐとしよう。

 

 それから特にトラブルもなく極めて原作通りにストーリーが進行した。

 マイレンダーやロドスの尽力あって軍の暗殺計画は失敗。俺たちは商務課のフィッツロイ主任と出会ったり、仕事を終わらせたミュルジスからの救援が間一髪で間に合い軍の追っ手から無事に逃走したりと、順調にシナリオを消化した。

 

 時間はあっという間に過ぎていく。ホルハイヤの策略によってロドスは陥れられ、マイレンダー基金の調査対象に入ってしまった。今頃、軍とマイレンダーが手を組んでロドスを捜索しているだろう。

 ドクターはミュルジスに助けを求める。

 

「生態研究園に隠れたいの? あたしはいいけど、ジズがどう思うかしらね」

 

 勿論ロドスを匿う以外の選択肢はない。

 

 約一名は俺の返答にブーイングを飛ばしたが、そうする他ないと分かっていたのだろう。すぐに気を取り直してくれた。研究園までの道中はそう長くない。俺とミュルジスのアーツでなんとか気付かれずに到着した。

 

「それじゃ、あたしはご飯を作ってくるから。ドクターとロスモンティスも食べるわよね?」

 

【ご馳走になる。】

 

「気にしないで。あたしたちの仲じゃない」

 

 ロスモンティスはふらふらと彼女たちを観察していた。ロドスには療養庭園という植物園のような施設があるものの、そちらは生態研究園と展示の仕方が大分異なっている。

 ロスモンティスにはそれが新鮮なのだろう。時折手帳を取り出して何か書き留めているあたり、気に入ってくれたようだ。

 

「ドクター。少し場所を変えようか」

 

 ロスモンティスに聞かれても構わない。だが、水を差すわけにはいかないだろう。それなりに真剣な話をするのだから。

 

「ロドスはライン生命の職員を随分とヘッドハンティングしてるらしいな。フィッツロイ主任は何人引き抜かれたと言ってたか……」

 

 マゼラン、サリア、ドロシー、メイヤー、アステジーニ、サイレンス、フィリオプシス。被験者のイフリータや未来のミュルジスを含めれば、九人。

 勿論ミュルジスのように提携という形を取ってライン生命に籍を置き続けている者もいる。しかし、それが本当に鎖として機能するのだろうか?

 

「ライン生命は技術屋だ。組織を去る者はそう多くない。精々が実力不足を嘆いて辞めていく者と、暗部を拒絶した者くらいだ」

 

 ライドの顔が脳裏に浮かぶ。

 サリアのように、間違いを正すため尽力出来る人がどれだけいるだろうか。多くは失望と共に諦めるはずだ。彼はその一人だった。

 

「対照的に、ロドスは非常に大きな芯を持っている。一部の人間には刺さるだろうが、一部の人間には受け入れられない芯だ」

 

 いっそ幼稚なまでに理想的。悲観的、現実主義的な者とは合わないだろう。感染者に強い差別意識があるなら論外だ。

 

「例え話をしようか、ドクター」

 

 バイザーの下、瞳が鋭く輝く。

 

「ロドスにとって間違いなく有益なオペレーターがいたとしよう。代替出来るはずがないほどに突出した能力を持つオペレーターだ」

 

【君のように、か?】

 

「……買い被りだとは言えないか。まあ、それでいい。俺のようなオペレーターがいたとしよう。彼か、もしくは彼女の能力はロドスの前進を強く後押しするだろう」

 

 そこで、だ。

 

「ドクター、君は気が付くんだ。そのオペレーターはロドスではなく、たとえば龍門の督察隊とか、カランド貿易だとか、ライン生命でもいい。そういった他の場で力を振るう方が幸せを得られることに、君は気付いてしまった」

 

 鼓動が高鳴る。今になって緊張し始めたらしい。どうにも上手く舌が回らない。口に手を当て、水を生み出し、そのまま飲み込んだ。

 

「多数の者がロドスを抜けていく。多数の者がロドスに入ってくる。そんな中で君は、そのオペレーターに何を言う? ——いや、それは愚問か」

 

 ドクターならきっと、全てを説明した上でロドスに残ってくれるよう頼み込むだろう。

 

「そのオペレーターは君の話を馬鹿なことだと一蹴するんだ。ロドスこそ一番の居場所だと。その凝り固まった価値観はどうやっても崩せないことが手に取るように分かったんだ」

 

 怒るかもしれない。悲しむかもしれない。その狭い世界がそう決めつけてしまっているのだから。それを君は残念に思うだろう。

 

 それなら。

 

「君はその人の意思を無視できるか? その幸福のためにメリットを切り捨てて、押し通すか?」

 

 ドクターはじっと俺の方を見つめて、言った。

 

【それはミュルジスのことか?】

 

「ああ、そうだ。ドクター、君には――」

 

 俺はミュルジスを大切に思っている。俺が幸せにしてやれるなら最高だが、それは現実は違う。無責任と言われようが構わない、ミュルジスの幸福が一番なんだ。

 

「ミュルジスの理解者になってやってほしい。そして、彼女の孤独に寄り添ってくれ。それが俺の頼みだ」

 

【孤独には見えないが。】

 

「分からないのか? それとも、分かっていて無視しているのか? ……俺は、ミュルジスから離れようと思ってる。これで納得しただろ、ドクター」

 

 尚も懐疑的な視線を感じる。

 いつからそう察しが悪くなったのか。

 

 それなら、まあ、別にいいんだ。

 分かりやすい理由を用意してやればいいだけなんだから。

 

「俺は感染者のエルフだ。寿命がミュルジスほどあるはずもないし、その前に喰い潰されて死ぬ可能性も高い。そしてきっと、それまで過ごした時間の分だけ彼女はダメージを受ける。だからドクター、君がいるうちに俺はそれを終えておきたいんだ」

 

【断る。】

 

「……理由を聞かせてくれ、ドクター」

 

【君の死で彼女が傷付くと言うなら。】

 

【それを和らげることよりも、】

 

【回避する方法を探すべきだ。】

 

 愕然とした。ドクターは何一つだって分かっていない。

 俺の言うことを本当に聞いているのか?

 

「違う。俺が死んだら悲しむとか、それは一番の理由じゃない。何のために例え話をしたと思ってるんだ。君なら分かるはずだろ、ドクター。誤解してくれるなよ」

 

 一から十まで説明しなきゃ伝わらないのか? そんなことはないだろう。仮にそうだとしたら、その優れた頭は何のために使われているんだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

【……何を言っているんだ?】

 

「ミュルジスは俺に半ば依存してるんだ。でも俺は支えてやれるほど強くない。ミュルジスが寄りかかろうと思えるのは、俺を除けば君だけで、君は俺よりずっと優秀だ。それなら、分かるだろ?」

 

【ふざけたことを言うな。】

 

「どうして分かってくれない?」

 

 俺の説明がどこかしら抜けていたのか? いや、そんなはずはない。俺よりドクターの方がミュルジスを幸せにできるなんてことは自明だ。感染者風情が、ただのニートが、怠惰な愚か者が、ミュルジスの大切な時間を浪費させている俺が、ドクターに勝るはずもない。

 

「君はミュルジスの理解者になれる。俺がこのまま寄生虫になるよりずっと幸福な未来を創ることが出来る。なあ、ドクター。それほどの力があるんだから、どうか責任を果たしてくれないか」

 

【断る。】

 

 どうしてなんだ。

 俺じゃ何を間違えた?

 

 今までこのために築いてきたんだ。

 そのすべてが無駄だったのか?

 

「――足りなかった、のか」

 

 絶望が胸の中に溜まっていく。

 言ってはいけないことが口から漏れた。

 

 

「フロストノヴァの命では、足りなかったか」

 

 

 乾いた音が響いた。頬が痛んだ。

 まさかローキャンと同じ扱いを受けるとはな。

 

【もう口を閉じろ、ジズ。】

 

「……は、はは、ドクター。そうか。俺の頼みを聞き入れてはくれないのか。ミュルジスの隣に立って、支える気はないんだな」

 

 全部無駄になった? いいや、違う。ドクターとミュルジスが築いた信頼関係は偽物なんかじゃない。だから、もういい。

 

「分かった。君にその気がないのなら、無理矢理にでも従ってもらう。俺に傷つけられたミュルジスはただの被害者で、それならどれだけ癪だろうと君は寄り添ってやれるだろ?」

 

 やることは同じだ。俺が死んで、ミュルジスが悲しんで、ドクターがそれを助ける。話を通そうとしたのはその方が円滑だろうと思ったからだ。

 分かってくれないなら、強引にでもそうさせてやる。

 

「……ミュルジスはローキャンの居場所を知ることが出来る。俺を止めたいなら、そこまで追ってくるといい。納得がいく終わりを作ってやる」

 

 ミュルジスを必要以上に悲しませようとは思わない。

 だからドラマチックに飾ってやる。

 

「またな、ドクター」

 

 止めようと手を伸ばす。しかしそれより先に端末が部屋を支配していた。ドクターは黒い砂塵に絡めとられて体勢を崩す。

 

【ジズ!】

 

 俺は生態研究園から逃げ出した。

 思い出をすべて、置き去りにして。

 

 

 

 

 ドクターがまさかここまで追ってくるとは。

 ディスオーダーに揺られながら、フォーカスジェネレーターの中、俺はドクターとミュルジスの二人と対峙していた。

 

 高度六千メートル。阻隔層の少し下にフォーカスジェネレーターは位置している。エネルギーウェルという地上の設備から超高密度の源石エネルギーを受け取り始めたのが少し前だ。

 恐らく二人はサリアと共に空を飛んできたのだろう。ミュルジスは生身で、ドクターの運動能力は俺とそう変わらないというのに、無茶をするものだ。

 

「何かの間違いよね?」

 

「……どこまで?」

 

「全部に決まってるでしょ。あたしの幸せ? ドクターが理解者になる? 何もかも理解できないわ。いったいあなたには何が見えてるのかしら」

 

「強いて言うなら可能性だ」

 

「茶化さないで! 真面目腐った顔でふざけたことを言わないでよ、あたしがどんな気持ちでここまで来たか……! うぅ、もう、ジズの話なんて聞きたくないわ。一緒に帰りましょう、全てはそれからよ」

 

 ミュルジスが分かってくれないのは知っていた。

 

「ドクター。よく来てくれたな」

 

【今ならまだ間に合う。】

 

【馬鹿げたことを言うのはやめろ。】

 

「ああ、確かに俺は馬鹿だ。何度ミュルジスを悲しませたか数えきれないくらいにな。そんな馬鹿より、君の方がずっと優れてる」

 

 ドクターは何も言わず、静かに拳を固めた。言葉を交わす意味もないと判断したんだろう。これは傑作だ。俺の無能さを君はよく分かってるみたいじゃないか。

 

 そろそろ、サリアがクリステンの下に辿り着くだろう。彼女たちの戦闘が終わる頃には、俺も二人を無力化していなくてはならない。それならもう謝罪は済ませておこう。

 

「フロストノヴァのことは悪かった。嘘だと思われても仕方ないが、一切打算がなくたって、俺は彼女を助けていたはずだ」

 

【言われなくても分かってる。】

 

「そうか。そんなに俺のことを信じてくれていたんだな。それなのに……いや、だからこそ、なのか」

 

【ロドスは君のような感染者を諦めない。】

 

「なら、救ってみせるといい。俺が目指すハッピーエンドを、君たちのペンキで塗り潰してしまうといい。――それが出来ると言うならな!」

 

「あなたが何を考え、何を望もうと、生態研究園はあなたの家なの。あたしたちにこんな空は似合わない。帰ってもらうわ、ジズ。そして、あたしと未来の話をしましょう」

 

【もう一度、君の頬を引っ叩いてやる。】

 

 ドクターとミュルジスが構える。

 厳しい戦いかもしれない。

 

 しかし、負けるわけにはいかないんだ。

 

 

 

 

 頭が割れるようだ。

 濁流に手を翳してどうにか逸らした。

 

 外殻通路まで押し流されて、もはや俺に逃げ場はなかった。

 

「ジズがあたしに勝てるわけ、ないでしょ」

 

 手首を掴まれて、押し倒された。端末にはここから引き剝がすほどの力がない。水を操る力の強度だって、況してや腕力だって勝てない。押し返すだけのカードはない。

 

「考え直して、ジズ。あたしにはあなたが必要って言ったわよね。それは今でも変わらないの。これまでも、これからも、ずっとよ」

 

「だからこうなったんだ」

 

 ミュルジスは口を真一文字に結んで涙を堪えた。俺を抑えつける力が強くなって、それは大きな溜息を吐くまで続いた。

 

「ジズ。帰りましょう、あたしたちの家に」

 

「研究園は……君の家だ。俺の家じゃない」

 

 ミュルジスが何かを言う前に、ドクターが口を挟んだ。

 

【そろそろ諦めたらどうだ。】

 

「面白いことを言う。俺はとっくに諦めてるよ、ドクター。君たちの理解を俺はもう諦めたんだ。だから、こうなってるんだろ?」

 

 余裕綽々の態度にドクターは何かを感じ取ったようだが、もう遅い。突然の浮遊感に襲われてミュルジスの拘束が外れる。その隙に端末で彼女を拘束し返した。

 俺の唯一の勝機。それは端末の強度を保った上でミュルジスを無力化することだ。だからこそミュルジスはそれに気を付けていたのだが、いきなり無重力になって対応できるほど人間離れしていなかったようだ。

 

「ジズ、解いて!」

 

「……すべて終わってから、な」

 

 そう返したその時、電子音声が響き渡る。

 

『警告、エネルギー過負荷状態です。エネルギー過負荷状態です。溢れ出したエネルギーによる衝撃波が、フォーカスジェネレーター全域に影響しています』

 

『総員、速やかに脱出ポッドに避難し、帰還プログラムを実行してください』

 

 ミュルジスの表情が焦燥に覆われた。

 フォーカスジェネレーター内部が半重力状態になったということは、バランス制御システムが停止し、自由落下を始めたということ。順当にいけば高度六千メートルから地面に叩きつけられるわけだ。

 

「ジズ!」

 

「俺が乗り込めるほど席は用意されてない。統括課の職員だけでも人数オーバーのはずだ」

 

「そんなの、試してみなきゃ分からないわ!」

 

「分かってるんだ。脱出ポッドが正常に作動するかも怪しいってことまでな。急造の、それもメイン機能に関係しないものだ。期待できない」

 

 俺は内部機械室の扉を開いた。ミュルジスは無理してでも俺を止める可能性があるから、念のため制御が効く室内に運んでおく。

 

「何を、する気なの?」

 

「決まってるだろ、自己犠牲ってヤツだ」

 

 ボタンのカバーを取り外す。電気配線ではなく、源石エンジンに繋がっているものを探して、俺は端末を導線に接続させた。

 思考が乗っ取られそうになる。意識が遠のく。拳を鉄に叩きつけてどうにか自分を保つ。信号で頭の中が埋まっていく。食い荒らされる。

 

 目的のものが見つかった。

 配線をぶち抜いてでも俺の目の前まで引きずり出した。

 

 それは銀色の液体だ。ぐっと一息にのみ込んだ。端末とは別のチャンネルで俺はフォーカスジェネレーターと繋がった。だが、すぐに効果は出ない。

 

「……全員、生きて返す」

 

 端末と同じ要領でフォーカスジェネレーター動力部分の源石を動かす。幾つもの視界が脳に情報を叩き込み、くらくらするような熱に耐え、フォーカスジェネレーターの外で落下していたサリアを内部に入れる。

 そこでようやく液体の――伝達物質の効果が出た。一気に随分と演算が楽になる。その代わり、俺の意識は半分以上伝達物質に取り込まれた。

 

 全力で制御システムを起動。

 

「きゃああああああっ!?」

 

 ミュルジスが勢いよく転がって、頭から壁に突っ込んでいく。どうにか端末で制止させ、壁に括りつけた。俺が死んだらどうせ勝手に外れるから、しばらくこのままでもいいだろう。

 

【君は何がしたいんだ?】

 

 ドクターは何とか立っていた。頭や体をそこかしこにぶつけないよう気を付けるだけでもそれなりに難しい揺れの中で、俺に聞いたらしい。

 その根性を称えるとしよう。

 

「ミュルジスに幸せになってほしい。……俺は最初からそれだけだ。だから君に頼んだ。今のこれは、俺が死んだときにミュルジスが悲しまなければいいと思ってやっていることだ。人を救ったが故の死だったら、遺された人は前を向けるものだろ?」

 

【そんなものは自己満足だ。】

 

【君がすべきことは他にある。】

 

「ああ、あったかもしれないな。でも、もうない。君やミュルジスを死なせないために、俺はこのフォーカスジェネレーターを止めるしかない。俺以外、誰も死なせない」

 

 エンジン機能の復旧完了。燃料は非常用のものが幾分かある。高度六千メートルを目指すのであれば心もとないが、ゆっくり着地する分には十分だ。

 

「ジズ、ジズっ! 体が……っ! もうやめて!」

 

 言われてから気が付いた。伝達物質に取り込まれたことで、俺の下半身が俺ではなくなったらしい。血管内の源石に食い破られて結晶化している。万一伝達物質に呑まれた意識が回復しても、もはや生きられないだろう。

 

「……なあ、ドクター。ミュルジスを見捨ててくれるなよ? 俺が安心して地獄に行けなくなる」

 

「ジズ、お願い、あたしが悪かったわ! あなたがいればあたしは幸せで、それを信じさせられなかったあたしが悪いんでしょ!? だから、もうやめて、あなたが死ぬくらいなら、あたしが――!」

 

「ミュルジス、もう手遅れなんだ。分かるだろ?」

 

 そう笑いかけてやれば、ミュルジスは嗚咽ばかりで何も言わなくなった。時折赤く染まった眼で俺の方を、俺の体だったものを見て、また泣き出す。

 

【これが、君のハッピーエンドか。】

 

「どんな冒険譚だって多少の障害はあるものだ。乗り越えた先にこそ、財宝は眠ってる」

 

【仲間を失うと分かっていて旅に出る者はいない。】

 

「手厳しいな」

 

 がくん、と揺れた。落下スピードが一層遅くなった。

 高度一千メートルだ。もうすぐ地上に着く。

 

『ミュルジスの手を握ってやってくれ。君なら、エルフの信号を――接続を感じ取れるはずだから。理解者の素質ってヤツだな』

 

【君より理解できるとは思えないがな。】

 

『その気がなくたって、きっとなれるさ。だって君はドクターだ。それは分かってるだろ?』

 

 高度五百メートル。

 四百メートル。

 

『ドクター、なあ、俺にこれを言う資格はないけど、言っていいか? 最期なんだ、大目に見てほしい』

 

 高度三百メートル。

 二百メートル。

 

『ミュルジスを幸せにしてやってくれ』

 

 百メートル。

 

『頼む』

 

 ゼロ。

 

【……分かった。】

 

 あまりに静かな着地だった。ほんの僅かな揺れが足元を伝って、それきりフォーカスジェネレーターの電子音声は消えた。まるで幻だったかのように。

 

 すすり泣く声だけが響く。

 

 ドクターは握りしめていた拳を解くと、ミュルジスの背を摩ってやることにした。彼が端末と呼んでいた源石結晶がサラサラと落ちる。彼の遺骸は欠片も残らなかった。片端から石になって、風化していった。

 

 

 ミュルジスは孤独になった。

 そして、ドクターはその穴を埋めようとはしなかった。

 その穴が埋まってしまうことをミュルジスが拒絶したからだ。その相手はドクターだけでなく、ミュルジスは誰にも心を開こうとしなかった。

 

 前を向いて生きることなど出来なかった。

 彼を忘れることなど出来るはずがなかった。

 

 かけがえのない半身を忘れてしまうことはそれまでの自分を否定することに他ならなかった。

 

 ミュルジスは研究園の奥で一人、今日もシーツに包まれている。濁った眼で譫言を吐き、混濁した思考が現実を攪拌し、ただ思い出を一つ一つ思い出している。

 

 彼はいつ戻ってくるのだろう。

 ミュルジスはいつまでも待っているのだ。

 絶対に帰ってきてくれると約束したのだから、きっと帰ってくるはずだ。そうに違いない。

 閉ざされた研究園の中、彼女は一人で、ずっと、待っている。

 

 

 ドクターはロドスアイランド号の艦橋からトリマウンツを眺めていた。とっくに元の形を取り戻した阻隔層を見上げ、小さく呟いて、視線を逸らした。

 ドクターにはすべきことがある。ただ恩人が無意味に死んだからと言って、彼を慕っていた彼女が心を病んだからと言って、止まるわけにはいかないのだ。

 

 彼との約束は果たせなかった。

 もはや彼女は幸せを受け入れられない。

 

 振り返った。

 トリマウンツが見える。

 

 

 ドクターは一つ、溜息を吐いた。

 

 

*1
炎国とウルサス帝国の国境近くを動く移動都市

*2
ロドスのスーパーコンピュータ。ドローンを使って俯瞰視点を獲得し、マップ情報や防衛ラインなどを可視化することでドクターの指揮精度をより高め、また、ドクターの指示を簡易的に伝達する

*3
術師隊長の図鑑コード

*4
重装隊長の図鑑コード

*5
ミュルジスの基地スキル

*6
化け物の巣窟。ifストーリーでは実際に世界を支配した。

*7
マイレンダー基金の重役

*8
国防軍の大佐であり、クリステンが立案した絶対兵器開発プロジェクト「ホライズンアーク計画」の責任者




 
評価、感想、よろしくお願いします。
 

おまけ回の投票です。

  • 後書きで触れた、ドクターとジズのif√
  • 三人で日常回(詳細は活動報告)
  • アナスタシア回(詳細は活動)
  • ミュルジスと二人だけの回(詳細)
  • 登場人物紹介
  • その他(詳細は活動報告)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。