ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

28 / 38
暮色赫然

 

 

 俺は何をしていたんだっけか。

 夢の中みたいに感覚が曖昧なんだ。

 

 手を伸ばそうとして、掴まれ、押さえつけられた。

 

「動くな、今からが本番だ」

 

 何のことだと聞きたくて、上手く喋れなかった。

 レオがアルべに何か指示を出している。

 

 腹の奥底から痛みが広がってくる。

 百足が鳴いている。鳴きながら俺の腹に牙を突き立てて、足を突き刺して、無闇矢鱈に暴れている。血管が切れて、骨を穿たれて、爪で引っ搔いたような幻聴が通り過ぎていく。

 

「————ぁ」

 

 間抜けな声が出た。

 何故だか掠れていた。

 

 まるでずっと叫び続けていたかのように、違和感が喉を塞いでいる。上手く大きな声が出ない。今まさに百足が体の中を蹂躙していると言うのに、伝える手段を失くしていた。

 

「早くしろ」

 

「いや、これは流石に……」

 

「コイツが暴れたら、責任を取るんだろうな?」

 

 助けてくれ。

 そう願う俺を見て、しかしアルベは首を振った。

 

「ごめん、ジズ。今回だけは耐えてくれ」

 

 それは拘束具だった。抵抗する間もなく身動き一つ出来なくなった。どうしてこんなことをするのか不思議でならない。拷問でもするかのようだ。

 

 そういえば、俺を覗き込むようにしているこの機械は何なんだ? 病院にでもいるのか? まさか俺は交通事故にでも遭って、治療、を……

 

 

 思い出した。

 

 今は結合療法の手術中だ。

 俺の鉱石病はどうにも想定外な動きを見せているらしく、とうとうパルヴィス自ら治療に携わることになったんだ。

 

 そして計画の大幅な改変を行ったとか。レオは数値を交えて活性化がどうだの吸着現象がどうだのと説明してくれたがよく分からなかった。

 ミュルジスに相談させてほしいと伝えたには伝えたが、治療計画の方向性は変えないから必要ないだろうと言われ、それ以上反論できなかった。

 

 そして、今まで感じたこともない、他のものに気を逸らすことすらできないほどの痛みが全身を這った。

 いつのまにか卵を植え付けられていて、それが一斉に殻を食い破り、檻から放逐されたようだった。神経の一本一本が悲鳴を上げている。内臓が食い荒らされたように痛む。

 

 気を失っていたのは精々数秒、もしかすると1秒にも満たない間だ。

 あれほど叫んで喉を嗄らしてすぐに声が出るはずもない。

 

 これからが本番だと言っていた。

 焼き切れそうなほどの痛みが神経を這っていながらに、まだ先があるなんて信じられるか? ああ、畜生、こんなことなら無理やりにでも拒めばよかった。後悔が胸の中を深く潜っていく。

 

 ランプがグリーンに色を変え、静寂が保たれたまま、俺は大きく口を開けた。絞られた喉からは嗚咽のような何かが聞こえて、体がビクンと跳ねようとして、しかしそのすべてが拘束具によって抑制された。

 

 助けてくれ、ミュルジス。

 そう願わずにはいられなくて、そんな自分がイヤで仕方ないのに、しょうがないと思ってしまう弱い心があって。もう何が何だか分からない頭で必死に現実から逃れようとしたんだ。

 

 助けなんて来るはずがないのにな。

 

 

 

 

 今すぐに倒れ込んでしまいたい。体を動かすたびに今まで意識したこともない場所が警告を発する。雁字搦めにされたみたいだ。

 部屋を出て、廊下にいる構造課の主任と相対する。

 

 俺が声をかけると、パルヴィスは柔らかな笑みを浮かべた。

 何か言ってやりたくて仕方がなかったのに、その顔を見て、きっと分かってもらえないだろうと直感した。

 

「随分と、突然ですね」

 

 投げやりに言った。

 

「こんな形になってしまって、私としても心苦しいばかりなんだ」

 

 だから予想外だった。

 険しい顔を浮かべていることが信じられなかった。

 研究のために他者を消費したくらいで、彼が罪悪感を覚えるとは思っていなかった。

 

「彼女――ミュルジスが理解を示さないだろうことは予想できていたからね。君に充分な説明が出来なかったことは申し訳ないと思っているよ」

 

 どうやら俺が思っているような理由ではなかったようだ。

 それにしても、まさかコイツは、ミュルジスに止められてしまいそうだったから急いだと言っているのか?

 俺が否定したかったのは今日の暴力的とさえ思える治療だ。説明があったところで受け入れているはずがないだろう。

 

「しかし、君なら理解してくれるだろう、この実験がそんなことよりずっと重要なものであるということを。君が危惧するような取るに足らない遊びではないんだ」

 

「何を言って……」

 

「これは科学に多大なる進歩をもたらすであろう先進的な実験だ、と言っているんだ。君という貴重な資源を費やすに不足はない――」

 

「待て、待ってくれ。実験だって? これは治療だったはずだろ、どうしてそんな言葉が出てくるんだ?」

 

 困惑のあまり敬語を維持することも出来なかった。

 パルヴィスは何を話している?

 

「どうして、というのは……ああ、君に知識がないことを失念していたよ。この年になると物忘れがひどくてね」

 

 そんなことはどうでもいい。

 何を言っているんだ、お前は。

 

 

「これは人体実験だよ、ジズ」

 

 

 何を、どれが、ああ、何だって?

 何も分からない、分からないんだよ。

 

 頭がパンクしそうだ。

 

「ああ、なるほど。ミュルジスがこの計画書を受け入れた理由はそれだったということか。合点がいったよ。外向きの計画書を見せるべきではなかったかもしれないね」

 

 外向き? 治療は嘘だと?

 

「権限がない君に全容を伝えることはできないが、安心してくれ。これは充分に君を消費するだけの価値を持つ実験だということを、私が保証しよう」

 

 頭が痛い。割れそうだ。

 症状なのか、それともパニックが起こってそうなったのか、全く判別できない。

 

「どうやらお疲れのようだね。部屋でしっかり休むといい。実験はまだ始まったばかりだよ」

 

 パルヴィスの声が廊下に響く。

 廊下、いや、俺の頭か、それは耳の奥か、或いはもっと遠くの、ああ、どこかで響いている。

 

 ――疲れた。

 それを受け入れた途端、俺の体は鉛のように動かなくなって、直接頭蓋を殴られているかのような痛みに力が抜けた。白いタイルが俺を受け止めた。

 

 ひんやりしていた。

 だが、火傷しそうなほどに熱い頭を冷やすには、それでは足りなかったんだ。

 

 

 

 

 アルベはレオやパルヴィスに怒ってくれていたが、少し整理がしたくて、一人にさせてもらった。それに、声を聴くたび頭の奥が痛む。イライラするんだ。

 どれだけ仕方ない判断だったとしても、助けてくれなかった彼に当たってしまいそうだった。

 

「……クソッ」

 

 思考がまとまらない。

 色々と考えなければいけないことがあるというのに、体中を走る不快感が邪魔をする。皮膚の下が痛くて痒い。

 

 掻きむしっても意味はない。皮が邪魔をしているからだ。爪を立てると赤い線が浮かんで、それでも足りない。もっと深い。

 ただ、そうして引っ掻いた傷が確かに痛くて、少し気が紛れたような気がした。リストカットをしている人はこんな気分なのだろうか。

 

 胸に何かがつかえる。呼吸が難しくなって、喉元まで胃酸が迫り上がってくる。酷い吐き気だ。更には胸焼けのような不快感が主張を強めていた。

 頭を振って、見ないフリをした。

 

「炎魔事件の話を、しないと。ああいや、あのイカれた実験はこの世界だけの話か? 俺はどんな扱いを受けてる? ……情報が圧倒的に足りないな。この先どう動けばいいんだ」

 

 何をするにも情報が必要だ。

 今の状況が原作とどれほど乖離しているのか、判断する材料が欲しい。

 

 俺が受けていたのが人体実験である、ということは確定だろう。パルヴィスは俺に本当のことを告げる必要なんてないが、嘘を吐く必要性の方がより見つからない。俺を揶揄って何になるのか。

 

 それが確定したなら、俺と同じ治療を受けているイフリータもそういうことになる。今現在炎魔事件が起こっているということも間違いないと置いていいだろう。

 つまり俺はイフリータのように強力な炎を扱えるようになるのだろうか。

 

 しかし、それでは不自然なことがある。

 

『君という貴重な資源を費やすに不足はない』

 

 イフリータはごく普通のサヴラだ。被験体だったことを除いて特別な設定はなかったはずだ。

 恐らくだが、炎魔事件で行われた計画――取り敢えず炎魔計画と呼ぶ――は資質を必要としない。きっと対象は誰でもいいんだ。

 

 パルヴィスが俺を貴重なものと捉えているなら、それをわざわざ炎魔計画の実験体にするはずがない。つまり、俺が受けた阿保らしいほどに苦しいあの実験は炎魔計画と別である可能性が高い。

 

 ただし、これは推測に過ぎない。

 ある日目覚めたら体が燃えていたって不自然ではない以上、リスクが大きすぎる。これからの行動指針を考えるに当たって、俺が炎魔計画の実験体になっていないと確定させるのは早いだろう。

 

「そのあたり、パルヴィスは多少教えてくれそうだったけど……そう言えば、どうして彼は勘違いしていたんだ?」

 

 

『ミュルジスが理解を示さないだろうことは予想できていたからね。君に充分な説明が出来なかったことは申し訳ないと思っているよ』

 

 

 ミュルジスと違って、君なら理解を示してくれるだろう。

 パルヴィスは俺にそう言ったんだ。

 

 そんなに信用される覚えはない。

 確かにミュルジスの行き過ぎた言動を窘めることは多かったが、パルヴィスに賛成したことはただの一度だって……

 

 ――まさか、第一章(3年前)のアレが原因か? 俺が自分を使った実験計画書をパルヴィスに見せたから、それが原因で彼は俺を同志だと思い込んでいるのか?

 

 確かにアレはミュルジスと正反対の方向に進んでいた。パルヴィスに賛同していた。その印象が変わっていないのならこの対応も不自然ではない。

 

 これを利用すれば炎魔事件について探ることも可能だろうか。

 いや、考えてみたが難しいだろう。俺についてのことは当事者だから説明しただけに過ぎない。イフリータのことを聞いたところで十中八九答えはない。

 それに、恐らくサイレンスやアルベは今行われている治療が本当は人体実験であると知らない。パルヴィスは構造課の職員ならわかっているだろうと考えている。

 つついた影響でそれが露呈してしまえば、大幅に流れが変わってしまう。どれほど原作から歪んでいるかは分からないが、まだあまり変わらずに事が運んでいる可能性がある以上、派手なことはできない。

 

 

 しかし、場面が切り替わったのは確かだ。

 パルヴィスはもはや大人しくしていないだろう。

 

 俺も対応を変えるべきだ。

 ただ交流するだけではいけない。

 

 目的のために他者をコントロールしていく必要がある。たとえば、原作より警戒が強いだろうサリアには実験の苛烈さを隠すとか。アルベが行動を起こしそうなら留めておくとか。

 

 最も恐れるべきはミュルジスだろう。炎魔事件のイレギュラーは俺だけではなく、彼女もそうなのだから。決して介入させてはならない。

 

 俺に対して行われる実験はすべて隠し通されなくてはならない。どのような影響が出るか分からないのだから、俺は、たった一人であの痛みを堪え忍ぶ必要がある。

 

「……ミュルジスのため、か」

 

 炎魔事件はミュルジスの幸せに必要だ。

 俺は、絶対に、成立させなければいけない。

 

 ピリピリと薄皮の下を違和感が伝う。

 殴られたように頭が痛い。

 

 呼吸が浅いと自分でもわかるくらいだ。

 肺の奥に水でも溜まっているかのようで、息を吸うのが難しい。

 

 それでも耐えられないほどではない。

 

 我慢だ、我慢するんだ。

 知られてはいけない、気取られてはお終いだ。

 

 誰にも言えなくたって屈するものか。

 生まれてから一度だって、それこそミュルジスにさえ伝えていない秘密があるんだ。

 

 

 黙っているのは俺の十八番だろう。

 

 

 

 

 どうやらイフリータの方でも方向転換があったらしい。

 

 とは言え些細なものだ。俺が治療の――実験の初期段階で感じていたような小さい苦痛を伴い始めたというだけで、イフリータは気丈に笑っている。

 子供の、それも病気に慣れていない彼女のことだ。些細なものとは言え辛いに違いない。それでもサリアに向かって大丈夫だと元気よく言えるのは、間違いなく彼女が強いからだ。

 

 イフリータを心配そうに遠くから眺めているサイレンス。その周りにはジョイスやラミーの姿が見える。少しだけ、羨ましく感じる。

 ミュルジスに出会うまで俺はたったの一人だった。生まれて、自我を取り戻して、ずっと苦しかった。そんな俺とは違って頼ることの出来る相手が初めからいる。なんと素晴らしいことだろう。

 

「アルベが心配してたよ」

 

 振り返る。理知的な目と視線が交わる。

 何をどう言えばいいのか迷って、言葉が喉に引っ掛かる。

 

「ア、ルべが? ……心配性だな。俺の方は何ともないよ」

 

「それならよかった。イフリータの部屋にも顔を出さなかったから、私も気になってたんだ」

 

 サイレンスは安心して笑った。

 アルベからそう多くのことを聞いているわけではなさそうだ。同じ治療の被術者とは言え、何もかも情報を共有していいわけではない……と見るには早計か。

 彼には釘を刺しておくべきかもしれない。しかし、納得させられるだけの材料が見つからない。実験の様子を見られている以上は症状を隠した所で無駄だろう。

 どうしたものだろうか。

 

 

 

 イフリータは元気いっぱいに笑っていた。

 サリアとサイレンスがその横で遊びに付き合ってやっていて、その様子はまるで家族のようだった。それを俺は廊下から見ている。

 

 見慣れた野良猫がいつのまにか他の家の庭で飼われていた、とか。失くし物を我が物顔で使われていた、とか。貸した消しゴムの角が擦り減っていた、とか。

 それを見て、それでもいいやと思うのに、どこか消費しきれない。

 

 俺にも家族がいたんだ。

 前世では、いたはずだったんだ。

 

 顔が思い出せない。

 声だって不確かになった。

 どんな人かもうわからなくなった。

 

 それでも、大切だった存在が俺にだっていた。

 

 別に妬んでいるわけじゃない。そう思う。

 だが、本当にそうなのか自分でもわからない。嫉妬というくだらない言葉には似合わないような気がしただけで、それ以外に否定する理由はない。

 

 

 ふと視線を感じた。

 

 

 周りを確認する。

 すぐ近くに、こちらを見つめる一対の目。

 

「どうかしましたか?」

 

「どぅわあぁ!?」

 

 ジョイスは目をパチクリさせた。

 驚きたいのは、というか驚いているのは俺の方なのだが。

 

「AEDの使用を希望しますか?」

 

「心臓は止まってない、から、大丈夫だ。止まりかけたけどな」

 

 彼女はスッとどこかを指差した。

 

「取って来ますか?」

 

「せんでいい! 見れば分かるだろ、元気だから」

 

 彼女の冗談を流し、イフリータたちの方に視線を戻す。

 ストーリーではそんなキャラでもなかっただろうに、まさか昔はこんな風だったのだろうか。炎魔事件を経て大人しくなったとか。それとも俺が覚えていないだけでそんな設定だったのか。

 

「血中源石の増加に従う異常陰影の大幅な拡大及び施術した源石に対する軽度の拒絶反応が確認されています」

 

「……イフリータの話か?」

 

「いいえ」

 

 ジョイスの目をもう一度見る。

 部屋ではなく、やはり俺の方を見ていた。

 

 データアナリストの業務上知られてしまったのだろう。

 しかし問題はどこまで知っていて、何を思っているか――その無表情からは全く読み取れない。

 

「症状を正しく伝達することは重要です。”元気”という発言は適切ではありません。また、現状を周知させておくことでいくつかの利点があります」

 

「サイレンスやイフリータに説明すべきだって?」

 

「はい」

 

 正論だ。俺がどれだけ苦しんでいるのか言っておけば緊急時の対応が全く違うだろう。それができるよう生態研究園から出てきたのだから、十全に備えなければその意味がない。

 だからと言って、頷くわけにはいかない。

 

「ジョイス、君の言いたいことは分かる。どうしようもなく正しいと思う。今の俺には君を納得させることができない。けど、君はこうも知ってるだろ」

 

 改めてその目を真っ直ぐに見つめる。

 人形のような無表情、その中でも随一で機械的な印象を持つ双眼。

 

「物事はそう単純じゃない。一つの正しさだけを盲目に信じることはできない。君と俺では正しさの形が違うんだよ」

 

 じっと目を合わせていては居心地が悪い。

 しかし逸らすわけにはいかなかった。

 

「誰にも話さないでくれ」

 

 嘘は言っていない。

 俺にとってはミュルジスの幸福が正しくて、そのためには炎魔事件が必要なのだから。

 

 これが正しいんだ。

 

「……かしこまりました」

 

 目を逸らし、心なしか小さな声でそう言った。

 

 

 俺はなんて我儘なんだろうと思う。

 自分が犯した過去の過ちを清算するためだけに不幸を黙殺している。

 間違いを暴くことの出来る立場に居ながら行動を起こさず、更には周囲の人間にさえそうならないよう仕向けている。

 

 自己嫌悪。だが、諦めてしまえばミュルジスは本当の被害者になってしまう。

 俺は確かに加害者だ。それが変わらないことなんてわかってる。だからこそ、せめて償うんだ。

 

 俺と別れるとき、彼女はきっと悲しんでくれる。しかし、ドクターがついていてくれる。差し引きで言えばプラスだろう。原作には及ばずとも、このまま行動しなかった先にある未来よりずっと幸せなはずだ。

 

 そのためなら何だって踏み躙ろう。

 しなければいけない、なんてセリフで逃げはしない。

 これは俺が望むことだ。

 ミュルジスの幸せを願っているのは俺で、そのために動いているのは俺で、それは誰に強制されたものでもない。

 

 他者を貶めることでしか目的を達成できない無能、そう呼ばれたって、その通りなのだから、これ以外に道はない。

 

 俺は俺自身の意志で、人の不幸を望む。

 ヒーローになる夢はとっくに諦めたんだよ。

 

 

 

 

 アルベは俺を見るなり気まずそうな顔を浮かべた。

 止めてくれなかったことを何も気にしていないとはとても言えないが、そこまで顔を曇らせるほどのことではないだろうにと思う。それ以外に選択肢がなかったなら仕方ないさ、そうだろう。

 

 ドアの閉まる音がして、レオは肩越しにこちらを振り返った。

 

「今一度言っておくが。余計なことはするなよ、アルベ」

 

「……ジズの話ですか」

 

「それより他にあるのか?」

 

 ただ、選んでしまったらもう戻れないんだ。

 足を踏み出したくせにやっぱりやめたなんてことが通るはずないだろう。止まれないし、止まらないんだ。知らなかった、は言い訳にもならない。境目の先に足跡がくっきり残っている。

 

「ミュルジスにはもう言ったのか?」

 

「あんなの言えないよ。部屋から出てこないって聞いただけでもアレだったんだ……せめてジズがいてくれないと、どんな反応になるか想像もつかない」

 

 昨日はミュルジスと二、三言交わしてすぐに帰ってもらった。

 覚悟も何も出来ていなくて、そのままでは助けを求めてしまいそうだったから、ボロが出ないうちに同伴していたアルベに突き返したんだ。

 

 やけに心配そうだとは思ったが、それを追求するだけの余裕もなかった。それは先んじて引きこもっていると伝えていたからだったらしい。

 安心だ。それくらいならどうとでも誤魔化せる。レオに目配せをすると、上機嫌に頷いた。

 

「アルベ。ジズの症状は把握しているんだろう? それなら理解出来るはずだ、今ここで治療を中止するわけにはいかないことをな」

 

 治療を中止すると言う選択は悪戯に鉱石病を悪化させるだけだ。

 どうせ指を咥えて見ていることしかできないなら、初めから伝えない方がいい。宥めるために無駄な労力を費やすことになる。

 ミュルジスの対応を面倒に思っていたレオからすれば、俺の申し出は非常に満足できるものだったらしい。

 

 説明は簡潔で論理的だった。

 

「勿論パルヴィス主任の許可は得ている」

 

 アルベの顔には信じられないと書いてある。

 どうにか咀嚼して、次に俺を見た。

 

「ジズ、君は……」

 

「確かに、あの実験は度が過ぎていると思う。別のやり方があるならそうしたい」

 

「それなら!」

 

「だけど、あのパルヴィス主任はこれを必要だと思ったんだ。否定する根拠もないのに我儘ばかり言ってはいられないだろ。降りることはもう出来ないんだ。それなら、余計な心配をかけたくはない」

 

 分かりやすく苦しそうな顔をした。彼は誠実だ。

 握りしめられた手がかつてのライドと重なる。義憤に燃えているのか、正しくないことに嫌悪を感じているのか、はたまた別の感情を抱えているのか。

 

「分かり、ました」

 

 つっかえながら言う。

 レオが念押しをして、彼は頷いた。

 

 

 ジョイスに続いてアルベの口止めが完了した。

 レオは自ら進んで話さないだろうし、これでミュルジスによって実験が中止されるようなことはなくなったと考えていいだろう。

 

 

 順調に事が進んでいる。

 それに安堵しながらも、気を引き締める。

 

 炎魔事件がこれからどのように展開していくのか相変わらず予測できないのだから、まだ休むことはできない。

 

 部屋に一人きり、俺は小さく息を吐いた。

 

 




 
評価、感想、よろしくお願いします。
 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。