ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象 作:e-2
サイレンスたちは生態課の管理区に行った。その間も業務は続いている。静かな部屋を掃除して、放っていたデータの幾つかを機器に取り込む。
それらが何を示しているのか、黙々と作業を進めるラミーには分からなかった。データアナリストのジョイスが休養中の今、フィードバックが行える者は限られている。恐らくはそこまでパルヴィスの織り込み済みなのだろう。
レオが何やら話しかけてきた。暇そうだから代わりに作業しておけ、とのことだ。渡された資料はジズの臨床試験評価。言い返すことも出来ず押し付けられてしまった。
サイレンスは正しさをエネルギーに変えられる人だ。だから強い。羨ましい。
同僚に憧れている事実に溜息を吐く。どうやら単調な作業に疲弊しているらしい、と他人事のように考えた。それらすべてが無意味な思考だった。
「少し見せてくれるかな」
大きく肩が跳ねる。恐る恐る振り返り、その優し気な相貌を視界に捉えた。サイレンスとは違いただの凡庸な研究者であるラミーは彼に話しかけられた経験があまりにも少ない。
思わず身構えたラミーには目もくれず、ホチキスで留められた紙束を拾い上げる。それはレオに渡されたものだ。つまり、第二の被害者であるジズのデータ。
そこまで考えて、ラミーは一つ気掛かりだったことを思い出した。
パルヴィスに聞いたところで答えが返ってくるかは分からないが、レオは近寄りがたいので、聞くだけ聞いてみよう、と。
「主任は、『アンブレラ』がどこにあるか知っていますか?」
「アンブレラ?」
「e-1の部屋に置かれていたアーツユニットのことです」
「ああ、増幅器のことか。アレは私の方で管理しているよ」
疑問が一つ解消された。
そして代わりに一つ増えた。
どうしてそんなことを、と。
それが分かっているのかいないのか、パルヴィスはしみじみと呟く。
「何せ、アレは最後のピースだからね」
強烈にその場から逃げ出したくなった。頭では分かっていたパルヴィスの恐ろしさが初めて実際に見えたようで、ぞわりと肌が粟立った。
何か恐ろしいものが致命的なまでに進行している。露呈しても構わないほどに。もはや事態は止まらない。止めなければ、止まらないのだ。
「引き続きよろしく頼むよ」
しかし何も言えなかった。止められなかった。
ラミーはただ画面だけを見つめていた。
サイレンスが構造課に戻ったのは、レオに押し付けられた資料の打ち込みが完了する頃合いだった。アルベはどうやらまだ帰ってこないらしい。
一人だけのサイレンスが帰ってきて、そして、言った。
「私たちが、イフリータを救わなきゃいけない」
「……何があったの?」
「サリアはあてにならないって確認が取れたんだ。この実験は、イフリータが兵士のプロトタイプとして完成するか、或いは……致命的な失敗が訪れるまで、終わらない」
致命的な失敗。それは恐らく文字通りの意味だ。
「ラミー。私に一つ考えがあるんだ。難しいけど、決して実現不可能じゃない。でも、リスクがついてこないわけじゃない」
「いいよ、協力する」
「えっ?」
「私は何をすればいい?」
「何を、って」
問いかけに返ってきたのは、いつになく弱気な声だった。
「これはラミーに不利益をもたらしてしまうかもしれないことだよ。ライン生命を辞めさせられる可能性だってあるんだ」
サイレンスの言葉の端々には不信感が滲み出ていた。
それはきっと、信じていたサリアに裏切られたからなのだろう、とラミーには理解できた。
「私はサイレンス先輩と同じ気持ちだよ。パルヴィス主任がレオ先輩たちにどうやって伝えているのかは分からないけど、私に出来ることがあるなら、手伝わせてほしい」
「……そっか。ありがとう、ラミー」
一人で戦っているわけではない。
頼りにしていた存在を失い、それでもサイレンスの傍らには友が残っている。
サイレンスの計画は、イフリータを仮死状態にして運び出す、というものだった。
問題は早くも露呈した。仮死状態に陥らせる薬剤の調合法はラミーの人脈で何とか解決することができたものの、安置所は全く手が付けられなかったのだ。管理員らの中に知り合いはおらず、信頼関係がないままに計画を説明すること――そして、加担させてしまうことが気掛かりだった。
幸運はそれから幾許もなく舞い降りた。2人の様子から計画に勘付いたアルベが協力を申し出て、更には安置所の知り合いと話を付けてくれたのだ。
「代わりにって言ったらおかしいけど、ジズのことで何か困ったら、相談してもいいかな」
「……イフリータを無事に運び出したあと、私はライン生命にいられなくなると思う。だから、力になることは難しいかもしれないけど、出来ることはやるって約束するよ」
「それで十分さ」
残る問題の一つである原料の調達においてもアルベが活躍した。投与薬剤の準備をレオから任されている彼ならば、臨床医を降ろされているサイレンスや元よりその権限がないラミーとは違い、怪しまれることなく取り寄せることができた。
そして問題は投与方法だ。
現在、イフリータの担当臨床医はパルヴィスが直々に務めており、その補助にレオがついている。既に一度騙した手前、パルヴィスの目を盗んで行動できるとは思えなかった。
「……私が行くよ」
狙い目はやはりレオだった。
「何か用か?」
鋭く、そして冷たい視線がラミーを貫く。
その無関心が苦手だった。たとえそれが他に向いていようと、針の筵に座らされているような感覚がして仕方ない。敵意さえ混じった排他的で侮蔑的な目。何とか、目を合わせた。
「イフリータのことで、サイレンス先輩に関わらせてあげてください。もう見ていられないんです。どうか手伝わせてあげてください」
それは
「いいだろう。失敗するなよ」
「勿論、伝えておきます」
全ての状況が上手く揃った。
特殊薬剤とその投与手段、そして運び出す段取りまで組んでいる。
炎魔計画の完成まで、あと少しに迫っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
炎魔事件に、果たして苦痛は必要だろうか、とよく考えるようになった。
この頃、壁の向こうから泣き声が聞こえてくる。それはサイレンスやラミーが部屋を離れているときだけだ。普段は声を押し殺して耐えているイフリータが、一人になった途端声を上げて泣いている。そう分かった。
俺はそれを何とかしてやりたいと思ってしまう。
生半可に有用な力を持ってしまったせいで、機会があると、すぐに力を貸してやりたくなる。
ミュルジスはそれをダメだと言う。そのアーツによる負荷は勿論、人の口に戸は立てられないと知っているからだ。どれだけ社会に溶け込んでも種族含め色々なことを隠し通した彼女に従うべきだと、頭では分かっている。
更に言えば、それが炎魔事件に多少の影響を与えるかもしれない。
分の悪い賭けじゃない。
きっと何事もなく上手くいく。
だが、あまりにもリスクが大きい。
俺はずっと耐えていた。
それなのに、研究園から帰ってきて少し経ったあと、パルヴィスが実験をしばらく休止するなどと言うものだから、俺の方に余裕が生まれてしまった。
確かに実験で体調は悪化している。それでも、経験した最悪に比べれてみればちっぽけなものだ。イフリータの苦しみを受け入れるだけの空白が出来ているんだ。
まるで苦痛ばかりを与えて経過を見ているかのように、イフリータが悶える声は日増しに大きくなっていった。日中さえ、サイレンスが声を掛けることも出来ず、ただ手を握っているくらいだ。
本当に、炎魔事件は順調なのか?
そう思い始めてからは随分と早かった。
何せ原作の時系列から察するにもう少しでサリアがライン生命を去ることになるはずなんだ。それなのに未だ大きな動きはない。
サイレンスが研究園でおかしな様子を見せていた次の日、それについて聞いてみたが、どうやら勘違いだったらしい。おかしな雰囲気は綺麗さっぱり消えていた。やはりストーリーは大して動いていなかったのだ。
そして本来より長引いているなら、その分イフリータの苦痛が増えているということで、その原因の根本には俺がいる。
俺はその責任を取るべきだ。
その夜、俺は廊下に誰もいないことを確認して、イフリータの部屋のドアをノックした。耳をすませば聞えそうなくらいに微かな呻き声が止んで、投げやりな返事があった。
「用は、なんだよ」
イフリータには癖がある。苦痛のストレスを怒りに変換してやり過ごそうとする癖だ。この刺々しい口調は、今イフリータが感じているものの裏返しに過ぎない。
「突然でごめんな」
「ジズ? オマエが、どうしてオレサマに……?」
疑問がありありと目に浮かんでいる。
それは不信感などではない。
イフリータは同じ被験者として俺に親しみを感じてくれている。それが嬉しくて、しかし同時に、胸を刺した。多少なり懐いてくれた彼女を、きっと俺は間接的に痛めつけている。
「キャンディでも食べながら聞いてくれ」
「これ、食べていいのか!? あ、でも、サイレンスが、歯を磨いた後は食べちゃダメだって……」
「また磨けばいい」
「そう、なのか?」
恐る恐る口に放り、その顔が緩んだ。
サイレンスには明日謝っておくとしよう。
さて、本題だ。
「実はな、イフリータ。俺は君の苦痛を和らげてやれるんだ。程度は分からないけど、確かに君の体の負担が減るはずだ」
頬を飴玉で膨らませながら、イフリータは頷いた。
「ただ、それは秘密の力なんだ。君の体を苛む
「
「世界一美味しいキャンディがあれば、それを巡ってみんなが争っちゃうだろ? それと同じなんだ、残念なことにな」
「……そんで、それがどうしたんだ?」
「これを秘密にしてくれるなら、俺が君の鉱石病を鎮めよう。きっと、ずっと楽になるはずだ」
「ほんとか!? わかった、秘密にする! うっ……いってぇ……」
急に動いたからか、強い頭痛に襲われたらしい。
「サリアにも、サイレンスにも、内緒にするんだぞ」
「……うん、わかった」
「約束しよう」
小指を絡めて、指切りの歌を歌う。
イフリータは「?」を浮かべていたが、興味を持つことはなかったらしく、歌い終わってすぐに、
「オレサマは、どうすればいい?」
と聞いてきた。
「手首を出して。少し痛いけど我慢してくれ」
アナスタシアのように、傷口から端末を入れて徐々にアーツ作用を感染させるように拡大させていくプランだ。
アンブレラを起動し、針状に――――。
「がぁッ!?」
頭が割れる。手で押さえれば、どうやらまだ亀裂が入ってはいないようだった。しかし今にも、真っ二つに割れそうだ。
腹のあたりで、百足が足を方々に突き刺して歩き回っている。
「お、おい、ジズ! しっかりしろ!」
イフリータの叫びに脳がぐらりと揺れたようだった。目に映る全てのものが気持ち悪く、上手く捉えられない。吐きそうで、割れそうで、倒れそうで、馬鹿らしいほどに痛い。
端末だけはどうにか制御している。それが制御できなくなってしまえばエルフの脆弱な体は即座に虫食いになる。俺が溜め込んでいる源石はそういう量だ。
何が原因でここまで崩されたのか探ってみれば、それはすぐに分かった。体の中に埋め込まれた異物が歪に俺の中の源石と共鳴しているんだ。
「さ、サイレンス、サイレンスを呼んでくる!」
「やめろ! 必要、ない……!」
「でも……っ!」
「いいから、黙って、そこにいてくれ!」
押さえつける。ふざけるな、と腹の中に叫ぶ。
百足が深々と足を突き刺しているが、そんなことはどうでもよかった。腹の中で大量の百足が孵ろうと、仕方がないと言ってやる。
異物を取り込む。それしかない。百足はむしろ味方なんだ。この異物を俺のものに出来なければ、ただ死ぬだけに終わる。今死ぬわけにはいかない。まだ未練がある。
「ああ、クソッ、ざけんな……ッ!」
源石をコントロールし、アーツ作用域で異物をぶん殴る。手応えが確かにある。アンブレラは何故だか上手く使えなかった。だから俺の力だけで抗わなければいけない。
少しずつ削っていく。百足は相変わらず元気に歩き回り、俺に不快感をプレゼントしてくれる。嘔吐く俺の背をイフリータが摩ってくれる。
――なんで。
異物を完全に取り込んだとき、俺の頭にはそれだけしか残らなかった。どうして。なぜ。繰り返し問答を重ね、目をかっ開いて理解しようと努めた。
そして、機能の半分ほどを奪われたアンブレラに手を添えた。考えるまでもない、これはパルヴィスの仕業だろう。
アンブレラの中に埋め込まれていた増幅器の中枢を担う源石が、俺の体にいつの間にか埋め込まれていた。
ミュルジスが俺を思って作り上げてくれたものを利用し、俺を傷付け、実験した。
「ふ、ざけるなよ、あのクソ山羊……!」
ミュルジスの思いを踏みにじった。俺をどれだけ傷付けて笑おうが構いやしない、だが、ミュルジスを傷付けたなら話は別だ。あの穏やかぶった顔に、その口に、源石を押し込んでやりたい。
後悔させてやりたい。パルヴィスが積み重ねてきたものを奪い、すべて無駄にしてやりたい。一発や二発ぶん殴ってやるだけじゃ足りない。
だが、それより、ミュルジスの幸福が優先だ。
「クソ、クソッ……ああ、クソがッ!」
大きく振りかぶって、床を叩いた。
怒りを上手く処理できない。馬鹿らしいほどに憤っているのが自分でもわかる。どうしようもないくらい、高ぶっている。殺意すら芽生えそうだ。
「どうしたんだよ、ジズ……」
ぐっと堪える。イフリータが僅かに怯えた様子で俺を心配してくれていたからだ。まだ体の調子は悪いだろうに、よく人を慮ることが出来るものだ。感心する。そうして、パルヴィスから思考を逸らした。
「もう、大丈夫だ。続きをしよう」
大気に手を伸ばし、針を作ろうとして、やめた。
もうそれは必要ない。もっと直接出来る。
イフリータの手首を掴み、手の作用域を強固にする。そして今さっき取り込んだ増幅器によって、皮膚を越え、イフリータの血中を流れる源石に干渉する。
全身に移動させ、一つ一つの臓器から源石の影響を可能な限り取り除いていく。少し強く抵抗されたときには、直接その部分に手をかざした。
「お、おお、おおお……!?」
一通り終わる頃には血色が随分と改善されていた。ぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでいる。元気になってくれたなら何よりだ。それに、増幅器に気付かないままミュルジスの前でアンブレラを使おうとして爆発するよりは、今でよかった。
そうだ。ミュルジスにはバレていない。それなら、むしろやれることが増えたと喜ぼう。孤星にはパルヴィスが必要で、どうせそれが変わらないなら、怒りなんてない方がいい。
「調子はどうだ、イフリータ」
「そんなことよりオマエは大丈夫なのか?」
イフリータは本当にいい子だ。
「俺はいい。少し眩暈がしただけだ」
「吐くならもっとマシな嘘吐けよ」
うぐっ。
「……ともかく、ここであったことは全部内緒だからな。サイレンスにも、サリアにも、ラミーさんにも、俺がやったってことは言わないでくれ」
イフリータは頷いてくれた。
一先ずは安心して、自室に戻り、洗面台に思い切り胃の中身をひっくり返した。別に施術が負担だったわけではない。異物が暴れていたときの吐き気が強烈に残っていただけだ。
「ああ、疲れた」
ベッドに体を放り投げ、底なしの倦怠感に包まれる。
パルヴィスは到底許されないことをした。しかし、ミュルジスを幸せに導くシナリオの重要人物と捉えれば、プラスマイナスゼロといったところだろう。
元より、俺も似たようなことをしている。俺はミュルジスから幸せを奪い――つまりは不幸にして、今はその逆を目指している。
そうだ。俺はパルヴィスの同類だ。或いは、パルヴィスより最悪なことをしてしまった罪人だ。怒鳴りつける権利などとうに失くしているんだ。
ああ、何かの手違いで、この炎魔事件が終わったあと、ミュルジスがロドスに行かないだろうか。そんな内容のことを何度も願っている。ありえないと分かっているのに。
はあ、と息を吐く。
まだまだ頑張らなければいけないようだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
警備ルームにて、パルヴィスは一つの液晶を眺めていた。
「上手くいったようだね」
そこには眠気が消えたままベッドの上でゴロゴロと転がる少女が映っている。そしてその隣のスクリーンには、まるでどこかの隙間から覗いているかのような角度で、男の部屋が映っている。
「あとは炎魔計画次第、か……」
脳内に一人の教え子が姿を現す。
きっと彼女はまだ終わっていない。
この計画を、先達であるパルヴィスすら気づけないような角度から押し広げ、最後の欠けたピースを埋めてくれるはずだと信じている。それこそが己の見定めた、一番の生徒であるサイレンスだからだ。
「さてと、コーヒーでも淹れよう」
その信頼が明日実を結ぶことも知らず、パルヴィスはゆっくりと計画を組み立て直す。
炎魔事件が、いよいよ終わりを迎えつつあった。
創作鯖に入ったらこの作品をご存知の方がいて作者はおったまげました。皆様のご愛読並びに、評価、感想をいただけたおかげかと思います。
もう一つ、前話にて☆9評価が100に到達いたしまして、作者は非常に喜んでおります。投稿頻度は不定期ですが、拙作をどうぞ引き続きよろしくお願いします。
それでは最後に、改めまして、評価、感想、よろしくお願いします。