ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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知小棒大

 

 

 

「ほーんと、面倒なことするわよね」

 

 手に持つバラの花びらを撫ぜ、ミュルジスはあっけらかんとそう言った。同行者は何も答えない。思索に耽っているのだろう。

 

「何かあったら守ってちょうだいよ? あたしは別についてくる気なんてなかったんだもの」

 

 こんな場所に来る暇があれば構造課まで足を伸ばしている、とミュルジスはぼやく。

 

 トリマウンツ旧市街と呼ばれる周囲一帯には目新しいものなど何もない。唯一面白かったのは警戒を増した同行者の様子だったが、それも黙りこくってしまった。

 

「今日は治療の日よね。イフリータのことは気にならないの?」

 

「……黙っていろ」

 

「あたしを強引に引っ張ってきたのはあなたよ。こうなることくらい分からなかったのかしら?」

 

 ミュルジスを捨て置けるのならば、その同行者――サリアは躊躇いなくそうしていただろう。しかし招待状を受け取ったのはミュルジスだった。バラは彼女に贈られたのだ。

 

「イフリータについて真実を究明することと、肝心な時にそばにいてあげること。果たしてそれを両立できるだけの力があなたにあるの?」

 

「どちらにせよ、真実を追求することは警備課の主任として果たすべき義務だ」

 

「よく言うわね。クリステンの指示に逆らうことも警備課主任サマの義務なのかしら」

 

 ライン生命内部の自治機関として、統括課の判断に批判的視点を持つことは必要だ。それは疑いようもない。

 しかし、サリアは口を結んで答えなかった。それが内実理由のすべてを占めているわけではないからだ。

 

 少なからず情動によって動かされていると自覚していた。今のサリアではミュルジスが取る自己中心的な判断を咎める資格もない。

 

「へえ、あなたはよく分かってるみたい。それならちょこっとくらいあたしに配慮してくれたっていいじゃない? ようやくあたしたち弱者の気持ちが分かったんでしょ?」

 

 こともなげに卑下した彼女を睨む。たった一つの特例を除けば揺らがない芯を持つミュルジスがどうして弱者だと言えようか。

 

 サリアは歩きながら思いを馳せる。

 ミュルジスとの不本意な同行がどうやって始まったのか。

 

 

 キッカケは、クリステンの指令だった。

 

 

 爆発事故を起こした跡地。煤けた壁を水影がなぞると、『ハイドン一号実験室』の名が現れた。ここはイフリータが救出された研究所だ。

 

「クリステンったら人使いが荒いわよね。ただの調査に主任を2人も遣うなんて贅沢過ぎるわ」

 

 地下への階段を下がりながら、ミュルジスは愚痴をこぼした。サリアは答えない。

 

「はーぁ、今頃ジズは何してるのかしら。あたしを待ってるかもしれないわよね。こんな瓦礫をつつかなくたって、イフリータが落ち着くまで待てばいいじゃない」

 

 サリアが足を止めた。

 言い過ぎてしまったか、とミュルジスは身構えたが、振り返ったサリアの顔に怒りはなかった。

 

「確かに、私だけで十分だ。これがただの企業的責任による調査だったのならな」

 

「どういうこと?」

 

「クリステンが期待していることは三つあると考えられる」

 

「ふーん」

 

 興味なさそうにミュルジスが応える。

 

「そしてその前提には、ここで行われていた実験が秩序を乱すものだったという推測がある」

 

「随分悲観的ね、いつだって中立のあなたらしくないわ。まさか、怯えるイフリータの姿を見て偏見でも持ったのかしら?」

 

 今度は返事がなかった。

 面白くない、とミュルジスが足元の小石を蹴り飛ばした。

 

「一つ目に、実験の根拠を残さずこちらで管理し、隠蔽するためだ」

 

「クリステンを疑ってるの?」

 

「いいや。実験の取り締まりが強化されることを嫌っているという仮説でも筋は通る。単にこのラボを重要視しているから2人の主任を求めたということだ」

 

 懐中電灯のスイッチを入れて歩き出した。

 真っ暗な研究室が立ち並んでいる。

 

「二つ目に、情報源を増やしておくためだろう」

 

「……先走ったあなたに先制されないよう、あたしから仕入れて備えるってこと? 警備課の主任サマは信用されてない……ううん、信頼されてるのね」

 

「私の立場は常に明確だ」

 

「当たり前に言うけど、そういうセリフが本当だったことなんてないわ。あたしが見てきた限り、裏を持たない唯一の例外がサリアなの」

 

「お前が胡散くさいから裏を持つような人間しか近付かないのだろう」

 

「こっちはいつ帰ったっていいのよ?」

 

 割れたガラス、穴だらけの配管。

 サリアは配電盤の前で足を止めた。

 

「三つ目に、示唆だ」

 

 サリアが力押しで配電盤をズラすと、そこには隠し階段が顔を出していた。「わお」とミュルジスはわざとらしく驚いた。

 

「ここで何が行われていたのか、クリステンは理解している。それをあからさまにして我々に理解を迫っている」

 

 靴音が響く。

 

「その目的は恐らく、私と同じように、立場を明確化することだ」

 

「つまりこれは、放任主義で無責任な統括の精一杯な自己表現ってことかしら?」

 

 地下に潜る。

 広々とした空間が二人を迎えた。

 酸素濃度は充分な値だ。警備課の調査班を無線通信で呼びつけ、サリアとミュルジスは、テキパキと手際よく、或いは欠伸混じりに、ラボの調査を始めた。

 

 戦利品は一つのカセットテープ。

 皮肉なことに、電子データとして残ることを嫌ってか、古めかしいテープレコーダーが隅の方に置いてあり、その中に忘れられていたのをミュルジスが発見したのだ。

 

「復元できそうだし、あたしの方で預かっとくわ」

 

「……いや、私の方で何とかしておく」

 

「クリステンに渡すなんてことは考えないで、少しくらい信用してちょうだい。どうせあたしは帰っても一人なのよ。これくらいどうってことないから」

 

 サリアは忙しいでしょ、と指を突きつけられる。確かに、これ以上忙しくなるようであれば業務関係で支障が出る所だった。

 イフリータと会う時間も更に限られてくるだろう。

 

「お返しは『アンブレラ』の品質でお願いね。あたしも使う傘なんだから、センスがないデザインはお断りよ」

 

 ミュルジスはそう言って別れを告げた。恐らくこれから構造課を訪ねるのだろう、鼻歌が聞こえてきそうな足取りだった。

 彼女は相変わらず、その面において弱者だった。しかし、イフリータとの交流を得たサリアには、ただそれだけだと断ずることが出来なかった。

 

 虚空に一つ息を吐き、サリアは通信機の動力を入れ、部下に指令を下した。

 

 

 回想に飛ばしていた意識を戻す。

 

 復元したテープの中身から暗躍しているらしき組織の存在を知った。そしてミュルジスの伝手を使って連絡をし、それから待つこと数週間、一通の手紙が返ってきた。それこそ、この旧市街を訪れるまでの経緯だった。

 

 渡されたバラの案内に従い、到着したのはとある酒場だ。

 

 屈強な男が一人ミュルジスに歩み寄り、バラを確認すると、酒場の奥を顎で指した。

 テラス席から店内まで、多くの客がいるのをすれ違いざまに眺めながら、2人は誘導されるがままに歩を進めていった。

 

「ようこそいらっしゃいました、お2人とも」

 

 金属が触れ合い、不快な擦過音を生む。

 ブリキの紳士は鷹揚に礼をした。

 

「中へどうぞ」

 

 指されたテーブルに着けばすぐさま珈琲が運ばれてきた。

 ミュルジスがにっこりと笑いかけ、意図を察したスタッフが椅子を引く。

 

「改めて、初めまして。私のことは『ブリキ』と呼んでください」

 

「ご丁寧にどうも。まさかあなたほどのビックネームが出迎えてくれるなんてね」

 

「お二方に比べれば大したことではありません」

 

 探偵ブリキ。圧倒的な依頼達成率を誇るクルビア一の探偵。こと情報の取扱いにおいて、ここクルビアで右に出る者はそう簡単に見つからない。ライン生命の主任という肩書とはまた違うものの、比肩する名であることは間違いなかった。

 

 しかし、ここにいるのは()()ブリキではない。

 

「さて、サリアさん。あなたがミュルジスさんに伴いここを訪れたのは、ハイドン製薬の件で情報を求めているから――そうですね?」

 

「ああ」

 

「いったい何を知りたいと仰るんですか?」

 

 返答は決まっていた。

 

「ハイドン製薬を告発するための証拠が欲しい。後ろ盾の正体を含めてだ。あなたの組織はとっくに掴んでいるのだろう」

 

「それでは……『予想外の事故』として処理なされたことについて、何か理由をお持ちのようですね」

 

「ライン生命がそのような工作を行う裏では全体の利益を追求している。だが、違法な人体実験はその範疇から外れているものだ。我々は真実を諦めるべきではない」

 

 警備課主任という立場から物を言えば、サリアはその裁定に納得していない。爆発事故というのはあくまでライン生命が出した結論だった。

 

「素晴らしい心がけです。しかし、汎論の下に考えたなら、我々が労を厭わずして集めた情報をなぜお渡ししなければいけないのでしょう?」

 

「そちらに事故以降の動きを見とめていない。恐らく何かしらの壁にぶつかっていると考えるのが自然だろう」

 

 サリアの思考はノブレスオブリージュが根底にある。

 そして、自身に力と立場があると自覚している。

 故にライン生命が解決すべき事柄と言って譲らない。そして、助けてやるから助けてくれ、そうブリキに言ったのだ。

 

「目的は一致しているはずだ。そちらにもメリットがあるから私をここまで通したのだろう」

 

 ブリキは少しの間黙っていた。

 そして凡そ感情が認められない声で言った。

 

「回収された実験体はどうされていますか?」

 

「治療を受けている」

 

 金属の指が顎を撫ぜる。

 その無機質な目は、何を考えているのかこちらに悟らせない。

 

「それでは、彼女は今もミント味のお菓子が好きなのでしょうか?」

 

「一番好きなのはイチゴ味だ」

 

 鎌をかけられていると分かって、しかしサリアは一切ペースを崩さない。この酒場に入った際のそれと変わらない表情で、鋭い眼光を返礼する。

 

「それと、あの子の名前はイフリータだ」

 

 ブリキはそれを静かに受け止めたあと、鉤のように指を曲げ、その背で机を一つ叩いた。

 

 酒場の客が一斉に立ち上がった。

 老若男女全てが滞ることなく捌けていき、終いにはバーテンダーらしきスタッフの男が残るのみとなった。

 

「話す気になったということか?」

 

 サリアの言葉には答えず、今度はミュルジスの方を向く。話に退屈した彼女は髪を弄っていた。視線に気付くことすらない。

 

「ミュルジスさん、あなたは随分家族思いな方だと伺っていますが、ご家族はどちらにいらっしゃるのでしょう?」

 

「どうしてそれをあなたに言わなきゃいけないのかしら?」

 

 不快感を隠そうともしていない。

 ブリキが情報収集能力に長けているのは知っていたが、なぜ今それを、という気色の悪さがあった。

 

「彼はコーヒーを好んでいるのでしたね。最近は飲めているのでしょうか?」

 

「……あたしと知識勝負がしたいの? 笑っちゃうくらいに無謀なことをするのね。集めた資料に書いてあることを読み上げるだけなら誰にだって出来るのよ」

 

「果たして、あなたは今の彼を誰よりも知っているのでしょうか?」

 

 ミュルジスの余裕に、ようやく不信感が罅を入れた。泰然自若としたブリキの態度が疑心を植え付けたのだ。

 

 一つ、指を立てる。

 

「森魔と呼ばれる存在を知っていますか?」

 

 ミュルジスはただ黙って聞いている。

 

「サーミの歴史を紐解けば、僅かながらそれについての記述があるのですよ。こちらでは、源石と決して相容れない種族が適応してみせた事例、と解釈しています」

 

 それが彼を示すということなど嫌でもわかる。

 そして、それだけが本題というわけでもないだろうことまで。

 

「森魔は強大な力を持っていました。源石を受け入れないままに種全体が存続できてしまうほど、鉱石病に対する特効性と、そして、武力を持っていたのです」

 

 ミュルジスはそれを知らなかった。

 だが、興味もなかった。

 

 少なくとも彼はエルフであり、同じ感覚を共有することの出来る仲間である。ラテラーノ生まれの天使(サンクタ)が荒野に生まれた同胞を歓迎するように、肝要な部分はそこになかった。

 

「森魔の特性上、源石を利用しなくてはなりません。融合すればするほどに深く結びついていくのです。しかしあなたのご家族は源石と可能な限り接触を避けている」

 

 ブリキは一息吐いて、言った。

 

「勿体ないと思いませんか?」

 

「……分かりきっていることをわざわざ否定させるのって、過ぎればとっても失礼なことなのよ?」

 

 ミュルジスはにっこりと笑っていた。

 卓上のコーヒーカップが独りでにカチャカチャと揺れている。

 

「無礼をお許しください。実の所、あなたたちがいらしたことには困惑しきりというところなんです」

 

「……それはなぜだ?」

 

「初めにご連絡いただいたとき、あなた方の目的は隠蔽を図った口封じが一番に妥当な考えだったのです。何しろ……いえ、先にこちらをお渡ししておきましょう」

 

 ブリキがそう言うと、バーテンダーが封筒を持ってきて、すぐに酒場の奥へと消えていった。

 3人だけの空間。静寂の中、ブリキが持つ茶封筒は異様な重さを纏っていた。

 

「サリアさん、あなたの覚悟は検めました。そして……ミュルジスさん。あなたがこの中身に覚悟しなければならないことを確認したつもりです。どうか冷静なご判断を」

 

 差し出されたそれの封を切り、サリアは分厚い紙束を取り出した。

 

「『炎魔計画』……」

 

炎魔(これ)って、悪魔(サルカズ)の一門に付けられた名前よね?」

 

「ええ。中でも最も強い力を持つのが、失われた種族である『王庭炎魔』です」

 

 テラの人型動物である先民(エーシェンツ)には様々な種族がいる。(フェリーン)(ペッロー)(リーベリ)などといった種族から、天使(サンクタ)小人(ドゥリン)、エルフやマンティコア、――悪魔(サルカズ)

 

 そして犬種や猫種があるように、サルカズもまた多くの種類に区分される。吸血鬼(ブラッドブルード)屍鬼(ナハツェーラー)などが有名だろうか。そのうちの一つが炎魔である。

 

「伝説にはその異常なほどの力が言葉を尽くして描かれており、惹きつけられる者は後を絶ちません。その結果、彼らの遺骸から『炎魔のかけら』という源石結晶を探し出す者まで現れました」

 

「そんなものが存在するの?」

 

「はい。既に一部は高額で取引されています。そして、炎魔のかけらは十分に使いこなせるだけの資本を持った権力者層へと流れていきました。その終着点には……」

 

「クルビア国防部がある、ということか」

 

 サリアは資料に描かれた国防部の紋章を睨みつける。

 

「調査が行き詰まる原因はそこにあります。国防部はこの国が有する専門機関に依頼し、人体実験という非倫理的な行いを隠匿しながらに、軍事転用を計画しているのです。成功したなら、確かに、戦術兵器に類する力を手に入れることとなるでしょう」

 

 強力な兵器を生み出す人体実験がまさか国家の糸に引かれていたとは。ミュルジスは「あらあら~」とどこか他人事に眺めている。

 

「その依頼は……まさかハイドン製薬が受けたわけではないだろう」

 

「お察しの通り、あのように小さな企業が直接請け負える話ではありませんでした」

 

 ブリキの話と資料は核心に近付いていた。

 

「炎魔のかけらを埋め込む際は『結合療法』に類似した技術が必要です。それがどれだけ難しい技術か、あなた方はご存知でしょう」

 

「それって、まさか……嘘よね?」

 

「プロジェクトの最終目標は強大な兵士を生み出すことにあります。実験は初めからそれを意識して行われていました。つまり、プロトタイプの作成に取り掛かっていたのです」

 

「ハイドンはただ末端を任されていたに過ぎない」

 

「その通りです」

 

「専門機関はより高度且つ大規模な……そして、それが仮にトリマウンツの外であれば、ハイドンを使わずとも手頃な研究所があるだろう」

 

 トリマウンツの中にある、高度な技術を有する大規模な研究所。

 捲ったページには、見慣れたシンボルマークと、その統括によるサインが書かれていた。

 

「クリステン……!」

 

「ハイドン製薬を買収することで、ライン生命は直接手を汚すことなく初期段階を完了しました。その間に本部で受け入れる態勢を整え、炎魔のかけらを正式に受け取り、そして埋め込む準備をしていました」

 

「そんなに大きなプロジェクトがあったなんて」

 

「あなた方を疑ったのはそこです。このプロジェクトは、資料を見る限りお二方にも認可されているはずでした」

 

「審査の際には偽られていたんだろう。これらの薬物や武器の開発は基礎研究として提出されていた覚えがある」

 

 資料の次には結合実験の競合入札書が綴じられていた。そこにはミュルジスのサインがある。統括か、恐らくはパルヴィスによって騙されていたのだ。サリアは悪びれることなく舌を出したミュルジスを小突いた。

 

「さて、『炎魔計画』の話はこれで終わりです」

 

 ブリキがミュルジスに視線をやる。

 

「続いては彼を取り巻く計画についてお話ししましょう」

 

「……何ですって?」

 

「無題では都合が悪い。(なぞら)えて、『森魔計画』とでも呼びましょうか」

 

「サリア、寄越して!」

 

 半ば奪うように資料を取った。

 立ち上がった勢いに押され、倒れた椅子が音を出す。

 ミュルジスにはそれすら聞こえていないようだ。

 

 取った拍子に捲られていたページが元に戻ってしまっていた。焦ったように炎魔計画の部分をペラペラと捲っていく。残像となってすぐに消える炎魔計画の情報が鬱陶しく思えた。

 ようやくクリステンのサインがあるページまで戻ってきた。残った紙束の厚みから考えるに、そう多くの資料を得られたわけではないらしい。

 

「何よ、これ」

 

 一ページ目。ジズの写真やアーツ実験の結果が載せられている。そして増幅器と呼称される源石の情報、それを()()()()()()()()()()()()に書かれている『Extra-1番源石術(オリジニウムアーツ)作用式源石統制具アーツユニット拡張型』――即ち『アンブレラ』。

 

 二ページ目。炎魔計画の被験者に及ぼしうるアーツと、それによる自発的な増幅器との融合の計画、源石融合率並びに血中源石濃度の最終想定数値。

 

「16%……」

 

 果たして今はどれほどか。

 どのように計算しても、10%は軽く超えているだろう。

 

「初めから、これを、全部?」

 

 治療にしては体調の悪化が目立っていた。

 しかし、そういうものだと思っていた。

 

 少し考えればわかることだったのだろうか。

 

「仕方ないでしょ、あたしは、生態課の……」

 

 そんな言い訳に意味はなかった。

 ミュルジスが何を取り繕おうとも、進んでしまった時計の針は戻らない。

 言い訳しようがしまいが、道理が通っていようがいまいが、今ここにある現実は変わらない。

 

 

「――ふざけないで!」

 

 

 今ここにある現実は。

 

「こんなの、ありえないわ。だってこの治療はあたしが選んだもので、サリアが見ていたはずで、それなのに蓋を開けてみれば最初からあの男の計画通りなんて、そんなのありえていいはずがないでしょ!?」

 

 変わらない。

 

「サリアも何とか言ってやりなさいよ! あなたが見ていたはずよね、それなら、ジズが受けたのはただの治療だって、そう、言えるはずでしょ?」

 

「それが分かっていたなら炎魔計画も止められただろう」

 

「……何を言ってるの? 言ってたわよね、あなたが監督するから、あたしが想像するようなことにはならないって!」

 

 変わることはない。

 

「あたしが、ジズが、どんな思いで耐えてきたと思ってるのかしら。これが終われば、全部全部楽になるからって……それがどうしてこんなことになってるのか、説明しなさいよ!」

 

 変わるはずがない。

 

「耐えられないって、不安だって、初めて言ってくれたのよ。そう、初めてジズがあたしに弱音を吐いたの。こんなことになるなら、サリアなんて信じなければよかったわ。ジズがそうしてくれたように、あたしもジズを一番信じてあげるべきだったのよ!」

 

 変わることなどありえない。

 

「どうして、ずっとそうなの? あたしはただ、ジズに、せめてあたしと同じだけの自由をあげたかっただけなのよ? それが、どうして!」

 

 逃避するには限界があった。

 嗚咽が喉元まで迫りあがっていた。

 

「どうして、これ以上傷付かなきゃいけないのよ……」

 

 戻らない。

 変わらない。

 

 泣き崩れたミュルジスを見て、迷いながらも口を開いたサリア。

 しかし実際の所、言葉を選ぶだけの余裕はなかったのだ。

 

 慰めの言葉か、叱咤激励か、それが分かるより先に、通信機がやかましく鳴いた。

 警備課で使っている緊急用無線だった。

 

「私だ」

 

『こちら001! 構造課の実験でアーツが暴走しました! 鎮火と非難誘導を行っていますがターゲットの処理は不可能です! ただちに応援願います!』

 

「了解した」

 

 サリアは荒々しく席を立ち、早足で入り口に向かったかと思えば、振り返ってブリキと目を合わせた。

 

「情報提供感謝する。ライン生命の問題は私が解決しよう。そちらの手を煩わせることにはならない」

 

「であれば、いいのですがね」

 

 ブリキは何やら含みを持った言い回しで応える。

 その無機質な目を一瞥し、サリアはその場を後にしようとして、横から声がかかった。

 

「何が、あったの?」

 

 覇気を失った声だった。

 ミュルジスはまだ俯いていた。

 

「イフリータのアーツが暴走した」

 

「それって……」

 

「ハイドン製薬の二の舞にはならない」

 

 簡潔に答える。

 ここで時間を無駄にするわけにはいかない。

 

「ジズのことは安心しろ。私が行く」

 

 サリアは酒場を出た。

 

 弱者が嫌いだった。感情に打ちのめされ、正しきを見失う彼らが嫌いだった。

 ジズが素知らぬうちに被験体となっていたことにしろ、建設的なことを言うのなら、今すぐに構造課に連絡を付けるか水面下で動くかして、ジズの安全を確保するように動くべきだとサリアは思う。

 

 ただ、サリアは何故だかミュルジスを非難することが出来なかった。

 助けを求めるイフリータに、力を付けろと言えなかったその時。私が守ると言ってしまったその時から、少しずつ歯車が狂ってしまったように感じる。

 

 

 旧市街の外れに止めていた車へと乗り込み、エンジンをかける。

 ここからは警備課の仕事だ。ミュルジスを置いてけぼりにする形だが、どうせ上手くやるだろう、と妙な信頼があった。

 

 アクセルに足をかけた次の瞬間、フロントガラス越しに誰かが走ってきているのが見えた。泣いたばかりで体力を消耗し、ヘトヘトになりながらも、ミュルジスはサリアの背を追いかけていた。

 

「ジズが危ないって分かってるのに何もしないなんて、出来るはずないでしょ。あたしも連れて行きなさいよ」

 

 毎日走り込んでいるだけはあって、ミュルジスは汗を滴らせながらも不敵に笑った。

 

「もうあなたに任せたりなんかしないわ。あたしがジズを守ってあげるの。……頭がダイヤモンドでも、あなたの体は人間みたいだしね」

 

 助手席に乗り込んだミュルジスに、ふっと笑う。

 

「そうか」

 

 サリアはそれ以上何も言わずに発進させた。

 窓から吹き込む風が、ただ心地よかった。

 

 

 

 

 ブリキは閑散とした酒場の中で、所々に涙が滲んでいる、苦心して集めた資料をぱらぱらと見返した。

 これでライン生命が止まらずともサリアをカードに加えることは出来た。パルヴィスやフェルディナンドなど、主任と対等に渡り合えるというだけでなく、あのクリステンとすら並ぶカードだ。

 

 それにミュルジスも同じようなことが言える。こちらは影響力が比較的小さいが、駒としての扱いやすさで言えば上等だろう。

 

 そういえば、と資料を捲っていく。

 

「最後のページに彼女は目を通したのでしょうか」

 

 泣き出したミュルジスに声を掛けることができず、落ち着くのを待っていたら出て行ってしまった。結果、それについて言及する機会を逃してしまった。

 

「『炎魔計画』が強大な兵士を量産する計画に利用されるのなら、『森魔計画』はいったい何に利用されるのか……」

 

 最後のページには、『星の庭計画』と『生体及び自動制御機器による源石統制具開発計画』とがメモ書き程度に書かれている。

 計画の概要すら掴めていないが、どうやらこの二つが主要な利用先になるらしいということだけが分かっていた。

 

「計画の内容が分からなければ無意味でしょう」

 

 ブリキは少しの後悔を切って捨てた。

 もしミュルジスが計画名を読んでいたならその首謀者や大凡の目標まで見当が付くだろうに、ブリキは所詮紙ぺらに乗せられた情報しか知らない探偵だった。

 

 資料を封筒に戻して、バーテンダーに管理させる。それが終わる頃には酒場の客が戻ってきていた。

 

 マイレンダー基金の重役であるブリキには多くの仕事がある。ライン生命及び国防部の企みについては目下最大の課題だが、簡単に片付けられる小さな問題にも目を走らせるべきだろう。

 

「さて、上手くいくことを願っておきましょう」

 

 資料を手に、指示を出す。

 トリマウンツの行く末は、果たしてどこにあるのだろうか。今は、まだ誰も知らないことだった。

 

 




 
[Tips!]何故招待状が完全にミュルジス宛だったのか
マイレンダー基金の情報網で既にミュルジスが家族バカ(親バカの亜種)ということは判明していたので、何かしらの手違いや騙し合いが起きているのではないかという推測が強かったため。

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