ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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精衛填懐

 

 

 炎魔事件が終わり、ライン生命は大きく変わることになった。

 

 まず第一にサリアの顛末を話そう。

 構造課実験棟の消化活動を行ったあと、クリステンと話し合い、結果、統括の執務室がいかにもクリステン好みの部屋に――分かりやすく言うと、星を眺められるようになった。

 孤星でも言及されていたことから驚きはしなかったが、本当に戦闘の余波で天井をぶち抜いたのか、と妙な感心があった。

 そして彼女は警備課の主任を辞職し――クリステンは辞職届を承認していないが――ロドスへと渡ることになる。

 

 色々バタバタしていたため、パルヴィスに好き勝手させてしまったことへの謝罪は通信機越しで手早く済まされた。

 

 サイレンスとイフリータもライン生命の手を離れ、ロドスへと向かった。

 結局どこからロドスが出てきたのかは分からなかったが、何かしら裏であったんだろう。

 今それを詮索したところで得られるものはない。

 少なくとも今のミュルジスは、見知らぬ組織に飛び込んで俺の治療を任せる、といった手段を決して取らないだろう。

 

 大して踏み込むことなく別れの言葉だけを贈った。

 

『私の手はそう多くの物を抱えられない。でも、もしイフリータが十分に成長するのを待ってくれるなら、その時は……きっとまた会いに来るよ』

 

 別れの場で、彼女はそんなことを言っていた。

 

『あの人は……ごめん、今は話せない』

 

 思っていたより参っていないようで少し心配になったが、サリアとサイレンスの確執は原作通り生まれていたため、孤星は問題なく成立するだろうと思う。

 

 原作まで続く道を着実に進んでいる実感。

 親しかった2人の不仲を喜ぶ自分が嫌になる。が、孤星ではこの関係も重要になる。軽視するわけにはいかない。

 些細なボタンを掛け違いで死人が増えてもおかしくないのだから、可能な限り前提条件をそのままにしておきたい。

 孤星で退場していいのは、夢に殉ずる科学者たちと、俺だけだ。他には誰も許されない。……国防軍の軍人が多少死んでいたような気もするが、それは誤差ということで。

 

 何はともあれ、サリアとサイレンスに関してはこんな具合だった。

 アルベやラミーとは顔を合わせる機会もなかった。どうやらサイレンスと違って、2人は構造課に留まるつもりらしい。

 

 あのパルヴィスが主任を務める構造課だが、何も後ろ暗い研究ばかりに注力しているわけではない。

 彼はただ研究のために法や道徳を無視しているだけだ。

 2人は炎魔事件を通してライン生命の後ろ暗い部分を知りつつも、一線級の研究機関として未練があったんだろう。

 腐っても、いや、腐っているからこそ研究に関しては最先端だ。彼らの判断を決して咎めることはできない。

 

 とは言え、あまり深く知らないラミーはともかく、アルベの方が残ると聞いたときは驚いたものだ。

 サイレンスほどではないが彼の潔癖さは知っている。

 しかし決意は固いようで、俺はアルベがパルヴィスのように――そして、俺のようにならないことを祈って別れとした。

 

 続いて、パルヴィスやクリステンなどのライン生命暗部。

 結論から言えば何も変わらなかった。

 炎魔計画は首尾よく終結し、唯一サリアの離反は想定外だったらしいが、それくらいだ。

 態度を変えるだけの理由が存在しない。

 そしてエスカレートした結果が、孤星というわけだ。

 大なり小なり俺に影響されているミュルジスとは反対に、彼女らは原作からブレることが全くと言っていいほどなく、安心できる。

 

 懸念としては、パルヴィスとミュルジスの仲が悪くなりすぎていることだろうか。このまま行けば、黒豆茶を頭から被ってずぶ濡れになるパルヴィスが見られそうなほどに。

 まあ、大丈夫だろう。

 孤星の大枠はクリステンにある。

 パルヴィスやローキャン・ウィリアムズなどが出張ってくるストーリーラインにしても、彼らとの因縁を持つオペレーターたちの成長がメインだ。

 つまりパルヴィスは罷り間違っても主役足り得ない。

 彼の芯が揺らぐとは思わないが、揺らいだとしてもそこまで大きな影響はないだろう。

 

 クリステン? あの人が空を諦めるはずない。

 そんな可能性を考えるくらいなら、突然隕石と地割れと砂嵐がトリマウンツを襲う可能性の方がまだ現実的だ。

 

 

 そして最後に、変わっていないようで一番大きく変わった人。

 ……俺に裏切られたことから目を背け、自分のせいだと思い込んでしまった人。

 

 彼女はまず第一に生態課の中で警備部を作った。

 そして警備システムを、特に生態研究園の中で働くものの管理を自ら行うようになった。以前から存在していたが正式ではなかった詰め所を警備部室とし、ジャックなどが警備課から生態課に所属を変更することになった。

 サリアとの話もついていたらしく、次の警備課主任が見つかるまで業務責任を負う代わりに引き抜いたらしい。

 

 都市の真ん中で戦力を確保しなければいけない状況にミュルジス本人も苦笑していた。

 それを見るたびに、孤星のためには必要なことで、今も後悔していないとは言え、すべて黙っていたことの罪悪感が蘇る。

 二度とあんなことはしたくない。

 

 生態課は警備部だけでなく、源石生態学専門の研究室を作り、更に規模を拡大させた。

 生態学とは名ばかりの鉱石病対策室だな。

 実験中の事故で鉱石病に罹ったアナスタシアが関わることすら嫌そうにしていたが、生態課に雇われていた感染者はほとんど全員が所属することになるようで、実験協力者という側面もあるようだった。

 

 例外は俺とエリナと、他数名。

 俺はもう構造課によってデータが取りつくされていて、更には普通の感染者でもないため初期段階では役に立たないらしい。

 俺以外で免れたエリナらはトランスポーターや遠方の観測員で、オフィスや研究園の外をメインに活動しているらしく、都合が付きにくいためらしい。

 

 感染者は立場が弱いものの、強制的に協力させることはできない――否、しない。

 路頭に迷っていたのを受け入れてやった過去があるとはいえ、ミュルジスは頭を下げて頼み込んでいた。

 そして誰も彼もが快く承諾してくれたようだ。

 情けは人のためならずと言うように、ミュルジスが働き口を与えてくれたことに感謝している者が大半だったらしい。

 

 それを聞いたアナスタシアは「私には事後承諾の命令だったんですが、この扱いの差は……もう隠す気もない……?」と何やら小さい声で言っていた。

 

 

 大きな改革が一通り落ち着いたあたりで訪れた11月3日の誕生日。

 昨年までは午後を2人で過ごすくらいで、午前は普段の通りに生活していたのだが、変化に伴って現れる問題に対する疲労ゆえか、丸一日休むことにしたらしい。

 ハロウィンの日に俺が手慰みで作った菓子の残りを摘まみながら、緩く過ごしていた。

 

 変化したと言えば、俺とミュルジスの関係もそうだ。

 炎魔事件の進行中に知った彼女の認識。

 

 何と言えばいいか分からないが、俺としては、付き合ってはいないが意識している異性の友人というような認識だった。

 ミュルジスは既にそれを通り越していたらしい。

 

 当然受け止められる容量を超過していたので、俺はあれからアナスタシアに相談して何とかしてもらった。

 俺は恋愛弱者なんだ。

 嫌われることを恐れて大した反応も返せない臆病者なんだ。

 愛されるのも、親愛ならともかく、慣れていない。

 

 

 閑話休題。

 

 

 生態課を改造したミュルジスが受け持つ仕事は膨大な量だ。

 以前までは一人分より少し多い程度の量を分身で楽していた——実際には効率がいいだけで疲労は蓄積する——のだが、今では分身が前提の日常を送っている。

 体が二つあっても考える頭はたった一つだ。

 

 孤星まで4年。

 そう長い期間ではないが、かと言って短いわけでもない。

 全力で突っ走って倒れるには充分だろう。

 

 すべきことは決まっている。

 

 

 

 

 どことなくやつれた様子の彼女がぼうっとテレビを見つめていた。

 視線は演者たちを追っていたが、その意識はここにない。

 

「面白いか?」

 

 上手い言葉が見つからず、迂遠に咎めるような言い回しになってしまった。

 ミュルジスは俺の方を向いて目を細める。

 

「気を遣ってくれるのは嬉しいけど、なんだかサリアみたいになっちゃってるわよ」

 

「……口下手なイメージはないけど」

 

「大好きな秩序が無関係なときは、磁気嵐に巻き込まれたハトみたいに迷ってばかりよ。ジズもよく知ってるあの子が関わることだと、特にね」

 

 本来のサリアは人間関係に悩まされるような人ではない。

 無二の親友と言えるだろうクリステンが敵となれば、道を正すことを即断していた。

 些細な乱麻はその手で()ってみせるだろう。

 

 原作の彼女は必ずしもそうだったろうか。

 

 イフリータやサイレンスについては触れないままだった。

 サリアをイフリータに近づけまいとするサイレンスの主張を受け入れ、かと言って懐いたイフリータを拒むこともしない。

 

 何かしらの過失を認めているのだろうが、きっとそれを謝罪することは秩序に背くも同じことなのだ。

 謝れない。相手が間違っているとも言えない。

 感情より信条を優先してしまうがために、形振り構ってしまう。

 なんだかエラーを吐いたロボットみたいだな。

 

 ……感情より信念か。

 そう言えば、と思い出す。

 通信機越しの会話で気になることを言っていた。

 

『お前は感情に従っている。紛れもなく弱者だ。しかし流されていないだろう。それは何故だ?』

 

 言っていることの意味が分からなかった。

 聞き返したがすぐに取り下げられて、首を傾げたものだ。

 

 普通に考えるなら、大した信条もないくせにどうして揺らがないのかという問いだろう。

 しかしそれについては3年前答えている。

 ミュルジスのためだ。

 俺は別にすべての感情を尊重しているわけではない。

 ただ一つだ。

 俺が何をも差し置くのはたった一つの感情だけだ。

 だから、たとえ三途の川に沈んでも後悔だけはしないだろう。

 泣いて叫んで喚いたとして、痛みに呻いたとして、この道の果てに辿り着けたのならば、選択を悔いることはもうない。

 俺がドクターより優れていればと、もっと悲しませないようにできていればと、そんな風の妄言を吐くのが精々だ。

 

 どれほどサリアが信念に沿って行動する真面目人間でも、というか、彼女も俺のように一つの信念を持つ同類だからこそ、それだけのことが分からないはずはないだろう。

 だから理解できない。

 いったい何を聞かれていたのだろうか。

 

 今はそんなことどうでもいいか。

 

「ミュルジス、俺が言いたいことは分かるだろ?」

 

「さて、あたしとあなたはどれくらいの時間を一緒に過ごしてきたのかしら。それを考えれば分からなきゃいけないことよね。ってことで、返事はイエスよ」

 

 勿体ぶった話し方だ。

 相当参ってるようだが、果たして本当に仕事の疲れだけが原因だろうか。

 

 俺の心配に、分かっていながら無理をしている、と。

 そう開き直ってまた分身の操作に集中しようとしていたが、観察されていることでどうにも居心地が悪かったらしい。

 

「分かったわ、ジズ。もう降参よ。でも今は少し無理をしなきゃ生態課が回らないからちょこっとだけ後の話になるけど、納得してくれる?」

 

「業務を拡張した分の皺寄せか」

 

「ええ。本来なら不可能なペースで進めちゃったんだもの、多少負担が増えるのも織り込み済みよ」

 

「想定していても実際にかかる負担が減るわけじゃない。それを俺は何か手伝えないのか?」

 

「研究園の管理をしてくれてるだけで充分助かってるわ。ジズなら枯らす心配も要らないし、それに……迎えてくれる人がいるって、それだけで案外嬉しいものよ」

 

 ミュルジスを伴わずに外出することがない俺では分からない感覚だ。

 そう思ったが、もしホールに入るたび枝葉を揺らしてくれる彼女たちに覚えるものと同じだったなら、それは俺にとっても旧知だと言っていい。

 

 できることはない。

 そして近いうちに控えると言ってくれたのなら、これ以上求めることはない。

 ただの口約束でも信じられる。

 ミュルジスはこういうとき、嘘を吐かないから。

 

 隣に腰を下ろした。

 許可は取らない。

 どうせ返答が一つなら聞く必要はない。

 

「蟠ってるものがある」

 

 口が勝手にそんなことを言った。

 ミュルジスの目がこちらを向いて、今度は分身の操作に戻ることなくじっと様子を窺っていた。

 

「俺は、たぶん、世界で一番君を理解している存在だと思う。きっとそれはこれからも変わらないことだ」

 

 恐らく重なったのだろう。

 ミュルジスと俺自身が重なって見えたんだ。

 

「他の種族はエルフの領分に入ってこられないし、サーミのエルフはその在り方が俺たちとは違う。俺やミュルジスは彼らよりずっと人間らしくって、それでいて成りきっていない。……だから、俺はきっと君に一番近い存在だ」

 

 これは俺の知るところではないが、サーミの奥地に住まうエルフとミュルジスの接触は『探索者と銀氷の果て』にて僅かながら知ることができる。

 

 エルフとは自然の使者であり、巨獣の後嗣であり、災厄の生存者だ。

 サーミの意思に従う彼らは果たして――ミュルジスが自由であると認めた。

 クルビアで生まれたミュルジスはサーミのエルフが継ぐ責任を有していない、と優しく突き放した。

 ミュルジスはそのとき、少なくとも種族という点でハッキリと孤独になった。

 

 そうした事情を俺は知らないし、実際にこの世界でもそんなやり取りがあったのかは不確かだ。

 それでも分かることがある。

 ミュルジスを理解できる存在がいるのならば、それは同じクルビアに生まれたエルフだけ。

 

 ドクターはミュルジスを半分ほどさえ理解していないだろう。

 ただ少しだけ似た存在で、偶然ミュルジスが拠り所を失くして、そこに手を差し伸べただけだ。

 それだけで充分心を動かす力を持っている。

 

 卑怯な人だ。

 俺より悲劇的な人生を歩んでいるものだから嫉妬すらできやしない。

 

 ああ、そうだ。分かってる。

 ドクターは凄い人なんだ。

 尊敬できる人間だ。

 

 だから。

 

「誰よりも理解できる――のに、誰よりも寄り添える自信がない。役者不足にしか思えない。ドクター(頭の中の理想像)に遠く及ばない」

 

 炎魔事件に巻き込まれて一人の時間が増えた。

 結果俺は俺の願いと向き合い、より深く理解することができた。

 

 俺がドクターにミュルジスを任せようと思ったのは、無意識に自己防衛したかったからだろう。

 真面目に競って負けたくなかったんだ。

 ミュルジスを取られまいと競ってしまえば俺の敗北は決定している。その屈辱をどうにか和らげようと、自分からすり寄った。

 

 その思いが理由のどれほどを占めていたかは分からない。

 ただ、こんなにもストンと納得できてしまうんだ。

 全くなかったわけではないのだろう。

 

 情けない限りだ。

 圧倒的に有利な状況だった。

 互いの存在を支えに何十年も生きて、同じ種族で、世界一理解できるのに、そのくせ戦う前から負けを認めている。

 

「3年前の俺は隣に立つ資格すらないものだと思ってた。それを解してもらった。隣にいていいって、認めてもらえた」

 

 アナスタシアの手助けもあって、俺は自分を肯定できた。

 ここにいていいんだと思えた。

 それでも、頭の中のドクターには決して勝てない。

 

「分かってる。理解してるんだ。けど、俺には自信がない。雀の涙ほどもないんだ。資格があるって、君の手を握ってもいいって思えて、それでも……」

 

 及第点ほどはある。

 裏を返せば、世界で一番ハードルが低いくせに、及第点しか取れていないということで。

 

「俺じゃないエルフがあの孤児院で生まれ育っていれば、俺よりずっとミュルジスを幸せにできたんじゃないかって……いつか俺よりずっと寄り添える存在が現れるんじゃないかって、毎日のように考える」

 

 きっとそれは事実なんだ。

 俺じゃない誰かの方がもっと上手くやれた。

 ドクターなら手を差し伸べてやれる。

 

 俺は、何もできない。

 悩むことしかできていない。

 

「……蟠ってるんだ。ずっと、ずっと前から」

 

 いつのまにか、俺は手を握り締めていた。

 

 そして、重ねてくれていた。

 ミュルジスは何も言わない。

 もうとっくに言い切っているからだ。

 彼女の考えは耳にタコができるほど聞いた。

 あとは俺が整理を付けるしかないことだとミュルジスも分かっているから、手を添えるだけで何もしない。

 

 ――何もできない。

 

 ミュルジスは歯がゆく思ってくれるのだろう。

 それが俺にとっても酷く苦しかった。

 

 気にせず人生を楽しんでほしいと思うが、それをしてしまえば待っているのは孤独だ。

 俺を切り捨てることはミュルジスにとって恐ろしい選択なんだ。

 だから苦しんででも向き合うしかない。

 

 本当に、最悪の気分だ。

 

「似た者同士ってことかしらね」

 

 ミュルジスがそう呟いた。

 疲れた声をしていた。

 

「無力感とはちょこっとだけ違うの。『ああ、また何もできなかった』って、落着したあとに思うだけよ。あたしには力があるはずなのに、何の結果も出せない現実とのギャップ……それが一番近いのかしら」

 

 自信過剰とは違う。

 学習性無力感、に近いのだろうか。

 力の有無とは無関係に、失敗が積み重なることで諦観と共に蓄積する不信感。

 自己肯定感と矛盾しない自己否定感。

 

「ジズはあたしを信じてくれるのよね。それが嬉しくて、苦しくて、恐ろしいの。次も応えられなかったらって思うと……体が震えて堪らないわ」

 

 息が空に混ざった。

 込められた感情ごと霧散していく。

 

「アンブレラは、ジズのためだけに作らせたのよ。まさか体に埋め込むなんて誰が予想できたのかしら」

 

 ミュルジスが責められる謂れはない。

 誰であろうと見抜けなかったんだから仕方がない。

 

 ――そんな甘言は受け入れない。

 

「気付けなかったとして、責任があるのはあたしよね。分かってるわ。分かってるのよ、そんなことは」

 

 能力があってやらなかった罪があれば、能力がないことの罪もある。

 俺はそう思わない。

 少なくともそれは『家族』や『伴侶』が持つには重すぎる責任だ。

 

 しかしミュルジスは違う。

 全部背負ってしまうのが、きっと楽だった。

 助けられる可能性があったと思いたいのだろう。

 最初から無理だったなんてことを認められない。

 

 それがこうして失望に連鎖している。

 

「信じていいと思ってたの。パルヴィスは勤勉で、情熱もあって、研究者としては尊敬できる人よ。だから、信じてもいいって、思って……」

 

 何かを堪えるように、手が目に蓋をする。

 

 ミュルジスを裏切ったのは、俺だけではない。

 パルヴィス、サリア、そしてクリステン。

 誰も応えなかった。

 

「傷付けられて、守れなくて、全部見ないフリして……あたしは何を信じたらいいのかしらね……」

 

 ライン生命の設立当初は、仲が良かったはずだ。

 サリアの頼もしさを冗談めかして話してくれたことも、クリステンと見た星空は泣きそうになるほど美しかったと言ってくれたことも、パルヴィスの成果をまるで自分のことのように語ってくれたことも、俺は覚えている。

 

「もう、怖くなっちゃったの」

 

 ミュルジスは小さく笑って言った。

 

「期待に背かれるだけならいいわ。でも、もしそれであなたが傷付くなら……そう思うと怖くて仕方ないの。あたしが本当に失いたくないのは、あたしじゃなくて、ジズだから」

 

「やめてくれ」

 

 聞いていられなかった。

 俺のために心を痛めていることではなく、自分を騙そうとしている姿が。

 

 何も言わずに聞いていられたのは、それがミュルジスのガス抜きになると思ったからだ。

 間違った方向に行けば、止めないはずがない。

 

「嘘は吐かない方がいい」

 

「嘘なんて、言ってないわ」

 

 元凶の立場だからどの口で言えばいいのか分からないが、つらいことがあったなら、それを受け止めるべきだ。

 

「何も良くないんだろ。サリアも、クリステンも、パルヴィスも、大切な仲間だ。少なくとも、つい最近までそれを少なからず信じてたはずだ」

 

 サリアとクリステンの仲を取り持とうとしていたのはいったい誰だ。

 パルヴィスにしたって、提案を拒絶するだけでミュルジスの方から攻撃することはなかった。それは自分で言っていたように、研究者として尊敬していたからだろう。

 

「期待に背かれるだけならいいって、そんなはずはない。悲しかったに決まってる。向き合いもせずに折り合いを付けるなんてできっこないんだ」

 

 ミュルジスのすべてが俺にある?

 冗談にもならない。

 

 毎日楽しそうに話してくれたんだ。

 彼女はライン生命という居場所が大好きだった。

 誰よりも理解できるからこそ、ミュルジスの話が嘘だと分かる。

 

 ミュルジスという存在は俺だけで作られてなどいない。

 大切な出会いが満たしていたはずだ。

 

 ――なんて、思っていた。

 

 今までのように話し合うだけで解決するなら事態はこうも複雑怪奇に折れ曲がることもなかっただろうに、俺はそれを分かっていなかった。

 炎魔事件という一連のストーリーによって刻まれた傷を、この期に及んで見くびっていたんだ。

 

「今までのミュルジスを嘘で覆い隠すな。臆病になったからって、自分を否定するなんてことは……」

 

「ジズ」

 

 開いていた口が塞がれる。

 いい気になって、正しいことを言っているとつけ上がった俺の口が。

 

「……ごめん、なさい。ごめんなさい」

 

 何を考えているか分からない。

 いったい俺の言葉に何を思ったのか。

 肝心要の、本当に知りたいことは、なんとなくでは伝わってくれない。

 

 ただ、また悪い方向に進んでしまったのだろう、という嫌な予感だけが胸の中を占めていた。

 そういう予想だけが肯定されるのは世の常か。

 

 ミュルジスは力なく笑う。

 

「あたし……あたしは、ジズが思うようには、なれないの。……期待に応えられなくて、ごめんなさい」

 

 いつかの日まで、俺はミュルジスに理想を重ねていた。

 1092年2月、生態研究園でそれを認め、改めた。

 そのはずだった。

 

「これまでの全部、心の底から、ジズのためにやってきたのよ。勿論、それなりに……気の置けない友人はできたけど、それも……あたしにとっては、手段でしかないわ」

 

 荒くなっていく呼吸。

 少しずつ、懸命に、言う。

 

「あたしは、自分を心の底から信じられるほどの、強さも……夢を叶えられる、才能だって……況してや、あなたを差し置いて、大切に思える友人なんて……っ!」

 

 ぽろぽろと涙をこぼして。

 歯を食いしばって。

 

「何一つたりとも持ってないわ……あたしは、ジズが思うより、ずっと弱くて、小さくて、ただあなたと一緒にいたいって、それだけで頑張ってきたの……っ! それ、なのにっ!」

 

 ミュルジスは一人の人間だ。

 それは分かっていた。

 ああ、嫌になるほど分かっていたはずなのに、どうして俺はまた間違えてしまったんだろう。

 

「もう、あたしは疲れたのよ! 期待するのも、傷付けられるのも、全部嫌になって……! ジズ以外の全部を諦めたかったのに、ねえ、どうして、まだあたしを励まそうとするのかしら……」

 

 慰めることもできず、力なく俺の服を掴むミュルジスを、ただ見つめる。

 

「認めてくれたっていいじゃない。あたしが弱いって、諦めさせてくれたって、いいじゃない。あたしが責任を抱え込んでる? 違うわ、ジズがあたしのせいにしないだけよ!」

 

 そんなことはない。

 ――本当に?

 

「サリアが約束を守ってくれなかったことだって、パルヴィスのことだって! ライン生命のために10年以上協力した同僚よ、ショックに決まってるわ! それと向き合えたら、乗り越えられたら、さぞ素晴らしいことでしょうね……!」

 

 押し付けてしまっていたのだろう。

 また俺の理想をぶつけてしまっていたのだろう。

 

 それが信頼であり、期待ではないのか、と頭の隅でぼやく俺がいる。

 ミュルジスの強さを信じたから励ましたんだ。

 それは果たして間違ってるのか。

 

「あたしは逃げたくなっちゃうの。何もかも放り出して、一番大事なものだけ持って、逃げ出したくなっちゃうのよ」

 

 苦しそうな声だった。

 

「同じ孤児院を出たのに、あたしは主任、ジズはその部下。確かに立場で差は付いちゃったけど、それだけのことなのよ。人を信じ続けられる度量も嫌なものに向き合う勇気も……あなたとそう変わらないわ」

 

 やはり原作より弱くなっている、などとふざけたことをこの期に及んで言うつもりはない。

 きっとミュルジスは最初からこうだった。

 逃げ場を持っていなかったからサリアとクリステンの間で揺れ動き、帰る場所などなかったから自己犠牲の道を選ぼうとした。

 

 俺という拠り所を得て、初めてミュルジスには他を切り捨てることができるようになった。

 だからそれを選んだというだけの話で、ミュルジスは何も変わっていない。

 

 だが、どうしてだ。

 俺の激励は信頼からくるものだろう。

 

 炎魔事件の終わりに、ミュルジスは信じてくれと言っていた。期待していてくれと言っていた。失望されることが嫌だと、見捨てられることが怖いと言っていた。

 

 それを振りかざして反論することはない。

 怒りを覚えることもない。

 

 ただ胸に残る引っかかり。

 ミュルジスはそれを察していたようで、目尻に残る涙を拭いながら、その顔を曇らせた。

 

「信じていて欲しいけど、ほんとに逃げたい時は受け入れて欲しいのよ。……自分勝手よね。ごめんなさい」

 

 そう言われて、ようやく得心がいった。

 

 ああ、そうか。

 そういうことだったのか。

 

 俺の思考は原作に囚われている。

 炎魔事件を壊さないために動けば、ミュルジスは俺に信頼されていないと判断した。

 原作に近付けるため励ませば、ミュルジスは俺から過度な信頼を受けていると思って苦しくなった。

 

 ミュルジスは二つのことを要求しているようで、その実一つのことしか求めていない。

 

「俺は、頑固で、頭が悪くて不器用だ。(もた)れてくれたって上手く支えられるか分からない。いつかまた同じ失敗を繰り返すかもしれない。それでもミュルジスは……いや、違うか」

 

 たった一人の家族として。

 そして何より、最大の理解者として。

 

 そう難しく考えることなかったんだ。

 本当ならきっと分かってやれたはずなんだ。

 原作を知らなければパルヴィスから逃げ出してミュルジスを頼っていただろうし、今ここで無理にサリアとの仲をどうにかしようと思うこともなかった。

 

 ミュルジスは俺に俺らしくあってほしかっただけだ。

 それだけですべて解決する話だった。

 

「わかった。約束する、二度とそんな思いはさせない」

 

 言い切った俺に、ミュルジスは何やら面食らった様子だった。瞳に映るのは――自己嫌悪。

 

「またあたしばっかり、ジズに求めて……」

 

「求めていたのは俺だ。そう気に病まないでくれ。悪かったよ、ミュルジス」

 

 胸の奥で激しく主張している罪悪感に、一つだけ謝って、覆い隠す。

 

 充足感など感じられるはずもなかった。

 探して、歩き回って、ようやく見つけた探し物はスタート地点に転がっていた。それでどうして喜べようか。

 

 匙一掬い分の後悔と、それよりずっと少ない安堵、そして大きな落胆。

 ミュルジスが求める「ジズ」というのは、俺であって、俺が求める「ジズ」の姿ではない。

 そのすれ違いが悲しかった。

 

「なあ、ミュルジス。俺は君を幸せにしたいと思ってる。いつかの話になるだろうけど、絶対に、そうしようって決めたんだ」

 

「……まだ足りないとでも言うつもりなの?」

 

「散々泣かせてるのに言えるわけない。でも、って言うか、だから、ってわけでもないけど、俺が諦めるまで、ミュルジスには諦めてほしくないんだ」

 

「あたしの幸せを?」

 

「勿論」

 

 険しい顔で、しばらくむぐむぐと口ごもって。

 

「相変わらず、ジズの幸せがあたしの幸せだって信じてくれてないみたいで大いに結構よ。……好きにすればいいじゃない」

 

 どうやら拗ねてしまったらしい。

 演技がかった様子でソファに身体を投げ出している。

 

 元々、これはミュルジスの無理を窘めるために始めた会話だ。

 頷いてくれたなら、そして偶然の結果ではあるが、ストレスを吐き出してくれたならそれでいい。

 俺がこれから目指すべき方向も分かった。

 

 あと、少しだ。

 本当にあと少しだけの話なんだ。

 

 

 この人のために生きよう。

 俺は、きっと君のおかげで人間になれたんだ。

 

 だから、この人のために死のう。

 ずっと前から、そう決めていたんだ。

 

 




 
 お久しぶりです。
 エピローグだけ投稿してしばらく準備しようと思っていたらエピローグ投稿できてなかったアホ作者です。

 評価、感想、よろしくお願いします。
 
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