ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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トリマウンツ街道

 

 冷えた夜の街を窓越しに眺め、ライン生命のジャケットを羽織った。

 

 風邪を引くのは嫌いだ。

 鉱石病で常日頃から気分が優れないのに、体調不良まで並んでしまえば最悪なんだ。

 ガンガン痛んでぼうっとした頭ではよく聞こえないし、歩くことも上手くできない。

 

 それに、ミュルジスが不安がって仕方ない。

 鼻をすすりながら起き上がると、すぐそばで泣き腫らした目のミュルジスが眠っているんだ。

 ただでさえ頭を下げなくてはならない相手に看病させて、心労をかける。

 あってはならないことだ。

 

 無機質な白に染まった廊下を歩いていく。

 雪が降るまであとどれくらいあるだろうか。

 吐き出した息が白く染まるまで。

 その頃にはきっと。

 

 そこまで考えて、やめた。

 感じることのないものに思いを馳せたって空しい。

 手が触れてすぐ溶けていくような儚いものを思った所で。

 

 寂しくって、悲しくって、空しいだけ。

 それだけなんだ。

 

「少し散歩に行ってくる」

 

 気晴らしになればいいが。

 アンブレラを手に、ミュルジスのいるリビングを抜ける。

 

「あたしは必要かしら」

 

 思わず立ち止まってしまった。

 普段なら言われない言葉だったから。

 

 ミュルジスはポットにミネラルウォーターを注いでいた。

 

「何がどうして、なんて聞かないけれど。それはあたしがいなくたって埋まるもの? それとも、あなたがずっと大切にしているものなのかしら」

 

 こちらを見てもいないのにいつもと違うことが言えるのは、果たしてエルフの特性だけが原因だろうか。

 

「どっちも。これが俺だけの問題だとは言えないけど、ずっと向き合ってきたことだ。一人でケリをつけてみせる」

 

「つれないわね」

 

「少しくらい自分で何とかできないと、君に正面から向き合えないからな」

 

「……あたしのため?」

 

 勿論、と答えた。

 そうだ。これはミュルジスのためだ。

 俺のすべては何から何まで君のために支払われるべきだ。

 君のすべてを奪ったのだから。

 

「いつもいつも、調子ばっかりいいんだから。行ってらっしゃい」

 

「行ってきます」

 

 投げやりな言葉を背中で受け止め、俺は生活区画を出た。

 そこで俺を待っていたのは、警備科の方に手配を要請しておいたジャックと、それから。

 

「ターシア?」

 

「こんばんは。少しばかり不安なのでついていきます」

 

 不安、か。

 

「治安が心配ならジャックがいる」

 

「あなた自身の話です。最近はめっきり何かに思い悩んでいるようですし、気晴らしの頻度も増えています。大方、主任と何かあったのでしょう?」

 

 図星だった。

 まさかそこまで読み取られているとは思いもしなかった。

 ミュルジスもそう思っていたのだろうか。

 だからあんな風に聞かれたのか。

 

「ストラウスは気を回そうにも下手ですから、私が話をお聞きしますよ。生態課のことなら幾らか知っていますし、お二人についても……何よ、ストラウス」

 

「そうまで必死に売り込む必要はねェだろうに」

 

「あなたはもっと飾り立てることを知りなさい」

 

「要らねェな。ただしフューチャリズムのあるデザインなら歓迎だ」

 

「そういう有形の話じゃないでしょう」

 

 二人は仲がいい。

 

 生態課が他部署から独立を深めていったこの4年間で距離が縮まったように思う。

 俺が外へ出る時は大抵二人がついてくるため、必然的に会話の機会も多かったわけだが、それが大きかったのかもしれないな。

 

「行こう。夜風に当たりたいんだ」

 

 生態研究園の二重ドアを出ると、俺たちはトリマウンツの冷ややかな歓迎を受けた。

 

 向こうには先鋭的デザインの本部ビル、エネルギー課研究棟、専用駐車場、それから構造課研究棟。

 こんな夜にも誰かが働いている明かり――。

 

 視線が交錯した。

 お互いが点に見えるような距離の中で、俺は、研究棟に潜む蛇と目を合わせていた。

 時期からして何もおかしくはない。

 

 初めに、フェルディナンドに雇われた諜報工作員。

 そして、マイレンダー基金所属エージェント。

 最後に、クリステンと同じく、夢を持つ者。

 

 ククルカンの末裔。

 ホルハイヤだ。

 

 羽を持つ蛇は俺を見つめ返していた。

 ジャックとアナスタシアが何か言っている、だが俺に聞こえることはない。

 

 近いうちに彼女がミュルジスを拉致するのだと知っている。

 もう何十年前になるだろう、いつかの記憶が呼び覚まされて懐かしさが込み上げ、それだけではない。

 

 どうやら許せそうになかった。

 俺は相当に度量が小さいらしい。

 ホルハイヤを咎める目が離れない。

 

 ふいに交わっていた視線が途切れた感覚がした。

 俺が見る彼女は重要人物だが、彼女にとっての俺は路傍の石だ。

 ミュルジスの付属品風情に価値を見留めることもないだろう。

 

 無闇に影響を与えればストーリーの進行を捻じ曲げることになる。

 こちらに興味が向けられていないことを、俺は喜ぶべきなのだろう。

 

 それに、彼女はある意味で味方だ。

 ククルカンの栄華を取り戻すため、クリステンが出会った『神』――過去の遺物である人工知能フリストンを求めている。

 つまりクリステンから情報を引き出す必要があるわけだ。

 ミュルジスがクリステンの味方として立ち回ってさえいれば、こちらを致命的なほど害することはない。

 

 恐らくは、そのはずだ。

 

「ジズ、大丈夫ですか?」

 

「……何でもない。少しぼうっとしてただけだ」

 

「そうは見えませんでしたが」

 

 追及を適当にかわしつつ、ライン生命の敷地を出る。

 門の前には加密列が一輪咲っていた。

 

 

 アナスタシアは当然に花屋が好きだ。

 ジャックは意外と書店が好きだ。

 

 だから普段の散歩道には古びた住宅街を選んでいる。

 農耕区画にほど近い、ややもすれば田舎と形容されがちな地域だ。

 店先のシクラメンと言葉を交わしたり、年配の方がアンティークな棚の中に並べている蔵書を眺めてみたり。

 

 商業の中心区画からは淘汰された個人店を巡って回る。

 二人が楽しんでいるのを見ていれば、自ずと気が晴れてくる。

 

 宵闇がじっとこちらを眺めていた。

 

「止まれ」

 

 花屋の軒下を離れて少し経った頃に。

 街灯の下、ジャックが俺たちを手で制する。

 

「見ていやがる」

 

「誰が?」

 

「悪い予感がしてやまねェ。暗闇の中から鉄拳が飛び出てくるような気配だ」

 

「何ですかそれ」

 

 呆れた様子のアナスタシアだったが、ジャックの言葉にはただならない重量が感じられた。

 鉄拳とは、つまり。

 

「サリア主任に並ぶ、と?」

 

「……野生の暴走食中花でもいるんですか?」

 

「だったら幸運だな。犠牲が俺一人で済む」

 

 ジャックは険しい目つきで前を睨む。

 懐から取り出した警棒を構え、次の瞬間、手の中で起動させていたアンブレラがアーツ反応を捉えた。

 

 感知した源石術(オリジニウムアーツ)は呪術化系統と構造変形系統の混成(ミックス)。つまり、呪術化の動かす力と、構成変形系統の物質に対する細かな操作が合わさっている。

 結果的に現れる権能は――大気中粒子の掌握。

 

「ジズ、ミュルジス主任からは口酸っぱく言われていることだろうが、勝つことは考えるなよ。準備万端整ってやがるお相手と俺たちの間には取り繕いようのない壁がある」

 

「負けないことを第一に、だったな」

 

 アーツ作用域を展開して周囲の源石コントロールを予め奪っておく。

 これで限定的ではあるが(アンチ)・アーツの領域が出来上がった。

 

「つれないわね。私を受け入れてはくれないの?」

 

 突風が頬を撫ぜる。

 コントロールを奪っていた源石が軒並み後方へと吹き飛ばされ、あとに残るのは一本の傘、それから、侵入せんと這う蛇の姿。

 カツ、カツ、と足音が夜闇を貫く。

 

「あなたは誰です? 濫りにアーツを使うことは条例で禁止されているはずですが」

 

 小さく、上品な嘲笑。

 

「濫りに、ね。ルールは平等を作るためにあるものよ。優位を得るためには、それをくしゃっと丸めて捨てることが一番の近道だったりするの……」

 

 暗闇から浮き上がるモノクロコーデ、這い回るように纏わりついたターコイズブルーのチューブ。

 

「合理的な『ルール破り』は極めて有効、そうよね?」

 

 術師が距離を詰めることは通常ありえない。

 しかし、彼女に関しては話が別だろう。

 ククルカンの誇りである『翼』と『皮膚』は大抵の武装より当たり前に優れている。

 

「あなたと会う前に、データベースからサルベージしてみたの」

 

 好奇心に塗れた研究者の目が、こちらを見ている。

 アナスタシアは俺を庇うように立った。

 それがホルハイヤの視線を止めることはなかった。

 

「資料のどれもが示しているのは、ウルサスやサルカズの干渉をすべて跳ね返し、更にはまともな抵抗さえ許さずに蹂躙した歴史」

 

「人違いだ」

 

「たとえそうだったとして、私があなたに幾つかの研究命題を抱えていることと、それから……」

 

 ラフターを軌道から取り外す。

 アナスタシアが手のひらの上に炎を生み出した。

 

「あなたを攫うこと。これらは既に決定されているのよ」

 

 アーツ反応が爆発的に増える。

 辺り一帯を埋め尽くす粒子の揺らぎによって、大気が震える。

 

 向かい風が生まれた。

 渦巻く旋風を片端からアーツ作用域で無効化しているものの、追いつかない。

 大波にすべてが飲み込まれていく。

 

 ――どうしてだ。

 

 目の前の窮地に全く集中できない。

 翠玉の夢はどうなっている。ホルハイヤがフェルディナンドの指示で動いているとするなら、なぜあの投機家が俺に目を付けたんだ。

 いや、そうでないなら、俺を攫うって、どこの誰が。

 

「支援しますよ、ジズ」

 

 追い風が生まれた。

 アナスタシアはアーツ学を極めて高い水準で会得している。

 呪術化系統の風、転化変換エネルギー系統の炎と水。

 つまり俺のような搦め手ではなく、真っ向から押し合える手段を持っている。

 

 ホルハイヤとアナスタシアの板挟みになった大気は上昇気流となって旋風をかき乱す。その流れに乗せて端末を拡散させる。

 

「ジャック!」

 

 舞い上がった端末はそれぞれのネットワークを構築し、次第に穴を埋めていく。

 アーツ作用域が完成した瞬間に(アンチ)・アーツの領域を完成させた。

 その瞬間だけは気流が止む。

 その瞬間だけはホルハイヤに接近することができる。

 

「オラァ!!」

 

 合図を受け取るまでもなく、ジャックがその間隙を見逃すわけがない。警棒がホルハイヤへと向かう。

 

 教本を開けば書いてある。

 術師との戦闘においては本体を叩くことが最短の道。

 そのセオリーにおそらく例外はない。

 『翼』と『皮膚』は問題じゃない。

 遅滞のため戦うにしろ、近接戦で釘付けにすれば制圧力が弱まるはずだ。

 ジャックが矢面に立つのは当然だろう。

 ――だが、本当に。

 

 それでいいのか?

 

「模範的ね。真っ直ぐで嫌いじゃないわ、扱いやすいもの」

 

 風を操るのなら――大気を押し流すことがアーツだったなら、ジャックの一撃は痛打を与えていたことだろう。

 しかし、ホルハイヤが結ぶアーツ信号は画一通りのものではない。

 

 (アンチ)・アーツの領域は気流操作を妨害しただけだ。

 盤面の支配を中断させたに過ぎない。

 その応用能力は彼女が操るアーツの一つでしかない。

 

 忘れていた。旋風で端末が吹き飛ばされることを恐れるあまり、ホルハイヤのアーツについて重大なことを一つ忘れていた。

 

「待て、ジャック! 大気が既に固まりきっている!」

 

 孤星でホルハイヤが近接戦闘をこなしてみせた相手はサリアだ。

 『翼』と『皮膚』はあくまで見せ札、突風は単なる呪術化系統のアーツであるとカモフラージュするためのもの。

 

「なんッだ、これは! 壁か!?」

 

「イエス、でも、ノーかしら。分子は結合していないのだから」

 

 警棒が空中で跳ね返る。

 ジャックの体勢がブレて、よろけて、()()()()()

 

 重力が乱れているのかと錯覚するほどだった。

 空中でお手玉のように振り回される。

 

 恐らくは気圧の操作だろう。

 真空がものを吸い込む原理と同じだ。

 内圧が低い大気を作ったなら、すべての物質はそちらに飲み込まれてしまう。

 反対に内圧を高めればその反対に吹き飛ぶ。

 

 俺たちを照らしていた唯一の街灯は激しく変動する大気の圧力に耐えることができず、半ばから折れた。

 暗闇があたりを包み込む。

 その中で、何かが落ちた音がした。

 

「流体力学は、かじった程度ですが。――大気圧を最大3パーセントほど減圧する圧力勾配を作ることができたなら、可能な操作です」

 

 俺は舐め腐っていたのだろうと自覚する。

 目立った抵抗さえできず、襤褸雑巾のように転がったジャック。

 

 ロドス・アイランド製薬株式会社における最高レアのオペレーターとは、もはや人間の域を超えている。

 規格外の能力は他を寄せつけない。

 

 優秀なはずだったアナスタシアが暴走し、それを止めたミュルジスは、一つの掠り傷だって負うことがなかった。

 サリアは鉄を拳で圧し折っていた。

 イフリータは研究棟を丸ごと焼き尽くす勢いだった。

 

 ホルハイヤが眼光鋭くこちらを見やる。

 それだけが、宵闇の中で光を宿していた。

 

 混乱も、出し惜しみも、今は要らない。

 これが物語に無関係だと言うなら、俺は攫われてやるわけにいかない。

 

 ラフターを規定通りに並べた。

 

 逃げることはできない。

 試みたとして成功するはずがない。

 大気を支配するバケモノから逃れえるなど夢のまた夢だ。

 

「アシストプログラム・蟒蛇(うわばみ)

 

 三本のラフターが連結し、地を這う大蛇のように伸長し、収縮し、うねりながらホルハイヤ目掛けて飛んで行く。

 恐らくはまた壁を張ったのだろう。

 直前で大きく弾かれて跳ね返る。

 

 まだ終わらない。

 蟒蛇は周囲の源石を端末として制御化に置き、無形の盾を少しずつ侵食する。あれはアーツを無効化する質量の塊だ。

 生まれた隙間を抉じ開け、押し除け、侵略する。

 

 ホルハイヤが身を翻した。

 強靭な繊維で作られたコートに加え、特製の外骨格もまた防具として優秀だ。

 突破しつつも容易に受け止められる。

 速度が乗らない蟒蛇で突破するのは難しいか。

 

「ターシア」

 

「ええ、分かっています」

 

 俺が差し出したアンブレラに触れる。

 

 転化変換系統――炎のアーツ信号が入力される。

 連鎖、連結、連絡。そして増幅。

 アンブレラから俺の体にある増幅器へと連鎖し、更には大気中の端末を伝っていく。

 膨れ上がった炎の信号は蟒蛇を起点に爆発的な燃焼反応を起こした。

 

 しかし、絶やされることのないククルカンの灯火は、それよりずっと強大だった。

 

 焦げた様子一つも見られないホルハイヤの腕が炎を掻き分ける。

 アーツ反応が彼女の全身を覆っている。

 押し固められた粒子が断熱することで、炎の一切を受け流したのだろう。

 

「ふふっ、次はどんな手品を見せてくれるの?」

 

「……満足したら帰ってくれないか?」

 

「消えたコインを返してくれたらいいわよ。だけど、ゲームはもう始まっているの。たった1プレイのために投入したコインを丸ごと、あなたは返せるのかしら」

 

「生憎と人生をゲームとして扱ったことはない。紛失なら警察を呼んでくれ」

 

「諦めるの? だったら――開始の合図ね」

 

「精一杯抵抗させてもらおう」

 

 アシストプログラム・智天使(ケルビム)を起動。

 智天使は四対の翼を持つ神の使い。

 かつて俺がいた世界の神話に生きる者であり、この世界の天使(サンクタ)とは全く異なる濫觴を持つ。

 

 八束のラフターが蟒蛇(うわばみ)より更に速く、鋭く。

 ホルハイヤに生み出された小さな竜巻を一対の翼が貫いて掻き消した。

 

 (アンチ)・アーツの領域が大気の海を押しのけ、それでも防壁を突破することはできない。

 気を緩めた瞬間に端末が少しずつ切り崩されていく。

 

 根本的なキャパシティが足りない。

 たとえば攻撃(オフェンス)防衛(ディフェンス)の要求値がどちらも五十なら、俺は自由に割り振ることのできるリソースをそもそも八十しか持っていない。

 だからこうして上から押しつぶされるように敗けていく。

 

 文字通りの空中戦は思考すら食い破っていく。

 俺は俯いたアナスタシアの姿に気づけなかった。

 

「全く、嫌になります」

 

 炎が灯った。

 

「私では足りませんね。私程度の力では覆せません。ここからあなたを逃がすことすら、私では役者不足のようです」

 

「それなら、確かに。ターシアがジャックを連れて逃げた方が合理的だ」

 

「そんなことが言いたかったわけではありません」

 

 だったら何が言いたかったんだ。

 彼女を見れば、ゆっくりと袖を捲っていた。

 蚯蚓腫れが酷い。何年も前に起こした鉱石病の急性発作による古い傷跡だ。

 

「私が感染者でよかった」

 

 耳を疑うセリフを吐いて、次の瞬間、黒い花が蚯蚓腫れを端から端まで上塗りしていく。

 

「何を、ターシア、それは……!」

 

「感染者の体はアーツユニットとして使用が可能です。無理にでも火力を上げるためには、これしか残されていません」

 

「ダメだ。戻れなくなる」

 

「だから何ですか。このままおめおめと奪われるくらいなら、私は、預かっていた命をあなたのために使いましょう」

 

 爆発が巻き起こる。急速な熱エネルギーの増加によって、蜃気楼があたりを包んでいく。光が歪む。ジリジリと燃えていく。

 

「逃げてください、ジズ」

 

 火炎がアナスタシアの指先から迸った。俺にはそれを止めることができない。(アンチ)・アーツの防壁を解除し、次の瞬間炎が拡散していく。

 燃焼とは電磁波の放射を伴う。展開された炎のドームは源石術信号を衰えさせ、ホルハイヤが操っていた大気粒子は膨大な熱エネルギーによって変性させられていく。

 

「あら、置物じゃなかったのね」

 

 (アンチ)・アーツはすべての源石術に対してメタを取るもの。一つ一つがマニュアルで負担が大きい。圧倒的な展開力の前には効率が悪い。だが、熱エネルギーは元より分子を運動させることを本質とする。

 防壁を崩すには一番の形態だ。

 同時に、相手の矛を折るということにかけても。

 

 風が巻き上がり、多くの空気を含んだ炎が火災旋風のように姿を変えていく。

 

「何をぼさっとしてるのよ。とっとと逃げなさい、ジズ!」

 

 逡巡。拳を握り固め、それから、解いた。

 卵の殻が割れるような音を出して、アナスタシアの腕を結晶が侵食していく。

 活性化したそれらは橙色の光を放っている。

 

 まるで太陽を宿しているようだった。

 熱風がちりちりと髪を焦がし、痛みを堪えるアナスタシアの顔が照らされている。

 それを救うには、足りない。

 俺の力ではどうしようもなく足りなかった。

 

 ここで逃げることは許されている。

 望まれている。アナスタシアとミュルジスは、俺を受け入れて、自らの代わりにでも生きることを求めてくれる。

 それだけの信頼を築くことができたんだ。

 前世だったら考えられないな。

 

 そして、彼女らが俺をそこまで信じてくれるようになったのは、きっと呪い(チート)があったからだ。

 それは分かっている。

 どれだけ無様に逃げたって恨まれることはないし、そもそも初めから自分が勝ち取ったものではない。

 それは分かっているんだ。

 

 暴風が押し寄せ、アナスタシアは前を向いた。

 炎熱の防壁が真空に掻き消される。

 土いじりで汚れるばかりだった白い手を、小さな裂傷が埋めていく。

 

 応えたい。

 

 その信頼に値するものを。

 俺が彼女たちに望まれるだけの存在であることを、俺自身が立証したい。

 そしていつか、胸を張って、その信頼を受け入れられるようになりたいんだ。

 

「ありがとう、ターシア」

 

 (アンチ)・アーツの領域を構築する。

 アナスタシアの体に宿る源石さえ支配下に置けば、残るのは人体を容易く切り裂くホルハイヤの旋風だ。

 自分のアーツを強制的に解除されたアナスタシアが振り返った。

 

「ただ、それは――、俺にやらせてくれよ」

 

 頬の源石が熱を持つ。

 余計な保身は要らない。

 さあ、増幅器を全力で回せ。

 

 これで対抗しようなんて無理な話かもしれない。

 その無理が俺には必要だ。

 

 端末から流し込まれた情報をそのままに、俺の視神経とリンクさせる。

 

 簡単に意識が断絶しそうなほどの負荷。

 痛みと共に結晶が増えていく。

 それが快い刺激だった。

 

 本来の視界なんて今だけは必要ない。

 端末が見せてくれる景色だけで十分だ。

 グリッド線が作り上げる道路の先に立っているホルハイヤとの距離を概算する。

 風に吹き飛ばされそうな端末をすべて把握して、局所的な(アンチ)・アーツを使って無効化する。

 

「ジズ! やめてください、無駄にその体を傷つけては、主任が黙っていませんよ!」

 

 聴覚も今は要らないな。

 それを処理するだけのリソースがあるなら戦闘に回そう。

 今はただホルハイヤを撃退するだけの力を。

 

 もっと、もっとだ。

 処理能力を高めれば高めるほど見えてくる。

 データと視界がブレていく。

 

「アーツはお断り、って言うなら――」

 

 ホルハイヤの一歩が見えた。

 重心や骨格だけではない、瞳孔や筋肉の収縮まで。

 

 風が吹く。

 大気に含まれた粒子の対流をその一粒に至るまで鮮明に、この目が捉えた。

 

 ――ダンスはどうかしら、か。

 

「ダンスはどうかしら?」

 

 大気を極小に操って勢いをつけている。

 その接近を受け入れてアンブレラを構えた。

 イメージするのはジャックだ。

 

 ホルハイヤの外套がはためく。

 陰から刺すように繰り出された一撃を最小限の動きでかわして、それからアンブレラをバッティングのように振り回す。

 外骨格でガードされるのは分かっていた。

 

 世界に発生する大抵の事象は偶然に寄らない。

 データさえ打ち込めば気象さえ当てられる。

 それなら、たった一人が取る次の動きくらいは分かってもいいだろう。

 このアーツがあれば。

 

 後ろに回した左手の中へとラフターを滑り込ませ、外骨格へと叩きつける。

 体幹がいいな、思っていたよりブレない。

 ラフターを弾かれて取り落とした――それを足で掬い上げ、ガードするようにかざされたホルハイヤの右腕を上に弾き、空へと上がっていく。

 

 ヂッ、と嫌な音を立てて頬が裂けた。

 それも分かっている。傷口から端末を解き放ち、ホルハイヤの顔目掛けて突っ込ませる。

 それは一瞬の目隠しだ。

 ホルハイヤほど優秀であれば、ガードに回した右腕の異常より、視界の確保を優先するだろう。

 身体的支配という咄嗟に反応してしまいそうなものをただ一瞬の判断で対応することができる。

 

 それがいい。

 それだからいいんだ。

 アンブレラでガラ空きの胴体を突く。

 それだけでは強靭な外骨格を突破できない。

 精々が体を揺らすくらいだろう。

 

 ただ、そこでホルハイヤの背後からラフターが飛んでくる。

 それで後頭部を打てばいかに最高レアのオペレーターと言えど気絶してくれるはずだ。サリアを除いて。

 

「ダンスは息を合わせるものよ」

 

 完全に命中すると思った瞬間、軌道が逸れた。

 

 俺の体が傾いている。

 理由が分からないまま膝を折る。

 どうして立ち上がれないんだ。

 

「あなたのそれは独りよがり。レディの扱いがなってないわ、それでダンスを誘うなんて――、自信過剰ってものよ?」

 

 ああ、そうか。

 頬が裂けたのは危険信号じゃない。

 とっくに踏み越えてしまったことの通告だ。

 俺の頭は限界を迎えていた。

 

 意識が闇に落ちる直前、けたたましく脳髄を犯す耳鳴りの奥に、アナスタシアの声が聞こえたような気がした。

 




 
全然書けなくて笑えますね。
……エタらないことだけは約束します。
実質同じじゃないかとか言われたら渋い顔で頷きますが。
 
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