ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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開拓者の小屋

 

 

 三度。三度だ。そう、これは三度目だった。

 ジズがあちら側へ招かれてしまうことの。

 

 可能な限りの備えをしているつもりで、それはいつしか驕りに変わっていたのだろうか。

 あれから四年もの月日が経っているというだから。

 国防軍から委託された人体実験――一人の子供に炎魔のかけらを埋め込み、強力な術兵士を作る実験が終結した、あの日から。

 

 彼について残されていたのは、友人が二名と、護身のために持たせていた傘が一本。

 転がっていたそれを拾い上げる。

 

 街路の隙間に咲いていた花弁は戦いの余波で散らされた。表皮の焼け焦げた草本には枯れる道だけが残っている。それ以外を風が攫ってしまったのだ。

 

 ミュルジスは学んでいた。

 誰を疑うでもなく、誰しもを信用しないことを。

 朝露のようだった彼女は今や乾いてしまった。固く、冷ややかな、金属質の覚悟を持っている。光沢が反射して見せるのは自身が負った罪だろう。

 

 傷の上を引っ掻かれた。

 それは大した意味を持たない。

 目の前の惨状に、何も感じることはなかった。

 

「申し訳ありません」

 

 ジャックの通信機器からイレギュラーな通知が入った。それからすぐにウェアラブルデバイスの受信機が悲鳴を上げ、跳ね上がった心拍数を告げる。ミュルジスは分身を使うことすら考えず駆け出した。

 

 アナスタシアはへたり込んでいた。

 ジャックは痛めた胸元を押さえ頭を下げた。

 

 煙を吐く息遣い。

 ミュルジスを運んだ自動車にもたれて、エリナがやれやれと(かぶり)を振っていた。

 

「アナスタシア」

 

「……言いたいことは分かってます。私が足枷になって、ジズは逃げなかったんです。どうぞご自由に処罰してください」

 

「いいえ、どうやら分かってないみたいよ。あたしが求めている説明は二つ。襲撃された相手の特徴と、どこへ逃げたのか、ってことだけ」

 

 アナスタシアが振り返った。

 左腕に走る痛々しい源石結晶の露出。

 ミュルジスだけがジズのために動いているわけではない。

 忌々しい存在ではあれど、彼女ならジズのために自分の命さえコストとして支払うだろう、そう思ったから同行を許していた。

 

 張っていた防衛線の数がただ足りなかっただけのこと。

 握りしめていた拳がより強く固められる。

 

 ここでアナスタシアを詰ってしまうのは簡単だ。

 何のために、と。

 ただ、それは諸刃の剣としてミュルジス自身をも傷付ける。

 生態課を変えたのは、何のために、と。

 

 答えなど決まっている。心の奥底には無力感が絡みつきつつある。そして、それが救ってくれるのは自己嫌悪だけだ。

 だからその剣を鞘に納めている。

 黙ることしかできない。

 

「探し出すことが先決よ」

 

 口を結んだ心と、それでも言葉を吐き出す体。まるで自分が二つあるようだった。

 

「アナスタシア、血反吐を吐いてでも動きなさい。あたしを傷付けてまで、ジズはあなたを救ったんだから」

 

「言われなくてもそのつもりですよ。取り戻します。彼は、ライン生命には似合わない」

 

 ホルハイヤに打ち据えられたアナスタシアだが、上を知ることには慣れている。ミュルジスやジズがそうだ。自分だけが優れているわけではない。

 とうに知っていることを叩きつけられて誰が打ちのめされようか。

 まだ立ち上がるための気力が残っている。

 

「ほんと、嫌になっちゃうわね。守れないことに慣れてるなんて」

 

 借りを返す時が来た。

 今までの負債をすべて返却するのだ。

 

 ミュルジスはエリナに運転席へと戻るよう指示を出した。

 アナスタシアは横で頭を下げたままの男に視線を移す。

 

「ストラウス、動くわよ」

 

 ジャックに蹴りを入れ、「いてェよ」と不満を言われながらもその場を後にする。

 ミュルジス、アナスタシア。両名それぞれが冷ややかな覚悟と意志を持って、ジズを奪還するために行動を開始した。

 

 

 

 

 移動都市トリマウンツの屋根をコーティングする分厚いコンクリート。靴底が擦れて音を立てる。フードの中に閉じ込められた彼は、原作に吸い寄せられていた。

 

 発端はサリアから受け取った要請だ。

 旧友の行方不明に重なって、とある人物が拉致されたとか。

 ライン生命はどうやら相当に面倒な事態らしい。サリアが気にかけているのを常日頃から聞いていた身でありながら、まだ実感がない。

 

 水面下で進行していた何かしらの計画について、初めて彼らが尻尾を出した、とサリアは受け取っているのだろう。

 それが最初で最後のものだったならば、確かにこの機会を逃す手はない。しかし、それでも彼は、ドクターは思う。

 

 果たしてそれは、本当に今でなければいけなかったのだろうか、と。

 端末を確認する。

 

「フィリオプシスの個人記録を見るのは、それで三回目か?」

 

 同伴していたMechanistがヘルメットの奥で眉を顰める。

 

「気持ちは分かるが……、359基地については私たちの責任を離れている事柄だ」

 

 ロドスが誇るエリートオペレーターの一角、Mechanist。彼は現状をよく理解している。

 サリアがロドスに支援を求めたということは相応の事態になっていることを意味する。ドクターは目の前のことに集中すべきだ。

 

 しかし、アクシデントは重なるもので。

 ほぼ同時期の359基地にて、開拓者と呼ばれる社会的弱者、つまりは感染者たちが反目したらしい。ライン生命に帰っていたフィリオプシスやアステジーニが巻き込まれた。

 監禁され、人質にされているようだ。

 それが心配でならなかった。

 

 感情と理性が食い違っている。

 後ろ髪を引かれながらも、これからドクターは理性に従ってトリマウンツに留まることになるのだろう。

 

【研究とはこんなにも危険だっただろうか。】

 

 無視されてしまう感情に、せめてもの手向けとして呟いた。

 

「そういうものだろう。今に至るまで、クルビアは幾度となく挑戦を繰り返してきた。土壌が備わっているんだ。新たな挑戦を受け入れると同時に、新たな成功を搾取する土壌が」

 

【君もその類だったな。】

 

「ああ。大企業どもは私の作品を『盗用』し、本来用いるべきでない分野に用いたんだ。彼らには創造を尊重するという機能がない」

 

 ドクターは一つ頷く。

 

 肌寒い十月の空気は乾いていた。

 トリマウンツの住人がそうであるように。

 

 環境が人のすべてを形作ることはない。

 その一方で、ただ少しの要因となることもない。

 どんな砂原にもオアシスはあり、砂金だって紛れている。

 

 そうと分かっていて、しかし。

 

【息苦しい街だ。】

 

 ポケットに携帯端末を突っ込んだ。

 歩き出す。Mechanistの靴音が背後に続く。

 

 そういえば――と。ある事柄が脳裏を過った。このクルビア、特にライン生命と関わる上で重要事項と決めているものが一つあった。

 今はどこかで作戦行動中のイフリータが、かつて一度だけ漏らしたことだ。

 

 曰く、鉱石病を鎮める源石術。

 イフリータが「アイツ」と呼んだ何者かのアーツは高度な医療作用を持っていたらしい。

 医療オペレーターが戦場で扱っているアーツは、既存の分類で言う所の生理変化系だ。それらは治癒力を高めて病を治す一助となることもあるが、鉱石病には大した効果がない。

 体内に取り込まれた源石が増殖する鉱石病に対し、免疫力を高めたなら、却って拒絶反応が酷くなる。反対に親和させれば、源石の支配が広がり、痛みを生むだろう。

 

 何者か、その名についてはイフリータが頑として秘匿した。

 そのアーツを受けたと言う彼女の鉱石病は完治していないどころか非常に深刻なステージまで進行している。効用は完治に至らないと判断できる。

 イフリータによって秘匿されている情報が多く、加えて、鉱石病を治すアーツの噂は民間でよく出回っている。そのどれもが眉唾物だ。よって、非優先事項として処理していた。

 

 しかし、本当に鉱石病の進行に手を加えられるのならば、可能性という意味でも、医療現場としての意味でも、喉から手が出るほど欲しい技術だ。

 ライン生命の中でそういったアーツの開発が進んでいるとか、炎魔のように今では存在しない種族の特異な性質であるとか、そういった可能性を挙げればキリがない。

 決して捨て置くことはできないのだ。

 

「さて、今一度確認しておこう。どうやら我らがドクターは思考が散漫なご様子だからな」

 

 考え込むドクターに、Mechanistが言った。

 

「どこかへ消えた『統括』クリステン・ライト。彼女を探し出すこととが我々の目標だ。際して、その手がかりになるだろう、拉致された一般職員の行方を追うこと。それが短期目標だ」

 

 拉致されている時点でもはや「一般」の職員ではないだろうが、と考えながら、ドクターは事前に共有していた情報を頭の中で掘り返す。

 

【拉致された職員の名前は、】

 

 足を止める。

 ビルの上を誰かが駆けていたような気がして。

 

【――ジズ。】

 

 冷ややかな風が頬を撫でる。

 十月の風は湿度をまるで含んでいない。

 

 

 乾いた現実が、希望に満ちた翠玉(エメラルド)の夢見へと彼らを誘っていた。

 

 

 サリアとの合流はつつがなく完了した。

 それからライン生命の本部まで案内される。

 

「見当はついているのか?」

 

「クリステンについては姿を消した理由さえ分かっていないが、職員の拉致については予想がつく。しかし、そうでなくてはならなかった理由が曖昧だ」

 

「それはどの意味だ。不必要に犯罪的だと?」

 

「ああ。詳しい話は当事者を交えてからにしよう」

 

 ライン生命本部の敷地に入る。

 真っ直ぐ歩いていけば事務課のエリアに入る。コンポーネント統括課や人事調査課のオフィスがある建物も既に見えている。

 それから横に視線をやればいくつかの研究所然とした建築物がある。構造課やエネルギー課、生態課など、それらがオフィスなどを構えている、研究棟と呼ばれるものだろう。

 

 サリアはそれらを横目に裏手へと回っていく。

 

「被害者の職員はどこに所属していたんだ?」

 

「生態課だ。ただし、研究員ではない。主研究に用いる植物の管理を任せられていた職員だからな」

 

「然して重要な人物ではないように思える。何故そのような立場の人間が被害を受けた?」

 

 サリアは少し沈黙した。

 目にかかった前髪を払いのけ、変わらない歩幅で進みながら。

 息を吐いた。

 

 知っているということには義務がある。言葉を選ぶことの義務だ。ドクターに共有することの恩恵と、秘匿していることを他へ流すことで生まれる混乱。

 天秤にかけた結果、選ぶことのできる言葉は見つからなかった。

 

「機密だ」

 

 事情が混み入っている。

 ドクターはサリアを信頼していた。

 聞き出すことで生じる影響の強さと、それから、話さないと決めたからには彼女が譲らないだろうことを。

 

【何処に向かっている。】

 

 話を逸らした。

 それが建設的だからだ。

 

 サリアはやはり少し黙った。

 

「逸らずとも、遠い場所ではない」

 

 先ほどの沈黙とは異なる、残された言葉を吟味するような態度だった。Mechanistは首を傾げる。

 

「そこに何がある? クリステンの居場所を探る手がかりか、それとも他の、誰かがいるのか」

 

「……協力者、いや、同じ立場に属する者だ」

 

【その言葉選びに違いはあるのか?】

 

「恐らくそうなるだろうと考えているが、私の知る所ではない。差異を生むのは、私ではなく、お前たちの方だ」

 

 煙に巻くような言い方だ。

 ドクターは思わずサリアを見つめる。

 生真面目で通っている彼女にケルシーのような性分があったとは驚きだ。言葉で意図を装飾する気質が。

 テーブルを挟んでじっくりと話を聞きたい衝動に駆られたが、それは置いておく他にないらしい。

 

 何故なら、到着してしまった。

 

「『生態研究園』か」

 

 Mechanistが玄関口の文字を読み上げる。

 その声に、花壇を世話していた職員が立ち上がった。

 

「お待ちしていました、サリア主任。それからロドス・アイランド製薬のお二人。私は生態課のアナスタシアです。お入りください」

 

 ウェーブがかった茶髪にウルサスの耳。

 園芸用の分厚い手袋をはめ直し、中へと入っていく。

 

 彼女はドアの前で立ち止まり、振り返った。怜悧な顔を小さく変化させる。何を言うべきか言葉を詰まらせ、それから困ったように頬を指でかいた。

 

「あの、事前に言った通りの様子なので。主任の説得、協力してくださいね」

 

 何の話をしているのか、と。

 固まったドクターの前をサリアが歩いていく。

 

「あとはお前次第だ、ドクター」

 

 試されることには慣れている。

 何も知らないままに問題を解決する役回りに乗せられる経験なら、いくつかの覚えがある。

 

「何が何やらといった様子だが。まあ、私からも任せたぞ、ドクター」

 

 Mechanistが肩をポンと叩く。

 

【無茶を言うな。】

 

 言葉は虚しく、研究園の外で風に攫われた。

 中に待つ彼女へと届かないままで。

 

 

 

 

 森魔事件は変質を招いた。

 敢えて言いきってしまうならば、彼女は砦を築いたのだ。

 砦の中には八畳ほどの部屋がある。ただ二人の住処として、それ以外すべてを外とする、槍衾(やりぶすま)で囲んだ木製の砦。

 

「ロドス? ロドス・アイランド製薬株式会社だったかしら」

 

「その通りです、主任」

 

 陽の光が差し込む大ホールにて。

 ドクターが見ているのは、見知らぬ何者かの後姿。

 

 彼女は空の如雨露をアナスタシアに手渡した。

 葉の上に露を乗せたまま、壇特(ダンドク)は穏やかに揺れていた。それを前にしてアナスタシアは緊張している。

 それは何故か。

 

 サリアの背後に立つドクターとMechanistを見留めて、それから彼女は興味を失くしたように、壇特を見つめ直した。

 

「出口は今あなたたちが来た方向よ。案内がいるならアナスタシアに頼みなさい」

 

 それは排他だった。

 

 パルヴィスは、恐ろしいことに、一人ではない。クルビアが生む研究者のすべては、犠牲を受容する狂った精神は、パルヴィスだけに備わった特別なものではない。

 

 彼を誰にも任せられない。

 鉱石病を治すなどと宣う者たちは進歩を目指して狂っているのだから。ミュルジスはそう考えていた。

 その通りかもしれないし、そうではないかもしれない。であれば、そのような博打に大切なものを賭けることなどできやしない。

 安易な判断は身を滅ぼすと知っている。それも、ミュルジスではなく、彼の身を滅ぼすのだからタチが悪い。

 

 変質はもはや染み込んでしまった。

 彼を治すのはミュルジスでなくてはならない。

 

 その思想はまるで白衣にこぼした珈琲のようなしつこさを持っている。アナスタシアはそれを見ているのが嫌だった。

 自分が損な役回りを押し付けられるからではなく、その強引で強硬な考えがかつての自分を思い出させるからだ。

 かと言って何を言うこともできないのだが。

 

 彼のためにと心から決意している者など、ミュルジスの他には一人たりとも存在していない。

 それはあの一件で刻みつけられてしまったのだと、アナスタシアも知っているからだ。

 

「サリア。あなたが招き入れた方々の目当ては、不在なのよ。ごめんなさいね」

 

 向かい合うことすらなく告げている。

 アナスタシアは一度目を閉ざし、息を吐いた。

 

 それから、言った。

 

「申し上げますが、彼らの協力なくして取り戻す算段がつきますか?」

 

「あら、主任補佐だった時はあんなに周囲を毛嫌いしてたじゃない。いったいいつから、そんなことを言えるようになったのかしら」

 

 ドクターたちは蚊帳の外だった。

 何を気にしているとも知らない初対面の相手が、こちらに協力は要らないと突き返している。

 サリアが足を運んでいる以上は何らかの重要な人物なのだろうが、果たして意味はあるのだろうか。

 

「信じて、手を取り合って、それでハッピーエンドになるならあたしだってそうするわ。でも、そう簡単じゃない」

 

 まるで臍を曲げた子供のようだ。

 

「ご大層な名目に従って何もかもを差し出すなんて、もううんざり。崇高な理念だとか、真摯な思いだとか、そういうあなたたちの言い分を盲目的に信用するわけにはいかないのよ」

 

「ミュルジス。お前はすぐに私情を挟むが――」

 

「『私情を挟むな』って言うなら、あたしは『口を挟むな』って言えばいいのかしら? とうに辞表を出したって聞いたわよ、サリア。部外者が内部決定に異を唱えるだなんて、あなたらしくないわね」

 

【まだその辞表は受理されていないとも聞いている。】

 

「あら、そうなの。だったらそんな屁理屈に感銘を受けたってことで、こちらもハリボテの対応を取らせてもらうわ」

 

 すっくと立ち上がり、彼女は睨みつけるような目で。

 

「アナスタシア、何か飲み物を出してあげなさい。研究園を見て回ることは許可しましょう。でも、何かを差し出すことは許さないわ。それと引き換えに大切なものを奪うって言うなら、尚更承知しないわ」

 

「言葉が過ぎますよ、主任」

 

「黙っていなさい」

 

 感染者問題とはまた違う、困難な溝が立ちはだかったものだ、とMechanistはヘルメットの奥でため息をつく。

 

「自己紹介が遅れたかしら。あたしは生態課の主任、ミュルジス。どうぞ寛いでいって。それから、」

 

 ドクターは359基地に思いを馳せ、どうか重大な事態に発展していないように、と願う。

 今目の前にあるような、手がかりが深い穴の底へ落ちている状況とは全く違うことを。

 

「ジズはこちらの問題。あたしはあなたたちに一切協力しないし、してもらおうとも思わないわ。それでいいなら、仲良くしましょう?」

 

 こうして、ドクターと捻くれたエルフの邂逅が果たされたのだった。

 




 
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