ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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少し長いです。
 


猶予一ヶ月

 

 

 

「というわけで、紹介するわね。今日から少しの間手伝ってくれるアナスタシアとライドよ」

 

 人好きのする笑みを浮かべた赤髪短髪のループスと、穏やかそうな茶髪ロングヘアのウルサスが立っている。

 ループスの彼は前に出て小さく会釈した。

 

「ライド・ウォーカーです。ジズさんの噂は主任から聞いてますよ。力になれるかは分かりませんが頑張ります」

 

「ああ、ありがとう」

 

 少しぎこちない笑顔で返す。

 彼は自然なはにかみ顔を見せてくれた。

 

 実の所、人と話す機会は少なくない。雨の中、外出のついでに、と用事を消化していたミュルジスを待っていた時に話しかけられたり、生態研究園を訪れる客人と幾つか言葉を交わしたり。よって俺はミュルジス以外とそれなりに話している。

 ただ、打ち解けることを目的とした会話はない。人と仲良くなるために何を話せばいいかなんて忘れてしまった。

 

「ウォーカーは比較的少ない数理生態学の研究員なのよ。環境を数理モデルに圧縮して一般化する考え方はとっても役に立つと思うわ」

 

「生物数学とも呼ばれる曖昧な学問ですがね」

 

 卑屈にそう言ってのけるライド・ウォーカー。だがライン生命に入社している以上は相当な上澄みだろう。そう卑下することもない。

 

 続いて、ライドの背後に立っている彼女に目を向ける。そちらには見覚えがあった。たまの昼頃に研究園の植物を観察している人だ。

 

「アナスタシアです。普段は植物社会学の分野で主任の補佐を務めています。ここにある植物のことは、主任やあなたには及びませんが、よく知っているつもりです」

 

「アナスタシアは優れた植生学の研究員……学者の方が正しいかしら? 頼れる主任補佐よ」

 

「ミュルジス主任に頼られた覚えはありませんけど」

 

「植生学なら負けてられないもの」

 

 競争心を目に映すミュルジスは珍しい。社内では普段からそうなのだろうか。器用に公私を分けているものだと感心する。

 ターシアという呼び方はアナスタシアの愛称か。イフリータやマゼランのように特別親しいのかもしれない。

 

 世界が広がって、暗闇は小さく晴れていく。ミュルジスの新しい側面が見えて嬉しくなってしまうのは自重するべきなのだろうか。

 どちらにせよ、俺はそれを改められない。否応なく侵食する情報がダイレクトに俺の気分を高揚させるものだから、嬉しく思うこの情動を規制することは不可能だ。

 

『ああ、もうっ! ……泣いたって進まないわよね。ごめんなさい、ジズ。こうなった以上はサリアを唸らせるくらいの成果を出すしかなくって、それならあたしはジズをサポートするまでよ』

 

『今のジズがどう言ったってあたしの答えは変わらない。本当の研究員としてジズが働けるなら願ったり叶ったりだし、少しくらい頑張ったってバチは当たらないわよね?』

 

 二人と話すミュルジスの顔に泣き跡はない。それどころか普段より綺麗なくらいだ。昨日のことは、きっともう消化しきっているんだろう。

 

 胸の中が逸るようだった。俺はその在り方に焦がれていた。とても素敵だと思った。それを土足で踏み躙って、歪めて、汚していることを今だけは忘れて、俺はただ真っ直ぐに見惚れていた。

 俺はミュルジスの笑顔が好きだ。周囲まで明るい雰囲気にさせて、俺が持っていないものを何もかも持っているようだった。羨ましくて、しかし妬ましくはなかった。それがミュルジスの努力が結んだ果実なのだと知っていたからだ。

 

 ……なんて思いが抱けたなら、楽だった。

 

 俺が彼女の笑顔を好ましく思っているのは、気を楽にしてくれるからだ。傷付けた相手が立ち直ったことで、俺の無遠慮な行いが許されたように錯覚できるから、ミュルジスの笑顔を受け入れたんだ。

 俺は罪悪感が消えて安心しているだけだ。

 それをどうして「憧れ」だの「好き」だのと言えるだろうか。この感情にそのラベルを付けることは、侮辱だ。汚らしい感情を抱えているならそれを自覚するべきだ。

 

 勝手な自己都合で彼女を縛り付けるのなら。

 自分の気を楽にするためにその笑顔が「好き」だと言うのなら。

 

 死んだ方がマシだ。

 

 

 

 二人の案内が一段落して、俺はまず生態学について学ぶことから始めなければいけなかった。

 ミュルジスとアナスタシアが得意とする植物社会学。ライドが専攻する数理生態学。群集生態学に加えて社会生物学、変わった所では景観生態学なんて分野さえあるらしい。とは言えここで言う『景観』は、普段使うそれとは全く違った意味合いのようだが。

 

「ここまでに何か質問はある?」

 

 そんな具合に、全てではないが、俺の研究材料になりそうなものは噛み砕いて理解できた。その中で一つ気になったことがある。

 

源石(オリジニウム)生態学というのは何なんだ?」

 

「名前の通り、源石が生態系に及ぼす影響や果たす役割について研究する学問よ。感染生物だけじゃなくて、鉱石病(オリパシー)を含める解釈が主流かしら」

 

「医学の分野に入ってるのか」

 

「治すことではなく、それが与える社会——生態系への影響を調べたり、特定の生物種を考察したり、そういった学問よ。重なってはいるけど……少し違うわね」

 

 うーん、なるほど。長い間そういったものから離れていたせいで忘れてしまったが、そんなものだった気がする。

 

 前世の俺はお世辞にも頭が良かったとは言えない。学生時代の大部分は遊びに費やして、受験を前にしてようやく机に向かった。高校時代は馬鹿なことをやった記憶しかない。それで上手く行ったかどうかは察してほしい。

 教科として、理科は嫌いじゃなかった。実験が楽しかったからだ。生物学に関しては……まあ、可もなく不可もない。落ちこぼれた俺が付ける「可ではない」という評価は、きっと世間一般で言う不可ではあるのだが。

 

 それから半日ほど勉強に費やした。

 そこで俺はエルフであることの意味を知った。研究園の彼女たちとずっと触れ合っていたからだろう、意外なほど滑らかに知識が頭に入ってきた。

 それは水を吸収するスポンジのように見えたことだろう。ミュルジスは大袈裟に俺を褒めては一歩踏み込んだ内容を教えてくれる。

 彼女たちとは昔からよく対話していたんだ。必要な栄養だとか、好みの環境だとか、親しい相手とか、そういったものは自然と頭に入っていた。

 既存の分類法とは少し違うのかもしれないが、どのグループに入れるべきか分かってしまう。エルフという種族はかなりチートなのかもしれない。

 

「ここまで学習が早いなんて、まるでレッスン中のサリアを見てる気分ね」

 

 喉奥で言葉がつっかえる。

 前世の記憶を隠していることに強く抵抗を覚えた。俺は特別なんかじゃなく、ただ元から知っているだけだと釈明したくなった。ミュルジスならきっと信じてくれるだろう。

 

「上手くいくのは、最初だけだ」

 

 白状したいと思いながら行動に移せない。そうすべきだと分かっているのに。頭で理解していながらに動けない怠惰は前世からの持ち越しだ。

 

 

 そんな日々が一週間ほど繰り返された。生態学の前提知識はそれなりに詰め込んだと思う。そしてミュルジスの努力を改めて思い知った。

 初めの頃に幾つかミュルジスが書いた論文を読んでみたのだが、『北方凍土で見られる特殊な共生関係』などは内容が理解できなかった。アーキア*1だの極限環境微生物*2だのと見慣れない単語ばかりで、珈琲の苦味に呻いている彼女からは想像もできないほど知的な文章だった。

 

 舐めている自覚はなかったが、俺はライン生命を見誤っていたのだろう。

 余りに難題なものだから難しいということしか分かっていなかったんだ。サリアが課した条件は、いや、俺が選んだのは、途方もなく高い壁を乗り越える道だった。

 

 諦めるつもりはない。

 それなのに、諦念が俺に囁きかけて止まなかった。

 

 まるで頭に棲みついた悪魔が俺の隙を見つけて騒いでいるようだった。実際はただ、見誤っていた馬鹿が現実を前にして立ち竦んでいるだけなのだが。

 

 どうしたものか。

 どうするべきだろうか。

 いっそ諦めてしまうのはどうだ。

 

 ——そんなことは許されない。

 

 無理難題と分かっていて臨んだんだろう。

 諦めるにはまだ早すぎる。

 たった一日だけで見限ることができるほど、俺に提示されている道は多くない。

 ミュルジスにこれ以上迷惑をかけるつもりなのか。

 

 ——ああ、それでも仕方ないじゃないか。

 

 俺には元から無理だったんだ。

 分かっていたことだ。

 無理難題だって言っていたのは、いつ辞めたっていいように張った予防線だろう。

 

 違う、違う、違うんだ。

 そんなつもりじゃなかった。

 元から諦めるつもりだったわけじゃない。

 

 ただ、俺には無理だっただけで。

 

 それでもやるしかないだろう。

 今更やめにするなんてどの口で言うんだ。

 

 

「お疲れ様です」

 

 

 頭を抱えていると、コト、と音がした。

 視線を上げれば紅茶が湯気を立てている。

 

「差し入れです。まあ、そこで淹れただけなんですが」

 

 芳醇な香りが鼻腔を満たす。

 勧められるままに流し込めば、胸の奥がぽかぽかと熱を主張した。ライドの気遣いが身に染みるようだ。

 

 芳しい香りを嫌ったのか、悪魔は耳元から消え去っていた。

 諦めるなんて許されるわけがない。まだ一週間しか経っていないんだ。神経質になるのは早い。

 

 ふぅ、と息を吐く。

 ライドは自分のカップに口をつけながら携帯端末を触っていた。

 

「ライド研究員、君は寛いでいていいのか? アナスタシア研究員は休むことすら忘れてるくらいに見えるけど」

 

「俺は植物が好きでライン生命に入ったわけじゃないんで、大丈夫ですよ。……アナスタシアはストイックが過ぎると思いません?」

 

「俺としてはライン生命に君みたいな人がいることの方が驚いたけどな。話しやすくて助かったよ」

 

「それくらいしか取り柄がないもので。俺には成果を出すことより、人と肩を並べて働くことの方が大事なんです。……それに、実を結ぼうが結ばまいが関係ない、そう思って打ち込む研究の方が楽ですし」

 

 聞けば聞くほどライン生命のイメージと乖離している。エネルギー課などでは恐らく見られない考え方だろう。

 それが良いのか悪いのかは分からない。ただ、そんな空気の人が居てくれるのは嬉しいことだ。

 

「生態学ってのはそんなモンです。個体ではなく個体群で考えることの方がまず間違いなく多い。一人くらい周囲の流れに身を任せようが関係ない」

 

「そんなもの、か」

 

「だから俺は、どうして貴方がそこまで躍起になっているのかが分かりませんね」

 

「……へえ?」

 

 ライドの言葉に小さく怒りが芽生える。俺がどれだけの懊悩を重ねてここにいるのかを知らないでそう言ってのけるのは、どうにも不愉快だった。

 

「貴方はミュルジス主任に養われていた。それは偏にその鉱石病が原因だった。それなら、そのままでいいとは思わなかったんですか? 貴方にはただ日々を消化することが許されるだけの理由があるんでしょう」

 

 彼のような存在は好ましいものだ。周囲の流れに身を任せるのは、それもまたきっと正しい生き方なのだろう。向上心を捨てて手が届く範囲で生活する、それが幸せなら止めやしない。

 

 だがそれを他人に押し付けるのは違うだろう。人には他の誰にも知られていない事情が沢山あるものなのだから。

 

 ライドは知らない。

 俺の罪を。

 

「俺の無意味な日々はミュルジスの価値ある時間を費やして生み出されているものだ」

 

 意外なほど低く冷たい声が出た。

 無意義な日々と貴重な時間、それらを比べることを心から馬鹿らしいと思っているからだろう。

 

「本来もっと早くに死んでいただろう俺は、ミュルジスのおかげで命を繋ぎ止めているだけで……」

 

 俺のために動く必要はないんだ。

 孤児院に捨て置いてくれれば良かった。

 

「ミュルジスの人生に俺は邪魔なんだ」

 

 胸元から込み上げる苦い感情を紅茶で押し返した。

 それでも口の中を苦味が侵食していく。温かかったはずのそれが随分と冷えたように感じる。そう長く舌を動かしてはいなかったのだが。

 

 赤茶色の水面には茶葉の塵らしい粒が浮いている。ゆらゆらと揺蕩う様はどこか寂しげだった。

 

「そう、ですか。それが自立を望む理由ですか」

 

 ライドはそれきり口を閉ざした。

 

 少しして、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 予定の通りなら、これから機材の使い方を頭に詰め込むことになる。手段が分かれば何を研究出来るのかということまで分かるだろうという話だった。

 

「カップは片付けておきますよ。早く主任の所に行ってやってください」

 

「ありがとう」

 

 

 どうかこの努力が身を結びますように。

 

 ミュルジスと言葉を交わせば交わすほどに、そんな思いが強まっていく。ライドの言葉が記憶から薄れていく。

 

 悪魔はさっぱりと消えて戻らなかった。

 

 

 

 ミュルジスの講義がとうとう実践的なものに入っていた。見たことのない用語が多かったものの、研究園の生活と繋がりがある分野は相変わらず理解が早い。

 エルフという種族に初めて感謝したような気がする。

 

 俺やミュルジスが強く手繰り寄せれば、彼女たちは自身のことのみならず、共生している菌類や細菌のことまで教えてくれる。

 十年足らずもそんな生活を続けているものだから、自然と知識は蓄えられていたようだ。

 

 

 深呼吸して伸びを一つ。

 暖色の光を浴びて草花が輝いている。

 

 息抜きがてら研究園の中を散歩する。ミュルジスが急用で呼び出されたらしく、時間が空いてしまったからだ。

 ある程度分かるようになった論文を眺めるのはすぐに飽きてしまった。勉励すべきだと頭では分かっていても、非効率だと主張する言い訳には勝てなかった。

 

 少しの間ぶらついていると、神妙な顔でじっと彼女たちを見つめるウルサスの女性が視界に入った。

 険しい表情で何かを考えているようだった。

 

 話しかけてみようか。

 

「アナスタシア研究員、今は何を?」

 

「……フタツルクサの観察をと思っていたんですが、少し生育に不調が見られたので調べているんです」

 

「不調が? 少し見させてくれないか」

 

 アナスタシアの代わりに彼女たちを見つめる。不可思議な感覚がぐっと持ち上がって、言語化するには余りにも人間的でない信号の群れが頭に雪崩れ込む。

 

 アナスタシアが言っていたのは、彼女か。

 

「原因はホウ素不足だな。病気ではなくただ生育が早すぎるだけだ。感染の心配はない」

 

 ホウ素、と小さく繰り返すアナスタシア。

 

 微量要素という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 植物に必要な主要栄養素はカリウム、窒素、リン酸だが、それに加えて微量要素というものが存在する。その名の通り微量が故に有名ではない、しかし確かに必要とされる栄養素だ。

 ホウ素はその中で一番不足しやすいとされている、らしい。確かそうだ。二日前にミュルジスが言っていたはずだ。なんだったか、ホウ酸ジエステルに、ボロン酸エステル……はぁ、頭が痛い。

 とにかく、ホウ素はそういう有機化合物に変化して彼女たちの体を守る。足りなければ生育が阻害されるし、生殖に影響が出るケースもある。ホウ素欠乏症は深刻な症状を招く危険な状態だ。

 

 すぐに何とかしなければいけない。

 そう思って肥料を取りに行こうとしたが、アナスタシアは何かが気掛かりな様子だった。何を憂いているのか分からず、鎖に繋がれているかのように、俺の足は動かなくなる。

 

 彼女が突然ぱっと顔を上げた。

 

「あの、ホウ素だけ、ですか? それ以外はどうですか? 本当に足りていますか? それに近くの植物の栄養は足りているんですか?」

 

 ずずい、と身を寄せてマシンガンのように質問を並べるアナスタシア。整った目鼻立ちが随分と間近に見えて、思わず仰け反った。

 

「ああ、ごめんなさい。一度に聞いたら困りますよね。大丈夫ですか?」

 

「大丈夫、ではあるけど」

 

「それなら改めて聞きますね。ホウ素以外で不足している栄養はありませんでしたか?」

 

 彼女の声に耳を傾ける。ホウ素が足りなくて困っていると嘆く声に隠れて、別の情報が紡がれていた。

 

「ホウ素以外にも不足しているものはあるみたいだな。どうして分かったんだ?」

 

「ホウ素は微量要素の一つです。そしてこの生態研究園で使われている肥料は、その微量要素を纏めて与えられるものです。その状況下でホウ素だけが不足するというのは不思議なことですよね。ホウ素が一番早くに表面化しただけで、実際は他の栄養素も足りていないと考える方が自然です」

 

「ああ、言われてみれば」

 

「加えて、他の植物も栄養不足ではありませんか?」

 

 再び第六感に集中すると、見えていなかった情報が次々と頭に入り込んでくる。

 そこで初めて気付いた。栄養不足は彼女一つの問題ではなく、程度の差はあれど周囲一帯が悩みを抱えているようだった。

 

 それを聞いたアナスタシアは疲れた様子で肩を落とした。

 

「ここに来てから、私とウォーカーが主任の代わりに水やりや追肥をしていたのはご存知ですよね。このあたりは彼に任せていた区画だったんです」

 

 つまりはサボったということか。

 

「どうやら、私はまだウォーカーを買い被っていたようね。与えられた仕事すら満足にこなせないなんて……」

 

 アナスタシアが眉間に皺を寄せて呟いた。

 

 胸の中にモヤモヤが溜まっていく。

 アナスタシアの言葉に妙な引っかかりを覚えて、俺はアナスタシアの怒りを否定したくて堪らなくなった。

 

 何故だろうか。

 それを考える暇はなく、アナスタシアと共に肥料を撒く準備を始めた。

 

 

 研究園で扱われている微量要素の肥料は液肥と呼ばれるタイプで、その名から分かる通り液体だ。

 水で1,000倍に薄めてから土に散布し、加えて葉に塗ることが推奨されている。

 

 つまり、中々に面倒臭い。

 アナスタシアのような植物を見ているだけで満足するようなストイックさがない限り、毎日この膨大な植物にそれを行うのはかなりキツい。

 

 見て回った限りでは、他の栄養不足は然して深刻でもなく、彼女たちは多少の不満こそ持っていたが生育不良を起こすほどではなかった。

 ライドは十分よくやってくれていると思う。

 

 

 アナスタシアは手袋を外して、ジョウロや肥料の片付けを始めた。それが終われば恐らくはライドを告発するだろう。

 ミュルジスが研究園を大切にしていることは知っている。些細なことだと一蹴する未来は見えない。だからライドは相応に叱られることだろう。

 

「なあ、アナスタシア研究員。君はどうして生態課で働こうと思ったんだ?」

 

 気付けばそうやって話を振っていた。研究園に来てからずっと植物やミュルジスとばかり話していた彼女は、少しばかり意表をつかれたような顔を浮かべた。

 

 顎に手を当てて悩む素振りをする。

 アナスタシアはすぐに答えを出した。

 

「片手間に語られる要約された話と、飲み物を挟んでゆっくりと語られる話。どちらがお好みですか?」

 

「可能ならゆっくりと。ミュルジスの用事がいつ終わるかは分からないから、それまでになるかもしれないけど、それで構わないなら」

 

「分かりました。まずは片付けてしまいましょうか」

 

 アナスタシアの後についていく。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 俺はライドを仲間だと思っている。

 加えて、アナスタシアに隔意がある。

 

 頭の中で話を整理すると言って静かになったアナスタシアを待っている最中、俺は何故あんなことを口走ったのか、理由を考えていた。

 出した結論は単純だ。俺はライドを仲間だと思っていて、アナスタシアのことを敵とは言わずともそれに準じるものだと思っている。だからライドへの怒りを誤魔化そうとアナスタシアを引き留めた。

 

 俺がアナスタシアのことを率直に評価するなら——気に食わない、が答えなのだろう。

 自分の好きなことを仕事にしている。毎日気に入った職場で働いては、上司に恵まれ、楽しい人生を送っている。有数の企業でも通用するほど頭が良くて、それがどうにも羨ましかった。

 

 言葉にしてようやく答えだと分かった。それくらいの小さな嫉妬だ。しかし、モヤはあまり晴れなかった。苦手意識の理由が見つかってすっきりしたような、更なるモヤモヤを連れてきたような。

 

 ただ、そんな薄い嫉妬心の中でも、ライドに怒るアナスタシアには反論したい気持ちが強く湧き上がった。

 それはきっと、アナスタシアにはライドを理解できないだろうと思ったからだ。ライドを……ああ、いや、違うな。違う。前世の俺の気持ちを理解できないだろうと決めつけて、突き放したくなったんだ。

 

 俺は、ライドに俺自身を重ねていたんだ。

 ライドに憤るアナスタシアを見て、理解されていないままに怒られる不快感を覚えていた。

 仕事はやりたくないことで、勉強はそう簡単に成果が出ないもので、人生はそう楽しいことばかりじゃない。俺はそれを知っていて、アナスタシアはきっとそれを知らない。

 

 ライドに感じている仲間意識はそれに由来するものだろう。彼と俺が似たもの同士だと思ったんだ。

 成功を目指さずに毎日をルーティン化する。楽ができるならそれを一番に追い求める。やる気のない、向上心のカケラもない生き方だ。

 無遠慮な詮索は不愉快だった。ただ、それを聴きたくなる気持ちはよくわかる。何せ俺は今の生活を神様に願ったくらいだ。気持ちはよくわかるし、俺を理解できない感情だって分かるんだ。

 

 ライドを庇いたいと思ってしまうのは、それが理由なんだろう。

 

 

 アナスタシアは珈琲でも紅茶でもなく、ミネラルウォーターをコップに注いだ。俺のカップには黒い水面が光を吸い込み揺らいでいる。

 モヤモヤは晴れない。

 ミネラルウォーターを選んだことすら気取っているように感じる。アナスタシアを見る目が「嫌い」で染まっていく。

 

 そんな俺の心境を無視して、アナスタシアが口を開いた。俺の劣等感を刺激するようなハッキリとした声だった。

 

「私の両親は、ウルサス帝国で飲食店を営んでいました」

 

 よく通る声だった。

 

「母さんがウェイトレスで、父さんが料理人。家族経営のこじんまりとしたレストランです」

 

 ウルサス帝国。クルビアの北東あたりに位置する大国だ。原作で描写された通りなら随分と……言葉を選ばずに言うなら、差別的で支配的だ。

 あまり良いイメージはない。それが伝わったのか、アナスタシアは苦笑いだった。

 

「ええ、ご想像の通りです。クルビアとウルサス帝国は全く違って、だけど、どちらも同じくらいに……」

 

 そう言って目を伏せる。

 何を言いたいのか察することができず、俺はただ次の言葉を待った。

 

「忘れてください。話を続けますね」

 

 どこか笑顔に翳りが見えた。

 それ以上は何もわからなかった。

 

「レストランの経営は順調でした。大手のチェーン店が近所に開店して、それでも大した打撃を受けないくらいに。父さんの料理は美味しいですし、きっと良心的な値段で売っていたんだと思います。人気が出なくてはおかしいくらいです」

 

 アナスタシアは親を愛しているのだろう。

 俺はどうだろうか。即座にそうだと返せない俺は、果たしてその問いに答える資格があるだろうか。

 

「ある日から、店に悪質な悪戯がされるようになりました。当時私は6歳で、開いたポストの中にあった猫の死体と目があって……初めてそれを知りました。怖くて泣いてしまって、それからは毅然とした態度の父さんですら憂いを見せるようになりました。張り紙などの対策は成果を出しませんでした」

 

 嫌がらせ。いつの時代でも、どんな国でも、そういうどうしようもない輩は存在するものだ。

 

「そんなことを何ヶ月も耐えていたんです。ようやく父さんが腰を上げて、明日にはきちんと保安官に相談することを決めました。けれどその日の朝に、嫌がらせは爆発してしまったんです。詳しくは私も知りませんが、父さんが活性源石に手を傷つけられたんです。鉱石病に罹って、もう店で料理を出せなくなってしまいました。そのあと、母さんまで感染しました。子供の私がそれを知ったのはそれなりに後のことでしたけど」

 

 両親が感染者になった。

 それを淡々と話すアナスタシアがそれまでにどれだけの納得を自身に強いていたのか、それは分からない。理不尽に対する怒りは感じられなかった。

 

「嫌がらせに同情してくれていた近所の人たちは途端に近寄らなくなりました。私が家の近くを歩いていた時に背後から誰かに殴られて、それを機に私たちはウルサスを出ることを決めました」

 

 アナスタシアが俯く。

 

「家を出たのは父さんが感染してから二日目のことでした。あれ以上止まっていたら政府から通知書の一つでも届いていたかもしれません。感染者に対する国の姿勢は、そういうものでしたから」

 

「無事に出られたのか?」

 

「叔父さんが良くしてくれたんです。捕まってどこかに送られる前にと。それから何度か引っ越しを重ねて、蓄えた貯金が尽きる前に、トリマウンツの郊外に小さな家を買いました。クルビアは教養のレベルが高いから感染者だって差別はされない。そう聞いていました」

 

「そんな美味しい話はなかった、か」

 

「ええ、現実は辛いものでした。父さんや母さんはまともな仕事にもありつけず、私を学校に通わせるお金さえ危なくなっていました。だから、一つの決定を下したんです。感染者のために用意された働き口に行くしかない、と」

 

 前世の記憶がフラッシュバックする。

 

「『開拓者』か」

 

「よくご存知ですね。その通りです。父さんと母さんは開拓に出て、それからは滅多に帰りませんでした。渋々ながら面倒を見てくれた隣のお姉さんには感謝しています。あの頃の私は、たった一人の家の中で、どうして父さんや母さんが苦しまなければいけないのかと塞ぎ込んでいましたから」

 

 アナスタシアは口に水を含んだ。

 喉が渇く話だ。アナスタシアが纏う雰囲気は緊張感を伴っていた。暗くどんよりとした、崖の淵で踏ん張っているような、絶望を多分に含む緊張だった。

 

「そこで、私は逃げたんです。現実から逃げ出したんです。テーブルの隅に置かれていたサボテンを唯一の友として、私は学校で誰とも言葉を交わさなくなりました。それが私の『植物』との馴れ初めです」

 

「それから植物にのめり込んでいった、ってことか」

 

「そういうことです。夢はずっと前から腕の良い料理人だったはずなんですが、いつのまにか泡となって弾けていたみたいです。支えてくれた植物のことばかり考えていたら、こんな場所まで来てしまいました」

 

 アナスタシアの微笑みに、俺は返す言葉を失っていた。苦境に立たされたことを同情するにはどこか吹っ切れているようだし、乗り越えたことを称揚するには憂いの残る表情だった。

 何より、俺は彼女がそんな人だと思っていなかったんだ。俺は勝手な想像で彼女のことを貶めていた。きっと何の悩みもないのだろうと馬鹿みたいに思い込んでいた。

 

「アナスタシア研究員」

 

「何でしょう」

 

「謝らなければいけないことがあるんだ」

 

「……はい、顔に出てます。申し訳なさそうなのはどうしてだろうと理由を探していたところです」

 

 そんなに分かりやすいのか。ペタペタと顔を触ってみたが、何も分からなかった。

 アナスタシアはふふっと小さく笑う。

 

「無神経に聞いて申し訳ないとか、そういう謝罪なら必要ありません。話そうと決めたのは私ですから」

 

 慈愛すら感じさせるような笑みでそう言ったアナスタシアに、俺は恥ずかしい気持ちで居た堪れなかった。

 

 俺は俺のことを知らないライドの言葉に腹を立てて、アナスタシアは俺の無遠慮な詮索を受け入れた。人として格の違いを分からされているように感じた。

 

「どうして、話してくれたんだ?」

 

「これは言っていいことか分かりませんけど、ミュルジス主任から、外を知るために出来る限り力になるよう頼まれていますから」

 

 そんなことをミュルジスが言っていたのか。

 

「それに、フタツルクサを触る手が、とても優しかったので……」

 

 胸の中のモヤモヤは消えていた。アナスタシアの「好き」に理由があると分かって、その理由に納得したからだろう。ライドに憤るだけの理由を理解してしまった。

 

 ただ話を聞いただけで、何だかとても打ち解けられたように思う。アナスタシアの纏う雰囲気が話しかける前よりずっと柔らかくなったような。

 

 残りの珈琲を飲みながらアナスタシアと談笑する。

 俺が常日頃から感覚的に掴んでいる知識とアナスタシアの専門的で学術的な知識を擦り合わせるのは、思っていたより楽しい会話だった。

 

 席を立って、珈琲をお代わりしようかと思い、ふと見た時計の針に驚いた。とうに正午は過ぎていて、これ以上珈琲を飲んでしまえば夜に眠れなくなる。

 

 そんなことはどうでもいい。

 

 俺はこれだけの時間が経って、ミュルジスが帰っていないことに驚いていた。午前のうちに帰ると言っていたはずだ。それは間違いない。

 

「なあ、ターシア。ミュルジスから連絡は入ってないか?」

 

「主任ですか? 少し待ってください」

 

 アナスタシアが携帯端末を取り出す。

 基本的にミュルジスは本体か水分身が研究園にいるため、俺に通信機能を持つ携帯端末は渡されていない。勿論不在になるタイミングはあるものの、高価な電化端末を取り寄せるほどのコストは必要ないだろうという判断だった。

 

 普段はそう必要性を感じることもなかったが、異常事態に端末がないのはどうにも不便だ。

 

 

 突然、部屋のドアが開いた。

 

 

 カツカツと革靴が音を立てる。

 入ってきたのはミュルジス——ではなく、人好きのする笑顔を(たた)えた赤髪のループスだった。

 

「ミュルジス主任、今日は帰ってこないらしいですよ。つい先ほど連絡がありました」

 

 ナイスタイミングだ。ライドが言ってくれていなければ、ミュルジスに無駄な手間をかけさせていたかもしれない。

 

 感謝の言葉を伝えようとして、背後から氷点より低い温度の声が飛んでいった。

 

「あら、ウォーカー。良い笑顔ね。肥料を撒くことすらまともに出来ない人の笑顔とは思えないくらいよ。ああ、もしかして脳が小さいから何でも楽しいと思えるの? 羨ましいことね」

 

 思わず全力で振り返って凝視してしまった。

 アナスタシアの目は怒りどころか敵意に満ちていて、言葉は聞いているだけで震え上がりそうな鋭さだった。

 

「それと、主任から伝言です」

 

 ライドは何も気にしていないような素振りで、というかアナスタシアの言葉を最大限自然に無視して俺と目を合わせた。

 

「『サリアを誤魔化せるのはこのあたりが限界ね。まだ足りないと思うけど、ジズならやれるって信じてるから。期間は三週間。成功を祈ってるわ』」

 

 アナスタシアの言葉で感謝の言葉が吹き飛んだと思えば、今度はライドの言葉でアナスタシアの言葉が頭から吹き飛んでいった。

 

「……えっと、つまりは…………」

 

 あまりの衝撃に上手く飲み込めない。

 

 誤魔化した、ということから察するに、ミュルジスは本来居てはいけなかったのに生態学を教えてくれていたということだろう。

 それに加えてサリア、期間、成功、断片的な情報を掻き集めれば導き出される結論は一つ。

 

「サリア主任を納得させられるだけの研究成果を、あと3週間で出せって……?」

 

 ただでさえ無理難題で、時間をかけてようやくその足下に手が届くかと思いきや、それさえ許されなかった。微かな可能性は今度こそ一つ残らず姿を消した。

 確かにミュルジスのおかげで基礎知識は詰まっている。しかし、それが何になるのか。余りに高い壁が予想を遥かに上回るスピードで俺に迫っていた。

 

 アナスタシアは苦笑いを浮かべ、ライドは目に同情を見せる。ミュルジスの期待が重くのしかかっているようで、俺は重い重い溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——ピッ、と機械音が響く。

 

 

 ガラスの向こうでは同期のウルサスと温室育ちの青年が楽しそうに会話している。

 

「ええ、はい。置き土産が幾つかあったので見つかる前に破棄しておきました。主任には悪いですが、公平を期すためには仕方がないことでしょう」

 

 彼は笑みを浮かべている。

 薄っぺらな笑顔を貼り付けている。

 

「分かりました、今後も()()を続けます。……あはは、嫌ですね。これは生態課のためですよ」

 

 渇いた笑いだった。

 

「あなたもそうでしょう、()()()()()

 

 

 ——ピッ、と機械音が響く。

 

 

 ガラスの向こうでエルフの青年が席を立った。

 頃合いだ。主任が暫くは帰ってこないことを彼ら二人に伝えるべきだろう。

 

 歩き出そうとして、少し足踏みをして、彼はとうとう手で顔を覆って天井を仰いだ。

 

 胸の内が溢れる。

 

「俺がどれだけ苦労してるか、知らないんだろうな。敷かれたレールに、優秀な頭に、楽な人生か。羨ましいな、全く……」

 

 それから下唇を噛み、頭をがしがしと掻いて、それでも抑えきれなかった苛立ちが溜まる。彼は衝動に任せてゴミ箱を蹴り飛ばした。

 

 ガランガランと転がっていく。

 彼は弱々しく愚痴を吐き出して、踏ん切りをつけるように大きく息を吸い込んだ。

 

 

 

 

 生態課所属一般研究員ライド・ウォーカー。

 

 

 

 

 元の位置に戻されたゴミ箱のフレームは、小さく歪んでしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

*1
古細菌。生物分類の一種。

*2
文字通り極限環境でなければ生育や繁殖が行えない微生物のこと。




 
評価、感想、よろしくお願いします。
って言いはしてたんですけど本当に評価と感想を貰えるとびっくりしますね。とても励みになっています。これからも頑張ります。
あと、作中で生態学についてよく言及していますが、作者は馬鹿なので間違った情報に自分で気付くことができません。「何言ってんだお前」と思ったらビンタ以下の火力で殴ってください。

引き続き、評価、感想、よろしくお願いします。
 
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