ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象   作:e-2

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俺にしか出来ないこと

 

 

 

 蝶々が戯れている。

 蜜を吸ってはヒラヒラと空に舞う。

 

 キングサイズのベッドより大きなプランターに、ミニチュア化された群集——生態学では多様な植物や生物の集まりを言う——モデルが生きている。

 年若い草本が青々と背伸びしている横を小さな虫が飛んでいく。その虫は植物食で、彼女たちを食べて生きている。そんな社会を作っている。

 

 俺はこの部屋を外から眺めるのが好きだった。完結された小さなバイオームを外から見る傍観者。俺はアークナイツのプレイヤーとしてその立場を好んでいたし、ずっとそのままでいるつもりだった。

 

 懐から鍵を出す。

 カードリーダーに通せば、快音を響かせてドアのロックが解除される。

 

 今ではこの部屋の管理責任が俺にある。

 眺めるだけではなく、本来の通りに生態系が動くように調整しなければいけなくなった。

 ミュルジスが居ないなら、俺は特定のエリアに責任を持たなければいけない。孤星に登場した幾つかの植物もその扱いだ。

 

 転生したのなら、このテラという社会を乱したのなら、本来の流れに修正しなければいけない。

 取り返しはつかない。二度と同じ時を過ごすことはない。足踏みしてはいられない。

 

 蝶々が鼻先を飛んでいく。

 

 気付かないうちに手を握りしめていた。開いてみれば汗塗れで気持ち悪い。事態に現実感が追いついていないと自覚していたのだが、どうやら体の方は事の重大さをハッキリと分かっているらしい。

 ……原作まで凡そ7年残されている。干渉の余地は沢山ある。今から意気込んでいては疲れるだけだ。

 

 考え事を頭から追いやって、部屋の管理を行う。温度、湿度の調節から始まり、彼女たちに見られる僅かな変化を掴むことで全体の傾向を書き留める。

 

 それを3部屋ほど繰り返して、次に個別で扱われている管理の難しい植物があるエリアに足を運ぶ。

 彼女たちと向き合ううちに、ふと気付いた。

 

「ペールシダーはまだないのか」

 

 ペールシダーとは、孤星に登場した植物だ。ミュルジスのプロファイルで特別な扱いをされていて、黒塗りを訝しんだ覚えがある。

 いつかペールシダーの繁殖に成功したミュルジスが笑顔で俺に話してくれる時が来るのだろうか、と夢想する。それだけで心が浮ついた。原作で仄めかされている通りに特別なら、細かな流れが変わったとしてもきっと辿り着くだろう。その日が心待ちだ。

 

 しかし、残念にも感じる。

 その未来に俺という異物さえいなければ手放しで喜ぶことだって出来たのに、と。

 

 

 

 あの日、ライドが言っていた通りミュルジスは帰らなかった。聞いた時はそれどころじゃなかったが、落ち着くと変な感覚だった。

 夜になり、2人が帰ったあと、俺は静かな研究園の中を一通り見て回った。

 ミュルジスが部屋に居る時だとか、夜中にふと目が覚めた時だとか、一人きりを感じることはある。しかしミュルジスがどこにも居ない研究園の姿は見たことがなくて、俺の足は自然と彼女を探していた。当然ながらどこにも見つからず、それに小さなショックを受けた自分が小さい子供のように思えて、少し恥ずかしかった。

 

 俺に与えられた時間はたったの21日。ミュルジスがいない研究園だってたったの21日だけだ。寂しがっている余裕はなく、寂しく思う必要もない。彼女たちの世話を終えてすぐ、俺は課題と向き合うことにした。

 

 

 ということで、私的な理由で植物を眺める専門家に協力をお願いすることにした。アナスタシアは快く頷いてくれたが、いざ本題となると、その返答は歯切れの悪いものだった。

 

「ええと、研究課題の見つけ方ですよね。……難しいですね。見つからない理由は思い浮かびますが、それの対策となると……」

 

 うーんと唸るアナスタシア。

 

「その理由って何なんだ?」

 

「簡潔に言うなら、勉強不足です。ずっと隣で聞いていたわけではありませんが、主任はあなたに解明されていることだけを教えていたと思います。だからジズさんは解明されていないことを知りません。私たちの仕事はそれを明らかにすることですから」

 

 学問として教わることのできる範囲だけでは不足しているわけか。

 

「それと、主任がよく使う言葉を借りるなら——目がありません。知っていることの中から分からないことを見つけ出す目が育っていないんです」

 

 うぐぐ、と唸らせられる。何から何までが本当に足りない。たった一週間の準備でどうしろと言うのか、そう声を上げたい気分だった。

 だが啖呵を切ったのは俺だ。やると決めたのは俺だ。文句を言っていても仕方がない。

 

 役に立たせられるかは分からないが、アドバイスを書き留め、次にライドを探す。良くも悪くも、アナスタシアの頭の中は常に植物で埋め尽くされている。思考の出発点や、見えている景色が違っているような気がする。

 

 ライドはホールでどこかを眺めていた。

 

「ライド、今時間いいか? ちょっと聞きたいことがあるんだ。研究テーマをどうやって見つけてるのか、参考にしたい」

 

「時間なら有り余ってるくらいですが……テーマ、ですか? それはアナスタシアにも聞いたんですか? ああ、聞いたんですね。——いえ、説明の必要はないです。粗方分かってるんで。それが役に立たなさそうだってことくらいまでは」

 

 アナスタシアが居ないからか、思いの外ズバッと辛口評価を付けるライド。驚いた俺を見て苦笑する。

 

「同期なんで分かってるんですよ。それだけです。まあ、そんなことより研究テーマの話ですよね? テーマ設定から自分一人で取り組んだ経験は少ないんで、正直役に立てるとは思えないんですが……」

 

 空を眺めて腕を組む。手持ち無沙汰になってしまった俺は静かにして待っている他ないのだが、どうにも中々出てこないらしい。

 少しして、ライドは申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

 

「すいません、思いつかなかったです。俺の研究スタイルは、共同研究だとかの最中耳に入った、他の人がぶち当たってる壁をモデル化するってだけなんで」

 

 ふむ、と考えてみる。

 

 人の研究から課題を探る、その点は取り入れられるかもしれない。ただ、数理生態学という特殊な武器を持っているからライドは受け入れの幅が広いのであって、そうでなければ悩んでいる人と一緒に頭を抱えることしかできないだろう。

 だとしたら、確かに難しい。

 

 数理生態学は少ししか教えてもらえていない。ミュルジスがホワイトボードに描いたのは基礎的な考え方、つまりモデル化や数学の応用だけだ。

 教えている途中でそもそも俺に数学的知識が少ないと気付いたミュルジスの反応はとても愉快だった。その後の落ち込みようは見ていて心配になるくらいだったが。

 

 ちなみに、中等部程度までの数学は知っていることになっている。ミュルジスが学生の頃に教えてくれていたからだ。

 前世の記憶があるのに教えてもらったのか、と思う人がいるかもしれない。だが正直言ってそれすらよく理解できなかった。十年以上死の淵を歩かされたおかげで記憶があちこち飛んでいるのかもしれない。

 

 閑話休題。

 

 多少取り入れられそうではあるものの、課題に直接繋がるようなアドバイスではなかった。

 

 そこで俺は一旦頼ることをやめ、自分なりに色々な資料を閲覧したり考えてみた。結論から言えば、まあ上手くいかなかった。

 タブレットに保存されていた論文データを読み漁ってはため息をついた。研究対象になりそうな彼女たちに耳を傾けては、新たなアイデアの影も掴めないままに日が暮れていった。

 そうして時間だけが過ぎていく。

 

 

 『異質倍数体の進化生態学的考察』——実験材料を用意するための時間が足りない上に、実際的な知識が足りず結論までのアプローチが難しいため却下。

 

 『一年生草本の開花による枯死』『植物カルスからクローン体の作成実験』などは時間やコスト、加えて技術が足りない。

 

 

 エルフだからと言って植物の全てを支配下に置くことができるわけではない。だから俺の研究はインスタントに成果が出るようなものじゃないとダメなんだ。

 しかし、本当にそんなことが出来るのか? そもそも、この生態研究園の中で出来るならミュルジスによって研究され尽くしているはずだ。積年の努力がデータの壁となって立ちはだかっている。

 聞いて驚くこと勿れ、ミュルジスが現在研究園の中で進めている実験の数は23だ。多少生態学を知った俺でも何を言ってるのかわからない実験が沢山ある。論文になってから初めて実験の目的を理解することになるだろう。そんなレベルだ。

 

 ——つまり、俺風情が思いつくような実験は全て先行されているわけだ。

 

 空想上の閉塞感がまとわりつく。何も出来ないことの圧迫感が俺をギチギチと締め上げている。耳元には悪魔が舞い戻り、騒がしく怠惰を誘っている。

 

 俺はため息で感情を押し流した。自分に期待する感情が口の中で引っかかって中々出ないものだから、胃の中身までひっくり返して頭の中身を切り替えた。

 どうやら生気まで持って行かれたようだ。空っぽの体は嫌に軽く感じられて、そのくせ錆びついた機械のように軋んでいた。

 

 絶望するほどの、折れるほどの心を持っていないだけ幸せなのだろうか。

 

 もうすぐ一週間が経つ。研究課題を見つけられないまま、無駄に時間が過ぎていく。気遣ってくれるアナスタシアの目を見て、責められているようにすら感じた。

 ライドは俺の苦悩をよくあることだと慰めてくれた。それなのに、俺の耳はそれを捻じ曲げてしまう。失望した声が脳内で乱反射していた。

 

 

 期待されたくない。

 

 

 俺は人間の下位互換だ。人として当然のことだって出来ない。だから俺は、俺の努力に成果が出ると思われたくないんだ。何も出来ない俺に失望されたくない。

 失敗して失望されるくらいなら、最初から期待されていなかった方がマシだ。

 

 ……ああ、でも、期待されて嬉しくないわけじゃない。これは失敗しそうになると途端に湧き上がってくる無責任な感情に過ぎないんだ。

 笑ってくれよ、面倒臭い下等生物だなって。然して期待されているわけでもないのに、社交辞令の言葉で勝手にプレッシャーを感じる馬鹿だ。

 

『ジズならやれるって信じてるから』

 

 伝言を思い出しては強く後悔する。

 何も進まないまま食い潰されていった日々が不安とやるせなさに変わっていく。あと2週間で何が出来るのかと問われたなら、何も出来ないとしか返せない。

 

 どうすればいいって言うんだよ。

 たった2週間前には何の知識もなかった引きこもりのニートだ。理不尽にも程がある。何をどうしたって不可能だ。

 

 そして一番にどうしようもないのは、俺はその理不尽に自分から身を投げたということだろう。

 後悔する資格はない。俺があの選択を後悔したなら、ミュルジスを泣かせる必要もなかったことになる。それだけは認められない。認めたくない。

 

 俺にはもう結果を出す道しか残されていない。ミュルジスの涙を無駄にしないために、俺はやるしかないんだ。

 

 プレッシャーで吐き気さえ感じていると、アナスタシアが向こうから小走りで近づいてきた。

 何の用だろうか、どこかで誰かが枯れてしまっていたのか。切り替えられていないから少し待っていて欲しいと思うが、それを言うことすら億劫だ。

 

「……主任から、通信です」

 

 俺の顔色はさぞや悪いことだろう。何か言いたげな顔をしながらアナスタシアは端末を差し出した。

 ミュルジスから。億劫なんて言っていられない。独りで出来なければいけないのに、と思うが、最悪なのは助けを拒んだくせに失敗してより一層の迷惑をかけることだ。

 

 受け取ったもののどうすればいいのか分からずあたふたしていると、アナスタシアが横から保留解除のボタンを押してくれた。

 

『ハーイ、ジズ。久しぶりね』

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 サラサラとペンが走る。

 印章を押して次の資料に目を通す。

 

 ふと手が止まった。デスクに肘をつき、ボールペンを持ったままに頬を支え、もう片方の指がトントントンとリズムよくデスクを叩く。

 

 保留を選んだらしく、彼女は紙束を押し除けた。

 

「はーぁ、つまんないわね」

 

 ガーッ。くるくるくる。

 回転椅子の上で遠心力を感じながら伸びをする。彼女の名前はミュルジス、生態課の主任その人だ。

 

 ミュルジスがこの部屋に押し込められてからもう2週間が経つ。初めの一週間は分身体が動いていたため、退屈な日々はその後の一週間だけだ。

 この部屋に入れられてから、日課の走り込みや最近購入した話題のゲーム、植物の世話などが全く出来ない。娯楽品と言えば隅の本棚に置いてある学術書くらいだ。

 彩度豊かな生活を送っていたミュルジスにとって、今の生活は本当に刺激が足りないものだった。

 

「あたしを閉じ込めるなら観葉植物の一つくらいは用意して欲しいものね。こんな仕事場で作業してたら、どんどん無味乾燥な人間になっちゃいそう」

 

「お前が言う『無味乾燥』は『真面目』を意味するのだろう。それなら結構なことだ」

 

「四角四面って言ってるのよ、サリア。相変わらず考えが古いわね」

 

 いつのまにか背後に立っていたサリアを然も当然かのように振る舞うミュルジス。サインを終えた書類の束をサリアに押し付ける。

 

「無責任な言動を新しいと賛美することが正しいとでも思っているのか?」

 

「そんなこと言ってないじゃないの」

 

 腹に一物抱えているような相手とばかり話しているからだろうか、最近のサリアには深読みするきらいがあった。

 

 ただ、自分の振る舞いからそれを全く感じられなかっただろうかと思えば、ミュルジスは否定できなかった。申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 

「……ジズのことなら、ごめんなさい。確かにあたしはあなたに止められるべきだった。感情を押し付けるのは良くないことよね」

 

 当然、と言わんばかりにサリアが頷く。

 

「だけど改めるつもりはないわよ。あなたはあたしを止めるべき立場にあって、あたしは押し通すべきだったんだから」

 

 開き直ったミュルジスに、サリアは一度溜息を吐いた。疲労が見える深い吐息だった。

 

「お前は主任という立場を軽んじている」

 

「悲願とトレードオフなら捨ててあげるわよ、そんなもの。あなたにだってその覚悟はあるんでしょ、サリア?」

 

 そこで初めてサリアが間を空けた。

 ふむ、と少しの間考えてみる。

 

「理解できんな。責任から目を背けてまで彼を取り立てる理由がない」

 

「……あら、そう」

 

 ミュルジスは苦心しながらも喉から出かかった言葉を飲み込んだ。

 サリアに理解を求めるのは諦めた、と言うより理解されないことを正しいと思い直した、ということだ。元よりそれはエルフである自分や彼にしか分からない話で、警備課の主任なら尚更受け入れるべきではない話だ。

 言ってしまえば正しい対立だ。弁護士と検察官のように、企業と労働組合のように、対立するべき関係にある。そう思うことで、ミュルジスはサリアとジズの間から抜け出した。

 

 気を取り直して、サリアが姿を見せなかった一週間の間にずっと温めていた疑問を投げかけることにした。

 

「ところで、サリア。あの一ヶ月って時間制限はどういうつもり? たった一ヶ月で基準以上の成果を出せる研究員なんて、生態課には20人も居ないわよ?」

 

 一ヶ月、というのは本来ジズに与えられていた時間のことだ。ミュルジスは初めの一週間になんとかサリアの目を盗んで講義を行っていた。もっとも、ミュルジスはサリアを出し抜いたと思っているわけではないのだが——それは置いておくとして。

 3週間ではなく一ヶ月。ミュルジスに言わせればどちらも変わらない長さだ。致命的に足りないだろう。

 

 サリアは全く正しいと言わんばかりに頷いた。

 

「生態学分野の一ヶ月が余りに短いことは理解している。私が見るのは研究に対する姿勢や人間性、そして三番目に成果だ」

 

「ああ、あなたは結果至上主義じゃないものね。……薄々分かってたけど、難題を押し付けて反応を見るなんて趣味悪いわよ。まさかとは思うけど、このまま伝えないつもりなの?」

 

「2週間時点で伝える手筈だ」

 

 つまり今日だった。

 なんと都合の良いことだろうか、ミュルジスは名案を思いついた。

 

「それならその役、あたしに任せてくれないかしら?」

 

 サリアは首を傾げる。

 ミュルジスの言葉がどれだけ本気なのか理解できなかったからだ。

 

「彼の採用のためなら立場を顧みないと言い切ったお前にそれだけの信用があると思うのか?」

 

 ジョークのつもりだったなら申し訳ない。サリアは割と本気でそう思っていた。

 そのニュアンスがミュルジスに伝わると、彼女はだらだらと汗を流し始める。話の順序を後悔するがもう遅い。

 

「えーと、サリア。さっきまでの言葉を一度忘れて、落ち着いてよく聞いて。あたしはこのポストが大好きよ。とっても有意義だと思ってるし、仕事の内容だって気に入ってるの」

 

 何やら世迷言を重ねている。その醜いフォローが今更何になるだろうか。ミュルジスは空回りしていた。

 小さくため息をつく。

 

「少しは大人になることだ。容易に意見をひっくり返せば信頼されるはずもない。責任感とプライドのある振る舞いをしろ」

 

「別に、ジズのためなら何でもするとか、そういうわけじゃないのよ。騙すようなことはしないわ。それは信じてくれてもいいでしょ?」

 

 さて、本当だろうか。胡乱なミュルジスに懐疑の視線を向ける。そうそうないだろうとは思っているが、確実だと踏み切ることは出来ない。

 

「はぁ……あたしのことを理解してくれてるのは嬉しいけど、ちょこっとズレてるわよ。あたしが本当に責任感を持ってなかったら、とっくのとうに主任から下ろされてるに決まってるじゃない」

 

 やれやれといった雰囲気で(かぶり)を振るミュルジスは非常に鬱陶しい。とは言えそれほどの実績を積み上げていることは確かで、強く否定できない状況が一層うざったい。

 結果、サリアの眉が顰められた。

 

「ずっと一緒に生きてきた2人の仲を引き裂いておいて、まさか断るほど非情じゃないわよね? それに、サリアがジズに期待してることは分かってるのよ」

 

「……何の話だ」

 

「最初の一週間の話よ。あたしの分身を許していたのは、ジズがあたしと同じ特殊な種族で、ライン生命に利益があるかもしれないと思ったからでしょう? それなら今更多少の不正があったって、ハンディキャップとしては誤差じゃないかしら」

 

 サリアの顔が僅かに苦々しくなる。

 見通したように余裕振って、いつだってひらりと掴み所がない。並居る主任の中でも一等、こちらに向ける感情が分からない存在。それがミュルジスだった。

 

「好きにしろ」

 

「その言葉を待ってたのよ」

 

 うふふー、とわざとらしく笑う。

 茶らけた態度は気に食わないが、これでも生態課の主任として相応しいだけの能力を持っている。ライン生命に大きな実益をもたらしていることは確かだ。

 

 ミュルジスにジズという楔を打ちつける。次善策ではあるが、朝靄のように掴み所のないミュルジスをコントロールする手段を得られるのなら悪い結果にはならない。

 多少の不正が露見したところで、新設された商務課の仕事が増えるだけだ。見返りがミュルジスの弱点だと思えば——警備課の主任という立場を考えなければ——横から口を出すほどの理由は初めからなかったのだ。

 

「ミュルジス。一つ言っておくが……」

 

「心配しなくたって、つけあがって権力濫用なんてことにはならないわよ」

 

「それは心配していない」

 

 そうなったならジズを人質に取るだけだ。職員なら多少の融通が効く。

 ミュルジスが聞けばジト目で抗議しそうなことを考えながら、サリアは忠告する。

 

「真人間に育てたいならあまり入れ込まない方がいい。必要以上の情を持てば半端に終わるだろう」

 

 向かい合った時のことを思い出す。

 

「彼は、弱者の目をしていたからな」

 

 支柱を見つけたならすぐに寄りかかってしまう。他者の同情を求め、自身の努力を積み上げる前から否定する現実主義気取りの感情論者。

 

 サリアは弱者が嫌いだ。感情を制御できない半人前が嫌いだ。人事を尽くすこともせず最初から諦めるような者が、感情に流されて失敗する者が、嫌いだ。

 

 ミュルジスは黙っていた。

 ふわりふわりと掴めない朝靄がこちらを認識しているのか、それをサリアに知る術はなかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

『ハーイ、ジズ。久しぶりね』

 

 聞きたいようで聞きたくなかった声だ。ミュルジスの声が次に聞こえるのはきっと、俺が何も成し遂げられないまま終わったその時だと思っていたから。

 そして、まだ終わっていないだけで、その道を着々と歩んでいることは確かだった。

 

「久しぶり……ああ、一週間ぶりだ。そうだな、一週間は長いか。長いよな。ごめん」

 

『分かりやすく滅入ってるのね。もしかして2人と上手くいってないのかしら?』

 

「そんなことはない。ターシアとライドは2人とも良くしてくれてる」

 

『……ターシア?』

 

 素っ頓狂な声だった。

 続いて咳払いが聞こえて、答えを促される。

 

「研究のテーマすら見つからないんだ。色々と考えて、それでも足りなさすぎる。時間や費用がかかるものばかりで、結果に価値があるのかどうかだって確かじゃない」

 

 頭の真ん中から、なんて情けないのかと非難する声が聞こえる。言い訳がましく挙げ連ねたって、結局それは俺がやると言ったことなんだ。

 

『そのことなんだけど——結果は要らない、いえ、なくても構わないそうよ』

 

「なくても構わない?」

 

『端的に言うと、プロジェクト段階のものを成果に含める、ってことらしいわね。分かりやすい成果物は要らないの。結果が出ている方が望ましいのは否定しないけど』

 

「そう、なのか」

 

 都合が良すぎるような気はしたが、サリアはミュルジスに贔屓するような人間じゃない。きっと最初からこれは決まっていたんだろう。

 

 ——それくらいなら、出来るだろうか。

 

 俺には出来ないと否定する反面、沸々と希望が湧いてくるのを感じた。計画書だけなら、という思いが強い。必死にやって、思い浮かんだ実験計画は片手の指で数えられるほど。それなのに、不思議と俺は救われたような気になった。

 

「ありがとう、ミュルジス。もっと頑張ってみる」

 

『ええ、頑張って。でも体調を崩さないようにね? 体が資本なのは研究者だって変わらないんだからね』

 

「……分かった」

 

 まるで母親のようなことを言う、と出そうになった言葉をギリギリで留めた。前世がある俺はともかくとして、ミュルジスに親はいないんだ。触れてはいけない。

 

『それと、あたしから一つアドバイス。あなたがまるで普通のことみたいに扱ってるモノは普通じゃないの。身近なそれに気付いたなら、あとはそれを少し装飾するだけ』

 

 ミュルジスがそう言うと、通信の向こう側から別の声が遠く聞こえてきた。よく聞こえなかったがサリアだろうか。

 

『……せっかちな警備員が急かしてるから、今日の所はこれくらいにしましょ。溜め込めすぎないようにね』

 

「ありがとう」

 

 通信が切れた。耳元に残る微かな声でさえも消えてしまったようで少し寂しい。

 アナスタシアに端末を返した。

 

「元気が出たみたいですね」

 

「ああ、なんとか。首の皮一枚が繋がったようで……繋がってないような気もするけどな」

 

 これは空元気なのだろう。鈍重な現実が未来にのしかかっていることは想像に難くない。それでも今を多少誤魔化せるならそれでいいと思えた。

 

 それに、一つだけプランを思いついたんだ。

 人の研究から課題を見つける、そんなライドのアドバイスを取り入れようとミュルジスの研究を読み漁ったから、それがまだ明らかにされていないことが分かっている。

 ミュルジスのアドバイスでハッとしたんだ。実施するために必要な要素が揃っていると。あとは俺が行動に移すだけだ。

 

 正直に言って、それは最悪な研究だ。それは解明できれば大きな価値を生むと分かっていながらミュルジスが意図的に避けていたもので、その意図を踏み躙ることになってしまうだろう。

 だからそれを実行に移すようなことは避けたい。ただ、これはミュルジスの研究を大いに進めることになるだろうし、そんな「前進」はライン生命の専門だ。

 

 

 俺はその計画を頼ることになる。

 

 

 どうしてか、それを確信していた。

 逃げ道を思いついてしまった俺はそれに駆け込むのだろう。前世の古文書でも、二の矢があるうちは一つ目の矢を等閑(なおざり)にしてしまうものだと言われていた。

 

 更に言えば、選びたくないデメリットがありつつ、明確にメリットがある。

 言うなれば「俺に歪まされたミュルジス」と「研究者としてのミュルジス」を比較するようなものだ。俺がどちらを選ぶのかは——自明だろう。

 だから俺は止まらないんだ。

 

 頭の中で計画を組み立てると、俺はアナスタシアに声をかけた。この実験には彼女の協力が不可欠だ。

 

 

 

 

「なあ、ターシア。構造課の知り合いはいるか?」

 

 

 

 

 




 
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