ライン生命生態課所属e分類の1番隔離指定研究対象 作:e-2
失敗した。失敗した。失敗した。
静かな廊下で激しい後悔に襲われる。
ミュルジスが怒っていた。あのミュルジスを怒らせてしまった。チートの許容範囲を超えて我慢ならないことを言ってしまった。
珈琲の香りにはリラックス効果があるらしい。まさかそれで気が緩んだのか? ——物のせいにするな。責任転嫁で逃れようとするな。
全ては俺の説明不足だ。
ミュルジスが抱く俺への好意は超自然的に植え付けられたもので、それは全く正しいわけがないのだ、と言えなかった。
前以て言っていればああまで不快にさせることもなかっただろう。言葉にしていないことがミュルジスに分かるはずもない。
これは日頃の怠慢が牙を剥いたんだ。「教育の一切を受けられていない弱者」でいたいと甘えたからだ。
前世の記憶なんてものがある特殊な人間だと思われて、扱いを変えられることが怖かった。そうして黙っているくせして正しくないなどと否定したのだから、当然の帰結だ。
「今からでも、いや……」
今更言い出して何になると言うのか。喧嘩に慣れていない俺が焦って捻り出した幼稚な言い訳としか見られないだろう。
きっと今の俺に信頼はない。何もしていない俺を笑って許してくれていたミュルジスがあれほど怒ったのだから、それほどのことをしたのだと受け入れて、黙ってミュルジスの言葉を待つしかない。
「でも、それは」
黙っていたなら、俺はいつまでも言い出せなくなってしまう。この機会に何もかも説明して、それをミュルジスが一から十まで否定したとしても、俺はそれが本当なのだと唱え続けるべきではないのだろうか。
しかし、馬鹿にされたと思って、今度は傷付くかもしれない。それは本意ではない。一度落ち着いてから言うのが良いか。だが、その時になって、果たして俺は言い出せるだろうか?
「あぁ、どうして俺はあんなことを言ったんだ。正しいなんて、そんなの、偉そうに言える立場じゃないだろうに」
「どうされたんですか?」
顔を上げると、そこはホールだった。考え事をしながら歩いているうちに、ここまで辿り着いてしまったらしい。
アナスタシアはクリップボード片手に心配そうな顔をしている。独り言も聞こえていただろう。つい恥ずかしくなって顔を背けると、アナスタシアがその前に回り込む。
「いつにも増して酷い顔色ですよ。ただでさえ体が弱いんですから、体調が悪いなら無理しないでください」
「……心配はありがたいけど、これは体調じゃない。だから気にしないでくれればいい」
「ミュルジス主任からあなたのことを頼まれてますから」
「もうミュルジスは帰ってきただろ」
「スケジュール上では明日いっぱいまでそうなってるんです。義務だと思って諦めてください」
無理矢理ベンチに座らされた。体調は全く問題ないと言ってるのに、どうやら強引にでも理由を聞き出すつもりらしい。
「主任と何があったんですか」
「……そんなに分かりやすいのか?」
ぺたぺたと顔を触る。そういえば、以前にも見破られてしまったことがある。アナスタシアの過去を無遠慮に聞いてしまって申し訳なく思っていた時だ。
まるで巻き直しのようにアナスタシアは小さく笑った。しかし、記憶にある微笑みより随分と可愛らしかった。俗気があると言ったら悪い意味に取られてしまうかもしれないが、そんな風の笑い方だった。
少しは打ち解けてくれたのだろうか。
「流石に分かりますよ。主任と帰ってきて、そのままどこかへ行ったかと思えばそんな様子なんですから。大方、主任に怒られたんですよね? 私も一緒に謝りますから、少しは元気を出してください」
「ああ、怒ってるのは合ってるけど、違うんだ。ミュルジスは無茶な実験の内容に怒ったんじゃない。だからターシアが謝る必要はない。……だけどありがとう、少しは元気が出た」
「嘘吐くなら顔を隠して声も誤魔化した方がいいですよ。元気なんて少しも出てないことが丸分かりです。何が起きたのか、詳しく聞かせてください」
何も言い返せなかった。モゴモゴと小さく言い訳を繰り返すが、アナスタシアは本当に嘘と本当の区別が付いているらしい。
「……分かった。そうだな、少し
「任せます。話していただくことが大切なんですから」
この期に及んで隠したいと思ってるわけじゃない。ただ、一切合切全てを話すなら、一番初めに聞くのはミュルジスでいてほしい。
弱い心が生んだ諦めの悪い言い訳かもしれない。限界まで前世を隠すための醜い悪足掻きかもしれない。それでもいいから俺はミュルジスを一番にしたかった。
アナスタシアを信じられないわけじゃない。むしろこの世で2番目に信じていると言っていい。それでもミュルジスは俺にとって特別な存在だから、それに相応しい特別扱いがしたい。
「俺は、嫌われたかったんだ」
アナスタシアのように整理して話すことはできない。そもそも俺だって整理できていないからだ。だからきっと分かりにくい話になる。
それでも、アナスタシアが真剣に聞いてくれるから、俺は出来る限り上手く伝えたいと思えた。目を合わせてくれるアナスタシアに応えたいと思った。
本当に、出来た人間だ。
「正しくない、ですか」
アナスタシアは重く呟いた。彼女は俺が言った言葉を軽んじるような人じゃない。込められた意味を咀嚼しているんだろう。
「思い切った形容詞を使いましたね。私には、主任の感情を正しくないと一蹴する度胸なんてありません。相手が主任でなくても、ですけど」
珍しくアナスタシアからトゲが放たれた。
俺は正しいと表現することが一番ぴったりだと思うが、原作を知らないミュルジスに対する言葉選びではなかった。ご尤もだと頷くことしかできない。
「正しいか正しくないか、それは置いておくとします。私には到底分からない話なので。だから焦点を当てるのは副次的な要素です。正しいと思うことを主体として、その結果起こることを行動とする。単純化の一種ですね」
さっぱり分からない。
「俺にも分かるように言ってくれ」
「殴ることの善悪を例に挙げてみます。相手が子供を襲っている凶悪な犯罪者でしたらそれは善いことである可能性が高く、赤子でしたら悪いことです。よって、殴ることの善悪は行為自体に宿っているのではなく、それが引き起こす結果や全体像に帰属する、という話です」
物は使いよう、というような意味か。
「これは例えばの話ですが……実験が行われたこと。主任が悲しんだこと。生態学が一歩進んだこと。これらは私がパルヴィス主任の探究心を見誤っていたことの結果です。そして同時に、ジズさんが正しいと思っていたことの結果です」
「……アナスタシアは悪くない。俺はこうなるって分かってたんだ。俺が言わなかったからなんだ」
「それなら私の目が節穴ということで」
つん、と返すアナスタシアに思わず苦笑する。少し前に分かったことだが、彼女は如何にも研究者らしい性分らしい。話は長いし、何と言っても頑固者だ。
俺のせいにはしてくれないんだろう。余りに強引なものだから、申し訳ない気持ちより感謝が勝ってしまう。
「それで、ジズさんの正しさがいったい何を引き起こしたのか。いえ、これは私も同じだけの責任があることですが……一つ、伝えなきゃいけないことがあります」
どうやら真剣な話らしい。
アナスタシアは躊躇いがちに、しかしハッキリと告げる。
「ウォーカーが、ライン生命を辞めました」
驚かなかったと言えば嘘になる。
しかし、研究園から姿を消したライドに、俺はその可能性を感じていたんだと思う。心は思っていたよりずっと平坦なままだった。
「……その理由は、いや、もう分かりきったことか。そっか、ライドが……辞めたのか……」
ライド・ウォーカー。彼はアナスタシアと共に研究園を訪れた数理生態学の研究員であり、構造課との実験に激しく反対していたことが記憶に残っている。
彼の言葉がなかったなら、俺は今頃白紙の計画書を前に頭を抱えていただろう。彼にとっては、その方が良かったのかもしれないが……
ライドは俺に失望した。平気で身内を傷付ける人間だと思っていなかったからだ。そして、それを受け入れてしまったライン生命を許せなかったんだろう。
ライドの気持ちがわかってしまう、と言うのは侮辱だろうか。ライン生命をミュルジスに置き換えたなら、俺はライドに共感できてしまう気がした。正しくないんだ、ライドにとっての俺は。
俺が救いようのない馬鹿で、そのせいで、ライン生命やミュルジスに受け入れられない部分が生まれてしまう。ライン生命の方は元からあった
だから失望した。
……俺は、何をやってるんだろうか。
ライドが辞めた。恐らくは俺と同じような思いをして。原作の彼に待っていた結末とどれだけ違うのだろうか。彼の幸福をいったいどれだけ奪ったのか。
ライドとは、きっと親しく出来ていなかった。それでも俺は一方的に仲間だと思っていた。だからだろう、俺は彼が傷付いたことで、平常心ではいられなかった。
ミュルジスの幸福、そのためなら有象無象は関係ない。関係ない職員が現実を知って去ろうが気にしない。俺は大切な人さえ幸せならそれでいいクソ野郎だからだ。
だから、ライドはダメだったんだ。俺は、もう、ライドをその枠に入れてしまっていた。彼には幸せになって欲しかった。
ミュルジスを原作に戻すことは正しい。
その過程で今のミュルジスを傷つけること、他の大切な人から幸せを奪うこと、それは正しくない……
「あ、ぁ……そう、か……」
正しい正しくないって、そんなことを言って喚いていたことが急に馬鹿らしくなった。アナスタシアが怪訝そうにしている。
ああ、そうか。
俺って本当にクソ野郎だったんだな。
俺は他人を見下していたんだ。転生して、原作のことを知っていて、このテラが創作物であることを知らないキャラクターたちを軽視していた。
俺の知識は確かに正しい。だから自分の言葉まで正しいんだと思い込んだ。そして、俺の好き嫌いを知識に混同していたんだ。
俺は俺のことを好きなミュルジスが好きじゃない——いや、受け入れられなくて、だから正しくないとかそんなことを言ったんだ。
ミュルジスを原作に戻したい。大切な人から幸せを奪いたくない。そんなただの願望に「正しい」「正しくない」のラベルを付けて見せびらかした。それだけだ。
そんなの、本当に正しくないな。
「俺が、間違ってた。ごめん、ターシア。くだらない相談で迷惑かけたな」
頭を下げる。アナスタシアに相談するような内容ではなかった。俺は自分でさっさと気付くべきだった。貴重な時間を取ってしまって、本当に申し訳なく思う。
「はぁぁ……」
何故か大きなため息を吐かれた。
アナスタシアは目のあたりを手で覆い、少し考え込んで、急に俺の頬を摘んだ。
「感染の危険が」
「私は一般的なウルサスですから、非活性源石との接触なら感染リスクはほぼありません。万が一感染したら生態研究園に住みます」
ぐにぐにと触られる。
変な声が漏れた。
「……それで、これは何を?」
「笑顔を作ってます」
「笑顔を作ってるのか」
それは俺の変顔で笑いたいのか、それとも俺の顔を笑顔に成形したいのか。どちらにせよ理由がわからない。
「どうして?」
「面倒になったので」
「……何が?」
「話して立ち直らせることが、です」
それは俺に言っちゃっていいのか。
「私、相談に乗る前に一つ目標を決めてたんですよ。笑顔でありがとうを言ってもらう、って目標を」
「すごいな」
本当の意識高い系を見た気分だ。
素直に感嘆する。
「それを、ウォーカーのことを話しただけで終わらせようとされて、笑顔もなくて、言われたのは『ごめん』ですよ。どうせちゃんと立ち直れてませんし。許されますか、こんなこと」
「……ごめん?」
「そこはちゃんと謝ってください」
「ごめん」
「はい、許します」
口角が無理矢理に上げられて、手はそこで止まった。満足のいく笑顔になったのだろうか。
アナスタシアに言ったら笑われるかもしれないが、異性の手で触れられているこの状況に緊張して自分の顔が全く分からない。気色の悪い笑顔を浮かべていそうで心配になる。
ひんやりした指で触られているのに、熱くなってしょうがない。アナスタシアはただの友人なのに——友人? なのだろうか。分からない。俺とアナスタシアは友人なのか?
「私ではダメですか」
頭に空白が生まれた。真っ直ぐに目が合って、顔が固定されているせいで逸らせない。考える時間が欲しいと言うのに、そうやって待たせると変な空気になりそうだ。
混乱。混乱。もはや答えられない。アナスタシアに真意を聞くのがいいだろうか? それだ。それがいい。
「それは、どういう意味で」
「……そういうこと言わないでください。私だって意識しないようにしてるんですから」
「ごめん」
怒られてしまった。まあ普通に考えればそんなわけがないか、と思いつつ、アナスタシアもまた意識しないようにしていると分かって無性に照れくさくなった。
変な雰囲気になった。アナスタシアが居心地悪そうに視線を逸らす。もっと意識してしまいそうだからやめて欲しい。
アナスタシアが大きく咳払いをすると、緩んだ雰囲気がようやく、辛うじて、引き締まったようだった。
「どうすれば笑顔になってくれますか?」
アナスタシアは真剣な顔でそう言った。
とても真面目な顔だ。
そしてとても真面目な話だ。
それでいて俺の口角を無理矢理上げて笑顔にさせているシュールな絵面だ。
更にはさっきまで俺と一緒になって照れていた人だ。
頭が冷えて、少しおかしく思えてきた。アナスタシアの指は未だに俺の頬をぐにぐに動かしている。そうでなければいけない理由があるのだろうか。狙ってやっているようには思えない所がまたおかしい。
頑固者で、変に不器用で、アナスタシアはどこかサリアみたいだなと思う。そんな風なのに、笑顔になれと思いながら俺の顔を触っていたんだろうか。
それは何というか、滑稽だった。
「あの、目が笑ってますよ。何笑ってるんですか、ちゃんと答えてから笑ってください。馬鹿にしてるんですか」
「ああ、いや、ごめん……」
拗ねた物言いのアナスタシアを見ていると、本当に笑えてしまいそうだった。笑ってはいけないと思うが、人間とは不思議なもので、返って吹き出しそうになる。
それにしても、笑わせようとしていたのは分かったが、どうして強引に笑顔を作らせたのだろうか。
「なあ、ターシア。どうして俺を物理的に笑わせようとしてたんだ?」
「……なんとなくです」
「そうなのか。中々、斬新だな……ふぐっ……」
「馬鹿にしてますよね? ちょっと、顔を逸らさないでください。……本当に笑ってるんですか?」
アナスタシアの手を払って、顔を覆った。このままだと変なツボに入りそうな気がする。
「い、一応、作り笑顔でストレスが緩和されるのは証明されてるんですよ。だから全く無駄ってわけじゃないはずです」
「ふふっ」
「ちょっと!?」
慌てて弁解する姿さえ面白く感じてくる。
ああ、笑わされてしまったな。
言っておくとしようか。
「ターシア、ありがとうな」
「……はい。どういたしまして。何故か思っていたより嬉しくないです」
「ごめん、ごめん」
釈然としない様子のアナスタシアに、再び吹き出しそうになった。笑いながら謝られても、と顔に書いてある。
肩が震えて止まらない。
もうダメだ。アナスタシアを見るたびに、俺の顔を弄りながら真剣そうにしていたのを思い出して笑いが沸々と湧いてくる。
「ええっと……兎も角、引き合いに出したのは私ですが、ウォーカーのことはそう気にかけなくても大丈夫ですよ。彼だって大人ですから」
「あ、ああ……ぶふっ……」
「私はそんなに面白かったですか」
「違っ、違くて……ごめんターシア、俺死ぬかもしれない……息が……っ!」
「引っ叩きますよ」
笑いの過呼吸で息が出来ない。
死ぬかと思った。死の感覚が這ってくるのを感じた。呼吸不全になった経験がなければ死んでいた。アナスタシアには絶対言えないことだが。
落ち着いた頃には日が暮れていた。
久々に笑って疲れ切った。胸の中がスッキリしたような気がする。何も解決していないのに前を向けるようになるのだから、笑うことには不思議な力があるのだと思わされる。
アナスタシアもかなり疲れている様子で、大きなため息を吐いた。
思い出して笑いそうになってしまった。申し訳ない。
「まあ、色々と、本当に色々と複雑ですが、笑ってもらえて良かったです。その調子でウォーカーのことなんて忘れてください」
相変わらずライドに対して刺々しい。
しかし、どこか柔らかい雰囲気もある。
ライドが言っていたことは間違っていなかった、それをアナスタシアは受け入れたんだろう。彼は分かりやすい短所を抱えていたが、長所だってその裏側にあったはずだと、それを分かったんだ。
少し、いや、かなり嬉しい。アナスタシアが俺を受け入れたように感じられたからだ。
俺はライドのように正しいことを言うことすら出来なかったし、並べるほど優れていたわけでもない。それでも俺は自分を投影していた。
正しい在り方があるはずなのに、目の前の存在がそれに反している怒り。手を尽くしてもそれが変わらないと悟った時のやるせなさ。
深く理解している。ライドの感情は痛いほど共感できる。だからこそ、俺の身勝手な「正しさ」とやらに否定されたことが申し訳ない、のだが。
「後悔を受け入れられたなら、それが進むってこと。だったか」
「主任の言葉ですか?」
アナスタシアの言葉に頷く。
あの時、涙を流すミュルジスを前にして、俺は信じていた基準が揺らぐのを感じていた。
だからと言って話を聞いていなかったわけじゃない。ミュルジスが言ったようにしてしまえば、俺はきっと流されてしまうだろうと思ったんだ。
俺は一度でも堕落したなら這い上がって来れない。あれだけの後悔を受け入れてしまえば、それきり何も反省できなくなるような気がしていたんだ。だからミュルジスの言葉を受け入れられなかった。
俺はこれで、ようやく、後悔の本当の意味を知ったような気がする。
今までの俺はただ落ち込んでいただけだ。自分の失敗を過大に評価して、勝手に絶望して、そんなことでは反省もできやしない。
ミュルジスから離れようと踏み出した一歩目は失敗に終わった。ライドに、ミュルジスに、そしてアナスタシアに、申し訳ないことをした。
——だから、次は間違えない。
これで引きこもるのだって賢明な選択なのかもしれない。ミュルジスの庇護に入っていれば、ニートの幸せに満足していれば、それが一番に平坦で安定の未来だ。
しかし、ミュルジスはロドスに行った方が幸せになれる。それなら目指すべきだ。失敗した理由を見つけて、後悔して、反省できたのなら、次は同じ轍を踏まないようにすればいいだけだ。
強く頭の中に刻むんだ。
原作のミュルジスはもう帰ってこない。
手遅れになってしまったのだから、潔く諦めて、今のミュルジスを幸せにすることだけを考えなくてはいけない、と。
ミュルジスが幸せになれるなら俺は死んでいい。いや、むしろ死ぬべきだろう。それは変わらない。
ただ、原作と乖離した在り方であろうと、ミュルジスが幸せになるように考える。今のミュルジスが俺にそれなり以上の優先順位を付けていると自覚して、動く。要はそういうことだ。
胸の中は少しだけ重苦しかった。
後悔を反芻している。
息を大きく吸い込んで、深く吐き出す。
全てはもう終わったことなんだから、そう長々と落ち込むのは良くないことだ。ライドには申し訳ないが切り替えさせてもらおう。
深呼吸を繰り返す。
俺は、何をしようがサンクタにはなれない。時を
一度
万が一、神様が俺に
捻じ曲げられた過去は既に決定されてしまった。唯一正しかった原作は虚構の札を首から提げている。それがひっくり返ることは、今後一切ありえない。
「あとは、進むだけ、か」
簡単に言ってくれる。そう易々と口に出せるほど簡単なものではないだろうに、ミュルジスは然も当然のように語っていた。
幸せにする、その一点において、俺の意思が揺らいだことはない。ミュルジスの幸福から目を背けることはありえない。
やらなきゃいけないことは分かってる。とっくに覚悟も決まってる。追いついていなかったのは、頭の中の整理だけだ。
ミュルジスに謝って、一つ一つを話して、きっとミュルジスは許してくれるだろうから、もう一度だけ謝って、それで終わりにするんだ。
それから、俺は……
ふと、気配に気付いた。
僅かな擦過音に空気の流れ。
彼女をミュルジスだと認識できなかった。
その笑顔はまるで泥を捏ねて作ったかのようで、違和感の塊でしかなかった。
「楽しそうね。ジズ」
「え、あ、ああ」
いつのまにか、ミュルジスがそこにいた。
次回、最終話です。