冒険の夜明け。
それは、風野灯織にとって一番、落ち着かない日々での出来事だった。受験が終わり、いよいよ待ち望んだ283事務所合否発表が、ここ数日の間に届くはずの日。
電話がかかって来る、という事なのだが、流石に家で机の上にスマホを置き、正座して待っていられるほど落ち着かなかった。
なので、とりあえず表を散歩して待とうと思い、外を出歩いている次第である……のだが。
「ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ、ダイジョウヴ……」
目をぐるぐる回しながら、画面もつけていないスマホを持っていじっていないのにながらスマホをしながら歩いているので家にいるのとほぼ変わらない状況であることに気づいていなかった。
散歩とかしても落ち着いていない。真冬なのに暑いくらいだが、本人はそれを気にする余裕もない。
なので、他人と肩と肩がぶつかってしまうのも当然だったと言えるだろう。曲がり角から走って来た少年と、衝突してしまった。その拍子にスマホを落としてしまう。
「きゃっ……」
「あ、ごめん!」
尻餅をついてしまう。それにより、何か嫌な予感が脳裏に響いた気がした。
「大丈夫か?」
「あっ、あああ……こんな日に誰かとぶつかって合格通知が来るかもしれないスマホを落とすなんて……もしかして、良くない結果が来る凶兆……?」
頭を抱えてスマホを拾う余裕もなくそんなことが頭の中で回り始める。これで落ちていたらどうしよう……両親も「灯織が頑張れるなら」と応援してくれたことなのに……このままでは色んな人の期待を裏切ってしまう……などと頭の中が回っている時だった。
グイッと腕を引かれ、強引に身体を立たされた。
「何やってんだお前。ちゃんと顔上げろバーカ」
「え……?」
「何不安になってんだか知らんけど、ちゃんと前見ろ。ルフィだってエースが死んでもしゃんと前見て生きてんだろうが」
ルフィ? 何の話? と思ったが……前を見る、というのは確かにその通りだ。……そうだ、いつかはどうせ結果が来る。不安になっていても仕方ない。
「それとながらスマホはやめろ。よそ見して片腕凍らされたジョズ隊長の敗北を忘れたかお前?」
「そ、それはごめんなさ……ジョズ?」
「じゃ、俺急いでるから」
なんかちょいちょいよく分からん人の名前出てくるな……と、思いつつも、とりあえずその人を見送る。なんか……変わった人だった。
まぁでも、とりあえず今はあの人の言うとおり、少しはしゃんとしないとと思い、帰ろうとした時だった。
足元に何かが当たる感覚。下を見ると、緑色の羅針盤の絵が描かれた白のカードケースのようなものが落ちていた。
「何これ……カード?」
思わず呟きながら手に取る。「ONE PIECE」「CARD GAME」のロゴが上下に並んでいた。
ワンピースなら、灯織も知っている。いや、名前くらいしか知らないが、それでもルフィの名前くらい知っている。
今、ぶつかってしまった少年はワンピースが好きで、これもその子が落としたものと見て間違いないだろう。
「! わ、渡しに行かなきゃ……!」
ぼんやりしている場合ではない。後を追おうとしたのだが……見失ってしまった。
「ああっ……ど、どうしよう……!」
せっかくなんか勇気づけてくれたのに、もう影も見えない。やってしまった……と、ひおひおと肩を落とす。どうしたら良いのか迷ったが……そこでハッとする。
そうだ、前を向かなければ。確率はどんなに低くとも、何かしなければその定確率さえ引けない。
「さ、探しに行かなきゃ……!」
ひとまずそのデッキを持ってスマホをポケットにしまい、街を見て回ることにした。
×××
結局、見つかることはなかった。
「はぁ……」
とぼとぼと歩きながら帰宅する。これ、どうすれば良いのだろうか?
家に入り、自室の椅子に座ってカードケースを置く。これを返す機会はおそらくもうないだろう。あの子の顔は覚えているけれど、偶然街で会える可能性なんて皆無だろうし……だからって、こういうのは捨て難い。
高いものじゃないと良いなぁ、なんて思ってしまった結果、ちょっとだけ気になってしまったので中を覗いてみることにした。
「……うわ、キラキラしてる」
なんのキャラクターだか分からないけれど、おそらくレアリティというものが高いのだろう。
とりあえず先頭のカードの金額を調べてみる。カード名は「シャーロット・カタクリ」。カッコ良いカードではある。なんか光ってはいるし。
でも……白黒だしこれは高そうではないな……なんて思いながら検索してみると……。
「……へ?」
メ○カリで5200円と出てきた。嘘でしょ? と冷や汗を流す。だって……いくらカッコ良くて光っていても、白黒の紙である。
なのに、これがまさかの、灯織が今年、従姉妹の親からもらったお年玉と同じ値段……ちょっと理解が追いつかない。
冷や汗を流しながら次のカードを見る。今度はシャーロット・リンリンという名前の厳ついおばさんだ。
全体的にカードは黄色く、右手に怖い顔をした炎のようなものを纏っている。そして、同じカードが3枚並んでいた。
調べてみると、一枚2000円弱である。
「えっ……つまり、これで10000円以上……」
この辺で調べるのをやめた。早い話が……そんな金額をかけた束を、この持ち主は落としてしまったことになり、そして自分はそれを拾ってしまったことになる。
「のんびりしてる場合じゃない……!」
もう一度探しに行かないと、と思って席を立った。そもそもぶつかったのは自分がボーッとしていたからだ。
だがっ……闇雲に探したところで、どうせ同じように見つからないのではないだろうか?
少し手段を考えないと……と、頭を悩ませていると、ふと思い浮かぶ。そもそも彼はこのデッキケースを持ってどこに行くつもりだったのだろうか?
ワンピースカードを持っていたということは、ワンピースカード関係の何かがある、と見るべきか。
カードゲームについて詳しくもないので、スマホで検索。今日、この辺りでワンピースカードゲーム関連の何かをやっているのか。
しばらく探していると、見つけた。今日は近くのカードショップでワンピースカードの大会をやっているらしい。
「って、マズいよねこれ……!」
慌てて家を飛び出した。正直、行ったことはないが、まぁその辺なら多分分かる。看板さえ見つかれば。
とにかく走って、そのお店に向かう。流石にあれから一時間弱経ってしまっているし、大会には間に合わないと思うけど、返せる機会ではある。
そのまま移動していると、ふと目に入ったのはやたらとキョロキョロして歩き回っている見覚えある少年の姿。
「はぁ……ねぇなぁ、なんで落とすかなぁ、俺……受験が終わって久しぶりの大会だってのに……はは、見聞色の覇気を使えるんじゃないかってくらいヤマカンだけでテストをこなしてきたのに、とんだピエロ野郎だぜ俺は……所詮、俺はラッキーでのし上がってきたバギーと同レベルって事かな……はは、バラバラになってしまいたい」
……すごく前を見ることもなく引き摺っている。もう涙目というか、今にも死にそうな顔だ。
声を掛けなければ、とも思ったのだが……どう声をかけたら良いのだろうか? 今の呪詛のような独り言を聞いた限り、どちらかと言うと試合に出れなかったことへのダメージの方が大きそうだ。
もし、このままのこのこ持って行ったら……。
『は? お前が持ってたのかよ。ぶつかってきておいてなんですぐ届けてくれなかったの? 大会あったんだけど。どうしてくれんの?』
『ひぃっ……す、スミマセン……!』
……あり得る。すぐに追おうとしたけど見失ってしまった、なんていうのはこちらの都合であり、そういう詰められ方をしたら答えられる事は何もない。謝って参加費をこちらが持った上で慰謝料まで請求されるかもしれない。
ここは……もう少し、こう……別の声の掛け方をしなければ……なんて思っている時だった。
「……あれ、お前さっきの……」
「へ? あっ……」
見つかったことにより、さらに目がまわる。まだ言うべきことを何一つ決めていないのに。
なんて言うべきだろうか? こうなったら、もう一刻の猶予もない。言いたいことは届けられなかったことの謝罪、そして不可抗力であったという事。それさえ伝えれば大丈夫……そう思い、的確に短くまとめながら、鞄から取り出した。
「ごめんなさい、わざとじゃないんです!」
叫びながら頭を下げてカードケースを差し出した。
……。
…………。
…………。
…………わざとやった人の言い訳みたいじゃない? と後になって思った。ヤバい、と思って慌てて顔を上げた時だった。
「ハンコック〜〜〜〜!」
「ひえっ⁉︎ い、いえ風野です!」
「おめェって奴は! ありがとう‼︎ 恩にきるよ‼︎」
そのままバンバンと背中を叩かれる。正直痛いのだが、それどころではない。急なハグ……それも、異性から。あまりの衝撃にセクハラとか痴漢とかそういう類のとか思う前に手が出た。
「きゃああああああああ⁉︎」
「ぶへぇ〜〜〜〜‼︎」
バチィィィンッッというビンタが顔面に炸裂し、後ろにひっくり返った隙に、お腹にカードケースだけ置いて逃げてしまった。
ダッシュで家に帰宅し、扉を開けて中に入り、自室に戻って布団を思いっきり被る。
抱き締められた。初めて異性に抱き締められた。今まで告白とかされたことはあったけど付き合おうと思う異性はいなかったから、そんな経験は当然ない。良い所父親くらいのものだろう。
「っ……うぅ〜……!」
あの男……一体、どういうつもりなのか? まさか……セクハラ? わざと自分の前にカードを置いていったのか? ていうか、ハンコックってなんなのか。
何にしても、自分と同い年くらいの男の子に抱き締められたのは初めてで、今になって鳥肌が立ってきた。
「と、届けなければ良かった……」
そんな風につぶやきながらも……まぁ、喜んでくれてたことには違いないし、届かなければよかった、ということは無いのだろう。おそらく、怒ってはいなかっただろうし。
……ていうか、セクハラ確定みたいに考えてしまっていたが、もしかしたら帰国子女のようなものの可能性もある。文化が違うと、挨拶の仕方も違うって言うし。
そう思ったら……ビンタしてしまったのは少し申し訳ない。ていうか、ハンコックって本当に誰なのか?
色々と気になったので、彼の口から漏れたセリフから調べてみることにした。
目を悪くするといけないので、包まった布団から顔とスマホだけひょっこり出して調べてみる。
まずは、ルフィから。
「本名、モンキー・D・ルフィ……年齢、17→19?」
物語のうちに二年経過したということだろう。しかし、灯織より年上とはいえ随分若いんだなーと思ってしまう。
しばらくそのまま色々と調べる。ゴムゴムの実を食べた、シャンクスという赤い髪の人に憧れている、麦わら帽子をかぶっている……などなど、分かってきた。ちょっと面白いけど、ハンコックという人の裸を見て「裸になってどうしたオメー」は驚いた。性欲というものがないのだろうか?
さて、引き続きさっき聞いた「ジョズ」という人を調べる。
「ダイヤモンドジョズ……」
ちょっとよくわからない。なのでスルー。
続いて、いよいよハンコック。ルフィと関係がある人らしいので、一緒に検索してみた。
まずは画像で見てみると……こんな一コマが載っていた。
『ハンコック〜〜〜〜! おめェって奴は! ありがとう‼︎ 恩にきるよ‼︎』
「……」
つまり、あの男の子はこれの真似をしてお礼を言っていただけらしい。その程度の事で殴ってしまったのは申し訳ない……申し訳ないのだが……その、なんだろう? この胸の奥にあるモヤモヤする感じのものは。
お礼を真似でされたとかではなく、こう……たかが物真似でハグをされたという事に関するモヤモヤというか、ムカムカというか……。
どうしても、釈然としない感じが抜けない。なんでそんなことされなくてはならなかったのか、という感じが。
「なんで……」
と、考え込む。普通にお礼を言えば良い場面で、わざわざあんなお礼の仕方をした理由。ハグなんて普通に考えてセクハラと間違えられて通報されてもおかしくないところだと言うのに……。
ワンピースが好きだからとかそういうことだろうか? いや、にしたってそんな真似をいきなりするのはおかしい。
「……いや、待った」
さっき調べた限り、ルフィは他の人間の心を動かすのが上手い。つまり、自分の気持ちをストレートに他人へ伝えることが出来るということだ。
だとしたら……あの少年は自分のお礼をする気持ちを正直に伝えるためにああいった行動に出た……?
そう思えば納得がいく。あり得なくはないのかもしれない。きっとそういうことだ。
正直、あまり自分の気持ちを他人に伝えることが得意ではない灯織としては、そういう表現の仕方もあるのかも、と少し感心さえしてしまう。
「……あの人、すごいな……」
いや、流石にハグという真似は出来ないけれど、でもそういういろんな感情の表し方については見習いたい。
……というか、むしろそういうの見習うにはワンピースを読めば良いのではないだろうか?
「……よしっ」
ちょっと読んでみようかな、と思って、とりあえず単行本を買いに行こうとした時だった。
スマホが鳴り響く。画面には「283事務所」の文字。なんだろう? とスマホを耳にあてがう。
「もしもし」
『もしもし、こちら風野灯織様のお電話でお間違い無いでしょうか〜?』
「はい、そうです」
『私、283プロダクション事務員の七草はづきです〜』
緑色の髪の女性だ。よく覚えている。この前、審査の時にいた人だ。
『今、お時間の方は大丈夫でしょうか?』
「あ、はい」
『先日の選考結果についてお知らせのため、お電話させていただきました〜』
「!」
そうだった。近日中に来るという話だったのを忘れていた。一気に心臓が爆速で動き出す。動き出しているが……思ったより冷静でもあった。緊張していないわけでもないが、これで結果が分かる、という覚悟だけが静かに決められているような感覚だ。
「よ、よよっ、よろしくお願いしみゃす……!」
嘘。少なくとも震えてはいた。胸の奥をドギマギさせながら、震える唇から声を絞り出したら噛みまくった。
そんな自分に、耳元からはづきが優しい声音をかけてくれた。
『ふふ、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ〜。悪い報告ではありませんので』
「え? ということは……」
『はい。是非とも弊社にてプロデュースを受けていただきたいと思います〜』
「……〜〜〜っ!」
パァっと表情が明るくなる。……いや、まだスタートラインに立っただけだ。浮かれても仕方ないのだが……まぁ、ホッとするくらいは許してもらっても良いだろう。
とりあえず、さっきより激しく動いていた心臓は少しずつおとなしくなり、漏れそうになる深い安堵のため息を抑えつつ、お礼を言う。
「……ありがとうございます。よろしくお願いします……!」
『こちらこそよろしくお願いします〜。詳しい案内は後日、郵送にてお届けしますね〜』
「あ、は、はい」
デビューが決まったとかではないのは分かる。とりあえず入社し、これから色々レッスンやトレーニングを積み重ね、アイドルとなる。そうすれば……自分をきっと変えられる。
『では、失礼致します〜』
「はい。ありがとうございます」
最後にもう一度お礼だけ言って、電話を切った。これで、ようやくのスタートライン。高校生になったら、自分を変えるんだ。そう強く思いながら、胸前で握り拳を作った。
「よし……やるぞっ」
そう呟きながら、一先ず早速何か出来ることはないか、スマホで探し始めた。