帰りのバスの車内、皆、試合のプレッシャーから解放されたからか、テンション高めで少しうるさい。行きは1時間とちょっとで到着したバスも、帰りは会社員の帰宅ラッシュにぶつかったためか、少しも進む気配がない。
「おう、なおきィ、お前も千円な」
前から順番にお金を回収してまわっている、直樹と同じ一年生。その手に持ったプリングルスの空き箱に、財布からなけなしの千円を取り出して放り込む。
(こいつ、すっげえ笑顔だな。勝ち越したのか?あ~あ、まさか塚山が負けるなんてな~。)
財布の札入れには、もはや何も入っていない。部活が忙しくてバイトもできない高校生には、千円というのは途轍もなく大きな額である。小銭入れも確認するが、5円玉が3枚。5月も始まったばかりだって言うのに。
毎年、この『試練戦』では、一口千円で賭けが行われている。上級生のなかには、少しでも精度の高い予想をするために、練兵館高校の生徒と新入生たちの情報を交換する人もいるそうだ。もともと、1年生を鍛えるのに真剣身を出すために賭け始めたそうだから、本末転倒ってやつだ。直樹も将来の為に練兵館の生徒の何人かと電話番号を交換している。
今年の目玉は、『怪物少女』の勝敗。入部してすぐに、全国3位の女子主将『黒豹』大山亜希を破った期待の新星が、一体何勝出来るかに賭けの注目は集まった。
―あいつが高校生女子なんかに負けるわけねえじゃん。
と思った直樹は、迷わず千里の全勝利に賭けていた。くそ、こんなんなら自分の全勝にも賭けとくんだった。
(しかし、あいつ、すっげえ落ち込んでたけど、ほんと大丈夫かな)
直樹は、後ろの方、間に何台も割り込まれて、もう見えなくなっている、女子部のバスに乗った少女のことを思いやる。
「う… うぐううう!」
―まさか、初戦でいきなり躓くとは。真古流の名誉を汚してしまった。開祖様にも申し訳が立たない。加えて、帰り際、練兵館剣道部の顧問『前川宮内』先生に言われたあの言葉。
「君は、確かに強いのかもしれないが、心がちっともなってない。
剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道。
『
聞けば君は剣術をやっていたそうじゃないか。人を斬るための理法では、剣の道の高みを見ることはできないよ。」
―哀れむような目。なぜお前が私を見下す。私を、私と私の『真古流』を、鼻で笑いやがった。
『活人剣』だと?笑わせるな。刀とは人を殺すための道具である。剣道とはいえ、剣術の中の一流派に過ぎない。
私と、私の『真古流』は、現存する121の流派を、明治の開祖の時代から蒐集し、整理し、体系立ててきた、『『真の剣術』』。そして現在、剣術の主流である『剣道』をも、その内に取り込まんとするものである。
それをたかが、一度の反則負けなどで・・・・
「馬鹿にするなっ!!!」
(あ、やっちゃった・・・・・)
バスの車内、一番後ろの隅っこで、暗く俯いてた千里。公園での直樹とのことを目撃して以来、避け気味だった翔子も、あまりの落ち込みように思わず声を掛けた。
「い、一回負けたくらい良いじゃない。女子はほとんどの人が負け越しちゃったし、ほら?ワタシなんて3勝しかしてないんだよ!?」
「馬鹿にするなっ!!!」
突如、立ち上がって叫んだ千里。
びっくり固まった車内のなかで、千里は逆にビックリした顔で固まる。
「―」
翔子が話し掛けようとするより早く、「すいません、ちょっと寝ぼけてました。」といって、明らかにウソ寝の態勢をとる千里。その「ぐー、ぐー」というワザとらしい声を聞きながら、
―直樹はこの娘の何がよかったんだろう?
窓に映る、自分と千里の姿を較べながら考える翔子。
(窓の外は夜。今日は何時に家に帰れるんだろう?月曜日、今日一緒に来なかった先輩方が試合の結果を知ったら、部活の練習、きつくなるんだろうなあ。)
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中途半端な時間に目が覚めた。ノブを捻ってお湯を出す。
(アレ?でない。)
「お母さーん。お湯が出ないよー!」
バスルームから顔を出して叫んだときに気がついた。母はいない。真っ暗なワンルーム。いま私は一人暮らしだった。
(あれ、元栓締めてたっけ?)
どうやら何かの拍子に水の元栓が閉じていたらしい。レバーを捻ったら水が出てきた。
「つめたッ!!?」
サッと避けて、水が暖まるのを待つ。結局、帰ってきてすぐ、寝ちゃってた。
「活人剣か・・・でも、私の剣も、活人剣っちゃ、活人剣よね。」
『
相手を活かして敵に勝つ。敵に動かせて、敵の働きを利用して隙をうち、勝ちを得るのが『活人剣』。
逆に自分の得意とする技に磨きをかけて、それを囮に威圧して、相手の動きを殺して、その得意技を生かしてスピードとパワーで敵に勝つのが『殺人刀』。
自分の動きは、相手を観察し、場合によっては相手に打たせて先をとる『活人剣』。
皮肉なことに、剣道家の直樹が使った戦法、強力な『突き』を一旦見せておいて、威圧されて固まった敵に、好き放題技を打ち込んでいた、アレこそが『殺人刀』だ。
水が温まったので、シャワーを浴びる千里。下を見ると、すとん、と足首まで見える。遮るものが何もない。そういえば、翔子ちゃんってでかいよね?何が、とは言わないけど。
(悲しくなんかない。あんなもん邪魔なだけや。泣いてなんかない。コレはシャワーの水や)
シャワーを止めて、外に出る。
「お母さーん。タオルー!」
だから私に母はいない。朝日が昇ってきた。もう朝だ。
「練習しよ」
嫌なことは、寝れば忘れる。死なない限りは次がある。今日負けても、明日勝てば私の勝ち。
―――何度負けても、『最終回』に勝った奴が、真の勝者なんだ―――