重バ場のウマ娘に死ぬほど愛されて眠れない 作:大井は江戸ちゃうで
マフラーや手袋などの小物が恋しい、肌寒い季節になった。
担当のネオユニヴァースと出かけた帰り。寒空の下、二人並んで歩く。
会話はあまりなかった。けれど、気まずさを覚えることもない。彼女のように言うならば「コネクト」……心と心が通じ合っていると、そう感じたから。
そんな風に考えて、ふと笑みが溢れる。
「トレーナー……?」
そんな俺を不思議そうに、ネオユニヴァースは見ていた。
「ごめん。なんでもないよ」
そう誤魔化す俺に、ネオユニヴァースはむむっ、と仏頂面になる。どうやら誤魔化したことがお気に召さなかったようだ。
彼女のトレーナーになって、どれほどの月日が経ったのだろう。こうした彼女の感情を読み取れるようになって、ほんの少しでも彼女を理解できたのが嬉しいと思えた。
きっと自分もまだ知らない一面が彼女にはあるのだろう。その一面はいつか、彼女の隣にいれば見れるのだろう。
そんな胸の奥で燻る想いに蓋をして、俺は歩みを止めた。
「トレー……ナー?」
ネオユニヴァースは立ち止まって、訊いてくる。
なんでもない、と言ってまた歩き出せば、変わらない明日はやってくる。けれど、逃げていたっていつかは必ず訪れてしまうものだから。
だから俺は、意を決して口にする。
「ネオユニヴァース……君との契約は、今年度で終わりだ」
深く、谷底のような静寂に、風が通り抜けていく。耳を澄ませば地球の回転する音まで聞こえそうで、唇を固く閉じて彼女の言葉を待った。
「理解……不能。どうして……?」
長い静寂を経て、彼女の口から絞り出された言葉は、それだった。
俺に尋ねる、と言うよりは自分自身に問いかけているようで、縋り付くようにこちらを覗き込む瞳が、酷く心を痛めつける。
ああ、わかっている。今一番傷ついているのは彼女だって。
だが夢は長くは続かない。いつしか必ず終わりが来る。それを誰よりも理解しているであろう彼女だからこそ、早く伝えたかった。
「実は来年度から、新しくチームを持つことになったんだ。前々から打診はされていて、今まではなんとか断ってはいたんだが……やはりトレーナーというのは人手不足でね。最近の功績も讃えられて、なし崩し的に引き受けることになった。そうなってしまっては現担当である君をどうするかだが、最終的には『君が無事走り終えたら』、『契約を解除する』ことに落ち着いたよ」
彼女の言葉を聞くのが怖くて、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
我ながら、最低なことを言っている。なのに、まだ彼女を絶望させようだなんて。
「けい、やく……かい、じょ……?」
取り乱した様子で、俺の言葉を反芻する彼女と視線が交差する。自分よりも遥かに聡い彼女は、おそらく気づいている。
「それは……誰の」
「これは俺の決断だ」
──この決断は俺が下したことに。
「だから、トレーナー契約の更新はもうできない。来年の春までが、君と居られる時間なんだ」
彼女の顔が大きく歪む。
決して短くはない付き合いの中で、初めて見るほど大きな動揺の表れだった。
本当は、一緒に居たかった。全てを投げ出して、彼女と共に歩むことも考えた。少なくとも俺にとって、彼女と共に過ごした日々はかけがえのないものだから。だがそんなわがままを通すには俺はどうしようもないほど“大人”で、彼女はどうしても“子ども”だから。
曖昧なまま関係を続けることはできない。彼女には彼女の未来がある。だから決断する他なかった。彼女と、離れることを。
「……ネガティヴ。“SEPA”は、アファーマティブできない……」
きゅっ、と裾を掴まれる。
俯いてしまった彼女の表情は計り知れないが、その様子があまりにも幼気で、固く結んだ口の中に苦味が溢れる。
全部嘘だって、そんな甘言は無理矢理にでも飲み込む。
ここで自分を曲げてしまっては、こうまでして彼女を傷つけた意味がなくなる。
再び訪れた静寂は、しかしすぐに切り裂かれた。
「……ひとりぼっちは、寂しい。寂しいと、寒い……」
そう言って彼女は裾を掴んでいた手を離して、今度は抱き着いてきた。
「でも、こうしてると……スフィーラ。……あたたかいね」
彼女の温もりが、洋服越しに伝わってくる。
振り払うことなんて、できない。この温もりは何よりも温かくて、愛しいものだから。
「ネオ……」
堪らず、彼女の名前を呼んだ。
それで何かが変わるほど現実は優しくない。でも、名前を呼ばずにはいられなかった。
名前を呼ばれて彼女はゆっくりと、顔を上げる。悲しみに染まってませんようにと、身勝手にも祈った。
けれど、見逃さないように視界に捉えた彼女の瞳は、光を灯していなかった。
「ネオ……?」
得も言われぬ不安に襲われて、背筋が凍るような感覚に蝕まれる。
彼女は光を失ったまま、ゆっくりと口火を切った。
「ネオユニヴァースは……『わたし』の願いは……『あなたと過ごしたい』。それだけだった……『わたし』が『一番愛された存在』だった……っ」
彼女の抱き着く力が一層強くなる。
譫言とように呟かれた言葉の全てに、重力を感じた。それほどまでに想いが込められていて、彼女が何を願い、何を望んでいたのか、それを今更ながらに知った。
「でも……遅かった……」
そう、遅かった。
もう全ては決まったことで、俺個人の力じゃどうすることもできない段階にある。
「……ごめん、ネオ」
ただ一言、ごめんと伝えて。力いっぱい抱きしめた。
許されても、許されなくても。この瞳を曇らせた罰を受けなければならない。
「トレーナー……ネオユニヴァースは、“断絶”を拒む、よ……それが全宇宙の、『わたし』の願い……だから」
不意に、唇に温もりを感じる。
その温もりが彼女のだと理解したのは、唇が離れた後だった。
「スフィーラ……“KISS”は甘い、ね……」
頬を染めて、彼女はそう呟く。
その瞬間、体が宙に浮くような不思議な感覚に襲われた。
不可思議な現象に、頭が上手く回らない。理解しようとしても、思考が妨げられる。なのに不思議と恐怖がなかったのは、再び彼女に触れたからだろうか。
「“TOGE”……トレーナーとネオは、ずっと一緒……だよ?」
霞みゆく世界の中で、彼女の輪郭だけがはっきりと残っていた。
ネオユニヴァース
別宇宙でも観測しなかった出来事に困惑したよ。
でも、結果的に結ばれたならスフィーラ……だね。
トレーナー
きっと「新しい宇宙」で幸せに暮らしている。