死という危険、そう、大型車両に轢かれそうになった時のあの心臓の躍動、背筋の凍るあの感覚。
刹那ではなく、断続的なその恐怖に気が狂いそうであった。
どこか艶かしい黒色の爪が俺の腕肉に食い込んで離れない。万力のようにロックされていてかなり痛い。
突き立てられた箇所から出血している。
アドレナリンの影響でそこまで感じていないのであろうが、普段なら悶絶ものである。
もし、もしここで抵抗する力を抜けば、急所を絞められてその意識を失うのであろう
踏ん張れ、
「ま、まて、まて、俺はあんたを助けたんだ。話ぐらい聞いてくれてもいいだろう?!」
耐えろ、
ここからは賭けだ。人語が通じるかどうかはやってみなければ分からない。
「シズメ!」
暗い深海から出されたような声で、彼女から憎悪の応答があった。緋い双眸は爛々と輝き、腕の力が増す。
ーーー殺される!
半ば本能で拘束から離脱しようと身を捩る。
彼女は追撃せんともう片方の手を構えた。
が。
驚愕。怒りに満ちた彼女の顔はそのように思えるほど歪んだ。
手が拘束されていないことに気付いたのか、それとも別の何かか。何を考えているかなんてわからないが、キョロキョロとあたりを見回す彼女から、どんどん身を刺すような殺気が薄れていく。
隙を見せた今しかない
「マジで落ち着いてくれ!“敵ではない!”」
その敵ではない、という言葉に完全に意気消沈したのか、彼女は脱力し、きょとん、とこちらを見つめた。
先程の見幕は如何程にか、緊張と恐怖の反動でどっと汗が出てきたのであった。
ーーーーーーーー
「えーーこんにちは?」
「……」
「喋れますか〜?」
「……」
先程から部屋で呆けている彼女に話かけて見ているがどうも返答がない。目の焦点はどこかへ行っているし、心ここに在らずと言った感じである。
これからのことを考えるとしゃべれた方が本当に助かるのである。暴れ馬に言語教育をするが如き難易度で日々を過ごしていたらおそらくストレスで死んでしまうか、体のどこか消し飛ばされて本当に死んでしまう
「え、えと、名前とかってのは…」
「ワカラナイ」
「なんと!喋れたんすか?!」
やっとコミュニケーションが取れた気がする。人見知りな性格が祟ってか不自然に敬語になる。のもまあ仕方ないか。戦艦棲姫の外見はまんま少女から大人になった、どうも大人びた女性のあの感じである。あどけなさから脱却した凛とした顔立ちは前世の俺を以ってしても大人といわしめる。
ただ俺が美人に怯んでいるだけかもしれないが…
「ナニモワカラナイワ。喋ルノダッテオモイダスノニ苦労シタワ」
「さいですか…」
重度の記憶喪失なのだろうか。喋ることを思い出すとはどういうことなのだろうか。
「人ハ殺スノヨ。沈メルノ。ダケドモナゼソウシタイノカハ…」
「わからない、てか。」
本能がそうさせるのか、それとも記憶の何かか。それすらも彼女はワカラナイのであろう。理由もなくなぜ殺したいのか。思考が可能な彼女はそこに理由を見出そうとしているが、思わぬ矛盾や理不尽に戸惑いがあるようであった。だからこそ助かっている今がある。もし、人に対する憎悪の理由がわかったのなら、彼女は容赦なく、躊躇いなく、人をその手で縊り殺すのであろう。それだけは、避けなくてはいけない。
「やりたいこと、探してみないか?」
「ジャア、マズ貴方ヲ沈メルワ」
「それ以外で頼みます。」
そう答えた冗談なのか本気なのか。やっと彼女の双眸の中心が俺を捉えたよう。それで嬉しかった。やはり彼女はどこから見ても美しく、無表情であった。
ーーーーーー
「とりあえず、風呂に入りたいとかあります?」
「風呂ハ識ッテイルワ。ドウヤッテツカウノカシラ」
なにやらおかしな記憶の飛び方で、前途は多難そうであった。
ーーーーーーーーーーーーー
ーーーーー風呂から水音が時折聞こえる。
彼女が風呂を使用している傍ら、少し落ち着いて座り込む
誰かが風呂に入っている音が耳から入ってくるのは今世初ではないだろうか。とここまで寂しい人生だったなあと自爆的思考に至る。
風呂の入り方を教えるなどこんな体験は初めてである。己が風呂に入るために親離れした時の記憶、つまり教えられる側であった記憶すら無い。前世のそんな昔のことなど全く覚えていない。苦戦するかと思われたのだが、幸い彼女は聡明であった。1教えれば10理解した。構造を見て使用方法を把握するなど知識アリでも難しいのではないだろうか。末恐ろしさに軽く震えた。人体書など読ませたら、確実に急所を突くアサシンにでもなってしまうのではないか
話をしてみた感じ、名称だけは記憶にある、そんな感じの記憶喪失らしい。仕様する言語と知識の齟齬と彼女にとっては少し苦痛かもしれないが、俺からしたら楽な部類である。想定していたのは赤子に言葉を教えるみたいなものだ。きっと彼女が日本言語を理解する前に俺が肉体言語で消されるんだろうなぁ…
思案しているとすぐそばに戦艦棲姫が来ていた。どうやら考えすぎで彼女が風呂から上がったことすら気づかなかったらしい。
「コレデイイノカシラ」
と服の袖を通してこちらへ見せてきた。今彼女がきているのは俺の学校用のジャージである。
彼シャツだとか彼パーカーに通じる背徳があり少し逡巡したが、驚いたのはそこではない。
「俺、体の拭き方、教えたっけ?」
てっきり服の着方、服のことしか伝えてなかったので、ずぶ濡れでここまで来るかもしれないとふんでいたが、侮りすぎであったかもしれない。
「貴方ノイウ服トハチガウモノガアッタワ。ナラソレハ水分ヲフクモノネ。」
「なるほど、髪は時間かかったんじゃないのか?」
「髪…アア頭部装飾部ネ。タシカニ手間ダワ。」
頭部装飾部…?と宇宙猫になったがスルーする。
彼女は漆黒の艶がある、風呂上がりで湿った髪を前に流して未だタオルで拭き続けていた。ほのかにシャンプーのいい香りがこちらまで漂ってきて心地いい。女子の風呂上がりの破壊力は凄まじいらしいがここまでとは…、
と煩悩まみれの思考を振り払い、ドライヤーの使い方を教えていなかったのはこちらの落ち度だと思う。というか、俺、抜けがありすぎではないか?
まあ常識を教えるという行為はなかなか辛いものだ。
「ドライヤーっていうんだが、まあ大体髪を乾かすのに使うんだぜ」
一旦腰を上げ、洗面台から実物を持ってきて使用方法を実演してみせた。彼女に渡してみると、少しジロジロと眺めた後、小慣れた手つきで髪を乾かしていく。…やはり適応が早いな。
「コレ、拳銃ノタグイカトオモッテサワロウトモシナカッタワ…」
髪が早く乾いていく様子がおかしいのか、その利便性に驚いたのか、満足そうに髪を撫でつつ俺に話しかけてきた。
「日本では普通拳銃は家にねえんだよな。」
拳銃は知ってんのかよ。
と、そこまで自分でいい、はっ、となった。待てよ、常識ってのはそこからではないのか?日本、地名、土地、交通。頭が痛くなってきた。
人は野生の時と比べ、現代では勝手には生きれない。特に日本では治安の問題でみんな意識してないものの、規律はそこかしこにあり、無意識に守っているものらしかった。
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「はい問題、争いや不快なこと、犯罪に巻き込まれたらどうすればいいでしょうか?」
「殺スワ」
「アウトーーーーー!やめてね?!やめろよ?!答えは適当に流すか、しつこい場合は警察です。」
「ケイサツ?」
「ああ、治安維持機関的な…」
「憲兵ミタイノモノネ?」
(憲兵は知っているのか…)
ーーーーー
「信号機は赤になったらどうすればいいでしょうか?」
「止マル…ノヨネ」
「なんでかわかるか?」
「車両ガアブナイカラデショウ。デモコノ程度ノモノニブツカラレテモ人間ハ死ナナイデショウ?」
「死にまーーーーす!死ぬんだよ!そうだよそこ!人は脆くて弱えんだよ!そうそう、あんまり力込めすぎるとほんとなんでもぶっ壊れるから。」
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「貴方トノ会話、ヨクワカラナイ単語ガ多イワ」
「うーん単語だけならこの辞書…でも持っておくか?待ってな、持ってくる」
「?」
ーーー夜は更けていく
ーーーーーー
ひと通り会話し終わった後にはもう夜は明けそう、いや明けていた。
辞書を渡したことで、会話の速度、質は格段に向上。戦艦棲姫は片手に辞書を持ち、何かワカラナイことがあればすぐに引いて調べていた。スマホを持たせた方が良さそうだが要らん知識を持たれると困る。
「人間気に入らん、殺す」となればもう止めることはできない。
いわば人類の進退は俺にかかっていると言っても相違ない。
胃であったり頭が痛いのは完徹のだけのせいではないのだろう。会話を終えても彼女は座り込み、延々と辞書を読んでいた。
いつものルーティンをこなすと、いつもどおりの登校時間がやってきた。
家に留守番されるのは少し気がひけるし、かと言っても皆勤無遅刻である学校には通っておきたいので休みたくはない。
完徹なんて久しぶりなので体調の悪さは天元突破していて辛い…
手で自宅の鍵と自転車の鍵を遊ばせながら、部屋に隅で未だに本だらけの空間に中心で本を捲る彼女に学校に行ってくる旨を伝えた。
辞書だけでは一日足りなくなるだろう、と厳選しておいた無害そうな本を渡しておいたのだ。
ちゃんと話を聞いていたのかなんらかの単語を辞書で確認すると、こちらを向いた。
「外ニ出テイイノカシラ」
「うーんそれは…」
彼女の姿を一眼見てなかなかの難しさに悩む。まず角、ここが一番の問題である。
クローゼットに向い、つばが広めで、ちょうどいい帽子を見繕う。
…あった。俺は使ったことがないが、つばがかなり広くなんだか都市伝説の八尺様がつけてそうなデカめの麦わら帽子だ。
「これでもつけといてな。マジでその鬼っぽいのバレると俺なしだと対処がつかん」
と、彼女に被せる。彼女は身じろぎも抵抗もせず、辞書を捲り続けていた。
あとは常識だ。
「人は?」
「今ハ殺サナイワ」
(今は…?)
「赤信号は?」
「車ガ来ナイカ確認シテ、青デ渡ルワ」
「襲われたり、攻撃されたら?」
「相手ガ死ナナイ程度ニ抵抗スルカ、警察ニ相談スルワ。」
「俺んちの住所はわかるよな?」
「ソウネ」
「人は?」
「弱イ、脆イ、力ヲイレスギナイ。」
「もし人外なのがバレたら?」
コレは初問題だ。わかるかな?
聡明な彼女なら前問題を前提とした…
「フム…。証拠隠滅ノ為ニ殺スワ」
正解でしょう、とどこか自信げな彼女の頭を「アウト。」と少し小突いた。
ーーー
いつもの通学路を燦々と太陽が照る中、自転車で疾走する。早く家に帰りたい気持ちがもう既にあった。
深夜のやりとりを思い出し、自然と頬が緩む。ーー待ち望んでいた非現実。
噛み締めれば噛み締めるほど、ニヤケが止まらない。彼女とどこへ行こうか、彼女になにを教えようか、この世界中の素晴らしいところを彼女に紹介したい。
俺の中では既に様々な妄想が湧き上がってくる。
もう少し速度を上げて、立ち漕ぎで
「ぃいやったああああああ!!」
俺の体は風を切って、渾身の叫び声は太陽光を煩わしいほど反射する海に吸い込まれていく。
二度目の高一夏、多分今までで一番幸せだった。
ーーーーーーー
何やら騒がしく、俺の意識が覚醒していく。
「やっぱ寝ちまったな…」
いつも睡魔に悩まされているのに完徹済みのコンディションで耐えれるはずもなく、醜態晒して突っ伏していたみたいである。
しかし、俺の深い眠りを覚ますほどここまで騒がしいのは初めてで、目をこすりながら話題についていこうと隣の席の友人たる勇樹に聞いてみた。
「なにをこんなに騒いでんの?」
「いやわかんねえ…」
死にかけたような声に勇樹の覚醒しきっていないアホヅラを見る限り、こいつも俺と同じクチで、この騒ぎで起こされたらしい。時計をみるとちょうど昼飯前であることがわかる。
と、興奮冷めやらぬと言った様子で姦しく談笑する様子の同クラスの男子になにがあったか聞いてみることにした
「うるせえけど何かあったんか?」
「いや、ウメハラって名前のこの学校のジャージつけた見たこともないようなすんげー美人のおねーさんがさぁ!誰かに弁当届けてきたみたいで、んでめっちゃ大騒ぎになってそこにいたカケルがスピードナンパからの玉砕してさぁ!」
となにやら喚き立てているが要約するとクラスの女子から大人気で有名なイケメン男子ことカケル…翔くんがよくわからん美人女生徒に無事玉砕したらしい。どうやら自信満々に話かけたのに終始無視された様子が滑稽だと普段彼のモテ具合を嫉妬と羨望の眼差しで見ていた男子どもからしたら抱腹物らしい。
なんて醜いのであろうか。
ウメハラっていうと実は自分の苗字も梅原であり、そんな美人であったなら同姓である自分なら覚えていそうなもんではあるが、とも思ったが、この学校はマンモス校だ。(死語)
まあそんなこと程度か、と再び訪れた眠気に身を任しそうになる。
と、再び教室が騒がしくなる。
お前ら本当にきついで、と苛立ち半分興味半分で寝れそうにない。うるさすぎて聞き取れんかったが、件の人はどうやら探し他人を巡って教室を巡回しているらしい。んで次は俺らの教室なんだとか
名前知らんのに弁当持ってきたんかよ笑と思いつつヒートアップする教室。
寝れるわけもないので便乗して引き戸を注視。男子も女子もわれ先に、と窓際による。
青春だな〜。おじさんには眩しいよ…
ガラ、と扉があき、彼女の姿が見えた。
クラスは湧き立ち、男女両方の黄色い声が騒がしい。
「ブーーッ!? ファッ?!」
多分初めて噴き出した。梅原、と刺繍された学校ジャージは間違いなく俺ので、大きめの麦わら帽子のも俺の。うーんミスマッチ。
恐ろしく色白い肌に、艶やかな漆黒の髪はやはり前で纏めている、絶世の美女の眼差しは俺の事を捉えていた。
うーんどこからどう見ても戦艦棲姫なのでした。
ifも描きたいですね。筆が載ります。まだ勉強中です。誤字報告ください
話の割合
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日常、コメディ
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不穏さ、シリアルさ
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展開が素早い群像劇