五百年前、悪魔によって人類の二割が殺し尽くされた。
年々力を増し続ける悪魔達。
その侵攻を止めるべく、人類は一丸となりその兵器を作り出した。
宙より降り注いだ隕鉄。
太古の王たる龍の骸。
星の内側で鍛えられた鉱石。
考えられる最高の素材を使い、製造の過程で当時の最高の魔術師達が幾重にも魔術を折り込み作られた武器。
魔力を用いずとも使用者に剛力と、悪魔が持つ『権能』の如き超常の力を齎す。
何故か刀剣の形でしかその力は安定せず、この兵器は全て刀剣の形を模している。
この武器が生み出されてから僅か百年。
数千年の間繰り広げられてきた人類と悪魔の戦いは、悪魔の激減によって幕を閉じることとなった。
たった百年で、現存する悪魔の八割が殺し尽くされたのだ。
悪魔を殺す剣、故に魔剣。
人類に平和と勝利を齎したその武器は──────後に歴史上人類を最も殺戮した武器となった。
生命の天敵たる悪魔をたった百年で絶滅寸前まで追い込める兵器だ。
その力に人が溺れないわけが無い。悪魔に脅えることの無い夜を過ごし、朝を迎えた時、まず最初に皆が魔剣の所有権を言い争い、剣を抜いた。
その後の事なんて、その目で見ずとも誰でもわかるだろう。
種族にとって共通の敵を倒し、天敵の居ない世界を手に入れた人類は。
かつてないほどに争いと混沌に満ちた時代に生きていた。
◆
「なるほどねぇ。そんな大層なものには思えないけどねその剣」
「アイラさんがおかしいんだよ。普通誰だって触ればわかる。勘がいいやつは見ただけ、近くにあるだけで気付く」
「魔剣ねぇ……こんなのが?」
「アイラさん、声がデカい! 聞かれたらどうするんですか!」
「むぐっ、誰が聞くんだよこんなところで」
少年は慌てた様子で私の口を塞いでくる。
聞かれるったって、今私達は馬車の中に二人きり。御者の男も気分良く鼻歌を歌っていて、こちらに意識を向ける様子は一切ない。
……と言うよりも、私達を心のそこから信頼している。
故に、意識を向けるなんて発想すらないのだろう。
ちなみにどうやって馬車に乗ったかと言うと。
1.街道沿いで魔物や獣を捕まえながらひたすら待つ
2.馬車が通りかかったらそれらを放つ
3.襲われてるのをしばらく眺める
4.馬車が壊されたり、御者が殺されそうになったら助けに入る
と言うお手軽恩売コンボだ。
長距離移動の度にお世話になっている。
「御者は私達のことを心から信頼している。そもそもこんなに揺れる馬車の中でコソコソ話なんて無理だろう?」
「心から信頼って……あんな方法しといてよく言うよ」
「合理的だろう?」
「人の心がない」
そんなもの持ち合わせてないよ、エルフだもん。
一応、命の恩人である私に対してなんと言う口の利き方と思ったが、そう言えば敬語はむず痒いからやめろと言ったのはこっちだった。
だと言うのに、一応私の名前はさん付けして呼ぶとは、丁寧と言うよりはなんというか、律儀な少年だ。
……前にも、こんな人にあったことがあるかもしれない。
「仕方ないじゃないか。追手が来る前にあそこを離れる必要があったし、私には現代の知識が一切ない。少しでもまともな人間とは交流して情報を集めておきたい」
「またそれだよ。現代の知識がないって、アイラさんは何歳なんだ?」
と、少し会話の中に違和感を覚える。
年齢は明かしていないが、それとなく私がエルフであることは伝えたし、そもそも今は耳を隠していない。
実際のところ、年齢は覚えてないしその話は嫌いなので察して貰おうと、横に伸びた耳の縁を辿るように指で撫でる。それを何度も繰り返しながら、少年に見せつける。
「…………」
「…………ッ」
なんか顔を赤らめて目を背けられた。どういうこと?
私は自分の容姿が人を惹きつける事はある程度自覚している。だが、今の耳を撫でる仕草に顔を赤くする要素ってあったかな?
まぁ少年の年齢は九歳だと言っていたからね。きっとまだ女性と話すだけでも恥ずかしいお年頃なんだろう。
「コホン。何が言いたいかと言うと、さっき言った通り人の心とか考えている余裕は無いってこと」
「人道に悖る事をして鬼畜に成り下がる訳にはいかない」
しかし、年相応のところが見えたと思ったらすぐこれだ。
揺れる馬車の中であることを忘れてしまうくらい、真っ直ぐと私の瞳を見つめて少年はそう答えた。
幼い頃から自我が強く、一本筋の通った子供は嫌いじゃない。
嫌いじゃないが、好きでは無い。
そして私はこの少年のことがそれなりに好きだ。
「だが、殺したいんだろう?」
「……」
「理由が在ろうと、殺人は人道に悖る行いじゃないのかな?」
少し考えたあと、少年の瞳からふっと光が消えるのが見える。
ああ、そうだ。これだ。私はこの少年の、こういうところが好きなんだ。
「……それもそうだ。わかった、アイラさんのやり方を尊重する。手札がない以上は使えるものは何でも使わなきゃだな」
この少年は大切な物を捨てられる。
結局一番強いのはそういう人間なんだ。
「いいのかな? 大切なことなんじゃないの?」
「それでも、俺は必ずやり遂げなくちゃならない。───全ての魔剣と、それを使う剣士を破壊する。その為にはアイラさんのように強くならなくちゃならない。俺には、手段を選んでいられるような余裕なんてないんですから」
短い付き合いだが、少年が正義と平和を愛する心優しい人物であることは伝わってきた。
だからこそ、彼は剣を取って戦える人物なのに。
それなのに、その上で。彼はその剣を取った理由すら捨てることが出来る。
修羅の才覚を持つ少年に、争いの火種である魔剣とやら。
少年の持つそれと、殺した男から回収した風を呼び起こすそれ。私には使えない代物だが、『餌』としては十分だろう。
これを巡る争いの中で、少年はきっと私の想像を超えた成長をしてくれる。
或いは、この魔剣とやらを使いこなした人間と会えるかもしれない。
悪魔は中級までならまだしも、上級の個体ともなれば私だって勝率は四割。それをただの人間が、百年でほぼ根絶させるまでに至る武装。
それが真実ならば、魔剣を使いこなした『剣士』とやらは、間違いなく私が知る戦士の中で最も強い。
「うん、その意気だ。少年はきっと強くなるよ。私なんかよりもずっとね」
「……俺、何か面白いこと言いました?」
この点に関しては、少年が歳の割には聡明だったのも非常に助かった。
何せ、私に代わって交渉事やら何やらはやってくれたし、おかげで私も現代の常識を学ぶ時間が増えた。
「さて、今日からここが私達の家だ。少年は住居がないと死んじゃうくらい弱いからね」
「大抵の人間は住居がないと死ぬんだけど」
魔剣狙いの相手を倒すにしても、少年を育てるにしても、住居は必要なものだった。
転々としていては相手とすれ違い続けてしまうかもしれないし、移動し続けるのはなんだかんだ疲れる。
私はともかく、疲労したところでうっかり少年が殺されたりしてはつまらない。
それに、修行を本格的にやるならどの道少年はまともに動けなくなるだろうから、この方が合理的だ。
……と、私の師匠心たっぷりの山小屋なのに、それを見る少年の目は非常に冷たかった。
「なんだいその目は?」
「この家が建つまで何人がアイラさんが起こした災害で無駄に傷つき、それを知らずに貴方に感謝してるんだろうなぁって思うと、この家がおぞましいものに見えてくる」
「豪奢な建物はいつだって人々の血税の上に立つものさ」
「結構質素ですけどね」
さすがに人間と言う生き物は、命の恩人だからといってその人に全てを捧げられるほど無欲でもバカでもない。
しかし人里離れた山小屋一つ用意してくれたのは随分と気前がいいと言えるだろう。やはりあの金持ちそうで間抜けそうな商人を揺すって見たのは正解だった。
「少年、強くなりたいなら手段を選んでいる余裕は君にはあるかもしれないが、残念ながら時間は無いぞ」
「……わかりましたよ」
私のやり方を一から十まで認めている訳では無い。
だが少なくとも、この分なら強くなれたという実感が湧くまでは言うことくらいは聞いてくれるだろう。
「さてと。明日からは本格的に鍛錬を始めるし、今日は早く寝るとしよう」
小屋の扉を開け、一歩中へと進む。
何となく、懐かしい空気が肺の中を満たした。
後ろを振り返ると、どこか入るのを躊躇っている少年の姿がそこにある。
「そうだ、家に入る時には言うことがあるんじゃないかい少年?」
赤い髪が、いつかの誰かに重なった。
「ほら、遠慮しなくていいんだから」
ずっと、その言葉を言ってあげたかったのに。
「ここはキミの……キミと私の家なんだよ?」
「……」
「遠慮しないで。これから先、何度も私がキミを出迎えるんだから」
私は結局、あの人とこんなやり取りはできなかった。
笑顔で帰ってきてくれるあの人に、こんな言葉をかけてやりたかった。
……いや、あの人って誰だ?
私は一体、何を思い出しているんだ?
ズキンズキン、と。
脳が内側から悲鳴をあげていく。
思い出そうとする度に、それを全てが拒絶する。
体が、心が、魂が。それを思い出してしまわないように叫んでいる。
なんで私はこんなことをしているんだっけ?
なんで私は彼を拾い、育てようとしているんだ? そんなの、私が幸せになる為にで、彼といつか殺し合うためにで、それで───。
「───ただいま」
「……おかえり、少年」
それ以外に理由なんて、あるはずがない。
綺麗な作り笑顔を貼り付けて、私と少年の生活は始まった。
◆
アイラさんは自分のことを何も教えてくれなかった。
加えてはっきりいってこの人は外道だ。多分、人の心をどこかに捨ててきてしまった鬼だ。
でも、俺とアイラさんの関係はあくまで師弟。
あの人は決して、憐れんだり善意で俺を弟子にしたのではない。
だがそれをとやかく言う権利は俺にだって無かった。
『この剣は絶対に悪しき者の手に渡してはいけない』
代々伝わるその教えを守る為に、父さんは死んだ。
俺に残ったのはこの体一つと剣だけ。
でも悪いのは父さんでも、この剣でも無いことはわかっている。悪いのは、ただこれを狙う悪しき者共だ。
こんな剣も、それに惑わされるような奴らも、全て消えてしまえばいい。俺にあるのは、そんな憎しみだけ。
俺は復讐の為にアイラさんを利用する。
アイラさんもまた、あくまで自分の目的の為に俺を育てる。
それ以上でもそれ以下でも──────。
「おぇ、ひゅ───は、ひゅ……」
何もかも吐き出すかのような呼吸を繰り返しながら目を覚ます。
いや、多分あの人俺の事殺そうとしているな。
一日目は意識が飛ぶまで姿勢を意識して剣を振らされ続けた。
その後も、どう考えても死ぬような訓練の内容しか言わなかったし、アイラさんはほぼ間違いなく俺に殺意を向けている。
逆にあれで向けていなかったらおかしいくらいだ。
どれだけ俺が苦しそうにしようとも、アイラさんは決して心配したりしない。
「この程度で死ぬなら別にそれでいい」とでも言わんばかりに、冷たい目で俺を見下ろしていた。
心配して欲しいわけなんかじゃないけれど、それが心底恐ろしくて、同時に嬉しかった。
この人は俺に優しくしたくて弟子にしたんじゃない。
ただ俺を強くすることしか頭にない。
だからこそ、この人の元でなら俺は強くなれる。アイラさんのように強くなって、この世の剣士を一人残らず殺し尽くすことが出来る。
……それだけだ。
俺とこの人の間にはこれしか繋がりはない。
俺が弱ければ、諦めれば。アイラさんは迷うことなく俺を捨てるだろう。
俺が怖いのは、そうして捨てられればもう父の仇も、魔剣の破壊も敵わなくなるという、ただそれだけ。
きっと、それだけなんだから。
だってあの人は、一度として俺の名前を呼んだことがない。
俺とあの人の関係は、そういうものなのだから。
◆
「───ン」
ふと、夜中に目を覚ます。
何か嫌な夢でも見ていたのか、目元が湿っている。
私は今、誰かの名前を叫んだ気がしたけれど、それが誰の名前だったのかを全く思い出せない。
エルフに睡眠はあまり必要ない。
だから、滅多に寝ることは無いし寝れば決まって悪夢を見る。膨大な時間の中で溜め込んだ記憶の整理が、脳を引き裂く勢いで行われるのだ。
……気分が悪い。
吐き気がするし、目も眩む。
外の空気を吸おうと小屋から出ようとして、外に自分以外の気配があることに気づく。
深呼吸をして、意識を切り替える。
ちゃんと師匠らしい顔を作ってから、扉を開けた。
「何しているんだい、少年」
「……眠れなくて、外の空気を吸おうと思って」
少年の返事はぶっきらぼうなもので、どこか距離を感じる。
それはそうだ。
私は彼にとって、毎日虐待当然の修行をさせてくる他人でしかない。まぁ、彼がどう思おうが極論どうでもいい。彼が私から離れる選択さえしなければ、幾らでも彼を強くすることは出来る。
そして、彼は私から離れない。
何せ強い欲望があり、願いがある。その為に私達はお互いを利用しているのだ。
「早く寝ないと明日の修行に響くよ」
「……寝たくないんだよ」
「どうして?」
「嫌な夢を見る。父さんが殺されて、一人になった時の夢」
トラウマと言うやつか。
人間の心は繊細だから、眠る時の記憶の整理で昔のことを思い出し、その時の悪感情が今起きたことのように感じられてしまうことがある。
私はエルフなのでその辺の感覚は分からない。私の見る悪夢は彼の見るトラウマと違って、単純に情報量が多すぎて逆に脳が疲労し起きるものだ。
だから私に彼の気持ちなんて分かりっこない。人間の幼子の気持ちがわかるなら、きっと私は彼にこんな酷い修行を強いたりしていない。
でも、彼には寝てもらわなきゃ困る。
ちゃんと寝ないと体が発達せず、将来的にはマイナスになる。今は修行の時間を多少割いてでもちゃんと寝て欲しい。
だが子供を寝かしつける方法なんて、生憎子供との触れ合いは殺すか殺されかけるかしか記憶にない。
いや、待て。
確か前に読んだ本に一つだけあったはずだ。
「一緒に寝る?」
「は?」
「不安なんだろう? 傍で寝てあげよう」
そして、私は少年とひとつのベットに身を寄せあっていた。
無言で頷かれたからこれでいいのかなって思ったけど、これで本当にいいんだろうか。
お互い仰向けで天井を見つめ、どうにか眠ろうとするがいまいち眠気が来ない。というか変に緊張して眠れる気がしない。
「アイラさんは……」
「うぇ!? え、あ、何かな少年!」
「……いや、なんでもない」
めちゃくちゃ気まずい。
しかも少年は目をバッチリ開いて眠る気配がないし、これではなんの意味も無い。
そう言えば子供は抱きしめてやると安心するとも本で読んだことがある。
しかしいきなり抱きつかれても不信感の方が勝るだろう。
だからせめて、と腕を動かして彼の手を握りしめる。
「なんですか、急に」
「いや、こうするとさ──────」
『こうすると、安心するだろう?』
握り締めた掌から、人間の体温が伝わってくる。
いまここに、私の隣に誰かが居る。誰かが生きているという確かな確証。
「……こうすると、よく眠れるんだよ」
「そう、なのか?」
「うん。そういうおまじない」
目を閉じているから、少年がどんな顔をしているかは私には分からない。
でも何となく、安心してくれるといいなと思っている。だってそうしてくれないと、ちゃんと寝てくれないと強くなれないから。
私が彼に求めているのはそれだけ。
それだけなのに、この夜は随分と久しぶりに悪夢に魘されることは無い夜だった。
握り締める手が震えていた。
傍で寝てあげる、とか言って一緒に寝ることを提案してきたのはアイラさんの方なのに、先に寝たのもアイラさんだった。
いつも感情の見えない笑を崩さない彼女も、寝ている時ばかりはそうはいかないのだろう。
まるで何かから逃げるように、酷く怯えた顔で魘されている。
俺は彼女のことが分からない。
俺は彼女のことをこれっぽっちも知らない。
でも、今こうして俺の手を握ってくれるのは、彼女だけだ。
冷たくなっていく父さんの腕の体温を思い出し、思わず握る手に力を込めてしまう。
大丈夫、アイラさんはここにいる。きっと、朝起きたって彼女の体温はここにある。
そう思えば、少しだけ安心できて眠れるような気がした。