「リューガくん。ずっと……いや、もう少しだけここに居ない?」
旅立ちの朝、レノンにそう言われた時、俺は正直反応に困った。
半年もずっと一緒に居たため、レノンのことは家族同然に思っていたし、だからこそ少しだけ苦手だった。
俺が初めてレーゾンさんに勝った日。
あの日から、レノンは剣を握るのをやめた。理由なんて聞けるわけが無いけれど、多分俺のせいだ。
「てっきり、レノンは俺が居なくなってせいせいすると思ってたものだが」
「なんでそんな事言うの? 私はリューガくんのこと、家族同然に思ってるよ?」
少し怒った感じでそう言われて、余計に返答に困ってしまう。
悪く思われていなかったことは安心するが、それはそれとして気恥ずかしい。
「ありがたいけど、俺にはやらなくちゃならないことがあるんだ」
「それって、本当にリューガくんがやらなくちゃいけないことなの?」
「……うん」
父さんが遺したこの魔剣だけが、俺の知る限りで魔剣を破壊できる唯一の手段だ。
だから俺がやらなくちゃならない。俺が必ず、全ての魔剣を、魔剣を使い弱者を蹂躙する悪鬼共を殺さなくちゃならない。
「……リューガくんの、命に替えても?」
「───ッ」
言ったことは無かったはずだ。
レーゾンさんやレノンには、俺が強くなりたい理由は言わなかった。何となく、それを言うのは憚られた。
二人はいい人だから、それを言ったらきっと、俺に剣を教えてくれなくなる気がして。
「いつから、気付いてた?」
「何となく、かな。ずっと一緒に居たから」
「そうか……」
「リューガくんくらい強いなら、きっともう大丈夫だよ。君が命を懸けてまで、戦わなきゃいけない理由があるの?」
「理由は無い。けど、俺はそうしたいと思うんだよ」
父さんが殺された時も、自分が死にかけた時も、ずっと俺は疑問があった。
どうしてこんなことになってしまったんだろうって、理由を考えていた。でもきっと理由なんてないんだろう。
他者を傷付けることに躊躇いがない奴に、理由なんて聞いたところで無駄だ。他の命を尊べる人間ならばそもそもそんなことはしないのだ。
悪意には理由が無い。
だからこそ、俺も強くならなくてはいけないんだ。
「相手の強さに理由がないなら、俺も理由に依る強さだけじゃ勝てない。そう、思ってた。……でも」
「でも?」
「理由があった方が強くなれると思った」
父さんを殺した相手を、当たり前の平穏を奪う悪を殺し尽くしてしまいたかった。
でも今は、少し違うかもしれない。
「レノンやレーゾンさんみたいな良い人を、命を懸けて守りたいんだ。そうしなきゃきっと後悔する」
そして何よりも、アイラさんを。
俺はあの人を一人にはできない。何もかも失った俺に手を差し伸べてくれたあの人だけは、一人にしたくないんだよ。
「もしもレノンの身に何かあったら、直ぐに駆けつける。だから、ごめん」
「……わかった。でもその代わり、何かあったらちゃんと助けに来てね。待ってるから」
「残っても良かったんだよ?」
帰り道、突然アイラさんにそんなことを言われた。
「……聞いてたのかよ。趣味悪いな」
「あの子の言う通り、鍛錬を怠らなければ少年ならきっと平穏な一生を過ごせるよ。あれだけ治安の良い街で暴れようとする剣士だっていないだろうし」
「でも、俺がそれを選んだら、世界のどこかで誰かが泣いているかもしれない。そんなことを考えながら生きるのはきっと、とても辛いことだから」
誰にも俺のような思いをさせない為に。
守りたいと思えるような平穏を守る為に。
そして、いつかそこにアイラさんの居場所ができるように。
「俺は強くなりたい。貴方の下で」
「まったく。いつかきっと後悔するよ」
「大丈夫だよそれは」
だって今日まで辛いことも苦しいことも沢山あったけど、アイラさんと出会ったことに、後悔だけはなかったんだから。
次の日、俺とアイラさんは再び街へと戻ることとなった。
聞いた話が嘘であって欲しいと、息を切らして駆け抜けた。
街に入り、半年の間ですっかり体に染み込んだ道を走る。そうして辿り着いた場所は、半年間俺が暮らしたレーゾンさんの家。
「……アイラさん」
「魔剣を持った剣士の仕業だね。魔剣の気配は専門外だが……間違いない。まだこの街にいるよ」
人集りの先には、半壊した家屋。
中は鮮血で彩られ、降りしきる雨を以てしても、こびり付いた赤を流すには至らない。
鼻腔を刺激する鉄の匂い。そんなものが気にならないくらいに、目に映る情報があまりにも暴力的だった。
辺りに飛び散った肉片を寄り合わせれば、丁度人間の男一人分になるだろうか。かつて生きていた人間のものであった生首が目に映る。
レーゾンさんが殺されていた。
魔剣を持った剣士に、殺された。
「アイラさん。俺の魔剣を解き放つ」
「待て」
静止の声を無視して、俺は魔剣の封を解く。
一般人は気付かないだろうが、剣士ならば間違いなくこれで魔剣の気配に気付くはずだ。
「……はぁ、自分が何をしてるか、わかってる?」
「レーゾンさんを殺した剣士が魔剣を持つならば、これで飛びついてくるはずだ」
「だから落ち着けと言っているんだよ。レーゾンは少年に四割でかてる男だ。それが見ろ、あの惨状だ」
事件現場は明らかに戦闘が行われた様子ではない。
一方的だ。
レーゾンさんは一方的に、ろくな抵抗も出来ずに殺された可能性が高い。
「勝てるのかい? こんな街中で、他の人間のことなんて気にせずに攻撃してくるであろう相手に」
恐らくは勝てない。だが勝てないことが戦わない理由にはならない。
レーゾンさんは良い人だった。
あれだけ強いのにその力を自分と、大切なものを守る為だけに使うと決めていた。その方法を見返りも求めず誰かに教えていた。俺にだって、本当の家族のように優しくしてくれた。
その人が殺されたんだ。
ここで戦わなければ、その相手を殺さなければ俺が強くなった意味は無い。
「勝ちます。勝てないなら死んだ方がいい」
「はぁ……。二手に分かれる。少年は娘の方を見ておいてやってくれ。彼女が狙われる可能性がある」
「アイラさんは?」
「少年が構えて、私が追う。そして最後は挟み撃ちだ。何かあったらすぐに呼ぶんだぞ。───独り占めなんて狡い真似はしないでくれよ?」
愉しそうに笑いながらその場から去っていくアイラさんの笑みが、この時ばかりは憎らしく思えた。
だが、おかげで少し思考は冷静になった。
レーゾンさんは魔剣を所有していない。半年間同じ屋根の下に魔剣があって気が付かないほど俺も馬鹿では無い。
彼が強い剣士であることを踏まえても、それなら室内ではなく外に誘き出して戦闘態勢になってから殺す、というのが一般的な魔剣を持つ戦闘狂にありがちな思考だ。
破壊痕から推測するに、わざわざ室内に入り、レーゾンさんごと家を斬り倒したというのが犯行の手口だ。
このやり方なら、怨恨からの殺害という線も可能性がある。そうなれば次に狙われるのは、彼の娘であるレノンかもしれない。
その場合は俺が対処し、アイラさんを待つ。
そうでないならばアイラさんが追い立て、俺が加勢する。
俺一人で勝てる相手では無いのは明白だ。だがこうすれば、被害を減らしつつ高い確率で犯人を見つけることが出来る。
アイラさんを信じて、まずはレノンを……。
「……リューガくん」
「レノン……」
探そうと思ったが、それよりも早く向こうの方から俺を見つけたようだった。
雨の中でろくな雨具を身に付けず、ずぶ濡れになりながら彼女は俺に抱きついてくる。
「お父さんが、お父さんが……」
「ごめん。駆けつけるって言ったのに。でも、お前は俺が必ず守る」
「うっ、うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
レノンの叫び声が雨音をかき消す。
何故彼女が泣いているんだろう。
彼女が何か悪を成したのか? 因果応報に相応しいことをしたのか? ただ平穏に生きていたはずの彼女が本当にそんなことを?
そんなわけが無い。
犯人の事を許すつもりは無いが、たったひとつだけ感謝しなければならないことがある。
もう俺は、絶対に奴らを許さない。
何があっても一人残らず、魔剣とそれを持つ剣士は根絶やしにする。
◆
想定外もいいところ。今の少年では勝ち目が無いような相手が、まさか向こうの方から現れてしまうなんて。
半年共に暮らせば、人間は相手に情が湧く。
そして少年は当然のようにかなり怒っている。普段は冷静なのに、魔剣が関わるとすぐに感情的になってしまうのは、彼の悪い癖だ。
どうしたものかと考えながら、屋根伝いに街を跳び回る。
私も持っている風の魔剣の封を解き、走り回ってみるが向こうの気配が動く感じはしない。
少年達、というか人間は魔剣特有の『波長』でその存在を認識するらしいが、私はそういうのが全く感じ取れないので、経験則からの殺気やら敵意で感じ取る。
ほぼ間違いなくこの街に犯人はまだ潜伏している。
だが、私の魔剣には全くと言っていいほど反応していない。
魔剣にも強弱があり、私の風の魔剣は相当な逸品のようだし食いつきはいいはずなのだが。
或いは、少年の『魔剣を破壊できる魔剣』というのがこっちの風の魔剣よりもレア物なのだろうか。
推測はいくらでもできる。
けれどこういう推測というのはいつだって役に立たないものだ。
少年は本当の意味で理解していない。
いつだって、大切なものが奪われる時、そこに理由は存在しない。存在したとしても、それは私達が合理的に理解出来るものでは無い。
悪意に根拠なんて求めるだけ無駄であり、私達はいつだって与えられた結果を踏まえて生きるしかない。
……こんな風に考えるようになった理由も切っ掛けもよく覚えてないけれど、忘れてしまえている方が幸せだと思えるくらいには、きっとろくでもない。
できるなら今回は穏便に、少年を巻き込むことなくことを済ませたいけれど。
……できるかなぁ。
相手は強いし、ここは街中。
加えてこれだけ強いとなると、私もつい愉しくなって他のことを忘れてしまいそうだ。
◆
レノンからの進言もあって、衛兵の人は納得してくれて、俺がレノンの護衛をするのを許してくれた。
幸いにも、衛兵の人はこの街の滞在中に何度か話をしたことがある人だったのも大きい。
「…………」
二人きりの部屋で、レノンはただ呆然と虚空を見つめている。
父親があんな無惨な殺され方をしたのだ、無理もない。その姿を見る程に、自分の不甲斐なさが身に染みる。
駆けつけると約束したのに、その為にレーゾンさんから剣を教えて貰ったのに、何も出来なかった。レノンの言う通りあと少しだけでもこの街に残っていれば、この惨劇は避けられたかもしれない。
「あまり、自分を責めないでねリューガくん」
「……悪い、気を遣わせた」
「リューガくんが居たら、もしかしたらリューガくんも殺されてたかもしれないもん。こうなったのは辛いけど、そうならなかったのは、良かったもん」
「無理に良かったと思う必要なんてない。これは悪いことだ。あってはならない事だ。絶対に、許しちゃならないことだ」
そこまで言って、相手がレノンであることを思い出す。
また怒りで我を忘れそうになっていた。彼女の顔を見ると、やはり俺の言葉に少し圧されてしまい、居心地が悪そうに俯いてしまった。
「ご、ごめん。傷付けたい訳じゃなくて、……ごめん」
「ううん、わかってる。お父さんが殺される理由なんて、なかったもん。それを仕方なかったって、そう思うしかないって、私一人じゃ、そうやって思うしかないって……」
ポロポロと、レノンの瞳から涙が零れていく。
「ありがとう、リューガくん」
「こんなことしか出来ないけど、必ず仇は取る。絶対にお前を死なせない。今ここで、お前にそれを誓うさ」
「信じるよ。だってリューガくんは、私が知ってる人の中で一番強いもん」
少しだけレノンの表情に元気さが戻り、俺は安堵の息を漏らす。
ふと窓の方を見ると、そこにはアイラさんが張り付いていた。
アイラさんが邪魔でよく見えないが、その雨はまだ止む様子は……。
「何やってんだ?」
「え、えぇと……」
「大丈夫だよレノン。よく見ればアイラさんだから。不審者……ではあるけど怪しくは無いから」
「あ、ほんとだ」
とりあえず開けてほしそうな顔をしてたので窓を開ける。
さすがに無理やり部屋に入って来るようなことはせず、アイラさんは窓の外から簡潔に言いたいことだけ言ってきた。
「剣士の気配が街から離れた。だがこちらに意識を向けたままでいるのは確かだ。引き続き警戒はする必要があるけど、多分長期戦になる。少年は今は寝ておくといい」
「何かあってからじゃ、遅いだろ」
「私を信じたまえ。それじゃ、レノンちゃんをよろしくね」
質問なんて許すこと無く、アイラさんは屋根伝いに跳んでいってしまう。
変なところはあるけれど、アイラさんは俺にとって最も信頼できる人だ。少なくともこういう時にわざわざ嘘を言う理由はあの人にはない。
「そういうわけで、またしばらく厄介になるかもしれない。レノンも疲れただろう。今夜はもう休むといい」
そう口にしたが、父親が殺されたばかりで自分も命を狙われているかもしれない状況。そう簡単に眠れるわけが無い。
「そっか。じゃあおやすみリューガくん」
「…………いや、眠れるならいいんだけどさ、無理してないか?」
「してないよ。だってリューガくんが守ってくれるんでしょ?」
純粋に笑ってそう言われると、さすがに少し照れてしまう。
こんなにも信頼されているなんて、そしてこんなにも信頼してくれたのにレーゾンさんを……。
「あぁ。レノンは俺が絶対に守る。だから安心して」
「……すぅ」
……なんだろう。
俺の周りの女性と俺は、いまいち波長が噛み合わないことが多い気がする。
だが、これ以上彼女が苦しめられる道理なんてないのだから、俺がそばに居るだけでこんなにも安心してくれるのはいいことだ。
ひとまずはアイラさんを信じて俺も寝ておこう。
明日以降は犯人との戦闘になる可能性だってある。相手は間違いなく俺よりも格上。殺されるかもしれない。それでも絶対に倒して見せる。
◆
そろそろリューガは眠っただろうか。
眠ってくれなくては困るのだが、あの子は私を信頼している。きっと明日以降に備えてさっさと眠っていることだろう。
私は別に善人ではない。
寧ろ私は、彼が嫌悪するような悪人だ。理由もなく人を殺し、それで悦に浸る外道だ。彼はその辺りを少し勘違いしている。
「さて、そろそろ来る頃かなと思ったよ」
雨音に紛れて、何処からか足音が響く。
建物の屋根の上。
周囲に視界を遮るようなものは何も無い。だと言うのに、足音の正体が視界に映らない。
勘違い?
いや、そんなはずがない。間違いなく、敵は既に私を射程圏内に収めている。油断すれば首が落とされていそうな、鋭く濃厚な殺気がその証拠。
ひとまず剣を抜き、それで首を守る。
そうした理由は何となく。
数多の戦闘経験から繰り出される、こうした方がいいという直感。
キィン、と。
金属がぶつかり合う音が響く。
刃に押し込まれるような感覚。
視界には依然敵の姿は映らない。けれど雨に掻き消されていたものが、この距離ならば感じ取れる。
匂い。
血の匂いや人間の体臭。そういったものが敵の存在を目の前に知覚させてくれる。
「なるほど、透明になるのがその魔剣の特性か! でもそれだけじゃ大したことは無いね。さて、君は私を愉しませてくれるかな?」
匂いで察知した場所に蹴りを叩き込むと、足裏に何かを捉えた感覚。
そして蹴りを受け後ろに下がったであろう敵の動きに合わせ、屋根が音を鳴らす。
消せるのは姿だけ。
だが姿の隠匿に関してはこの雨でも全く違和感なく消えていることから、自分の姿を見えなくするだけなんて言うレベルではなく、概念レベルでの視覚情報の欺瞞だろう。
相手の剣技の腕にもよるが、かなり厄介な相手だ。
加えて、匂いから判断して敵は恐らく……。
「会話する気は無いだろう。その能力からしてそっちに会話するメリットは無いからね。だけど、言わせてもらうよ」
出来ればこんな予測は当たって欲しくなんかなかった。
でも、それがわかっていた自分もいる。だから今回はこんな面倒な手順で敵を誘き寄せたんだ。
合理的な自分はそれがわかっている。
感情的な自分が、それを否定したかった。だから問いかける。間違いであってくれと祈るように。
「その歳でもう男を覚えたか? 魔性を気取るのは勝手だが、私のような獣の尾を踏んだのは間違いだったね。獲物を奪われるのは我慢ならないタチなんだ」
「……ふふ、その歳でって、もう私は十三だよ? 男の味も血の味も、覚えてたっておかしくないでしょう?」
雨の中に、一瞬だけ見覚えのある姿が浮かんだ。
匂いも嗅いだ覚えのおる、人間の女、それも歳若い少女の香りだ。
「そうかい。最近の子供は随分と早熟だね。こんなに早く自分を一人前と勘違いするなんて」
剣を構え、魔力も回す。
魔剣を持つ敵を相手にする上で忘れてはならないのは、魔剣とその人間の相性だ。
腕の良い剣士でも、相性の悪い魔剣を握れば大した力は発揮できない。
だが、たとえ女子供でもあろうとも相性の良い魔剣を握れば、天を割り地を裂く一流の剣士と成る。それこそが魔剣という武器の恐ろしさだ。
恐らく彼女は、今まで出会った誰よりも、自分と相性の良い魔剣を握っている相手だ。
油断できる理由はない、私を昂らせてくれる最高の強者。
「……じゃあ、さっさと終わらせようか」
それなのに、私の頭はどんどんと冷えていく。
きっと、雨がこの昂りをかき消してしまったのだろう。
次回で一章終わりです。