クラシックロード~グラスの血を継ぐ者たち   作:かける×かける

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第一章 生産牧場編
父の名は


 大きくなったら、自分はどんな大人になってるんだろう。

 普通に大学に入って、普通に就職して、普通に結婚して、普通の平凡な家庭を築く。

 子供の頃に思い描いた『普通』が、いかに実現困難なものか、社会に出てからつくづく思い知らされる。

 

「お疲れさまです」

 

 覇気のない声で同僚に挨拶をすませると、海藤航《かいとうわたる》はタイムカードを押して会社を出た。

 すでに辺りは真っ暗で、まっとうな会社に勤めている人間ならば床に就こうかという時間になっている。

 

「疲れた……今日もまじ疲れた……」

 

 航は力なく夜空を見上げた。

 毎日のように残業をやって帰宅は22時過ぎ。こんな生活がもうかれこれ4年も続いている。まごうことなき社畜に身を落とした航であったが、2003年卒の同級生達の現状を考えれば、正社員なだけ自分はまだマシなのかもしれない。

 

(枠順発表。明日だったな)

 

 競馬は酒もタバコも風俗もしない航の唯一の息抜きだった。木・金と、あと二日会社に行けば週末はのんびり競馬観戦だ。金曜の帰りにでも競馬新聞を買って帰ろう。そんな風に頭の中で予定を立てていたら、突然白い光が視界を覆いつくす。

 

「っ!?」

 

 光を遮るように左手を顔の前に持っていき、指の隙間から前方を覗くと、反対側の車線から重量感のある中型車がこちらに向かって猛スピードで突っ込んできた。

 

 ――ダァァァーーーーーンッ!!

 

 黒い鉄の塊に跳ね飛ばされる航。体や骨にありえないレベルの衝撃が加わり、仕事で疲れ果てた体に悶絶するような痛みが走る。

 

「おごっ、ぁ゛ぁ…………あ゛あ゛あ゛」

 

 自分でも聞いたことのないような声が航の口から漏れ出る。呼吸も浅くなり、肺に酸素をうまく取り込むことができない。これはもう助からないと航は本能的に悟った。

 

(俺の人生、こんなところで終わるのかよ……こんな、こんなあっけなく……!)

 

 思えば社会の理不尽に翻弄されるだけのろくでもない人生だった。

 周囲に言われるように勉強をし、名のある大学に入ったはいいが、卒業する頃には就職氷河期真っ只中。

 企業の調整弁として使い潰される生き方に、一体どんな価値を見出せると言うのか。

 命が燃え尽きようかという寸前。

 海藤青年の胸には、死にたくないという感情よりも諦めの方が先に来ていた。

 

(もし生まれ変わることがあるのなら、人間は……もういいや。サラブレッドがいい。それも超良血なやつ。最強馬ディープの子になって無双したい)

 

 最後くらい夢を見させてくれよと、航は血で濡れた唇を歪ませると、そのまま眠るように意識を手放した。

 

            ☆            ☆

 

 4月。北海道日高静内。

 唸るような声をあげていきむ母馬の出産を我が事のように見守る二人の男がいた。

 

「頑張れっ、頑張れっ! あと少しだ!」

「よーーしよーーし。よぉおーーーーく頑張ったぁあ」

 

 母馬のいきみに合わせて、産道から仔馬がゆっくり分娩され、人の手を借りることなく無事出産を終えた。

 

「おい! どっちだ?!」

「男の子です。おやっさん」

「男かあ。ならこいつぁ未来のダービ馬だ! ハッハッハ!!」

 

 お産に立ち会っていた時とは違い、馬房内に陽気な笑い声が響く。

 

(ああうるさいなあもう……!)

 

 こうも近くで騒がれてはおちおち眠ることもできない。

 仕方なく航が目を開けると、作業着を着たおじさんが大はしゃぎしていた。

 

(うおっ、デカッ! なにこいつらデカッ!?)

 

 見上げるほど背丈の大きい男達の姿にたまげる航。身の危険を感じ、こちらに注意が向かないうちに、ここから移動しようとするが、

 

(あれ? あれ?)

 

 どういうわけかうまく立つことができない。

 何度試してみてもバランスを取ることができず、そのまま地面に倒れてしまう。

 いったい自分の体はどうなってしまったのか。

 航は戸惑いを覚え、オロオロと狼狽える。

 すると、その様子に気づいた若者が横から声をかけてきた。

 

「ほら立って。四つ脚で立つんだ」

「いや自分人間なんで……」

 

 そう航が口を動かしたら、「ひひ~ん」という言葉にならない声が飛び出した。

 馬のいななきに目を丸くしていると、混乱している航をあやすように、目の前の中年男性は屈託ない笑顔で頷いて見せる。

 

「……」

 

 相手は得体の知れない巨大な人間。

 さらにこっちは体を動かすのもままならない状態ときている。

 言うまでもなく、ここで逃走を企てるのは得策じゃない。

 航は彼らの言葉に従い、ふらつく四肢に力を入れて、必死に倒れまいとする。よろけそうになりながら、どうにか立ち上がった。

 

「よくやった! えらいぞ!」

「すごい、すごいですよおやっさん! 生まれてからこんな短時間で立ち上がるなんて」

「ああ。この子は本当に大物になるかもしれん」

 

 仔馬の将来が今から楽しみで仕方がないと、二人は早くも期待に胸を躍らせている。

 この分なら悪いようには扱われないだろう。

 落ち着きを取り戻したことで、周りを見る余裕が航に生まれる。

 航はいくらかおぼつかない足取りで小屋の中を見て回り、自分がどういう状況に置かれているのか把握していく。

 木造の部屋に敷かれている大量の藁《わら》。出口に取り付けられた馬栓棒《ませんぼう》。

 極めつけは出産直後とみられる母馬が体から湯気を出しながら横たわっていた。

 これはどう見ても、誰がどう見ても、

 

 ――馬だ。馬である。

 

(ははっ、俺本当に馬になっちゃったよ)

 

 嘘みたいな本当の話に、いまいち実感が沸かない航だったが、自分が競走馬になってしまったと認めるよりほかなかった。

 

            ☆            ☆

 

 牧場の朝は早い。

 毎朝5時にスタッフが厩舎へやって来て、餌やりと馬体のチェックを行い、航たち当歳馬は親子で放牧地に送り出される。

 そして日が傾きかけたら集牧。馬房へと戻り、清潔に保たれた馬屋で眠りにつく。

 社畜時代には考えられぬ新生活が始まってから、そろそろ3ヶ月になろうとしていた。

 

「ぼくちゃんどうしたの? お腹へったの?」

「……」

 

 何をするにしても母馬が背後霊のようについてくる。

 親離れしていない仔馬ならまだしも、ついこの間まで社会人の航に仔馬らしく四六時中母親にべったり甘えろというのはいささか無理がある。

 愛情表現乏しい我が子の態度に、母馬はかわいそうなほどしゅんとしてしまう。

 

(やっ、やばっ!?)

 

 前世の記憶が残っているといえど母親は母親だ。

 航は急ぎ母馬に駆け寄って自分なりに甘えてみせる。

 

「ふふっ、たくさんおっぱいを飲んで大きくなるのよ」

 

 母親を安心させるためおっぱいにむしゃぶりつく航。母子の別れが日に日に差し迫る中、母馬はできる限りの愛情を航に注ぐのであった。

 

 

 その日の夜。

 航は一人静かにこれからのことを考えていた。

 この2ヶ月半で得られた情報をまとめるとこうだ。

 航が今いるのは北海道日高にある千場スタッド。

 繁殖牝馬が約20頭、育成馬は35頭を超える日高ではそれなりの規模の牧場らしい。

 

「華台《かだい》……じゃないんだよなぁ」

 

 華台ファームやサウザーファーム――いわゆる華台グループに属せないのは大変不本意であるが、「ここで運を使ってしまうよりは」と幾度も自分を納得させた。

 

「血統が一番重要なのは知ってるけどさ。やっぱ華台だよ華台」

 

 未練たらたらの航。ため息まじりに愚痴っていると、

 

「なんでい。華台、華台って。男なら華台の連中にひと泡吹かせてやるくらい言えねえのか」

 

 音もなく現れた小動物に、どういうわけか説教されてしまった。

 

「……しゃ、しゃべった。ハムスターが……」

「ふざけろ! あんなもんといっしょにすんな!」

 

 目を吊り上げたげっ歯類が手にした木の実をぶつけてくる。

 その様子だと馬同士じゃなくても会話が通じるのかもしれない。

 

「俺の言ってること……言葉、わかるんですか?」

「ったりめえよ! それとオレはリスだかんな、リ・ス。そこんとこおわかり?」

 

 べらんめえ調のリスは『八肋《はちろく》』と名乗り、どっかりあぐらをかいた。

 どことなく貫禄があるようなないような。

 顔の利く人物かもしれないため下手に刺激しない方がよさそうだ。

 

「八肋殿は、ここでの暮らしは長いんですか?」

「おうよ。って、なんだよ八肋殿って。こそばゆいから普通に呼びな新入り」

 

 新入りと聞いて航の耳がピクッと動く。やはりここいらの主的なポジションらしい。

 それなら自分の血統――母馬に関することを八肋に訊いてみることにする。

 

「この牧場で繋養されてる繁殖牝馬の情報、八肋さん明るかったりします?」

「もちろんだ。でもそれがどうしたってんだ?」

「俺の母親、サンリヨンって言うんですけど」

 

 期待半分、不安半分で母の名を告げた。

 すると、八肋は航の顔を物珍しそうに見つめる。

 

「その歳でもう血統に興味あるとか、お前見込みあるぞ。ちょい待ってろ。いいもの見せてやる」

 

 そう言葉を残して回れ右する八肋。

 航が声をかける暇もなく、どこかへ去ってしまう。

 数分後。

 八肋が器用に物を口に咥えて戻って来た。

 

「おう悪い。待たせちまったな」

「どこへ行ってきたんです?」

「なーに、ちょいと人間のとこ行ってこれを拝借してきたんでい」

 

 八肋は実に堂々と悪びれずに言う。

 

(これは……携帯? にしては……)

 

 タブレット端末は航が生きていた頃には普及していなかった代物だ。

 航が首をかしげている間にも、八肋は手慣れた調子で液晶画面をタッチしていき、

 

「ほらこれを見てみろ」

 

 脚を折って座っている航の前に端末を置いた。

 よく見えるように置かれた画面を覗くと、そこには栗毛の競走馬が映し出されていた。

 

「16戦4勝。主な勝鞍、府中ステークス」

 

 八肋が横からサンリヨンの競争成績を読み上げる。

 

「れっきとしたオープン馬じゃないですか!?」

「秋華賞4着、エリザベス女王杯にも出走したことのある千場スタッド看板牝馬。そいつがお前のかーちゃん。サンリヨンだ」

「おお」

 

 ゲーム感覚なら重賞勝ちは当たり前、GⅠ獲ってなんぼの世界だが、現実の競馬ではオープンクラスに上がるだけでも相当すごいことだ。

 いい繁殖牝馬にはいい種牡馬を付けるのが道理。

 航の父親はスーパーホースか種付け料の高い人気種牡馬なのがこれで確定した。

 牧場長のおやっさんや牧場スタッフから期待の星扱いされている航。たぶんいい種牡馬を付けられているんだろうなと思っていたが、その直感は間違っていなかったらしい。

 

(これもうディープだろ! ここにきてツキがまわってきたああああああ!!)

 

 ディープインパクト産駒だと確信した航はこれでもかと目を輝かせる。

 華台入りできなかったことなど取るに足りない。なぜなら父ディープの時点で成功は約束されたようなものなのだから。

 

「そいでお前さんの登録名はサンリヨンの2018だったな」

 

 八肋は再びタブレットに触れると、航の父親を調べるために画面を操作していく。

 

(やるぞやるぞ! やってやるぞ! ディープが獲れなかった凱旋門賞。息子の俺が獲ってやるっ!!)

 

 目指すはフランスロンシャン凱旋門。

 自分に課せられた使命に痺れながら航は待ちわびるようにして『ディープインパクト』だと発表されるのを待った――――が。しかし、

 

「お前の父親、モーリスだぞ」

「……」

 

 ウキウキ気分が一転、航の顔から笑みが消えた。

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