クラシックロード~グラスの血を継ぐ者たち   作:かける×かける

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いつか誰かに

 クラシック級の馬たちを赤子扱いして、21年のダービーは決まったと強烈に印象づけた東京スポーツ杯2歳ステークスからおよそ1ヶ月後。

 ハインケスに負けじと、ヴィエリが朝日杯フューチュリティステークスを手前替えに苦労しながらも最後は力でねじ伏せ2歳マイル王者に。

 皐月賞と同条件の2歳GⅠ・ホープフルステークスでは、シャルルが後方追走から外外を回す横綱相撲で完勝し、それぞれクラシック戦線の主役に名乗り出た。

 空港牧場のライバルが目覚ましい活躍を見せる一方で。

 北海道へ放牧に出されたドングラスはというと、日がな一日何をするでもなく、無為な時間を過ごしていた。

 

(見事に鼻っ柱をへし折られたみてえだな)

 

 八肋はさもありなんといった顔で腕組みをする。

 スパッとキレない典型的なモーリス産駒との評価を受けて、航はすっかりやる気を失っていた。

 

(下手な慰めや励ましは、かえって逆効果になる。気持ちで走るタイプなだけに慎重に扱わねえと)

 

 同じヘイルトゥリーズンが祖であっても、どんな時も一生懸命走るディープインパクトの子や孫と違い、ロベルトの血筋は気持ちが切れてしまうと、肉体的には問題なくても急に走らなくなる。

 瞬間最大風速はケタ外れだが、安定感に欠けるのがロベルトの血の宿命ともいえた。

 

「しかしまあ休養先に静内種馬場を選ぶたあ、おやっさんもなかなか考えたもんだぜ」

 

 生まれ故郷の千場スタッドから離れ、現在、日高中部に位置する日本軽種馬協会静内種馬場で成長放牧中の航。

 これには、ただ疲れを取るだけで無く、現役を引退した名馬とのふれあいを通じて、ドングラスの闘争心を蘇らせるメンタルケアの一環の意味合いを含んでいた。

 

「いつまでこんなところにいるんだろう。成長に期待するっていっても、一変するとはとても思えないんだが……」

 

 競馬の知識があるぶん、航にはある程度先が見えてしまい、以前のようにがむしゃらに頑張ろうという気にはどうにもなれなかった。

 と――そんな時、

 

「センバサーン。サガシマシタヨー」

 

 カタコトの日本語で呼ぶ声に。

 ドングラスの様子を確かめに来ていたおやっさんは眉をひそめつつ視線を向けると、

 

「失礼。どこかでお会いしたことが?」

「オー、ワタシハ、コーイウモノデース」

 

 マイケルと名乗る陽気な白人男性が、にっこり笑みを浮かべて名刺を差し出した。

 

「バイオヴィンセント……製薬会社の方ですか」

 

 マイケルの説明によれば。

 競走馬用サプリメントや飼料などを扱うアメリカの製薬ベンチャー企業のようであった。

 

「センバサンノー、Mauriceサンク。オコマリダトキキマシタ。ワレワレ、Bio Vincentナラ、キットチカラニナレマース!」

「いえそういうのは間に合っていますのでどうかお引き取りに――」

「Why? Classic Races.カチタクナイデスカ? ワガシャノーSupplementヲツカエバ、ヒヤクテキニ、Performance。コージョーサセルコトガデキマスヨ」

 

 マイケルの言葉の端々から、不穏なものを感じ取ったおやっさん。

 よそ行きの顔が途端に険しいものに変わる。

 

「……まさかあんた、ウチの馬に違法薬物を勧めようってんじゃないだろうな?」

 

 昨年、古くから厩舎で使用されている競走馬用ビタミン・ミネラル剤「グリーンカル」から禁止薬物のテオブロミンが検出され、出走を予定していた156頭が競走除外となる競馬界を揺るがせた出来事があったばかりだというのにマイケルはどこ吹く風。

 

「Ye~~s!! ハナシガハヤクテタスカリマース」

 

 悪びれる様子もなく、母国アメリカでの使用実績を誇らしげに語ってみせた。

 

「師匠……」

「あ、ああ」

 

 降って湧いたような話が出てきて、航と八肋は戸惑いながら不安げにやり取りを見つめる。

 

「センバサンハ、ヤクブツシヨーニ、rejection reactionアルミタイデスガ、I can’t understand it.」

 

 筋肉増強のために用いられるタンパク同化ステロイドや、保存しておいた血液を体内に戻して赤血球を増加させる血液ドーピングなどは国際的に禁止されているが、治療薬の使用そのものは禁止されてはいない。馬の治療に使われる薬品薬剤だけでも数百種類にもおよび、ごく日常的に使用されている。

 薬物使用が合法か違法かは、レースに合わせて抜き打ちで行われる検査で、陽性反応が出たかどうかで判断されるので、

 治療と称して馬を速く走らせるための薬物使用であっても、用量や投与のタイミングさえ間違わなければ、不正使用には当たらないという確固たる考えがマイケルの中にはあった。

 

「バレなきゃ何をしてもいいと思っているのか!!」

 

 公正確保に取り組んでいる競馬関係者の努力を真っ向から否定するマイケルに対し、おやっさんがすごい剣幕で怒鳴った。

 

「Americaデハ、ruleハ、リヨースルモノトカンガエナケレバ、winnerニハナレマセーン」

 

 アメリカの国家体制は州の連合体であるため、州ごとに法律が異なっている。

 そのため、HISA(競馬の公正確保と安全に関する統括機関)が提案したアンチドーピングルールが施行される23年3月までは、ルールや規制が統一されておらず、各州で規制が違っていることをいいことに、不正を行うことがずっとまかり通っていた。

 マイケルがいうように。

 ルールは守るものと考えていては、ルールの隙間を突いてくる者には勝つことはできないアメリカ競馬特有の複雑な事情がある。

 

「Big moneyガウゴクSportsニ、Dopingハツキモノデース! JustifyニモDoping suspicionアリマスガ、カレノracing abilityヲウタガウヒトイマスカ? イナイデショー?」

 

 結果がすべて。勝てなければ意味はないとマイケルはそう言い切る。

 

「Retired horse。ヤシナッテイクニハ、much moneyヒツヨーデス。moneyナイナラ、ショブンスルシカアリマセーン」

 

 日本では年間約7000頭が競走馬として生産され、

 競走馬引退後廃用となった約5000頭が殺処分されている。

 牝馬でも繁殖に上がれるのは3割。牡馬にいたっては大半が殺処分という厳しい現実が待っている。

 

「Donglassハ、favorite horseジャナインデスカ?」

 

 マイケルは問いかけた。

 人間のエゴで生み出しておきながら、速く走れなければ人間の都合で処分される競走馬。

 好成績を残したほんの一握りの馬だけが天寿をまっとうできるというのなら。

 どんな手を使ってでも勝負に勝つ。

 たとえ限りなくクロに近いグレーゾーンであろうと、むざむざ愛馬を屠殺場へ送り出す方がよっぽど悪ではないか。

 なじるような目に見据えられて、おやっさんは言葉に窮してしまう。

 

(ハインケス。あれはクラシックのタイトルを手にするどころか年度代表馬。それこそ10年に1頭の逸材かもしれん)

 

 もうかれこれ20年以上競馬を見てきたが。

 逃げ切りが難しい府中。それも東スポ杯で。

 ラスト3Fから最後まで尻上がりに加速ラップを踏んで逃げ切り勝ちを収めた2歳馬を見た試しがない。

 競馬をよく知る者なら、あのレースで見せたハインケスの異常性が嫌でも理解できてしまう。

 

(そんなのにどんべえは勝てるのか? ディープインパクトがいた時に、ずっと同じレースで走らなきゃいけないようなもんなんだぞ)

 

 サウザーファームとの約束事がなければ。

 早期に路線変更か、目先の賞金稼ぎをする方針に切り替えることだってできたはずだ。

 ドングラスからの視線を感じて、おやっさんはたまらず顔を伏せた。

 

「Don’t worry.」

 

 声の主が天使のような顔をして近づいてくる。

 

「ワレワレガ、カナラズヤDonglassヲ、Classic Winnerニシテミセマース」

「しかしそれは……」

「My Horse.コロシタクナイ。ワタシモ、センバサント、same feelingデスカラ」

「……」

 

 おやっさんは熱くなった目頭を抑え、前方に視線を注いだ。

 そして藁にもすがる思いで、悪魔の手を取ろうかという寸前――

 

「おいおい、バカなことを考えちゃいけないぜ」

 

 金色に輝く体を揺らして。

 四白大流星の栗毛馬が歩調をゆるめず、二人の間に割って入ってきた。

 

「オーナーさんよ。負けると思って走らされる坊やの身にもなってみろ。あんたが信じてやらないでどうするんだ?」

 

 名だたる名馬と相まみえ、腱が限界に達するまで戦い抜いた牡馬が、何かを訴えかけるようにじっと見つめてくる。

 

「イッタイナンナンデスカ!? コノhorseハ」

「まったく……ホースマンの風上にも置けないお前さんみたいなのはお呼びじゃねーんだ。とっとと国に帰りな。さもないと――」

 

 高齢とは思えないほど若々しい老馬はマイケルを追い払うように甲高く鳴き。雪のように白い前足を上げて、豪快に立ち上がった。

 

「No~~~! No~~~~~~~~!」

 

 マイケルの悲鳴がとどろく。

 500キロ近い屈強な体に押しつぶされてはたまらぬと、脱兎のごとく逃げ出した。

 

「これに懲りたら、二度と坊やらにちょっかいを出さないこった」

 

 そう言って身を翻すと、

 

「災難だったな。もう心配はいらない」

 

 今度は居心地が悪そうな顔で様子をうかがっていた航に一声かける。

 

「あなたは……」

 

 いきなりのことに一瞬警戒した航だが。

 

(いや。知っている。俺は過去にこの栗毛の馬を見たことがある)

 

 額には流れるような大きな流星。

 四脚は真っ白で、体はピカピカに輝くほどの美しい栗色の好馬体。

 四白流星《よんぱくりゅうせい》の派手な容姿にかすかに見覚えがあった。

 

「イシノサンデーさん……」

 

 航が恐縮したように、その名をつぶやく。

 サンデー四天王の一角――皐月賞馬イシノサンデーが小さく微笑んだ。

 

「現役バリバリの若駒が暮れのこの時期にこんなところにいるってことは、色々とワケありなんだろうが。俺でよければ相談に乗るぞ。話してみな」

 

 皐月賞まではクラシックの主役であったイシノサンデー。

 しかしその後は日本ダービー、セントライト記念、京都新聞杯と結果が振るわず、菊花賞を断念。

 秋は中央芝のクラシックホースでありながらダートに転向し、盛岡のダービーグランプリに優勝するも、最後までビックタイトルに手が届かなかった。

 現役生活には栄光と挫折、紆余曲折があったイシノサンデーにならばと、

 

「…………実は――」

 

 航は意を決してこれまでのことを打ち明ける。

 

「次の一戦で優先出走権獲得か重賞初勝利をか。なるほどな」

 

 本番前にひと叩き入れるのが当たり前だった時代とは変わって、有力勢は基本トライアルレースに出てこない。

 そうかといって、優先出走権を得るのが楽になったかといえば、出走馬がこん身の仕上げで皐月賞の切符を取りにくるぶん、昔以上に熾烈な戦いとなる。

 

「放牧したが馬体の成長はなかったなんてオチにならなきゃいいんですけどね」

 

 ハハハと乾いた笑いを漏らし、航が自虐する。

 

(尻のラインがキ甲よりもまだかなり高い。成長途上で、大きな変わり身を見せても不思議ではないが――。坊やにかけてあげるべき言葉は、そういうものではないはずだ)

 

「勝てなきゃ意味がない。あいつの言うとおりですよ……勝てなきゃ意味がない……」

 

 航がポツリポツリと絞り出すように言う。

 

「勝てなきゃ意味がない、か……」

 

 イシノサンデーはおもむろに空を見上げ、

 

「あいつが聞いたらなんて言うだろうなあ」

 

 去年の冬。一足早く天へと旅立ったライバルのことを懐かしむように、思い出を語って聞かせる。

 

「通算成績15戦3勝。キャリアだけ見れば、その他大勢と同じ、有象無象の競走馬だろう。だがな、あいつは数え切れないほどの応援を背にして走った。並のGⅠ馬なんかよりも遥かに多くの声援を受けてな」

 

 サンデー四天王の中で唯一GⅠを勝つことができなかった存在――

 そんな言葉では語りつくせない魅力がその競走馬にはあった。

 

「どうしてだと思う? それは逃げずに戦ったからだ。逃げることなくレースに出続け、戦い続けた。クラシックが終わり、さらなる強敵が前にいようともな」

「さらなる強敵……」

 

 航がハッと顔を上げた。

 97年、あの頃の古馬戦線はサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーの3強時代で、エアグルーヴやジェニュインだって同時期走っていた。

 

(そんな歴史に名を残す名馬を相手に真っ向勝負を――)

 

「ファンはあいつの勝利を願って声を枯らし、あいつもそれに応えようと必死で走った。大勢のファンに愛された競走馬だったよ……」

 

 若くしてターフを去らねばならなくなった同期の代わりに。

 96年クラシック世代の代表として強者に挑んだ歴史。

 汚れた馬柱はいつしか勝ち星に恵まれなくても諦めることなく走り続けた誇り高き勲章に変わっていった。

 

「一生懸命やってるやつの姿を見て、何も感じないはずがないんだよ。届かないはずがないんだ。坊やの走りはいつかきっと誰かに届く!」

 

 イシノサンデーは改めて航に向き合い伝える。

 

「忘れるな。俺たちサラブレッドは人の思いを背負って走る生き物だ」

「……!」

 

 航は思い出す。

 生きて帰ってこいと牧場を送り出されたことを。

 哲弥が自分のために寝る間を惜しんでトレーニングメニューを1から作ってくれたことを。

 強行軍のローテーションを体を張って止めた幹久と裕一。冬のレースに使うよう強弁した隆志も、難しい立場なのに最終的には説得に回ってくれた。

 戦っていたのは自分だけではなかった。

 走ることの真の意味を知って。

 勝つことにしか価値を見出せずにいた航の闘志がふたたび燃え上がる。

 

「誰のために走るのか――? 苦しいとき、辛いときは今まで支えてくれた人たちのことを思い出せ。そしてどんな結果になろうと、胸を張ってクラシックロードを駆け抜けてみせろ!」

「クラシックロードを……」

「俺は最後の一冠でドロップアウトしてしまったがな。俺が果たせなかったことを坊やに託す。やってくれるか?」

 

 航はすっきりとした表情で頷き、イシノサンデーの思いを背負って走ることを誓う。

 

「はい、喜んで。ですのでどうか――」

「……はっ。まさか坊やに気をつかわれるとはな。頼まれなくったってまだまだ長生きするぜ」

 

 と、イシノサンデーは軽快に笑い飛ばした。

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