クラシックロード~グラスの血を継ぐ者たち   作:かける×かける

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因縁再び

 春競馬が開幕。各馬各陣営、3歳馬のみが参加を許されるクラシックに向け動き出していた。

 東京スポーツ杯2歳Sを圧倒的な強さで勝利し、早々と皐月賞出走を決めたハインケスは、体質的に馬体重の戻りが遅いことを考慮して、皐月賞本番までレースを使わずサウザーファーム天栄で成長を促しながら鍛えることを選んだ。

 近年、弥生賞に変わって最有力ステップレースとなった共同通信杯では。

 朝日杯FS馬とホープフルS馬の無敗対決が早くも実現。

 それまで中団に控える競馬をしていた2番のコターシャン(シャルル)は、すんなりと3番手の好位置につけ、スローな流れを折り合って直線勝負へ。

 残り400mの地点で完全に抜け出すと、もう一段ギアを上げて楽々フィニッシュ。

 前半は無理せず後方からの追走になった9番のヴィエリは、早めの追い出しで直線外から脚を伸ばして差をつめてくるが、勝負どころで手前替えにもたつき、脚を余しての2着。本番前に課題が浮き彫りになってしまった。

 

「年明けの京成杯、肉体面での成長が著しいレイジークラウン(エージ)が穴を開け、このまま皐月賞に直行。デビュー2連勝できさらぎ賞に挑んだテスティモーネ(景虎)は、直線で伸び切れず3着。皐月賞へ向けての賞金加算に失敗したため弥生賞に回ることに。まだレースに集中できないところが多々見られ、1勝クラスを脱出したばかりのキッドザブリテン(キッド)。デビューから一貫してマイルを使われており、アーリントンカップからNHKマイルカップに向かうのが濃厚と」

 

 空港牧場での調整を終え。

 ドングラスについて栗東トレセン入りした八肋は手始めに有力馬3頭以外の動向の把握に努める。

 

(しかしまあよりにもよって……)

 

 東スポ杯12着不完全燃料に終わったヴァイス(ハヤテ)はというと。

 中1週の葉牡丹賞優勝後にソエの症状が出たため、きさらぎ賞を回避。大事を取って毎日杯に予定を変更し、ダービー一本に照準を絞った。

 航の運命を大きく左右する場面で、またしてもハヤテが前に立ちはだかることになろうとは。

 こればかりは神のいたずらを恨むしかあるまい。

 

「このことは、どんべえには伝えない方がいいだろうな」

 

 ため息まじりに言いつつ、八肋はレースに向けた追い切りが行われているCWコースへ向かうことにした。

 

 

 馬の少ない後半時間帯を狙って。

 航はCコース・ウッドチップ馬場に入る前に、角馬場で8の字を描くようにゆったり走り、左右均等にまんべんなく体をほぐす。

 今日は3週前追い切りということで、キャンターで半周したのち、5Fからペースを上げて単走追いする予定だ。

 

「おう! 手前も今からコース追いか?」

 

 ボヤンスが自分の存在をアピールするように肩で風を切って歩いてくる。

 昨年暮れ。中日新聞杯を省エネ競馬で最内から鋭く抜け出し、僅差ながら重賞初V。念願の重賞馬入りを果たしたことで、ますます厩舎内で大きな顔をするようになった。

 

「ボヤンス先輩、こんちわっ!」

 

 ペコリとお辞儀。

 いくらパワハラ気質で関わりたくないと思っていても。

 同厩舎の先輩馬を無視するわけにはいかず、航はボヤンスとのコミュニケーションを強いられる。

 

「1勝馬とはいえ手前も松岡厩舎所属だ。俺や姐さんみたいな重賞ウイナーになるのは、それはもう! 並大抵なことじゃねーが。厩舎の看板背負ってる以上、腑抜けた走りだけはすんな! 気合入れてけ!」

「せ、先輩……」

 

 と、航は感激した様子で声を震わせて、

 

「自分だって偉大な先輩方の背中を見てきたんです! やってやりますよ!」

 

 重賞勝ち馬の自尊心をここぞとばかりにくすぐってやった。

 

「直接言葉にせずとも。勝者のメンタルを。戦いの気構えを教えてくださったのは、ボヤンス先輩なんですから!!」

「俺がか? そんなことした――い、いいや。そうだったな。そう! この俺の背中を見てしっかり学んだようだな」

 

 ボヤンスは後輩から慕われる自分に酔ってしまっている。

 面倒な先輩馬がすっかり気を良くしたのを見て。

 これでようやく話を切り上げられるなんて思っていたら、

 

「仕方ねえなあ。かーいい後輩のために、俺が直々にレクチャーしてやる」

 

 頼んでもいないのに、自分から併せ馬の相手に名乗り出てしまったではないか。

 

「……」

 

 追い切りは単走馬なりで併せ馬をする予定はない。

 調教メニューは調教師がレース日から逆算して作っている。指示にないことを勝手にやれば、コンディション調整に支障をきたす恐れがある。

 だが、そんなことを口にしようものなら、確実にボヤンスの機嫌が悪くなる。

 結局最後まで何もいうことができず。

 

「ほらいくぞ!」

 

 航は言われるがまま、ボヤンスの後を追ってCWコースに入場した。

 

 

 ハンデ戦らしく混戦模様となった第56回中日新聞杯。

 重賞5度目の挑戦となるボヤンスは道中中団のインで我慢しながらの競馬。我慢して脚をため、直線でゴーサインが出ると、狭い最内から瞬時に脚を伸ばしてゴール前の接戦をハナ差で制した。

 レースぶりからわかるように。

 ボヤンスは内に潜り込んで一瞬の脚で抜け出すレースを得意としているため、あまり長く脚を使える馬ではない。

 持続力を生かし、早めに仕掛けてロングスパートする航とでは、仕掛けのタイミングが根本的に違う。

 

(どういう風の吹き回しだよ……)

 

 航は戦々恐々とする。

 レースでボヤンスが指導した通りやらないと、後日そのことをネタに、ネチネチ言われるに決まっているからだ。

 

「ドングラス、手前のことだ。今度は好位早め先頭から押し切ろうって考えだろ」

 

 前走上がり4Fがトップだったことで自信を深めた航。

 毎日杯が想定通りのスロー寄りの流れなら、前々からロングスパート勝負に持ち込めば、自分の持ち味を最大限発揮できるという確信があった。

 

「手前な……調子には波ってもんがある。仕上がりもコースも位置取りも前回とは違う。なのに、何の苦もなくあの時と同じパフォーマンスで走れると思ってんのか?」

 

 いい脚を長く使えたサウジアラビアRC、萩S。そのどちらも中団より後ろからの競馬で、先行しても同じ脚が使えるという保証はない。

 ゴール前、急坂がある阪神コースならなおさらペース配分に気を配らなければ後ろからくる馬の餌食になってしまう。

 

「賞金が足りてるなら本番前にいろいろ試すのは大いにありだ。だが手前の場合、次のレースで絶対に勝たなきゃいけない状況だろうが。ちったあ頭使え! 頭を!」

「面目ないです……」

 

 反省しきりの航。

 ボヤンスに考えの甘さを指摘されるたびに、肩身がどんどん狭くなる。

 

「手前のやるこたあ一つ! 手前以外で勝ちに1番近い馬のうしろに張り付いて、そいつといっしょに抜け出すだけだ! 展開を読んだり仕掛けどころを探ったりする必要はねえ!」

 

 あらかじめ標的と決めた一頭だけに先着すればいいという考えで行うマーク戦法。

 自分で仕掛けるよりも、直前まで仕掛けた他馬のうしろをついていく方が、空気抵抗を減らすことでき、脚が残りやすい。実力が拮抗してる場合極めて有効な戦法だけれども――

 

「仕掛けを遅らせても、前にいる相手が自分と同じか、それより速い上がりが使えたら?」

 

 マークする有力馬が差し追い込み脚質なら、こちらより末脚を伸ばしてくることも当然に起こりうる。

 航の中では、先行ロングスパート勝負の考えをまだ完全には捨てきれない。

 

「毎日杯。このレースはダービーへのステップレースの立ち位置になってるから、騎手が勝ちを意識した瞬間、ダービーに備えて余力を残さなければという意識がどうしても働く。賞金を加算するだけで満足なわけがねえ。坂に強い手前が徹底マークしても届かないような抜けた馬なら特にな」

「早めに動いて前に出れば、目標にされて最後差されるだけ。それなら勝ったと思わせておいて強襲した方がよほど勝算がある」

「そーいうことだ。よーやくわかったか」

 

(性格に似合わず緻密な戦略家タイプだったんだボヤンス先輩)

 

 口やかましい重賞馬の意外な一面を知って、航はボヤンスに対する見方を改める。

 

「基礎能力だけを頼りに戦おうとすんな! 勝利を引き寄せるためにあらゆるものを利用しろ! レースを取り巻く事柄だって立派な駆け引き材料になるんだ!」

 

 ボヤンスの言葉に熱がこもる。

 

「順当に行きゃあ最後は叩き合いだ。今から俺が手前にタイマン勝負のコツを教えてやる!」

「ご厚情痛み入ります!!」

 

 どんな指導をしてくれるのだろうと。

 航が期待に目を輝かせていると、

 

「手前、妹がいるだろ!?」

「……え?」

 

 途端に困惑の表情を浮かべる航。

 

(いもうと? ひょっとしてねねのことを言ってるのか? そのことと叩き合いに何の関係が……?)

 

「妹がいるだろって聞いてんだ! どうなんだ!!」

「はっ、はい!」

 

 気の立ったボヤンスを下手に刺激するわけにもいかず、航は無理やりにでも調子を合わせるほかない。

 

「よし、なら――」

 

 そう言うと、ボヤンスは有無を言わさぬ口調で、こう命じた。

 

「(C.ルメーンに)妹がさらわれたと思って。(前の馬を)追え!!」

「……え?」

 

 再び困惑。

 聞き間違いではないとわかると、航はよろめきそうになる。

 

「早く妹を取り返しに行かねえか! 追え! 追えよ! 追え!!」

 

 割れんばかりの大音声が耳朶を打ち。

 ボヤンスが苛立った様子で急かしてくるので、航は仕方なく――

 

「妹を返せ!」

 

 絶叫。半ばヤケになって、5馬身前をいく古馬2勝クラスを追いかけた。

 

「妹を返せええ!!」

「そうだァァ! ぶっ殺せ!!」

「妹を返せえええええええええええ!!!」

 

(あいつ、なに訳のわかんねえことしてんだ……)

 

 3週間前追い切りだというのに、意味不明なことを叫びながら追走併入に持ち込んだドングラスを見て、八肋はもはや呆れてものも言えなかった。

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