クラシックロード~グラスの血を継ぐ者たち 作:かける×かける
11.7‐11.9と刻み、1000mの通過タイムが60秒2。
ゴールまで残り800。
ここでハヤテはスタミナを温存するために一息入れるが――
「ヴァイス! お前の思い通りにさせてたまるかァー!」
一度は先頭を奪われた⑦ゲイトゲネディーズが強引に競りかけてきた。
(ったく、ようやくか。余計な手間かけさせやがって……)
ペースを狂わせようと絡んでこられても、先に行かせて番手に控える④ヴァイス。
中盤そこそこ流れたことで淀みない流れが生まれ、スタミナ、底力、パワーが試されるタフな展開になる。
終盤にさしかかり。
⑦ゲイトゲネディーズが二馬身ほどリードを広げて3~4コーナー中間坂を下っていく。
ラスト600を切ったというのに、④ヴァイスはまだ脚をためている。③レガッツォーさらには②レヴィビショップにまで交わされ、4番手まで順位を落としてしまう。
(先に動いた前のやつらは最後の坂で失速するからいいとして。残る問題は――)
ハヤテはレースが始まってから自分の後ろを背後霊のようにピッタリついてくる航の存在を最大限警戒する。
道悪で上がりのかかる消耗戦はロベルト系が台頭する展開だ。万が一ということもある。
「なあ糞漏らし。モーリスってのは歴代最強格のマイラーらしいが。まさか自分も同じようになれると、本気で思ってるわけないよな?」
ハヤテは続ける。
「とかく種牡馬が注目されるが、牧場主にとってはサイアーラインなんかよりファミリーナンバーの方が重要な意味を持っている」
ラムタラは売ってくれても、牧場の根幹となる牝馬は、どれだけ金を出しても普通売ってはくれない。
華台系と非華台系の基礎繁殖牝馬の差。
それがそのまま現在の結果としてあらわれている。これは否定しようがない。
「基礎繁殖のレベルが低い日高のゴミから産まれたやつが夢見てんじゃねーよ!!」
「……」
以前までの航ならカーッとなってハヤテを負かしに動いてしまっていただろう。
だが今の航は違う。
無事にこの日のレースを迎えるために、どれだけ多くの人達の手を経ているのかはっきり自覚している。
自分は彼らの思いを、願いを背負っている。マルシェやイシノサンデー、ボヤンスの期待に応える義務がある。こんなつまらない挑発に耳を貸したりはしない。
極限まで高まる集中力。
ハヤテだけを見据えて――
航は不気味なほど静かに、その後ろ姿を追いかける。
(乗ってこないか。まあいい。仕掛けを待ったぶん脚はたまった。後ろからブチ抜けるもんならやってみやがれ!)
最終コーナーを回って残り400mの標識を通過。
直線に入ると、最内から馬場の3~4分どころに持ち出し、④ヴァイスが仕掛けた。
(動いたっ!?)
その瞬間――
自らハミを取ってスパート態勢に入った航。
裕一は④ヴァイスが通った進路をなぞるように進み、右手にステッキを持ち替える。
ギアを上げて力強く加速したドングラスに対して、敢えて右鞭を二度三度と連続して振るう。
逃げる⑦ゲイトゲネディーズ。
だが、無理をしてヴァイスに鈴をつけに行ったことがたたり、残り300mを過ぎて急激に脚色が鈍る。
前が止まったところを後ろで我慢していた後続が一斉に脚を伸ばしてくる一方。
ペースが上がった後半、11秒台を4回も刻む速い流れの中で、早めに動いた馬たちの手応えが軒並み怪しくなり始めた。
「思い描いた通りだ」
先頭を争っていた好位勢は、ラスト1ハロン急坂区間でガクッとペースが落ちる。
道中競りかけられても、自分のリズムを守ることを貫き通したハヤテは見るからに余力が残っていた。
坂下ではまだ三馬身はあったであろう差を一気に詰め、ふたたび先頭に立つ。
今はもうドングラスからのプレッシャーは感じられない。案の定、直線残り400mからの加速についてこられなかったのだろう。
きっちり前を捕らえ、後ろからも他馬が並びかけてくる気配はない。
(これでダービー出走は確定。本番にお釣を残しておかないとな)
100m近く急勾配の坂を駆け上がり、さしものハヤテも疲労の色がうかがえる。
勝利を確信したハヤテは、レース後の反動が出ないように、最後は流しながらゴールに向かう。
これで勝負は決まったかと思われた刹那――
「グラス! グラスだ!」
誰がが叫んだ。
大外も大外。外ラチ沿いから栗毛の馬体が、④ヴァイスを追い抜く勢いで飛んできて、場内が大きくざわめく。
首をググッと沈めた重心の低いフォームから、力強く四肢を地面に叩きつけ、怒涛の追い上げを見せる⑤ドングラスに。
かつて『マルゼンスキーの再来』と呼ばれた栗毛の怪物の姿が重なる。
「バカな……!! どうしてやつがあんなところを走っていやがるッ?!」
勝利目前というところでドングラスの奇襲を受け、常に余裕を見せていたハヤテの顔に初めて焦りが浮かぶ。
(ハヤテと体を併せなかったのはユウイチのファインプレーだ)
勝負の世界では勝利以外、価値はない。
しかし――失敗を通じてしか学べないこともある。
サウジアラビアRCの敗戦がここで活きた。
裕一はフルパワーで走ろうとすると左に向かう斜行癖を逆手にとって、直線外ラチに向かってドングラスを追い出し、馬場の真ん中から外に斜行しながらヴァイスを追いかけた。
「冗談じゃねえ! こんなやつ! こんなやつに俺がっ!!」
まんまと出し抜けをくらってしまったハヤテ。
焦れば焦るほど走行フォームが乱れ、思うように再加速できない。
⑤ドングラスは一番きつい頂上付近でさらにもうひと伸びし、ゴール寸前、先に抜け出した④ヴァイスをついに捕らえた。
「グラス最強! グラス最強!」
劇的勝利に大歓声が巻き起こる。
第68回毎日杯は8番人気ドングラスが宿敵ヴァイスをクビ差で退け重賞初制覇。文字通り人馬一体となって皐月賞への最終切符を掴み取った。