暁を越える   作:三玖

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 それから翌日になって、祠の前で暁越と游苑が待っていると。

 

「……なんだよ、今日はやけに早いじゃねえか」

 

 眠たげな声を上げる蛇が、退屈そうに祠からにょろりと姿を現した。

 

「それも話のきっかけか?」

「いいや、ただの愚痴さ。もう少し遅くお前らが来てたら、もっと寝られたのにと思って」

「陽もとうに昇っていますのに、まだ眠るおつもりですか? 不摂生が祟りますよ?」

「俺みたいな獣畜生にそんなこと説かれたってなぁ」

 

 欠伸と共にそんな言葉を漏らしてから、蛇が改めて暁越へと向き直る。

 

「さて、準備は?」

「問題ない」

 

 蛇の問いかけに応えながら、暁越が右手に持った剣を見せた。

 それは黒い鞘に納められた、長い剣だった。鍔に当たる部分はなく、鞘には血や汗でぼろぼろになった包帯が何重にも巻かれている。柄頭には鞘と同じ色をした黒い珠が飾りが揺れていて、それを目で追いながら蛇が、

 

「いつ見ても不気味な剣だよ」

「……俺だってそう思っている」

 

 忌々しそうに呟きながら、暁越が握った剣を睨みつける。

 不死として目覚めてからずっと、暁越と共にある剣だった。どこで打たれたものなのか、誰が自分に与えたのか、そもそもこの剣が本当に自分のものかすらも分からない。ただ確かなのは、暁越として生きていく以上、これを手放すことはないのだろうという、どこから来たのかも分からない、漠然とした理解だった。

 それから蛇は、次に游苑の方へと視線を投げて。

 

「游苑ちゃんも準備は良さそうかな?」

「ご心配には及びませんわ。火の元や戸締りもしっかり確認してから出てきましたので」

「そりゃ結構。なら、さっさと送ってやろうかね」

 

 くい、と蛇が首を上げると、祠が軋む音を立てながら開く。

 水面のように揺れる幕の先に続いていたのは、煉瓦の壁に囲まれた薄暗く陰る狭い道だった。耳を澄ませると遠くから喧騒が聞こえてきて、その道の近くにはまた別の、人の通りが多い道があることが伺える。

 どうやら、繋げた先は目的とする街の路地裏らしい。

 

「街の名前はノールドベルト。門は適当な空き家に設置しておいたから、二人も宿はそこを使うといい。女を捕らえ次第、俺に連絡してくれ。すぐに門を開いて迎えに行く。……ま、俺が起きてたらの話だけどな」

「見たところ、あまり綺麗なところではないのですね。残念ですわ」

「人目ない道に繋げたからそう見えるだけさ。街の位置的に旅行者が立ち寄りやすいから人の通りも多いし、貿易の方もよくやってるって話だぜ? 硝子細工が有名って話も聞いたな」

「……では、土産はそれにするか」

「ええ、是非そうしましょう。ちょうど玄関が少し寂しいと思っていたところですし」

「おいおい……」

 

 げんなりとした蛇の呟きを背中に受けながら、二人が歩き出す。

 幕を潜り抜けると、途端に喧騒が強くなった。

 

 

「暁越さま、こちらの置物なんていかがですか?」

 

 言いながら游苑が手に取ったのは、紫の花を模した硝子細工だった。

 色は向こうが透けて見えるほど淡く、そこから染色の巧さが見て取れる。造形に関しても、花弁の一枚一枚が精巧に仕上げられていた。なるほど確かに、土産物としては申し分ない。

 つくづく目利きのいい娘だ、と暁越は思った。それこそ食材や日用品でも、彼女が選んだものに外れはない。育ち故なのだろうが、それ以上に彼女の感性には、不死として永くを生き、多くのものを目にした暁越からしても、目を見張るものがあった。

 ただ。

 

「……気が早いぞ、游苑」

「あら、そうでしょうか?」

「まだこちらに来たばかりだろう」

 

 蛇と別れてから、まだ半刻と経っていない。それなのに、こうして浮かれて土産物を眺めているところは、逆にまだ年相応だと思えた。

 

「せめて事を済ませてからにしろ。……時間なら、あとでいくらでも作ってやる」

「まあ! では、楽しみは最後に取っておかないといけませんね」

 

 言葉を投げられたのは、游苑がそう答えた直後だった。

 

「そう言わずに買ってやりなよ、旦那」

 

 暁越が視線を向けた先に立っていたのは、店主と思しき壮年の男だった。

 

「せっかく綺麗な嫁さんと一緒なんだから、少しくらいの気前は見せないでどうするさ」

「……嫁、だと?」

「違うのかい? てっきりお二人は新婚さんかと思ったんだが」

「新婚だなんてそんな、お止めになってくださいな。わたくしはまだまだ修行中の身。お仕えするまでにはなんとか至りましたが、伴侶としてこの先を添い遂げるなんてまた夢の夢ですわ」

「おいおい旦那ぁ、これだけの美人さんにこんなこと言わせていいのかい?」

「……勝手にさせておけばいい」

 

 この手の話題をにはそう答えるに尽きる。それが暁越の辿り着いた答えだった。

 

「それで旦那、買ってくかい?」

「買わない。だが……取り置いてもらおうか。夜のうちに、また来ることにする」

「あいよ。なら、気長に待っておくさ」

 

 なんて会話をしているうちに、ふと店主が思い出したように問いかけてきて。

 

「それにしてもお二人さん、いったいどこから来たんだい? いやなに、うちには旅行客が沢山来るけど、その中でもあんま見慣れない恰好してるか

らさ。つい気になっちまって」

「はい。漣灯港(れんとうこう)より参りました」

「漣灯港って……こっからずーっと南に行ったところにある、あの? なるほど、そりゃ見慣れない恰好してるわけだ。でも旦那たち、あんな遠くの港からわざわざこんな街まで、何しに来たのさ?」

「……待ち合わせだ」

「待ち合わせ?」

「聞くところによると、緋王を討とうとする者たちがこの街を訪れたらしいが」

 

 探りを入れるために暁越が吐いた嘘に、店主は、ああ、と納得したような声を上げて。

 

「つまりお二人はあの御一行の仲間ってことか」

「ええ、そうですわ。わたくしたちはあの小姑みたいなちんちくりんの老いぼれ――こほん、恐ろしい緋王を討とうとする方々へお力添えをするため、遠路はるばるここまで参ったのです」

「……そういうわけだ」

 

 緋王に対する本音を漏らした游苑に少しだけひやりとしたが、幸い店主が何か気づいている様子もなく、どうやら本来の目的は上手く隠し通せたらしい。多少強引というか、危ないなところはあるが、それを加味してもこうした口の回りはやはり暁越よりも彼女の方が上だった。

 

「事前に聞かされた予定では、彼らはまだこの街に滞在しているとのことだったが」

「あー……」

「もしかして、何かご存じですの?」

 

 どこか居心地の悪そうな店主の様子に、二人が揃って首を傾げていると。

 

「気の毒だがお二人さん、一足遅かったな」

「……どういうことだ?」

「聖女様ならちょうど今日の朝にこの街を発たれたぞ?」

「えっ」

 

 

 それから、蛇に用意された空き家に戻ったのち。

 

「あ~~~あ!! ほれ見い! だからすぐ行けって言ったじゃろうが!」

 

 部屋の片隅にかけられた、古びた姿見――どうやら、これが今回の"門"らしい――には、こちらに向けて怒号を飛ばす緋王の姿が映っていた。

 

「ど~~~すんのじゃお前らコレ! なあ! オイ!! このまま一直線でこっちまで来たら我、ぶっ殺されてしまうじゃろがい! コレお前ら我が死んだらどう責任取るつもりじゃお前ら!」

「……貴様の命より、游苑の作る料理の方が大事だ」

「まあ、暁越さまったら……そんなお言葉を頂けるなんて、わたくしとても嬉しく思います。戻ったらまた、腕によりをかけてご馳走を用意いたしますので、ご要望があればいつでも仰ってくださいね?」

「死ねボケども! お前らが我の代わりに殺されてしまえ!」

 

 そこで一通り言いたいことは言い終えたのだろう。ぜえぜえはあはあと肩で息を整える緋王に代わるように、彼女の角に巻き付いた蛇が言葉を続ける。

 

「でもさ、実際どうすんだよ? 暁越だってあの女に用があるわけだから、このままこっちに帰ってくるつもりも無ぇんだろ? かといって、後を追うにしてもどこに行ったのか分かんねーんだし。……馬鹿正直に聞き込みでもしてみるか? 聖女様はどちらへ行かれたんですかー、って」

「無駄だろうな。これからの行く先を明かして、俺達のような者が後を追えるようにするとは思えん。最悪、それを警戒して二手や三手の部隊に別れて動いている可能性もある」

「それだと戦力が分散して困りそうなモンだが……今までのこっちのやられようを見るに、それで問題はないんだろうな。その上、どの部隊にお目当ての女がいるかも分かんねーんだし。さて、困った困った……」

「でしたら、わたくしにお任せくださいな」

 

 なんて、門を介して会話を交わす二人の間に、游苑が口を挟んできて。

 

「……何か策があるのか?」

「もう、暁越さまったらお忘れですか? わたくしの得意分野は占術ですのよ? たかが女一人の居場所なんて、簡単に突き止めてみせますわ。とはいえ、その女の痕跡を探す必要はありますが……」

「時間がかかるのは変わっとらんじゃろうが」

「あら、歳寄りは揚げ足を獲ることしか楽しみが無いというのは本当でしたのね」

「お前帰ってきたら覚えとれよ本当に」

 

 そうして睨み合う二人を見て、再び話が長くなりそうな予感がした暁越が口を挟む。

 

「下手に聞き込んで怪しまれるよりは、痕跡を探す方が確実だろう。それに、女の居場所が明らかになるなら部隊が分かれていても問題はない。……この場はお前に任せよう、游苑」

「かしこまりました。必ずや、ご期待にお応えしてみせますわ」

 

 恭しく頭を下げる游苑に、鏡の向こうの緋王が呆れたように声をかけた。

 

「まあ、聖女を捕らえさえすれば我も文句はない。期待しているぞ」

「お任せください。では、すぐに取り掛かりますわ」

 

 二人が言葉を交わしたのを最後に、門が閉じる。後に残ったのは何の変哲もない姿見であり、游苑はそれを一瞥したあとに、ほんと人使いが荒いお方ですわね返ったら相応の報酬を用意してもらいましょう――なんてぶつぶつ文句を垂れてから、改めて暁越と向き直った。

 

「では暁越さま、さっそく参りましょうか」

「ああ」

 

 かくして。

 

 

「……見つからなかったな」

 

 路地裏の壁に背を預けながら、暁越はひとり溜息と共にそんな言葉を漏らした。

 

『ここからは二手に別れて探しましょうか』

 

 効率よく聖女の痕跡を探すために、游苑と二手に分かれてたところまではよかった。

 

『本来であれば髪の毛や爪のかけらなど、あの女の一部が好ましいですが、見つからなければ使っていたであろう用具の一部や、身に着けていた衣類の切れ端、最悪踏んでいたかもしれない土でも構いません。あの女がここにいた、という事実を裏付ける何かさえ見つかればそれで充分ですわ』

 

 游苑から痕跡の指標を聞かされたのも、占術に明るくない暁越にとって助けとなった。

 

『それでは、四刻ほど経った際にまたここで落ち合いましょう』

 

 そうして行灯と別れたのが、ちょうど彼女が口にした四刻ほど前のこと。

 肝心の痕跡探しの方は、全くと言っていいほど何一つ上手くいっていなかった。

 言われた指標を頼りに色々と街の中を探ってみたものの、それらしきものは何一つ見つからない。第一、髪や爪のかけらが落ちていたら風に吹かれてしまうのではないか。そう考えた暁越は次に手当たり次第に屑籠を漁ってみたが、結果はただ自分の衣服を汚すだけであった。それならば踏んでいたであろう土を探ろうとしたが、そんなものの見当などつくはずもなく、結果として何の成果も得られないまま游苑を待つだけとなった。

 何事にも得手不得手というのはあるものだ。自分はそれが諜報だった、それだけのこと――などと、あまりにも情けのない言い訳を考えていたところで、ふと暁越は。

 

「……遅いな」

 

 そうやって考えに耽るだけの時間があることに、疑問を抱いた。

 こういう時、普段なら先に自分を待っているような女だ。それが今では、逆に自分が待たされている状況である。先程から感じている物寂しさも、それが原因だとようやく気が付いた。

 ただ、彼女に待たされるのはこれが初めてということではない。

 しかし逆に言えば、彼女が姿を見せないのは決まって何かあった時で。

 

「まさか……」

 

 呟きに応えるように、聞き覚えのある鈴の音が響く。

 その音に暁越が振り返ると、そこには紙で折られた小さな狐が足元に佇んでいた。

 

「……游苑か?」

 

 暁越がそう問いかけると、狐がこくりと首を縦に振る。

 それから狐は、ぴょんと飛び跳ねながら路地の奥へと進み始めた。

 どうやら自分についてこい、ということらしい。

 

「お前はいつも面倒事に巻き込まれるな」

 

 呆れたように呟いてから、暁越は狐の後を追った。

 

 

 狐を追って辿り着いたのは、街の外れにある古びた教会だった。

 

「ここか」

 

 半分ほど開いた扉の前で、紙の狐が脚を止める。

 扉に近づいて、はじめに感じたのは――咽せ返るような異臭。

 思わず袖で口元を覆ってしまいそうなその悪臭の正体を、しかし暁越は知っていた。

 ――人の血肉が、焼かれている。

 

「もう、おしまいですか?」

 

 ごうごうと燃え盛る炎の中心で、ぱちん、と扇子を閉じる音だけが鮮明に聞こえた。

 

「せっかく聖女とやらの手掛かりを掴めると思って、あなた方の言うことを聞いてあげましたのに……まったく、時間の無駄でした。これなら、手当たり次第にゴミを漁っていた方がまだ有益だったかもしれませんわね」

 

 炎の渦の中心に立っていたのは、呆れたように顎へ手を添える游苑だった。

 その足元には、いくつかの炭となった死体が転がっている。

 ぼろぼろになったそれらを踏み潰しながら、彼女は生き残った数人の男たちへ言葉を続けて。

 

「やり方もまあ幼稚ですこと。人を攫うならもう少し賢くなってからにしなさいな。気まぐれで遊びにも付き合って差し上げましたが、退屈すぎて憂さ晴らしにすらならない。……本当に、どうしようもない方たちですわね」

「ひっ……!」

「そして、何よりも許せないのは……わたくしの時間を一秒でも奪ったことですわ。わたくしの体、心、時間、その全ては暁越さまに捧げるために存在しているのです。それをあなた方のような下賤な輩が賜るなんて……あまりにもおこがましい。その罪業は、自らの命で償っていただきませんと」

 

 游苑が扇を翻すと、炎が意志を持ったように燃え盛り、男たちの周囲をぐるりと囲む。

 間もなく彼らの命も事切れるだろう。彼らと游苑の間に何があったのかなど知らないし、わざわざそれを詮索する気にもならない。暁越にとって重要なのは、彼女が無事であるという事実だけであった。

 そうして、頃合いを見計らった暁越が扉をくぐって声をかける。

 

「――游苑」

 

 すると彼女は、暁越に気づいたかと思うと、すぐに。

 

「いやーっ! 助けてください暁越さまーっっ!!」

 

 なんて、いかにもわざとらしい叫びを上げながら、その場に蹲った。

 

「……………………」

 

 驚いて――というよりは、呆れて物も言えなかった。

 気づけば男たちを囲んでいた炎も消えていて、今この状況だけ見れば、男たちが彼女を今にも襲おうとしていたように見えなくもない。そして当の本人は、頭こそ抑えて蹲っているものの、ちらりちらりとこちらの様子を伺っている始末である。

 ……それにしたって、もっとこう、上手いやり方はなかったのだろうか。

 

「ッ、てめえ! いきなり何のつもりだ!」

 

 全くもって彼らと同意見である。

 

「この女、ナメやがって……!」

 

 やがて残された男のうちの一人が、痺れを切らしたように剣を振りかぶる。

 そして、鮮血が舞った。

 

「……くだらない」

 

 ごとりと糸の切れたように倒れる二人の男を後目に、曉越が吐き捨てる。

 その手に握られていたのは――骨によって造られた刀だった。

 いくつもの人骨を無造作に繋いで、それを研いだような刀身だった。滴る赤い血と遂になるようにその刀身は白く染まっている。それが誰の骨で造られ、誰が与えたものなのかは、暁越自身ですら知らない。ただ、その刀は暁越が暁越として目覚めたときから、既に彼の傍らに置かれていたものだった。

 刀身に着いた血を振り払う暁越に、游苑がすくりと立ち上がってから語り掛ける。

 

「ええ、本当にくだらない方たちでしたわ。遊び相手にすらもなりませんでしたもの」

「……お前の拙い演技のことを言っているんだ」

「あら?」

 

 きょとん、と首を傾げる游苑に、暁越が溜息をひとつ。

 

「どういうつもりだ、あれは」

「お慕いする殿方に助けていただくのは、乙女の憧れですのよ」

「……だからといって、自分から危険な目に遭いに行くな」

「でも、暁越さまなら助けてくださいますよね?」

「……………………」

 

 もはや何も言うまい。

 

「それで、目当てのものは見つかったのか」

「いえ、何も。ですが、この場所には何かあるかもしれません」

「……何か?」

 

 曖昧な游苑の言葉に疑問を呈したしたところで、暁越も気づく。

 なるほど、確かに教会であれば聖女の足掛かりも見つかるかもしれない。

 

「廃棄されてから随分と時間が経っているようですが、機能はまだ生きているはずですわ。街の方に教会らしき建物は見当たりませんでしたから、祈祷を捧げるのであればここしかないかと」

「そのようだな。……頼めるか」

「お任せください。すぐにでもあの女の居場所を探り当てて見せますわ」

「ああ。期待して――」

 

 そうして続けようとした曉越の言葉は、そこで止まる。

 

「………………」

 

 ゆっくりと視線を下ろした先には、血塗られた剣先が自らの胸元を突き破るように伸びていて。

「こ、の……化け物が……!」

「あら」

 

 暁越よりも先に、游苑がそんな気の抜けた声を上げた。

 

「……お前があんな演技をするから、手元が緩まった」

「申し訳ありません」

 

 しゅん、と耳を(しお)れさせる游苑に、暁越が今日で何度目かも分からない溜息を吐いた。

 

「お前らが何者かは知らねえが、こんなことをしてタダで済むと――」

 

 そうやって叫ぼうとした男の口を、暁越は振り返ることもなく手で塞いで。

 

「游苑」

「はい」

「俺ごと焼き払え」

「かしこまりました」

 

 答えた游苑が扇を振るうと、男と暁越を囲むように火柱が立ち上がる。

 悲鳴すら上がらなかった。燃え盛る炎が一瞬にして男と暁越を包み込む。

 やがて火炎が晴れたそこに残っていたのは、暁越ひとりだけで。

 

「……いい、焔だ。また腕を上げたな」

「滅相もございませんわ」

 

 などと游苑のやり取りを交わしながら、暁越が腕に残った炭を握り潰す。

 そして、いつものように彼女の炎で乱れた髪を掻き上げようとしたところで、ふと。

 

「……ふむ」

 

 暁越の服装や日用品は、基本的に耐火性のものを使用している。

 それはひとえに、炎の術を扱う游苑と共に行動し、先程のような指示もそこそこの頻度で行うためであった。しかしながら、その身体にまで耐火の策を施すには至らず――というよりは、身体を弄ったところですぐ()()()()()()()()()()、意味がないだけだが――、髪や皮膚は彼女の炎を浴びるたび焼け爛れたのち、元に戻る。

 なので、今回も焼けて滅茶苦茶になったであろう髪を無造作に戻そうとした、が。

 

「この簪は、耐火性のものにしたのか」

「はい! せっかく暁越さまにお送りするものですから、特注で作らせましたの。確かに値段は少し張りましたが、それも些細な問題ですわ。だって、これならいつでも暁越さまが身につけてくださいますから……」

「……確か、これは市場で偶然見つけたものだと言っていなかったか?」

「あ」

 

 なんて声をあげたかと思うと、游苑はしゅんと顔を俯かせて。

 

「……も、申し訳ありません。私としたことが、差し出がましい真似を……」

「謝る必要はない。……この簪は気に入った。感謝する、游苑」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます、暁越さま!」

 

 さっきまでとは一転して、ぱぁと嬉しそうな笑みを浮かべながら游苑が答える。

 つくづく表情の変化が激しい娘だと思う。先程の拙い演技といい、今の年相応の反応といい、あざといと言えばいいのだろうか、そういった逞しさを感じるところはある。

 ただまあ、そんな彼女と一緒にいると、退屈しないのもまた事実だった。

 

「今日はここまでにする。また明日になったら、ここに戻るとしよう」

「あら、よろしいのですか? まだ日も沈んでいませんし、時間ならまだあると思うのですが……」

 

 首を傾げる游苑に対し、暁越は少し溜息の混じった声で答えた。

 

「……楽しみは最後に取っておく、と言ったのはお前のはずだが」

「まあ! では、あの土産屋に?」

「ああ。わざわざ店主に取り置いてもらっているからな。それに、せっかく普段なら来ない場所まで足を運んだんだ。食事くらい、その土地のものを楽しむべきだろう」

「そういうことでしたら、是非とも参りましょう! 実は先程、街を巡っている間に、魚料理の美味しそうなお店を見つけましたの! きっと暁越さまも気に入ってくださいますわ!」

「期待している」

 

 暁越が頷いたのもつかの間、游苑は寄り添うようにその腕へと抱き着いた。

 普段なら絶対にしないような行為。その上、いつもよりも上機嫌な表情。

 

「……浮かれているな?」

「いけませんか?」

 

 ダメ押しといわんばかりに、質問に質問で返してくるような逞しさ。

 この状態の游苑を前に、もはや暁越に成す術などなかった。

 ……やはり、どうにもこの娘には敵う気がしない。

 こちらの顔を覗き込む游苑の顔を見つめながら、暁越は改めてそう思った。

 

「まずは緋王への報告が先だ」

「ええ。ですが、それからは二人っきりで楽しみましょうね?」

「……そうだな」

 

 満面の笑みを浮かべる游苑に連れられながら、暁越も歩き出す。

 後に残ったのは、灰のみが残る寂れた教会だけであった。

 

 

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