十月十四日。
それは桜にとってある特別な日であり、ひとつの小さな転換の日でもあった。
この日は、沢田綱吉が生まれた日である。
マフィアのボスである直系の子孫としてこの世に生を受け、一般家庭で育ちながら中学生という若さでマフィアの世界に足を踏み入れた気弱で優しい男だ。
両親の愛を一身に受けた彼は、本来であれば一人っ子だ。
桜にとって十三年前まで沢田綱吉という男は紙の上のインクであり画面の向こう側で仲間と笑うだけの存在だった。
しかしどういうわけか、この世の理から逸脱した桜は沢田綱吉の妹という原作にはない存在として生まれ、彼だけのものだった十月十四日は桜の誕生日にもなったのだ。
両親と兄から惜しみなく愛情を注がれ第二の人生を歩み始めた桜は、兄と同じような道を辿るかと思われた。
その運命は、まるで本来なら存在してはいけなかったかのように歯車は廻り、桜は第二の人生を表舞台から消すこととなる。
それから九年──。
兄よりひと足早くマフィアの世界へと足を踏み入れた桜は、一人の殺し屋として成長し生まれ故郷である並盛へと帰っていた。
"あくまでも任務"。
その体で並盛中学校へ転入し、綱吉の家庭教師でもあるリボーンの元へ馳せ参るのだが、事態は小さな変化へと転がっていく。
「ママンに会ってこい。ちょうどいいタイミングだから明日にしろ」
その鶴の一言により桜の運命は決定づけられた。
元々は桜も並盛帰還を機に母である沢田奈々と会う気持ちはあったのだが、それまでの過去と自らが犯した過ちを気にかけるあまり、一種の迷いが生じていたのだ。
ただの中学生であれば思春期特有の悩みで片付けられるが、桜は曲がりなりにも九代目に認められた殺し屋である。
気の迷いは殺し屋にとって致命的になりうる。
リボーンはそれを憂慮して、桜に気持ちの区切りをつけさせる機会を設けた。
そして目論見通りに決着がついたと判断すると早速桜にけしかけたのだ。
「思い出話たっぷりして気持ちスッキリさせてこい」
背中を押すその言葉で桜はやっと決意を固め、秋の爽やかな晴天に相応しい一歩を踏み出した。
遠くから見つめるリボーンの満足気に笑った顔も知らず、桜は奈々と再会の喜びを分かち合う。
「おかえりなさい、さくちゃん」
「……ただいま、母さん」
ひとしきり2人だけの空気を噛み締め、奈々は名残惜しそうにそっと離れた。
「本当に久しぶりね。すっかり大きくなって……パパとの話も聞きたいわ」
「私も会えて本当によかったよ。色々話したいこと、たくさんあるんだ」
イタリアで別れてしまった4歳の頃とは違い、今は身長が伸び、同じ高さで視線がぶつかる。
その時の長さを痛感しながらも桜の心はゆっくりと確実に満たされていく。
「こっちで話しましょ。天気がいいからお茶菓子もここに出しましょうか」
「母さん、洗濯物がまだ途中でしょ。私も手伝うよ」
「やだ、うっかりしてたわ」
やっと再会できた喜びで有頂天になっていたのか、洗濯物を干している途中だったのを忘れていたようだ。
「母さん見て、私もう1人で洗濯物も干せるんだよ」
「すごいわねぇ……あんなにちっちゃかったさくちゃんがそんなことまで」
「今は父さんの伝で一人暮らししてるの。並中にも通ってるよ」
2人並んでシャツやズボンを干しながら他愛のない話を交わす。
「……こっちで一緒に暮らすのはどう?」
控えめそうに奈々がそう提案するも、桜は寂しげに笑いながら首を横に振った。
「父さんから聞いたけど、ツナはあの時のことがショックで記憶を失くしてるんだってね」
「えぇ……あの頃は本当に大変だったわ。"ぼくのせいでさくが"って、ずっと泣いてた」
「そんなことないよって、言えたらよかったんだけどね」
悲しそうに止まった桜の手に奈々の温かい手が重ねられる。
「大丈夫よ、さくちゃんのせいでもないし、帰ってこれたからにはこれからがあるわ」
「ありがとう、母さん」
最後の一枚を干し終え、桜はグッと伸びをする。
夏の暑さが和らぎ秋らしい気候の風が心地よい。
「とりあえずツナの記憶が戻るまではこのまま一人暮らしするよ。契約したばっかりだからあと2年は住みたいしね」
「並中に通ってるんでしょ?ツナには会った?」
「うん。でも黒髪のせいか全然気づかれなかったな。逆になんで母さんは私のことすぐ気づいたの?」
「ばかね、私の大事な娘よ。気づくに決まってるじゃない」
優しく頬を撫でると奈々は鼻歌混じりで家の中へ入っていく。
「……ふふっ」
照れるようにはにかむと後を追うように家に入った。
久しぶりに踏みしめた我が家は、あの時と変わらず穏やかな空気を漂わせていた。
「懐かしいなぁ……」
「さくちゃんがいつ帰ってきても困らないように、家具とかの配置はそのままなのよ」
「うん。本当に全然変わってない」
どれほどこの日を待ちわびたことか。
人体実験を受けていた時も九代目に保護されてからも、桜はずっとこの家に帰れる時を待っていた。
短いようで長かった九年の隙間を埋めるように深く息を吸い込む。
「パパは?一緒にこっちに帰ってきてないの?」
淹れたての緑茶を出しながら奈々が尋ねると桜は気まずそうに苦笑いをこぼした。
「うーん……ちょっと仕事が忙しいみたいで。先に行っておいでって空港までは見送ってくれたよ」
「んもう、あの人ったら!年頃の娘一人行かせるなんてなに考えてるのよ。帰ったらお灸を据えなきゃ」
「あはは……」
父さんドンマイ、などと桜が同情する一方で、家光は遠いイタリアで大きめのくしゃみをかましていた。
「ぶえっっっくしょい!!」
「どうされました?親方様」
「風邪……いや噂かもな」
自分が話題にされてると思い謎のキメ顔をする家光がいたとも知らず、遠い日本で桜と奈々はお茶をすすった。
「次いつ頃帰るか聞いてる?」
「ううん、でも帰れるとしたら来年とかだと思う」
いずれ訪れるリング争奪戦を思い浮かべ予想する。
「まあいないものはしょうがないわね。そうだ、さくちゃん2階も見てみる?」
「うん。久しぶりだから見てみたい」
2週間ほど前にリボーンに誘われ既に見ていたが、やはり母と一緒に思い出を分かち合うべきだと考え共に部屋へ向かった。
「ベッドとかの配置は少し変えたんだけどね、持ち物とかはずっとあの時のままなのよ」
例の押し入れを開けると衣装ケースを引っ張り出す。
「小さい頃の服みんな残してたの?」
次々と出てくる懐かしい衣類に驚いて目を見張る。
「当たり前じゃない。きっとすぐ帰ってくるだろうと思ってたしね」
「まあ私もこんなにかかるとは思わなかったよね」
「本当はクローゼットに入れてたんだけど……ツナがあの状態になったでしょ、やっぱり目に入る場所にあったら辛くなると思って」
泣く泣く衣装ケースに仕舞って封印したことを語る奈々。
「むしろ前を向く意味ではツナが記憶失くして良かったんじゃないかな。今ならあの時のこと思い出しても受け止められる年齢だし」
「もう、そんな滅多なこと言うもんじゃないわよ」
自らを消した自己犠牲とも取れる発言を奈々はやんわりと咎める。
「あの時のお洋服はもう入らないサイズだけど、これからは色んな買い物してお出かけしましょうね」
「……うん」
そっと肩を抱き寄せる奈々の肩に桜は控えめそうにもたれた。
小さい頃の懐かしい洋服に思いを馳せると、ふとリボーンの言葉を思い出す。
《サポートAIでも使えばいいだろ》
ここに到着した時もそれに頼って思い出を探ったものだ。
ポケットをまさぐり端末を取り出す。
「そういえば、私が思い出を忘れないようにって父さんの会社が作ってくれたの」
画面上にサイバーパンク風の女の子が映し出された。
「昔の思い出、ここに全部入ってるんだよ」
「まあ……すごいものがあるのねぇ」
文章に添えられてイメージしやすいように花火やぬいぐるみの画像も浮かび上がる。
「これを見る度に頑張って帰れるようにしないとって何度も思ったの」
「そうね、こういうのがあるなら力強いでしょう」
「誕生日にもらったネックレス、あの頃はお腹のちょっと下くらいだったけど今は胸元にあるしずっと大事にしてたよ」
チャリ、と出したネックレスのチャームは変わらず銀色に輝いている。
「さくちゃんがいなくなって数える程度しかあげられなかったけど、これからはちゃんと誕生日プレゼントあげられるわね」
「うん、楽しみにしてる」
長らく2人きりの時間を楽しむが、早くも1日の終わりを告げる音楽が町中に響いた。
「気づいたらもう夕方か。そろそろ帰るね」
「ええ。ツナの記憶が戻ったらこの家に帰って来なさいね。また家族みんなで暮らしましょ」
「もちろん」
家の前まで見送られ、別れを惜しむように2人はまた抱き締め合う。
「いつでもご飯食べに来なさいね。ちょっと居候が増えてるけど楽しいわよ」
「そうだね、また近いうちに」
次の約束を交わし、桜は待ち焦がれた母に一時の別れを告げ夕焼けに歩き出した。
「さて、こんな時間だけどツナのお見舞い行かなきゃ」
怪我が増えたツナを見て悲鳴をあげることになるとは知らず、桜は意気揚々と病院へ向かうのだった。
こちらは10月10日〜10月11日開催していたRe!dpの特別先行エピソードです。