並盛中学校、応接室──。
その一角で、小さな黒い猫耳が揺れていた。
無論ここは教育の場である中学校だ、猫耳といっても本物の猫ではない。あくまでも作り物のカチューシャだ。
そしてその猫耳をつけている──否、つけさせられた張本人である雲雀恭弥は過去まれに見る不機嫌モードであった。
「ねえ、これどういうこと?」
蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだろうか。
鋭い眼光に晒された桜は縮こまりながらも、その可愛らしいビジュアルに隠しきれない笑いを漏らしていた。
「えっと、これはですね……話すと長くなるんですけど……」
「手短に説明して」
雲雀恭弥の頭上で揺れる猫耳、その発端となった始まりが脳裏に蘇る。
「あれは今日の朝のこと──」
「きみ人の話聞いてた?手短にって言ったはずだけど」
「食材の買い出しで商店街に行った時なんですが」
「うん、聞いてないんだね。いいよ続けて、終わったらお仕置きするから」
この日、朝いつも通りの時間に起床した桜は夜ご飯の材料を買っていないことに気づき商店街へと繰り出した。
普段は学校帰りに立ち寄るが、前日は任務が急遽入ってしまいそれが深夜の朝方近くまで続いたためだ。
しかし生活のメインは学業であるため、起床時間は普段と変わらないタイミングでアラームが鳴る。
「眠い……今日が休みでほんとに良かった……」
寝不足でやつれ気味の顔をなんとか精一杯正し、ひとまず野菜を見に八百屋を覗き込む。
色とりどりの野菜を見渡すが、疲れが取れていない脳みそではその野菜たちがどんな料理に変化するのか全く想像が湧かない。
「いいや、とりあえずスーパー行こ……」
商店街の中に併設されたスーパーに移動すると、特設コーナーにハロウィンの飾りつけとそれに向けた商品が所狭しと並べられていた。
その中には少しの野菜で作れる惣菜の素も置いてある。
「あー……じゃあカボチャのクリームシチューでいいか」
それなら3日分は作れるし、なとど独りごちながらカゴにぽいぽい放り込んでいるとふと視界の端にハロウィンに使うパーティーグッズが置いてあるのに気づいた。
何となく手に取った猫耳のカチューシャを眺めていると、ふと幼い頃の記憶がふんわりと蘇る。
ある年のハロウィン、ツナは猫耳のカチューシャを桜に被せ、その仕返しとばかりに悪戯と称してツナにも猫耳のカチューシャを被せたことがあったのだ。
「ぼくおとこなのに!」などとやや半泣き状態ではあったが、桜はその可愛さに悶えながら母のスマホでよく写真を撮っていた。
「あんなに可愛いなら仕方ないよねぇ……」
ここがスーパーの中だということも忘れ思わず口元が緩む桜。
その思い出をきっかけにふと、あることを思いつく。
「これ、もしや雲雀さんにも似合うのでは?」
この場にリボーンかツナがいればツッコミされていたかもしれないが、そんなことを言ってくれることもなければ止めてくれる人間もいない。
桜は猫耳の黒いカチューシャを手に意気揚々とレジへ向かった。
そのままその足で並中へ向かうが、応接室の前まで来たところではたと立ち止まる。
「今日って休日だけど雲雀さんいるのかな……?」
唐突に疑問が湧いて出るも、しかしすぐさま思考を切り替えた。
「いやまあ、雲雀さんのことだから休日でも来てるに決まってるか」
世間的普通に考えれば、ただの生徒が休日に学校に来てるのはおかしいはずだ。
しかし、こと雲雀恭弥に関しては"並盛を異常なまでに愛してる風紀委員長だから"という、ただその一点のみで違和感は普通のことになってしまう。
桜もその違和感に慣れてしまったために、大した疑問も抱くことなくいつも通りの動きで応接室に踏み入った。
「失礼しまーす……やっぱり雲雀さん、登校してたな」
定位置である正面窓際のデスクに見慣れた姿が鎮座している。
外を見ているのかその回転椅子は窓の方を向いているが、普段と全く変わらない学ラン姿に思わず苦笑を漏らす。
(「しっかり学ランまで着て来るなんて本当に並盛が好きなんだな」)
足取り軽やかに窓辺に向かうと、桜はそこで初めて普段と違う何かに気づいた。
「雲雀さー……あれ」
応接室に入ってきた時からそうだったが、やけに反応が薄い。
その答えが、雲雀の前まで来てやっと判明したのだ。
(「寝てる……」)
静かな寝息を立てて眠る彼の様子に桜は少しばかり戸惑ってしまう。
他人に気を許さず、戦闘においてのみ強者を追い求める性質を持つ雲雀恭弥が、いつ誰が来るとも知れない応接室で警戒心を緩めうたた寝をするなどかなりの予想外だったのだ。
(「こんなに気持ちよさそうに寝てるなんて、わざわざ起こすのも可哀想だよね」)
雲雀に気を使って帰ろうとするが、ふと一歩踏み出すより前に立ち止まった。
手に持った袋の中には先ほど買ったばかりの猫耳カチューシャが入っている。
元よりハロウィン目的で雲雀に使わせるつもりで買ったものだ。
それを今使わずしていつ使うのかと、桜に疑念を抱かせた。
(「起こさないでそのままカチューシャ被ってもらえば、それはそれでオールハッピーだよね!」)
雲雀の方が全く何もハッピーではないが、そんなことに考えが至ることもなく桜は一人勝手にカチューシャを手にした。
修行の成果と言わんばかりに気配を最大限消し、頭部への負担にならないようにとカチューシャをなるべく開く。
あと少し、というところで雲雀が「うぅん……」と身じろいだ。
慌てるようにすぐさまカチューシャを引っ込めるが起きた様子はない。
(「危ない危ない……眠りが浅いのかな」)
長年の殺し屋生活で培ったため足音が聞こえることはないが、あの雲雀が些細な気配で気づく可能性は十分高い。
(「一旦カチューシャ作戦はやめて他の悪戯にしてみようかな」)
何となしにデスクの上を見ると、そこにはいつものように書類や文房具が1ミリのズレもなく綺麗に置かれている。
その一つに桜は目をつけた。
(「書類は大事なものだから……こっちの文房具ならいいかも」)
まずはペン立てを90度回転させ、普段手を伸ばして取れる物の配置をずらす。
次に雲雀がごく稀に使う羽ペンの羽部分を洋風なものから和風のものへとすり替えた。
(「この程度で困るような悪戯じゃないし別にいいよね」)
1人で一方的なハロウィンを楽しむ桜だが、本来のハロウィンというものを彼女は忘れていた。
ハロウィンといえば、仮装した人間が「トリックオアトリート」という、日本語で言えば「お菓子をくれないと悪戯するぞ!」とどちらを選ぶか迫る合言葉で両者が楽しむイベントだ。
しかし、桜は雲雀に「トリックオアトリート」とは一言も言ってない。
何なら「悪戯するぞ」とも言わず既に悪戯を仕掛けている。
雲雀がハロウィンというイベントを理解したとしても無許可の悪戯を容認するはずがない。
そんなことを分かった上でやっているのか、もしくは忘れているのかは定かではない。
「さて、そろそろ良い頃合いかな」
聞こえないように小さく呟くと、桜は再び例のカチューシャを手に雲雀へそっと近づく。
寝息をたて気持ちよさそうに眠る雲雀の様子に桜はにんまりと笑みを浮かべた。
カチューシャを頭上まで持ってきたところで、ふと雲雀の顔を見つめる。
黒く艶やかな黒髪と切長の目を縁取る長いまつ毛、そして透き通るようなきめ細やかな色白の肌。
(「どんな化粧水使ったらこんな綺麗な顔になるんだ……」)
そんな美麗な顔面に見惚れていたため、桜はうっかり力が抜け落ちカチューシャはスポンと雲雀の頭上に被さってしまった。
当初の作戦では絶妙な力加減で一切の衝撃もなくふんわりと被せるはずだったが、雲雀を前にしてその企みはあっけなく崩れた。
目の前の自身を射抜くように見つめる双眸が、まさにたった今悪戯が失敗したことを示す。
ーーー……
「と、まあ今に至るわけです」
デスク上の悪戯などは省きつつ、ここに辿り着いた経緯を説明し終えると雲雀は冷ややかな目で見つめた。
「そう、分かった。君が思ったより馬鹿だってことはね」
「うっ……」
うまく反論もできずたじろぐ桜に雲雀がついと小首をかしげた。
「で?こんなことして君は何を差し出すの?」
カチューシャをつけたままという可愛らしい出で立ちに悶えていた桜が予想外の質問に思わず固まる。
「……え?」
「君さっき言ってたでしょ、ハロウィンだからやったって。ハロウィンっていうのは"トリックオアトリート"って言って悪戯するかお菓子を要求するものだろ」
何も間違ったことはない説明にこくりと頷く。
「で、君は既に僕に対して悪戯を済ませている。つまり今度は僕から要求できるわけだけど、まさか自分から仕掛けておいて何も用意してないなんてことはないよね」
そこまで言われて桜は初めて自身のミスに気づいた。
雲雀に悪戯することばかり考え、自分でおもてなしする方をすっかり忘れていたのだ。
「えぇ〜と……さ、さっき買った食材の長ネギ、とか……」
「馬鹿にしてる?」
苦し紛れに長ネギを出すが、そんなものがお菓子の代わりになるはずもなく。
すぐさま却下され、なす術もなく桜は現実逃避するように明後日の方向を見つめる。
「じゃあ……その、今から買いに行くので少しお待ちいただければ」
「だめ。今すぐ」
またしても却下されてしまい、もはや打てる手がない。
「すみません……何もないです……」
冷や汗をかきつつ謝るが雲雀は無反応だ。
チラリと雲雀の方を見るとまるで何の表情もない。
(「何これ?どういう感情の顔なの?」)
何かを考えているのか、それとも何かしらの救済措置でもあるのか……。
わずかに希望を期待した桜に無慈悲な、しかし至極当然な一言が投下された。
「何も出せないってことは、つまり僕からの悪戯も甘んじて受けるってことだね」
「えっ……まあ……はい」
「そういえば、昔なにかのドラマで"やられたらやり返す、十倍返しだ"って台詞があったね」
(「そこまで言ってない……」)
わざとか天然か分からない発言に思わず心の中でツッコミを入れてしまう桜。
しかし悠長にそんなツッコミもできない状況になり始める。
気づいた時には既に遅く、立ち上がった雲雀がそのまま桜をデスクとの間に追い詰めた。
(「え??何この状況」)
後ろにはデスク、目の前には獲物を狩る目つきになった雲雀が立ち塞がりどうにもならない。
逃げるにはデスクに腰をかける状態からすり抜けねばならないが、目の前の風紀を重んじる人間がそんなはしたない行動を許すはずもなかった。
(「それなら下からすり抜けるか」)
自分が追い詰められているなど全く思わず逃走の策を練るが、雲雀もそんな桜の思考を見逃さない。
すぐさま片足を桜の両足に割り込ませ前後左右を行動不能にした。
これでは完全にお手上げ状態だろう。
(「一応上に逃げる手もあるけど……まあ相手が悪いな」)
どんな状況でも逃げられる術を身につけてはいるが、それはあくまでも相手に一切の情がない敵であることやその時の環境によることが多い。
今回のように建物の破壊が好まれない学校であること、さらに相手が幼馴染の風紀委員長ともなると本来の殺し屋としての実力を発揮することは難しい。
何よりこの状況を招いたのは、自分のしょうもない悪戯心とミスから来るものだ。
「本当にすみません、勘弁してください」
降参の素振りを見せて許しを乞う。
「するわけないでしょ。まだ僕の番だからね」
相当な負けず嫌いなようで、桜の要望など全く聞く気も見せず何をしようかと思案を巡らせる。
そんな雲雀とは真逆に、桜はかなり精神的に動揺していた。
雲雀に悪戯ができたというちょっとした高揚感に加え、年頃の男子に追い詰められるというこの状況。
そして多少ながらも雲雀に対しては好意的な感情があるため、こんな近距離で迫られてはさすがの桜でも今回ばかりはプロの殺し屋ではなく、年相応の女の子になるというものだ。
鼓動が高鳴るのをなんとか抑えつつ、意識を逸らせようと努めて窓の外を眺めるがそれも徒労に終わる。
「ねえ、聞いてる?」
「ぅえっ!?」
あえて意識を逸らせていたために、慌てて雲雀の方に向き直るがその行動が仇となった。
いつの間にかすぐ目の前まで顔を近づけていたようで、視線を合わせた時には鼻先が触れ合えるほどの距離に差し迫っていた。
「どんな悪戯するか、色々考えてたんだけどね」
「い、色々……?」
「そう。なにしろ時間はたっぷりあるからね。君に選ばせるくらいはしてあげようと思って」
どんだけあるんだよ、とツッコミしたい桜だが、この状況からもはやそんな余裕は残っていない。
早まりつつある呼吸音と徐々に熱が集まりつつある顔を隠そうとさりげなく目を逸らす。
そしてこの桜の変化にようやく雲雀も気づいた。
「じゃあ早速ひとつめといこうか」
しかしそんな桜の様子も未だ気づかないフリをし、あくまでも悪戯として続行することにする。
「あ、あの……せめてもうちょっと……」
「なに?」
絞り出すように震える声で何か言おうとする桜に雲雀は知らぬ素振りで応える。
「声が小さくて聞こえないな」
さらに顔を近づけられ、いよいよ桜の思考はオーバーヒート寸前になる。
「それにしても、ここまで密着したのはあの七夕の時以来かな。あの時もこれくらいだったよね」
幼い頃を思い出すようにするりと左手を頬にすり寄せる。
「今でも君はあの時と同じ……あ」
やけに静かだと雲雀が気づくと同時に、桜の身体がゆっくり後ろのデスクに倒れた。
いつの間にか顔は真っ赤に火照り、力が抜けてくたりと伸びた両腕はまるで猫のようだ。
見た目の違いには気づくものの、桜の好意には全く気づかない雲雀はやれやれと半ば呆れ気味にソファに運ぶ。
「全く、修行が足りないみたいだね。あの赤ん坊にちゃんと見てもらいなよ」
そう呟くと、雲雀は頭のカチューシャを外し応接室を後にした。
次のハロウィンで温めておいた悪戯をされるとはこの時の桜が知るはずもなく、窓の外で小春日和の風が吹くのだった。
こちら、復活夢創作イベントのRe!dpで参加した企画小説でした!
同イベントで先行公開した2739生誕祭特別エピソードもこちらで公開してるので、まだお読みになってない方ぜひご覧ください。