逆行した日   作:恵猫

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過去へと戻った日

 目に映る景色は、赤い炎と黒い煙に覆われていた。燃える炎が肌を焼き、焦げた匂いが鼻をつく。

 屋敷のあちこちで火の手があがっていた。燃え盛る炎を掻い潜り、私は走る。

 

目指すはただ一つ、私が護ると誓った彼女の元へ。

 

「お嬢様!!」

 

 長、と呼ぼうとするたびに止められた。名前を呼んでと言われて、私が困ったように駄目ですと言うと、不満げにしながらそれでも、この呼び方を許してくれた。あの頃に戻ったような気持ちになれるんだと、今は遠い友達を思い出せるのだと、懐かしそうに笑って言っていた。

 襖を壊すのではと思う程の勢いで開く。炎は既にここまで及んでいて、踏み込んだ部屋の中、そこに広がっていた光景に目を見開いた。

 

「ご覚悟……!!」

 

 私が探していたお嬢様と、一人の男がいた。

絞り出すように言った男は刀を振り上げて、お嬢様は座ったまま、悲しげに目を閉じている。

 私は駆け出し、かれこれ十年以上愛用している刀を抜いた。二代目の相棒である刀が牙をむいて、男に襲いかかる。

 

「神鳴流―――斬岩剣!!」

 

 後ろからは武道に反する、そんなことを思って、すぐにそれがどうしたと、思い直した。

 背中から血を噴き出して、男が倒れる。お嬢様がゆっくりと目を開けて、私を見上げた。ふわり、笑みを向けられて、私は手を差し出した。

 

「せっちゃん」

「お嬢様、ご無事でよかった。さあ」

 

 逃げましょう、と。外は敵だらけで、早く逃げなければまた襲われてしまうから。仲間が食い止めてくれている間に、早く。

 繰り返した言葉と、私の手にお嬢様は首を振った。拒絶された手を下げる事も出来ない私に、お嬢様は座ったままで、なあ、と話しかけてくる。

 

「もう、手遅れみたいや」

「いいえ、まだ間に合います。とにかく、今は逃げましょう」

「無理なんよ。うちの体に、毒が入ってるから」

 

 毒、ということは食事を用意した女中たちも、敵だったわけで。けれどそれは、今となってはどうにもならない、遅すぎる真実で、後回しの真実。

 お嬢様にとって、毒は意味を成さないのに。なぜ、と問いかけた。

 

「魔法がな、使えないんよ」

「え……」

「たぶん、結界やな。魔法を使えなくする……媒介がどこにあるのかも、今となったらよう分からん」

 

 魔法が使えれば解毒できる毒も、その魔法が使えなければどうしようもない。お嬢様の口ぶりからすれば、他の方法での解毒ももう間に合わないんだろう。絶望的だった。

 

「そん、な……」

 

 口の中が乾いていく。どうしてお嬢様がこんな目に合うんだと、誰かを責める。

 ガクリと膝をついた私に、お嬢様は、とても綺麗な笑みを浮かべた。

 

「うちも、お父様も……結局、西と東を仲良くさせる事は出来んかった」

「そんなことありません。だって、和解を成立させたのは、お嬢様じゃないですか……」

「紙面だけの、協力しましょうって綺麗な言葉を並べただけの和解や。皆、東に下ったんやって、怒っとった。せっちゃんかて、知ってるやろ?」

「それは……」

 

 東を倒せと、叫ぶ声は収まらなかった。それどころか、お嬢様が長となられてからは、その声はより一層に激しさを増したように思う。表面上は穏やかで、けれど水面下では荒れ狂っていて、東に対する怒りと恨みの声は静まることを知らなかった。

 そしてその声は、お嬢様への不満でもあった。

 

「うちが、過去に仮契約してたのも、原因やろうなぁ……」

「……そう、ですね」

 

 否定の言葉を吐けなかった。お嬢様は、もう全てを分かっていた。

 今はもう解除しているとはいえ、一時でも、西洋魔術師と仮契約を結んでいた。それは即ち、一時でも―――東の者の、従者だった。

 それは、水面下で暴れている者たちにとって、興奮剤でしかなかった。与えてはならぬ劇薬。既にお嬢様は、彼らにとって西ではなく、東に組みする者となっていた。

 反発は強かったが、それでもお嬢様は長となった。西と東の関係を良くしようと、尽力した。それが余計にいけなかった。

 東との和解が成立し、彼らの不満が爆発した。そしてお嬢様は彼らの敵とされ、敵は滅ぼすのだと叫びがあがった。

 

「―――ゴホッ」

「お嬢様!!」

 

 咳き込んだお嬢様の体が倒れる。支えた体は冷たくて、口からは血が溢れていた。もう、限界なんだろう。

 悔しさに唇を噛みしめた。刀を握る手に力が篭って、どうしてと、もう意味を成さない問いかけが頭の中を駆け巡る。

 どうして、このちゃんがこんな目に合うんだと、何もかも遅い今になって、私は問いかけた。

 

「はっ……せ、っちゃん…」

「お嬢様……」

「みんな、はな……西を、守りたいだけ、なんや。それは、うちも、みんなも……同じ、気持ち…」

「はい。分かって、ます」

「やから………みんなを、恨まんといて、な……?」

「それは……」

 

 このちゃんをこんな目に合わせた連中を、恨むなと。確かに、彼らは彼らの信念をもって、彼らなりに西を守ろうとした。その結果が、このちゃんをこんな目に合わせた。どちらが正義とか、悪とか、そんなものは無い。ただ結果が、私にとっては最悪だっただけの話。

 でも、だとしても許せる事じゃ無い。だってこのちゃんは、私の親友だから……許せるわけが、無い。

 

「うちな、みんなに……せっちゃんにも、西の皆にも、傷ついてほしくなかったんや…」

「お嬢様……」

「みんな、守りたかった。西とか、そんな大きなものや無くて、うちの周りにいる皆を……守りたかったんや。東と仲良くすれば、皆を守る力が、増える……そう、思ったんやけど、駄目やったみたいや。急ぎ過ぎたのかも、しれんなぁ……」

「……間違ってなんか、いませんよ。私が、保証しますから」

「ほんま? なら、よかったぇ……」

 

 東と和解する事は、間違ってなんかいなかった。ただ、それ以外のたくさんの事が、間違いだらけだっただけで。

 でも、それを言う事は出来ない。言ってしまえば、これまでの思い出を否定してしまうから。言える筈が無くて、言いたく無かったのに……このちゃんは、自分でそれを言ってしまう。

 

「うちじゃ、駄目やったんや」

「お嬢様……」

「うちは、東に近すぎたんや。何も知らなかったあの頃に、うちは取り返しのつかない間違いをしてしもた」

 

 無知とは時に罪である。そして世の中には、知らなかったですまされない事があるのだと、今更になって私たちは思い知らされる。絶望の中で、無知は罪だと突き付けられる。

 

「後悔は、してへんけど……うちは、ちゃんと知らなきゃあかんかった」

「そう、ですね……」

「仮契約、な………うちは、絶対にしたら、いけなかったんよ…」

「……ええ」

 

 何も知らず、後の事も考えず、ただその一瞬の為だけに。

 知っていれば別の道があったかもしれない。けれど知らなかった私たちは、その道を選ぶほかに無くて。

 あの数年間で得た絆は、かけがえのないものだったけれど。本当にこれでよかったんだろうか。

 

「なあ、せっちゃん……」

「はい」

「名前、呼んでぇな」

 

 開けているのも辛いだろう目を、開けて。そうして伸ばされた手を、強く握り返した。

 

「この、ちゃん」

「もっと……」

「このちゃん…このちゃん、この、ちゃん……」

「せっちゃん」

 

 嬉しそうに、笑って。握った手から、力が抜けた。

 擦り抜けていく手を掴もうとして、それなのに掴めなくて、落ちて行く。目が、閉じられた。

 

「この、ちゃん、このちゃん、このちゃん!」

 

 揺すっても、叫んでも、このちゃんは目覚めない。閉じた目を、開けてくれない。

 

「ぁ、ぁああ、ああああああああああ――――!!!」

 

 慟哭、それが正しいのだろうか。溢れる涙も拭えず、体の奥底からこみあげる叫びを止められないまま、このちゃんの体に縋り付いた。

 

「どうして、どうして!?」

 

 何を間違えていたのか。取り返しのつかない間違いを犯したのは、あの頃で。今となってはもう遅すぎた。

 後悔も、懺悔も、意味を成さない。無知が罪だと、私たちはあの頃に気づかなければならなかった。

 結局、私はこの名前の通り、刹那を生きるだけの存在で。前を向きながら、先を見据える事が出来なかった。

 止めればよかった、止めなければならなかった。そうすれば、こんな未来ではなくて、もっと別の未来を選べたかもしれないのに。

 

 私も、このちゃんも、間違えてしまった。

 

「ごめんっ、このちゃん。ごめん、ごめんっ……」

 

 体が熱い。炎がすぐ傍で燃えている、ここももう限界だろう。

 逃げる事は出来るだろうか。出来ないかもしれない―――でも、それはもうどうでもいい事だ。私に、逃げるつもりは無かった。

 

私も、ここで終わる。

 

「すぐ、行くから」

 

 護れなくてごめんと、謝ることしか私には出来ない。

 

 

 

「刹那!!」

 

 切羽詰まった、悲鳴にも似た龍宮の叫びに閉じていた目を開けた。目前に迫る巨大な斧と、それを振り下ろす鬼がいる。

 瞬時に状況を確認。右手に馴染んだ懐かしい相棒の感触、ぐるりと周りを囲むのは十数の妖怪。龍宮は別の数体に囲まれて動けない。服を見下ろす、見慣れたそれは中学の頃に愛用していた裏専用の仕事着だった。

 

「え……?」

 

 思考時間はコンマ数秒。変わらず迫りくる斧をするりと避けて鬼の懐に入り込み、横薙ぎに刀―――夕凪を振るった。

 鬼が倒れて消滅する。私の思考はひどく混濁したままだ。

 

「どうして、私は……」

「刹那、ぼんやりしている暇は無いぞ!」

「あ、ああ……」

 

 突拍子も無い事態に、記憶が混乱して意識はぐちゃぐちゃだ。龍宮の言葉にも、何とも気の抜けた返事をするのが精いっぱいで、これでは駄目だと意識を無理矢理に切り替える。

 どうにも状況は飲み込めないが、これは仕事で、私がいるのは戦場だとだけ考えればいい。そうすれば、これまでの経験が勝手に気持ちを切り替えて、体を動かしてくれる。

 

「っし、はぁあああ!!」

 

 振り上げ、振り下ろし、振り抜き、突き刺し、突き上げ、薙ぎ払う。数は多いが、一体一体はそれほど手間取る事も無い。ただ、麻帆良に侵入してくる妖怪にしては強い。この分だと先生はともかく、生徒は苦戦を強いられるだろう。

 

「せいっ!!」

 

 私の二倍はある槍を持った妖怪を相手に飛びあがり、刀を振り下ろす。ガキンッ、と槍で受け止められた瞬間、その感覚に妙だと思った。

 

「(体が、重い……?)」

 

 というよりも、動きずらいと言うべきか。とにかく、いつもとは違った感じがして顔を顰める。

 それでも戦いを止めるわけにはいかず、粗方の敵を切り捨てたのを確認して私は気を高めた。

 

「神鳴流―――雷鳴剣!!」

 

 残る敵を雷で一掃する。雷鳴と共に強い光が妖怪を焼き殺し、焦げた匂いが辺りに充満した。

 視線を巡らせ、周囲の気配も探ってみるが、他はもういないようだ。振り向けば龍宮の方も終わったらしく、これで私たちの管轄は終了となった。

 

「お疲れ」

 

 近づきながら声をかける。とても不思議そうに見られ、首を傾げられた。

 どうしたのか、そう思うよりもまず先に、私の身に何が起こったのかを考える。よく分からないままに戦ったが、状況さえまともに把握できていない。とりあえず、改めて着ている服を確認すれば、それはやはり中学の頃に着ていた仕事着で、右手に握ったままの刀は夕凪だった。これは明らかに可笑しい。

 だって夕凪は、十年ほど前に折れてしまったのだから。

 

「刹那、でいいんだよな?」

「当たり前だろう。何を言い出すんだ」

 

 突然おかしなことを言い出す龍宮。そもそもなぜ、彼女がここにいるのか。ああ、いや、違うか。ここにいて良いんだ、別におかしくない。前に仕事を一緒にした時も相変わらずの腕前で―――あれ?

 前って、いつだ。確か半年ほど前に仕事をして、随分と久々に会ったから色々と話しをした筈だ。なのに、何故だ?昨日も会った……いや、というよりも、今日、同じクラスで、先生の授業を―――

 

「おい、刹那?」

「ッ……」

 

 どうした、そう問いかけてくる龍宮を見上げる。おかしいな、こんなにこいつとは身長差があっただろうか。確かに龍宮の方が背は高かったが、私も少しは伸びて多少なりとも縮まった筈なのに。ああ、でもいつもこうして見上げていたような。

 

「(分からない)」

 

 分からない。私はいったい、何を覚えている?誰を見ている?

 

「たつ、みや……」

「……さっきから様子がおかしいな。いったい、どうしたっていうんだ?」

「あ、ああ……その、このちゃんの、ことっ…」

 

 このちゃん、その名前を口にした瞬間、激しく頭を揺さぶられ、かき回されるような衝撃に襲われた。何十年分の記憶が纏めて、滝のように私の中に流れ込んでくる。

 燃える炎の熱さ、木の焼け焦げた匂い、視界を覆う煙の息苦しさ、嘗ての仲間に刀を向けられた衝撃、嘗ての仲間を斬る感触―――抱いたこのちゃんの体の、冷たさ。

 全部、覚えてる。でも、ああ駄目だ。ぐちゃぐちゃの意識が、記憶が、流れ込んできた記憶で更にぐちゃぐちゃになって、ぐるぐる回っている。それは吐き気さえ催させて、ぐちゃぐちゃぐるぐるになった頭を抱えて私はその場にしゃがみ込んだ。

 

「このちゃんって、近衛の事だよな?珍しいな、お前が近衛をお嬢様じゃなくて名前で―――おいっ、刹那? どうした、大丈夫か?」

 

 お嬢様。ああ、そうだ。私は今も昔も、このちゃんをお嬢様と呼んでいて………今も、昔も?昔なのか?未来では無く? いや、そもそも今とはいつだ。

 それに変だ。このちゃんは、死んでなんかいない。だって今日も明日菜さんやネギ先生と一緒にいて、私はそれを見守って………でも、確かにこのちゃんは死んだ。

 抱いたこのちゃんの感触を、冷たい体に縋って泣いた感覚を私は覚えている。擦り抜けて行った手を掴めなかったあの瞬間の絶望も、私は確かに覚えているんだ。

 いったいなんなんだ?このちゃんは死んだ? それとも生きている? どちらだ、何がどうなっている? 分からない、私に何が起こっているんだ?

 

「龍宮、頼む……教えてくれ…」

 

 震える声を絞り出して、不審と気遣わしげに見てくる龍宮の腕を掴んで引き寄せる。その力の強さに驚いたように目が見開かれたが、そんなことを気にすることも出来ずに、私は叫ぶように問うた。

 

「今はいったい、いつなんだ―――!?」

 

 流れ続ける記憶の濁流に、私はただもがき続けるしかなかった。

 

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