春休みも半分を切ったある日のこと、寮の廊下で千雨さんに会った。
「お出かけですか?」
「ああ」
彼女はとても面倒くさそうな表情をして頷くと、早足で私の横を通り過ぎて行った。
いってらっしゃいと去っていく彼女の背中に言葉を投げると、小さく手を振り返された。
千雨さんを見送ってから、気づけば二時間が経っていた。
夕凪の整備、お札の作成と行っていたが、随分と集中していたらしい。
「んーっ」
椅子の背もたれに寄りかかって、ぐいっと腕を頭上に伸ばした。机には筆や未だ真っ白な紙が、出来上がったお札と共に並んでいる。
それぞれ纏めてから引き出しにしまって、もう一度時計を確認。もうすぐ一時になるところだった。
「お昼、どうするかな……」
今日は真名もいないし、作るにしても一人分だけだ。真名がいる時は二人分作ることが多い。
少し考えて、せっかくだしたまには外で食べようかと結論を出したところで、ビリッと脳に一瞬、電気のような刺激が走る。
「ッ!」
刺激の正体はすぐに思い立った。急いで部屋を飛び出し―――直前に財布を掴んだ。昼食をどうのと考える前に、今日は外に出る事が決まっていたらしい。
「千雨さん……!」
寮を飛び出し、千雨さんの場所を探す。あまり遠くは無かった。
地面を蹴る。春休みで、しかも昼時ということもあってか、この辺りに人影は無かった。それ幸いと、半ば飛ぶようにして私は走った。
千雨さんとこのちゃんに渡したお札には、大きく分けて二つの効果がある。
一つは、持ち主の身に迫る危険を察知すること。もう一つは、危険が迫っている事を私に知らせること。
危険というのは、持ち主に害であるか否か。害と判断されれば、場合によっては怪我をさせるものでは無くても私に知らされる。
持ち主の危機を私に知らせる時、同時に二つのことが分かる。持ち主の場所と、危険の度合いだ。
持ち主の場所というのは言葉の通りで、度合いも同様。
どの程度の危険が持ち主に迫っているか―――大概、私に知らされる危険というのは、持ち主に大きな怪我をさせるか、死を齎すかのどちらかだ。軽い怪我程度だと、突発的な事故の場合もあり反応が間に合わない。
だから、今回の場合のように信号があるというのは、歓迎される事では無い。
「……これは……」
街へと続く道に入った途端、妙な、けれど慣れた感覚に足を止めた。
「結界か」
人払いの結界のようだ。街が近いにも関わらず、人がいないのはそのせいだったらしい。
ただ、問題なのはこの結界内に千雨さんの気配を感じること。認識阻害の魔法による効果が薄いと聞いてはいたが、どうやら人払いもあまり効果を成さないらしい。
走りながら、千雨さんに迫る危険の正体を探した。少し離れたところで魔力が高まるのを感じて、おそらくはそこに原因があるのだろうと考えた。
前方に、荷物片手にこちらに向かって歩いてくる千雨さんを見つける。無事な様子に安堵の息を吐いた。
「ん? 刹那じゃねぇか」
私に気づいた彼女が不思議そうな顔をした。
走っていた足を次第に緩めて、彼女の前で立ち止まる。笑みを浮かべた。
「どっか出かけんのか?」
「ええ。たまには外でお昼をと思って……千雨さんは、これから帰りですか?」
「んー、まあ一応な」
「よかったら、一緒にどこかで食べませんか? もう食べたんでしたら、いいですけど……」
「ああ、いや……」
考える千雨さんを見上げながら、後方で微かに響く音に注意を払う。
まだ音は小さいから、千雨さんは気づいていない。ただ、このまま彼女を帰らせるわけにはいかなかった。
「ね、行きましょう?」
問いかけながら、彼女の手を取った。強引とは思いながら歩き出す。
「ちょ、行くから引っ張んなって」
驚いた千雨さんの声を聞きながら、街への道を戻りだした。
結界はもう少し先まで続いている。後方から聞こえる音と感じる魔力に、千雨さんの手を掴んだまま歩き続けた。
******
使ってたパソコンのケーブルが駄目になって、仕方なしに買いに出た。
ったく、休みだってのに面倒くせぇ。本当なら今日一日使ってサイトにバンバン新作あげてランキング一位の座を更に不動のものにするはずだったのに。
けどまあ、壊れちまったものは仕方ない。ついでだから部品とかソフトとか新作を見て行くのもいいかと思った。
麻帆良って、街の外と比べるとそういうのが随分と安いんだよな。たぶん、外の最新よりも進んだ技術があるからだろうけど……癪だけど、その辺りは得した気分になる。
とはいえ、出て来てみると平日でも多いのに休日ということで更に大量の人、人、人。結局、無駄にぶらぶらする気にもなれなくてケーブルだけ買って帰ることにした。
その帰り道に刹那と会って……なんでか昼を一緒に食べてる。
「あ、これ美味しいです」
「よかったな」
目の前でくるくる、フォークでパスタを巻いてる刹那。引っ張られるままに一度は退散した街中にまた戻ってきて、目についた店がパスタの専門店。私はナポリタン、刹那は和風きのこでなかなか美味い。
「……お前、何しに来たんだ?」
「何って、お昼を食べにですが……」
「本当にか?」
自分で言うのもなんだが、私はそれほど鈍いわけじゃない。空気だって読める、
だから刹那が私を誘った時の態度が、いつものお前らしくなくて何だか焦っているようだったのだって分かってる。少なくともただお昼を食べる為だけに出てきたわけじゃないことくらい。
「……普通はさ、あんなに人がいないわけ無いと思うんだよ」
街の中心から離れても、刹那と会ったあそこは決して人通りの少ない道じゃない。ましてや寮や他の建物に通じるあの道は、休日なら誰かしら人がいていい筈なんだ。
それなのに誰一人と人がいないというのは、偶然にしては結構な確率だと思う。呟いた私に、刹那はくるくるパスタを巻く手を止めて微笑んだ。
「そんな日もありますよ」
たまたま人がいなかっただけで、何も無い。何も無かった。いつもと変わらない、騒がしくて面倒くさい日常だ。
「……」
貰った日から片時も手放すことなく持っているそれが、ポケットに入っていた。半信半疑、本当に効果があるかなんて分からないそのお守り。
まあせっかくもらったんだし、気休めぐらいにはなるかと思って持っていた。目の前のこいつが言う異常を体験した後でも、そこら辺の神社に行けば買えるだろうこんなお守り一つで何が出来るのだろうと思った。私に迫る危険をこいつに知らせるだなんて……そんなこと、出来るわけが無いと思ってた。
「(でも……)」
いつも何食わぬ顔をして現れるこいつは、私の手を掴んでは私が進もうとした道から別の道へと引っ張っていく。理由は買い物だったり食事だったりいろいろだったけど、決まって絶対に、私の進もうとしていた先へは行かせなかった。
あとで調べたら、その先で乱闘があっただとかロボットの暴走があっただとか色々と聞いて、体が凍った。まさかと思って、偶然だろうと思った。思いたかった。
「千雨さん?」
刹那が、どうしました? と首を傾げている。私は首を振り返した。
「なんでもねぇよ」
私がどんなに疑おうと、こいつは「何も無かった」と笑う。何も無い変わらない日常だと、刹那は言うんだ。なら、それでいいじゃねぇか。
「(私らしくもない)」
たとえば本当に刹那が私に迫る危険を察して駆けつけているのだとして。私に何が出来ると言うんだ。
あの時、どちらにするか聞かれて私は、助けてもらうことを選んだ。刹那が護るといったから、私はそれに頼ることにした。一方的に私のことを任せることになるのは、正直いって情けないし呆れ果てる以外に無かったけど。
それでもそうと決めたのは私で、そして今のところ私の日常が崩壊するような異常というのは起こっていない。刹那から教えられたことに気をつけているから異常に近づかずにいられるのか、それとも刹那が私に迫る異常から私を護ってくれているのか。どちらかは分からない。
「……次は、気をつける」
分からないけど、こいつが私のことを心配してくれているのは分かるから。あまり余計な心配はかけないようにしようと、そう思った。
「千雨さんはこのあとどうしますか?」
「あー……そうだなぁ」
綺麗に空になった皿を目の前に、新しく注ぎ足された水を一口。
ケーブルはもう買えたから、最低限の買い物は終わってる。人混みを歩くのが面倒で他に何かを見てまわるって事をしなかったけど、結局ここまで戻ってきちまったし。どうすっかなぁ。
「刹那はどうすんだ?」
「私は……そうですね。少し歩いて、それから寮に戻ろうかと」
「ふ~ん……」
何気なく刹那を見て、ふと首を傾げた。
「あんた、なんで制服着てるんだ?」
「え?」
……ああ、違うな。制服かと思ったけど、ブラウスの形が少し違うか。スカートの柄もちょっと違うし……にしても、随分とそっくりだな。
「制服とは違うんですけど……」
「ああ、悪い。あんまりにも似てるもんだからよ。でも、休みくらいもう少しおしゃれしてもいいんじゃねぇの? 他にも服はあるだろ?」
「他、ですか……」
せっかくの春休みまで、制服まがいの服を着て過ごすことは無いだろう。言うと、刹那は難しそうに眉根を寄せた。
「他だと、ジャージとかそういうのしか……」
「……は?」
聞こえた言葉に、私は思わず首を傾げた。
「おいおい、いくらなんでもそりゃないだろ」
「そう、でしょうか?」
「でしょうか、ってお前……」
これは、マジか? マジなのか? こいつの持ってる服って、まさかジャージと制服系統ばっかりなのか?
呆気にとられて、ポカンと口を開けたまま目を見開く。どんだけ勿体ないんだよこいつ。
「あまり気にしたことが無くて。動きやすいのが一番ですし」
「……」
あまりの勿体なさに言葉を失くした。この様子だと、こいつは自分の魅力に気づいていないんだろう。
少し吊り目がかった目も、サラサラの黒髪も、スレンダーな体型も、ちょっと手を加えれば簡単に世の男どもが振り向くようになる。大人びた格好も可愛らしい格好も、どちらもこいつの魅力を十分に引き出せるだろうな。
「……ありえねぇ」
「え?」
首を傾げた刹那。私は立ち上がりその手を取った。
「行くぞ、付き合え」
「え、ちょっ、千雨さん!?」
「まずは服だな。この辺りはいい服屋が多いから、まずはそこで揃えるぞ」
「はい?」
ちゃっちゃと支払いを済ませて店を出る。服を揃えたらアクセサリーも見て、ああ靴も見ないとだな。
私に手を引かれている刹那は、何も分かっていない様子で頻りに首を傾げている。それに対して、私の唇は自然と笑みを浮かべていた。
「今日一日で、私がお前を変えてやるよ」
「へ?」
伊達にネットアイドルやってねぇんだ。全力で、男どもが足を止めて振り向かずにはいられない美少女に、こいつをプロデュースしてやる。街中の人混みもなんのその、燃える今の私にはこんなの障害にもならねぇ。
「……千雨さん?」
さて、どの服屋から周ったもんか。時間はまだたっぷりある、私は刹那の手を掴んだまま計画を立て始めた。
―――今日は、何とも楽しい休日になりそうだ。
******
「……ただいま」
「ああ刹那、おかえり………なんだい? その荷物は」
「あはは……」
疲れた体で帰ってきた部屋には、既に真名の姿があった。真名は私が両手に抱える荷物を見ると、軽く目を瞠って驚いた。
私はそれに苦笑いを浮かべながら、荷物を床に置いてふぅっと息を吐いた。
「服さ。街で千雨さんに会ったんだが……なんでか妙に張り切られてな」
「ほう……なかなか可愛いじゃないか」
「あ、こら。勝手に出すな」
言いつつ、けれど袋から服を取り出す真名を止める気にもならず、椅子に座って力を抜いた。
修行での疲労が身体的なものだとすれば、今日の疲労は精神的なものだ。殆ど千雨さんの着せ替え人形も同然だったからだろうが、慣れない事はするものじゃない。
「なんだか、変に疲れた……」
「だがそう言うわりに、満更でも無かったという顔をしてるぞ?」
思わず呟いた言葉に、真名が薄らと笑って言ってきた。
「実際のところ、どうだったんだ?」
「……まあ、楽しかったさ」
服を選ぶ千雨さんは、何だかとても楽しそうだったし。特にこだわりの無い私に文句を呟きながら、けれどその顔は笑っていた。
着せ替え人形にされたのは疲れたが、普段と違うことは新鮮で楽しかったのも確かだし。
「たまには、こんな日も悪くないな」
今度は、このちゃんも一緒に三人で出かけよう。服の話は、きっと千雨さんも私よりこのちゃんと話した方が良いだろうし。
ああでも、また振り回されるのはちょっとな。今日みたいなのはもう勘弁してほしい。
「明日も休みなんだし、今日はもうゆっくりすればいい」
「ああ、そうするさ」
どこか優しく真名が笑って、私もそれに笑い返した。