春休みで、寮にいない生徒もいる。だから今の寮内は、普段よりも静かで落ち着いている。
いつもは騒がしいそこも、生徒がいなければ静かでいい。普段人が集まる時間よりも少し早い時間なら尚更だった。
「あ、ああっ、えっと、これは!!」
「あぅ、明日菜さ~ん……」
今なら人も少なくてゆっくり出来る、そう思ってやって来たら、明日菜さんとネギ先生に会った―――大浴場で。
「えっと……」
大浴場は、私と明日菜さんとネギ先生の三人だけ。後から来たのは私だから、それまでは明日菜さんたち二人っきりだったということだ。
……たしか、ネギ先生がお風呂嫌いだと聞いた気がする。なら、明日菜さんがネギ先生をお風呂に入れようと連れてきた、といったところか。その理由が無くても、まあ変に誤解するような事は無いんだけど。
何を言おうか考える私に、明日菜さんとネギ先生は慌てて誤解を解こうと支離滅裂に言葉を紡ぐ。それを見て、苦笑いした。
「別に、誤解なんてしてませんから、大丈夫ですよ」
「ほ、本当……?」
「ええ。それより、入るならちゃんと入らないと、風邪をひきますよ」
「あ! そ、そうよね。ほら、早く入りなさい!」
「わっぷ!?」
バシャンと音を立てて、ネギ先生がお湯へと沈む。あれ、大丈夫かな。
「さ、桜咲さん、いっつもこの時間なの?」
「ああ、いえ。今日はたまたま……」
「ふ、ふ~ん、そうなんだ……」
髪を洗って、体を洗って。泡を流し終えたところで、何故かジッと明日菜さんが私を見てることに気づいた。
「あの、何か……?」
「えっ!?」
シャワーを止めて振り返ると、彼女はまた慌てだした。
普段の彼女ならもっと落ちつていると思ったけど……どうしたんだろう。
「いや、えっと……桜咲さん、肌綺麗だな~って……思って……」
「そうですか? ありがとうございます」
このちゃんも、綺麗だって言ってくれたなぁ。まあその時の私の体は、今みたいに傷一つ無いこんな綺麗な体じゃ無かったけど。
大切な人を護る為に負う傷を、私は後悔したりしなかったけど。悲しそうな顔をするこのちゃんは見たくなかった。
「刹那さん?」
「え? あっ、わあ!?」
「きゃあ!!」
湯船に浸かってぼんやりと思い出に浸かってたら、突然のように目の前に現れたネギ先生に驚いてしまって、バランスを崩してお湯に沈んだ。
明日菜さんが悲鳴をあげたのを聞いて、すぐに沈んだ体を起こして体勢を立て直す。
大丈夫? 尋ねてくる明日菜さんに、飲んでしまったお湯に少し咳き込んで頷いた。ネギ先生が慌てて話しかけてくる。
「す、すみません、驚かせてしまって」
「ああ、いえ。私も気づかなかったのが悪いので……」
みっともない姿を見せてしまったと心中で悔みながら、改めて二人を見た。
特に何か話していたわけでもない。一つ気になるとすれば、明日菜さんのどこか不自然な態度だろうか。
「えっと、どうかしましたか? 神楽坂さん」
「え、なにが?」
「その、私に何か聞きたいことがあるのかと思いまして……」
それが気になるから、態度が不自然になるのでは。そう考えた私の言葉に、明日菜さんは気まずそうに視線を彷徨わせた。
「ああ、え~っと……」
「私に答えられる事でしたら、お答えしますよ?」
「本当?」
頷くと、明日菜さんは私では無くネギ先生を見た。二人して顔を見合わせる。
どうやら、ネギ先生も私に聞きたいことがあったらしい。二人揃って何を聞きたいのか、待っていると明日菜さんが聞いてくる。
「図書館島でさ、何があったの?」
それは何度となくされた質問だった。といっても、されたのはあの直後だけだったが。
図書館島、このちゃんを護りたくて飛び出して、このちゃんを泣かせてしまったあの日。地上に戻った私は、明日菜さんたちに何があったのかと聞かれたが、何も答えなかった。
クーフェイも楓も私の実力は知っているから、おそらく心配はしていなかっただろう。戻る前の私でも、まあ少なくとも死ぬような事は無いと思っていた筈だ。
だから、主に聞いて来たのは明日菜さんや綾瀬さんたちだ。あの場では何も答えず、その後も多くをこのちゃんと行動していた私に、このちゃんの事を考えたのか聞いてくることは無かった。あれだけ取り乱していたこのちゃんの前で、その時を思い出させるような事を質問するのは気が引けたんだろう。
だから、この質問は随分と久しぶりにされた気がする。
「秘密ですよ」
そして私はこの質問に、答える事はしない。
私の答えに明日菜さんとネギ先生は何か言いたそうな顔をしたけど、私が何も答えないと思ったんだろう、明日菜さんは笑って誤魔化す様に水を掌でバシャンと叩いた。
「そういえば私、桜咲さんと全然話したことないよね」
「そうですね。このちゃんから、神楽坂さんの話はよく聞きますけど」
「ええっ!? ちょ、何聞いたの?」
「さあ」
慌てた明日菜さんが面白くて、くすくすと笑った。明日菜さんは、何聞いたのよ? と頻りに聞いてくる。
「いつも元気で楽しいと、言ってましたよ」
「え~、本当?」
「はい」
「そうですよ、明日菜さんは毎日元気ですし、とっても楽しいです!」
「あんたまで何言ってんのよ!」
「わぁああ!!」
ネギ先生に同意されて、明日菜さんは照れたのかぐりぐりと彼の頭を苛めはじめる。逃げようともがくネギ先生が、明日菜さんの拳を擦り抜けてこちらへ来た。
「あ、こらバカネギ! 逃げんじゃないわよ!」
「あぶぶぶぶぶ」
「か、神楽坂さん、落ち着いて……」
バシャバシャと近くで水が跳ねる。
止めに入ったら、明日菜さんは少し騒いだ後でようやく落ち着いてくれた。けれど、危険と判断したのか、ネギ先生は少しこちらに寄ってお湯に浸かってる。
「ところで、ネギ先生はもうここでの暮らしには慣れましたか?」
「あ、はい。皆さんとても親切で、毎日が凄く楽しいです!」
「それはよかったですね」
「刹那さんは、木乃香さんとお友達なんですよね? 木乃香さんも、ちょっと前から何だか凄く楽しそうでしたよ」
「……そうですか」
ちょっと前、というのは私がこのちゃんと友達に戻った時の事かな。
そっか、二人の前でのこのちゃんの様子までは流石に分からないから、どうかとは思ったけど……楽しそう、なんだ。よかった。
「でも、木乃香とは幼馴染だったんでしょ? クラスも一緒だったのに、なんで話してなかったの?」
「色々とありまして……まあ、殆どが私の事情だったので、このちゃんには悪い事をしました」
「ふ~ん。まっ、仲良しに戻ったんなら良いけどさ。また木乃香泣かせたりしないでよ?」
「ええ、分かってますよ」
もうこのちゃんを悲しませたりするつもりは無い。強く頷けば、明日菜さんはニッと勝気に笑った。
不意に視界の端のネギ先生を見ると、彼は呆けたようにこちらを見ていて、それに首を傾げて問いかけた。
「どうしましたか?」
「……あ! いえ、その…」
我に返ったようにハッとしたネギ先生が、何だか困ったように笑って言う。
「刹那さんって、その……もっと恐い人なのかと思ってて……」
「は、はあ……」
「ちょっとネギ! あんた何言ってんのよ?」
「す、すみませんっ」
正直で素直な答えに呆気にとられると、明日菜さんが慌ててネギ先生を叱りにかかったので、私はふるふると首を振る。
別に気にしてないと伝えて、どういう意味かネギ先生に尋ねた。
「えっと……刹那さん、最初の頃は僕の事、その、睨んでたと言いますか……」
「私が?」
「あ、でも僕の勘違いだったみたいです!」
「………」
たぶん、ネギ先生の言ってることは本当だ。
ネギ先生が魔法使いであることは、すぐに分かったから……戻る前の私は、彼の事を警戒していた筈だ。このちゃんに近づく敵かもしれないと。
「(まあ、先生にそのつもりが無いのは分かってるけど)」
ネギ先生は、ただクラスの人と仲良くしたいと思っているだけに過ぎないと思う。
随所に穴が見えるとはいえ、魔法を秘匿する意識は一応あるようだし……正直なところ、穴だらけで不安だが。お願いだからこのちゃんの前で魔法の暴発は止めてほしい。
「んー、でもたしかに、桜咲さんって前はなんか、大人しかったよね」
「そうですか?」
「うん。あんま誰かと一緒にいたりもしないし、朝倉も言ってたけどどういう心境の変化?」
「別に、言う程の事は無いですよ」
というよりも、言えることが無い。
明日菜さんは頻りに、そう? と首を傾げたけど、私が頷き返すと、とりあえずは納得してくれたみたいだった。
「ね、せっかくだしさ、今度一緒に遊びに行こうよ」
「遊びに、ですか?」
「うん。だって、木乃香とは遊びに行くんでしょ? 私も桜咲さんと遊びたいな~」
「いいですけど……」
「それじゃ、さっそく明日ね!」
「ええっ!?」
思わぬ日程に驚いたら、明日菜さんは途端に不安そうな顔をした。
「駄目だったかな?」
「あっ、いえ。大丈夫ですよ、ただ少し、驚いただけで」
「そっか、良かった。あ、でも本当に無理だったらいいんだからね?」
「平気ですよ」
念を押してくる彼女に笑い返すと、ほっと安心したように胸を撫で下ろされる。
用事も無いし、暇だったのは本当だ。暇なら暇でエヴァンジェリンさんに別荘を借りようかとも考えていたけど、別段それは明日で無くても問題はない。
楽しみです、そう思わず呟いたら、とても嬉しそうに明日菜さんが笑った。
「いいなぁ、明日菜さん……」
ふと、羨ましそうな声が聞こえてネギ先生を見ると、彼は明日菜さんを見上げていた。
明日菜さんもそれに気づいて、首を傾げてそれから、私を見た。
「ね、こいつも一緒で良い?」
「え?」
「いいですね。ネギ先生も一緒に行きませんか?」
「……いいんですか?」
戸惑いがちなネギ先生に、もちろんですと頷く。彼は子どもらしい無邪気な笑みで言った。
「ありがとうございます! 僕、すっごく楽しみです!」
……いくら先生をしていても、子どもは子どもに変わりない。目の前で遊ぶ算段をされて、自分だけが留守番というのはやはりつまらないし面白くないのだろう。
この辺りはまだまだ子どもなんだなと思って、思わず吹き出す前に誤魔化す様に笑った。二人も笑っていて、色々な問題を忘れてしまいそうになる。
「(…………いいん、だよな)」
友達になっても、仲良くしても。そう思うのは、きっと自分がそう思いたいから。
全てを遠ざける事は出来ない。問題から目を逸らすことは出来ないし、逃げる事も出来ない。
ネギ先生が魔法使いである事を忘れたわけでは無いし、明日菜さんがその従者になる可能性を忘れたわけでもない。それを言うなら、エヴァンジェリンさんだって魔法使いだ。
「……楽しみですね」
ただ、前のように話せたらと思った。友達でいられたらと、そう思った。
そうして、私の春休みは終わる。忙しくも、充実していたと思えた。
既に私の知る過去からは随分と遠のいていて、けれど私はそれに気づきながらそれが意味することに気づいていない。
ただ変わりゆく日々を前に、これで良いのかと自問自答を繰り返しながら。
やがて、新学期が幕を開けた。