学校に着き教室に入った私が最初に見たのは、愉快そうに笑うエヴァンジェリンさんだった。
風邪は大丈夫らしい、目が合った彼女は私を見て、ニヤリと口端をつり上げて見せた。けれどそれだけで、それ以上は言葉も無かった。
『刹那、六時にうちに来い』
ただ念話はあって、断る間もなく、一方的に念話はブチリと切られた。呆気にとられた私を、彼女はやはりどこか楽しげに笑いながら見ていた。
今日が停電ということもあって、帰り道にはあちこちの売店でロウソクやかんぱんが安売りされていた。部屋に予備が無かったのを思い出して、一応はと私と真名の分も買っておく。でも、使う暇があるんだろうかと、疑問が頭をよぎった。
「停電中は、部屋から出たらあかんもんなぁ。退屈や~」
「暗くて危ないからね。先生方も見回ってるし、ばれたら怒られちゃうよ」
「新田先生に見つかったら、正座させられて説教やて、きっと」
「あははっ」
たしかに、そう考えると一番見つかりたくない先生は新田先生かもしれない。そんな他愛も無い雑談をして、このちゃんの部屋で時間を過ごす。
時刻は五時、停電は八時からだから、あと三時間か。そろそろ行かないとと、私は立ち上がった。
「エヴァちゃんと約束やったっけ?」
「うん。まあ、昨日の今日で具合も大丈夫か心配だし……ちょっと行って来るよ」
「んー、せやねぇ……うちもちーちゃんとこ遊びに行ってこよー」
「千雨さんって、同室はハカセさんだったっけ? 研究所に泊まるのかな……?」
「どうなんやろね?」
一緒に部屋を出て、階段のところで別れて私は寮の外へ向かう。玄関を通り抜けて、けれどそのままエヴァンジェリンさんの家に向かうことはせず、一仕事することにした。
ぐるりと女子寮を壁に沿って一周する。寮の四方を囲むようにして、目立たぬ場所にお札を貼りつけた。何かあった時の為に結界を張っておく。
「あとは……」
式神を二体放ち、このちゃんと千雨さんの傍に待機させた。お守りを持ってもらっているから、何か危険があればすぐに私に知らせは来るものの、念のためだ。多少の攻撃力は備えているから、時間稼ぎくらいは出来る。
これでもしも仕事に行くことになっても、女子寮の安全はある程度確保される。そうしてから私はようやく、エヴァンジェリンさんの家へと向かった。
からんころんと呼び鈴を鳴らして、二回扉を叩く。エヴァンジェリンさん、扉越しに呼び掛けると、入れと声が返ってきた。
いつもなら茶々丸さんが開けて出迎えてくれるのに、そう不思議に思いながらも扉を開けて中へ入る。さすがに見慣れた家の中、ソファーに座り今朝と同様、愉快そうに笑うエヴァンジェリンさんがいた。
「ふむ、時間通りだな」
「いったい、何のご用ですか? それに、茶々丸さんは……」
「茶々丸なら二階にいる。ちょっと準備をな」
「準備?」
何をするつもりなのか、訝しむ私に彼女は言った。
「刹那、約束を覚えているな?」
「約束……?」
「私のいうことを一つ、何でもきくことだ」
「あ」
それは、春休みにした賭けのことか。ゲームで負けた私は、エヴァンジェリンさんに一度だけ従わないといけないんだった。
あの時は、何も思いつかないからと先延ばしにされたけど……。
「今夜一晩、私に付き合え。なに、悪いようにはせんさ」
「……今夜、ですか……」
停電の事を考えると、あまり下手に動き回りたくは無い。出来るなら寮に戻って、このちゃんの安全を更に強固なものにしたかった。
顔を顰めた私を見て、エヴァンジェリンさんはニヤリと笑った。
「お前のことだ、寮の安全は確保してきたんだろう? それなら、何も問題は無い」
「ありますよ。それに、あまりこのちゃんに心配をかけるような事なら……」
「心配するな、お前は何もしなくていい」
「……え?」
「お前はただ見ていればいいんだよ。まあ、少々手は加えさせてもらうが」
「? あの、今なんて……」
「なにも危険は無いから、付き合えと言っているんだよ」
最後の方が聞こえなくて問いかけた私に、エヴァンジェリンさんはそう言い切った。思わず口を閉ざしたら、彼女は小さく手招きをする。
「賭けは絶対だ。諦めて、今夜は私に付き合うことだな」
「……分かりました」
半ば強引な賭けの実行だったとはいえ、負けたものは仕方ない。彼女相手に逆らうのも大変なのは分かっている。
だから大人しく従うことにして、けれど一つだけ譲れないものがあった。
「でも、このちゃんに危険が迫った場合、私はそちらに行きますので」
「……まあ、そうだろうな。構わんよ」
渋々と、どこかつまらなそうにしながらもエヴァンジェリンさんは軽く手を振り承諾してくれた。それなら、と私は頷いた。
「納得したなら、こっちに来い」
早くしろと促すエヴァンジェリンさんに、私は一歩一歩と足を踏み出す。何をそんなに急かすのか、思ったところで、それは唐突に現れた。
「―――ッ!?」
足元で光る魔法陣。例えるなら、それはネギ先生が仮契約の際に使用する魔法陣に似ていた。でも、見た目が似ているだけでそれとは何か違う感じがする。
「エヴァ、ジェリンさん……ッこれは!?」
「案ずるな。少々、手は加えさせてもらうと言っただろう?」
くくっと喉を鳴らして笑ったエヴァンジェリンさん。
「お前をもとに戻すだけだ」
「ッ……も、とに……?」
体内を這い回る奇妙な感覚に呻きながら、私はガクリとその場に膝をついた。無理矢理何かを引きずり出されるような、訳の分からないそれに思わず両手で体を抱きしめる。
エヴァンジェリンさんが魔法陣の前に立ち、私を見下ろした。
「そろそろか」
私の体内を這い回る感覚が一際強くなったと思えば、それは唐突に掻き消えた。知らず詰めていた息を吐き出す。
魔法陣が光を失い、静かに呼吸を繰り返す。頬を汗が伝い、縛っていた髪が緩んだのか、視界に一房髪の毛が垂れてきた。白い、髪。
「―――!?」
認識した途端に、凍りついた。
「え……え!?」
ぐしゃりと髪を押さえる。髪ゴムが取れ、ばさりと重力に従って落ちた髪の毛はやはり真っ白で、何故と疑問が頭を巡った。
訳も分からぬまま辺りを見回した私が見つけたのは、すぐ横にあった姿見の鏡。そこに映りこんでいた姿に、呆然と目を瞠った。
「これ、は……」
ぺたりと床に座り込んだ白い髪の女。ゴムで結っていた髪が下され少し乱れているが、それはまさしく私の―――、
「本来のお前の姿だ。思った通り、髪は染めていたようだな」
「う、あ……」
暴かれたその白に、さすがに落ち着いていることは出来なかった。別に、今となってはもう自分が烏族のハーフであることに囚われてはいない。言いふらしたいわけでもないが、本来の自分の姿に絶望するような事はもう無い。そんなの、このちゃんたちが私を受け入れてくれた時に、もうやめた。
でも、やはり心の準備も無しに強制的に暴かれたとなれば、それなりに衝撃は受ける。混乱した私の髪に手を伸ばし、エヴァンジェリンさんはそっと撫でてきた。
「なかなか綺麗じゃないか」
「は、ぁ……」
サラサラと彼女の指の間を擦り抜けて行く白い髪。少しして、私はようやく平静を取り戻し始めた。
「……何のつもりですか。こんな、ことをして」
「さっきから言っているだろう、少々手を加えると……さすがに、何もせずに付き合わせるわけにもいかないんでな」
「……いったい、何に付き合わせるつもりなんですか」
「すぐに教えてやる、が、まずはこれに着替えろ」
ばさりと渡された服は、すらっとした黒いドレス。ご丁寧にもサイズはピッタリで、背中を大きく開けたそれに羞恥が沸き起こり顔が熱くなった。言われるままに着た私も私だが。
ただでさえ誰にも見られるわけには姿なのに、こんなのまで着たとなってはいよいよ拙い。絶対に、誰にも見せるわけにはいかない。
「こんな服を着せて、夜会にでも行くつもりですか」
「そう睨むな。なに、そんな優しい物じゃないさ。参加者はほんの少しだしな」
それに、似合っているぞと続けられた言葉に、そうですかと硬く返した。とても笑って返せる余裕が無い。
「今夜、学園がメンテナンスの為に停電となるのは知っているな?」
「ええ」
「それに乗じて、あの坊やと決着をつけてやろうと思ってな。お前には、それに付き合ってもらう」
「……それ、は……」
止めるべきなんだろうか。弱体化しているとはいえ、エヴァンジェリンさんは強い。本気を出せば、ネギ先生など太刀打ちできないだろう。実際、一度は負けたようだし。
「(ああ、でも果たし状)」
あれを持って来たということは、向こうもやる気があるというわけで……合意の上? そもそも、止めるつもりなら彼女の吸血行為そのものを止めなければならなかった。あれを干渉せずにいた時点で、認めたも同然か。
……いや。というよりも何故、私がその勝負に付き合わなければならないのか。学園長から関わらないでほしいと言われているし、このちゃんにも危ないことはしないと言ってるのに―――全く、どうしてこうなる。
「……気づいているとは思いますが、私は学園長より今回の件には関わらないように言われています」
「分かってるさ。なに、心配するな。今のお前を桜咲刹那と思う奴はいない」
「ですが……」
「それに翼を出してみろ? まず間違いなく、お前だとは気付かん」
たしかに、私が烏族とのハーフであることは学園長でさえ知らない。それを知っているのは長と、師範だけだ。
でも、だからといってこの姿で外に出るのは、やはり気が引ける。
「このちゃんに心配をかけたくありません」
「それも言っただろう。お前はただ見てるだけでいいんだよ」
「……どうして、私をつき合わせようと思うんです?」
「賭けのこともあったが、まあ一番は、私がお前を気に入っているからだよ」
なあ、刹那と。くすくすと笑ってエヴァンジェリンさんが言った。賭けの事を言われると私も言い返せないんだよなぁ、強制でも負けは負け、これはさっき結論を出した。
「元に戻るのはいつですか?」
「魔力が切れてからだから、明日の朝には戻る」
つまり、朝までは寮にも帰れないと。わざわざ逃げ道まで塞いでくれた彼女に、私はとうとう諦めの溜息を吐いた。
「(エヴァンジェリンさんとの賭けは、もうしない)」
無理やりにでも連れて行きそうな彼女に、私はそう硬く心に誓った。
今夜、エヴァンジェリンさんがやろうとしているのは、電力によって張られている学園の結界を無効化し、本来の力を取り戻してネギ先生と決着をつけること。
目的はネギ先生の血液だという。それによって本当に登校地獄の呪いが解けるかは分からないけれど……あとこの前、茶々丸さんを傷つけた報いも受けてもらうんだと言っていた。だいぶお怒りらしいが、ネギ先生、大丈夫だろうか。
「(危なくなったら、止めに入ろうか……)」
さすがに死なれては拙い。
「―――時間だ」
予定通り、停電が始まる。塔の上から闇色に染まった麻帆良の街を見下ろすエヴァンジェリンさんの顔は、歓喜に染まっていた。
雲に隠れた月が姿を見せた頃、幼い少女は消え、綺麗な女性がそこにいた。
「凄い魔力ですね……」
「これが、本来の私の力だ。さて、下りて坊やを待つとするか」
「あ、はい」
塔から飛び降りて移動するエヴァンジェリンさんを追って、私も翼を広げ空へと身を投じる。白い髪がふわりと風を受けた。
白い翼と、白い髪、そして赤い瞳。解いた髪は肩をゆうに超す長さ。真逆の姿に、今の私を私だと判断する人間が、どれだけいるだろうか。
「……エヴァンジェリンさん」
「なんだ」
ネギ先生を待ち構える場所としてやって来た大浴場。私は既にそこにいた彼女たちを見て、半眼になってエヴァンジェリンさんを睨むようにして見た。彼女はまるで、心外だというような顔をしていたけれど、私がこうなるのも無理は無いと思う。
「最初の一人にとどまらず、新たにクラスメイトを餌食にするのは……さすがにどうかと」
「問題ない。坊や相手に少し働いてもらうだけだ」
「……絶対に怪我はさせないでくださいよ?」
「はっ。坊や次第だな」
聞く耳持たずとはこのことか、私は溜息を飲み込む。
やがて、過剰とも思えるほどの重装備でネギ先生がやって来た。エヴァンジェリンさん相手ならそれくらいして当然な気もする。
「―――貴女はどなたですか!?」
「っくく……!!」
……開口一番にそれを問う姿に、思わず噴き出してしまった。ネギ先生らしい、そんなことを思う。
「えっ……?」
笑ってしまったからだろう、ネギ先生はエヴァンジェリンさんの隣を飛ぶ私を見上げて、戸惑ったような困惑したような顔をした。エヴァンジェリンさんが不機嫌そうに私を横目で睨んでいるので、慌てて笑いを抑える。
「ったく。まあいい、仕切り直しだ」
ボンッ、と音が鳴ってエヴァンジェリンさんの体が縮む。いや、おそらくは先ほどの姿が幻覚だったのだろう。
「―――さあ、いけ」
エヴァンジェリンさんの合図で、大河内さんたちが屋根から飛び降りネギ先生へと向かって行く。
「ええっ!? ひ、卑怯ですよ!!」
「なにが卑怯なものか。従者を連れず一人で来たことを後悔するがいい」
クラスメイトに襲われて、ネギ先生は満足に反撃できない様子だ。というよりも、抵抗も出来ていない。
「あぅ、ぅうう~~っやめてください! 風花・武装解除!!」
悲鳴にも近い情けない声とは裏腹に、放たれたのは無詠唱の武装解除。大河内さんと和泉さんの服が吹き飛び、次いで唱えられた魔法で二人は眠らされた。
「ふっ、やるじゃないか。では本番と行こうか、坊や―――茶々丸」
「失礼します、ネギ先生」
行け、エヴァンジェリンさんの合図と共に茶々丸さんが飛び出す。その後ろで、
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」
エヴァンジェリンさんが魔法を唱え始めた。私はそれを聞きながら、静かにその場から飛び立ち大河内さんたちの回収に向かう。
「氷の精霊17頭 集い来りて敵を切り裂け」
魔法を唱えるエヴァンジェリンさんの守護として前に立った茶々丸さんに、ネギ先生が追い詰められる。その背後には大きなガラス窓があった。
エヴァンジェリンさんの魔法が発動する前に二人を回収し、抱き上げたまま魔法の被害が無いところまで飛びあがる。天井付近でとどまり、眼下で行われる光景を眺めていた。
「魔法の射手 連弾・氷の17矢!!」
「うあっ」
魔法によって砕け散るガラス窓。一緒になって飛ばされたネギ先生を追いかけて、氷の矢が進路を変える。
エヴァンジェリンさんが割れたガラス窓から外へ飛び出していくのを見て、私はようやく下り立ち、抱えていた二人を床に寝かせた。眠っているだけなので、いずれ目覚めるだろう。
「にしても……」
一人で大丈夫だろうか、ネギ先生。エヴァンジェリンさんには茶々丸さん以外にも従者がいることを考えれば、どう見ても圧倒的に不利だと思う。
割れたガラス窓から下を見下ろせば、停電中も相俟って魔法の光はよく分かる。すぐに見つけたその光を目指して、宙へと身を躍らせた。
「ネギ先生はどうですか?」
「今は佐々木まき絵と明石裕奈の相手をしているよ。一人でどこまでやれるか、楽しみだな」
追いついたエヴァンジェリンさんは、心底楽しそうに笑ってそう答えた。ネギ先生がどこまで一人でやれるのか、それは分からないが……上手く終わってくれるといい。
「……あれ?」
ふと思い出した。ネギ先生、明日菜さんと仮契約を結んでいた筈だけど……それなら、どうして今は一緒にいないんだろう。どこかに隠れている様子は無いし……連れてきていないんだろうか?
「…………それが、正しいのかもしれないな」
昔の私が知る明日菜さんと、今の明日菜さんは違うから…………でも、本当にこれが正しいんだろうか。明日菜さんの事情を考えれば、彼女とネギ先生が関わるのはいいことだろうし……でも、それによって明日菜さんが危ない目に合い続けたのも事実だ。
「……」
これは、どちらが正しいんだろう。どちらの選択が間違いなんだろう。
「刹那、余計な事は考えるなよ」
「エヴァンジェリンさん……」
「お前は私たちも知らない事を知ってはいるが、そればかりに囚われて今を見失うな。どうにもお前は、それに縛られ過ぎているからな」
「……それはそうですよ。私にとって、大切な記憶ですから」
「別に全く気にするなとは言わん、思い出としてその記憶を大切にするのなら私も何も言わんさ。ただ、頼るというなら本当に必要な時だけにしろと言っているんだ。お前がどれだけ昔と今を比べて悩んだところで、お前自身に出来る事はそう多くない。なのに、その記憶ばかり気にして動いていたら、そのうちまともに立つことも出来なくなるぞ」
「…………はい」
エヴァンジェリンさんの言うことは、たしかにその通りで。私は結局、答えを出せぬままに頷いていた。
停電が終わるまで、残り一時間弱―――私は、どうすればいいのだろう。