目を覚ますと、外はまだ暗かった。二月の終わり頃、太陽の昇りはまだまだ遅い。
二段ベッドの上から飛び降りて、未だ暗い部屋を見回す。見慣れたような、懐かしいような、そんな二つの感覚に襲われて、その違和感にこめかみを指先で叩いた。
「―――んっ、刹那……随分と早いな」
「ああ、おはよう。真名」
後ろで欠伸をかみ殺して起き上がる真名に、そう返事を返す。
真名には昨日一晩、随分と付き合ってもらった。おかげで、ようやく私の中の記憶の区切りがついた。
全てを話したわけでは無いが、話に付き合ってもらったので真名は私が多少なりとも『未来』の記憶を持っている事を知っている。
そう、未来。このちゃんが死んでしまう、あの未来だ。私はどうやら、中学二年生の頃まで時を戻ってきてしまったらしい。
らしい、というのはそれを証明する証拠が無いからだ。もしかすると、このちゃんが死んでしまう未来というのは、白昼夢よろしく中学二年生の私が見た夢かもしれないのだ。ただ、数十年という長い夢を、生死を賭ける戦場で見たというのなら修行のやり直しが必要だし、何よりも戦場で眠るなんて言う間抜けな行為をしたと思いたくなかった。
けれどもし、本当にこれが過去に戻ってきたことによる現象だというのなら―――私は絶対に、このちゃんが死ぬ未来を回避する。
「ああ、真名。朝食は和食で良いか?」
真名、と龍宮を呼ぶのも未来の記憶だ。記憶が混乱していた昨日は違ったが、区切りを見つけた今はこちらの方が呼びやすい。何せ、何十年と呼んでいたのだから。
「……作れるのか?」
「え?」
不思議そうに問いかけられて、私は思わず首を傾げた。
でも、ああそうか。確かにこの頃の私は、剣の修行とこのちゃんを護ろうとすることばかりで、料理なんてまともに作れないんだった。
いつだったか、このちゃんに手料理が食べたいと駄々をこねられて、必死に練習したんだった。それを何度も繰り返すうちに、結構な種類の料理が作れるようになった。味はこのちゃんのお墨付きで。
「まあ、一応な」
「それなら、任せようかな」
面白そうに笑う真名に任されて、私は朝食作りを始めた。さて、今日は何にするかな。
「………美味いな」
「そうか、良かった」
白米、味噌汁、焼き魚、ほうれん草の胡麻和え………何の変哲も無い朝食だが、やはり味には人それぞれの好みがある。少しばかり緊張していたが、真名がポツリと呟いた感想にほっと胸を撫で下ろした。
「こんなに美味いなら、毎日でも食べたいな」
「別に構わないぞ? ああ、あと今日の弁当だが、お前の分も一応用意したが……どうする?」
「もらう」
すぐさま返ってきた答えにちょっと驚いたが、まあそれだけ気に入ってもらえたとなると悪い気もしない。
朝食を食べ終えて、後片付けは真名がするとのことでお願いしたら、学校の準備。といっても用意する物も特に無くすぐに終わって、私は机に向かっていた。
どうにも早く起きすぎたようで、時間にはまだまだ余裕がある。もしかして真名も早起きさせすぎたかなと罪悪感に襲われたりもしたが、当の本人は私の後ろで銃の手入れをしていた。
……朝から尋ねてくる人間もいないが、良いのかそんな堂々と。
「さて、と」
そんなことを思う私の横にも、鞘に入れているとはいえ夕凪が置かれている。
机の引き出しを漁り、白紙のお札と、筆と紐を取り出して机に並べた。紐はまだ良いとして、まずはお札と筆だ。
深呼吸を繰り返して、気を落ち着かせる。これからするのは、お札を作る作業だ。
基本的なお札は、専用の紙に気を篭めて文字を書き、その文字に力を持たせる。それに再度気を流して力を引き出すことで、初めてお札を使うことが出来る。裏の世界には、お札作りを専門にする職人もいて、腕の立つ職人が作れば、効果の強いお札が出来上がる。
お札を作るには幅広い知識が必要で、通常ならば既に作り上げられたお札を買った方が早い。私も基本的にはそうだが、そうも言っていられない時もあるわけで。
だから私が作るのはそれ以外の、私が必要とする新しい効果のお札だけだ。数十年で、時間はかかったが作れるようにはなった。未だ改良の余地があるものばかりだけど。
筆に墨をつけて、ゆっくりと紙の上を滑らせる。慎重に、決して文字を間違えないようにしながら、同時に平等に気を流し込んで、そっと筆を紙から離す。
硯に筆を置いて、書き終わったお札を見やる。完成だ。
「ふぅ……」
戦闘とはまた違った気の使い方に、ひどく疲れを感じる。それはいつもの事だが、どうにもいつも以上に疲れているような気がする……たぶんそれは、昨夜の戦闘中に感じた、体の違和感と同種のものだろう。
精神的には私は中学二年生から数十年と時を過ごした。その分の経験や知識を伴った行動に、体が着いてこないのだろう。
「(修行、考えないとな……)」
少なくともこの体に慣れなくてはいけない。今までのように動こうとして、またあの違和感に襲われるのでは敵わない。
慣れない事に溜息をかみ殺して、出来上がったお札を手に取る。文字に間違いは無いし、気の状態も良好。これなら大丈夫だろう。確認して、今度は夕凪を手に取りそれを分解する。手入れの時に分解して行うから、作業自体はいつものことだ。
違うのは、刀身の根元、柄に差し込む部分に、今作ったお札を巻きつけること。
「刹那、何をしているんだ?」
「ん? ああ、夕凪に細工をな……まあ、見れば分かる」
お札を巻きつけた刀身を柄に差し込み、きちんと嵌ったのを確認して鞘に戻す。手に持った夕凪は、見た目には何も変わったところは無い。
私は少しだけ気を流し込んで、口の中で言霊を唱える。その一瞬の後、私の手には夕凪では無く、赤い勾玉が握られていた。
「それは?」
「夕凪だ」
「………は?」
私の答えに、首を傾げる真名。まあ、確かにこれだけを見たなら、これが夕凪だとは思い難いだろう。
立ち上がって、今度は手に握った勾玉に少しの気を流す。今度はそれだけで、勾玉が夕凪へと姿を変えた。握ったそれを真名に見せて、私は説明する。
「さっき作ったお札の効果なんだ。こうすれば、持ち運びが楽だろう?」
また夕凪を勾玉に変えて、先ほど用意した紐を勾玉の穴に通す。紐を結んで輪を作って手首に引っかければ、少々簡易的だがブレスレットの完成だ。
さすがに数十年と生きれば、その過程で色々と学ぶというか……得物を持ったまま誰かを護衛するというのは無理があると、そう学んだ結果作ったお札だった。何があったかは聞かないでほしい。
「……どうした、真名。ハトが豆鉄砲食らった顔をしてるぞ」
「……………いや、本当に刹那なのかと思ってね」
「………ああ。私は正真正銘、桜咲刹那だ。まあ、多少は変わったかもしれないが……」
手首に光る勾玉に触れる。確かに、変わったと思われても仕方が無いのかもしれないな。
余裕もあることからのんびりと行動していたら、結局いつもと変わらない時間に学校へと辿り着いた。朝も早いとはいえ、騒がしく活気に溢れた教室に入る。視線を少し巡らせてみたけれど……このちゃんは、まだ来ていない。
「(……どうするのが良いんだろう)」
このちゃんが死ぬ未来を回避する。そう決意したはいいが、私は自分がどう行動すればいいのかが分からない。
このちゃんを護るにしても、今までと変わらず遠くから見守って護るのか、それとも近くで護るのか。それだけで、私の知る歴史から大きく変わってしまう。
今はまだ歴史に関わるような行動を控えるべきなのか、それとも関わっていくべきなのか………分からない。
「(とにかく、早くこのちゃんに会いたい……)」
元気な姿のこのちゃんを見たい。どうしたらいいか考えながら、ただそれだけを強く思った。
「ん? おおっ!?」
とりあえず今は、このちゃんが来るのを待とうと席に座ったら、後ろから驚いたような声が聞こえて振り向いた。クーフェイが、目を輝かせてこちらを見ている。
「……?」
周りを見回したが、特にいつもと変わったところは無い。肉まんを売ってるのはあっちだし、いったい何を見ているんだろう。
「刹那!!」
「おはよう、クーフェイ。どうかし―――」
「勝負するアル!」
「……は?」
ズダダッ、と机の間を駆け抜けてきたと思えば開口一番、勝負。意味が分からないと首を傾げると、
「その勝負、拙者もお願いしたいでござるな」
「長瀬?」
声が聞こえたと思えば、目の前にシュタッと着地。やけに楽しそうな長瀬に、期待に目を輝かせて構えているクーフェイ。まさか、何か話したのかと真名の方を見ると、面白そうにこちらを見てはいたものの、首を振られた。
「二人とも、いったいどうしたんだ? 勝負ならこの間したばかりだろう?」
「昨日の刹那と全然違うアル! だから、勝負するアルヨ!!」
「いや、意味が分からん」
「たった一晩で随分と強くなったようでござるからな。その実力、見せてもらいたいでござるよ」
「何を言ってるんだ。私は何も……」
長瀬の言葉に返そうとして、はた、と思い当たって口を閉じた。
昨日の私と違う、たった一晩で。二人の言葉と、自分の身に現在進行形で起きている事を考えると、一つの答えが出てしまう。
昨日の私と何が違うと言えば、内面の、精神的な部分が大きく違う。精神年齢は加算されている訳で、そして強くなったのかと言えば、おそらくは強くなったのだろう。精神で積んだ経験は、戻ってきた今も私の中に生きている。生きているからこそ、私は体との差に違和感を覚えるんだ。
……こうして考えると、本当に昨日までの私とは違う。だから真名は、何度も私に聞いて来たんだろうか。本当に刹那なのか、と。
「……とにかく、すまないんだがまた今度にしないか?ここだと少し…」
「なら外に行くネ!」
「いや、これから授業があるし」
「放課後なら大丈夫でござるか?」
「………今日は、ちょっと」
考える事が山積みなので、暫くは放っておいてほしい。そう切に思ったところで、クーフェイには通じなかったらしく。
「うぅ、じれったいアル!!」
「うわっ、ちょ!?」
ヒュッと風を切って拳が突き出された。慌てて掌で受け止めた拳を、そのまま勢いを殺さず後ろへと流して、クーフェイのバランスを崩して席を立つ。
続けて挑んできそうな長瀬から逃れるように二人の間を擦り抜けて、教室の後ろへと逃げた。口笛や囃し立てるような声、委員長のやめなさいと叫ぶ声が聞こえたけれど、今は無視だ。このちゃんが来る前に、早くあの二人を大人しくさせて―――
「せっちゃん?」
「ッ」
懐かしい声、聞きなれた声。呼ばれた名前、呼ばれないようにしていた名前。いつも傍で聞いていた、いつも傍で聞きたいと思っていた。
戻ってきた自分と、昨日までの自分が入り混じる。区切りをつけた筈の記憶は、たった一声でその境界をなくして、ぐちゃぐちゃに混ざり合って絡み合う。
混乱したままで、それでも声の聞こえた方を見ると、驚いたように私を見ているこのちゃんと、目が合って。
「あ………」
声が出ない。目の奥が熱くて、なんでだろう、手が震える。
「お、おはよ、せっちゃん」
緊張したみたいに、おずおずとこのちゃんが声をかけてきて、
『あ、せっちゃん、おはようさん』
目の前のこのちゃんと、私が見続けてきたこのちゃんの声が頭の中で木霊する。
面影が重なって、目の前のこのちゃんは確かに、私が知るこのちゃんなのだと、そう思うと、そう思ったら―――それがこの上なく、嬉しい。
「この、ちゃん……」
「! せっちゃん、うちのことわわわわっ!?」
気づけば私は、このちゃんの手を掴んで走り出していた。教室を飛び出して、廊下を走り続ける間、確かに感じる左手の温もり。
掴めなかった右手の温もりが、今この手の中にあることが堪らなく嬉しくて、涙が零れた。
半ばこのちゃんを引きずるようにして走っている事に気づいたのは、教室とは反対側にある階段の踊り場まで走って来た頃だった。
「ご、ごめんっ、このちゃん!」
慌ててブレーキをかけて立ち止まる。走っている間、どこか意識の遠くでチャイムの音を聞いた気がするけれど、振り返った廊下に誰もいないところを見ると、既に一限目は始まっているのだろう。
「え、えぇよ、大丈夫やから。にしても、せっちゃん足速いなぁ」
「そう、ですか?」
「せや~」
息を切らしたこのちゃんが笑っている。それを懐かしいと感じるのは、きっと昨日までの私が、このちゃんを遠くから見る事しかしていなかったからなんだろう。
言葉とは裏腹に辛そうなこのちゃんに、握っていた手を離そうと思ったけれど、このちゃんが強く握り返して来て離せなかった。
「………このちゃん」
「うん?」
名前を呼んだ私に、首を傾げる。それを見たら、何だかもうたまらなくなってしまって。
「っこのちゃん!!」
「わっ、せっちゃん?」
思わず抱き着いてしまって、そうした私を驚いたようにしながら抱き留めてくれたこのちゃんが、どうしたん? 問いかけてきて、嬉しかった。
「(生きてる)」
このちゃんが、生きている。私の目の前で死んでしまったこのちゃんが、今、私の目の前にいる。体からは冷えた感触じゃなくて、熱を感じる。
「……よかった…………」
どうしようもなく嬉しくて仕方が無いのに―――同時に襲ってくるのは、それを失った悲しみと、失わせてしまった後悔。
「っ護れなくてごめん、ごめん、このちゃん……私、私はっ…」
「せっちゃん……?」
「絶対に、護る、からっ! 今度は、今度こそ、絶対に護って、みせるから!!」
今、目の前にいるこのちゃんは、私の前で死んでしまったこのちゃんとは違うと、分かっていたけれど。
溢れだす涙と紡がれる言葉を止める術を、私は知らなくて。ただ涙を流して縋り付いた私を、強く抱きしめ返してくれるこのちゃんを、今度こそ護りたいと思った。
「(今度こそ、絶対に)」
護ってみせると、誓った。
「……なあ、せっちゃん」
「っふ、はい……」
「うちはな、どうしてせっちゃんがそないに泣いてるのか、分かんないんよ」
「分からなくて、良いんです。私が……私が勝手に、泣いているだけ、なんですから」
「そんなん、うちが嫌や。うちな、せっちゃんがなんで泣いてるのか、ちゃんと知りたい。話してない間、せっちゃんが何をしてて、何を思ってたのか。うちは、せっちゃんの事、知りたいんよ」
「話し、ますよ。話していないことも、話さないといけないこともたくさんあって……話せない事も、あるけれど、長く、なるけど……」
「ええよ。話せなかった分、いっぱい話したいんや。うち、せっちゃんの話、いっぱい聞きたい。せっちゃんに、聞いてほしい事も、あるんよ」
それでな、と。問いかけてくるこのちゃんの顔は、私からは見えない。
「せっちゃんは、今でもうちと……友達で、いてくれるん?」
けれどその不安そうな声から、このちゃんがどんな顔をしているのは想像することが容易くて。このちゃんがそんなにも不安に思うのは、仕方が無いんだと思う。
再会してから、二年間。ずっとまともに話すことも出来ず、目を合わせる事も無かったのだから……そんな私に、不安を抱くのも当たり前だ。
ごめんね、このちゃん。ずっと不安にさせて、心配させて。もう、大丈夫だから。
「もちろんです。今も、昔も、この先も―――私は、ずっとこのちゃんの友達です」
「ッ―――せっちゃん!!」
感極まったように叫んだこのちゃんの目から、涙が溢れる。二人揃って涙を流しながら、互いを抱きしめ合った。止まる事を知らない涙は、悲しみの涙じゃなくて、喜びの涙で。
私たちはしばしの間、互いの体を涙で濡らすことも厭わず、抱きしめる腕から力を抜く事は無かった。
「(大丈夫)」
今度こそ絶対に、護ってみせるから。