★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)   作:埴輪庭

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22.アザーワールド・ムソウ

 ◆

 

 中層居住区のアパートメントに移り住んでからというもの、君の精神はどうにも精彩を欠いている。

 

 広さは申し分ない。かつて下層居住区で這いつくばっていた頃の、あの棺桶めいたカプセルホテルとは雲泥の差だ。壁は白く、床は埃一つ落ちていない。空調は完璧に制御され、カビ臭さとも、ドブ川の腐臭とも無縁だ。

 

 だがそれが気に入らない。

 

 この清潔すぎる空間はまるで君という異物を拒絶しているかのようだ。長年染みついた貧乏性と路地裏の汚れ仕事で培った警戒心がこの「健全なる生活」に対して強烈なアレルギー反応を示しているのである。

 

 君はリビングのソファに深く沈み込みながら、天井を見上げた。

 

 シミ一つない天井。

 

 面白くもなんともない。

 

 下層居住区の天井はもっと雄弁だった。雨漏りの跡が描く地図があり、前の住人が叩き潰した虫の死骸があり、誰かが酔っ払って書き殴った卑猥な落書きがあった。それらは生活の痕跡であり、底辺を生きる者たちの生きた証だった。

 

 だがここには何もない。

 

 ただ、無機質な白が広がっているだけだ。

 

 ──息が詰まる

 

 君は大きくため息をついた。

 

 その呼気さえも、高性能な空気清浄システムによって瞬時に浄化されていくような気がした。

 

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 惑星都市における「大気階層化現象」について。

 

 惑星C66のような多層構造都市において、空気の質は居住区の階層と密接にリンクしている。上層部では高度なナノフィルターによって濾過された「クラスA」の大気が供給され、そこには精神安定作用のある微量なフェロモンや、健康増進のためのマイナスイオンが含まれている。

 

 一方、下層部の大気は「クラスF」以下と分類され、上層から排出された排気ガス、工業用廃棄物の微粒子、そして住民たちの生活排気が混じり合い、独特の「スラム臭」を形成する。

 

 興味深いことに長期間クラスFの大気に曝露された個体が急激にクラスA(あるいはそれに準ずるクラスB、C)の環境に移されると一種の「清浄ショック」を引き起こすことがある。身体機能には問題がないにも関わらず、強い不安感、焦燥感、あるいはアイデンティティの喪失感を覚えるのだ。

 

 これは彼らの嗅覚中枢が「悪臭=生存環境」「無臭=異常事態」という誤った認識パターンを刷り込まれていることに起因する。

 

 つまり、君が感じている不快感は君がまだ「ゴミ溜めの住人」であるという生物学的な証明に他ならない。

 

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 ・

 

「暇だ……」

 

 君は呻くように呟いた。

 

 贅沢な悩みだ。

 

 かつての君なら、明日の食事にも事欠き、借金取りの影に怯え、あるいは警察のドローンから逃げ回るのに忙しく、暇などという概念とは無縁だったはずだ。

 

 だが今の君には金がある。住む場所もある。そして、差し迫った脅威もない。

 

 平和。

 

 なんと退屈な響きだろうか。

 

 君は高性能なサイバネボディを持て余していた。この体は戦うため、あるいは過酷な環境で生き抜くために作られている。ふかふかのソファで惰眠を貪るためのものではない。

 

 君がぼんやりと虚空を見つめていると視界の端で何かが動いた。

 

 ミラだ。

 

 球形のガイドボットが音もなく空中に浮遊している。

 

『ケージ、心拍数が低下しています。退屈しているようですね』

 

 ミラの音声は相変わらず平坦で、感情の欠片も感じられない。

 

「ああ、退屈で死にそうだ」

 

 君は投げやりに答えた。

 

「なんかこう、刺激的なことはねえのか? 例えば、隣の部屋で殺人事件が起きたとか、このマンションの地下に秘密の麻薬工場があるとか」

 

『残念ながら、このエリアの犯罪発生率は極めて低いです。隣人は温厚な老夫婦ですし、地下には最新鋭のリサイクルプラントがあるだけです』

 

 ミラは君の妄想をあっさりと否定した。

 

「つまんねえ街だな」

 

 君は毒づいた。

 

『それが「治安が良い」ということです。ケージが求めているのは社会通念上「トラブル」と呼ばれる事象です』

 

「分かってるよ。でもな、平和すぎると逆に不安になるんだよ。俺のセンサーが錆び付いちまいそうでな」

 

 君は自分の義手をカチカチと鳴らした。

 

 ミラは少しの間沈黙し、それからふわりと君の目の前に移動した。

 

『では少し趣向を変えましょうか』

 

「あん?」

 

『ケージが好みそうな、少しばかり品のない、しかし興味深い情報があります』

 

 ミラの一つ目が怪しげに明滅した。

 

「なんだ、勿体ぶらずに言えよ」

 

 君は身を乗り出した。品がない話、大歓迎だ。

 

『ブラック・ネットワークで目にした話なので、どこまで信憑性があるかは分かりませんが』

 

 ミラは前置きをしてから、語り始めた。

 

『昨今、一部の探検家や、金を持て余した富裕層の間で、ある悪趣味な遊びが流行しているそうです』

 

「悪趣味な遊び?」

 

『はい。通称「異世界無双(アザー・ワールド・ムソウ)」と呼ばれています』

 

 君は眉をひそめた。なんだその間の抜けたネーミングは。

 

『内容は単純です。科学レベルが著しく低い有人惑星に非合法に降下し、そこで圧倒的なテクノロジーを見せつけて、現地住民から崇拝されたり、あるいは恐怖の対象として君臨したりして、承認欲求を満たす行為です』

 

「……はあ?」

 

 君は呆気にとられた。

 

「なんだそりゃ。ガキの遊びかよ」

 

『精神構造としては幼児に近いと言えるでしょう。自分より弱い存在を一方的に蹂躙し、全能感に浸る。実に原始的で、非生産的な快楽です』

 

 ミラの解説は辛辣だ。

 

『彼らは高出力のレーザーブレードや、携帯型のフォースフィールド発生装置、あるいはホログラムプロジェクターなどを持ち込みます。そして、現地の文明レベルに合わせて、それらを「魔法」や「聖剣」といった概念に偽装して使用するのです』

 

「くだらねえ……」

 

 君は吐き捨てるように言った。

 

 だが同時に少しだけ興味をそそられている自分もいた。

 

 圧倒的な力で、他者をねじ伏せる。

 

 それは力なき者が一度は夢見るファンタジーだ。それを現実の、しかも生身の人間相手に実行するというのは確かに歪んだ快感があるのかもしれない。

 

 ・

 ・

 ・

 

「未開惑星保護条約」第3条項。

 

 銀河連合の勢力圏内に存在する、文明レベルが一定基準(通常は蒸気機関の実用化以前)に達していない知的生命体の居住する惑星に対し、高度なテクノロジーを持つ者が干渉することは厳重に禁止されている。

 

 これは彼らの自然な文化的進化を妨げないため、という人道的な理由に基づくものである。

 

 しかし宇宙はあまりにも広く、監視の目は行き届かない。

 

 辺境の星系ではこうした条約はただの紙切れ同然であり、多くの無法者たちが原住民を搾取したり、実験動物として扱ったりしているのが現状である。

 

 また、心理学的見地から見れば、こうした「神ごっこ」に興じる者たちは高度化しすぎた管理社会におけるストレスや、自己肯定感の欠如を手っ取り早く埋め合わせようとしているとも分析できる。

 

 彼らは文明社会では「何者でもない」ただの歯車だが未開の地に行けば「神」になれるのだ。

 

 その安易な逃避行動こそが彼らの精神的未熟さを露呈しているのだが。

 

 ・

 ・

 ・

 

『実はその現場を捉えた映像データを入手しました』

 

 ミラが言った。

 

「見せろ」

 

 君は即答した。

 

 ミラが空中にホログラムを展開する。

 

 そこに映し出されたのはどこかの未開惑星の光景だった。

 

 空はどんよりと曇り、荒涼とした大地が広がっている。背景には粗末な石造りの砦のようなものが見える。

 

 そして画面の中央には数千人規模の軍勢がひしめいていた。

 

 彼らは粗末な皮の鎧を身につけ、錆びついた鉄の剣や槍を手にしている。顔立ちはアースタイプに近いがどこか野性味を帯びており、肌は泥と垢にまみれている。

 

 彼らは一様に恐怖に怯え、後ずさりをしていた。

 

 その視線の先にいるのは一人の男だ。

 

 全身を銀色に輝く流線型のボディスーツに包んでいる。デザインは洗練されており、明らかにこの惑星の文明レベルのものではない。最新鋭のパワードスーツだ。

 

 男は右手に身の丈ほどもある長大な剣を持っていた。

 

 刀身が青白く発光している。高周波振動ブレードだ。

 

『この男は辺境の採掘業者の息子だそうです。親の金で最新装備を買い揃え、この惑星に降り立ちました』

 

 ミラが解説を加える。

 

 映像の中で、男が剣を振るった。

 

 ブォンッ! 

 

 空気が唸りを上げる。

 

 男は一歩踏み込み、眼前の兵士たちに向かって剣を薙ぎ払った。

 

 斬撃が飛ぶわけではない。だがパワードスーツのアシストによる超人的な速度と振動ブレードの切れ味は凄まじい。

 

 先頭にいた数人の兵士が鎧ごと両断された。

 

 血飛沫が舞い、悲鳴が上がる。

 

「我は雷神の化身なり! ひれ伏せ、下等生物ども!」

 

 男のスピーカーから、増幅された声が響き渡る。翻訳機能付きの外部スピーカーだろう。現地の言語に変換されているはずだ。

 

 兵士たちはパニックに陥り、我先にと逃げ惑う。

 

 男はそれを高笑いしながら追いかけ、次々と斬り伏せていく。

 

 まるで雑草を刈るような手際だ。

 

 ──弱い者いじめだな

 

 君は冷ややかな目でそれを見た。

 

 戦闘ですらない。ただの虐殺だ。

 

 映像が切り替わる。

 

 今度は別の場所だ。

 

 森の中だろうか。巨大な樹木が生い茂っている。

 

 そこに立っているのは一人の女だ。

 

 彼女の格好はさらに滑稽だった。

 

 黒いローブを纏い、頭には先端が尖った帽子を被っている。手には歪な形の木の杖。

 

 いわゆる「魔女」のコスプレだ。

 

 彼女の前には狼のような姿をした猛獣の群れが迫っていた。現地の野生生物だろう。

 

 女は杖を突き出し、叫んだ。

 

「インフェルノ・バースト!」

 

 その瞬間、杖の先から紅蓮の炎が噴き出した。

 

 ボウッ! 

 

 猛獣たちが炎に包まれ、苦悶の声を上げて転げ回る。

 

『携帯用のプラズマ火炎放射器ですね。杖の中に噴射口が仕込まれています』

 

 ミラが淡々と説明する。

 

『彼女はこの星の原住民たちから「紅蓮の魔女」と呼ばれ、恐れられているそうです。実際はただの放火魔ですが』

 

 女は逃げ惑う猛獣たちを執拗に焼き尽くしていく。

 

 その表情は恍惚としていた。

 

 まるで、自分が特別な選ばれし者であると信じて疑わないような、陶酔しきった顔だ。

 

『彼らの文明レベルは銀河標準規格でいうところの0.8程度です』

 

 ミラが補足情報を表示する。

 

『火薬の発明すらまだで、主なエネルギー源は風力と水力、そして人力です。疫病や飢餓が日常的に発生しており、平均寿命は30歳前後。彼らの宗教観はアニミズムに近く、自然現象を神の怒りとして解釈します』

 

 ミラの声には侮蔑の色は一切ない。

 

 ただ、事実を羅列しているだけだ。

 

 だがその客観性こそが逆説的に強烈な見下しを感じさせた。

 

『つまり、彼らの脳の処理能力では科学と魔法の区別がつかないのです。プラズマの輝きを見れば、それを超自然的な力だと誤認し、思考停止に陥ります。そこにつけ込むのは赤子の手をひねるより容易いことです』

 

「……無自覚にひでえこと言うな、お前」

 

 君は苦笑した。

 

『事実ですから。彼らが我々のテクノロジーを理解するにはあと数千年の進化と教育が必要です。現時点での彼らは知性を持った動物と大差ありません』

 

 ミラはさらに続ける。

 

『映像の男や女が行っていることは蟻の巣に熱湯を注いで喜んでいる子供と変わりません。彼らは自分の力を誇示していますが実際には文明の利器に頼っているだけです。彼ら自身に力があるわけではありません。スーツを脱ぎ、杖を捨てれば、彼らは現地の子供にすら勝てないでしょう』

 

「辛辣だなあ」

 

 君はソファに背を預けた。

 

 映像の中では男が「聖剣」を掲げ、ひれ伏す民衆の前で勝利宣言を行っていた。

 

 女は燃え盛る森を背景に高慢な笑みを浮かべている。

 

 滑稽だ。

 

 どうしようもなく、しょうもない。

 

 だが君は彼らを完全に否定する気にはなれなかった。

 

 なぜなら、その根底にある「誰かに認められたい」「特別な存在になりたい」という欲求は君の中にも確かに存在するからだ。

 

 形は違えど、ギャンブルで大勝ちして英雄気取りになるのと未開の地で神様気取りになるのと本質的な違いはあるだろうか? 

 

 ──いや、あるな

 

 君は思い直した。

 

 ギャンブルにはリスクがある。身を滅ぼす覚悟が必要だ。

 

 だがこいつらのやっていることにはリスクがない。安全圏からの攻撃だ。

 

 それが気に入らない。

 

「やっぱ、くだらねえわ」

 

 君は吐き捨てた。

 

「こんなことして何が楽しいんだか。俺なら、もっとヒリつく勝負がしたいね」

 

『そう言うと思いました』

 

 ミラがホログラムを消した。

 

『ケージは安全な勝利よりも、危険な敗北を愛する傾向がありますから』

 

「褒めてんのか?」

 

『事実を述べているだけです。医学的には「自滅願望」とも呼びますが』

 

「うるせえよ」

 

 君は立ち上がった。

 

 少しだけ、気分が晴れた気がした。

 

 世の中には自分よりしょうもない奴らがいる。

 

 それだけで、少しは救われることもある。

 

 ここは清潔で、退屈で、息が詰まるような中層居住区だ。

 

 だが少なくとも君は未開の惑星で王様ごっこをするほど落ちぶれてはいない。

 

 君は冷蔵庫を開け、合成ビールの缶を取り出した。

 

 プシュッという音が静寂な部屋に響く。

 

「ま、平和なのも悪くねえか。たまにはな」

 

 君はビールを喉に流し込んだ。

 

 相変わらずの無味無臭──だが今はそれが妙に美味く感じられた。

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