★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)   作:埴輪庭

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29.惑星調査⑦

 ◆

 

 ベースキャンプの設営が完了してから、およそ三時間が経過していた。

 

 博士は観測機器のデータを食い入るように見つめている。放射線量の異常。オーロラの規則的な明滅。岩塔の発光。それらの情報が次々とディスプレイに流れ込み、彼女の脳を刺激しているようだった。

 

 一方、君はシェルターの外で見張りを続けていた。

 

 風は相変わらず唸りを上げている。砂塵が視界を霞ませ、岩塔群の輪郭をぼやけさせていた。だがその奥で、壁面の穴が微かに明滅しているのは確認できる。

 

 オーロラと同じ周期だ。約四・七秒。

 

 まるで惑星全体が一つの心臓のように脈打っている。

 

 その光を見ていると、君は妙な既視感を覚えた。

 

 昔、粗悪なドラッグをキメた夜、視界の端でこんな光がチカチカと明滅していた。あれはバッドトリップの入り口だった。脳味噌が溶けていくような感覚と共に、世界の輪郭がぼやけて、何もかもが遠くなっていく。

 

 今、目の前で明滅している光はあの時の光に似ている。

 

 だがあれは幻覚だった。これは現実だ。

 

「ケージ」

 

 博士がシェルターから顔を出した。

 

「岩塔の内部を調べたい。付き合ってくれ」

 

「今からか」

 

「ああ。この発光現象の正体を突き止めたい」

 

 君は空を見上げた。ロス154は相変わらず地平線上に鎮座しており、時刻を推測する手がかりにはならない。だが内部時計によれば、惑星到着から既に五時間が経過している。

 

 正直なところ、あの光る穴の中に入るのは気が進まなかった。

 

 理由は分からない。ただ、首の後ろがざわつく。こういう時は大抵、碌なことがない。

 

 だが仕事は仕事だ。

 

「分かった。先に行く」

 

 君はブラスターを確認し、岩塔群へと歩き出した。

 

 ◆

 

 最も近い岩塔まで約二百メートル。その距離を歩く間にも、風は容赦なく君たちを叩いた。砂塵がスーツの表面を削り、視界は常に霞んでいる。

 

 岩塔の根元に到達すると、風は嘘のように弱まった。岩塔群が天然の防風壁として機能しているのだ。

 

 急に静かになった空間で、君は改めて岩塔を見上げた。

 

 でかい。

 

 高さは二十メートルを超えている。表面は風化で荒れているがその下には滑らかな層が見え隠れしていた。そして無数の穴。蜂の巣のように、いや、それよりもっと不規則に、穴が空いている。

 

「ここだ」

 

 博士が一つの穴を指さした。直径は約一・五メートル。大人が身を屈めれば入れる程度の大きさだ。

 

 穴の内壁は滑らかだった。風化による侵食とは明らかに異なる。何かが意図的に掘削したような、あるいは何かが分泌した物質で形成されたような、そんな印象を受ける。

 

「フナクイムシの巣穴に似ているな」

 

 博士が呟いた。

 

「フナクイムシ?」

 

「軟体動物だ。木材や岩盤に穴を穿ち、その内壁を石灰質の分泌物で覆う。この穴も同様の機構で形成されたのだろう」

 

 そして壁面は発光していた。

 

 淡い青緑色の光。それが約四・七秒の周期で明滅している。

 

「先に入る」

 

 君は身を屈め、穴の中へと滑り込んだ。

 

 ◆

 

 穴の中に入った瞬間、空気が変わった。

 

 外の乾いた冷たい空気とは対照的に、穴の中は湿っていて、温かかった。まるで生き物の体内に入り込んだような感覚だ。

 

 内部は外よりも暖かかった。気温は摂氏二十度前後。外気より五度ほど高い。

 

『壁面から熱放射を検出しました』

 

 ミラが報告した。

 

『発光と同期して微量の熱が放出されています。生体反応の可能性があります』

 

 生体反応。

 

 君は壁面に手を触れた。

 

 温かい。

 

 そして──動いている。

 

 微かに、だが確実に脈動している。まるで巨大な心臓の内側にいるかのような感覚だった。

 

 君は思わず手を引っ込めた。

 

 生きている。

 

 この壁は生きている。

 

「どうだ」

 

 博士が後ろから尋ねた。

 

「壁が動いてる。気味が悪いな」

 

「予想通りだ」

 

 博士は君の横をすり抜け、携帯分析器を壁面に押し当てた。

 

「有機物だ。外層は鉱物化しているが内部には生きた組織が残っている」

 

 博士は分析結果を読み上げながら説明を続けた。

 

「構造としてはサンゴに近い。サンゴは炭酸カルシウムの骨格を分泌し、その表面に生きたポリプが付着する。死んだサンゴは骨格だけが残って岩礁を形成するが生きている部分は今も成長を続ける」

 

 博士は壁面を撫でた。その手つきは愛おしげですらあった。

 

「この岩塔も同じだ。大部分は既に死滅して石灰化しているが内部の一部はまだ生きている。おそらく数千年、あるいは数万年前にはこの岩塔全体が一つの生きた構造体だったのだろう」

 

「でかい珊瑚礁みたいなもんか」

 

「そういうことだ。ただしサンゴは海中に生息する。この惑星の生物がどうやって陸上でサンゴ様の構造を維持しているのかはまだ分からない」

 

 ◆

 

 穴は緩やかに下降しながら、地下へと続いていた。

 

 壁面の発光は奥に進むほど強くなっている。最初は懐中電灯が必要だったが今では壁自体が十分な照明となっていた。

 

 その光が妙に神経に障る。

 

 チカチカ。チカチカ。

 

 約四・七秒の周期で明滅する光。それを見続けていると、頭の奥がぼんやりとしてくる。

 

 そして空気が変わった。

 

 湿度が上昇している。乾燥しきった外気とは対照的に、穴の奥は蒸し暑かった。

 

『湿度八十五パーセント。地下水脈が近いと推測されます』

 

 ミラの報告を聞きながら、君はさらに奥へと進んだ。

 

 すると穴は突然広くなり、小さな空洞へと出た。

 

 天井の高さは約三メートル。床面積は十畳ほどだろうか。壁面全体が青緑色に発光しており、その光が空洞全体を幻想的に照らし出している。

 

 そして床には液体が溜まっていた。

 

 黒く、粘性のある液体だ。その表面は微かに蠢いている。

 

 君はその液体を見た瞬間、足を止めた。

 

 嫌な予感がする。

 

 何がどう嫌なのかは説明できない。ただ、あの液体に近づいてはいけないという確信があった。

 

「これは──」

 

 博士が息を呑んだ。

 

 液体の中に何かがいた。

 

 半透明の、扁平な円盤状の生物。直径は約五十センチ。厚さは十センチ程度。表面には微細な繊毛が生えており、それが波打つように動いている。

 

 ──気持ち悪いな

 

 君はその生物を見て、思わず顔をしかめた。

 

「ヒラムシに似ている」

 

 博士が呟いた。

 

「何だそりゃ」

 

「扁形動物の一種だ。平たい体を持ち、体表の繊毛を波打たせて移動する。だがこいつはヒラムシよりも遥かに大きい」

 

 円盤の表面は発光していた。壁面と同じ青緑色。同じ周期で明滅している。

 

「生きている」

 

 博士の声は震えていた。興奮と、畏怖が混じっている。

 

「この惑星に、まだ生きた動物がいる」

 

 円盤状生物は液体の中をゆっくりと移動していた。繊毛を波打たせ、滑るように泳いでいる。

 

 一体だけではなかった。よく見ると、液体の中には複数の個体が潜んでいる。二体、三体、五体──少なくとも十体以上はいるようだった。

 

『生体スキャン完了』

 

 ミラが報告した。

 

『体組成の約七十パーセントが水分です。骨格は存在しません。体壁は主にコラーゲン様タンパク質で構成されています。中枢神経系に相当する構造は──存在しますが非常に分散的です』

 

「分散的ってのは」

 

「脳がないということだ」

 

 博士が説明を引き継いだ。

 

「神経節が体全体に散らばっている。クラゲやイソギンチャクと同じ構造だね。彼らには脳がないがそれでも餌を捕らえ、外敵から逃げ、繁殖を行う」

 

 博士は円盤状生物を観察しながら続けた。

 

「だがこの生物の行動パターンはクラゲよりも遥かに複雑だ。発光の明滅──これは個体間のコミュニケーションだろう。ホタルが光で求愛信号を送るように、この生物も光で情報を交換している」

 

「近づくな」

 

 君は博士の腕を掴んだ。

 

「何するか分からねえ」

 

「分かっている。だが──」

 

 その時だった。

 

 円盤状生物の一体が動きを止めた。そして体の向きを変え、君たちの方を向いた。

 

 円盤の中央には黒い穴が開いていた。それが口なのか、感覚器官なのかは分からない。だがその穴が君たちを「見て」いることだけははっきりと感じ取れた。

 

 見られている。

 

 品定めされている。

 

 その感覚が君の背筋を這い上がってきた。

 

 生物の発光パターンが変化した。

 

 約四・七秒だった周期が急速に短くなっている。二秒。一秒。〇・五秒。

 

 それに呼応するように、壁面の発光も変化した。青緑色が徐々に黄色みを帯び、やがてオレンジ色へと変わっていく。

 

 その色を見た瞬間、君の体が反応した。

 

 頭で考えるより先に、足が動いていた。

 

 この色は駄目だ。

 

 理由は分からない。言葉にできない。だが体がそう言っている。

 

 青から黄色へ。黄色からオレンジへ。これは警告だ。次に来るのは赤だ。そして赤は──

 

「戻れ」

 

 君は博士を押しのけ、来た道を駆け戻った。

 

「何を──」

 

 博士が抗議しかけたその時、背後で轟音が響いた。

 

 振り返る余裕はなかった。だがセンサーが捉えた情報だけで十分だった。

 

 天井が崩落している。

 

 壁面を構成していた有機組織が急速に収縮し、それによって支えを失った岩石層が崩れ落ちているのだ。

 

 君は博士の手を引き、全速力で穴を駆け抜けた。背後では崩落が連鎖的に広がっている。砂塵と破片が追いすがってくる。

 

 出口が見えた。薄紫色の空。

 

 君たちは間一髪で穴から飛び出した。

 

 直後、穴の入り口が完全に塞がった。内部から押し出された空気が爆風となって君たちを叩く。

 

 ◆

 

 砂塵が収まるのを待ってから、君は起き上がった。

 

 全身が砂まみれだ。スーツの隙間に砂が入り込んで、チクチクする。

 

 だが生きている。

 

 博士も無事だった。スーツに砂がこびりついているが怪我はないようだ。

 

「……何が起きた」

 

 博士が呻いた。

 

「知るかよ」

 

 君は肩で息をしながら答えた。

 

「だがあの光の色が変わった瞬間、嫌な予感がしたんだ」

 

「嫌な予感」

 

 博士は君の顔を見つめた。

 

「君はあの発光の意味を理解していたのか」

 

「理解なんてしてねえ」

 

 君は首を振った。

 

「ただ──あの色の変わり方がどうしても駄目だった。体が勝手に動いた」

 

 博士は暫く黙っていた。そして静かに言った。

 

「警告信号だったのだろう。ミツバチが外敵を発見した時、警報フェロモンを放出して巣の仲間に危険を知らせる。この惑星の生物は光で同じことをやっている」

 

 博士は続けた。

 

「あの発光パターンの変化はおそらく『侵入者あり』という信号だった。そしてそれを受けた壁面の生物が防御反応として収縮し、結果として崩落が起きた。イソギンチャクが触られると体を縮めるのと同じだ」

 

『補足します』

 

 ミラが割り込んだ。

 

『ケージの神経系には生体組織が一部残存しています。特に扁桃体周辺は有機構造が保持されており、原始的な危機感知能力が維持されています。発光パターンの変化が視覚を通じて扁桃体を直接刺激し、逃避反応を誘発した可能性があります』

 

「要するに俺の勘が当たったってことか」

 

「勘ではない」

 

 博士は首を横に振った。

 

「生存本能だ。言語化できないが確かに機能している」

 

 君は肩をすくめた。

 

 理屈は分からないが生き延びたことは確かだ。それで十分だった。

 

 ◆

 

 ベースキャンプに戻ると、観測機器が新たなデータを記録していた。

 

 崩落の直前、惑星全体のオーロラが一斉に赤く変色していたのだ。

 

「やはりそうか」

 

 博士が呟いた。

 

「岩塔の生物だけじゃない。惑星規模のネットワークが存在している」

 

 君はディスプレイを見つめた。オーロラの記録映像が再生されている。緑色の光が徐々に赤く変わり、そして崩落が起きた瞬間、真紅に染まっている。

 

「どういうことだ」

 

「菌類、特にキノコの仲間は地下に巨大な菌糸ネットワークを形成する。森の木々はこの菌糸ネットワークを通じて栄養や情報を交換している」

 

 博士は窓の外を見た。薄紫色の空に、オーロラが穏やかに揺らめいている。

 

「この惑星でも同じことが起きているのかもしれない。岩塔の生物、円盤状の生物、そして大気中のオーロラ──それらが一つのネットワークとして繋がっている。光を媒介にして情報を共有している」

 

「惑星全体がグルってことか」

 

「極端に言えばそうなる」

 

 博士の目は輝いていた。恐怖ではなく、発見の興奮に満ちている。

 

「だとすれば、私たちは今、この惑星という巨大な生命体の内部にいることになる。そして先ほどの崩落は──体がバイ菌を追い出そうとするのと同じ反応だ」

 

「俺たちがバイ菌かよ」

 

「この惑星にとってはそういうことになる」

 

 沈黙が流れた。

 

 君は窓の外を見た。オーロラは再び緑色に戻っていた。約四・七秒の周期で、穏やかに明滅している。

 

 まるで何事もなかったかのように。

 

 だが君は感じていた。

 

 見られている。

 

 この惑星は常に君たちを見ている。

 

「次はどうする」

 

 君は尋ねた。

 

「より慎重にアプローチする必要がある」

 

 博士は答えた。

 

「この惑星の生物は光でコミュニケーションを取っている。ならば、私たちも光で対話を試みることができるかもしれない」

 

「対話だと」

 

「ああ。敵意がないことを伝える方法があるはずだ。それを見つけたい」

 

 博士の目には強い決意が宿っていた。

 

 君は溜息をついた。

 

 ──対話か。

 

 相手が話の通じる奴ならいいが通じない奴もいる。その見極めができないまま近づくのは危険だ。

 

 だが博士がやると言うなら、付き合うしかない。それが仕事だ。

 

「分かった。付き合うぜ」

 

 君は言った。

 

「ただし、次に嫌な予感がしたら、問答無用で逃げる。文句は言わせねえ」

 

「約束しよう」

 

 博士は微かに笑った。

 

 薄紫色の空の下、永遠の夕暮れは続いている。

 

 そしてオーロラは変わらず明滅していた。約四・七秒の周期で。

 

 まるで惑星の鼓動のように。

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