★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)   作:埴輪庭

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31.彼岸に伸びる光①

 ◆

 

 ベースキャンプに戻ってから、君は違和感の正体を考えていた。

 

 何かがおかしい。

 

 だがそれが何なのかは分からない。胸の奥に小骨が刺さったような、そんな微かな不快感だけがある。

 

『ケージ、何か気になることがありますか』

 

 ミラが尋ねてきた。

 

「いや、何でもねえ」

 

 君は首を振った。

 

 何でもない──はずだ。

 

 調査は順調に進んでいる。博士は採取したサンプルの分析に没頭しており、機嫌は悪くない。危険な目に遭ったのは最初の崩落だけでそれ以降は平穏だった。

 

 だからこそ、逆に気持ちが悪い。

 

 君はシェルターの窓から外を見た。オーロラが緑色に明滅している。

 

 その光を見ていて、ふと気づいた。

 

 リズムが違う。

 

 いや、違うという確信があるわけではない。ただ、何となく引っかかる。下層居住区で培った、言語化できない類の違和感だ。

 

 君はギャンブラーだった。勝負師と呼べるほど大層なものではなく、ただの賭け狂いだったがそれでも長年の経験で身についたものがある。場の空気を読む力だ。ディーラーの指先の震え。隣の客の呼吸のリズム。卓上に積まれたチップの傾き。そういった些細な変化から、何かが起きる予兆を嗅ぎ取る能力。

 

 今、君の中でその感覚が警鐘を鳴らしていた。まあ、現在の君の(ザマ)を考えればさほど大した能力ではないのだろうが。

 

「なあ、ミラ」

 

 君は何となく口を開いた。

 

「オーロラの周期、記録してるか」

 

『当然です。到着時から継続的にモニタリングしています』

 

「変化はあったか」

 

『はい。僅かですが周期が延長しています』

 

 君の眉が動いた。

 

「どれくらいだ」

 

『到着時は四・七二秒でした。現在は四・七六秒です。約〇・八パーセントの延長です』

 

 〇・八パーセント。

 

 数字だけを聞けば誤差の範囲だ。計測機器のノイズかもしれない。だが君の中の違和感は消えなかった。

 

「延長し続けてるのか」

 

『はい。線形的に延長しています。このペースが続けば、一週間後には周期が五秒を超える計算になります』

 

 君は黙って窓の外を見た。

 

 周期が延びている。

 

 それが何を意味するのか、君には分からない。分からないが嫌な予感だけはある。

 

 賭場で場の空気が変わる瞬間がある。それまで和やかだった雰囲気が急にピリピリし始める。誰かが大金を突っ込もうとしている時。誰かが破滅に向かって突き進んでいる時。そういう時、空気が変わるのだ。

 

 今、この惑星の空気が変わりつつある気がする。

 

 根拠はない。ただの勘だ。

 

 だが勘を無視して痛い目を見たことは一度や二度ではなかった。無論。勘を信用して痛い目を見たことは十度や二十度では済まないが。

 

 ◆

 

 博士に話を持ちかけたのは夕食後のことだった。君はともかくとして、博士は生身である。定期的に食料を摂る必要があった。

 

「博士、ちょっと聞きたいことがある」

 

 君は分析機器に向かう博士の背中に声をかけた。

 

「何だ」

 

 博士は振り返らずに答えた。

 

「オーロラの周期のことだ。あれ、延びてるらしいな」

 

「ああ、知っている」

 

 博士の声は淡々としていた。

 

「ミラから報告を受けている。だが〇・八パーセント程度の変動は誤差の範囲だ。恒星活動や大気状態の揺らぎで十分説明がつく」

 

「そうかもしれねえ。でも、俺は気になるんだ」

 

 博士がようやく振り返った。

 

「気になる? どういう意味だ」

 

 君は言葉を選んだ。学者相手に「勘」だの「予感」だのと言っても、鼻で笑われるだけだろう。だが正直に言うしかない。

 

「根拠はねえ。ただ、何かが変わりつつある気がするんだ。空気っていうか、雰囲気っていうか」

 

「空気」

 

 博士は眉を上げた。

 

「君は科学者ではないな」

 

「まあな」

 

 そう、君はただのチンピラである。

 

「だが」

 

 博士は椅子を回して君の方を向いた。

 

「君の『勘』は先日の崩落で証明された。あの時、君は発光パターンの変化を見て即座に逃避行動を取った。論理的な判断ではなく、本能的な反応だった」

 

「まあな」

 

「その本能が今、オーロラの周期変動に反応しているわけだ」

 

 博士は顎に手を当てた。考え込む時の癖らしい。

 

「面白い。仮説を立ててみよう」

 

 ◆

 

「オーロラの明滅は情報伝達のパルスだ」

 

 博士は壁にホログラムを投影しながら説明を始めた。

 

「この惑星の生物群集は光を媒介にしてコミュニケーションを取っている。岩塔の発光、円盤状生物の発光、そして大気中のオーロラ──これらは全て同じネットワークの一部だ」

 

 ホログラムには惑星の模式図が表示されていた。地表には無数の点が散らばっており、それらが光の線で結ばれている。

 

「コンピューターネットワークを考えてみろ。データは電気信号のパルスとして伝送される。パルスの周期が一定であれば、通信は安定する。だが周期が乱れれば、データの同期が取れなくなり、システムに不具合が生じる」

 

「それとオーロラの周期が何の関係があるんだ?」

 

「オーロラの明滅はこのネットワーク全体の同期信号として機能している可能性がある」

 

 博士は別の図を表示した。心臓の模式図だ。

 

「人間の心臓は洞房結節という部位がペースメーカーとして機能し、心筋全体に収縮のタイミングを伝える。もし洞房結節が機能不全を起こせば、心臓は正常なリズムを刻めなくなる」

 

「不整脈ってやつか。安物のブツをキメた後によくなるやつだ」

 

「君の知識の出所は常に興味深いな」

 

 博士は皮肉とも称賛ともつかない口調で言った。

 

「だが本質的には同じことだ。オーロラはこの惑星にとっての洞房結節かもしれない。ネットワーク全体に『今だ』というタイミングを伝える中枢的な役割を果たしている」

 

 君は窓の外を見た。オーロラは相変わらず緑色に明滅している。だがその周期は──確かに、到着時よりも僅かに遅くなっている気がした。

 

「周期が延びてるってことは」

 

「ネットワークの同期が遅くなっているということだ」

 

 博士の声が低くなった。

 

「生物の心拍数は代謝率と相関する。代謝が活発であれば心拍は速く、代謝が低下すれば心拍は遅くなる。オーロラの周期延長が代謝低下を示しているとすれば──」

 

「この惑星は弱ってるってことか」

 

「仮説としては成り立つ」

 

 博士は立ち上がり、窓際に歩み寄った。

 

「だが断言はできない。〇・八パーセントの変動では統計的な有意性が低すぎる。もっとデータが必要だ」

 

「どれくらい待てばいい」

 

「数日もあれば傾向がはっきりするだろう。もし周期延長が継続するなら、君の『勘』は正しかったことになる」

 

 博士は君の方を見た。

 

「そしてその場合、私たちは非常に興味深い現象を目撃していることになる。惑星規模の生命体の衰弱過程だ」

 

 興味深い、と博士は言った。

 

「なるほどな、要するにヤバいって事か」

 

「君の要約能力は卓越してるな」

 

 今度は明確に皮肉めいた口調だった。

 

 ◆

 

 それから三日が過ぎた。

 

 博士の言った通り、傾向ははっきりした。

 

 オーロラの周期は延び続けていた。四・七六秒から四・八三秒へ。四・八三秒から四・九一秒へ。一日あたり約〇・〇五秒の延長。このペースが続けば、二週間後には周期が五・五秒を超える計算になる。

 

「認めざるを得ないな」

 

 博士がデータを見ながら言った。

 

「これは測定誤差ではない。系統的な変化だ」

 

「つまり俺の勘は当たってたってことか」

 

「そういうことになる」

 

 博士は複雑な表情を浮かべた。学者としての好奇心と、調査対象が衰弱しつつあることへの懸念が入り混じっている。

 

「原因を特定したい。なぜ周期が延長しているのか」

 

 博士は観測データを呼び出した。

 

「到着してからの五日間、ロス154のフレア活動は極めて低調だ。通常なら一日に数回は中規模フレアが観測されるはずだが今のところゼロだ」

 

「フレアが出てないのか」

 

「ああ。そしてこの惑星の生態系は恒星フレアに依存している可能性がある」

 

 博士は窓の外を見た。ロス154は相変わらず地平線に貼り付いている。赤黒い巨大な円盤。だがその表面は静まり返っており、フレアの兆候は見えない。

 

「赤色矮星の中でも、ロス154は『閃光星』と呼ばれるタイプだ。磁場活動が活発で頻繁に巨大なフレアを放出する。だがその活動には周期性がある。活発期と沈静期を繰り返すんだ」

 

「今は沈静期ってことか」

 

「おそらくは。そしてこの惑星の生態系はフレアから供給されるエネルギーに依存して進化してきた。フレアが高エネルギー粒子を放出し、それが大気を励起してオーロラを発生させる。オーロラがネットワークの同期信号として機能し、惑星全体の生命活動を制御する」

 

 博士は図を描きながら説明した。

 

「だがフレアが止まれば、この循環が断たれる。オーロラは弱まり、ネットワークの同期が乱れ、生命活動が低下する。それが周期延長として現れている」

 

「電池切れみたいなもんか」

 

「そう考えていい。この惑星は今、充電が追いつかずに放電し続けている状態だ」

 

 君は黙って聞いていた。

 

 要するに、この惑星は飢えているのだ。太陽からの餌──フレア──が途絶えたせいで少しずつ衰弱している。

 

「どれくらい持つんだ」

 

「分からない」

 

 博士は首を振った。

 

「この惑星がどれだけのエネルギーを蓄積しているかによる。蓄えが多ければ数ヶ月は持つかもしれない。少なければ数週間かもしれない」

 

「調査を続けるのか」

 

「当然だ」

 

 博士の目が光った。

 

「むしろ今こそ調査を加速させるべきだ。この惑星の生態系が変動期に入っているなら、通常では観測できない現象が見られるかもしれない。エネルギー貯蔵のメカニズム、ネットワークの冗長性、衰弱に対する適応反応──知りたいことは山ほどある」

 

 君は溜息をついた。

 

 予想通りの答えだ。

 

 ◆

 

 翌日、君たちは夜半球方向への探索を開始した。

 

 これまでの調査範囲はターミネーター・ゾーンの中央部から昼半球寄りの領域だった。今回は逆方向、つまり恒星光がほとんど届かない暗い領域を目指す。

 

「なぜそっちに行くんだ」

 

 君は博士に尋ねた。

 

「エネルギー貯蔵の痕跡を探したい」

 

 博士は歩きながら答えた。

 

「この惑星がフレアに依存しているとすれば、フレアがない時期を乗り越えるための蓄えがあるはずだ。植物が根に澱粉を蓄えるように、この惑星のどこかにエネルギー貯蔵層が存在する可能性がある」

 

「それが夜側にあるってのか」

 

「仮説だが夜半球寄りの領域は恒星光が弱い。そこで活動する生物は光合成ではなく蓄積エネルギーに依存しているはずだ。つまり、貯蔵層への依存度が高い」

 

 なるほど、と君は思った。

 

 理屈は分かる。だが正直なところ、暗くて寒い場所に向かうのは気が進まなかった。

 

 進むにつれて、風景が変わっていった。

 

 薄紫色だった空は徐々に暗くなり、藍色から紺色へ、そして限りなく黒に近い色へと変化していく。ロス154の姿は地平線の下に沈み、その赤い光は山の稜線を僅かに照らすだけになった。

 

 気温も下がっていた。君の温度センサーは摂氏マイナス十度を示している。博士の防寒スーツは限界に近いはずだが彼女は文句一つ言わずに歩き続けていた。

 

 周囲の岩塔群は昼側のものとは明らかに異なっていた。

 

 発光がほとんどない。壁面の穴は存在するがその内部は暗く、静まり返っている。

 

「死んでいるな」

 

 博士が呟いた。

 

「この領域の生物群集は既に活動を停止している。恒星光が届かない環境では光合成に依存する生物は生きられない」

 

「じゃあ、ここには何もいないのか」

 

「そうとは限らない」

 

 博士は足元を見た。

 

 地面には霜が張っている。白い結晶が岩の表面を覆い、それが微かに発光していた。

 

「休眠状態の生物だ」

 

 博士はしゃがみ込み、霜の一部を採取した。

 

「環境が悪化すると、多くの微生物は休眠状態に入って生き延びる。この発光は休眠中でも維持されている。つまり、完全に死んでいるわけではない。条件が整えば、再び活動を再開する」

 

「条件ってのは」

 

「フレアだろう。強力なフレアが発生すれば、この領域にもエネルギーが届く。それが休眠中の生物を目覚めさせるトリガーになる」

 

 君は発光する霜を見下ろした。微かな青白い光。死にかけの蛍のような、儚い光だ。

 

 ◆

 

 さらに三キロほど進んだところで地形が大きく変わった。

 

 岩塔群が途切れ、広大な平原が現れた。

 

 だがそれは普通の平原ではなかった。

 

 地表全体が白く光っている。先ほどの霜のような発光が平原全体を覆っており、それが薄暗い闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。

 

「これは──」

 

 博士が息を呑んだ。

 

 君も同意せざるを得なかった。壮観だ。だが同時に、不気味でもあった。

 

「休眠生物の密集地帯だ」

 

 博士は分析器を構えながら言った。

 

「この平原全体が眠りについた生物で覆われている。そしてこれだけの量が休眠しているということは──」

 

「エネルギーの蓄えがあるってことか」

 

「その可能性が高い。休眠状態を維持するにもエネルギーは必要だ。彼らはどこかからエネルギーを得ているはずだ」

 

 博士は地面に分析器を押し当てた。

 

「地下に何かある。熱源を検知した」

 

 ◆

 

 その時だった。

 

 地面が揺れた。

 

 微かな振動。だが確実に、大地が震えている。

 

『地震を検出しました』

 

 ミラが報告した。

 

『マグニチュード推定三・二。震源は地下約十キロメートルです』

 

「この惑星は恒星に近すぎる」

 

 博士が言った。

 

「潮汐力による摩擦熱がマントルを加熱し、地震活動を活発化させている」

 

 揺れは数秒で収まった。

 

 だが君は気づいていた。

 

 発光する霜が揺れに反応している。振動が伝わった瞬間、平原全体の発光が一瞬だけ強くなったのだ。

 

「博士、見たか」

 

「見た」

 

 博士の目が鋭くなった。

 

「振動に反応して発光が増強した。つまり、この休眠状態の生物は外部刺激に対して反応能力を維持している。彼らは完全に眠っているわけではない。環境をモニタリングし続けている」

 

 君は周囲を見回した。

 

 平原全体が微かに脈動しているように見える。まるで巨大な生き物の皮膚の上に立っているような──そんな感覚があった。

 

 その時、空が変わった。

 

 君は反射的に上を見た。

 

 オーロラが──色を変えている。

 

 緑色だった光が急速に黄色みを帯びていく。

 

 崩落の直前に見た、あの色だ。

 

「まずいな」

 

 君は呟いた。

 

「博士、戻るぞ」

 

「待て」

 

 博士は動かなかった。

 

「これを見たい。何が起きるのか」

 

「馬鹿言うな。前と同じことが起きるかもしれねえ」

 

「だからこそ観察する価値がある」

 

 君は舌打ちした。

 

「十秒だ。十秒だけ待つ。それ以上は無理やりにでも連れ帰る」

 

「分かった」

 

 博士は頷いた。だがその視線は空から離れない。

 

 オーロラは黄色からオレンジへと変化していく。

 

 そして地面が再び揺れた。今度は先ほどよりも強い。

 

 同時に、平原全体の発光が爆発的に強まった。青白い光がまるで波のように広がっていく。

 

 そして平原の中央で地面が盛り上がり始めた。

 

 まるで巨大な何かが地下から這い出てこようとしているかのように、大地が膨れ上がっている。

 

「何だありゃ」

 

 盛り上がった地面が裂け、その隙間から光が溢れ出した。眩いばかりの青白い光。それが間欠泉のように噴き上がり、空に向かって伸びていく。

 

「エネルギー放出だ」

 

 博士が叫んだ。

 

「地下に蓄積されていたエネルギーが地震をきっかけに放出されている。これがこの惑星の蓄えだ」

 

 光の柱が次々と噴き上がっている。一本、二本、十本──地平線全体から光が立ち昇っている。

 

 惑星が蓄えを吐き出している。

 

「十秒過ぎた。走れ」

 

 君は博士の手を引き、全速力で来た道を戻り始めた。

 

 背後では光の柱がオーロラと接触していた。その瞬間、オーロラ全体が真紅に染まった。

 

 だが今回は崩落は起きなかった。

 

 君たちが岩塔群の影に逃げ込んだ頃にはオーロラは再び緑色に戻り始めていた。しかも先ほどよりも明らかに明るい。

 

「止まっていいぞ」

 

 博士が言った。

 

「危険は去った」

 

 君は足を止め、息を整えた。いや、整える必要はないのだが習慣というものは厄介だ。

 

「何が起きたんだ」

 

「仮説だが」

 

 博士は振り返り、今や遠くなった平原の方を見た。光の柱はまだ幾つか残っているが勢いは弱まっている。

 

「あの平原は一種の『エネルギー貯蔵庫』だったのだと思う。恒星フレアから得たエネルギーを地下に蓄積し、必要な時に放出するシステムだ」

 

「必要な時?」

 

「フレア活動が低下した時だ。通常ならフレアからエネルギーを得ている生態系がフレア不足によってエネルギー欠乏に陥った。そこで蓄積していたエネルギーを放出して、システムを維持しようとした」

 

 博士は空を見上げた。

 

 オーロラは緑色に輝いている。到着時よりも明らかに明るい。

 

「あのエネルギー放出がオーロラを活性化させた。一時的にだが惑星のネットワークにエネルギーが供給された」

 

「つまり」

 

「この惑星は自分で自分を維持しようとしている。恒星に頼れないなら、蓄えを切り崩してでも生き延びようとしている」

 

 君は黙って聞いていた。

 

 生き延びようとしている。

 

 その言葉が妙に重く響いた。この惑星は生きている。そして死にたくないと思っている。

 

 ◆

 

 ベースキャンプに戻ると、ミラが新しいデータを報告した。

 

『オーロラの周期を測定しました。現在の周期は四・五一秒です。先ほどのエネルギー放出によって、一時的に周期が短縮しています』

 

 四・五一秒。到着時の四・七二秒よりも短い。

 

「回復している」

 

 博士が呟いた。

 

「蓄積エネルギーの放出によって、一時的に代謝が上がった」

 

「じゃあ、この惑星は大丈夫なのか」

 

「いや」

 

 博士は首を振った。

 

「これは対症療法に過ぎない。根本的な解決にはなっていない」

 

「根本的な解決ってのは」

 

「恒星フレアの再活性化だ。それがなければ、この惑星は遅かれ早かれエネルギーを使い果たす」

 

 博士は窓の外を見た。ロス154は相変わらず地平線に貼り付いている。赤黒い円盤。静かで動きがない。

 

「今日見たエネルギー放出は人間でいえば脂肪を燃やして体温を維持しているようなものだ。食料がなければ脂肪はいずれ尽きる。そうなれば──」

 

 博士は言葉を切った。

 

 その先を言う必要はなかった。

 

「なあ、博士」

 

 君は尋ねた。

 

「この惑星、どれくらい持つんだ」

 

「分からない」

 

 博士は正直に答えた。

 

「蓄積されていたエネルギーの総量が分からない以上、それがいつ尽きるかも予測できない。一ヶ月かもしれないし、一年かもしれない」

 

「それとも、明日かもしれない」

 

「その可能性もある」

 

 沈黙が流れた。

 

 君は窓の外を見た。オーロラは緑色に明滅している。今は明るいがこの光がいつまで続くかは分からない。

 

「それまでに撤退した方がいいな」

 

「ああ。だが──」

 

 博士は言葉を濁した。

 

「だが何だ」

 

「もう少しだけ調査を続けたい」

 

 君は溜息をついた。

 

 予想通りの答えだ。

 

「今日のエネルギー放出を見て確信した。この惑星にはまだ私たちが知らないメカニズムがある。エネルギー貯蔵層の構造。放出のトリガー。ネットワークとの連携。それらを解明したい」

 

「解明してどうする」

 

「記録に残す」

 

 博士の声は静かだったがそこには強い意志が籠もっていた。

 

「この惑星がどのように生き、どのように戦っているか。それを記録することには価値がある。たとえこの惑星が最終的に滅びるとしても」

 

 君は博士の顔を見つめた。

 

 この女は本気だ。惑星が死ぬかもしれない状況でも、調査を続けようとしている。

 

 狂っている。

 

 だが同時に、その狂気には一種の美しさがあった。知識のためなら全てを捧げる。それが学者という生き物だ。

 

「一週間だ」

 

 君は言った。

 

「一週間だけ付き合う。それ以上は無理だ」

 

「感謝する」

 

 博士は頷いた。

 

「一週間あれば、十分なデータが取れるだろう」

 

 君は肩をすくめた。

 

 一週間。

 

 その間に何が起きるか、神のみぞ知る。

 

 ◆

 

 窓の外ではオーロラが緑色に輝いていた。

 

 四・五一秒の周期で。

 

 だがその周期が再び延び始めるのは時間の問題だった。

 

 君は直感でそれを知っていた。

 

 賭場の空気を読むのと同じだ。今は一時的に持ち直しているが大局は変わっていない。この惑星は負け戦を戦っている。蓄えを切り崩しながら、来るかどうかも分からない援軍を待っている。

 

 援軍とは恒星フレアのことだ。

 

 それが来れば、この惑星は息を吹き返すかもしれない。だが来なければ──

 

 君は窓から目を離した。

 

 考えても仕方のないことだ。君にできるのは博士を守ることだけだ。彼女が調査を続ける限り、君もここにいる。

 

 一週間。

 

 長いようで短い時間だ。

 

 その間に何が起きるか、君には予測できなかった。だが嫌な予感だけは首の後ろにべったりと貼り付いたまま消えなかった。

 

 それは下層居住区で培った、生存本能の囁きだった。

 

 ──逃げろ。

 

 ──ここは危険だ。

 

 だが君は逃げなかった。

 

 仕事だからだ。そして何より、この奇妙な惑星の行く末を君自身も見届けたいと思い始めていたからだ。

 

 ギャンブラーの性だろうか。

 

 勝ち目のない勝負ほど、目が離せなくなる。

 

 この惑星は今、宇宙という名の賭場で命を賭けた勝負をしている。そしてその勝負の行方を君は最前列で見届けようとしている。

 

 馬鹿げた話だ。

 

 だが馬鹿げているからこそ、面白いのかもしれなかった。

 

 そして君は面白い事が大好きなのだ。

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