★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)   作:埴輪庭

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33.彼岸に伸びる光③

 

 ◆

 

 さらに深く降りていくと、黒い層に到達した。

 

 近くで見るとそれは液体ではなく、半固体のゲル状物質だった。表面は緩やかに波打っており、何かが内部を移動しているような印象を受ける。時折、波紋が走り、それが一定の方向に流れていく。まるで見えない川が流れているようだった。

 

「これは何だ」

 

「おそらくは輸送システムだ」

 

 博士はゲル状物質のサンプルを採取しながら言った。その動作は慎重だ。生きている組織からサンプルを採取することの重みを博士は理解している。

 

「血液が酸素や栄養を運ぶように、この物質がエネルギーを惑星全体に分配しているのだろう。結晶層に蓄積されたエネルギーを必要な場所へ運び、そして代謝産物を回収して処理する。閉鎖系の循環システムだ」

 

 博士は採取したサンプルを分析器にかけた。

 

「興味深いな。この物質の組成は──単純な液体ではない。ナノスケールの構造体が無数に含まれている。おそらく、これらがエネルギーの運搬役を担っている。地球の血液における赤血球のような役割だ。だが赤血球が酸素を運ぶのに対し、これらは純粋なエネルギーを──おそらく高エネルギー化学結合の形で運搬している」

 

 博士の言っている事は良くわからないが、君はなんとなくゲル状物質を見つめた。確かに何かが流れているようだ。目には見えないが、ゲルの表面に走る微かな波紋がその存在を示唆していた。

 

「血液ねぇ……心臓みたいなもんもあるのか?」

 

「ああ。心臓に相当するポンプ機構もどこかにあるはずだ」

 

 博士は上を見上げた。亀裂の入り口から差し込む薄紫色の光が遥か上方にぼんやりと見える。

 

「おそらく、惑星のコア付近に。あるいは複数のポンプが分散配置されているのかもしれない。人間の心臓は一つだが、タコやイカは複数の心臓を持っている。惑星規模の生命体であれば冗長性を確保するために分散型のシステムを採用している可能性が高い」

 

 博士は周囲を見回した。

 

「この惑星は単なる岩の塊ではない。一つの巨大な生命体だ。大気、地殻、マントル──その全てが統合されたシステムとして機能している。我々が『惑星』と呼んでいるもの、それ自体が一つの生物なんだ」

 

 君は何も言わなかった。

 

 自分たちは今、巨大な生き物の体内にいる。その血管の中を覗き込んでいる。人間が蟻を見下ろすように、この惑星は君たちを見ているのだろうか。いや、蟻と人間の比較ですら不十分だ。スケールの差は遥かに大きい。細菌と人間。いや、それでもまだ足りない。

 

「なあ、博士」

 

 君は口を開いた。

 

「この惑星は俺たちのことをどう思ってるんだろうな」

 

 別に他意はない。何となく思っただけである

 

「興味深い問いだ」

 

 博士は振り返った。その表情は真剣だった。

 

「だが正直に言えば、答えは分からない。彼らの『思考』がどのようなものか、私たちには想像もつかない。人間の思考は電気信号で行われ、ミリ秒単位で進行する。だがこの惑星の……もしそれを思考と呼べるならばだが、『思考』は────おそらく化学反応と物質輸送で行われ、時間スケールは数時間から数日、あるいは数年かもしれない」

 

 博士は黒いゲル状物質を見つめた。

 

「彼らにとって、私たちの存在は認識できているかは怪しい所だ。あまりにもスケールが違いすぎて、ノイズとして処理されているのかもしれない。あるいは──」

 

「あるいは?」

 

「侵入者として認識されているかもしれない。病原体のように」

 

「嫌われてはいないといいんだがな」

 

「同感だ」

 

 博士の声には、微かな不安が滲んでいた。

 

 ◆

 

 亀裂から這い出た時、空の色が変わっていた。

 

 オーロラが──また黄色みを帯びている。

 

「博士」

 

 君は警戒の声を上げた。手は無意識に腰の武器に伸びていた。もっとも、この状況で武器が何の役に立つのか分からなかったが。

 

「分かっている」

 

 博士も空を見上げていた。その目は冷静に状況を分析している。

 

 だが今回は先日とは様子が違った。黄色が広がるスピードが遅い。そして一部の領域では緑色のまま維持されている。まだら模様。全面的な変化ではない。

 

「全面的な警告ではないな」

 

 博士が呟いた。

 

「局所的な反応だ。おそらく私たちが亀裂に侵入したことへの反応だろう。免疫系が局所的な炎症反応を起こすように、この惑星は私たちの『侵入』を検知して、局所的な警戒態勢を取っている」

 

「侵入者扱いか」

 

「当然だ。私たちは今、この惑星の内臓を覗き見ていた。人間で言えば、内視鏡を突っ込まれたようなものだ。それも、本人の同意なしに」

 

 内視鏡。

 

 その比喩は妙に生々しかった。

 

 君たちは今、この惑星に対して医療行為──あるいは侵襲的な検査を行っているのだ。患者の同意なしに。患者が同意できる状態にあるのかどうかすら分からないまま。

 

「戻るか」

 

「ああ。今日はここまでにしよう」

 

 珍しく、博士は素直に撤退を決めた。その判断の速さに、君は少し驚いた。

 

「どうした、博士らしくないな」

 

「私は無謀なだけの人間ではない」

 

 博士は歩きながら答えた。

 

「リスクを取るのは、それに見合うリターンがある時だけだ。今、この惑星を刺激することには何のメリットもない。むしろ、警戒態勢を解除させて、通常の観測を続ける方が得策だ」

 

 なるほど、と君は思った。博士は狂気じみた好奇心の持ち主だが、同時に冷静な計算もできる。その二面性が、彼女を優れた──そして危険な探検家にしているのだろう。

 

 ◆

 

 ベースキャンプに戻る途中、君は何度も空を見上げた。

 

 オーロラの黄色は徐々に薄れ、緑色が優勢になりつつある。だがその緑色は到着時よりも暗い。昨日のエネルギー放出で一時的に回復した明るさは既に失われていた。

 

『オーロラの周期を測定しました』

 

 ミラが報告した。

 

『現在の周期は四・六八秒です』

 

 四・六八秒。昨日の四・五一秒から延長している。

 

「やはりな」

 

 博士が呟いた。

 

「エネルギー放出による回復は一時的だった。消費が補充を上回っている。人間で言えば、興奮剤を打って一時的に元気になったが、薬が切れたら前より悪くなった──そんな状態だ」

 

 君は黙って歩いた。

 

 この惑星は確実に衰弱している。蓄えを切り崩しながら、少しずつ死に向かっている。その過程を君たちは目撃している。

 

「なあ、博士」

 

 君は口を開いた。

 

「そろそろ撤退を考えた方がいいんじゃねえか」

 

「まだだ」

 

 博士の答えは即座だった。迷いがない。

 

「まだ調査すべきことがある」

 

「このまま居座ってたら、俺たちも巻き込まれるかもしれねえぞ。この惑星が死ぬ時、何が起きるか分からねえ」

 

「そのリスクは承知している」

 

 博士は立ち止まり、君の方を向いた。

 

「だがここで引くわけにはいかない」

 

 その目には強い光が宿っていた。執念と言ってもいい。何かに取り憑かれたような、だが同時に澄み切った──イカれた光だ。

 

「この惑星が今、どのように戦っているかを記録する。それが私の使命だ。たとえ最終的にこの惑星が滅びるとしても、その過程を記録することには意味がある。誰かがこの記録を見て、学ぶことができる。次に同じような状況に遭遇した時、何かの役に立つかもしれない」

 

 君は博士の目を見つめる。

 

 負けが込んでいるのに、それでもテーブルを離れられない奴の目だと君は思った。あと一回、あと一回だけ──そう言い続けて、気づいた時には全てを失っている。そんな奴を、君は何人も見てきたし、同じような光を何度も何度も何度も自身の目に宿した事がある。

 

 ──ここで引けるかよ。今は風が来てるんだ

 

 こんな事を何度言ってきただろうか。

 

「分かるだろう、ケージ」

 

 博士が言った。その声は静かだったが、どこか挑発的でもあった。

 

「君もギャンブラーだろ? ここまで来て引き下がれない気持ち、分かるんじゃないか」

 

 君は答えなかった。

 

 分かる。痛いほど分かる。

 

 だからこそ、危険だとも分かっていた。

 

 ここで引くわけにはいかない──そう思って続けた賭けは大抵の場合、大敗に終わる。運が尽きているのに、それを認められない。損切りができない。沈没する船と一緒に沈んでいく。

 

 君自身がその生き証人だ。かつての全てを失い、サイバネ化という名の再起を選んだ男。それが今の君だ。

 

 だがそれを博士に言っても無駄だろう。彼女は既に覚悟を決めている。そしてその覚悟を翻すことは、彼女の存在意義を否定することに等しい。十五年前に失った仲間たちへの──贖罪なのか、執着なのか、君には分からない。だがそれが彼女を突き動かしているのは確かだった。

 

「……分かったよ」

 

 君は溜息をついた。

 

「付き合う。だが本当にヤバくなったら強制的に引きずってでも連れ帰るからな」

 

「約束しよう」

 

 博士は微かに笑った。

 

 その笑顔にはどこか寂しげなものがあった。自分の執着を理解されることへの安堵と、それでも止められないことへの諦めが混じっている。君には、その感情がよく分かった。

 

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