★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版) 作:埴輪庭
◆
君たちは「脳」の空間から這い出し、地表に戻った。
空を見上げると、オーロラが明滅している。だがその光は到着時よりも明らかに弱くなっていた。色も、輝きも。かつての生命力は感じられない。
「博士」
君は言った。
「そろそろ本気で撤退を考えた方がいい」
「分かっている」
博士の声は静かだった。抵抗の気配はない。
「だがもう少しだけ──」
「もう少しだけ、か」
君は苦笑した。
「ギャンブラーが一番言っちゃいけない台詞だな、それ」
「自覚はある」
博士も苦笑した。その笑みには自嘲が混じっていた。
「だが今日見たものを記録しなければならない。この惑星がどのように戦っているか。どのように生き延びようとしているか。そしてどのように──」
博士は言葉を切った。「死ぬか」という言葉を飲み込んだのだろう。
「それを後世に伝える義務がある」
「義務、か」
「ああ。学者としての義務だ」
博士は空を見上げた。弱々しく明滅するオーロラ。
「科学者は真理を記録する。美しい真理も、残酷な真理も。この惑星の最期がどのようなものになるか──それを見届けて記録することは、私の責務だと思っている」
君は博士の顔を見た。
その目には相変わらず強い光が宿っている。だが同時に、疲労の色も滲んでいた。そして──悲しみも。
「分かった。あと三日だ」
君は言った。
「三日で撤退する。それ以上は待てない」
「感謝する」
博士は頷いた。
◆
四日目。
異変は加速していた。
オーロラの周期は五・一三秒まで延長。到着時の四・七二秒から約九パーセントの延長だ。
そしてその日、二度目のエネルギー放出が観測された。
今度は規模が大きかった。
光の柱が数十本、地平線全体から噴き上がった。空が真っ白に染まり、数分間、何も見えなくなった。熱も感じた。サイバネボディの温度センサーが警告を発するほどの。
放出が収まった後、オーロラは一時的に四・八秒まで回復した。周期が短くなっている。エネルギーが補充された証拠だ。
だがその回復は長続きしなかった。
六時間後には五・〇秒に戻り、その後も延長は続いた。
「蓄えが急速に減っている。回復と消費のバランスが完全に崩れている」
「何回くらい持つんだ、こんなことして」
「分からない」
博士は観測データを見つめた。
「だが永遠に続けられるわけではない。毎回の放出で、蓄えは減っていく。そして補充がなければ──いずれ、蓄えは尽きる」
五日目。
その日、君たちは岩塔群の調査に出かけた。
到着時に最初に調査した場所だ。あの時、円盤状の生物がいて、崩落が起きた場所。あの時は、まだオーロラも明るく、この惑星に活気があった。
だが今、その場所は様変わりしていた。
岩塔群全体が──死んでいた。
発光が完全に消えている。壁面の有機組織は干からびて、灰色に変色していた。かつては脈動していた表面は、今は石のように静止している。穴の中を覗いても、何の反応もない。あの円盤状の生物たちの気配も全くなかった。
「壊死だ」
博士が言った。
「この個体群は完全に死滅した。エネルギー供給が途絶えて、組織が壊死した。人間の体で言えば、血流が途絶えた組織が壊疽を起こすのと同じだ」
君は周囲を見回した。
昼半球方向の岩塔群はまだ発光している。弱いが、生きている。だが夜半球方向のものは──ここと同じように暗く沈んでいる。
「末端から死んでいってるのか」
「そういうことだ」
博士は死んだ岩塔を見上げた。
「エネルギーが足りなくなると、中枢は末端への供給を止める。限られたエネルギーでより重要な部分を維持しようとする」
「トリアージってやつだろ? 知り合いの闇医者の口癖だ」
「まあ、そうだな」
博士は頷いた。
「人間の体が凍傷になる時と同じ原理だ。体は末端への血流を制限して、中枢──心臓や脳を守ろうとする。指や足の先は壊死するが、それでも心臓や脳は維持される。痛みを伴う選択だが、生き延びるためには必要な選択だ」
博士は死んだ岩塔を見上げた。
「この惑星は今、自分の体の一部を切り捨てながら生き延びようとしている。末端を犠牲にして、中枢を守ろうとしている。だが──」
「だが?」
「末端を切り捨て続ければ、いずれ切り捨てるものがなくなる。その時、次に切り捨てられるのは中枢だ」
「それで生き延びたとして、先はあるのかよ?」
「ない」
博士は即答した。
「だったらなんで……」
「それでも生きたいんだろう。……いや、生きていてもらいたいんだろう、この星に」
君は口をつぐむ。何なんだかなァ、と思いに、そういうもんだよなァという思いが入り混じる奇妙な心地だった。
◆
六日目。
オーロラの周期は五・四秒に達していた。
そしてその日、三度目のエネルギー放出が起きた。
今度は規模がさらに大きかった。光の柱は数百本に達し、惑星全体が震えた。地震──いや、惑星の痙攣と呼ぶべきだろうか。全身を使った苦悶の叫び。
だが回復は──
「回復しない」
博士が呟いた。
オーロラは放出後も五・三秒のままだった。ほとんど変化がない。
「効果が薄れている」
「どういうことだ」
「エネルギー貯蔵層の枯渇が進んでいる。放出できるエネルギー自体が減っている」
博士は観測データを見つめた。その表情は厳しかった。
「最初の放出で約二十パーセントの回復があった。周期が五・〇秒から四・〇秒に縮まった計算だ。二回目は約五パーセント。今回は二パーセント未満」
君は黙って聞いていた。
「収穫逓減だ。投入するエネルギーに対して、得られる回復効果が減少している。システムの効率が落ちているのか、あるいは根本的な何かが破綻しつつあるのか」
「このペースでいけば?」
「次の放出はほとんど効果がないだろう。そしてその次は──」
「放出できるエネルギー自体がなくなる」
「そういうことだ」
沈黙が流れた。
この惑星は死にかけている。
誰が見ても明らかだった。
「博士」
君は言った。
「明日、撤退する」
「……ああ」
博士は頷いた。
「分かっている」
その声には敗北感が滲んでいた。何かを諦めた者の声だ。
「もう少し時間があれば──」
「負け戦中のギャンブラーは皆そう言うんだぜ」
君は博士の肩に手を置いた。
その肩は細かった。白衣の下の体は、思ったよりも華奢だった。この細い体に、どれほどの執念が詰まっているのか。
「……そうだな」
博士は窓の外を見た。
オーロラは弱々しく明滅している。五・四秒の周期で。到着時の四・七二秒から、約十四パーセントの延長。
「この惑星は」
博士が言った。
「どれくらい持つと思う」
「分からん。俺は学者じゃねえ」
「予想でいい。直感で」
君は空を見上げた。
弱々しいオーロラ。消えかけた蛍のような光。だがその光の中には、まだ生きようとする意志が感じられた。完全には諦めていない。まだ戦っている。
「長くはないだろうな」
君は言った。
「数週間か、数ヶ月か──」
「そうだな」
博士は静かに言った。
「そうだろうな」
それから無言のまま、二人はベースキャンプへ歩いていった。
薄紫色の空の下、弱々しく明滅するオーロラだけが二人の影を照らしていた。
◆
その夜、君は眠れなかった。
正確に言えば、サイバネボディに「眠り」は必要ない。だが意識をスリープモードに移行させ、情報処理を最小限に抑える時間は必要だ。それができなかった。
窓の外では、オーロラが弱々しく明滅している。
見ていると、その明滅のパターンに引き込まれそうになる。五・四秒。五・四秒。五・四秒。単調なリズム。だがその単調さの中に、何か意味があるような気がした。
通信が生きているのだ。
この惑星はまだ諦めてはいない──君はそんな事を想う。
そうして七日目──異変が起きた。
◆
『恒星表面に異常を検知しました』
ミラが報告した。
『ロス154の表面に大規模な黒点が出現しています。直径は恒星半径の約三パーセント。これは過去の観測記録と比較して異常に大きい数値です』
博士が飛び起きた。
「黒点?」
『はい。そして黒点周辺の磁場活動が活発化しています。フレア発生の前兆と考えられます』
君と博士は同時に窓に駆け寄った。
ロス154は地平線近くに見えていた。赤みがかった光を放つ小さな恒星。だがその表面に、確かに暗い斑点が見えた。肉眼でも分かるほど大きい。
「フレアが来るかもしれない」
博士の声は緊張していた。
「フレアが来れば──エネルギー補給になる。この惑星にとっては恵みの雨だ」
だが博士の声には、喜びだけではない何かが混じっていた。
『黒点の発達速度を分析しました』
ミラが報告を続けた。
『通常の太陽黒点の発達速度と比較して、約三倍の速さで成長しています。ロス154はM型矮星、いわゆる閃光星に分類されます。このタイプの恒星は磁場活動が不安定で、突発的な大規模フレアを頻繁に発生させることで知られています』
博士は頷いた。
「M型矮星の特性だ。質量が小さく、内部の対流層が厚い。そのため磁場の生成と崩壊が激しく、不規則なフレア活動が起きやすい」
『このペースで黒点が成長すれば、二十四時間以内に大規模フレアが発生する確率は約七十三パーセントと推定されます』
「七十三パーセント」
君は呟いた。
高い数字だ。だが確実ではない。
「フレアが来れば、この惑星は助かるのか?」
「状況による」
博士は観測データを確認しながら答えた。
「小規模から中規模のフレアであれば、エネルギー補給として機能する。この惑星の生態系はそもそもフレアのエネルギーに依存して進化してきた。フレアは彼らにとっての『食事』だ」
「だが?」
「大規模フレアの場合は──」
博士は言葉を選んでいるようだった。
「この惑星の生態系ごと焼き尽くす可能性がある。高エネルギー粒子と強烈な紫外線・X線が大気を剥ぎ取り、地表を殺菌する。まるで──オーブンで焼かれるようなものだ」
君は黙った。
救いが来るかもしれない。だがその救いは同時に破滅かもしれない。
まるで博打のようだな、と君は思った。
この惑星は今、命を賭けた勝負に挑もうとしている。勝てば生き延び、負ければ死ぬ。そして勝敗を決めるのは、純粋な運だ。フレアの規模という、誰にも予測できない、制御できない要素。
ギャンブラーとして、君はその状況に奇妙な親近感を覚えた。
最後の賭け。全てを失うか、全てを取り戻すか。テーブルの上に全財産を積み上げて、ディーラーのカードを待つ──あの瞬間と同じだ。
「撤退を前倒しする」
博士が言った。
「フレアが発生した場合、高エネルギー粒子が惑星に到達するまでの時間は約十二分だ。光速で伝播する電磁波──可視光、紫外線、X線──はほぼ瞬時に届く。だが荷電粒子──プロトンや電子は光速の約八十パーセント程度で移動するため、やや遅れて到達する」
「十二分」
「その間に軌道上まで上昇し、惑星の影か、あるいはワープ圏内に退避する必要がある」
博士は撤退準備を指示しながら、観測機器の最終データ収集を行っていた。
その手つきは手慣れているが、どこか名残惜しそうだった。一つ一つの機器をまるで別れを告げるように丁寧に扱っている。
「なあ、博士」
君は口を開いた。
「この惑星が助かる可能性はあるのか。正直に言ってくれ」
「分からない」
博士は正直に答えた。
「フレアの規模次第だ。適度な規模であれば、エネルギー供給として機能する。枯渇しかけた蓄えを補充し、システムを安定化させることができるかもしれない。だが過剰であれば──大気を剥ぎ取り、地表を焼き尽くす」
博士は窓の外を見た。オーロラは弱々しく明滅している。五・四秒の周期で。
「M型星の大規模フレアは、ハビタブルゾーンの惑星にとって最大の脅威の一つだ。地球型惑星の居住可能性を考える上で、フレア活動は避けて通れない問題として議論されてきた。フレア一発で、数百年分、あるいは数百万年分の進化が無に帰すこともある」
博士は振り返った。
「だが逆に言えば、この惑星の生態系はそのフレアに適応して進化してきた。フレアがなければ生きられない。フレアがあれば死ぬかもしれない。矛盾した存在だ。依存と脅威が表裏一体になっている」
「矛盾、か」
君は呟いた。
人間も似たようなものかもしれない、と思った。
酒がなければ生きられない。酒があれば身を滅ぼす。そんな奴を君は何人も知っている。ちなみに君は酒よりもヤク派だった。酒なんて女子供が嗜むものだという偏見があった。男はヤクだ。違法ドラッグ万歳。
──もっとも、その考えのおかげで全てを失ったわけだが。
「なあ、博士」
「何だ」
「俺も矛盾した存在かもな」
博士は不思議そうな顔をした。
「ギャンブルがなければ生きられなかった。ギャンブルのせいで全てを失った。それでも──たまに、あの頃が懐かしくなる」
「懐かしい?」
「ああ」
君は空を見上げた。弱々しいオーロラ。
「全てを賭けてる時の、あの感覚。心臓がバクバクして、手が震えて、世界が鮮明に見える──あの感覚だ。生きてるって実感できる、唯一の瞬間だった」
博士は黙って聞いていた。
「この惑星も、今、そんな感じなのかもな。最後の賭けに全てを懸けてる。生きるか死ぬか。
「……そうかもしれないな」
博士は静かに言った。
「だが彼らには、選択肢がない。私たちには、テーブルを離れる自由がある。彼らにはない」
「そうだな」
君は頷いた。
「だから──見届けてやりたいんだろ。博士は」
博士は答えなかった。
その沈黙が、答えだった。