★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)   作:埴輪庭

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35.彼岸に伸びる光⑤

 ◆

 

 君たちは「脳」の空間から這い出し、地表に戻った。

 

 空を見上げると、オーロラが明滅している。だがその光は到着時よりも明らかに弱くなっていた。色も、輝きも。かつての生命力は感じられない。

 

「博士」

 

 君は言った。

 

「そろそろ本気で撤退を考えた方がいい」

 

「分かっている」

 

 博士の声は静かだった。抵抗の気配はない。

 

「だがもう少しだけ──」

 

「もう少しだけ、か」

 

 君は苦笑した。

 

「ギャンブラーが一番言っちゃいけない台詞だな、それ」

 

「自覚はある」

 

 博士も苦笑した。その笑みには自嘲が混じっていた。

 

「だが今日見たものを記録しなければならない。この惑星がどのように戦っているか。どのように生き延びようとしているか。そしてどのように──」

 

 博士は言葉を切った。「死ぬか」という言葉を飲み込んだのだろう。

 

「それを後世に伝える義務がある」

 

「義務、か」

 

「ああ。学者としての義務だ」

 

 博士は空を見上げた。弱々しく明滅するオーロラ。

 

「科学者は真理を記録する。美しい真理も、残酷な真理も。この惑星の最期がどのようなものになるか──それを見届けて記録することは、私の責務だと思っている」

 

 君は博士の顔を見た。

 

 その目には相変わらず強い光が宿っている。だが同時に、疲労の色も滲んでいた。そして──悲しみも。

 

「分かった。あと三日だ」

 

 君は言った。

 

「三日で撤退する。それ以上は待てない」

 

「感謝する」

 

 博士は頷いた。

 

 ◆

 

 四日目。

 

 異変は加速していた。

 

 オーロラの周期は五・一三秒まで延長。到着時の四・七二秒から約九パーセントの延長だ。

 

 そしてその日、二度目のエネルギー放出が観測された。

 

 今度は規模が大きかった。

 

 光の柱が数十本、地平線全体から噴き上がった。空が真っ白に染まり、数分間、何も見えなくなった。熱も感じた。サイバネボディの温度センサーが警告を発するほどの。

 

 放出が収まった後、オーロラは一時的に四・八秒まで回復した。周期が短くなっている。エネルギーが補充された証拠だ。

 

 だがその回復は長続きしなかった。

 

 六時間後には五・〇秒に戻り、その後も延長は続いた。

 

「蓄えが急速に減っている。回復と消費のバランスが完全に崩れている」

 

「何回くらい持つんだ、こんなことして」

 

「分からない」

 

 博士は観測データを見つめた。

 

「だが永遠に続けられるわけではない。毎回の放出で、蓄えは減っていく。そして補充がなければ──いずれ、蓄えは尽きる」

 

 五日目。

 

 その日、君たちは岩塔群の調査に出かけた。

 

 到着時に最初に調査した場所だ。あの時、円盤状の生物がいて、崩落が起きた場所。あの時は、まだオーロラも明るく、この惑星に活気があった。

 

 だが今、その場所は様変わりしていた。

 

 岩塔群全体が──死んでいた。

 

 発光が完全に消えている。壁面の有機組織は干からびて、灰色に変色していた。かつては脈動していた表面は、今は石のように静止している。穴の中を覗いても、何の反応もない。あの円盤状の生物たちの気配も全くなかった。

 

「壊死だ」

 

 博士が言った。

 

「この個体群は完全に死滅した。エネルギー供給が途絶えて、組織が壊死した。人間の体で言えば、血流が途絶えた組織が壊疽を起こすのと同じだ」

 

 君は周囲を見回した。

 

 昼半球方向の岩塔群はまだ発光している。弱いが、生きている。だが夜半球方向のものは──ここと同じように暗く沈んでいる。

 

「末端から死んでいってるのか」

 

「そういうことだ」

 

 博士は死んだ岩塔を見上げた。

 

「エネルギーが足りなくなると、中枢は末端への供給を止める。限られたエネルギーでより重要な部分を維持しようとする」

 

「トリアージってやつだろ? 知り合いの闇医者の口癖だ」

 

「まあ、そうだな」

 

 博士は頷いた。

 

「人間の体が凍傷になる時と同じ原理だ。体は末端への血流を制限して、中枢──心臓や脳を守ろうとする。指や足の先は壊死するが、それでも心臓や脳は維持される。痛みを伴う選択だが、生き延びるためには必要な選択だ」

 

 博士は死んだ岩塔を見上げた。

 

「この惑星は今、自分の体の一部を切り捨てながら生き延びようとしている。末端を犠牲にして、中枢を守ろうとしている。だが──」

 

「だが?」

 

「末端を切り捨て続ければ、いずれ切り捨てるものがなくなる。その時、次に切り捨てられるのは中枢だ」

 

「それで生き延びたとして、先はあるのかよ?」

 

「ない」

 

 博士は即答した。

 

「だったらなんで……」

 

「それでも生きたいんだろう。……いや、生きていてもらいたいんだろう、この星に」

 

 君は口をつぐむ。何なんだかなァ、と思いに、そういうもんだよなァという思いが入り混じる奇妙な心地だった。

 

 ◆

 

 六日目。

 

 オーロラの周期は五・四秒に達していた。

 

 そしてその日、三度目のエネルギー放出が起きた。

 

 今度は規模がさらに大きかった。光の柱は数百本に達し、惑星全体が震えた。地震──いや、惑星の痙攣と呼ぶべきだろうか。全身を使った苦悶の叫び。

 

 だが回復は──

 

「回復しない」

 

 博士が呟いた。

 

 オーロラは放出後も五・三秒のままだった。ほとんど変化がない。

 

「効果が薄れている」

 

「どういうことだ」

 

「エネルギー貯蔵層の枯渇が進んでいる。放出できるエネルギー自体が減っている」

 

 博士は観測データを見つめた。その表情は厳しかった。

 

「最初の放出で約二十パーセントの回復があった。周期が五・〇秒から四・〇秒に縮まった計算だ。二回目は約五パーセント。今回は二パーセント未満」

 

 君は黙って聞いていた。

 

「収穫逓減だ。投入するエネルギーに対して、得られる回復効果が減少している。システムの効率が落ちているのか、あるいは根本的な何かが破綻しつつあるのか」

 

「このペースでいけば?」

 

「次の放出はほとんど効果がないだろう。そしてその次は──」

 

「放出できるエネルギー自体がなくなる」

 

「そういうことだ」

 

 沈黙が流れた。

 

 この惑星は死にかけている。

 

 誰が見ても明らかだった。

 

「博士」

 

 君は言った。

 

「明日、撤退する」

 

「……ああ」

 

 博士は頷いた。

 

「分かっている」

 

 その声には敗北感が滲んでいた。何かを諦めた者の声だ。

 

「もう少し時間があれば──」

 

「負け戦中のギャンブラーは皆そう言うんだぜ」

 

 君は博士の肩に手を置いた。

 

 その肩は細かった。白衣の下の体は、思ったよりも華奢だった。この細い体に、どれほどの執念が詰まっているのか。

 

「……そうだな」

 

 博士は窓の外を見た。

 

 オーロラは弱々しく明滅している。五・四秒の周期で。到着時の四・七二秒から、約十四パーセントの延長。

 

「この惑星は」

 

 博士が言った。

 

「どれくらい持つと思う」

 

「分からん。俺は学者じゃねえ」

 

「予想でいい。直感で」

 

 君は空を見上げた。

 

 弱々しいオーロラ。消えかけた蛍のような光。だがその光の中には、まだ生きようとする意志が感じられた。完全には諦めていない。まだ戦っている。

 

「長くはないだろうな」

 

 君は言った。

 

「数週間か、数ヶ月か──」

 

「そうだな」

 

 博士は静かに言った。

 

「そうだろうな」

 

 それから無言のまま、二人はベースキャンプへ歩いていった。

 

 薄紫色の空の下、弱々しく明滅するオーロラだけが二人の影を照らしていた。

 

 ◆

 

 その夜、君は眠れなかった。

 

 正確に言えば、サイバネボディに「眠り」は必要ない。だが意識をスリープモードに移行させ、情報処理を最小限に抑える時間は必要だ。それができなかった。

 

 窓の外では、オーロラが弱々しく明滅している。

 

 見ていると、その明滅のパターンに引き込まれそうになる。五・四秒。五・四秒。五・四秒。単調なリズム。だがその単調さの中に、何か意味があるような気がした。

 

 通信が生きているのだ。

 

 この惑星はまだ諦めてはいない──君はそんな事を想う。

 

 そうして七日目──異変が起きた。

 

 ◆

 

『恒星表面に異常を検知しました』

 

 ミラが報告した。

 

『ロス154の表面に大規模な黒点が出現しています。直径は恒星半径の約三パーセント。これは過去の観測記録と比較して異常に大きい数値です』

 

 博士が飛び起きた。

 

「黒点?」

 

『はい。そして黒点周辺の磁場活動が活発化しています。フレア発生の前兆と考えられます』

 

 君と博士は同時に窓に駆け寄った。

 

 ロス154は地平線近くに見えていた。赤みがかった光を放つ小さな恒星。だがその表面に、確かに暗い斑点が見えた。肉眼でも分かるほど大きい。

 

「フレアが来るかもしれない」

 

 博士の声は緊張していた。

 

「フレアが来れば──エネルギー補給になる。この惑星にとっては恵みの雨だ」

 

 だが博士の声には、喜びだけではない何かが混じっていた。

 

『黒点の発達速度を分析しました』

 

 ミラが報告を続けた。

 

『通常の太陽黒点の発達速度と比較して、約三倍の速さで成長しています。ロス154はM型矮星、いわゆる閃光星に分類されます。このタイプの恒星は磁場活動が不安定で、突発的な大規模フレアを頻繁に発生させることで知られています』

 

 博士は頷いた。

 

「M型矮星の特性だ。質量が小さく、内部の対流層が厚い。そのため磁場の生成と崩壊が激しく、不規則なフレア活動が起きやすい」

 

『このペースで黒点が成長すれば、二十四時間以内に大規模フレアが発生する確率は約七十三パーセントと推定されます』

 

「七十三パーセント」

 

 君は呟いた。

 

 高い数字だ。だが確実ではない。

 

「フレアが来れば、この惑星は助かるのか?」

 

「状況による」

 

 博士は観測データを確認しながら答えた。

 

「小規模から中規模のフレアであれば、エネルギー補給として機能する。この惑星の生態系はそもそもフレアのエネルギーに依存して進化してきた。フレアは彼らにとっての『食事』だ」

 

「だが?」

 

「大規模フレアの場合は──」

 

 博士は言葉を選んでいるようだった。

 

「この惑星の生態系ごと焼き尽くす可能性がある。高エネルギー粒子と強烈な紫外線・X線が大気を剥ぎ取り、地表を殺菌する。まるで──オーブンで焼かれるようなものだ」

 

 君は黙った。

 

 救いが来るかもしれない。だがその救いは同時に破滅かもしれない。

 

 まるで博打のようだな、と君は思った。

 

 この惑星は今、命を賭けた勝負に挑もうとしている。勝てば生き延び、負ければ死ぬ。そして勝敗を決めるのは、純粋な運だ。フレアの規模という、誰にも予測できない、制御できない要素。

 

 ギャンブラーとして、君はその状況に奇妙な親近感を覚えた。

 

 最後の賭け。全てを失うか、全てを取り戻すか。テーブルの上に全財産を積み上げて、ディーラーのカードを待つ──あの瞬間と同じだ。

 

「撤退を前倒しする」

 

 博士が言った。

 

「フレアが発生した場合、高エネルギー粒子が惑星に到達するまでの時間は約十二分だ。光速で伝播する電磁波──可視光、紫外線、X線──はほぼ瞬時に届く。だが荷電粒子──プロトンや電子は光速の約八十パーセント程度で移動するため、やや遅れて到達する」

 

「十二分」

 

「その間に軌道上まで上昇し、惑星の影か、あるいはワープ圏内に退避する必要がある」

 

 博士は撤退準備を指示しながら、観測機器の最終データ収集を行っていた。

 

 その手つきは手慣れているが、どこか名残惜しそうだった。一つ一つの機器をまるで別れを告げるように丁寧に扱っている。

 

「なあ、博士」

 

 君は口を開いた。

 

「この惑星が助かる可能性はあるのか。正直に言ってくれ」

 

「分からない」

 

 博士は正直に答えた。

 

「フレアの規模次第だ。適度な規模であれば、エネルギー供給として機能する。枯渇しかけた蓄えを補充し、システムを安定化させることができるかもしれない。だが過剰であれば──大気を剥ぎ取り、地表を焼き尽くす」

 

 博士は窓の外を見た。オーロラは弱々しく明滅している。五・四秒の周期で。

 

「M型星の大規模フレアは、ハビタブルゾーンの惑星にとって最大の脅威の一つだ。地球型惑星の居住可能性を考える上で、フレア活動は避けて通れない問題として議論されてきた。フレア一発で、数百年分、あるいは数百万年分の進化が無に帰すこともある」

 

 博士は振り返った。

 

「だが逆に言えば、この惑星の生態系はそのフレアに適応して進化してきた。フレアがなければ生きられない。フレアがあれば死ぬかもしれない。矛盾した存在だ。依存と脅威が表裏一体になっている」

 

「矛盾、か」

 

 君は呟いた。

 

 人間も似たようなものかもしれない、と思った。

 

 酒がなければ生きられない。酒があれば身を滅ぼす。そんな奴を君は何人も知っている。ちなみに君は酒よりもヤク派だった。酒なんて女子供が嗜むものだという偏見があった。男はヤクだ。違法ドラッグ万歳。

 

 ──もっとも、その考えのおかげで全てを失ったわけだが。

 

「なあ、博士」

 

「何だ」

 

「俺も矛盾した存在かもな」

 

 博士は不思議そうな顔をした。

 

「ギャンブルがなければ生きられなかった。ギャンブルのせいで全てを失った。それでも──たまに、あの頃が懐かしくなる」

 

「懐かしい?」

 

「ああ」

 

 君は空を見上げた。弱々しいオーロラ。

 

「全てを賭けてる時の、あの感覚。心臓がバクバクして、手が震えて、世界が鮮明に見える──あの感覚だ。生きてるって実感できる、唯一の瞬間だった」

 

 博士は黙って聞いていた。

 

「この惑星も、今、そんな感じなのかもな。最後の賭けに全てを懸けてる。生きるか死ぬか。全部か無か(オールオアナッシング)

 

「……そうかもしれないな」

 

 博士は静かに言った。

 

「だが彼らには、選択肢がない。私たちには、テーブルを離れる自由がある。彼らにはない」

 

「そうだな」

 

 君は頷いた。

 

「だから──見届けてやりたいんだろ。博士は」

 

 博士は答えなかった。

 

 その沈黙が、答えだった。

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