★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版) 作:埴輪庭
◆
撤退準備が進む中、君はシェルター周辺の機器を回収していた。
観測装置、サンプル保管庫、通信中継器──一つ一つを確認し、梱包していく。単純作業だが集中力が必要だ。忘れ物があれば、貴重なデータが失われる。
作業を進めながら、君は何度も空を見上げた。
オーロラの色が変わりつつあった。
緑色が徐々に青みを帯びている。これまで見たことのない変化だ。黄色やオレンジへの変化は警告信号だったが青への変化は何を意味するのか。
『スペクトル分析を行いました』
ミラが報告した。
『オーロラの発光波長が短波長側にシフトしています。これは励起エネルギーの増大を示唆します。大気中の分子がより高いエネルギー状態に励起されている証拠です』
「エネルギーが増えてるのか?」
『微量ですが恒星からの紫外線放射が増加しています。黒点周辺の磁場活動に伴う前駆現象と考えられます。フレアが発生する前に、磁場のストレスが蓄積され、それに伴って活発な領域からの放射が増加するのです』
フレアの前触れだ。
恒星が活動を再開しつつある。そのエネルギーが僅かながらこの惑星に届き始めている。
君は岩塔群を見た。
昨日まで死んでいた夜半球側の岩塔が──微かに発光している。まだ弱いが確実に光っている。灰色だった表面に、僅かに色が戻っている。
「なんだか嬉しそうじゃねぇかよ」
君は呟いた。
この惑星は感じ取っているのだ。恒星が目覚めつつあることを。飢えた者が食卓の匂いを嗅ぎつけるように。渇いた者が雨の気配を感じ取るように。
彼らは知っている。救いが来るかもしれないことを。
その時だった。
地面が揺れた。
これまでで最大の揺れだ。立っていられないほどではないが全身に響く振動。サイバネボディの姿勢制御システムが自動的に補正をかける。
同時に、地平線全体から光が立ち昇った。
何度目かのエネルギー放出──だが今回は様子が違った。
光の柱は空に向かって伸び、そしてオーロラと融合した。緑と青の光が混じり合い、空全体が複雑な模様を描き始める。まるで──踊っているようだった。オーロラが喜びの舞を踊っているようだった。
『異常なパターンを検知しました』
ミラが報告した。
『オーロラの明滅周期が急速に短縮しています。五・四秒から四・二秒へ。さらに三・八秒へ──』
回復している。
急速に回復している。
「何が起きてる」
『推測ですが恒星からの前駆放射を受けて、惑星全体が「準備」を始めているようです。来たるべきフレアに備えて、システムを最適化している。エネルギー受容体制を整え、貯蔵システムを活性化し、循環系の効率を上げている──まるで食事の前に消化器官が活動を始めるように』
君は空を見上げた。
オーロラは激しく明滅している。まるで興奮した心臓のように。到着時よりも、ずっと速いリズムで。
この惑星は知っているのだ。救いが来るかもしれないことを。そしてその救いを受け止めるために、全力で準備をしている。
──頑張れよ
君は心の中で呟いた。
らしくない感傷だと自覚しながら。
ギャンブラーは他人の勝負に感情移入しない。それが鉄則だ。だが──この惑星の勝負にはどうしても肩入れしてしまう自分がいた。
◆
「ケージ、戻れ」
博士の声が通信機から響いた。
「フレアの発生が予測より早まった。黒点の成長速度が加速している」
君はシェルターに向かって走り出した。
背後では光の柱がまだ立ち昇っている。惑星が最後の蓄えを解放している──いや、これは蓄えを解放しているのではない。システムを最適化しているのだ。受け入れ態勢を整えている。
シェルターに到着すると、博士は既に降下ポッドの起動準備を終えていた。
「急げ。発生まで推定三十分を切った」
「三十分? さっきは二十四時間って言ってたじゃねえか」
「黒点の成長が予測を超えている。M型星の磁場活動は不安定だと言っただろう。予測モデルの限界だ。実際の恒星活動は常に我々の想定を超える」
君は博士に続いてポッドに乗り込んだ。
ハッチが閉まる直前、君は窓から外を見た。
オーロラは青緑色に輝いている。到着時よりも遥かに明るい。周期は既に三秒を切っていた。
この惑星は生きようとしている。
最後の力を振り絞って、来たるべき救いを待っている。
◆
ポッドが上昇を開始した。
重力が君の体を押し付ける。生身ならば苦痛を感じるところだがサイバネボディにとっては単なるデータに過ぎない。加速度三・二G。継続時間約九十秒。骨格フレームへの負荷は許容範囲内。
だが君の意識はそんなデータには向いていなかった。
窓の外ではペルセポネ・プライムが徐々に小さくなっていく。
薄紫色の空。永遠の夕暮れ。そして今や青緑色に輝くオーロラ。
君はその光景を目に焼き付けた。記憶媒体に保存するのではなく、自分の意識に刻み込むように。
「博士」
君は口を開いた。
「フレアが適度な規模だったら、この惑星は助かるんだよな」
「可能性はある」
「じゃあ、また来られるかもしれないってことか」
「理論上は」
博士の声は複雑な響きを帯びていた。希望と諦めが混じり合っている。
「だがフレアの規模が過剰であれば、次に来た時にはここには何も残っていないだろう。大気も、海も、生命も──全てが消え去っている」
君は黙った。
結局、全ては運次第なのだ。
この惑星の運命を決めるのはフレアの規模という単一の変数。それが適正範囲に収まるかどうか。誰にも予測できない。誰にも制御できない。
サイコロの目。カードの並び。ルーレットの球。
運命はいつも、そういう形で訪れる。
軌道上に到達した時、異変が起きた。
『恒星表面で磁気リコネクションを検出しました』
ミラが報告した。
磁気リコネクション──恒星の磁力線が急激に組み換わり、蓄積されたエネルギーが一気に解放される現象だ。フレアの発生機構として知られている。
『フレア発生。規模は──』
ミラの声が途切れた。
「規模は?」
『スーパーフレアです』
◆
『通常のM型星フレアの約五百倍のエネルギー放出を観測しています。カーリントン級を大幅に超える規模です』
博士の顔が蒼白になった。
「五百倍……」
「それはいいのか悪いのか」
「最悪だ」
博士は即答した。その声は震えていた。
「その規模のフレアが直撃すれば、惑星表面は殺菌される。大気は剥ぎ取られ、海は蒸発し、あらゆる生命活動が停止する」
君は窓から恒星を見た。
ロス154の表面で白い光が膨張していく。太陽黒点があった場所から、巨大な爆発が広がっている。
それは美しかった。
恒星の表面を白い炎が舐め尽くし、コロナが膨張していく。まるで巨人が深呼吸をしているかのような、ゆったりとした、だが確実な膨張だ。
スーパーフレア。
恒星表面で発生する巨大な爆発現象である。通常のフレアの数百倍から数千倍のエネルギーを放出し、惑星間空間に高エネルギー粒子と電磁放射を撒き散らす。
太陽系において、もし太陽がスーパーフレアを放出すれば、地球文明は壊滅的な打撃を受ける。通信衛星は機能停止し、電力網は崩壊し、オゾン層は破壊される。生態系への影響は計り知れない。人類の歴史において、太陽はまだスーパーフレアを放出していない──少なくとも、文明が存在する間には。
だが赤色矮星においてはスーパーフレアはより頻繁に発生する。ロス154のような閃光星は数十年に一度の頻度で大規模フレアを放出する。その都度、周回する惑星は高エネルギー粒子の嵐に晒される。
ペルセポネ・プライムの生態系はそのフレアに依存して進化してきた。フレアがなければ生きられない。だが依存と耐性は異なる。
彼らにとってフレアは栄養であると同時に、過剰摂取すれば毒となる劇薬でもあった。
そして今、その劇薬が──致死量で投与されようとしている。
◆
「惑星まで何分だ」
『高エネルギー粒子の到達まで約十二分です。電磁波は既に──』
ミラの言葉を遮るように、ポッドの計器が警報を発した。
強烈な電磁パルスが船体を叩いている。フレアから放出された電磁波──X線、紫外線、可視光が光速で到達したのだ。
「システムは大丈夫か」
『シールドが機能しています。軽微な干渉のみです。ただし、惑星大気は既にこの電磁波を受けています』
君はペルセポネ・プライムを見下ろした。
惑星は青緑色のオーロラに包まれている。電磁波の直撃を受けて、オーロラの輝きは一層強まっていた。
大気が励起されている。エネルギーを吸収している。
だがそれは一時的なものに過ぎない。
十二分後には本当の嵐が来る。高エネルギー粒子──陽子、電子、重イオン──が大気を貫き、地表を焼く。
「急いで母船に戻る」
博士が言った。
「ワープ圏内に退避しないと、私たちも巻き込まれる。粒子線被曝はシールドがあっても完全には防げない」
ポッドは母船「ステラ・ノヴァ」に向かって加速した。
その間も、君はペルセポネ・プライムから目を離さなかった。
惑星は輝いている。
これまで見たどの瞬間よりも明るく、激しく。オーロラは空全体を覆い、複雑なパターンを描いている。
まるで喜んでいるようだった。
ずっと待ち望んでいた恒星の光をようやく浴びることができた。その喜びを全身で表現しているかのような。
だがその光は救いではなかった。
死刑執行の合図だった。
「博士」
君は口を開いた。
「あの惑星は分かってるのかな。これから何が起きるか」
「分からない」
博士は静かに答えた。その声には深い悲しみが滲んでいた。
「彼らの認知能力がどの程度なのか、私たちには分からない。フレアの規模を測定する能力があるのか。致死量を超えていることを理解できるのか。だが──」
「だが?」
「もし分かっているとしたら」
博士は窓の外を見た。
「今、彼らは最期の瞬間を精一杯生きているのだろう。最後の光を最後のエネルギーを全身で受け止めようとしている。たとえそれが自分を殺すものだとしても」
ほんの一瞬、博士の瞳に何かが湛えられた。色のような、雰囲気のような。君はそれが何かを知っている。
それは──死んでしまった誰かを思い出す時に体の、心の奥底から湧いてくる何かであった。